エントリ

(末尾に本日付け(2007/2/24)追記あり)

 最近、身柄拘束と自白についての意見をいくつか読みました。
 身柄拘束中の自白を問題視する意見です。
 典型的な弁護士の意見を二つ紹介します。

 取調べのための身柄拘束を認めるべきか?(法と常識の狭間で考えよう)

長期間身柄拘束された状態で取調べを受けて得られた「自白」は全て証拠能力を認めないで排除するというルールを裁判所がきちんと決めて実行すれば、現在のような自白強要のための身柄拘束はほとんど行われなくなる

 イエメンより酷い(Annex de BENLI)

自白の証拠価値というのがどこから出ているかと言うことを考えたら、真の「悔悟の念」以外にそのような供述をするに至る動機がある場合には自白調書に証拠価値を認めるべきではないし、したがって、逮捕・勾留中に作成された自白調書については、公判において弁護側がこれに同意しない場合、証拠能力を認めるべきではないのだと思います。 

 私のブログでも紹介していますが、虚偽自白を強要された実例が決して少なくない現実に照らしますと、無視できないご意見ではあります。

 しかし、検事として事件の捜査・起訴・公判維持を経験してきたものとしては、やはり全面的に賛成することはできません。

 「法と常識の狭間で考えよう」のビートニクスさんは、

 アメリカでは、逮捕は「捜査の終わり」と言われている。すなわち、客観的証拠を収集して、容疑を固めてから被疑者を逮捕するというのである。  アメリカを含め、諸外国では、自白がなくても、客観的に証拠を積み上げて有罪にしている。自白をとらなければ有罪にできないということなど全くないのである。

 
とおっしゃっています。

 しかし、日本でも客観的な証拠が十分ある事件においては、自白がなくても有罪にできます。
 また、アメリカにだって自供がなければ有罪にならない事件というものがあるはずです。
 そして、アメリカでは冤罪がないのか、と言えばやはりあります。

 この問題を考えるときによく語られるのが、「百人の罪ある者を逃がしても、一人の無辜を処罰してはならない」という言葉です。
 正論です。
 理念としては反駁できません。
 しかし、
 「千人の罪ある者を逃がしても、一人の無辜を処罰してはならない」ではどうでしょう。
 「一万人の罪ある者を逃がしても、一人の無辜を処罰してはならない」では?
 「百万人の罪ある者を逃がしても、一人の無辜を処罰してはならない」では?

 極端な例かもしれませんが、百万人の犯罪者を逃していては治安維持も何もありません。
 犯罪者天国になってしまいます。

 そして、被疑者の自供なしには十分な証拠が収集できない事件はいくらでもあるのです。
 そして、在宅捜査では、自白が得られない事件、罪障隠滅し放題になる事件もいくらでもあるのです。

 真犯人をきちんと処罰する、ということと、冤罪を絶対に出さない、ということは刑事司法に本質的に内在する矛盾です。
 結局、この矛盾する要請をどのように折り合いをつけるかが刑事司法制度論であると考えます。

 当面のキーワードは「取調べの可視化」だろうと思います。

 もう一つの日本の刑事司法制度の問題は、重罪と軽罪のメリハリが利いていないということだと思います。

追記(2007/2/24)
 ヤフーニュース 鹿児島県議選違反 12被告全員「無罪」、ずさん捜査“完敗”経由で来られた皆様へ

 鹿児島県議選違反事件につきましては、鹿児島県議選違反 12被告全員「無罪」および同エントリの「関連するエントリー」にリンクされている各エントリをお読みいただけるとうれしいです。

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元検弁護士のつぶやきさんの記事「身柄拘束と自白」にトラックバックしました。 タイトル通りで、自白について論じています。 この問題を考えるときによく語られる... 続きを読む

 矢部先生のブログからトラックバックを戴きました。  さて、自白がなければ有罪認 続きを読む

資格試験受験者用@お役立ち情報館 - 渡辺元蔵相:万事塞翁が馬:青山 (2006年11月16日 00:41)

