「模擬」判決分かれる(毎日新聞 2008年9月30日 21時37分)
100裁判員制度の最近のブログ記事
某ルートを辿って寄り道して見つけた裁判員制度についてのシビアな認識を紹介したブログエントリです。
「国民目線の広報必要」 裁判員制度に向け検事総長(産経ニュース)
裁判員制度へ向け、広報態勢充実(毎日新聞 2008年9月18日 東京夕刊)
国選弁護人が目標の半数 準備に疑問 埼玉(毎日新聞 2008年9月9日 15時00分)
これもボツネタ経由です。
「平権懇」連続学習会第4回 「裁判員制度を考える」に参加(ウェブ魚拓)
公判前整理不十分と差し戻し(中国新聞 ボツネタ経由)
専門家が辛口採点 東北・検察の裁判員制PRキャラ(ヤフーニュース8月29日6時12分配信 河北新報)
さすがにプロの評価は厳しいです(^^)
精神鑑定する鑑定人の実績DB化、鑑定の信頼性向上狙う(2008年8月7日14時38分 読売新聞)
来年から始まる裁判員制度に備え、東京地検は精神鑑定にあたる鑑定人の実績をデータベース化し、今月から利用を始めた。
検察庁が作るデータベースであることをまず確認するべきですね。
過去の精神鑑定の事例を分析し、鑑定人ごとの傾向を一目でわかるようにしたのが特徴。データベース化によって鑑定の信頼性向上を図る狙いがある。
問題は、信頼性の高低を判断する基準はなんなのかということだと思うのですが
この点からも信用性の高い鑑定を出す必要があり、東京地検は過去10年に東京地裁の命令や同地検の依頼で作成された約180の鑑定書を分析。鑑定人の氏名と被告の診断名、責任能力の有無の判断、判決が鑑定結果を採用したかどうかなどを入力した。
特定の鑑定人を検索すれば、過去の実績や得意分野がわかり、鑑定結果の採否を見れば鑑定人の信頼性も判断できる。実際、ある鑑定人について調べたところ、検察側の主張に沿って責任能力を認める傾向が強いものの、判決での採用率が低いことが判明した。
要するに、裁判所が採用する率ということなんでしょうか?
まあ、それも一つの信頼性だとは思いますが、裁判所の判断の妥当性は検証しなくていいのでしょうか?
以前に何度か紹介したことのある阿曽山大噴火さん(nikkansports.comで裁判傍聴コラムを書いておられました)がいつのまにか裁判傍聴ブログを始めてました。
最近、はてなリングの「法曹実務家・法学者ブログ」にも登録されましたので、気づいていたのですが紹介が遅れました。
最近の記事を読んでみると
今日は映画監督の周防正行さんが裁判所に来てました。お疲れ様です、なんて言われたけど疲れるような事は何一つしてないんだよね。ま、挨拶ですから。それにしても雑誌の対談で会っただけなのに、よく覚えてくれてるなぁ。
そりゃ、一発で覚えると思いますよ(^^) 理由はブログをご覧になればわかります。
それはともかく、モンク無しに面白いです。
プロから見ても、法廷の様子がありありと見えるようなツボを押さえた鋭い感性と観察力を感じます。
ブログとしては、さらに以前からあるのが
です。現在はお二人による合作のようです。
これも、大噴火さんのブログに負けず劣らずの優れた裁判傍聴記です。
これらの傍聴記は、裁判員制度を控え、刑事裁判というもののイメージを伝え、その一端とは言え、認識を広めた功績がとても大きいのではないかと思います。
大分教員汚職:富松審議監「責任ない」に身内から反発の声(毎日新聞 2008年8月1日 2時30分(最終更新 8月1日 2時30分))
金券授受の趣旨について、富松審議監は任意聴取に対し「あいさつとして受け取った」と話し、矢野被告も「よろしくお願いしますという趣旨だった」と関係者に話しているという。
「話しているという」ということで、本当に話しているのかどうか分からないんですけど、本当に話しているとすれば、という仮定でものを言えば、
常識として「あいさつとして」20万円分の金券を受け取るということはないわけで、「よろしくお願いします」というのも何をお願いしたのかは言わずもがなだと思われますので、裁判員予備軍としての一般市民感覚では、こんなん当然起訴で有罪やんか、ではないかと思うのですが、収賄罪には「職務関連性」などという要件がありますので、その点に関する証拠がないと、なかなか逮捕・勾留までも踏み切れないところがあります。
現金とか金券には、職務との関連性は何も書いてありませんので、「職務関連性」に関する最も重要な証拠は被疑者の自供になります。
「あいさつとして20万円分の金券を受け取った」という供述は極めて非常識な供述ではありますが、文言解釈、つまり字面では自供とは言えません。
となると、警察としては「厳しく追及」するわけです。
マスコミがよく言いますよね、「警察は今後容疑者を厳しく追及する方針です。」なんてね。
こういうときのマスコミというのは、「厳しい追及」を期待または要求している雰囲気むんむんなんですけど、弁護人としては、厳しい追及の結果自供した場合なんかは、「無理矢理自供させられたもので、自供に任意性はない。」と主張するわけです。
そして、自供以外に確たる証拠がなかったりしますと、裁判で無罪になったりします。
そうすると、マスコミは「捜査のあり方に問題はなかったか。」などとしたり顔で警察批判をするわけです。
でも、こういう事件は、裁判員裁判では有罪になる可能性が高くなるんじゃなかろうかと思うのですが、どうでしょうか?
