現在の死刑の量刑の基準と言われているのが昭和58年7月8日の永山判決です。
同判決において
死刑制度を存置する現行法制の下では、犯行の罪質、動機、態様ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性、結果の重大性ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等各般の情状を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大あつて、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむをえないと認められる場合には、死刑の選択も許されるものといわなければならない。
と判示されていますが、その中に「結果の重大性ことに殺害された被害者の数」と判示されたことにより、その後は被害者が一人の事件で死刑が言い渡されることはほとんどなくなったように思います(最近はそうでもなくなる傾向があるようですが)。
永山判決は、被害者の数を「結果の重大性」の一指標としているようですが、私は、先に述べましたように、自分が人を一人殺したという現実に直面しながらなお自己の行為の重大性を自覚できない行為者そのものに、その行為者の犯罪性向(危険性)の根深さを見ることから、被害者の数に着目することには一応の合理性があると思います。
より正確にいうと、被害者の数というより、殺害機会の数に着目するわけです。
その観点でいいますと、たとえ被害者の数が一人でも、被害者の死を現実的なものとして目の当たりにしつつ予見しながら、敢えて犯行を継続した犯行も十分死刑選択の余地があるものと考えます。
例をあげれば「女子高生コンクリート詰め殺人」の主犯などは死刑が十分視野に入ります。
感情を抑えずに言えば、死刑にしてもあき足らない、です。
また、強盗殺人等を犯して無期懲役に処せられ、仮出獄後にさらに殺人を含む犯罪を犯した場合、もはや死刑以外にはありえないというのが私の感覚です。
死刑については廃止論がありますが、死刑に殺人行為に対する抑止力を認める限り、私は存置論を支持します。
>「女子高生コンクリート詰め殺人」の主犯などは
>死刑が十分視野に入ります。感情を抑えずに
>言えば、死刑にしてもあき足らない、です。
そうですね。わたくしが少年事件を回避するようになった理由付けのひとつが「17歳の殺人者」を読んでからですし、死刑維持論も純粋にそれが要るだろうと思われる事件が存在する以上否定する気はないです。ただ、女子高生コンクリ事件については、著名な伊藤弁護士が付添人として何度か少年サイドから意見を述べたこともありますが、やっぱり賛同できません。
死刑の抑止力は証明されていないわけですが…
なぜ抑止力がある前提になっているのですか
なんとなく感情で判断するのではなくて、専門家なのなら一度よく勉強されてから判断された方がいいのではないでしょうか
かなり以前のエントリにもかかわらずお読みいただいたのはうれしいことですが、
私が「なんとなく感情で判断」していると考えた根拠はなんですか?
なるほど
ヤフーニュースのヘッドライン経由の方ですね。
アクセスが多いので、盛岡地裁の事件についてはすぐにでもコメントしたいところですが、ちょっと仕事が立て込んでますので、まとまったコメントは夜または明日になるかと思います。
>死刑に殺人行為に対する抑止力を認める限り、私は存置論を支持します。
前提ではなく、存知論を支持する上での条件とも読み取れますよね。
>死刑の抑止力は証明されていないわけですが…
>なぜ抑止力がある前提になっているのですか
>なんとなく感情で判断するのではなくて、専門家なのなら一度よく勉強されてから判断さ>れた方がいいのではないでしょうか
他人に勉強促すより、自分が勉強しましょう。
>死刑の抑止力は証明されていないわけですが…
>なぜ抑止力がある前提になっているのですか
学者のような証明は不用ではないでしょうか。まず、自分はどう思うかを考えてはどうでしょう?理性の無い人に通用しないとは思いますが、殺人=死刑となっていたら、taroさんは殺人を犯せますか?taroさんが普通の人間であればできないでしょう。これが抑止力効果ではないでしょうか?
それと、もう1つ。あなたの大事な人(奥さん,子供)が殺害されたとして、あなたは犯人に対し、死刑にならないように弁護できますか?もし、言えないのなら勝手なことは言わない方が賢明です。少しは遺族の方の気持ちも察してくださいね。それに、死刑は殺人以外では適用されないですよね。ならば、非常に簡単なことだと思うのですが殺人を犯さなければ必然的に死刑はなくなります。死刑に疑問を唱える前に、何故殺人が起きるのか。を勉強して殺人を根絶させる運動をしてくださいな。ちなみに私は意図的に殺人を犯すような人間は不用と思っていますので死刑大賛成です。再犯を防ぐだけでも死刑は非常に有効でしょう。再犯の標的になるのはあなた自身かもしれないですよ。
My mixi日記からお邪魔させて頂きました。
以下に私の素人見解を掲載させて頂きます。事前に不適切または不十分な表現をお詫びさせて頂きます。どうか、寛大なお心で御理解下さい。
コメント論旨は、判決における死刑選択の基準の一つである被告人の「犯罪性向(危険性)の根深さ」、換言すれば可塑性の有無を客観的に評価する上で、これを被害者の数をもって評価することに合理性があるということであると理解しました。
mixi日記からお邪魔させて頂きました。
以下に私の素人見解を掲載させて頂きます。事前に不適切または不十分な表現をお詫びさせて頂きます。
コメント論旨は、判決における死刑選択の基準の一つである被告人の「犯罪性向(危険性)の根深さ」、換言すれば可塑性の有無を客観的に評価する上で、これを被害者の数をもって評価することに合理性があるということであると理解しました。
私も、上記見解には基本的に同意する立場でありますが、死刑制度という大きな枠組みで、この選択基準について考えると、被害者の数を過大に評価すべきではないと考えます。以下にその理由を述べたいと思います。
まず、刑罰の意義をみたときに、我が国は応報刑論の立場を採りつつ、国際的に支持されつつある目的刑論の要素を加味していることは、周知のことであるといえます。その中で死刑制度について考えると、応報刑論では異論がないことですが、目的刑論の立場からは、一般予防論であれ特別予防論であれ、死刑が、「人間在の根元である生命そのものを永遠に奪い去る冷厳な極刑であり、誠にやむをえない場合における窮極の刑罰」であることに鑑みると、特別予防の効果は期待できないことは明白であるとともに、一般予防の効果についてもやや疑念を抱かざるを得ないことと思います。それは、一般予防論は、苦痛・害悪を予め規定しておくことによる威嚇効果を中心に考えられたものでありますが、死刑をはじめとして、刑罰による威嚇の一般的抑止効果は、経験的に十分確証されておらず、刑罰の威嚇力の過大評価に対する批判が高まっていることもあって、最近では、犯罪者に対して刑罰を現実に宣告し執行することによって一般の人々の遵法意識などの規範意識を確認し強化することに重点をおく傾向がみられるからです。つまり、一般予防効果から死刑を論じることは、現在においては早熟であるといえます。
応報刑論によって死刑を首肯することとした場合、「罪刑の均衡の見地」との関係に着目すると、若干の整合性の欠如が確認されます。それは、死刑制度の不透明性からいえます。死刑確定した死刑囚の拘置所内での処遇、死刑の執行に至る過程が監獄法で定められていること以外において公知されていない等が挙げられます。こうした不透明な死刑制度の下で、死刑という「究極のしゅん厳な刑」を科すにあたっては、単に均衡性から導き出されることに対して懐疑心を覚えます。この点に関しては、アメリカにおける死刑制度の様に、透明化、死刑囚の人権をより進めることが必要ではないかと考えます。
また、2006年6月20日に最高裁判所第三小法廷で判決された事案(いわゆる光市母子殺害事件上告審)において、死刑選択基準として示されたコメント中の判決を踏襲しつつ、これら死刑選択基準の総合的に斟酌する点に鑑み、選択基準に適合しない事実があっても、直ちにこれを決定的な事情と評価するべきではない旨の判決理由がありました。この観点からいうと、被害者の数といっても、死刑選択における重要な一事情であるとともに、直ちに決定的な理由とまではいえないと考えることがいえます。
一応、上記これらの見識によって、私は、冒頭の通り、現行死刑制度及びこれを取り巻く環境からして、被害者の数や加害者の可塑性の有無を過大に評価し、死刑を選択するべきではないと考えます。
>死刑に殺人行為に対する抑止力を認める限り、私は存置論を支持します。
死刑に殺人行為に対する抑止力があるのは、合理的判断の下において殺人を行う人たち、つまり暴力団などに対してだけだと思います。
彼らは罪を犯した場合とその処罰の損得勘定で行動するでしょうから、仮に殺人罪の法定刑の上限が懲役5年だとしたら殺しまくると思います。
それが10年になっても抑止力としては弱いでしょう。
こうした人たちには死刑の抑止力は認められるとしても、たとえば故宅間守元死刑囚や、あの奈良のおじさんみたいなイカレた人たちに対しては抑止力は皆無に等しいと思います。
で、一般市民が脅威を感じ特に抑止したいと思ってるのは後者のような類型の殺人ですよね?
