別エントリで刑事弁護に関する悩ましい議論がなされていましたが、エントリの趣旨と違っているように思いましたので場所を移すことにしました。
タイトルは、ほんとは「刑事弁護に関する疑問に答える」にしたいところなんですけど、答が出しにくいというか答のない問題もありますので、裁判員制度を睨んで、プロと素人が一緒に考えるのもいいのではないかと思います。
別エントリの続きでもいいですし、新たな素人的疑問でもいいですので、自由にコメントしてください。
別エントリで刑事弁護に関する悩ましい議論がなされていましたが、エントリの趣旨と違っているように思いましたので場所を移すことにしました。
タイトルは、ほんとは「刑事弁護に関する疑問に答える」にしたいところなんですけど、答が出しにくいというか答のない問題もありますので、裁判員制度を睨んで、プロと素人が一緒に考えるのもいいのではないかと思います。
別エントリの続きでもいいですし、新たな素人的疑問でもいいですので、自由にコメントしてください。
口利き者の供述にためらい 収賄容疑で逮捕の大分県教委元審議監(産経ニュース)
この事件自体は、あきれた事件で裁判官が詐欺事件を起こしたのに匹敵する事件だと思いますが、このニュースにひっかかったのは弁護人のマスコミ対応の部分です。
大分県の教員採用試験をめぐる汚職事件で、収賄容疑で逮捕された県教育委員会のナンバー2だった元教育審議監、二宮政人容疑者(61)が、逮捕容疑以外で口利きを受けた人物の具体的な名前について「迷惑が掛かるので(警察に)言うかどうか悩んでいる」と供述をためらっていることが11日、分かった。接見した弁護士が明らかにした。
こういうことを弁護士が、この段階でマスコミに対して明らかにしていいのかな、と思うわけです。
被疑者に有利になるか、という観点で見て、周囲に波風が立つだけで有利になりそうな点が見つからないんですが、同業諸氏はどう思われるでしょうか?
“ミナミの帝王”が女性検事に叱られて… (産経ニュース)
いろいろ深読み淺読みができるニュースですが
この被告人、捜査段階(起訴前)に弁護士がついてなかったんでしょうか?
弁護士を雇えないほど金がなかったとは思えないんですが、、、
淺読みとしましては、検事が女性かどうかは関係ないと思います。
よい刑事弁護というものをその目的の観点で考えた場合、以下の三つがあるように思います。
1 無罪またはできる限り軽い量刑を目指す弁護
2 できる限り事件の真相に迫る弁護
3 裁判が終わった後で、被告人の人生にとって少しでもよかったと言える弁護
以上の三つは、重なる部分が多いですし、必ずしも矛盾するとは限りませんが、場合によっては深刻に矛盾することもあります。
1が一番わかりやすいと思います。
2はこれを究極的な目標と考える刑事弁護士は多くないと思います。
3については、見ようによってはとても倣岸不遜な考えと見られるかも知れません。
しかし、私は3を目指したいと思っています。
被告人にとって判決後に残された人生が数ヶ月に過ぎないとしてもです。
光市事件に関しては、ネットではたぶん私が最も安田弁護士を批判してきた弁護士の一人だろうと思います。
同時に、今、光市弁護団以外の弁護士では、私が橋下弁護士を最も声高に批判している弁護士の一人だろうと思います。
一見すると矛盾する批判のように見えるかも知れませんが、実は根は同じなのです。
某掲示板などでは、軽視しているとか無視しているという意見があります。
と問題提起していきなり話を変えますが、別エントリで企業の目的とコンプライアンス(法令遵守)についての議論がありました。
現在、コンプライアンスの重要性が強く強調されています。
企業の目的はといえば、やはり収益を上げること、つまり儲けることだと思います。
しかし、現在では、コンプライアンスを軽視または無視する企業は顧客の支持を得られない、その結果企業として成り立たなくなっているのでしょう。
要するに、企業が収益を上げるためにはコンプライアンスを徹底しなければならなくなっているということだと思います。
つまり、企業が存続し、収益を上げるための手段としてコンプライアンスが重要になるのであり、コンプライアンス自体が目的になっているのではないと考えられます。
専門外ですので言葉の使い方に自信がありませんが。