刑事事件としての捜査はともかくとしても、もし上記審議監の発言が確認されたとしたら、教育委員会はいつまでこの非常識な男を要職に置いておくのだろうと思いましたが、別のニュースによれば、処分するようですね。どの程度の処分かはまだはっきりしませんが。
富松教育審議監を処分へ(四国新聞社)
関係者全員が膿を全部出し切って再出発すべきだと誰しも思っているのでしょうが、たぶんそれを徹底すると、誰もいなくなるんでしょうね。教育界だけじゃなくて、いろんなところから。
精神鑑定は公判前1回、責任能力結論出さず…裁判員制で原案(2008年7月2日03時04分 読売新聞)
裁判の長期化を防ぐ目的から、原則として、鑑定は公判に入ってからは行わないようにするほか、鑑定結果が裁判員の判断に必要以上の影響を与えるのを避けるため、責任能力の有無などの結論には踏み込まないよう求めている。最高裁は今秋までに、現場の裁判官の意見も踏まえ正式な研究報告をまとめ、裁判員裁判の新たな指針として活用してもらう方針だ。
従来は、公判開始後に裁判所が精神科医に鑑定を依頼するため、例えば、「幼女連続誘拐殺人事件」の宮崎勤・元死刑囚の公判のように、最初の鑑定意見を不服とした側から再鑑定が請求され、審理が長期化することがしばしばあった。
JR下関駅通り魔事件においても、9年の審理の大半が精神鑑定に費やされたようです。
鑑定結果の示し方については、精神医学の専門家が責任能力の有無に明確に言及すると、裁判員に対する影響が極めて大きいと指摘。犯行時の精神状態や精神障害が犯行に与えた影響など、医学的な所見の報告にとどめ、「心神喪失」などの法律判断を結論として示さないよう求めた。
こんなことは、私が検事になったころからそのように教わっていたことなのですが、最高裁が敢えてこのようなことを求めるということは(私の経験によってもそうですが)、裁判官が精神科医の判断に依存する傾向があったのではないかと思います。
その一方で、三橋歌織被告の事件では精神科医の心神喪失の見解を退けていますし、宮崎勤やJR下関駅通り魔事件においては、異なる鑑定意見が出されたにもかかわらず、より被告人に不利な鑑定結果を採用しています。
こうなると、いったい何のために精神鑑定をしたのかわからないという思いがしていました。
最高裁は最近の判例で、原則として精神科医の判断を尊重しろと言ったと記憶していますが、今回の報告は裁判官および裁判員の主体的判断を求めていると読めますので、その判例と今回の報告が整合しているのかどうか若干の疑問があります。
最高裁を含む裁判官全体が、責任能力の判断基準について、徹底的に見直す必要があるのだろうと思います。
そうでなければ、裁判員に対する説明もできないでしょう。
http://d.hatena.ne.jp/Barl-Karth/20080628#1214601688
個人的には、あのつややかで健康的な光沢が非常に印象的でしたが。
しかし、番組で話された内容は笑って済まされません。
追記
我ながら、恐ろしく誤解を招きかねない表現をいたしました。
Barl-Karth先生の話が、笑って済まされないトンデモ発言だった、という意味ではありません、断じて。
番組で話し合われた内容が、深刻かつ重大な内容であるという意味です。
「おそばくん」は、頭にのったソバを自ら食べる奇抜なデザインで、「あなたのそばにも裁判員」がキャッチフレーズ。
なるほど、「あなたも裁判員」じゃなくて、「あなたのそばのあなた以外の誰かが裁判員」というわけですね。
なんか、他人事っぽい感じもしますが。。。
口を開けたままの「りんごちゃん」の表情には、肩に力を入れずに参加してほしいとの思いを込めたという。
う〜〜〜ん
そんな思いを込めていいんだろうか???
ボツネタでは「裁判員向け ゆるキャラ 」と紹介されています。
先ほどアップしたエントリに引用した日本裁判官ネットワークオピニオンのページの伊東武是神戸家庭裁判所判事の意見の中に
死刑求刑事件 死刑求刑の事件にあたっても(めったにあるものではないが),どうしても,死刑という刑に反対ならば,あるいは,死刑まではどうしても踏み切れなければ,当然のことながら,それを主張すればよい。他の人に遠慮することはない。迷えば,ここでも被告人に利益に判断して,死刑ではなく,無期懲役などを主張すればよい。
というものがありますが、伊東判事は、裁判員にはいわゆる裁判官の良心と同様の判断基準を求めていないのかな、と感じました。
裁判官には、憲法上「裁判官の独立」というものが認められており、
憲法76条3項
すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。
と規定されています。
そして、「すべて裁判官は、その良心に従ひ」の「良心」というのは
裁判官個人の主観的な良心ではなく、客観的良心、すなわち、裁判官としての良心であると解されている。
(芦部信喜憲法第3版P327)
とされています。
私が受験時代に読んだ別の憲法学者の本には、「客観的良心」の例として死刑判決をあげ、裁判官の個人的見解としては死刑廃止論者であったとしても、現行法が死刑を定めている以上は、死刑に相当する罪には死刑を科すというのが裁判官の客観的良心に従うということである、というような説明があったと記憶しています。少なくとも私はそのように理解しています。
しかし伊東判事は、裁判員に対しては死刑存廃の議論に関する裁判員個人の見解または信念に従って量刑意見を決めていいと考えているようです。
憲法76条は裁判官に関する規定ですから、裁判員について別異の考え方をとったからといって直ちに憲法違反になるかどうかはわかりませんが、少なくとも2点の疑問があります。
1点目は、一つの裁判体の中に、裁判に対する基本的なスタンスについて異なる者が混在していてもいいのだろうかという疑問です。
裁判員制度とはそういうものだ、と言われればそれまでですが。
2点目は、裁判員が自己の信念によって死刑を回避するというのであればそれは一つの見識ですし、制度設計上もそのような信念を組み込むことは不適切とは限らないと思いますが、単に、自分は人殺しになりたくないというような感情的な死刑忌避反応を助長することになるとしたら問題が生じるのではなかろうかという疑問というか危惧です。
なお、引用の見解は、伊東判事の署名投稿ですので個人的な見解として読むべきものと思いますが、日本裁判官ネットワーク内では多数意見なのでしょうか?
最高裁はどう考えているのでしょう?
裁判員制度の導入が現実化した当時から思っていたことなのですが、
裁判員制度を導入しようとしている諸先生方は地方の実情というものを考慮に入れているのだろうか?
