エントリ

逮捕青年と家族らの葛藤描いた映画『スティーヴィー』(東京新聞)

 読んでいただきたい記事です。

犯罪者となった青年と家族たちの葛藤(かっとう)を描いた米国のドキュメンタリー映画が東京都内で劇場公開され、静かな波紋を広げている。主人公の名をタイトルにとった「スティーヴィー」。婚外子として虐待され、貧困、差別、家族崩壊の中で数々の犯罪に手を染めていく主人公を見つめながら、スティーブ・ジェイムス監督(50)は問いかける。「彼は社会から疎外されるべき怪物なのか?」。映画は児童福祉や犯罪者更生のあり方にも一石を投じている。

 とくに

ジェイムス監督は「スティーヴィーを社会の怪物としてではなく、一人の人間として見てほしいのです」と言う。「彼には皆を笑わせ、一緒にいることが楽しいと心の底から思わせる瞬間がある。親しい人には一途(いちず)なほどの忠誠心も示す。映画は彼を弁護するために作ったのではないが、恐ろしく難題が多く、苦悩を抱えた人間、時として生涯を通じて犠牲者になってしまう人間への、理解をもたらすきっかけになることを祈っています」と語った。

の部分は共感できます。

「スティーヴィーを社会の怪物としてではなく、一人の人間として見てほしいのです」

 どんな残虐非道な凶悪事件を犯した犯罪者であっても、「彼は人間である」というところから議論を始めなければならないと思います。

 一時の行動に表れた人間性が彼の全てではないし、まして報道された事実だけで彼の何が分かるというのでしょう。

 凶悪事件が起こったときの報道やネットの書き込みを見ると、感情的な反応が多く見られることが気になります。

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トラックバック(2)

何かおすすめする映画とかあったら語ってください。 感動もの、笑える映画、なんでもどうぞ。 続きを読む

 お久しぶりです。先日司法審査員の可能性について書きましたが、2回目は後日ということで、今回はある事件との絡みで「裁判員制度」の危険性を考えたいと思います... 続きを読む

コメント(22)

分かりますよ。犯罪に手を染める人間なんて子供の頃苛められたり、親に見捨てられた奴が圧倒的多数ですよね。自分を攻撃した人間に攻撃することができないと、トラウマ体験がフラッシュバックして他のものにぶつけてしまうんです。よく親に暴力振るわれた奴とか殺人事件起こしたりするけど、あれってトラウマに支配されて、どうにもならなくなってやっちゃうんだと思うんですよ。本人にやり返せば回復するんだろうけど、親の場合そうもいかなくて、キツイですね。

麻原昇降も宅間守も、まずは人間として見なければならない、ということですね。

zenkaマンさん
 こちらにもコメントありがとうございます。

ZZZさん
 おっしゃるとおりです。

 なぜ人間として見なければいけないかといいますと、人権とか人道主義とかいう言葉が思い浮かびますが、そしてそれはとても大事なことなのですが、私の場合、もっと現実的な問題として、犯罪を減らそうと考えれば犯罪者を人間としてみないと何にも解決しないじゃないか、という考えがあります。

 犯罪者を怪物と見たり、自分とは違う存在と見たりすれば、犯罪者はみんな社会から排除すればいいじゃないか、という考えになってしまうと思います。
 しかし、ごく一部の例外(死刑です)を除いてそんなことはできません。

 みんな同じ人間なんだと見て初めてみんなで犯罪を減らす方法を考えることができるし、その方法を実行することができると考えます。

はじめてコメントさせて頂きます。

先日ニュース番組で性犯罪者の再犯防止策についての特集を見ました。
日本では、対策と言える対策がない状況の中でアメリカとの対比がメインになっていたように私には思えました。
とはいえども、アメリカのやり方もインターネット上で性犯罪者が現在どこに住んでいるか誰でも見れるというモノで、近隣住民の立ち退き要求がひどくなる。
犯罪者自信に外せないようなGPSを付けさせて、学校や公園の近くを通った時は近隣住民に勧告するなど。
更正とは程遠い対策な仕方だなと私は思います。

私の家族が一時期東京都の民生委員というボランティアをしていて、子供に手を上げてしまう母親や育て方に悩みを持つ母親などの相談を受けていた事があるのですが、やはりその存在をあまり知られていないのが実情だそうです。
私は犯罪を生む要因に、親の育て方や育った環境というのは大きく影響していると思います。
その為にも犯罪を増やさないためにも子育てのバックアップや、もし犯罪を起こしてしまった時の対処方法。
そしてマスコミの対応など。
色々考えないと、日本でも犯罪者がますます怪物扱いされていくのではないかと思います。

 お久しぶりです。
 実は、このエントリーについても(裁判員制度との絡みもあり)考えさせられることがあります。
 トラックバック先にも記載しましたが、日本には古来から「村八分」的文化があり、凶悪犯罪を犯した人間を「怪物」と見て排除する傾向があります。
 その結果、更生の可能性がありながら社会に受け入れられなかった元犯罪者は、生きるための凶悪犯罪を起こすという末路を歩む(強盗殺人での無期懲役仮釈放中に再度強盗殺人にて死刑というケースは後を絶たない)ことになってしまうのです。