刑事弁護と被害者・遺族への配慮というのも同じ関係にあります。
ただし、企業のコンプライアンスのように不即不離な関係ではありません。
犯人性を否認する事件では、被告人はそもそも加害者ではないと主張しているのですから、そのような被告人やその代弁者たる弁護人に被害者や遺族に対する慰謝の措置を求めること自体筋違いということになります。
強姦事件で和姦を主張するような場合は、被告人と被害者の利害は決定的に対立します。
被害者の供述を弾劾しなければ弁護として成り立たなくなってしまいます。
そのような事件では、慰謝の措置はもちろん被害者の気持ちに配慮することすらできなくなります。
しかし、特に被害者との示談の成立が実刑と執行猶予を分けるような事案では、被害者に対して最大限の慰謝の措置を講じて示談の成立を追求することが、弁護活動の全てといってよいものです。
とにもかくにも被告人の行為によって被害が生じたという事実を争わない事案においては、被害者・遺族への慰謝の措置や被害感情に対する配慮は、最も重要な弁護活動のひとつです。
その意味で、加害の事実を認める事件において被害者や遺族のことを考えない弁護人というのは弁護士失格と言っても過言ではありません。
その観点で光市事件は殺意は否認するとしても傷害致死は認めているのですから、被害者・遺族への配慮が必要な事案といえるのですが、弁護団の遺族対応を見てみますと、配慮に欠けるところが散見される点が否定できないと思えます。
弁護団としては、死刑回避を至上命題とし、殺意の否認さえ成功すれば目的は達せられると考えていたのではないかと思えてしまうのです。
主にマスコミ対応(記者会見)についてそういう印象があります。
この問題は、今後、裁判員制度の実施を踏まえて弁護人としてもマスコミ対応の必要があると考えた場合は、全ての刑事弁護人にとって他人事ではありません。
しばらく前に「光市弁護団のどこが気にいらないか。」というアンケート調査のようなエントリを立てたところ、多くの率直な意見が寄せられました。
弁護士としては、もう一度、同エントリのコメント欄を読み返すことは無駄ではないと思います。
同エントリのコメント欄におきましては、私の趣旨を的確に汲んでいただき、議論に流れることなく忌憚のない意見を寄せていただいた皆様に感謝申し上げます。
いくつかのエントリで人質司法に関連する議論が行われているようですが、このエントリに集約したほうがわかりやすいと思います。
まず弁護士の皆さんからの問題提起をいただいたほうがいいと思いますので、他のエントリのコメント欄からの再掲でもいいですから、ここで議論しましょう。
刑事被告無罪なら国選弁護人の報酬2倍に(2007年11月1日19時49分 読売新聞)
報酬引き上げは、「国選弁護人の事務に関する契約約款」の変更によるもので、無罪の場合は通常報酬の2倍(上限50万円)、一部無罪の場合は1・5倍(同30万円)、殺人罪で起訴された事件を判決で傷害致死罪と認定させるなど、罪を軽減させた場合は1・3倍(同20万円)が支払われる。
改善されたことは歓迎すべきなんでしょうが、全部無罪はもちろん一部無罪事件を含めてもその割合はとても低いのですから、基本報酬をもっともっと改善しなければ、意味のある改善とは言えないと思います。
しかも上記は「上限」ですからね。
きっこのブログで紹介されていたスクールバスと白バイの衝突事故によって、白バイ隊員が死亡したというもので、スクールバスの運転手が一審及び控訴審で実刑判決を受けたというものですが
ともかく上記エントリにリンクのあるYOU TUBEを見ていただきたいところです。
いろいろ問題がありますが、最重要な客観証拠であるタイヤ痕がどうにも納得できません。
控訴審の対応についても、鳥越俊太郎氏に憤りとともに同感です。
一審での立証状況が気になるところでありますが。
冤罪防止 “刑事弁護士”をもっと(中日新聞社説 ウェブ魚拓 ボツネタ経由)
裁判員裁判の実施、被疑者国選弁護の拡大を前に、「刑事に強い」弁護士の大量育成が急がれる。冤罪(えんざい)防止のためには、使命感はもとより、豊かな知識と弁護技術を兼ね備えた弁護士が必要だ。
私が、橋下弁護士による懲戒扇動問題を強く批判している大きな理由はここにあります。
豊かな知識と弁護技術を兼ね備えた弁護士は一朝一夕には養成できません。