という疑問を感じていました。
地方にはいまだに、ドンみたいな人がいます。
地元の主要企業の経営者だったり、やくざの親分だったりしますが、表だけでなく裏にも隠然たる力を持っている(少なくともそう思われている)人がいます。
大都市でもいると思いますが、地方では住民がかなり身近な存在として意識しています。
そういう人またはその関係者が被告人になったり被害者になったりした事件を地元の住民で構成される裁判員で裁判したらどうなるのだろうか、というかなり強い危惧感を覚えていました。
そのような懸念を抱くのは私だけではないわけでして、Barl-Karth先生も以下のようなエントリを書いておられます。
裁判員に対する報復の懸念
私が、某地方都市で検事として赴任し2年くらいたったある日、道で若い男性に突然挨拶されて「その説はお世話になりました。」と頭を下げられました。
そのときは誰だっけと思いましたが、しばらくして思い出しました。
1年ほど前に何かの罪で私が取り調べて起訴した暴力団員の若い衆でした。
何が言いたいかといいますと、地方都市では裁判関係者が事件関係者と町中で遭遇する機会が決してまれではないということです。
私の場合は、言葉通りに「お世話になりました。」という感じでしたが、「あのときは世話になったな。月夜の夜道ばかりでないぞ。」とすごまれることも考えられるわけです。
Barl-Karth先生のブログで引用されている日本裁判官ネットワークオピニオンのページの伊東武是神戸家庭裁判所判事の
ということで,心配を解消していただければと思う。
というご意見は、能天気にすぎないかな、という感を禁じ得ないわけです。
もちろん、お立場からのご意見であろうと思いますが。
(報復声明などで,裁判員に対する報復が現実に心配される事件は,裁判員裁判をしないで,職業裁判官だけですることになっている。裁判員法3条)
という対策が取られるとしても、地元の空気というものには、官舎暮らしの裁判官より地元住民の裁判員のほうがはるかに敏感であることは否定できないだろうと思います。
http://www.tv-asahi.co.jp/asanama/
6月28日午前 1:20〜 4:20 放送予定
裁判員の記者会見、実施是非を議論(ボツネタ経由 ヤフーニュース6月19日22時8分配信 毎日新聞)
ものすごい議論だな〜、という感じなんですが
最高裁によると、裁判員が感想を述べることは制度の周知につながるとの考え方に異論は出なかった。
それはそうかなと思いますが、
一方で、「守秘義務が課されている評議の秘密について、裁判員が話してしまう可能性がある」との声もあったという。
問題はここでしょうね。
素人の裁判員の皆さんは、聞かれたら答えちゃいますよ、たぶん。
なんでもかんでも。
東京地裁で模擬裁判 同一事件で判断分かれる(ヤフーニュース 6月11日21時2分配信 毎日新聞)
法科大学院や司法研修所でも模擬裁判をやりますが、模擬裁判の証拠資料(シナリオ)は、実際の事件より被告人に有利にできていますから(そうしないと弁護側でできることが少なくなってしまって面白くありません)、判決が軽い罪名になったり無罪になることが普通に生じます。
裁判員制度の模擬裁判でも同様に被告人に有利な事件を題材にしているのかも知れませんが(そうでないと裁判員役の皆さんが悩む部分が少なくなるのでシミュレーションにならないと考えられているかも)、このように同じ事件のはずなのに結論が異なる模擬裁判が報道されると(似たような報道が以前にもあった記憶あり)、国民全体の模擬裁判裁判員制度(誤記訂正)に対する信頼感が低下する心配はないのでしょうか。
もともとないと言われれば反論しませんが。
陪審員が法廷で数字パズル=裁判やり直しに−豪(ボツネタ経由 時事ドットコム)
陪審制を採用しているオーストラリアで、陪審員の半数近くが法廷で数字パズル「数独」に興じていたとして、裁判長が審理の取りやめを命じる事態が起きた。
あっても不思議はないな〜という事態ですが
既に約100人が証言し、人件費など100万豪ドル(約1億円)以上がかかっていたが、近く陪審員を総入れ替えして最初からやり直される。
すごい裁判だな〜、これじゃたしかに集中力が切れそうだな〜とか思いますが、一番気になるのは、この約1億円について、パズルをしていた陪審員に賠償請求するんだろうか?と言う点です。
さて、裁判員が同じようなことをしたらどうなるでしょうか?
法相絶賛 サイバンインコ、統一キャラに“昇格” 裁判員制度PR(ヤフーニュース ボツネタ経由)
サイバンインコは5月23日に鳩山法相を訪問。「サイバンインコがいいと思う。裁判員と分かるから」と法相に絶賛されていた。
この法相のコメントを「絶賛」と言うんですかね?
自分の言語感覚にますます自信をなくすモトケンです(^^;
裁判員制度:鳩山法相、広報キャラクターの着ぐるみでPR(毎日新聞 2008年5月23日 19時27分(最終更新 5月23日 19時31分))
裁判員制度絡みのニュースなんで紹介しますが
こういう広報キャラクターというのは何か意味があるんでしょうか?
個人的には意味がなさそうに思うので、魚拓も取りません。
追記(ボツネタ経由)
日弁連、裁判員制度の理解を高めるため、マスコットキャラクター「サイサイ」を発表
追記(乱立状況)
「らっか正義君」「信ちゃん」…裁判員PRでキャラ乱立(2008年5月24日14時39分 読売新聞)
量刑のバラツキ防止、裁判員制度へ「検索システム」稼働(2008年5月23日14時34分 読売新聞)
裁判員裁判では、有罪・無罪だけでなく、量刑の判断にも国民の意見が反映される。最高裁は、類似の事件で量刑に極端な差が出ないよう、裁判員が過去の事例を参考にできるためのシステムを開発した。
現時点における過去の量刑データは全て裁判官による判決なんですが、裁判員がそのような量刑に右に倣えしたら、何のための裁判員か分からなくなってしまいそうです。
司法解剖の遺体写真、イラストやCGも活用(毎日新聞 2008年5月21日 2時30分(最終更新 5月21日 2時30分))
遺体や傷の写真は裁判員にショックを与える恐れもあることから、写真の代わりにイラストを鑑定書に添付したり、鑑定医が法廷で証言する際にCGを使う案が浮上。学会内には、傷ができていく過程を連続イラストで表すアイデアを提案する学者もおり、裁判員が目で見て分かる説明方法が検討されている。
「遺体や傷の写真は裁判員にショックを与える恐れ」はたしかにあるでしょうね。
鑑定書の元になる司法解剖に何度も立ち会ってますが、私だって、検事としての仕事だと考えなかったらそうそう平常心ではいられないかも知れません。
立ち会った司法修習生の中で、途中で気を失うのもいました。
日本法医学会と最高検が決めたとのことですが、イラストやCGは誰が作成するんでしょう?
イラストやCGの再現性や正確性をめぐって余計な争点が生じるおそれもあります。
私としては、責任感で原本を見てほしいとは思いますが、遺体の状況によっては表現をはばかられるものもありますので、オブラートにくるむのもやむを得ないのでしょうね。
また、学会は今年3月から、裁判員が参考にできる法医学用語集の作成を開始。鑑定書に登場しやすい「死斑」(重力の作用で血液が下がることによって遺体の表面にできる変色)▽「絞頸(こうけい)」(ひも状のものを首にめぐらせ、手などで絞めて圧迫し、窒息させる)といった用語を分かりやすく解説する作業を進めている。
これは大事なことですね。
刑法などの法律用語についても同じような取り組みがあったと思いますが、どうなってるんでしょう?