だとしたら、「死刑の抑止力」という漠然としたファンタジーに期待するべきではないと思います。
誰も刑罰に完全な抑止力など期待していないでしょう。
犯罪をなくせないまでも減らせることができれば抑止力は十分機能していると言えます。
死刑については私としては特別予防効果を重視していますが。
>死刑については私としては特別予防効果を重視していますが。
その被告人を死刑にすれば確実な特別予防効果はあると思いますが、
それはたんに事件が起きる度にイカレた人を抹殺しているだけのことです。
新たな同種事件が起こるのを防ぐことはできません。
>で、一般市民が脅威を感じ特に抑止したいと思ってるのは後者のような類型の殺人ですよね?
私は一般市民ですが、できれば暴力団による殺人も抑止したいんだけど。一般市民で、暴力団の殺人に脅威を感じない人は、そんなにおらんのじゃないですか。都会では、いっちゃってる人も脅威ですが、暴力団員も身近で負けず劣らず脅威ですよ。それに、暴力団以外の殺人犯が皆あのようないっちゃってる人っちゅう訳でもないでしょう。
>だとしたら、「死刑の抑止力」という漠然としたファンタジーに期待するべきではないと思います。
後者の類型のお人たちには、それこそ更正可能性など論ずるだけムダ。教育刑などファンタジーにすらならんです。とことんいっちゃってる人は、何をしても防げんですよ。どこに潜んでるかもしれんし。この人たちには抑止力は意味無いかもしれんですが、特別予防としては役に立ちますわな。
>その被告人を死刑にすれば確実な特別予防効果はあると思いますが、
それはたんに事件が起きる度にイカレた人を抹殺しているだけのことです。
新たな同種事件が起こるのを防ぐことはできません。
たしかに死刑の有無だけでは殺人を完全には防げないと思います。でも、一部の人間にとってだけでも効果があれば私は良いと思っています。まさに特別予防効果ですね。イカレた人間を抹殺するだけでも、少なくてもその人間の再犯は防止できます。そういう人間を死刑にしていけば、いつかは理想的なゼロの状態に近づくでしょう。それと、人権を守られるべきは罪なく殺害された人であって、殺人犯ではありません。死刑廃止論者の話は何度も聞いていますが、私にとってはまったく耳を傾けるに値しない戯言です。なぜなら、殺人犯の人権が中心であり、被害者の人権を無視しているからです。
被害者の人権とはいうけれど、「死刑にしても被害者は蘇らない、それなのになぜ被害者のための死刑なのか、それは単なる感情的満足に過ぎないのでは、それで生命を奪っていいのか」という真っ先に帰ってくる反論にうまい答えが返っていません。
それこそ、死刑存置論が廃止論に優勢なのにいまひとつ論破しきれていない現実につながっているのでしょう。
こうした現実を見据えず、ただ被害者のことを考えろとか殺人をなくせという言説を繰り返すのでは、死刑存置論にとっても百害あって一利もなしでしょう。
横からですが、
>死刑にしても被害者は蘇らない
まあ、何をしても「その被害者」は蘇りはしません。別に死刑賛成者様も、「死刑でその被害者が蘇るかも」なんていう、ファンタジーな話をしてるわけぢゃないと思うんですが。
そういう意味ではなくて、当該被害者の遺族(処罰感情)、将来そいつが殺すかもしれない人(特別予防)、さらには将来誰かに殺されるかもしれない人(抑止力)、そうしたその被害者の関係者や当該犯罪者や将来の犯罪者たちの被害者(になるかも知れない人)全てを指す大きな意味での「被害者」の話であると思いますよ。
これ以上は、死刑反対論者の方との堂々巡りの議論になりますのでいいませんが。
>それこそ、死刑存置論が廃止論に優勢なのにいまひとつ論破しきれていない現実につながっているのでしょう。
死刑反対論者も、別に死刑存置論者を論破してるともいえんでしょう。世論調査を見ると一般国民すら論破できてないですし。
私自身は、別に死刑反対論者を論破する必要性を感じていません。現行の法が死刑制度を定めている以上、その不要さを立論し、国民を説得すべきは反対論者の方だと思ってますので。
「人を呪わば墓二つ」と言うように、人を殺そうとする場合、
反対に自分も相手に殺される覚悟がいると思うのです。
逆に言うと、誰かに殺されそうになって、抵抗の末に相手を殺してしまっても、
正当防衛が成立しますよね。(成立条件を詳しくは知りませんが)
でも、殺された人が、抵抗が可能だったとは限りません。
寝込みや油断を襲われたり、「男性と女性」や「大人と子供」のように体力差があったり。
そして、そういった事を意識的に利用したような人間に対して、
被害者の不当に奪われた正当防衛の権利(そんな権利があるのか分りませんが)を、
代行する形で死刑と言う刑罰を与える。そういった解釈もあるかなと思ってます。
以上、NO.13 はさみさんのコメントへの私なりの回答です。
つっこみ所がいろいろあるような理屈ですが、ある程度は素人の戯言として
目を瞑ってください。
>「死刑にしても被害者は蘇らない、それなのになぜ被害者のための死刑なのか、それは単なる感情的満足に過ぎないのでは、それで生命を奪っていいのか」
「被害者のための死刑」というのは意味が良くわかりません。
本来なら被害者を蘇らせるべきでしょう。それができないのならば、自分が最大限できること。つまり命をもって償うしかないと考えます。そして残念ながら、死者に感情はありません。
じじい様,四不像様コメントありがとうございます。私の言葉が足りないところをわかっていただきありがとうございます。私は今だけの話をしているのではなく未来もです。先に皆様が論じられていました「抑止力」,「特別予防」も未来へ向けての話ですよね。被害者というのも今だけではなく、未来に被害者となる人もです。今、普通に生きて未来に夢見ている人達が狂人者達に命を奪われていることを憂いています。殺人者の人権よりも、そういう悲惨な事件を起こさせない世の中を後世に残すこと。を優先して考えているだけです。そのための現在考えられる有効な手段こそが死刑制度と考えています。
はさみ様、文句があるのなら、死刑に対する批判だけではなく、死刑賛成論者も平伏せざるをえないそれ以上の有効手段を提示してからにしてください。それもなしに、死刑についての批判だけを展開するから「聞く耳を持つ価値のない戯言」と言っているのです。
それこそ、そっくり言葉を返させていただきますが、そういう案もなく単に死刑反対を唱えているだけでは死刑反対論者にとって「百害あって一利もなし」でしょう。
私は自分が廃止論であるなどと言ったつもりは微塵もありません。それどころか存置論が優勢だとさえ言っています。
ちょっと批判されると、廃止論のレッテルを貼って文句を返すというのは、感情でしか物事を考えてないと言っているようなものです。
死刑制度は人の生命の意義さえ問われる制度ですから、絶えずその意義が認め続けられなければなりません。