 裁判員制度で、市民が凶悪犯罪に関わる社会になったら、このような傾向が強まることが懸念されるのです。

ユキさん、いらっしゃいませ
 コメントありがとうございます。
 日本では「水と安全はタダだ」という言葉があり、安全というものに対する関心が薄かったようです。
 その結果として、安全を脅かすものの一つとしての犯罪というものに対する関心が処罰だけに向けられてきたのではないでしょうか。
 関心が薄いから短絡的発想で解決したと思いこんでしまうのではないかということです。

 犯罪者を厳しく処罰すればいい、というのは犯罪抑止力の一つの考え方なのですが、厳罰の事前抑止力は、冷静で論理的で打算的で悲観的な人間に対してしか十分機能しません。

 人間の性格、人格、価値観、倫理観を抜きにして犯罪抑止は語れませんね。

高野さん
 コメントありがとうございます。
 しかし、このコメントには異論があります。
 私が、犯罪者を人間と見ることができるのは、私が多くの犯罪者と直に接してきたからであろうと思っています。
 多くの市民は犯罪者、特に凶悪犯罪者と直接接する機会はほとんどないと思います。
 多くの市民にとって犯人像は、マスコミ報道によって形成されます。
 センセーショナルなマスコミ報道は、犯罪者を怪物化させていきます。

 ところが裁判員制度では、裁判員が犯罪者と同じ法廷で、同じ空気を吸い、犯罪者の言葉を自分の耳で聞き、自分の目で犯罪者の目を見ることができます。
 このようなことにより、裁判員制度は、少なくとも犯罪者が自分たちと同じ人間であるということを再確認する契機にはなるのではないかと考えています。

ご無沙汰しとりました。お久しぶりです。

最近、法務技官や家裁調査官の方の本を読んでました。

矯正教育に携わる人や、非行少年をサポートしていく立場の方々は、この記事のように、一人の人間として、彼らを扱い、更正に向けて努力していらっしゃるなぁと、思いました。

一般市民全員が、矯正教育に携わっているって思えれば良いのですが・・ね。

モトケンさんの言わんとしていることは分かるけど、やっぱり人権云々言う前に被害者の人権を踏みにじった行為者がいるわけで、それを考えると、複雑な気分になります。

特に犯罪を行う人というのは、どうすれば刑を軽くできるかを考えて、検事や裁判官の前でだけ、「本当は誠実な人間」を装うことがあるのです。オレも例外じゃないです。法廷で涙を流せばそれだけで、刑は軽くなります。

やっぱり犯罪をする人間は倫理観が決定的に欠如していると思う。それは人を傷つけるような犯罪を行った人ではない場合(経済犯など)には普通の人と変わらないかもしれませんが、宅間守や浅原のようななんの罪もない人間を躊躇なく殺せるような人は決定的に普通の人間とことなる部分がある。レイプ魔も同様。

罪を償ったのに、インターネットなどに名前を晒したり、GPSをつけたりするなどということは許されないと思いますが、少なくとも残虐な犯罪を行った場合には少年であっても名前や顔写真を出すべきだし、大人と同じように厳罰に処すべきだと思います。被害者の受けた傷は変わらないのですから。

少なくともオレは女子コンクリート事件の犯人が今、自由の身であるということについて強い
不快感を覚えます。それは刑務所に10年かそこら居るということは、入ったことがない人には想像を絶する辛さがあると思いますが・・・
それでも女子高生の受けた被害を考えると
ぜんぜん足りないと思う。

こういう感情的に見える情報が堂々と流れているのですが、元検先生これは本当でしょうか?日本の裁判官は保釈請求をすると供述調書の同意を強要するなさけない国に成り下がったのでしょうか?
「日本において……なにせ、捜査官の見込み通りの供述をしないことで「罪証隠滅のおそれ」が認められ、保釈申請を行うと供述証拠に同意することを確約することが裁判官から求められる国ですから。」
情報源開示:http://benli.typepad.com/annex_jp/2006/02/post_15.html

 モトケン様の

>裁判員制度では、裁判員が犯罪者と同じ法廷で、同じ空気を吸い、犯罪者の言葉を自分の耳で聞き、自分の目で犯罪者の目を見ることができます。
 このようなことにより、裁判員制度は、少なくとも犯罪者が自分たちと同じ人間であるということを再確認する契機にはなるのではないかと考えています
 
 この視点は私も大事だと考えております。社会全体がこのような考え方を持つことができれば、これは「裁判員制度」導入の大きな効果になると思うからです。
 しかし、この視点を社会で共有できるようになるには、現状ではメディアやネット掲示板の「圧力」が裁判員にかかるような気がしてなりません。