裁判員制、開始まで1年「対応困難」5弁護士会(2008年5月21日03時09分 読売新聞)
裁判員制度に対応できる弁護技術を持つ弁護士の数を十分に確保できるか尋ねたところ、岐阜、和歌山、島根、香川が「確保は難しいかもしれない」と悲観的な見通しを示し、愛知も「三河地区では厳しい」と回答した。「十分に確保できる」と自信を見せたのは東京、大阪、大分だけ。30か所は「ぎりぎりだが何とか確保できる」との回答だった。残る2か所は、「確保できるよう準備する」などと答えた。
技術だけの問題ではないと思います。
確保が難しいとした弁護士会は、弁護士数が39人と全都道府県で最も少ない島根など、弁護士過疎に悩む所が多い。「裁判員裁判で(公判を毎日行う)連日開廷をこなそうとすれば、他の業務に支障が出る」(島根)と訴えている。
裁判員制度に向けた課題では、資力のない被告の弁護を引き受ける国選弁護人について、1日の審理で結審するケースで10万円と定められた報酬が少なすぎるという意見が目立った。国選弁護人は通常1人しか選任しないという運用が定着していることに対し、「連日開廷に対応できない」との不満も出ている。
裁判員制度に点字翻訳や手話通訳、最高裁が支援決める(2008年5月14日14時31分 読売新聞)
目や耳が不自由な人については、有罪無罪などの判断のために法廷で図面や写真を見たり、証拠の録音テープを聞いたりすることが不可欠な事件を除けば、裁判員として参加できる。
少なくとも裁判員裁判の対象事件で証拠中に「図面や写真」がない事件はないと思います。
自白事件で量刑だけが問題になるような事件ではそれらを見ることが不可欠ではない事件があると思いますが、否認事件では視覚障害のある裁判員としてはそれらの証拠を見ずに有罪評決をすることは心理的に困難になるのではないでしょうか。
一方、聴覚障害者については、手話通訳や要約筆記者を手配する。証人尋問や評議の内容などは手話で伝えたり、要約筆記者がメモに要約して示したりして、支障のないように配慮するという。
聴覚障害者のほうが裁判員としてのハンディキャップは少ないように思います。
万引き事件の無罪判決です(ボツネタ経由)
http://kanz.jp/hanrei/detail.html?idx=3202
被告人が共犯者と共謀の上DVDを万引きしたとされる事案につき,防犯ビデオ映像,共犯者供述などによっても,共謀について合理的疑いを容れない程度にまで立証がされているものとは認められないとして,無罪を言い渡した事例
万引きについての共謀つまり事前相談の有無が問題になってます。
有罪っぽい事情もあれば無罪っぽい事情も認定されてます。
いろいろな観点から意見はありますが、ここでは裁判員制度の観点から問題提起してみます。
さて、この事件が裁判員裁判として裁判されたとしたら(現在の規定では対象になりませんが)、裁判員の皆さんはどのような判断を下すでしょうか?
以下に裁判所が認定した事実関係の部分を引用します。
かなり長いです。
【あと1年で裁判員(2)】「審理迅速化」の犠牲も…「精密司法」との決別
裁判員裁判以外の裁判の同じようにするのでしょうか?
私の認識では、これまで精密司法を推進してきたのは(弁護士でも検事でもなく)裁判所ですから、この問題はまず裁判官の意識変革が必要だと思います。
【あと1年で裁判員(1)】弁護士反発 模擬裁判の参加者は「で、何がよくなるの?」…浮かび上がる問題点
また、市民からも疑問の声が出ている。3月に東京地裁の模擬裁判に裁判員役として参加した女性は「とても疲れた」と話し、素朴な疑問を口にした。「制度を導入して、一体、何がよくなるの?」
かなり根本的な疑問が提起されますね。
【あなたの判決は?】歌織被告は無罪? 懲役何年? あなたはどう裁く…28日判決を前にアンケート(産経)
産経ニュースサイトの企画ですが、WEB上で裁判員の模擬評議のようなものをしようとしているようです。
裁判員制度の実施を控えて面白い企画だと思いますが、有罪無罪を分ける主要なテーマが責任能力というのは企画の初回としては(法律家としては)難問過ぎるな、と正直思います。
しかし、専門家と言われる鑑定人の意見を素人がどう見るか?
これはまさしく裁判員制度導入の重要な契機についての素人からの答を問うことになります。
懲役20年の求刑に対して(関心を持っている)市民の量刑感覚はどういうものかも知りたいところです。
一昔前なら野次馬根性の極みみたいな企画だと思いますが、今となってはとても意味のある企画に思えますし、裁判の詳細を報道し続けてきた産経でしかできない企画だと思います。
http://www.asahi.com/national/update/0415/TKY200804150225.html
政府は15日、市民が刑事裁判に参加する裁判員制度を始める日を来年5月21日と定める政令を閣議決定した。施行日以降に起訴された殺人などの重大事件が対象になる。初めての裁判員裁判は、早ければ来年7月末に開かれる見通しだ。
悲惨事件審理、裁判員に「心のケア」…最高裁が方針(2008年4月13日03時07分 読売新聞)
最高裁は、企業などを対象に心理カウンセリングの電話相談サービスを行っている民間のカウンセリング機関に窓口の設置を委託し、裁判員が裁判でショックを受けたり、不安を感じたりした場合は、いつでも電話相談ができ、経験豊かなカウンセラーからアドバイスを受けられるようにする。電話相談で問題が解消されなければ、臨床心理士や医療機関を紹介し、予約も行うという。
もちろん、評議が終わった後の話ですよね。
評議中にカウンセリングを受けることになると、カウンセラーが評議に影響を与える恐れが生じますから。
「取り組み不十分」29カ所=裁判員制度、弁護士会次期会長アンケート(ヤフーニュース 3月30日15時1分配信 時事通信)
2009年5月までに始まる裁判員制度について、全国の52弁護士会の次期会長のうち、29人が所属弁護士会の体制構築を不十分と考えていることが30日、時事通信のアンケート調査で分かった。
半数以上ですね。
容疑者段階の国選弁護も始まるため、「弁護士数が絶対的に不足」(青森・小田切達氏)と人数の問題を挙げる回答が多数を占めた。
当然のこととして予測というか予定されていた状況です。
こういうことになることは分かりきっていた、という意味です。
170法廷にカメラ設置・裁判員制度、証言など録画(NIKKEI NET blog of Dr. Makoto Ibusuki経由)
裁判員と裁判官で有罪無罪や刑の重さを決める評議の際、ポイントになる供述や証言をDVDで再生し確認できるようにする。裁判員がメモを取る負担を軽くし、被告や証人の表情から「心証」を取ることに集中してもらう狙いだ。
評議室で、「あそこで目を伏せたところが怪しい。」なんて議論をするんでしょうか。
私も(たぶん多くの法曹も)、相手の表情を信用性判断の参考にしますが、表情を決め手にするとなるとかなり危なっかしいところがあります。
そのあたりを踏まえつつ、「メモを取る負担を軽く」するというのは大事だと思います。
私は、証人尋問のときに、ここが大事なポイントだと思うところしかメモしませんでした。
どういうところが大事なポイントかというと、ほかの証拠と矛盾したり整合しない証言です。
つまり大事なのは証言の内容でして、表情ばかり見ているのもまずいと思います。
ましてネクタイの柄などは気にしないでもらいたいです。
証拠法上、評議室での再生をどう位置づけるのかとか、訴訟法的に興味のあるところだが、(blog of Dr. Makoto Ibusuki)
たしかに気になりますが、ま、ここは堅いことを言わずに、というところでしょうか。
ボツネタ経由
毎日新聞で「正義のかたち:裁判官の告白」という連載記事が掲載されています(リンク先は6番目の記事)。
裁判員制度に向けて、多くの人に読んでもらいたい記事です。
このエントリは「無罪推定の原則とネクタイ」の続編です。
ネクタイをきちんと締めている人は「真面目な勤め人に見える。」という日弁連の感覚はごく普通の犯罪などとは縁のない一般市民の日常的な感覚だろうと思います。