そして、将来に向かって犯罪をなくすと言う意味での被害者救済のために、死刑は有効な制度ではない(死刑外の刑罰で代えられる)と言うのは幾多の死刑廃止論者が主張し、存置論者と言えどそれを認める人たちもいるのですよ。現にヨーロッパから死刑はほぼ消滅しました。
殺された個々人の救済と見るにせよ、将来の被害者を生まないにせよ問題は小さくないのです。
いくら日本に死刑が健在で、自分も賛成だからと言って、廃止論の力を侮るのは危険です。まして、廃止論を正解せず貶すのは、廃止論に死刑存置論は感情任せという攻撃材料を与えるのがオチです。
はさみ様
>私は自分が廃止論であるなどと言ったつもりは微塵もありません。それどころか存置論が優勢だとさえ言っています。
客観的に評価をされていただけでしたか。はやとちりで失礼しました。批判されるのであれば、できましたらご自身はどう思われるのかをまず示していただけるとありがたいのですが。
>それどころか存置論が優勢だとさえ言っています。
存置論が優勢というのは、学者の世界ではいざ知らず、内閣府の世論調査では回を重ねるごとに廃止論が減っていっていますので、国民全体で見ると、存置論者でも、廃止論者でもそれほど評価は変わらないと思いますが。
http://www8.cao.go.jp/survey/h16/h16-houseido/index.html
>将来に向かって犯罪をなくすと言う意味での被害者救済のために、死刑は有効な制度ではない(死刑外の刑罰で代えられる)と言うのは幾多の死刑廃止論者が主張
死刑廃止論者の主張は、概ね
・死刑に抑止力は無い
・特別予防なら終身刑でもよい
・人の命は尊いもので犯罪者も被害者も同じ。処罰感情で死刑をするのは誤っている。
であると思います。
そして死刑に抑止力のないことについては、「いっちゃってる人は死刑のことなど考えない」、「死刑廃止国で凶悪犯が増えていない」、「アメリカの某氏の調査結果でそう出た」などなどであったかと思います。
それについて、私は「いっちゃってる人は何をしても防げない」「死刑廃止国の廃止前後では時代的、社会的背景などがそもそも違い、一様には評価できない」「抑止力の効果があったかどうかは調査の仕様が無い。犯罪者として出てくるのは基本的に効かなかった人たちだけだから」と考えています。
私も抑止力が万能であるとは思っていません。いっちゃった人や暴走し効かない人もいるでしょう。しかし、私は、自分は死刑になりたくない、死刑は怖いと純粋に感じています。廃止論者の方が死刑の残酷性を主張すればするほど。私はそれこそが抑止力であり、ブレーキであると考えています。ですから、死刑に抑止力が無いという説には懐疑的なのです。これは廃止論の方々とは肌感覚で違うものであり、人の内心の問題なので証明しようがないことですが。
特別予防なら終身刑でもよいということについては、私は終身刑については威嚇効果は、命は保証されるということで死刑ほどは無いと思います。冷静に考えると、一生塀の中で閉じ込められて、外に出ることも家族を抱きしめることも出来ません。考えようによっては死刑と変わらないくらいの残酷性を有しているとも思えますが。
また、仮釈放のある無期刑と異なり、死刑を廃止すると終身刑より上はありませんので、塀の中で何をしてもそれ以上咎める手段がないということになります。労働も気分次第、看守や他の受刑囚に暴力を振るったり殺したりしても罰は事実上できません。何せ犯罪者の人権を主張して廃止するのですから、ここで受刑囚に非人道的な扱いをしては本末転倒です。結局アンタッチャブルな受刑囚がどんどん増えるということになります。終身刑を導入することを主張する人はこれをどうクリアされるのでしょうか。終身刑導入国で大丈夫だから、きっと日本でも大丈夫だろうといわれるのかもしれませんが、甘いファンタジーのようにも思えます。
「人の命は平等」論については、凶悪な殺人鬼の命も何の罪もない被害者の命も平等に大切と考えるかどうかは、それこそ人の価値観の問題です。他人にとやかく言われる筋合いはありませんし、私も言うつもりもありません。
てなことで、人の価値感の問題等もありますし、私個人の感覚に根ざした部分もありますので、廃止論者を説得できる自信はありませんし、廃止論者から説得されることも無いと思います。ですから堂々巡りになるだけなので止めておくと申し上げました。感情論という批判は甘んじて受けますが、それこそ被害者・被害者予備軍・死刑囚それぞれの生死に関わる問題を感情抜きで理性だけで整理できるかどうかについては私は懐疑的です。そもそもヨーロッパの死刑廃止については、そうした理論的な問題だけでなく、キリスト教の「神の創りたもうた命」を国家の手で奪うことの是非という宗教観が入っているような気がしています。別に統計を取ったわけではありませんが。
長々と失礼しました。
自己レスですが
>特別予防なら終身刑でもよいということについては、
のあとに、「おっしゃるとおりです。」が消えてしまってました。すみません。
私自身は、態度を決めかねているといったほうがいいでしょう。
ただ、現状においては存置をする事が特にいけない、とは言いにくく、そういう意味では存置論でしょうか。存置だから、廃止だからいけないと考える事はありません。
死刑に感情を組み込むな、とは言いませんが、感情ですべて片付けている、あるいは全てが感情で捻じ曲がっているとしか思えない、筋がまるで通らない、批判に応えていない考え方が散見されます。しかも、なぜかそういう人たちの方が攻撃的で、すぐに廃止論者とかを貶します。
もちろん、廃止論にもそういう人はいます。ただ、絶対数のせいかもしれませんがネット上で目立つのは、存置論の側のそういった姿です。
そういう姿を見ていると、とてもがっかりさせられます。存置・廃止以前の問題があるとしか思えません。
じじいさんのそれは一応の考え方ですし、感情の組み込み方も一聴に値すると思います。最後は感覚が出てきている、それを認めるだけでも状況は変わってくるはずです。
なお、終身刑に代わって「重無期」、仮釈放はあるが極めて難しい無期懲役刑が代替刑として提唱されている事、また塀の中でも懲罰制度は機能していること、死刑廃止に当たってその辺りも見直す可能性はありうることを追加しておきます。
もちろん、終身刑ですらないのでは軽すぎでは…というのも一つの考え方です。
はさみ様ありがとうございます。
>なお、終身刑に代わって「重無期」、仮釈放はあるが極めて難しい無期懲役刑が代替刑として提唱されている事、
別のエントリーでも出ておりましたが、現在の無期刑は、2〜30年程度で仮釈放のつく人、30年以上仮釈放がつかず、事実上の終身刑のようになっている人など、罪の内容によるようですが、様々だそうです。ですので、「重無期」なら現状から単に死刑を廃止するのと変わらないのかなと考えています。仮に松本死刑囚がそうなったとしたら、社会復帰の可能性がある分、犯した罪と比して軽すぎると思います。
