最近、別館のお目汚しブログで小倉弁護士を強く批判しておりますので、私のことを小倉弁護士が批判している医療側の意見の賛同者であるとお考えの方もおられるかも知れませんが、必ずしもそうではありません。
030医療関係の最近のブログ記事
まず、前提として犯罪とは何かを簡単に説明します。
犯罪とは、「構成要件」に該当し、「違法」かつ「有責」な行為と定義されています。
構成要件とは刑罰法規のことです。殺人罪、傷害罪、業務上過失致死傷罪などを規定している罰条です。
ある行為が犯罪と言えるかどうかは、まずその行為がいずれかの構成要件に当てはまるかどうかを検討する必要があります。
そして、この判断は、問題となる行為が条文の定め(文言)に当てはまるかどうかという観点からの判断ですから、原則として形式的な判断になります。
次に、ある行為が形式的に構成要件に該当するとしても、実質的に違法なものかどうかを判断することになります。
もっとも、構成要件というのは、違法行為のカタログ(類型)ですから、構成要件に該当すれば原則として違法になるはずです。したがって、多くの事件では構成要件に該当する以上、違法性を阻却する事由(違法性をなくさせる事情)がない限り、違法として扱われます。違法性を阻却する事由の典型例は正当防衛です。つまり、構成要件に該当するが違法性がない場合というのは例外なのです。
そして、ある行為が構成要件に該当し、かつ違法ということになりますと、次に有責かどうかが問題になりますが、ここでの典型的問題は責任能力です。責任能力もあるのが原則ですから、例外的に心神喪失としてないかどうかが問題になります。ただし、医療行為の刑事免責との関係では問題になりませんので、有責性の問題についてはここではこれ以上触れません。
私は、構成要件に該当するが違法性がない場合というのは例外だと言いました。
しかし、医療行為に限定した場合、例外と原則が逆転します。
その前に医療行為の構成要件該当性を考えてみますが、外科手術は人の身体にメスを入れるわけですからすべて傷害罪の構成要件に該当します。形式的判断をすればそうなります。注射もそうです。薬の処方も副作用があることを考えれば傷害罪に該当します。
つまり、医療行為は原則として犯罪の構成要件に該当すると言ってよいものです。
しかし、医師が医療行為をしたからといって逮捕されたり起訴されて有罪になったりするわけではありません。
それは、医師の治療行為は、それが構成要件に該当するとしても正当業務行為として違法性が阻却されると説明されるからです。
そして、医師の治療行為は原則として正当業務行為と認められますから、結局、医師の(構成要件に該当する)治療行為は原則として違法性がない、つまり犯罪にならない、とされることになります。
これは、通常の意味とは違いますが、すでに医師には刑事免責が適用されていると言うことも不可能ではありません。しかし、議論が混乱しますので、これを刑事免責とは言わないことにします。
以上のように、医師の治療行為は原則として正当業務行為と認められるわけですが、そのためには、その治療行為が「医療行為として妥当なものである限り」という条件がついています。
つまり、その治療行為が医療行為として妥当なものでなければその行為は構成要件に該当しかつ違法だということになります。
わざと妥当性のない医療行為を行って患者を死傷させた場合は、故意犯として傷害罪か殺人罪になり得ます。
誤って妥当性のない医療行為を行って患者を死傷させた場合は、過失犯として業務上過失致死傷罪になり得ます。
結局、過失犯を処罰する日本の刑法においては、医師の治療行為も犯罪となり得るのですが、医師の治療行為については、医療行為としての妥当性というのがキーワードにして犯罪の成否が検討されることになります。(「妥当性」以外の用語のほうが適切であるというご意見もあるかと思いますが、ここでは「妥当性」という表現を使います。)
しかし、この「医療行為としての妥当性」というものが曲者なわけです。
妥当性があるかないかの判断が難しい、または難しい場合が多い、というのは医療側の一般的意見としてあるのです。
典型的な場合をあげれば、もともと死にそうな人に対して医療行為を行った場合に、その医療行為が妥当なものであったかななかったかは、患者が死んだという結果だけからは判断できない高度に専門的な判断になります。
実は、妥当性があるかないかの判断が難しいというのは何も医療側の専売特許ではなく、私の認識では司法側も医療側と程度の差はあるかも知れませんが、司法側もそう思っていたのです。
検察も妥当性がないことが明らかと思える事案またはそもそも妥当性以前の明白な過失がある場合限って起訴していたはずなのです。
ところが、青戸病院事件で検察の起訴判断に疑問を投げかける意見が散見され(この件では医療側の大勢も起訴を不当とは見ていないと思いますが)、割り箸事件では検察の起訴判断に対する批判の声が大きくなり(地裁では無罪になっています)、大野病院事件において検察批判は決定的な検察不信にまで高まってしまいました。