しかし、裁判員の前で展開される刑事法廷というのは日常世界ではありません。
身柄拘束中の被告人は、手錠をされて腰縄を結ばれて法廷に入ってきます。
たしかに初めてそのような姿を見る人(裁判員)にとっては衝撃的な光景だと思います。
昔、検察庁に出入りしていた保険外交員の人に、「初めて見たときはショックだった。」という話を聞いたことがあります。
そして、その被告人は検察官から犯罪者だと指弾されているのです。
それも万引きや喧嘩の類ではありません。人を殺した者と言われているのです。
そして、通常、すでに1か月以上、場合によって数か月以上自分の意思に反して身柄を拘束されているのです。
被告人にとっても非日常的なそのような状況は、被告人の心身に目に見える影響を及ぼす場合があります。
もし、その被告人が無実の冤罪被害者であったなら、その被告人が置かれている状況というのは不条理の極みというべき非日常世界です。
その被告人が真犯人であったとしても、正直に反省している被告人であるとは限りません。
あらゆる手段、つまり嘘八百や可能な限りの罪証隠滅工作を行って自己の罪を免れようとしているかも知れません。
被告人が、「私は無実だ!」と叫ぶとき、その被告人が冤罪被害者であるのか罪を免れようとしている狡猾な真犯人であるのかは、ネクタイをしているかどうかによって区別できるようなものではありません。
何が言いたいかといいますと、
日弁連は、本来的に非日常的な状況に、日常感覚を持ち込もうとしている誤りを犯しているのではなかろうかという危惧です。
非日常の世界を日常の基準に従って見てしまった場合、真相に迫ることは極めて困難になるだろうと思われます。
すでに、前エントリのコメント欄で指摘されているところですが、日常感覚の見た目を問題にするよりは、裁判員に対して裁判および被告人の置かれている状況というものは非日常の世界なのであるということを理解させることこそが重要なのではなかろうかということです。
そして日弁連の主張は、単に優先順位を誤っているだけでなく、裁判が非日常であるという最も重要な理解から裁判員を遠ざけてしまう危険があるように思われます。
私は全エントリの最後で
木を見て森を見ないような対策や、木ばっかり見ることによって森が見えなくなるような対策、または森を見えなくするための対策だったりすれば、そんな対策をとらなければならないということは裁判員制度などできる状況でないということです。
と書きましたが、それは何が木で何が森かを見定めないと、結果的に「森を見えなくするための対策」になってしまわないかということを恐れたからです。
裁判員裁判、予断排除のため被告のネクタイを容認(2008年3月20日03時05分 読売新聞)
例によって揚げ足取りかもしれませんが
拘置中の被告が出廷する場合、服装は原則自由だが、ネクタイは「自殺に使われる恐れがある」、靴は「逃走が容易になる」との理由で拘置所が認めていない。しかし、日本弁護士連合会は、拘置所を所管する法務省に対し、「裁判員が『やはり犯罪者なのか』という予断を抱けば、無罪推定の原則が揺らぐ」として、ネクタイ着用などを認めるよう要求していた。
裁判員制度というのは、被告人がネクタイをしているとかしていないというくらいのことで判断の公正さが問題になるようないい加減なものだったんですね。
見た目で犯人ぽいとかぱりっとしたスーツを着ているから無罪だろうというような気分で裁判されたらたまらんですな。
たしかに、刑事事件の依頼者から、裁判所にはどんな服を着ていったらいいですか、という質問を受けたときには「スーツのほうがいいですよ」と言うときがありますし、いかにもスーツが板につかないなと思うときは「きちんとした服装できてください」と助言します。
しかしそれは主として情状面で被告人の裁判を受けるに当たっての真剣さを疑われないようにというためであり、無罪推定の原則、言い換えれば証拠に基づく裁判における有罪無罪に影響するという意識はありませんでした。
検事時代の感覚では、少なくともネクタイの有無によって心証を左右されたことはありません。
ネクタイの有無程度が問題になるのであれば、マスコミの事件報道のほうがはるかに深刻な問題です。
できる範囲のことはたとえ小さなことでもやろう、ということであれば目くじらを立てるほどのことはないのかも知れませんが、
木を見て森を見ないような対策や、木ばっかり見ることによって森が見えなくなるような対策、または森を見えなくするための対策だったりすれば、そんな対策をとらなければならないということは裁判員制度などできる状況でないということです。
続編あり
裁判員の日常と裁判の非日常
裁判員制度にらみ方針転換 警察庁(産経ニュース)
ついに警察も抵抗できなくなったようです。
今後も紆余曲折はあると思いますが、可視化の流れは始まりましたので、録画の範囲や録画データの取り扱いなどの実務的な側面を詰めていくことになるだろうと思います。
取調べの録画にはマイナス面もありますので、弊害を抑制しつつ最大限の可視化を追及していく必要があると思っています。
関連エントリ 「取調べの可視化の問題点」
裁判員制度:重大事件は取り調べを録音、録画 対象拡大へ(毎日新聞 2008年3月14日 15時00分)
来春始まる裁判員制度に向け、法務・検察当局は、一部の事件で限定的に試行してきた取り調べの録音・録画の対象となる事件を大幅に拡大する方針を固めた。殺人など裁判員制度の対象となる重大事件について、原則的に行う方向で検討する。
対象事件の範囲の拡大であって、全過程の録画には直結しないようですが、少しずつでも拡大していくのはよいことだと思います。
夜桜法廷:司法制度への理解深めて 徳島地裁、28日に /徳島
日中は仕事などで裁判の傍聴ができない人たちに、司法制度への理解を深めてもらおうと、徳島地裁は28日午後6時半から、「夜桜法廷2008」を開催する。
これはなかなかいいですね。
裁判所というところは5時以降は仕事をしたがらないという印象を持っていたのですが、偏見かも知れませんね(^^;
ほかの県でも似たようなことをやってましたでしょうか?
裁判員制度を意識した取り組みであることは明らかですが、裁判員制度を度外視しても法曹と一般市民が直に意見交換できる機会は貴重だと思います。
希望者は、はがきに郵便番号、住所、氏名、電話番号を明記して、〒770―8528 徳島市徳島町1の5、徳島地裁総務課「夜桜法廷2008」係まで申し込む。14日必着で、応募者多数の場合は抽選。問い合わせは、同課(088・652・3141)まで。
新潟県弁護士会が裁判員制度の抜本的改正を求めて実施の延期と抜本改正が困難ならば廃止を決議しています。
二つに分かれていますのでそれぞれを紹介します。
別エントリで、倶利伽羅(弁護士)さんから以下のコメントがありました。
もしこれを無批判に許せば、「法律上は執行猶予も一応可能だけれども、常識的に見てありえない。」などと不当な説明がされたり、または、責任能力が争われる事案で、医療観察法(これ自体悪法ですが)による処理をあえて秘匿して、「心神喪失にしたら無罪です。この人がすぐ社会に出るけどいいのですか。」という不当な誘導がなされることはすぐに予見できます。
この意見は、裁判員に対する裁判官による不当な誘導の危険性を指摘されているわけですが、もちろん最高裁としてはそのような評議のあり方を不適切であると考えているはずです。
しかし、意図的であるか否かにかかわらず、裁判官から裁判員に対して不適切な誘導がなされる可能性はかなりの蓋然性をもって存在すると思われます。
たぶん、裁判官が意図的に、つまり強度な自制をもって誘導を回避しようとしても誘導を文字通りの意味で完全に排除することは困難だろうと思います。
そのような現実を直視すれば、不適切な誘導という弊害を減らしていくための方策が必要になるはずですが、そのためには、実際の評議を事後的に第三者が検証する仕組みが不可欠と思われます。
しかし、現在、そのような仕組みがあるのでしょうか?
