エントリ

 無罪判決を批判しているのではありません。
 現行犯人逮捕に疑問を抱いているのです。

無罪へ導いた妻の愛、痴漢えん罪男性激白(ZAKZAK 2006/03/13)
「痴漢」で略式命令、会社員に無罪判決 地裁八王子支部(asahi.com 2006年03月10日21時55分)

 最初の例は強制わいせつ罪、次の例は東京都迷惑防止条例違反ですが、いずれも電車内のちかん行為についてのものです。
 
 問題なのは、上記2件の事件は、いずれも現行犯逮捕された事案だということです。

 現行犯逮捕できる場合というのは、以下の場合です。

刑事訴訟法第212条
1項 現に罪を行い、又は現に罪を行い終つた者を現行犯人とする。
2項 左の各号の一にあたる者が、罪を行い終つてから間がないと明らかに認められるときは、これを現行犯人とみなす。
 一 犯人として追呼されているとき。
 二 贓物又は明らかに犯罪の用に供したと思われる兇器その他の物を所持しているとき。
 三 身体又は被服に犯罪の顕著な証跡があるとき。
 四 誰何されて逃走しようとするとき。

 現行犯逮捕は令状なしで逮捕できる場合ですから、「現に罪を行い、又は現に罪を行い終つた者」または「罪を行い終つてから間がないと明らかに認められるとき」でなければなりません。
 つまり、犯人であることが明々白々な場合と言い換えることもできます。
 普通に考えると、現行犯逮捕された人が、裁判で真犯人ではないという理由で無罪になることなど考えられないと思えるのですが、今回の2件の裁判ではいずれも無罪になりました。

 そもそも被告人を現行犯人として逮捕できる場合だったのだろうか、という疑問が生じます。
 被害者がちかんの被害にあったのは事実だとしても、言うまでもなく被害の存在が明々白々であるからといって現行犯逮捕できるわけではありません。
 被疑者が犯人であることが明々白々でなければなりません。
 明々白々かどうかは逮捕時の状況によりますが、
 ちかんの場合は、多くの場合被害者の供述に基づいて判断されると思います。
 その被害者の供述が、被害者が犯人と名指しした人間が明らかに犯人であると認めるに足るほどの信用性があるかどうかについては、ケースバイケースの判断ではありますが、より慎重でなければならないように思います。

 特に、八王子支部の事件の場合は、

男性は調書で「自分が触った」としていたが、「勾留が続いて焦り、妻や職場への配慮から警察官に言われるまま認めてしまった」

とあるように、人質司法の弊害が典型的に表れています。

 ちかんの被害を軽視するわけでは断じてありませんが、無実の嫌疑をかけられた人の不利益は甚大です。
 家庭と人生に壊滅的な被害を受ける場合もめずらしくありません。
 そうなりますと、ちかんの被害者の不利益と被疑者(疑われた人)の不利益を天秤にかけざるを得ません。

 その観点でいいますと、条例違反の罪で安易に逮捕・勾留しているとすれば、強い批判を加えなければならないと思います。

 以下は、八王子支部の事件の報道ですが

判決は「被害者の女性は、尻に何かが当たったのを痴漢の被害と思いこんだ疑いがあり、犯行があったのか自体極めて疑わしい」

と指摘しています。
 この指摘の根拠は、被害者の法廷証言であろうと推測できます。
 法廷証言で被害者が十分説明できなかった可能性を割り引いたとしても、ちかん事案の中では比較的執拗でない事案であったと思われます。
 
 そのような事案で逮捕・勾留までする必要があったかどうかについて、判決も

「女性は行為を直接目撃していない」と述べ、逮捕や身柄拘束の相当性にもかなり問題があるとした。

と指摘しています。
 もっとも、勾留を認めたのは裁判官ですから、この判決は裁判官に対する批判でもあります。

 ZAKZAKの記事のほうは、一貫して容疑を否認していたようですが、こちらは被疑者の弁解を真剣に聞かなかったことが捜査側の無罪判決の最大の理由だと思われます。

車内で男性は高校生の右後ろに立っていた。男性は一貫して、「自分の左後ろにいた外国人風の男が犯人の可能性がある。人違いだ」と主張していたが、捜査員は「人1人はさんで痴漢できるほど、腕の長い人間はいない」と取り合わず、1審もこれを支持した。

 捜査側は、そして一審の裁判官も、はなから被疑者の弁解を聞く耳を持っていなかったのでしょう。

2審で男性側は人1人はさんだ状態で痴漢をする再現ビデオを法廷で上映。妻はスパッツの上に下着をはき、痴漢の被害者役を演じた。映像は重要な証拠として採用され、逆転無罪の判決につながった。

 それをひっくり返したのが、被告人とその妻との信頼関係を支えとした弁護人の適切な反証だったようです。
 しかし、控訴審で弁護人が行った反証などは、捜査段階において警察が容易に実施できたことです。
 頭から被疑者を真犯人と決めつけている警察や検察には、そのような発想がなかったのでしょう。

 刑事司法に携わる全ての者は、人を逮捕・勾留し、罪に問うということの重みを再確認してほしいものです。

 高裁で無罪になった事件については、落合弁護士もブログ(被害者供述の評価と事件全体から受ける心証)で書いておられます。

 私はそのエントリーで、

よく不思議に思うのですが、被害者の供述は何の疑問もなく信用するが、被害者から犯人と名指しされた被疑者の供述は頭から信用しない捜査官がいるのはどうしてでしょう。

どんな立場の人のどんな内容の供述であっても、虚心坦懐にその真偽を見極めようという姿勢が重要

とコメントさせていただきました。

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