刑事弁護に熱意をもって取り組む若手弁護士の絶対数が必要です。
弁護活動に対する被疑者、被告人の不満はしばしば聞く。日弁連は重く受け止め、弁護活動を客観的にチェックしなければならない。
個々の事件の弁護活動の当否を判断するのはとても難しいのですが、富山県の強姦冤罪事件などを見ますと、問題のある弁護活動の検証作業は必要であろうと思われます。
しかし、弁護活動に対する批判・検討は、被害者側に偏った不十分な情報に基づく感情的な批判であってはならないと考えます。
その意味で、マスコミの報道に触発された市民感情を正当化の根拠とするような懲戒扇動が頻発するような事態が生じるとすれば、弁護活動に対する正当な批判・評価を妨げることになるばかりでなく、刑事弁護に対する無理解と誤解を助長し、これから刑事弁護に取り組んでみようとする若手弁護士の意欲を大きく減殺する結果になることを強く危惧するのです。
冤罪を1件でも減らすためには、世間の批判を一身に浴びるかのような被告人にこそ、刑事弁護が最も有効に機能すべきであると思います。
但し、私は弁護人のマスコミ対応が不十分であることをもって懲戒理由と考えることには強く反対しますが、裁判員制度を視野に入れた弁護技術としてマスコミ対策の重要性が増加していることは事実であると感じています。
その点については別に述べてみたいと思います。
松本死刑囚弁護人に「懲戒相当」=趣意書不提出は職責違反−仙台弁護士会綱紀委(時事通信)
せっせさんからの速報情報提供です。
関係者によると、同委員会は議決書で、控訴趣意書の不提出を「弁護人の職責に反する行為」と指摘。不提出が許される特段の事情もなかったとして、弁護士法で定めた「非行」に該当するとした。その上で、同弁護士会の懲戒委員会での審査が相当とした。
さらに続報があると思いますので、追記予定です。
個人的には妥当な判断だと思っています。
関連エントリ
松本弁護団の控訴趣意書不提出は正当か?
その(1)を書いたのでその(2)を書かないと落ち着かないなと思っていたのですが、長ったらしくてどうにも論理的でないので面倒くさい思いが先にたってなかなか手がつきませんでした。
論理的でないというのは、橋下ブログのこのエントリ(以下、「橋下エントリ」といいます)は懲戒手続と懲戒請求者の民事損害賠償責任の話をごっちゃにしているからです。
橋下エントリが引用している平成19年4月24日の最高裁判例(こちらに引用)は民事損害賠償責任の判例であって、懲戒手続の中身とは関係ありません。
懲戒請求者の最大の関心事も今枝弁護士らから民事訴訟を起こされないか、起こされたら負けて損害賠償をしなければならないのではないかということだと思います。
私もその観点でこのエントリを書いています。
皆さんの懲戒請求が違法にならないことは,僕が訴えられた裁判での答弁書に詳しく記載しました。 今枝弁護士が引用する平成19年4月24日の最高裁の判例は,皆さんには妥当しませんし,そもそも判例を間違って解釈しています。これは橋下弁護士の見解ですが、私の見解は違います。 今回の懲戒請求者に対しても、判例の考え方は妥当すると思います。 ただし、判例の考え方が妥当するということは、直ちに懲戒請求者が民事訴訟で敗訴することを意味しません。 懲戒請求者の懲戒請求が判例が要求する基準を満たしていれば、敗訴しません。 問題は満たしているかどうかです。
簡単に言えば,皆さんの懲戒請求書に記載されている弁護士の行為が,報道等で明らかになっている範囲であれば,虚偽でも何でもありません。
橋下弁護士は、懲戒請求者に記載された事実(ここでは弁護士の行為)が真実であれば、懲戒請求は違法にならない(つまし損害賠償責任を負わない)と言いたそうですが、そうではありません。
判例の事案においても懲戒請求書に記載された弁護士の行為は虚偽ではありませんでした。
対象弁護士の行った訴訟活動が正しく記載されていたのです。
しかし、懲戒請求者に損害賠償責任が認められました。
問題は、懲戒請求書に記載された弁護士の行為が虚偽かどうかではなくて、懲戒理由にあたる行為なのかどうかです。
真実を書いたとしても、それが懲戒理由に当たらない行為であったとすれば問題になるのです。