評議の秘密を前提にして、そのような検証が可能かどうかも疑問があります。
悲観材料がまた一つ明確になったように思います。
予後・合併症…患者に通じない736語、国語研が言い換え例(2008年3月6日14時32分 読売新聞)
こういう点でも医療と司法は似ているところがあります。
裁判員裁判が始まると、法律家はみんな苦労しそうです。
特に裁判官には裁判員に対する十分な説明能力が求められると思いますが、微妙な事件ですと単なる言いかえでは意思疎通以前に概念を理解してもらうことが困難になると思います。
裁判員制度の延期を決議 新潟県弁護士会(asahi.com 2008年03月03日23時53分)
裁判員制度の導入については私も批判的なのですが、この新潟弁護士会の決議の根拠・理由については少々突っ込みたいところがあります。
裁判員法が成立した経緯について「国民一般の声を十分にくみ取っていない」
これはそのとおりでしょうね。
しかし
民主的な討議を経た上で国民の納得を得るべきだ」と主張している。
この点については、いったいどういう方法で討議をし、国民の納得の有無をどのようにして確認するのでしょう。
裁判員制度は国会の定めた法律に基づいて導入されているのですが、それ以上に民主的な方法というと国民投票でもするのでしょうか?
提案者代表の高島章弁護士は「民主的でない方法で裁判員制度を導入しても、『司法の民主化』は図れない」と話している。
法律による導入を「民主的でない」とまで言い切っちゃってます。
もっと端的に反対したほうが説得力があるような気がするのですが・・・
ところで、私の認識では弁護士会(の少なくとも一部)は、ずっと以前から陪審制の導入を主張してきたはずなんですが、それと
また、裁判員裁判の審理期間が3日程度とされていることについて「いたずらに迅速性を求めるのは『粗雑司法』というほかなく、適正手続きに反している」と指摘。
していることと、現実的整合性があるのか疑問です。
追記
高島先生は、今の裁判員制度を手直しすれば実用に耐えると思っているのか、それとも一旦白紙に戻したほうがいいと思っているのかどっちなんでしょう。
直感的には後者かなと思うのですが、それなら延期と言わずに廃止と言った方が論理的ではあります。
しかし、そう言っちゃうと一部の極論として無視される可能性がある(高速度で走っている車で急ハンドルを切っても曲がらない)ので、まずはブレーキということなんでしょうか。
これまで何度か紹介していますが、有力な弁護士ブロガーの一人の落合弁護士は私と同じヤメ検ですので、特に刑事事件については感覚に似たようなところがあります。
今回取り上げるのは、「夫バラバラ殺人、検察側が自白調書撤回 東京地裁 歌織被告は任意性否定 」です。
落合弁護士は中日新聞の記事を以下のように引用されています。
検察側は「犯罪事実は被告人質問で十分立証できた」として、証拠請求していた捜査段階の被告の自白調書などを撤回した。検察側が被告の供述調書の請求を取り下げるのは極めて異例。裁判員制度を意識し、裁判の迅速化を図る目的とみられ、今後、同様のケースが続くとみられる。 一方、歌織被告は被告人質問で「警察官や検察官の取り調べで、怒鳴られたり脅されたりして、不本意な調書を作られた」と述べ、供述が任意ではなかったと主張。取り調べの際に検察官から「風俗で働いていた。犬畜生と同じだ。おまえの事件なんて、どうせ男とカネなんだろ」などとののしられたと述べた。検察官の作成した調書の内容を否定し続けると、以前中絶した時の胎児のエコー写真を机の上に並べられて「法廷でこの写真を出していいのかと脅された」と訴えた。
検事の取調べ状況に関する被告人の供述に関するさらに詳細な報道として産経ニュースがあります。
歌織被告「検事は『風俗なんかで働いていた汚い奴め、お前は犬畜生と一緒で生きている価値がない。お前の刑を決めるのはおれだ。おれの前で頭を下げてみろ』と、そういうことを言われ続けた。それに対し、私が『違う』とずっと言い続けていると、終いには私が以前に堕ろした子供のエコー写真を並べて、『法廷でこの写真を出されてもいいのか。法廷でマスコミの前に出してやるからな』と言われた」
産経ニュースを流し読みした限りにおいて、検察官はこの被告人の供述に対して何の反対質問もしないで被告人質問を終わらせています。
そうなりますと
自白調書の任意性を争われ、その理由を具体的に述べられた後に、検察官が請求を撤回すれば、やはり任意性に問題がある自白調書だったから、という印象を裁判所に与える可能性が高いように思います。(落合ブログ)
となるのは自然な流れだろうと思います。
私も、被告人が言うような取調べを検事がした可能性が高いな、と思います。
落合弁護士は「裁判所に」と書いていますが、裁判員裁判が始まれば当然「裁判所」の中には裁判員が含まれてきます。
産経のような法廷のやりとりを詳細に報じるメディアによって、国民の多くにも同様の印象を与える可能性が生じてくるでしょう。
そしてその中から別の事件の裁判の裁判員が選任されてくることになります。
検察はその点をどう考えているのでしょうか。
中3ら6人、酔客狙い窃盗容疑で逮捕「寝ているの悪い」(asahi.com 2008年01月30日12時06分)
リーダー格の女子生徒(15)は「酔って寝ている方が悪い」と話しているという。
「という」と書いてますね、そしてその内容を記事の見出しに使ってます。
ニュースソースは警察関係者からのリーク以外に考えられませんね。
女子生徒がそのような言葉を口にしたのは事実だろうと思います。
しかし、仮にそれが事実だとしても、女子生徒がどういう場面においてどういうつもりでそれを口に、今はどう思っているのか全くわかりりません。
しかし、記事に、そして見出しになれば、その言葉が女子生徒の人格を象徴する言葉になってしまいます。
読者に強力な先入観念を与えるおそれがあります。
朝日は(朝日に限ったことではないと思いますが)、これまで指摘されている裁判員制度と報道との関係についての問題意識を持っているのでしょうか?