ただ、重無期の場合はそれでも仮釈放の希望がありますので、塀の中の懲罰制度は機能するのではないかと思いますが、仮釈放なし恩赦なしの終身刑の場合、そういった希望の類は一切ありませんし、身体的懲罰(強制拘束、食事停止等々)は前にも申しましたが犯罪者の人権を主張するなら容認することは本末転倒であろうかと思います。可能な懲罰はせいぜい娯楽の停止くらいでしょうか。(これは受刑囚にとって結構ダメージが大きいかもしれませんが。)
>私は自分が廃止論であるなどと言ったつもりは微塵もありません。それどころか存置論が優勢だとさえ言っています。
それは失礼しました。先の回答を見る限り、死刑廃止論者の方と思っていました。私が憤りを感じたのは、反対なら反対で良いのですが、私なりの考えを述べているのに対し、それについては何も回答なく批判を受けたためです。No20で「筋がまるで通らない。。。」とありますが、No13の回答を見て私がはさみ様に最初に感じたことです。批判をするからには、それなりの根拠を知りたいし、知識,見識が足りないのなら指摘して欲しいのです。※後のはさみ様の記述でわかったので良いです。
やりとりを複数回している場合は別かもしれませんが、ネット上での記述は基本的にそれがすべてです。話とは違って表情もジェスチャーもありませんので伝えるのはなかなかに難しいです。私自身よく嫁さんに叱られます。
さて、話は戻りますが、はさみ様,じじい様のコメントを拝見してあらためて思いました。ヨーロッパとは異なり、日本では道徳観が小さいのは否定できないかもしれません。やはり宗教的に「人を愛せよ」という教えを、無垢な幼少時代から自然に受けているのは大きいと思います。そういう意味でも現状では死刑がBetterかと。ただ、付け加えさせていただきたいのは現行の死刑制度についての疑問はあります。「密室で行われている。」という点です。これについては犯罪者の人権もあるでしょうから一石をとうじてしまうかもしれませんが、個人的にはアメリカや過去の日本のような「公開処刑」が良いと考えています。昔に比べて安易と思える殺人が多くなったように感じるのは気のせいでしょうか。いずれにせよ、人間には欲がある以上、犯罪がない世の中になるのは難しいかもしれません。でも、せめて取り返しのつかない殺人だけは無い世になって欲しいものです。
>個人的にはアメリカや過去の日本のような「公開処刑」が良いと考えています。
アメリカは処刑施設などは公開していても処刑を行っている現場を公開しているわけではないと思いますが。
近世以前のような張付獄門をして晒し首にでもすることをご希望ですかw
日本もタリバンみたいに世界の国々から相手にされなくなりますね。
たしかにそうですね。「グリーンマイル」をイメージしていました。あれは、あくまで映画の世界の話ですねm(__)m
>アメリカは処刑施設などは公開していても処刑を行っている現場を公開しているわけではないと思いますが。
連邦ビル爆破事件犯のときも遺族関係者とマスコミ限定でしたし、公開処刑とはいわないかもしれませんね。
>日本もタリバンみたいに世界の国々から相手にされなくなりますね。
どこかの国みたいに、核実験をすれば途端に相手にされることもありますけどね。反則ですけど。
実現性に極めて乏しい主張や、イスラム世界以外で採用されていない死刑の方法を主張するのはほどほどにしないと、存置論のためにならないでしょう。
日本では残虐な刑罰は絶対の憲法違反です。
はさみ様
死刑の公開という、恐怖による統治を目指すような実現性の乏しい話はともかくとして
>イスラム世界以外で採用されていない死刑の方法
>残虐な刑罰
に関する「主張」とは何を指されているのでしょうか?
kenji47様が、死刑賛成者突っ込みの部分で例示で磔獄門とか晒し首の話を上げておられますが、別にそれを主張されているわけではないですし、私も死刑の方法については触れていません。死刑賛成者様も死刑自体の方法については触れていないと思うのですが。
>死刑賛成者突っ込みの部分
「死刑賛成者様への突っ込みの部分」です。大変失礼しました。
さらに自己レスですが、
死刑賛成者様のコメント中、「過去の日本のような」の部分を読み飛ばしておりました。確かに「過去の日本」の公開処刑といえば、kenji47様の言われるような引き回しの上での磔・獄門ですね。これはさすがにダメですな。
はさみ様、おおぼけをかましまして大変失礼しました。
kenji47様,はさみ様,じじい様大変失礼しました。「晒し首」等の残忍な方法ではありません。当方の表現が非常に乏しかったです。良い表現が浮かびませんが、現在のすべてが密室のようになっているのはどうか。と思ったのです。「開かれた」ということなのですが、どこまで?どういうふうに?。というような質問が来そうですが、それは自分の中でも浮かびません。
数年したら裁判員制度になります。これが実施されたら、法律や犯罪に対する意識が向上するかもしれませんが、客観的な判断がされなくなる可能性が高いという不安もあります。それと、検察,弁護士は素人を説得しないといけないから、最初のうちは大変になるでしょうね。
<広島女性殺害>仮釈放中に強盗殺人、西山被告の死刑確定
仮釈放を決定した責任は問われないものなのでしょうか。理想論はわかりますが、結果的には犠牲者を増やしてしまっただけでした。
<自殺サイト殺人>元派遣会社員に死刑判決 大阪地裁
弁護側は「抑止不可能な異常な性癖のためで、刑事責任能力を欠いていた・・・」などと訴え、死刑の回避を求めていた。
もし無期懲役→仮釈放されようものなら、「抑止不可能な異常性癖」のため、ほぼ間違いなく再犯は起こると弁護側も推測できているでしょう。でも、死刑回避=無期懲役?を求めた。これは極めて不可解でした。よっぽど被告の方が、社会のことを考えてくれているように思いました。
死刑と無期懲役との間にある刑の差は非常に大きいように感じます。そもそも無期懲役に仮釈放があるというのはいったい何故なのでしょうか。
わたしは死刑に反対する者ですが、その理由の1つはやはり死刑が残酷な刑罰であると思うからです。自分が刑を執行する立場だったらどうか、その場を正視することができるかどうかなど、自問してみるだけでも、おそろしくなります。そして、自分にそんなことができない以上、他の人(執行人)にそれをやらせるということにも反対なのです。
いかなる理由があろうとも、人間に人間を殺す権利はないと思います(正当防衛とかそんな話は受刑者にはあてはまりまらない。安楽死や妊娠中絶の問題はとりあえずここでは除外)。だからそれに対して刑罰があるのでしょ?また、冤罪の可能性があるということも死刑に反対する大きな理由の1つです。
さらに、国家権力にそうした権利を与えてしまうことはわれわれ市民にとって危惧すべきことであると考えます。法務大臣のサイン一つで、人が殺される、死ぬ、のですよ。
さいごに、こうした議論でよく被害者やその家族のこと、あるいは自分が被害者の家族だったらと思うと... ということが言われますが、それはちょっと話がちがうんじゃないでしょうか。わたしたちは、もっと被害者家族のケアと救済に力をいれるべきなのであって、やった相手を消せばいいとかそういう単純な話ではないと思います。じっさい、被害者家族から死刑は反対の声がでることもしばしばあります(最近の例では、911テロ事件の被害者家族がテロの首謀者の死刑に反対を表明)。
