エントリ

 前の記事に対して yuki さんから、取調べの本質に関係するコメントをいただきましたので、全文引用させていただきます。

取り上げていただいて、とても光栄です!ありがとう御座います(´Д`)

つくづく、いろんなところで、なにやら心理学が関係していると、思いました。それはそうです。社会は人間で出来ていますから、人間を科学する心理学と関わりがあって当然。

コミュニケーションするってのには、信頼関係(単に仲良くなるって事じゃなくって)が必要だと思うのですが、現場では、どのように信頼関係作りをするのでしょうか?そもそも、容疑者?(犯人?)と、信頼関係を築くのは可能なのでしょうか?
やはり、言いたくないことですから、「言わせる!!」って感じじゃ引き出せないと思うのですが、どうなのでしょう。

 まず、信頼関係ということについてですが、先輩検事から、取調べにおいては被疑者との信頼関係が大事だ、とよく言われており、私もそう思って被疑者との信頼関係を構築するように努めてきました。

 しかし、被疑者と取調べ検事というのはもともと対立当事者ですから、普通の意味での信頼関係とはニュアンスが違うと思いますが、信頼関係というものの本質というものを考えたときに、それを被疑者から見た場合、「裏切られないことへの信頼」ではなかろうかと思います。
 それともう一つ言えば、「話を聞いてくれることへの信頼」も大事だと思います。

 前者の意味で、私は被疑者に対してあからさまな嘘をついたことはありません。
 もっとも、取調べというのは情報戦ですから、こっちが知っていること又は知らないことを全て被疑者に開示するようなことはしませんが、逆に言いますと、こちらも被疑者がどの程度の事実を知っているか分からないところがあるのですから、こちらから事実に反することを口にした場合、それを被疑者が知っていれば決定的に信頼関係は失われます。
 同時に、被疑者の嘘も許さないという断固たる姿勢を示すことが必要です。
 
 その結果として、被疑者が「この検事には嘘はつけないな、嘘をついてもばれるな」と思ってくれれば、それは信頼関係であると思います。
 そう思っても嘘をつく、というか嘘をつかざるを得ない被疑者もいるわけでして、その場合に、嘘は嘘として聞いて、嘘を嘘として聞いていることが被疑者に分かれば、それもそれで信頼関係のうちと思います。

 後者の観点で言えば、被疑者の言いたいことは、言い訳、言い逃れ、誤魔化しの類を含めて、全て聞いてあげる姿勢が必要だと思います。
 その上で、言い逃れ、誤魔化しは通用しないことを示せば、あとは本音がでてきます(出てこない場合もありますが^^;)。

 まずは被疑者の言い分を聞く、聞いた上で被疑者の行動を、そして被疑者自身を理解する、理解しようとするところに信頼関係が生まれるように思います。

 被疑者が私を信頼していたかどうか定かでありませんが、あるとき道を歩いていると、突然声を掛けられて、「その節はお世話になりました。」と頭を下げられたことがありました。
 誰だったかなと思ったら、2年ほど前に担当した被疑者で、最近刑務所から出所してきた人でした。
 また、どういうわけか出所後に礼状(?)をくれた被疑者もいました。
 レアケースかもしれませんが(^^;

 では、私が被疑者をどの程度信頼していたかといいますと、もちろん全面的に信頼というか信用できない場合のほうが多いわけでして、基本的なスタンスは

 疑いながら信用する
 信用しながら疑う

というものでした。
 「疑いながら信用する」というのは、どんな荒唐無稽な弁解でも、物理的に不可能でない限り、一応はありうることとして検討する、ということです。
 「信用しながら疑う」というのは、どんな本当っぽい話でも、裏づけが取れるまでは、全面的には信用できないということです。

 話のついでですが
 意外と、被疑者と弁護士との間で信頼関係ができていない場合が多いです。
 本来、被疑者と弁護士との接見(面会)の内容は捜査機関(検事もそのひとつ)に対して秘密なわけですが、被疑者のほうから接見内容とその不満を検事に言ってくる場合がありました。

 私も気をつけなければいけません(^^;


>やはり、言いたくないことですから、「言わせる!!」って感じじゃ引き出せないと思うのですが、どうなのでしょう。

についてですが、これの答らしきものは既に書いたつもりですが、さらに補足します。補足になってないかもしれませんが。
 
 昔と違って拷問、利益誘導、欺罔、脅迫は厳禁です。

 そして被疑者には黙秘権があります。

 最初に黙秘権を告げた上で取調べをします。

 それでも自白する被疑者はいます。
 そして、自白にはいろんなパターンがあります。

 理解しやすいパターンとしては、認めたほうが最終的に罪が軽くなると考えて認める場合です。

 しかし、認めれば死刑になることが確実なのに認める場合があります。
 この場合は、損得では説明できません。
 ある意味不思議です。

 私は、人間というものは、罪を犯した場合にはその罪を償わなければならないと考えているのではないか、と信じたいと思っています。
 考えているのでなく、命の底で知っているのかもしれません。
 自分が知っていることに気付いた人間は自白するのかもしれません。
 あとは、取調官が真実を語るに足る人間であるかどうかではないでしょうか。
 そこには究極の信頼関係があるように思われます。

 人間は不思議です。
 犯罪は、人間の不思議さ、不合理さ、不条理さが現れる場面です。
 そう思ったことが私が検事を志した理由の一つのように思われます。

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