実は、私自身、このニュースを読んだときに第一印象的に浮かんだブログの書き出しは「こんな子供を育てた親の顔が見たい」だったのですが、よく考えると、こんな記事一つでこの女子生徒がどんな子供かよくわからないし、問題はありますがどうしてそうなったのかもわからないわけです。
どうもニュースサイトにおける記事は、新聞紙面の記事より速報性が強い分、軽薄に書いているのではないかと心配になります。
そして同じ記者が新聞紙面のニュースも書くのであれば、新聞紙面の記事も軽くなっていくのではないかとさらに心配になります。
量刑に差、重い課題 京都地裁で模擬裁判終了(ヤフーニュース 11月15日7時51分配信 産経新聞)
裁判員の選任からスタートした京都地裁での模擬裁判は14日、すべての日程を終えた。架空の殺人事件を審理した裁判員6人と裁判官3人は「心神喪失で無罪」と主張する被告に、心神耗弱としたうえで求刑を上回る懲役14年(求刑・懲役10年)を言い渡した。法曹3者による模擬裁判は全国で235回あり、検察側の求刑を上回る判決は「今回が初めて」(最高裁)という。
同じ殺人事件を題材にした模擬裁判は5地裁でも行われたが、無罪から今回の懲役14年まで量刑は大きくばらついた。「市民感覚の反映」を掲げる裁判員制度の課題が改めて示された形だ。
増田耕児裁判長は「評議では積極的に意見が出て踏み込んだ議論ができた。量刑に差が出ることに関しては、同じ事件であっても立証の仕方などが異なっており、当然のこと」と話した。
増田裁判官は「同じ事件であっても立証の仕方などが異なっており、当然のこと」と言ってますが、たしかにある意味では当然です。
分かりやすく極端の例をあげれば、検察官の立証が思いっきり下手くそで、凄腕の弁護人が最高の弁護を行い、裁判員が超慎重であれば無罪になるでしょうし、弁護人の弁護活動が最低で裁判員が厳罰主義者ばかりだと求刑を上回る量刑もありうるわけです。
また、模擬裁判の題材となる事件は、判断が悩ましくなるように作ってありますから、結論が分かれる場合が多くなると思います。
司法研修所でやる模擬裁判でも、修習生のグループによって無罪と有罪が分かれるのはよくあることです。
その意味で、法律家から見れば模擬裁判で結論がばらつくのは当然と言えば当然なのですが
光市事件についての一般市民の意見の中には、弁護人によって刑が軽くなるのはおかしい、という意見がけっこうあります。
そのような市民の感覚からすれば、同じ事件で裁判員によって結論が大きく異なるというのは納得できることなのでしょうか?
裁判員制度の実施に伴って
裁判員の市民感覚によって司法判断のあり方を変えることの当否と
市民に対して司法側から司法の理解を求めることの必要性及びその当否が
いずれも問題になっているように思われます。
裁判員制度 弁護士、異例の反対集会 仙台で30日(ヤフーニュース 11月7日6時12分配信 河北新報)
関連ブログエントリとして
裁判員制度2題(弁護士 Barl-KarthによるAll Saints’ Day 日記)
最高裁参事官のマスコミに対する注文について何か書こうかなと思っていましたが、「弁護士のため息」の「ついに・・・マスコミの事件報道のあり方に最高裁参事官もクレーム」がよくまとまっているようですので、ブックマークの意味を含めて紹介します。
同一被告複数事件の「部分判決制」成立…裁判員制へ法改正(2007年5月22日13時55分 読売新聞 ウェブ魚拓)
最高裁の島田仁郎長官が2日、憲法記念日を前に記者会見した。裁判員制度について、「三人寄れば文殊の知恵という言葉もある。裁判官と裁判員合わせて9人が十分に意見を交換し、徹底的な評議の上で結論を出すのだから全く心配はない。裁判員は自信を持って評議に臨んでほしい」と述べ、国民に積極的な参加を呼びかけた。
まあ、お立場上の発言とは思いますが、「全く心配はない。」というのには無責任な響きを感じてしまいます。
最高裁が、裁判員の不安を除去し裁判員制度を軌道に乗せるための具体的かつ有効な対策を考えているとは思えません。
何もしないで、「全く心配はない。」と言われてモナー、という感じです。
裁判員時代の公判調書、自動化なるか 方言認識など課題(asahi.com 2007年04月25日12時52分 ウェブ魚拓)
「常識で判断 疑問なら無罪」 裁判員へ「法廷の心得」(asahi.com 2007年04月11日08時32分 ウェブ魚拓)
裁判員、目立つ市民誘導 模擬制度で課題(asahi.com 2007年04月10日06時12分 ウェブ魚拓)
これも予想された問題です。
裁判員制度:「裁判員役」の市民、量刑判断に負担の声−−死刑求刑の模擬裁判 /福岡(毎日新聞 2007年4月7日)
詐欺団の暴行4人死亡事件、2人に死刑求刑 千葉地検(asahi.com 2007年02月26日20時26分)
両被告は「実行行為をしておらず、共謀もない」などと起訴事実を否認している。
証拠関係が全然分かりませんのでコメントのしようがないのですが、裁判員裁判が始まってこんな事件を担当することになった裁判員には同情します。
裁判員「参加したくない」増え75%に…読売世論調査(2007年1月15日23時19分 読売新聞 キャッシュ)
だんだん不安が現実化してきそうな感じです。
裁判員制度考える、高校生が「模擬裁判」で議論 東京(asahi.com 2007年01月14日22時42分 キャッシュ)
ボツネタ経由です。
なかなか興味深いです。
いずれもボツネタ経由
司法通訳人:外国人被告に“言葉の壁”、資格認定制度を /群馬(ヤフーニュース(毎日新聞) - 11月21日12時1分更新)
裁判員制度に向けての準備は必ずしも順調にいっていないようです。
もともと無理がある制度ではないかと思っていましたので、予想されたことではあります。
「弁護士のためいき」さんのところに
というエントリがあります。
コメント欄は若干荒れ気味ですが、エントリの内容自体はほぼ同感できるところです。
ほんとに誰がどのような理由から、どういう見通しのもとに導入したんでしょうね。
一言でいって、拙速です。
ボツネタです。
ネタ元はこれ
裁判員制度で提言案、日弁連「書類は原則全文朗読」(2006年6月21日23時28分 読売新聞)
日本弁護士連合会は21日、2009年にスタートする裁判員制度に関する提言案を発表した(中略)
日弁連の提言案では、「裁判員が検察側、弁護側の主張を法廷で直接聞いた上で、有罪・無罪の判断をできるようにすることが必要」と主張。供述調書などの証拠書類について「要旨の朗読で済ませることも許されるべき」とした最高検試案を「相当でない」と批判し、原則として全文朗読するよう求めた。
興味のある方はコメント欄を読んでください。
かなり専門的なブラックユーモアと言うべきでしょうか?