もちろん、わたしも犯罪を恐怖したり、憎む気持ちがないわけではありませんが、
死刑という抑止力があるかないかわからないものに頼るよりは、仮釈放のない終身刑にしたほうがいいのではないかと思います。たぶん(あんまり根拠なし)、重大犯罪を実行にうつす段階というのはすでに正気を失った「ブチ切れ」た状態だと思うので、そういうときに実行犯が死刑をおそれておもいとどまるというのは、ちょっと考えにくいです。そんな冷静さがあるなら、むしろ殺人など起こさないでしょう。
以上、思いつきで書いたのでおおざっぱですが、論旨は理解していただけると思います。
私は死刑制度容認の立場です。現在、日本には終身刑(保釈なし)がない以上死刑は必要でしょう。個人的には「特別予防」の効果が最大の存続理由です。西洋ではキリスト教の影響で死刑はほぼありませんが、そういったことを直ちに日本の話に結びつけるのは反対です。『100人殺しても俺は殺されない』は日本人には受け入れられない話です。誤審を理由に反対するのであれば誤審を防ぐ手だてを考えるべきでしょう。(例えば取り調べの録画とか死刑求刑には容疑者に自白剤を投与するとか)裁判って単純に考えれば誰がウソをついているか突き止めるgameとも考えることができると思っていますから(かなり乱暴な意見ですが)将来的には裁判所という社会資本と時間を節約するために自白剤の投与は有効な意見だと思います。(憲法改正が必要ですが)
【さらに、国家権力にそうした権利を与えてしまうことはわれわれ市民にとって危惧すべきことであると考えます。法務大臣のサイン一つで、人が殺される、死ぬ、のですよ。】
上記の意見は民主主義国家である日本について述べたのであれば大変違和感があります。国家権力は国民の支持の上に成り立っているわけで(少なくとも現在の日本は)国家に権力を委譲しなければ国は成立しませんよ。
>誤審を理由に反対するのであれば誤審を防ぐ手だてを考えるべきでしょう
もちろんそうですが、これをゼロに近づけるのは非常に困難ではないかと。
>日本には終身刑(保釈なし)がない以上死刑は必要でしょう
現状はそうはなっていないのだから...という論法でいけば、冤罪の可能性が否定できない以上、死刑はやってはいけないともいえると思います。
また、死刑廃止はキリスト教圏の話だから、日本は関係ないというのもよくわかりませんでした。たとえばフランスは、気の遠くなるような長い時間をかけて政教分離を達成した国で、これは日本より徹底していると思います。フランスはわりと最近に(80年代はじめ)死刑を廃止した国で、廃止に反対した人も多かったとききます。また、ネパールのようなヒンドゥー教国や、イスラム教徒の多いトルコも死刑廃止を実現していることからも、宗教がどうのこうという話はすこし説得力に欠ける気がします。
>『100人殺しても俺は殺されない』は日本人には受け入れられない話です。
わたしもこうした物言いは受け入れられません。だけれども、だからといって「こいつを殺せ!」というふうになるのが正しい判断なのでしょうか。こういう人を死刑にすることが、ほんとうに殺人を否定することになるのでしょうか。
>国家に権力を委譲しなければ国は成立しませんよ。
ご指摘のわたしの発言は、じつは、昨年末に執行された死刑のことを念頭に置いていました。これまで、何年か死刑が執行されないことが続きましたが、死刑囚の数がふえすぎたという理由で、死刑に賛同する現在の法務大臣がゴーサインをだしました。
国民主権という原則からすれば、死刑にゴーサインをだしたのはわれわれ自身であり、国家はそれを代行したにすぎないということになりますが、実際そうした実感のある国民はどれほどいるのでしょうか。そもそも、国家は一体どこから人を殺す権利を委譲されたのでしょうか。もし、われわれ国民からだとすると、もともとわれわれには人を殺す権利があるのだいうことになってしまいます。
日本は死刑賛成派が多いとされますが、裁判制度が導入されれば、そうした考えもすこしはかわるのではないかと思います。あるいは、これは下のリンク先に書いてあることですが、死刑執行人は死刑賛成派の国民から抽選で選ばれるとかにしたら、この数もけっこう簡単にひっくりかえるんじゃないかと思います。
参考リンク
http://homepage2.nifty.com/shihai/message/message_morisu.html
http://homepage2.nifty.com/shihai/
あと、死刑は日本文化の一部だからという類のはなしも、なんじゃそりゃと思います。
日本は嵯峨天皇のときに死刑を廃止して、それが300年以上続いた時期(818-1156)があるそうです。いやそんなむかしのことじゃなくて...という人もいるかもしれませんが、明治以降欧米のシステムをモデルとして議会制を導入したのが近代以降の日本(そもそも「国家」自体が近代の産物)なのですから、死刑は「日本の文化」になじまないからなんとかかんとかというのは、かなり強引な言い訳のように思います。いまの日本には、ほかにもっとまもるべき文化があるのでは。
ともさんさま
確かに、死刑執行は嫌なものです。
できるならやりたくないと言う気持ちもわかります。
だから、これは「人を殺す権利の行使」ではなく、「人を殺さねばならない罰」と考えることはできないでしょうか。
「死刑」という罰を受けねばならない程の犯罪を犯してしまう人間を生み出してしまった「社会」つまり我々が受けねばならない罰です。
ですから、安易に制度をなくすのではなく、そういう犯罪を生み出さない社会を作ることで結果的に死刑を無くしていくというのはどうですか?
「理想論」と笑われるかもしれませんが。
久しぶりのコメントです。
>もともとわれわれには人を殺す権利があるのだいうことになってしまいます。
人を殺す権利が無い、と誰が決めたの知りませんが?
それならば端的には、自己防衛も出来ないことに成ります。
人間が定めた、或る条件の下では殺人も正当で、司法手続きはその条件を満たす手順のはずです。
>残酷
これは個人の観念次第で、「死刑より終身刑がもっと残酷だ」との意見も正当です。
死刑は、被害拡大を食い止める手段として有効だと思います。
更に投下資源と成果も考慮すれば、終身刑が有ったとしても、それより安全かつコスト負担も少ない。
社会負担が増大せずに死刑より有効な罰則、それが可能とは思えません。
>死刑執行人は死刑賛成派の国民から抽選で選ばれるとかにしたら、この数もけっこう簡単にひっくりかえるんじゃないかと思います。
前から申し上げているように、私は死刑反対も死刑賛成も人それぞれであると思っているのですが、とも様のこのコメントはどうも腑に落ちません。
ある特定の思想を持つ人に、その思想ゆえに、特定の義務を課すことは憲法上妥当なこととお思いですか?