あとは,それが弁護士会の信用を害するものか,弁護士の品位を失うべき行為なのかを弁護士会が評価するだけの問題ですから,皆さんの手から離れる問題です。 平成19年4月24日の最高裁の判例は,請求に法律上及び事実上の根拠がない場合に,請求者がそのことを知りながら,または普通に注意を払えば知り得たのにあえて請求をした場合に請求を違法としただけです。この部分は、懲戒手続と民事訴訟をごっちゃにしている典型的な部分です。 たしかに懲戒手続の観点では、弁護士会が懲戒理由にあたるかどうかを判断すれば足ります。 あれば弁護士会は懲戒処分をするでしょうし、なければしません。 懲戒請求の対象になった弁護士としては、懲戒理由なしと判断されれば懲戒手続としてはそれで終わりです(異議申立はできますが)。
しかし、懲戒理由がない場合においては、懲戒請求者の民事責任の話は終わりません。
そこから始まると言えます。
そして、懲戒請求者の民事責任があるかどうかは、弁護士会が判断するのではなくて、(提訴を前提として)裁判所が判断することです。
橋下弁護士の書き方は、意図的にそこから目を逸らさそうとしているように読めます。
請求するのに,詳しく詳しく調査・検討しろとは全く言っていません。
この部分もごまかしです。
たしかに判例は「詳しく詳しく調査・検討しろ」とは言っていません。
しかし、「何も調査しなくていい」とも言っていないのです。
橋下弁護士自身が「普通に注意を払えば知り得たのにあえて請求をした場合に請求を違法としただけです。」と言っているように、判例は「通常人としての普通の注意」を払うことを要求しています。
問題は、何について「通常人としての普通の注意」を払って調査すべきかということです。
ここで橋下弁護士は、
だいたい調査・検討しろと言っても,弁護士の活動について一般市民は調査権を与えられていません。 一般市民が弁護士の活動をチェックしようとしても,その手立てが全くないのです。
と言っており、その後の記載からも、対象弁護士の行動についての調査の要否を問題にしているようです。
しかし、私の判例の理解によれば、これは半分だけ正しいに過ぎません。
結論的には明らかに懲戒請求者の皆さんをミスリードしています。
たしかに、懲戒請求の対象となる対象弁護士の行為が実際に存在していなければ懲戒請求は認められません。
しかし、懲戒請求が認められない場合としては、懲戒請求の対象となる行為が認められない場合だけでなく、対象とした行為が存在するとしても、それが懲戒の理由にならなない場合も懲戒請求は認められません。
最高裁判例が懲戒請求者の責任を認めたのは、まさしく後者の場合なのです。
今回の場合に即して言えば、光市弁護団が荒唐無稽(と評価される)主張をしたという事実の存在を前提にして、
1 それが懲戒理由にあたるのか。
2 懲戒理由にあたらないことが明らかな場合に、懲戒請求者は懲戒理由の有無について通常人としての普通の注意のレベルの確認を行ったのか
ということが問題になります。
橋下弁護士は1について確信をもってあたると言っていますが、私はその主張が被告人の供述に基づく限り、明確にあたらないと確信をもって言っています。
あとは弁護士会がどう評価するか,弁護士会の信用を害する行為,弁護士の品位を失うべき非行にあたると判断するかどうかだけの問題です。
懲戒手続に関する限り、そのとおりでしょう。
近い将来に結論が出ると思います。
ただし、懲戒理由にあたらないという結論が出た場合
皆さんの請求自体が違法になるわけがありません。
とは断言できません。
その後に民事訴訟が提起された場合において、懲戒請求者の皆さんが、懲戒理由がないのにあると思ったことについて、「通常人としての普通の注意」を払ったかどうかが問われるのです。
「通常人としての普通の注意」を払っていたとしたら懲戒理由にあたらないことがわかったははずだ、と裁判所(弁護士会ではなく)が認定した場合は、負けますよ。
事実の存否ではありませんよ。
懲戒請求者の皆さんの判断の根拠が問われるのです。
「橋下ブログを読んだ懲戒請求者の皆さんへ」の続編です。
緊急!!今枝弁護士より求釈明書を受領した方へ(1)について書こうと思ったのですが、小倉秀夫先生が的確なエントリをお書きですので紹介します。
自分が相手より「偉い」と思わなくても、質問はできるし、普通に行われている。
質問書に回答期限を付したら「偉そう」なんでしょうか?