冗談では済まない感じがしています。
裁判員制度:市民と裁判官が審議/上 証拠「だけ」で事実判断 /青森(ヤフーニュース(毎日新聞) - 5月24日11時3分更新)
裁判員制度:市民と裁判官が審議/下 事実認定、戸惑いと悩み /青森(ヤフーニュース(毎日新聞) - 5月25日12時2分更新)
とても良い記事です。
たぶん本番の裁判員裁判でもこのような状況になるのだろうと思います。
「殺意の有無」をめぐっては統一見解がまとまらなかった。各裁判員が考える「殺意とは何か」が、そもそも違っていたからだ。
私が最も恐れる状況が現実化しています。
裁判員の皆さんそれぞれの判断の基準が違ったり、判断基準が全く分からなかったりする状況で、そもそも評議が成立するのかすら疑問になります。
素人を司法に組み入れるこの制度、実現に向け課題は多いと実感した。
という記者の実感は的を射ていると思います。
最高検察庁が、裁判員制度対策として
というものを発表しました。
上記リンクのページは、その概略を説明したもののようです。
従来の立証のやり方とはかなり発想を変えた提案をしているのですが、そしてその提案自体は基本的には間違っていると思わないのですが、このような提案を検察庁だけでやって意味があるのかな、と思っています。
光市母子殺害事件における安田弁護士の弁護活動についてはさまざまな観点からの批判的意見が多いのですが、私は弁護人抜き裁判法案成立の危惧の観点から意見を述べています。
さらにもっと現実的問題として、施行が目前に迫っている裁判員制度との関係について重要な指摘がありました。
Springさんが「40代の私にとっての最新情報・重要ニュース」で述べられている
私が、もし裁判員だったら、このような態度をとる弁護士がついた被告に対して、ニュートラルな判断が出来るかどうか自信がありません。
という指摘です。
身の安全は? アフターケアは?=裁判員制度でシンポジウム−最高裁など(ヤフーニュース (時事通信) - 1月29日19時0分更新)
シンポジウムにおける市民からの質問
「暴力団関係の事件を傍聴人がいる法廷で審理して、裁判員の安全は確保できるのか」(34歳男性)
「重い判決を出した後、裁判員の心のアフターケアはあるのか」(30歳女性)
「評議での発言順は決まっているのか。裁判官が最初だと影響を受ける」(21歳女性)
それぞれ当然の質問と思います。
ところが、報道では上記の質問に対する裁判所側の回答が何も報じられていません。
私としては、そっちのほうを知りたいです。
「密室の恋」? 日弁連、裁判員制へ難解用語見直し(asahi.com 2006年01月15日00時30分)
分かりやすい用語に変えるということ自体は必要なことであり、賛成しますが、用語を変えたとしても、概念、定義、意義などが理解されなければやはり混乱が生じると思います。
「公訴事実」を「検察官が裁判を求める事件の要点」と言い換えようとのことですが、いっそのこと
「検察官の言い分」
とでもしたほうがもっとわかりやすいのではないでしょうか。
チームの座長をつとめた酒井幸弁護士は「弁護士が当然と思っていることでも、意外な解釈や指摘があり、『ああ、そうなんだ』と目を開かせられた」。
正直いいまして、何をいまさら、という感じです。
以前に「未必の故意不要論(何が必要か)」で書いた危惧は未だに払拭されていません。
取調べの可視化の議論が活発化しているように感じられます。
取調べの可視化というのは、具体的には、取調べ状況を録音や録画などの方法により客観的に記録し、それを弁護士や裁判官に開示することだと理解しています。
議論の活発化の背景には裁判員制度があると考えられます。
裁判員制度の裁判においては、証拠をできるだけシンプルにすることが要請されており、自白調書の任意性や信用性という問題をできれば裁判員に判断させたくない(はっきり言って裁判員には荷が重い)からだと思います。
というニュースの中で
また、法律家の間でしか通用しない、隠語のような言葉遣いは避けた。たとえば、争点の「殺意」。専門家の間で当たり前のように使われてきた「未必の故意」は、「とっさに『死んでもかまわない』との思いを抱いたとしても特に不自然ではない」と言い換えた。
という部分があります。
自問自答です。
検事になりたてのころに、何が一番わからなかったかというと、求刑なのです。
裁判官から見れば量刑(どんな事件にどの程度の刑罰を科するか)です。
捜査というのは、まず被疑者が真犯人であるかどうかの確認をしなければなりませんが、
被疑者が真犯人である場合において述べますと、公判(裁判)において被告人(起訴後の被疑者)を有罪にするための証拠を収集する活動であると言えます。
ところで証拠を収集すると言いましたが、証拠には、見つけ出される証拠と作り出される証拠があります。
k_penguinさんからトラックバックをいただいたので、その記事のリンク先のニュースを見てみました。
裁判員制、量刑検索が可能に 証拠は減量 最高裁試案(asahi.com)
公判前手続き:模擬裁判で紛糾も 検察と裁判所対立
岡口裁判官のHP経由落合先生のブログ経由で知りました。
裁判員制度を念頭においた法曹三者の模擬裁判における公判前整理手続きの中での対立のようで、その発端は証人尋問にこだわる裁判所に対し、検察側が、弁護側も同意した証人の調書などの書証を、証拠としてそのまま採用するよう求めたことにあるようです。
アクセス元を辿っていくと、高知新聞のニュースが見つかりました。
高知地検の検事正が裁判員制度への理解を深める勉強会で講演したときの報道ですが、
制度の対象が死刑や無期懲役などの重大事件に限られている理由については、「殺人など社会的反響が大きく国民の関心が高い事件は、なぜこんな事件が起こったのか、背景は何なのかを法律のプロ任せにせず、審理に直接参加して知りたいと思うのが国民感覚だと思う」と、いわば“国民が望むから”という論理で説明した。
とのことです。
それに対して参加者の声として
参加した高知市内の女性(45)は「司法が身近に感じられるから制度には賛成」としながら、「実際に犯人が目の前にいたら、死刑とか重大な判決は下せないような気がする」と話していた。
と紹介されています。
やっぱりな〜、という感じです。
検事正の認識と国民意識の実情は相当ずれている心配がありそうです。
今回は事実認定に関する懸念(の一部)について述べてみたいと思います。
裁判員が自由に、つまり他からの影響なく事実認定を行うためには、裁判員の情報が現実的に秘匿され裁判員が実質的に保護されなければなりません。
大学生のyukiさんから以下のような質問がありました。
質問ですが、司法の民主化の利点って、どんなことですか?民主化が理想?良く分からないデス(><)
司法の民主化の実質的利点というのが実は私もよく分からないのです。
理念としては一応わかるんですが。
どなたか日本の現状または実情に即したご意見をいただけませんでしょうか。
先ほどコメントにて、「木に竹を接いだ制度」と言いましたが、私自身、外国の陪審制度については勉強不足ですので、的外れなことを書くかもしれませんが、あえて書くことにします。
捜査と裁判を同一検事で…東京地検、裁判員制度に備え(全文後記)
地方では、捜査と裁判を同一検事が担当するのが原則なんですが、それはともかくニュースの中に
「しかし、一般市民が加わる裁判員制度では数日間で公判を終えなければならない。」
という記述があるんですが、ほんとにそんなことができるんでしょうか???
裁判員制度の導入自体に反対するわけではありませんが、スムーズに軌道に乗るかどうかについては正直心配してます。