【また、死刑廃止はキリスト教圏の話だから、日本は関係ないというのもよくわかりませんでした。】
「我々は、すべての人は平等に作られ、造物主によって一定の奪い難い権利を付与され、その中には生命、自由、及び幸福の追求が、含まれていることを自明の真理であることを信じる」
上記はアメリカ独立宣言の一部ですがキリスト教徒は「人間というものは神様がちりから創造したもの」ということを本気で信じているのです。だらか創造主(神様)が作ったもの(命)を塵からできた人間が勝手に奪ってはいけないと思っています。ようするに基本的人権は神様がくれたものだから勝手に人間が奪ってはいけないという社会通念が存在するのです。だから死刑反対なのです。(中絶反対も根は同じです)ちなみにキリスト教国が他国の人権(中国や北朝鮮など)にうるさいのは、中国人たちも神様が塵から創造したものと思っているからです。(大意は井沢元彦氏の著作より引用)
日本人自身は自分たちが神様に作ってもらったという意識はないでしょう。そういう意味で欧米の死刑反対論は日本では意味をなさないといったのです。
さきに訂正させてください。
No 35. のさいごの段落
>日本は死刑賛成派が多いとされますが、裁判制度が導入されれば、
という箇所の「裁判制度」は「裁判員制度」のまちがいです。
すみませんでした。
べざとるさん
>そういう犯罪を生み出さない社会を作ること
もちろん賛成ですし、これに異論のあるひとは少ないと思います。
でも、ひどい犯罪がある限り、これには死刑をもって対処するのが「理想」といえるかどうか疑問が残ります。
20何人ものこどもを殺した宅間容疑者のように「死刑になりたくてやった」という者すらいるのですから、死刑が抑止力になるどころか犯罪を誘発している可能性も完全には否定できません。また、死刑制度をもっと広い視野で考えると、日本ではまれですが、海外では麻薬所持やいわゆる「姦通」で死刑になることもあります。ま、これはちょっといま置いといたほうがよいかもしれませんが。
MultiSync さん
水掛け論になるのはさけたいのですが、
>人を殺す権利が無い、と誰が決めたの知りませんが?
えーと、人を殺すことは他人の権利を問答無用なかたちで侵害するから、罰せられるわけですよね。基本的にだれにもそうした権利はないと考えるのが妥当だと思いますが、そうでないと考える理由はなんなのでしょうか。
「自己防衛」というのは殺人まで認められるのでしょうか。要は危険を遠ざけることが防衛の第一の目的ではないかと思うので。また、殺人を犯した人が、正当防衛で無罪になった事例というのはたくさんあるのでしょうか。法律で正当防衛について該当する条項はあるのかなどもふくめて、じぶんでも調べてみようと思います。
>人間が定めた、或る条件の下では殺人も正当で、司法手続きはその条件を満たす手順のはずです。
これは死刑そのもののことを言っているのでしょうか?それとも正当防衛のこと?ちょっと文脈からはわかりませんでした。もし、前者のことであるとしたら、すくなくも死刑制度については議論の余地があるという前提で話をしてるつもりだったのですけど、これは死刑は司法制度なんだからいいんだと理屈でしょうか。そうだとすると、話をしてもむだではないでしょうか。その制度そのものに問題があるかないか、というかたちでなら議論できると思うんですが。
>「死刑より終身刑がもっと残酷だ」との意見も正当です。
これは受刑者がどれほどの苦痛をうけるか、という観点から「だけ」なら、そうかもしれません。でも、死刑を執行する側、またそれを受け入れなければならないわれわれ国民の側からするとどうでしょうか。たとえば、こどもにそれを説明することのむずかしさなど。
>社会負担が増大せずに死刑より有効な罰則、それが可能とは思えません。
お金がもったいないから、やるのですか...
そもそも死刑因の収容にかかる費用というのはそんなに膨大で緊急の問題なのでしょうか。もちろんコストが発生するのはわかりますけど。
じじいさん
>ある特定の思想を持つ人に、その思想ゆえに、特定の義務を課すことは憲法上妥当なこととお思いですか?
思いません。死刑をよしとしながら、自分で手をくだすのはいやだというのはひきょうではないかということを言いたかっただけです。また、そのていどの考え、つまり、じゃああなたの思うとおりやってみなさいと言われて「え?そんな...」となるのなら、それは「思想」と呼ぶには値しないのではないかということです。
R.・Y・Uさん
丁寧なご説明ありがとうございました。
>そういう意味で欧米の死刑反対論は日本では意味をなさないといったのです。
ただ、そういう意味での死刑反対論を展開するひとは欧米や日本もふくめてそんなに多いですか?まあ、そういう考えが背景にあるという意味でおっしゃてるのかもしれませんが。アメリカはキリスト教徒と自認するひとが多いにもかかわらず、死刑に賛成の州がけっこうありますよね。ピューリタン的な思想が根っこのところにあるからでしょうか。
No.41 ともさん
どうもうまく伝わらなかったみたいですね。
「死刑をもって対処するのが「理想」」などとは言っていませんよ。
「犯罪を生み出さない社会を作ることでることで結果的に死刑を無くしていく」(有名無実化する)ことが理想なのです。
死刑で犯罪を抑止するという意味ではなく、(抽象的ですが)社会を成熟させることで犯罪を無くしていくと言うことです。一朝一夕で出来るものではありません。それこそ何世代にもわたって進めることです。現実的ではないかもしれない。
しかしだからといってパッと制度を変えてメデタシとすることに私は抵抗があります。
死刑囚を殺すのは執行官でも、法務大臣でも、「国家権力」でもありません。
私たち自身なのです。
私たちが死刑になる程の罪を犯した人を生み出してしまった責任として彼らを殺すのです。
「殺したくなくても殺さなくてはならない」これが私たちに科せられた罰です。
罰を受けたくなければ罪を回避しなくてはいけません。「犯罪者を生み出してしまう」という罪を。
>思いません。
承知でおっしゃっておられるのならば、これ以上何も申しません。
べざとるさん
意図を読みきれなくてもうしわけありません。
あなたの意見には、わたしも賛同できる部分があります。とくに、犯罪をうみださない成熟した社会をつくることをめざすといところ。また、ただ制度をいじくればよいという話ではないという部分も一応ある程度まで理解できるつもりです。
でも、
>私たちが死刑になる程の罪を犯した人を生み出してしまった責任
と
>彼らを殺す
というのがどうしてそんな簡単にむすびつくのかがわかりません。
その責任はそういうかたちでしかとれないものなのでしょうか。
そうした犯罪をうみだした社会を変革することに寄与したり、わたしたち自身がその要因に考えを深めるというかたちの責任のとりかたもあるはずです。べざるとさん自身がおっしゃるように成熟した社会にするためにも。