小倉先生と私はときどきチャンチャンやってますが、私はこのエントリのような小倉先生の書きっぷりは好きです。
どういう意味で好きかと言うと、要するに面白いからです。
素人受けも玄人受けもする面白さだと思います。
小倉先生は別のエントリ(チキンか否かを試されているのは今枝弁護士ではない)で
矢部先生や「すちゅわーです」さんとかが、今枝弁護士の周りを支えると面白いようにも思ったりします。
こんなことを言っていますが、皮肉や冗談抜きで小倉先生のほうが適役のように思います。
私と小倉先生の文章を比較すれば、面白さの違いは明らかです。
他人のふんどしで相撲を取るばかりではいけませんので、若干コメントしますが、橋下弁護士はこのエントリでしきりに「事実関係はマスコミの報道等で明らかであり、皆さん(懲戒請求者)には何も立証する必要がありません。」と繰り返し強調して、
今回の皆さんの請求においては,弁護士会からの呼び出しや証拠資料の提出の要請には一切応じる必要ありません。
と断言しています。
どうしてそこまで断言できるのか、私には不可解です。
橋下弁護士は、全ての懲戒請求書の内容をご存知なんでしょうか?
多分、橋下弁護士はテンプレートを使った懲戒請求を念頭においているのだと思いますが、仮にテンプレートを使った懲戒請求であったとしても、綱紀委員会が請求者に陳述、説明又は資料の提出を求めることがありえます(弁護士法第七十一条の六)。
テンプレートを使っていない懲戒請求もあるはずです。
一概に、「一切応じる必要ありません。」などと言えるはずはないと思います。
橋下弁護士の発言は、無責任と言わざるを得ません。
それとも、懲戒請求者が綱紀委員会に何かものを言ったら困ることがあるのでしょうか?