また、近時のいくつかの医療過誤民事訴訟の裁判例によって裁判所不信も生じていることも窺われます。
医療側からの刑事免責の主張は、このような流れで出てきていることを理解すべきだろうと思います。
つまり、医療側からの刑事免責の主張の背景には、主として検察の医療行為の妥当性判断に対する不信があるわけです。
これは誰が見ても医師または看護師の過失だ、というような事例に対して刑事免責を主張しているわけではないのです。
私の考えとしては、現時点で医師に対する刑事免責を認めることは、免責の適用場面を限定したとしても(限定範囲の基準の策定が法技術的に難しそうです。)困難だろうと考えています。
しかし、検察の妥当性判断に対して医療事故の一方当事者である医療側から深刻な不信感が示されているというのはゆゆしき問題です。
これは、医療事故領域における刑事司法が機能不全に陥ることを意味します。
医療事故は、医療側と患者側の紛争であるわけですから、医療側からも患者側からも受け入れ可能な紛争解決制度が必要です。
受け入れ可能と言えるための最低限度の条件は、裁定者が双方の言い分を公平に聞いてくれるという信頼感の存在であろうと思います。
刑事司法における検察官は、その客観義務の存在によって、裁定者側の重要な役割を担っています。
その検察が、大野病院事件によって医療側の信頼感を失ったわけです。
その意味で、医療側から主張されている刑事免責は、医療行為としての妥当性が問題になる程度に専門的な領域における検察の排除と理解することもできます。
司法側の人間である私から見ますと、それは過剰反応であり、論理の飛躍と感じられるところもありますが、刑事という主張が出てくる背景事情は理解することができます。
論理の飛躍と感じられるという意味は、一足飛びに刑事免責に行かずとも、検察の判断の信頼を回復する方策はいろいろあるだろうという意味です。
このように、医療側から刑事免責という主張が出てきた経緯を認識した上で議論しないと建設的な議論に繋がっていかないと思うのですが、経緯を全く無視して単に医療側からの特権主張であるかのような主張が一部の(私の知る限り一人ですが)弁護士から繰り返し主張されているのは議論のミスリードになる恐れを感じて気になるところです。
小倉秀夫弁護士は、ご自身のブログの「医療崩壊を防ぐため、どの型の血液を輸血するか勘に頼ってもよいということにすべきか。」で、患者の血液型を確認せずに輸血した事故を指摘して、それをもって「『医療事故の不確実性』ということになるのでしょうか。」と言ってみたり(誰もこんなことを医療の不確実性とは言っていません。)、医師がそのような明らかな過失にまで刑事免責を求めているような印象操作を行っていますが(「過ちは繰り返される、表示は無視される。」も同様の主張)、先に述べて議論の流れから考えますと、小倉弁護士が指摘している医療事故は、医療側が主張している刑事免責の当否(代替方策を含む)を議論する場面としては不適切であることが明らかです。
刑事免責を主張する医療側の論者も、小倉弁護士の指摘した事案についても刑事免責を主張するかどうかは必ずしも明確ではありません。たぶん、しないでしょう。
ところが、私以外から同様の批判を受けた小倉弁護士は、「NATROMさんからみた藁人形って何?」において、いくつか医療系ブログにおける医師の発言を紹介した上、それらのブロガーが、「全ての医療ミスを免責せよ」
と主張しているように思われます。
と主張しているものと受け取るのが普通です。
と主張しているように読めます。
と言っておられるわけですが、その根拠は、医療系ブロガーがいずれも刑事免責を適用すべき範囲を限定していない、又は刑事免責を適用すべき医療事故の原因を特定していない、というもので、論者の真意を確かめないで決め付けるのであれば、揚げ足取りとしか言えない主張です。
多くの人は、例外事例まで念頭において書き方をする訓練が必ずしもできていませんし、議論の流れからどのような場合を念頭においた意見かを読み手が読み取るべき場合というのは普通にあります。
それを形式論理を用いて自分に都合がいいようにだけ解釈するというのは、単に攻撃または批判のための主張であって、建設的でもなければ相互理解に役立つこともないでしょう。
小倉弁護士が引用したブログはいずれもコメント欄を公開しているようですから(承認制かどうかが未確認ですが、小倉弁護士のブログと異なって複数のコメントが掲載されています)、直接確認されたらいかがかと思います。
確認もせずに決め付けて批判するというのであれば、「私(小倉弁護士)が脳内で作り上げたに過ぎないもののように言われ」たとしても仕方がないように思います。
もし、医療系論者が、小倉弁護士があげられた明々白々な過失事例についても刑事免責を主張するというのであれば、私はその論者の基本的なスタンスを批判することになりますが、さて論者の真意はどうなんでしょう?
