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Matimulog の町村先生が、公判前整理手続の施行に関連して

もはや「起訴状一本主義」というのは死語になったのだろうか?

と書いておられまして、それに対して私が

>起訴状一本主義 もともとどれほどの意味があったのか、正直言ってわかりません。

とコメントしたところ、町村先生から

予審判事が捜査段階から関与する糾問主義に対して、判断者たる裁判所が公判前には一切関与せず予断も排除するという弾劾主義の特徴的な原則が、起訴状一本主義だったわけですが。 この意味では現行刑訴法の背骨の一つでもあったのでしょう。

とお返事をいただきました。

 たしかに弾劾主義ないし当事者主義の手続的象徴としての起訴状一本主義は理念的には現行刑訴法の背骨の一つであったと思うのですが、起訴状一本主義が公平中立な裁判所を演出するだけにとどまらず、実質的な意味において予断つまり先入観念を排除した適正な事実認定にどれだけの意味があるのかと言えば、どうもあまり意味がないというのが実感なのです。

 起訴状一本主義の狙いとするところ予断排除にあります。 

 刑事裁判は検察官の起訴から始まり、第1回公判における冒頭手続の後、直ちに証拠調べに入り検察官による冒頭陳述が行われます。
 そして冒頭陳述においては、起訴状に記載すれば起訴状一本主義(刑訴法256条6項)違反になるような記載も許されるわけです。
 もちろん冒頭陳述においても予断排除原則が無視されるわけではありませんが、相当程度緩和されます。

 これは、日本の刑事裁判では訴因(犯罪事実)認定手続と情状事実(量刑の基礎事実)の認定手続が分離されていないことから、犯罪事実も情状事実も一括して冒頭陳述で述べられるということが大きな理由であると思うのですが、その意味では、予断排除原則は最初からかなり骨抜きであったように思われます。

 厳格な予断排除原則(起訴状一本主義)は、検察官の公訴提起から冒頭陳述までの間でしか機能せず、公訴提起から第1回公判までは何も審理が行われないわけですから、実質的には起訴状一本主義は第1回公判において冒頭手続がなされるわずかな時間しか意味を持たないとも考えられます。

 ところで公判前整理手続は、簡単に言うと第1回公判前に冒頭陳述と証拠採否を前倒しして行おうというものと言えますが、その意味では起訴状一本主義が機能するわずかな時間すら奪うものであって、町村先生の「『起訴状一本主義』というのは死語になったのだろうか?」という言葉はよく理解できるところであります。

 しかし、起訴状一本主義は公判前整理手続の前までは機能するとも言えるのであり、公判前整理手続が行われるからと言って起訴状に違法な余事記載をしてもいいということんはなりませんし、公判前整理手続には弁護人の選任が前提とされますので、当事者主義は確保されていると考えられます。

 語弊のある言い方かもしれませんが、形式的な起訴状一本主義はその役割を終えたと言ってもいいのかもしれません。

 公判前整理手続が裁判員制度実施の前提たる意味があるとしますと、今問題にすべきは裁判員を念頭においた実質的意味における予断排除をいかにして確保するかであると考えています。

 この記事の最後にぶっちゃけた話をすれば、数多くの冒頭陳述をしてきた元検察官から言っても、その後バッジを変えて冒頭陳述を聞かされる弁護人の立場からみても、冒頭陳述というのは具体的な立証に先立って裁判官に予断を与えようとしてなされるもののように思われます。
 相手が職業裁判官ですから弁護士も今まではそれほど細かいことは言わなかったのかも知れませんが、相手が素人の裁判員である、ということを前提にすると、冒頭陳述及びその前身にあたる証明予定事実を記載した書面(刑訴法316条の13第1項)の内容について予断排除原則をかなり厳格に適用すべきではないかと思います。

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コメント(4)

実務家は,理論よりも先に,その制度によって刑事裁判が今後どのように変わるのかを直感的に嗅ぎつけるという習癖があります。

モトケンさんは,11月1日,「ある覚せい剤事件の公判」と題して,不提出記録の中にあった,尿提出時のVサイン写真を情状証人たる父親に突きつけたと書かれていました。
また,モトケンさんは,ウラのウラのウラの証拠という表現をされていたかと思います。