11/13には、<資格試験受験者や合格者の経済問題:生涯学習>と書きました。試験を合格してからの方が、参考書に一行も書いてないことを、失敗を通じて学ばされ... 続きを読む

コメント(35)

(続く)とあるのに失礼します。

なんかで読んだか、聞いたかした話でうろ覚えなので実際に文献があるのか確認していません。

江戸時代の取調の記録に
「どう見ても真犯人なのだが、いくら拷問しても自白しないから釈放した」という記録がある、というのです。

その解説として「江戸時代には科学捜査よりも自白の方が有力な証拠であったから」となっています。

そうなると、現在の「自白の問題」とは物証などによる証拠と自白とどちらを重要視するかが事前に決まっていないことが「問題」なのじゃないか?
という気がしてきます。

冤罪事件で、一方に自白があり、一方に自白以外の証拠がある場合に、自白重視だから冤罪になるというのは「自白偏重」とされているわけで、この判断を検察・裁判所が自由に選んで良いのか?と思うところです。

例えば「自白のみだと最高刑の半分以上は求刑できない」とかにしたらどうなりますかね?

自白のみなら無罪でしょう。憲法第38条第3項

憲法なんてなんの役にも立ってないですね。
自白だけで起訴されて、有罪判決を受けることなんてザラだと思いますが,........

長期間身体拘束をすると犯罪行為を実行していなくても、だんだん本当に自分がやったように思えてくるんです。

特に犯罪行為と思われるような事件を起こした後、故意があったかどうかについて非常に厳しく追求されるんですが、最初は故意が無かったと確信していても、長いこと取調べを受けているうちに変わってくる。例えば老人と口論になり殴り、数時間後に死亡してしまったとします。その時は「ついカッとなってやってしまった」と思うのですが、「死ぬかもしれないと思わなかったのか」と言われ「いや、殴るだけなら死ぬとは思いませんが」と答えると「こんな年寄り殴ったら死ぬかも知れないことぐらい分かるじゃないか」と追求されます。それでも「思わない」と言うと、「常識に照らしてそんなことはありえない分かるはずだ、おまえは死ぬとは思ってなかったかも知れないが死ぬかもしれないとは思ってたんだ」とされ、最後には殺人罪で起訴されてしまう。

身体拘束された上、このような誘導尋問されたら普通の人は肯かざる得なくなる。

被疑者には起訴されてからじゃないと、国選弁護人が付かないから、圧倒的に不利。

失礼しました。
逮捕されたときや、事情聴取を受けたとき、被疑者は弁護士に相談した方が圧倒的に有利です。なのに、お金の無い人は逮捕された後に一回しかそれが出来ず、結果的に自分に不利な供述をしてしまうことがあり不平等。同じ房の人に変なこと吹き込まれることだってある。これはかなり問題がある。と個人的には
思います。

それと拘束中は6法や法律関係の本を持ってくることも許されない。差し入れを頼んでもストップがかけられる。相手は剣を持ち、自分は手ぶら。ありえない。ずる過ぎる。弁護士なんて
高くて頼めないし。

こんにちは。

自白を得るための身柄拘束は刑訴法上認められてないんですから、公に肯定しちゃいけないんじゃないですか?
建前上。

 現在でも、「自白は証拠の王」と考えられているように思われます。
 そして、「自白は、あえて自分に不利益な供述をするのだから、基本的に信用できる」と考えている裁判官も多いと感じています。
 しかし、自白の信用性の判断というのはそんなに単純なものではありません。
 経験と緻密な証拠分析に基づく高度に専門的な判断です。
 裁判員裁判においては、そのような専門的判断を素人の裁判員にどのように理解させるかが大きな問題になると予測しています。

 なお、厳密な意味で自白だけで起訴されたり有罪になったりすることはありません。
 自白の信用性を担保する補強証拠が必要です。
 補強証拠とされているものが本当に自白の信用性を担保しているのかがさらに問題になるのですが。