追記
続編のエントリを立てました。
医療側は刑事免責の主張にこだわるべきか
大学全入時代になぜ?「裏口入学斡旋詐欺」 医学部受験の特殊事情とは…(産経ニュース)
逃散という声が聞こえる一方で、どうしても子どもを医者にしたい親もいるようで
子どもの終末期医療に指針 治療中止・抑制巡り(asahi.com 2008年7月6日13時36分 ウェブ魚拓)
足代わり119番、救急車「予約」…非常識な要請広がる(2008年6月23日03時02分 読売新聞)
許容されない非常識な搬送要請と許容範囲とを峻別する基準の問題があるかと思いますが、その点を含めて非常識な搬送要請を抑止する方法としてどんなものが考えられるんでしょう?
既出のテーマですが、あらためてブレインストーミング風に質より量で。
もちろん質は高いほうがいいのですが(^^;
このエントリについては、過去ログにこだわらず、通りすがりさんも自由に、ただしあくまでまじめなご意見を。
もちろん反論はOKですが、2ch風にならないようにお願いします m(_ _)m
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/nation/jiji-080621X192.html
トリアージは赤、黄、緑、黒の順で、治療の優先順位を判断して「トリアージ・タッグ」を被害者に付けていく。黒は蘇生(そせい)の可能性がないと診断された人を示す。荒木医師は「泣く泣くというか、断腸の思いで判断した。黒は非常にショッキングなイメージがある」とした上で、「赤を付けて搬送された患者さんの中に命が救われた方がいることも理解してもらいたい」と話した。
昨年の夏以降にこのブログの読者になられた方に対して、このブログと医療問題とのかかわりについて簡単に紹介します。
私が、このブログで医療崩壊問題に首を突っ込むきっかけは以下のエントリのとおりです。
「地方の医師不足(最新追記8/8)」
もう2年近く前になります。
私は医療側代理人という立場で関与したというわけではなく、患者または患者予備軍的観点から、将来、私または私の家族や孫たちが十分な医療が受けられなくなるかもしれないという漠然とした危機感から書き始めたのでした。
その後、医療崩壊カテゴリにまとめていますが、「医療崩壊に対する制度論的対策について(その1)」、「医療崩壊に対する制度論的対策について(その2)」から始まり、「医療崩壊について考え、語るエントリ」は(その1)から(その12)まで続き、それぞれ200を超えるコメントによる議論が積み重ねられました。
それ以外にも関連エントリがいくつかあります。
その過程でどのような議論がなされたかと言いますと、最初に明らかになったのは、冒頭のエントリで紹介した県会議員の言葉どおり、医療側(医師中心)からの根深い司法不信、深刻な訴訟リスクの指摘、それによる医師の医療現場からの逃散、医療崩壊の現実でありました。
医療側からの意見の中には、私にとって理解できるところもあれば、司法に対する無理解が前提にあると思われる意見は不信もありました。
そこで、私や主として弁護士の常連さんたち(司法側)は、医療側に対して司法の仕組み、その必要性と限界等について説明を試みました。
しかし、この司法側からの説明が以外と困難であったのです。
自分の人生や人生観に直結する問題として考える医療側と代理人(その意味で第三者)として客観的にみる傾向のある司法側との感覚的ギャップもあったかもしれませんが、双方の無理解の溝は容易に埋まりませんでした。
私は何度も「相互理解の重要性」というものを強調し、我々司法側も医療側から医療の実情を学びつつ、粘り強く説明(説得に非ず)を試みました。
当時を思い出しますと、司法側コメンテイターの忍耐と努力には同じ司法側の人間として本当に頭が下がる思いがします。あらためて謝意を表します。
それでも司法側と医療側の溝はなくなったという状況ではありませんが、我々も医師の置かれている状況についての認識を新たにし、医療側の中にも司法に対する理解を深めまたは司法を理解することの重要性に気づいてくれる医師の存在を確認することができるようになりました。