私も,10月31日,「公判前整理手続」と題して,被害者PSや被疑者PSは上澄みであり,上澄みを支える膨大なKSが存在することを書きました。


膨大な不提出記録に支えられて,法廷提出記録があることは,共通認識だと考えて宜しいのでしょうか。
というよりも,これまでの刑事裁判は,このような,膨大な不提出記録に支えられてきました。


公判前整理手続となると,このウラのウラのウラの証拠まで開示を迫られます。
実際に,私自身開示を迫られた経験があるし,弁護士となった今日,ウラのウラのウラまで明らかにしろと迫る気持ちも分かります。
だが,そうなると,たとえばヤクザの抗争事件で,末端組員の調書まで採れなくなる。妥協の産物としてのKSの存在を否定する立場であれば,何らの弊害ではないのでしょうが,私は,そうは考えない。末端組員のKSは,捜査の端緒位の位置づけであり,証明力など期待していないが,しかしながら,このKSが存在するが故に捜索差押令状が取れ,逮捕状が取れる。これを汚いやり口だと批判する立場がおられることは,十分に承知しているが,犯罪捜査は,汚いものです。
ヤクザを退治するためなら,それが適法な手続である限り,どのような手法でも使う。末端組員のKSは,法廷に出ることはないが,お札を取るために有効かつ適法である限り,使う。
公判前整理手続で,証拠開示の範囲が広がりすぎると,このような汚い捜査手法は取れなくなるでしょう。どのような証拠も全て開示すべきだというのが,良識ある学者先生や人権派弁護士先生のお立場でしょうが,私は,そうは考えない。
犯罪は,汚いものであり,捜査は汚いものと戦う手段である限り,適法性さえ確保されれば,不提出とせざるを得ないKSがあって良いと,私は,考える。

もうひとつ,私は,10月20日,「スジ読み」と題する駄文をしたためました。
公判検事は,検事1年生から検事10数年生まで,様々です。
公判部副部長,公判部長も,法廷の現場までは解らない。
若い検事は,とんでもないアホをやらかします。
スジ読みを間違った起訴や公判活動であっても,検事10数年生であれば,スジを立て直すことが出来ます。
だが,公判前整理で,民事の争点整理のような主張制限がされるようになったら,このような,事件のスジの立て直しも難しくなるだろうなという素朴な疑問を感じます。

軽やかな生き方のため,薩摩浪人という重々しい名前を捨てたy_okamura

> 冒頭陳述をいうのは具体的な立証に先立って裁判官に予断を与えようとしてなされるもののように思われます。

はっきり言って、この見方に異を唱える実務家はまずいないのではないでしょうか。

「以下の証拠からPが思い描いたストーリーはこんな感じでーす。
できればJ様もこういう文脈で甲号証・乙号証を読んでいただきたくぅ」

というものだと私も理解してます。

あらかじめ前提が与えられ、一定のバイアスを掛けられた状態で、多義的に解釈可能なモノを見せられると、そのバイアスに縛られた解釈しか選べなくなる、
という傾向は、人間の一般的な心理だと思います。
こういう所与のバイアスから逃れるには、一定の訓練が必要であることも、また経験則の教える周知の事実だろうと思います。

こういうバイアスによる人間の思考パターンの裏をかくのは、クイズでは典型ですよね。最近では「IQサプリ」とか。

クイズ慣れしていない一般視聴者に「引っかけクイズ」を出題したら、いつも好成績を出しているタレント回答者と比べてどういう結果になるか。

予断(=バイアスによる思考の歪曲)排除の徹底がどこまでできるのか。
裁判員制度が抱える重大な問題点のひとつだと思っています。

y_okamura先生、コメントありがとうございます。
最初に訂正(^^;
私が書いたのは
>>裏づけの裏づけのさらにその裏づけの証拠
であり、つまり表の証拠です。
しかし、
先生のいう「ウラのウラのウラの証拠」ということの意味はよくわかります。
証拠開示の問題は微妙な問題を含みますので、あらためて書こうと思います。
「スジ読み」読みました。
これなくして一人前の検事とは言えない能力なんですが、最初から求めるのは無理ですね。
「被害者善人論」というのは若い検事の特徴というと言い過ぎですが、その傾向は感じています。

fuka_fuka さん
強力な賛同をいただきありがとうございます。
今回の刑訴法改正は裁判官の訴訟指揮権を強化したと見ることもできますので、まず裁判官の意識変革が重要だと思います。
同時に当事者特に弁護人の適切な対応が求められますが、単に刑事裁判経験が多いというだけでは十分な対応はできないかもしれません。

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