被疑者国選弁護制度
 捜査段階の身柄拘束中の被疑者に対して国選弁護士を付ける法改正がなされましたが、まだ施行されていません。
 段階的に範囲を拡大して施行される予定です。
 この関係の日弁連のHPを紹介しておきます。

 ところで無記名さんのコメントにある
>それと拘束中は6法や法律関係の本を持ってくることも許されない。
というのは重大な防御権の侵害だと考えますので、実例に遭遇したら問題にしたいと思います。

けんじさん
 刑訴法は勾留中の被疑者の取調べを許容していると理解していますし、捜査手法としては、勾留は主として被疑者の取調べを目的としてなされる、というのが実務家の共通認識であると考えています。

>自白を得るための身柄拘束は刑訴法上認められてない

 このような学説があることは承知しています。
 しかし、非現実的な学説です。

>このような学説があることは承知しています。
しかし、非現実的な学説です。

いえ明文上の根拠が無いという意味ですよ。
許容するのと目的とするのとでは意味合いが違うと思います。
建前は建前として守ってもらいたいと思うのです。

けんじさん
 「建前上」というのは「刑訴法の解釈上」という意味でしょうか?
 青林書院の大コンメンタール刑事訴訟法第三巻339頁に以下の記述があります。

>取調べを受忍させる必要が認められる被疑者については、勾留の理由が存すれば、勾留の必要性(相当性)が認められるという限度において、取調目的の勾留も肯定されることになるのである。<

 執筆者は渡辺咲子氏ですので検察寄りの解釈かもしれませんが、これが実務の解釈であり、すなわち建前であると理解しています。
 もちろん、そのような解釈に批判的な実務家(弁護士)がいることも承知しています。

 しかし、私の検察官としての実務経験上、弁護士から「本件の勾留は取調べ目的であるから違法(または不当)である」という主張がなされたことはありません。

田口守一著「刑事訴訟法」P62によれば

>第一に問題となるのは、被疑者を取調べる目的で逮捕しうるかである。現行法は、被疑者に逃亡のおそれ・罪証隠滅のおそれがある場合に逮捕の必要性を認めているので、このような逮捕は許されない。いわゆる捜査構造論について、どのような理論に立ってもこの結論に変わりはない。

田口説はいわゆる通説の範疇にあるとみてよいと思いますが、それを「非常識」の一言で片付けることができるのでしょうか?

ん?それになんか最初の文章から変わってませんか?

>ん?それになんか最初の文章から変わってませんか?

誤解だとしたらお詫びします。

けんじさんにお聞きしますが
あなたのお考えでは、勾留中の被疑者を取り調べてはいけないのですか?

それと、私は「非常識」とは言っていません。
「非現実的」と言っています。

条文上は、取調目的の逮捕拘留を禁止する明文はなく、解釈に委ねられることになると思います。
田口が言っているのは、「逃亡のおそれ・罪証隠滅のおそれが無いのに被疑者を取調べる目的で逮捕はできない」ということです。これは通説だと思います。
「逃亡のおそれ・罪証隠滅のおそれがあるので身柄拘束したついでに被疑事実について取調べる」ことについては、否定する見解はないと思います。198条もあるし。

モトケンさんは拘束下の被疑者の取調受忍義務と絡めて考えているようですが、それは既に拘束されている場合の論点であって、まだ被疑者が拘束下にない場合を想定しているけんじさんとケースが違うと思うのですが。

k_penguinさん
 たぶんそういうことだろうと思います。
 逮捕要件、勾留要件があることは、逮捕、勾留の当然の前提です。

>あなたのお考えでは、勾留中の被疑者を取り調べてはいけないのですか?

そんなことは一言も言ってませんよ。
身柄拘束の要件が備わっている逮捕・勾留中の取調受忍義務は判例も認めてますし。

>逮捕要件、勾留要件があることは、逮捕、勾留の当然の前提です。

ということは通説通りということでよろしいですね?