その結果として、司法側と医療側との間にまだまだ貧弱で狭いかも知れませんが、小さな橋を一つかけることができたかな、という思いをもっております。
ところで、このブログは私は実名を明らかにしていますが、コメント投稿者についてはハンドルネーム投稿を許容してます。
それはやはり匿名のほうが自由な発言が期待できるというメリットがあるからです。
しかし、匿名投稿の限界も感じておりましたので(無責任な感情的投稿も散見されました)、医師と法曹中心の実名登録制のSNS(LMnet)を立ち上げました。
さらに、参加資格を拡張したSNS(MJLNET)も立ち上げました。
より責任のある発言を通じて、さらに実のある議論ができることを期待したからです。
その結果として、「全国医師連盟」の設立につながった(少なくとも一助になった)ということであれば、私としても大変うれしいことです。
現時点においてはささやかであるかも知れませんが、一応の成果と言えるべき形ができたことは喜ばしいことです。
しかし、上記エントリにおける司法側と医療側の議論は、バトルと言ってもさほど的外れではないかなり対立した内容であり(私も何回か切れかけてます^^;)、その空気は小倉弁護士が言うように
「日本の医師は無条件にすばらしい。それなのに、マスコミも、官僚も、法曹も、患者たちも、おのが欲望のために、不当に医師たちに言いがかりをふっかけてくる。医師の行動にこれらの輩が文句を言うことは許さないぞ!」という類のもの
ではありえません。
小倉弁護士は、このブログの議論の経緯を全く読まずに決め付けたか、読んでも空気が読めない程度の読解力しかないか、意図的に空気を歪曲したかのいずれかと断ぜざるを得ません。
さらに追記するかも知れませんが、とりあえず簡単に紹介しました。簡単すぎましたか(^^;
患者の暴力・暴言で退職した医療関係者、東京では273人(2008年6月7日14時37分 読売新聞)
調査を担当した同協会委員の西塚至・渋谷区恵比寿保健相談所所長は、「患者の暴力や暴言について、病院側が組織的な対応を取らないことを理由に、複数の職員が相次いで辞めたケースもある」と指摘。「各病院がきちんと実態を把握し、安全な職場環境が築けるよう対策に取り組んでもらいたい」と話している。
場外乱闘で紹介されたニュースです。
別エントリでも問題になったテーマですが、ここで正面から取り上げました。
医師または病院関係者からの実情報告等をいただければ、多くの人に問題の所在を認識してもらうのに有益だと思います。
追記
「la_causette(出所のわからない一次情報を収集し公表することの意味)」経由で来られた方でお暇があって何か一言いいたいという方は、
「アンケート調査(敢えて無味乾燥なタイトル)」
のほうにお願いします。
産婦人科で「モンスターハズバンド」急増 付き添いが暴力・暴言(毎日jp ウェブ魚拓)
また男性であるがために受難にあった医師も。分娩経過観察のため、妊婦の内診をしたところ、同席の夫がセクハラであると抗議。
・・・・・・・
医療崩壊問題に関連して、これまで多数の方から膨大なコメントが寄せられてきました。
その過程で、医療側の司法側に対する深刻かつ根深い不信感などが表明されてきましたが、多くのコメントの交換を通じて、医療側と司法側の溝が若干でも埋まり、細いながらも架け橋のようなものができつつあるように感じてきたところです。
心臓手術、病院によっては死亡率2倍のデータ判明(2006年9月14日14時44分 読売新聞)
産後の主婦死亡は医療過誤 医師に損害賠償命令 名古屋(asahi.com 2006年09月14日11時56分)
の追記部分をお読みください。
「内診」解釈と実情に溝(asahi.com 2006年09月09日)
非常に参考になる記事だと思います。
「被害者の心情に配慮した科刑を」 但木検事総長(asahi.com 2006年09月13日12時31分)
がん・小児など国立6センター、医療政策“司令塔”に(2006年9月13日14時30分 読売新聞)
呼吸器ミスで患者が一時、心肺停止 富山赤十字病院(asahi.com 2006年09月09日19時47分)
医療過誤訴訟:金沢大病院「過失ない」争う姿勢−−地裁で口頭弁論 /石川(毎日新聞 2006年9月5日)