また、ふつうの感覚をもっているひとならば、非常に痛ましい事件が起きたという事実からだけでも、かなりの衝撃や苦痛をうけるはずです。これだけでもわれわれはすでに罰をうけているというふうには考えられないでしょうか。それだけでは不十分で、「殺したくなくても殺さなくてはならない」と考えるのはなぜなのでしょう。その犠牲にどんな意味があるのでしょうか。
>No.45 ともさん
私が現在死刑を甘受している理由は、ただ単に「今の日本の法律でそうなっているから」だけです。
仮に日本で死刑が認められていなかった場合、制度を変えてまで死刑を行うべきとも思っていません。
上記のコメントではさも簡単に変えられるようなニュアンスで書きましたが、実際に制度を変えるとなると莫大な労力を必要とします。
その労力を本質(と私が考えている)の社会成熟化による犯罪の根絶という方向に向けてほしいと思っているわけです。
何度も申し上げますとおり、死刑執行は私たちに課せられた「罰」です。
このような言い方は失礼かもしれませんが、制度を変えようとされている方は「罪」を回避する努力よりも、「罰」を軽くすることに尽力しているように私の目に映るのです。
(これはあくまでも私の主観であり、実際には「罪」を回避することにも努力されている方もおいでになると思われますが。)
それから「犯罪をうみだした社会を変革すること」や「わたしたち自身がその要因に考えを深める(犯罪を引き起こす要因を探求する)こと」は責任をとるためにやるのではなく、犯罪発生の有無にかかわらず行わねばならないことであり、痛ましい事件からの衝撃や苦痛は被害者苦痛の共有であり、これを「罰」とは決して呼んではいけないと思います。
私は死刑容認派です。
>いかなる理由があろうとも、人間に人間を殺す権利はないと思います(正当防衛とかそんな話は受刑者にはあてはまりまらない。安楽死や妊娠中絶の問題はとりあえずここでは除外)。
上の禁忌が維持されている社会であれば、それでいいと思います。
問題は、上を逸脱するケース、【「いかなる理由があろうとも、人間に人間を殺す権利はない」はずなのに、現実に他者を殺害した犯罪者が存在する場合】、です。
上でもお書きになっておられますが、「いかなる理由があろうとも」とありますが、正当防衛・緊急時・安楽死・妊娠中絶・(戦争)など、ある意味での「殺人」が罪に問われないケースはありえます。
上の禁忌を逸脱したケースに関しては、「死刑」という禁忌を逸脱した罰を用意しておいていいのではないか、と私は思います。その「死刑」に値する罪が社会で発生してなければ、罰は規定されていても適用されないだけですから。
実際には、地下鉄サリン事件のような多数の人間の命が奪われる事件が存在します。
そうしたケースにおいては、感情論ですが、私は「死刑」もやむなしと思います。
「死刑」もやむなし、というケースがある以上、罰は規定されている必要があるのでは、と。
>ともさん
揚げ足取りで申し訳ありませんが
>いかなる理由があろうとも、人間に人間を殺す権利はないと思います(正当防衛とかそんな話は受刑者にはあてはまりまらない。安楽死や妊娠中絶の問題はとりあえずここでは除外)。
論理的には、矛盾しています。
「いかなる理由があろうとも、」というのは、いかなる除外例(例外)も認めないことを意味するのではないでしょうか。
死刑には明らかに抑止力がありますよ。
死刑に処せられた人間の再犯は確実に防止できます。
終身刑では死ぬまで独房に入れておかない限り、囚人どうしでの殺人の可能性を排除できません。
>死刑をよしとしながら、自分で手をくだすのはいやだというのはひきょうではないかということを言いたかっただけです。
裁判員制度がスタートすれば、少なくても国民自身で判断は下すことになります。揚げ足取りですが、ともさん様は自分で執行するのがイヤなので死刑反対だということですよね。私は、恐いけど未来の被害者が無くなっていくのであれば喜んで手を下す意思はあります。過去の先人達が死刑執行を築いてきたおかげもあって、再犯の魔の手にかからずにまだ私は生きていると考えています。タブーを1度超えた人間は恐いものです。もし、その死刑囚達が生きていたら、私は殺されていたかもしれません。ともさん様自身もその先人達のおかげで守られてきていることをお忘れなく。
それと、先日のについてどう思いますか?死刑反対ですか?それともこの場合は死刑OKですか?
ご存知とは思いますが前上死刑囚は、「人の苦しむ姿を見て興奮するという性癖を持っており、過去にも男性の学友の首を絞めたり、いじめに復讐するために加害者に当たる同僚の首を絞めて負傷させたり(執行猶予付き有罪)、通りがかりの人などにいきなり襲いかかり口を塞いだ(執行猶予付き有罪→懲役10ヶ月)として逮捕されたという前科が3度、首絞め強盗など同様の行為を初犯から今回の殺人事件で逮捕されるまで50件以上行っていた。」
本人自身もこの異常な性癖を理解しており、「更生は無理。未来のためにも死刑にしてくれ」と訴えていましたよね。本人の言うとおり、残念ながら死刑にしない限り再犯はほぼ確実に発生するでしょう。無論絶対ではありませんが。新たな犠牲者が出ることがわかっていても、それでもこの弁護士と同じように「無期懲役」を主張するのならば、「未来の犯罪共謀者」と同じだと思います。それこそ、自分自身が標的にならないことを前提にしているのではないでしょうか?もしそうだとしたら愚劣な考え方ですよね。
将来の、不確定すぎる犯罪を「共謀」なんて、例え口を滑らせたにせよほどほどにすべきです。結果的に更なる犯罪が起こるかもしれないな、それでも人権擁護などの見地から求められる行動は世の中にいくらでもあります。現行犯でない逮捕にわざわざ逮捕状が必要だったりとか、必ず弁護人がついて、「被告人のために」罪を軽くするように弁論するとか。
そういう危険のある行動にせよ、リスクその他に着目してやめようという見解を、犯罪の共謀などと罵るのは、死刑存置論でもまともな人にとっては到底受け入れられない行為です。死刑廃止論者が適正な手続にのっとって、命令に基づいてやっている死刑執行人を人殺しと罵るのと同レベルの行為でしょう。
それこそ愚劣極まりない考え方です。
職責として被告人が死刑を求めていたとしても減刑を求めなければならない弁護人に対する態度といい、死刑賛成者さんはやはり基本的な法制度の姿に対する理解が不十分です。
そんなことでは死刑存置論の足を引っ張る以外のことは何一つできないでしょう。
べざとるさん
わたしは、問題のある可能性のある制度については議論して必要なら修正すべきだと思いますので、あまり議論がかみあわないかもしれません。
>死刑執行は私たちに課せられた「罰」です。
ちょっと話がずれますが、かりに犯罪が発生する背景に社会問題がかかわっており、その責任の一端を社会の構成員であるわれわれが負わされるとして、死刑を宣告されるのは犯罪のごく一部です。その他の犯罪については、わたしたちはどのような「罰」をうけるのでしょうか。
いずれにせよ、べざるとさんの考えるように、ほんとうに社会の側に問題の一端があるのなら、なおさら死刑囚を死なせてはならないと思うのですが、ちがいますか?つまり、死刑囚の行為にはそれだけ情状酌量の余地があるということになりますから。
北風さん