取調べ「目的」の身柄拘束は認められないということで。
逮捕要件・勾留要件が備わっていない場合、身柄拘束をすることはできないということで。

> ということは通説通りということでよろしいですね?
> 取調べ「目的」の身柄拘束は認められないということで。

横合いから失礼します。

議論の中で、誘導尋問みたいなことして、有益でしょうか。
理解を深めるのが目的ではなく、勝つことが目的ならばそれでもいいでしょうけど。

そこで言っている「目的」の定義を明らかにすれば済むだけの話でしょう、と思いますが。

結局、けんじさんの

>自白を得るための身柄拘束は刑訴法上認められてないんですから、公に肯定しちゃいけないんじゃないですか?
建前上。<

これはどういう意味だったんでしょう。

>逮捕要件・勾留要件が備わっていない場合、身柄拘束をすることはできないということで。<

失礼ですが、私を誰だと思ってますか(^^)

>モトケン様

被疑者国選弁護人制度はとてもいいですね。
しかし、膨大な税金が投入されざる得ないでしょう。しかし、被疑者の権利を守るためには必要です。弁護士に対しては、接見の度に国から費用が支払われるようにしないと、弁護士さんも大変だと思う。接見の度に費やされる交通費、時間を考えるとてもじゃないが割に合わない。少なくとも請求すればすぐに料金が国から支払われるぐらいに柔軟な対応ができればいいでしょう。料金が支払われるまで何ヶ月も係るのでは、「やってらんねーよ!」ってことになるんじゃないかと。

zenkaマン さん
 ご指摘のとおり
 国選弁護費用が安すぎるのが、弁護士側から見た最大の問題です。
 現状では、国選弁護ばっかりやっていたら、弁護士は間違いなく破産します。
 刑事事件を熱心にやっておられる弁護士は、あまり儲かっていません(^^;

ですよね〜。
刑事事件一件につきせめて15万ぐらい出してもいいと思う。国費で。
国家が破産するか....

さもなくば公務員としての弁護士を創設するのもいいかもしれないと思います。給料も安定するし・・・・。

取調べをビデオでとって、最低取調官の上司が問題があったときに見うる、とかに、まずしたらどうなのでしょうか?

ど素人さん
 コメントありがとうございます。
 最初のハードルを低くしようとのご意見かと思います。
 しかし、どうせやるなら真っ正面から可視化に取り組むべきではないかと思っています。

zenkaマンさん
 最低でも20万円は欲しいと思います(^^;
 弁護士会では30万円を目標にしていると記憶しています。
 事務所の維持経費等と考えますと、決して高すぎる要求ではないのですが。

はじめまして。以前からページを拝見していましたが、はじめて、おじゃまします。

現在医療の世界では、産婦人科医の逮捕問題がホットな話題になっています。
http://medj.net/drkato/index.shtml
医療者の危機感・苛立ちといったものが、少しでも法曹側に伝わればと思いお目にかける次第です。

いきなり変な話題を振ってしまい申し訳ありません。

と さん
 コメントありがとうございます。
 医療事故における刑事過失責任追及の問題については私も関心を持っています。
 新たな情報があればご紹介いただけると幸いです。

早速のコメントありがとうございます。

ニュースなどをきちんと集めているサイトとなると、以下のサイトが良いようです。ただし、テクニカルな情報も含めかなりの量です。
http://tyama7.blog.ocn.ne.jp/obgyn/

明日10日に拘留期限が来るという話があるので(未確認)、また何か動きがあるかもしれません。

と さん
 ブログの紹介ありがとうございます。
 さっそくRSSリーダに登録しました。
 勾留は延長でしょうね。

昨日は失礼いたしました。拘留期限は11日まででした。
http://mytown.asahi.com/fukushima/news.php?k_id=07000000603100004
どうやらこのまま起訴をを行うようですね。嘆かわしいことです。

軽い気持ちで行う「あの時はこうしたほうが」という議論が司法の介入を呼び込むとしたら、もはや科学的な医療の提供もままならないでしょう。医師は互いを庇い合うと巷では言われているようですが、これからは今までの比ではなく情報が出なくなるかもしれません。

