駒大苫小牧がセンバツ出場辞退…監督辞任、校長辞職(2006年3月3日23時24分 読売新聞)
毎度おなじみの高校野球の連帯責任問題です。
なんの責任もない野球部員がどうして不利益を受けなければならないのか、という根本的な疑問があります。
責任があるのは、当の3年生部員と指導・教育する立場にあった学校側だろうと思います。
連帯責任制というのは、結局、指導力の欠如つまり自律性を身につけさせることができない高野連や学校側が他律的な締め付けの道具に使っているように感じます。
今回の報道で一番かちんときたのは高野連会長の以下のコメントです。
大阪市の日本高野連で記者会見した脇村春夫会長は「選抜大会を盛り上げると期待していただけに、誠に残念。1、2年生には関係ないのに厳し過ぎるという意見もあるが、出場辞退はあくまで学校サイドからの申し出」と述べた。
責任転嫁丸出しです。
いままで高校野球を変に美化して連帯責任を押し付けてきたのは、他ならぬ高野連ではなかったのか。
「厳し過ぎる」と思うのであれば、会長自らが「連帯責任を負う必要はない。」と言えばすんだことです。
はっきり言って「ふざけるな!」という感じです。
追記
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偽善。(企業法務戦士の雑感)
モトケンさんのおっしゃるとおり、非常に腹立たしく高野連のコメントを読みました。
なんの責任もない野球部員が可哀相でなりません。
雪降り凍てつく寒空のもと、野球部員たちは歯を食いしばり頑張ってきたのですから、
>「連帯責任を負う必要はない。」
と発言して貰いたかった。
この件、どうも裏で高野連が主導しているように思えてならないのですが、いずれにしてもふざけた、コメントではあります。
信天翁さん
コメントありがとうございます。
校長も辞めるのであれば、自分の身を捨てて現役部員を守るという気概を示してもよかったのではないでしょうか。
まだ辞退届は出していないようですから、まだ間に合います。
少なくとも議論を起こすことはできるでしょう。
高校野球の連帯責任問題は、きちんと議論すべき時期に来ていると思います。
法律家的には、責任の所在を明確にし、責任を負うべきものだけが責任を負うべきであると考えます。
> 法律家的には、責任の所在を明確にし、責任を負うべきものだけが責任を負うべきであると考えます。
まったく同感です。
このテの「連帯責任」の悪影響として、
「不祥事を起こした本人に対する制裁」として重すぎる、という点も問題だと思います。
「オマエのせいで甲子園に行けなかった」と、周囲に一生恨まれ、言われ続けることになるのは、不憫です。
本人としては、自分自身が退部させられ、甲子園で活躍できず、仲間が活躍する姿をスタンドから見るハメになるだけで、特別予防・一般予防のどちらの観点でも十分な制裁だろうと思うのですが。
過去の例から、すでにそういう「重すぎる社会的制裁」を今も受け続けている元部員がたくさんいるはずです。
fuka_fuka さん
コメントありがとうございます。
どうも高野連とマスコミが高校野球を歪めているような記がします。
「それさえも平凡な日々」さんから痛烈なトラックバックをいただいています。
高野連サイドからは「教育的なんとか」という言葉をよく聞きますが、現実と乖離しちゃったら何を言っても何をやっても無駄または逆効果でしょうね。
モトケン様
この度は、トラックバックの承認と、ご紹介を有り難うございました。いつも記事を拝読させて頂いております。
この問題は、個人的な見解として、二面性があると思います。学校と高野連の「高校野球」というイベントで得る利益を守る為の責任転嫁と、実際の選手たちの倫理観です。
飲酒、喫煙は、日常的に行われていること。これは、この年代の青少年の現実でしょう。これが前提に有り、こうした現実を否定し「高校野球」というブランドを守ろうとする。こうした所から、奇妙な歪みが生じていると考えています。
Algernon さん
コメントありがとうございます。
>こうした現実を否定し「高校野球」というブランドを守ろうとする。こうした所から、奇妙な歪みが生じていると考えています。<
そのとおりだと思います。
もう何年も前からですが、高校野球の実況のアナウンサーが「さわやか」という言葉を使うたびに白々しい思いをするようになっています。