私は犯罪者を人間としてみるという考え方には賛成ですが、犯罪の原因を犯人の生育環境等に求めて刑罰を短くするという議論には反対です。犯罪者を人間としてみることと行った犯罪に対してどんな刑罰を科すのかは別の問題なのではないでしょうか。仮に犯人の生育環境に同情すべき点がありそれが犯人の性格に影響を与えてるのだとしたら、受刑中の矯正教育を今よりも充実させるべきであり、刑罰の長短にリンクさせるべきではないと思います。事件が起きた後になって犯人と数回接するだけの裁判官や裁判員、検事、弁護士に犯罪の本当の原因など所詮分かるわけありませんし、そもそもそんなものは誰にも分からないんだから、刑罰の長短は行った犯罪の客観的な内容だけによって決めるべきです。その上で矯正教育を重視するべきですが、これには当然お金がかかるんだから、増税又は現在の公共サービスにかけているお金を矯正教育へ振り替えるということも含めた議論をしていくべきなんじゃないでしょうか。

    >一時の行動に表れた人間性が彼の全てではないし、
    >まして報道された事実だけで彼の何が分かるというのでしょう。
    >
    >凶悪事件が起こったときの報道やネットの書き込みを見ると、
    >感情的な反応が多く見られることが気になります。

わたしはこんな事を書きました「インターネットに書かれるから証言拒否や追加訴訟」
http://youzo.cocolog-nifty.com/data/2006/01/post_90d6.html

自分でやっておいて(始めてかも)ナンですが意図的にインターネット上で裁判傍聴を呼びかけて、毎回の口頭弁論の様子を傍聴した人が書いて、それを傍聴できない人が期待して待っている。
という仕組みを意図して作り、やっています。
http://www.i-foe.org/bbs/treebbs.php

同様なことは、通称「平和神軍事件裁判」
http://es.geocities.com/dempauyo/

でも起きているのですが、証人調べで被害者(名誉毀損民事裁判の原告)であるグロービートジャパン社の社長は「面白おかしく blog に取り上げられるから、営業に影響しているので証言したくない」と主張を繰り返しています。

このようなことは今後は普通のことになっていくだろうと思います。
原理的には刑事事件も民事事件も「社会に明らかにして」ですから、報道されるわけだしそこにインターネットが加わったのですから、ネット上に裁判の進行が流されるのは当然です。
もちろん、原告・被告などのそれぞれの側が自分を中心とする意見をインターネット上に述べることになるでしょうから、ある意味で裁判のあり方に少なからず影響するでしょう。
わたしも「平和神軍裁判・裁判長の大問題発言」
http://youzo.cocolog-nifty.com/data/2005/12/post_46a3.html

を書いて裁判長をインターネット上で批判しました。
このようなことは今までありそうで無かったことですが、今後は激増するだろうと思っています。
どのようになっていくの、非常に興味深く見ています。

yuki さん、zenkaマン さん、高野さん、学生さん
 みなさん、コメントありがとうございます。

 ひょっとして私の舌足らずだったかもしれませんが、私の言うところの「犯罪者を人間として見るべきである」というのは、犯罪者を軽く処罰するべきであるという意味を含んではいません。
 ただ、別物視してはいけないということが言いたいのです。
 それを踏まえて刑事政策があり、裁判があると思うのです。
 裁判においては、学生さんが指摘されています「量刑」の問題はとても重要です。
 「刑」の内容によっても「量刑」に対する考え方は変わってくると思います。

 時間がないので、抽象的なコメントになってしまいました。
 あらためてじっくり考えてみたいと思います。

酔うぞ さん
 コメントの反映が遅れてすいません。
 リンクが多かったのでシステムがブロックしたようです。

 裁判が公開されている以上、証言を聞いた傍聴人がそれをブログで書くからと言って証言拒否の理由にはならないと思います。
 ブログの記事が正確ならば、新聞報道とブログの記事に区別があるとは思えません。
 ただし、「おもしろおかしく」が限度を超えるとブログの記事が名誉毀損になる可能性はあるでしょうね。

とおり過ぎさん
 コメントありがとうございます。
 とおり過ぎさんのコメントも反映が遅れてしまいました。
 URLの引用がひっかかったのかもしれません。

 それはともかく
 落合弁護士のブログで議論されていますね。
 私としても保釈問題には強い関心がありますのでいずれきちんと書いてみたいと思います。
 とりあえず

>保釈申請を行うと供述証拠に同意することを確約することが裁判官から求められる国ですから。<

については、裁判官からあからさまに同意の確約を求めることはないと思います。
 しかし、同意の確約をして保釈を得たことはあります。l
 ほかの問題でもそうですが、保釈においてもさまざまなファクターが影響しますので、証拠の同意不同意だけが問題になるのではないと考えています。
 が、人質司法と呼ばれる現実は確かにあると感じています。


映画へのコメント有難うございます。
今後とも映画『スティーヴィー』を
どうぞ宜しくお願い申し上げます。

3月3日(金)22:30〜
NHKBS-1「きょうの世界」という
テレビ番組で、映画『スティーヴィー』監督
スティーヴ・ジェイムス氏のインタビューが放映されます。
宜しければご高覧ください。

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