また、家宅捜索に協力した上での逮捕というのも最悪です。正直者が馬鹿を見るということで、診療記録の改ざんや口裏あわせを「行う」インセンティブになりかねません。

と さん
 検察はあっさり起訴してしまいましたね。
 と さんが指摘されているように、この種の事件を刑事起訴すると、真相解明と再発防止に重大な悪影響が生じる恐れが生じます。
 刑事裁判こそが真相解明手段であると考えるのは、幻想である場合があります。

「百人の罪ある者を逃がしても、一人の無辜を処罰してはならない」は
正論ではないような気がします。それぞれ別問題なのです。
百人の罪ある者を逃してはいけないし、一人の無辜を処罰してはならないのです。
自分の人生として想像してみてください。
無実の罪で人生を台無しにされても、治安維持のためには仕方ないなどと言えますか?
屁理屈はいりません。冤罪は絶対にあってはいけないのです。
分かってください。

 私は今まで何度も外国人被告人事件に法廷通訳人として出廷した経験があります。争いようの無い自白事件ならともかく、外国人事件でも供述調書の任意性あるいは信用性が争われることがあります。その罪を本当に犯したのか犯してないのか、物的証拠の無い事件では特に被疑者の自白調書が証拠として採用されてしまいます。私は通訳しながら本当にこれでいいのか、と思ったことが何度もあります。裁判官は、本当に外国人被告人の気持ちが理解できているのか、外国で取調べを受ける人間の気持ちが解るのか、疑問に思うことしきりです。もっとも公判で言い訳をする外国人被告人もいることはいます。しかし、今後裁判員制度が動き始め、一旦弁護側で調書の任意性が問題提起されると通常の裁判員の方々はこう思うにちがいないのでしょう。「ここに書かれた内容は本当に彼(彼女)が言った言葉なのか?」と。
 被疑者が理解できる言語で緻密な翻訳を調書に添付すること、そして取調べの可視化こそは、国際人権B項の履行につながります。ただ任意性を提起しても今の日本の裁判官の9割以上は、自白調書を証拠採用してしまう。「疑わしき被告人の利益だ」なんてちゃんちゃらおかしい。ある人はいいます。「だから日本の治安は保たれているんだ」なんて。でも正義など無いに等しいのが今の日本なのです。

 検察の言う自白とは脅迫と誘導尋問による努力の成果と聞き取れますし,裁判所の言う自白とは自発的な白状のことを言っているように聞こえます。自白の本質的な意味合いが検察と裁判官で違うような気もします。司法研修で代用監獄に入ってもらい,ありもしない事件の被疑者にして徹底的に取調べ(≒拷問かな?)させて自白を取るなんてことしないと,裁判官の考え方はいつまでたっても変わらないですかね?
 逮捕拘留された途端に人間以下の犬畜生扱いされて,人権なんてどこ行っちゃうんでしょう?刑事訴訟制度には詳しくないですけど,自白とか冤罪とか違法捜査が話題になるということは,制度運用上,根底に蔓延している人権侵害が氷山の一角として表面化しただけのような気もします。「取調べの可視性」は捜査取調べの障害と考えるのではなく,人権尊重のための牽制手段と考えるべきと思います。

ぱるるさん はじめまして。全然法律とは無縁なのですが。

A:罪あるものを逃さない
B:無辜を罰しない

両方を同時に満たすのが理想です。ですが、必ずしも理想は達成できるとは限らない。
というか、どちらか一方だけでも完全に満たす手段はまずない。
(あらゆる人を罰しない、ということにすればBだけは満たせますが非現実的です)
この二つはトレードオフの関係にあります。

だから、罪あるものを罪あると、無辜のものを無辜であると見抜くための技術の向上は大事ですが、それだけでは解決しないと思いますよ。
どうしてもどこかにカットオフポイントを作る作業が必要かと。

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