橋下弁護士は
ある弁護士会は請求者を呼び出したり,証拠資料の提出を求めたりしていると耳にしました。もしこれが本当なら一般市民に対する不当な圧力です。
とまで言っていますが、なんですかこれは、です。
対象弁護士(今枝弁護士ら)の弁護士生命を奪うかも知れない処分をするのに、弁護士会が慎重な審査をするのは身びいきとかそんな問題ではなくて当然の話でしょう。
それに、「一般市民」というのは意図的な論点隠しと言えます。
問題になるのは一般市民の中の「請求者」です。
請求者が何らかの手続的負担を負うのは当然です。
橋下弁護士は、意図的に問題を隠ぺいしています。
誰に対して隠ぺいしているかというと、懲戒請求者の皆さんに対してです。
なぜ意図的に隠ぺいしていると言えるのかについては小倉先生のエントリから引用します。
弁護士なら、この書面が何を目的としているのか分かっているでしょうに。
何を隠ぺいしているのかについては、既に指摘しました。
「国選弁護人、何もせず」富山冤罪の日弁連調査で柳原さん(やふーニュース 読売新聞配信)
柳原さんは、2002年4月の逮捕直後に行われた1回目の接見について、「弁護士なら助けてくれると思い容疑を否認した。『調査する』と言ってくれたが、その後、何の連絡もなく、次の接見では被害者2人に被害弁償金を支払うよう勧められた」と明かした。「接見は2回でいずれも10分程度だった」とし、消極的な弁護のあり方を非難した。
その後の公判の推移がこの陳述を裏付けているように思われます。
弁護士会からは、刑事弁護の活性化ということが叫ばれていますが、その根っこの部分にこのような問題があるようです。
但し、このような問題(消極的弁護またはもっと直裁に言えば手抜き弁護)の背景には、国選弁護士の報酬が安すぎるという問題もあることを指摘しておきます。
本来は現在進行形の事件(特に民事事件)について具体的な意見を弁護士である私がブログで述べる事は不適当なのですが(その意味で「今枝弁護士の求釈明書について」に対して私になされた批判は正当なものです)、橋下ブログには弁護士としてあまりにも無責任なというか自己中心的な記述がありますので、できるだけ自重しつつ若干の意見を述べさせてもらいます。
ここで問題にするのは橋下ブログの以下のエントリです。
緊急!!今枝弁護士より求釈明書を受領した方へ(1)(ウェブ魚拓)
緊急!!今枝弁護士より求釈明書を受領した方へ(2)(ウェブ魚拓)
4,皆さんは,紛争「当事者」ではありません。
この部分は、橋下弁護士の根本的な欺瞞と言うべきものです。
この問題は、現在係争中(または将来提訴が予想される)具体的当事者間の利害に直結する恐れのある生臭い問題ですので、一度はコメントを差し控えたのですが、かなり議論がされているようですので、できるだけ生臭くならないように気をつけながら意見を述べてみます。
以下に紹介するのは「説明の義務と説明の必要性」エントリの福田さんのコメントです。
引用されている一般人さんのコメントはコチラです。
No.65 一般人 さん>弁護士たちで「社会に対して全く説明する必要が無い」と
決め込むのが一番怖いですね。そうですね。その結果、弁護人自身が自分の首を絞めることになるだけでなく、一般市民たちの知る機会というものを奪うことになってしまいかねませんし。
この福田さんの意見に共感する人も多いと思いますが、福田さんや一般人さんやその共感者の皆さんは、弁護人に何を説明することを求めているのでしょう?
関連する疑問なのですが、弁護人だけに説明を求めるのでしょうか?
当該事件については、検察官も裁判所も関与しています。
説明義務の存否の議論を横において、弁護人は説明すべしという方の考えを確認したいと思って論点を絞ったエントリを立ててみました。
但し、私としては、この質問は光市母子殺害事件限定ではなく、他の刑事事件にも一般化した場合の問題として考えています。
福田さんもそのような前提で意見を述べていると思われますので。
なお、説明義務の問題は一旦横におきますが、説明することの当否の問題に及べば、説明義務の存否とその根拠の問題に波及することは当然の話です。
弁護士 Barl-Karthによる 1st of Ramadan 日記
音楽談義の合間に、微妙な問題についてわりと明確に考え方を述べておられます。
ここで世間常識というのは司法のことをご存じない素人さんの常識という意味です。
このブログのコメントでもそうですが、司法と世間常識のずれというものを指摘する人がかなりいます。
そして、その意味するところは、光市弁護団の弁護方針を念頭におきつつ
司法と世間常識がずれていて司法は常識はずれなのだから司法は世間の常識に合わせるべきである。