地下鉄サリン事件の裁判では、被告の行為が結局(さいわいにも)だれの死も引き起こさなかったにもかかわらず、死刑となったケースがあったはずです。つまり、北風さんのことばでいえば、被告自身に「禁忌」をやぶった痕跡はないのです。
「いかなる理由があろうとも、人間に人間を殺す権利はない」とわたしがいったのは、単純にかんがえて、殺人を罰するものが殺人を犯してはいけないだろうとの思いからです。
死刑の議論で感情論になるのはしかたのないことだと思います。むしろ、さいしょはみんなそこから出発するのではないでしょうか。
モトケンさん
>「いかなる理由があろうとも、」というのは、いかなる除外例(例外)も認めないことを意味するのではないでしょうか。
そうですね。ただ、そう書いたのは、制度化された刑罰である死刑と、安楽死や妊娠中絶を同列に論じていいかすぐに結論は出ないと思ったからです。つまり、首にわっかをはめて穴に突き落とす行為が殺人であるのは疑いないように思えるが、延命をあきらめるという医療行為などを殺人とするのはどうなんだろうという意味です。
No.52 とも さん
>地下鉄サリン事件の裁判では、被告の行為が結局(さいわいにも)だれの死も引き起こさなかったにもかかわらず、死刑となったケースがあったはずです。つまり、北風さんのことばでいえば、被告自身に「禁忌」をやぶった痕跡はないのです。
何かやや論点がずれているような気もしますが。
元の私の文ですが、下の通りです。
>実際には、地下鉄サリン事件のような多数の人間の命が奪われる事件が存在します。
確かに、地下鉄サリン事件−wikipedia にありますが、丸ノ内線(池袋発)
(池袋発丸ノ内線は横山真人と外崎清隆が担当した)では、死者はでていません。
(横山被告には死刑(外崎被告には無期懲役)が宣告されています。)
ですが、地下鉄サリン事件そのものにおいては死者は発生しております。
その犯人がサリンを散布した路線で死者が発生している=【被告自身に「禁忌」をやぶった痕跡がある】事態は生じております。
その場合=「禁忌を破った場合」においても、とも さんは犯人は死刑に処せられるべきではないとお考えなのですね。
>「いかなる理由があろうとも、人間に人間を殺す権利はない」とわたしがいったのは、単純にかんがえて、殺人を罰するものが殺人を犯してはいけないだろうとの思いからです。
私も単純に、「いかなる理由があろうとも、人間に人間を殺す権利はない」という禁忌を犯した者を、なぜ禁忌を犯した者が守らなかったルールによって守る必要があるのか、との思いがあります。
そのルールによって守られるべき被害者は既に殺されています。
もちろん、禁忌を犯したから即死刑ではないです。情状酌量の余地があれば死刑にする必要はないでしょう。
「そうした酌量などを考慮しても、なお「死刑」に値する犯罪」というものがあるとみるかないとみるのか。あると思うなら、死刑は必要でしょうし、無いと思うなら、不要なのでしょう。
ともさん
間の空いてごめんなさい、その間にともさんの感覚が概ね解りましたが。
「殺人を否定しながら、それを罰するのに死刑(殺人)をする」ことがしっくりこないのでしょうねえ。
殺人が権利侵害の最たる例な事は、ほとんどの方が同意されるでしょう。だから最もも重い罪ですが、罪に問えない例も有ります。
良く引き合いに出そうなのが「崖で転落寸前の二人がロープにぶら下がり、そのロープが次第に切れつつある」といったシチュエーションです。
一人が犠牲にならないと二人とも助からない、その二人が何らかの取り決めを行い、一人が犠牲になった場合。
死んだ一人を殺人教唆か自殺で、残った一人を殺人で罰する、これは出来ないのが今の刑法で、私は感覚にも合うと思います。
また、戦争は合法的な殺人です。
それが同義的に許されないとの議論とは別に、その場面に放り込まれた当事者は殺しあうしか無い。
と言う具合に、殺人が許されないのは法で収められる範囲での話で、法が許さないから殺人は罰せられる。
>お金がもったいないから、やるのですか...
見方によっては殺すのも口惜しい者を「コストを掛けてまで養いたくない人」もいるのでしょうが、それは様々で、費用が膨大で緊急〜では有りません。
法や司法制度は社会秩序を維持し運営コスト(金や手間以外に犯罪で生じるより大きな問題を含みます)を維持可能な範囲に低く収める為に存在し、個々に違いが有る思いを遂げさせる為ではない、と思います。
刑事罰も人対人の調整手段、死刑も有効な手段の一つで、捨て難いものです。
死刑賛成者さん
>ともさん様は自分で執行するのがイヤなので死刑反対だということですよね。
イヤもなにも、そんなことじぶんにはできないです。どんな理屈をもってきたところで、なにかよくないことをしているという気持ちがさいごまで残るのではないでしょうか。こんなどうしようもないやつは殺すしかない!という判断は、熟慮の上か短絡的な衝動によるものかというちがいはあるかもしれないけど、ある意味犯罪者の心理と似通っているように思えるので、それを積極的に擁護する気にはなれないのです。
>もし、その死刑囚達が生きていたら、私は殺されていたかもしれません。
可能性のことをいうのであれば、冤罪の可能性についても考えなければいけないでしょう。極端な話、自白を強要されて死刑の宣告をうける可能性は、この国に住んでいる限り常にあるわけで、あなたやわたしもその例外ではありません。
ご紹介の事件についてはあまりよく知りませんでした。
でも、はさみさんもおっしゃっているように、この件で弁護士を共謀者よばわりするのは、ちょっとどうかと思います。
>結果的に更なる犯罪が起こるかもしれないな、それでも人権擁護などの見地から求められる行動は世の中にいくらでもあります。
殺人以外ならそれで良いと思います。でも、ここでの話は殺人です。法制度について良くご存知のはさみさんが、より無知である私に対して批判的なのは良くわかっています。皆さんの見解を「なるほど」と感心すること度々です。理解不十分である証拠ですよね。あくまで、今を生きている一市民としての率直な意見です。単に、殺人という卑劣な犯罪が無くなっていけば良いと思っており、現状では、その最良な方法が「死刑」と考えているだけです。ちなみに、弁護人は検察とは別の被告人の見地から真実を追求し、その結果としての「減刑」と理解しています。「減刑を求めるのが職責」というのとは違うと思いますが。真実を追究しようとせず「減刑」だけを求める弁護人ならば不用と考えています。
弁護士:(弁護人・被告人の観点から)適切な量刑が得られるように、検察官と争う。
ともさん様
>「殺人を罰するものが殺人を犯してはいけないだろう」
先のはさみさんの言葉をかりれば、「死刑廃止論者が適正な手続にのっとって、命令に基づいてやっている死刑執行人を人殺しと罵るのと同レベルの行為」ではないですか?「人を殺める」という意味では結果として同じかもしれませんが、いわゆる「殺人」は、憎しみ,快楽,欲望等々の身勝手からのものであり、罪を罰するというのとは異なると考えています。ともさん様自身が殺人から除外している安楽死や妊娠中絶と同じ部類と言えると思います。