と読める場合が多いです。
しかしこれに対しては、「ちょっと待ってくださいよ。」と言わざるを得ません。
これまで、このブログでも同様の問題がさんざん議論されてきたのでありますが、なにぶんコメント数が膨大なブログですのでコメントの山に埋もれてしまうことから、同じ議論が何度も繰り返されています。
結局、何度も同じことを言わなければならないのですが、それもやむを得ないと考え、何度でも書くことにします。
いわゆる世間の常識というのは、一般市民の間での日常の社会生活上の共通認識的規範だと思いますが、
そもそも刑事裁判は日常的な場面ではありません。
被告人が国家権力から罪に問われて、国家権力と戦っている場面です。
死刑求刑事件なら、文字通り命がけで戦っているのです。
こんな非日常的な状況の被告人に世間の常識に従うことを要求すること自体、非常識であるとすら思えます。
そこで法律(刑事訴訟法など)は、この特別な状況である刑事裁判の仕組みを定め、検察官の起訴、つまり被告人は有罪だ、死刑だ、という主張に対して、被告人に検察官の主張に対抗するためにあらゆる主張を行うことを許容しています。
ここで、刑事裁判における真実発見と正義の実現の仕組みを確認しますが、裁判官が検察官の主張が正しいと認めれば被告人は有罪となるのであり、裁判官が検察官の主張が正しいとは言えないと判断すれば有罪にはなりません。
被告人の主張が正しいと判断する必要はないのです。
検察官の主張と立証が成功してそれが裁判官によって正当と判断されるかどうかが問題なのです。
そして、検察官の主張と立証の正当性を確認するために、被告人に検察官に対するあらゆる反論の機会を保障しています。
被告人としては、自らの主張の正当性を立証する必要はなく、検察官の主張の正当性に疑念を生じさせれば足りるのです。
これが疑わしきは被告人の利益にという意味です。
そして、被告人の主張を代弁する職責を担う者として弁護人の制度を定めています。
法律がこのようになっているのは、検察官は国家権力を背景として強力な権限を持つのに対し、被告人や弁護人には何の権力もないことから、少なくとも検察官に対する批判だけでも保障しようと考えているからだと思われます。
言いたいことは全て言わせるというスタンスです。
一見、荒唐無稽であろうとアンビリーバボーであろうと、論理的に矛盾していようと、その時点における証拠といかに矛盾していようと、主張の機会自体は保障しているのです。
どんな主張も、主張をまってそれを検証してみないと真偽のほどはわからないからです。
そして、真偽のほどを判断する資格を有しているのは裁判官(まもなく裁判員も含まれますが)のみで
す。
そして、全ての事件について、被告人に反論と反証に機会を与えるという手順を文字通り例外なく踏む必要があります。
この例外なく手順を踏まなければいけないということは法律で決まっているのです。
そして法律は国民の代表である国会で制定されています。
つまり、例外なく手順を踏まなければならないというのは国民の意思として法律で定められているのです。
ところが、(その割合はともかく)国民の一部の人たちは(ごく一部の弁護士も)、自分たちの代表が定めた法律を忘れて、常識をふりかざし、そもそも常識が通用する基礎がない刑事裁判に対して、常識に従えと要求しています。
現実問題としては、素人さんは法律を知らないのですから(だから素人)、的外れな批判をすることは無理もないと思いますが、このエントリを読んだ素人さんは、司法の世界は常識がそのまま通用しないところがあることを理解してほしいと思います。
なお、念のため確認しておきますが、被告人及び被告人を代弁する弁護人が、一見荒唐無稽なアンビリーバボーな主張や、論理的に矛盾している主張や、その時点における証拠と矛盾する主張をした場合、弁護人が検察官の主張・立証を揺るがす程度まで、被告人の供述の合理性や論理的整合性や被告人の主張に合致する新証拠の提出ができなかったら、裁判所は最終的に被告人の主張は、荒唐無稽で信じがたく、非論理的で証拠に矛盾すると判断し、一蹴されてしまうだけです。
法律は、被告人にあらゆる主張の機会を保障していますが、裁判所には証拠に基づく合理的な判断を要求しており、多くの裁判官は証拠に基づいて合理的な判断(どちらかというと検察官よりの判断)をしていると思っています。
コメント欄より再掲
料理人(弁護人)は目の前にある食材(被告人の供述)と調味料(その他の証拠)を使ってしか料理できません。
食材が悪すぎるとどう転んでもおいしい料理はできない。
それでも、料理人の腕の差は出る。
by モトケン
ちなみに食べる人は裁判官です。