エントリ

 小倉弁護士からトラックバックをいただきました。
 「究極の選択」を迫られる弁護士です。

 安田弁護士の受任から口頭弁論欠席までの経緯について、最大限安田弁護士に好意的に推測するとこうなるというもののように思われます。
 
 ところで、小倉弁護士は、

そして、かくかくしかじかの事情故弁護人になって頂きたいと頼み込まれた弁護士において、当該事件について既に指定されている弁論期日はもう2週間後に迫っており、

と書かれていますが、安田弁護士が弁護人就任の依頼またはその打診を受けたのは弁論期日の2週間前であるというのは事実なのでしょうか。

 報道によれば、3月6日に弁護人に就任したようですが、安田弁護士の弁護活動を擁護されている宮崎学氏のブログにこう書いてあります。

・先月、被告と接見したところ事件について新たな申立があった。

 この接見した人物というのは安田弁護士と読むのが自然ですから、そしてそうであるならば、安田弁護士が弁護人就任の依頼(少なくともその打診)を受けたのは、2月中ということになります。
 弁護人就任の打診もないのに弁護人でない弁護士が被告人に接見することなど考えられないからです。
 この2月中というのが2月の月末ころというのであれば、2週間前ということになりますが、果たしてそうなのでしょうか?

 いずれにしても就任打診を受けてから少なくとも1週間以上の期間、安田弁護士は何をなさっていたのか気になります。
 就任すべきかどうか悩んでおられたというのであれば、それは理解できます。
 どんな弁護士でも悩む事案です。
 しかし、2週間も3週間も悩んでいたのというであれば、それは別の意図があったと考えられます。
 弁論期日が迫っているという状況から考えますと、1週間でも悩み過ぎのような気がします。

 次に、小倉弁護士の

この場合に、当該弁護人が、自分では荷が重すぎるとして、刑事弁護での実績に定評のあるベテラン弁護士に当該被告人の弁護を引き継ぐように頼み込むというのも、十分理解可能です。

ですが、これは安田弁護士の前任者を批判することになってしまいます。

 死刑求刑事件に対して無期懲役を言い渡した控訴審判決に対しては、当然検察官上告が予想されますし、検察官上告がなされれば、本件の情状に照らせば、最高裁による死刑判決の可能性を孕んだ弁論期日の指定も当然予想の範囲内のことです。言い換えれば、弁護士としては最高裁における弁論を当然予想すべき事案です。
 その場合に、「自分では荷が重すぎる」と感じるのであれば、前任者としてもそもそも上告審の弁護を引き受けるべきではなかったのです。

 本件の控訴審判決は2002年3月14日にあったわけですから、前任者の弁護人と被告人とは、あらゆる事態を想定してその対応を検討する時間は十分あったはずです。
 前任者が自分の力不足を感じたのであれば、もっと早く辞任すべきでした。
 それなのに、弁論期日の1週間前に弁護人が交代するというのは、簡単に理解することはできません。

 さらに

弁論を開くという決定がなされた時点で最高裁は当該被告人を死刑に処すべきであるとの考えをとりあえず抱いている可能性が高いので、弁護人としては、その考えを覆すような、よくよく説得力のある反論をしなければならないことは明らかです。そして、死刑求刑事件の上告審ともなれば、記録の量が膨大であることは想像するに難くないので、それらの記録を丹念に読み込むだけで、相当の時間を要することが予想されます。

 これについてですが、先ほど述べたように、控訴審判決は、2002年3月14日です。
 つまり4年前です。
 検察官が上告趣意書を提出したのがいつかは確認していませんが、弁護人が上告趣意書に反論する時間は十分、たぶん少なくとも2年以上はあったのではないかと思います。
 
 前任者の弁護士が、辞任するまでの間、何の準備もしていなかったとは考えられません。
 たぶん、十分な準備時間を与えられて答弁書を提出済みであろうと思います。
 安田弁護士から見て、その答弁書が使い物にならない代物であったとも思えません。
 もしそうなら、前任者の弁護士はほとんど無能ということになってしまいますが、まさかそうではないでしょう。

 安田弁護士が主張する理由が「正当な理由」と言えるかどうかは、裁判所がこれまで弁護人に与えた準備期間をご破算にする理由として正当なものかどうか、という観点から考える必要があると思います。

 このように考えますと、被告・弁護側としては、「究極の選択」をしなければならないような事態を回避する余地は十分あったものと思われます。 

 下記関連するエントリーの記事もお読みいただけるとうれしいです。

| コメント(25) | トラックバック(4) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

トラックバック(4)

安田好弘弁護士:「死刑廃止問題で日本は低能児。人権と刑事訴訟の分野でも『韓流』が 続きを読む

「弁護士の中の弁護士」ともいわれる安田好弘さんが、弁護人をつとめる裁判に欠席した件で、各方面から批判を受けているようです。 この件は宮崎学さんのブログ記事... 続きを読む

命のリレー                         中村 叶 あなたに父と母がいました 現在もいるかもしれませんし 死別したり 生別したりしたか... 続きを読む

もうこれっきりにしてくれ あっと言う間に一ヶ月が経っていた。 先月14日に予定されていたにも関わらず人権派弁護士がすっぽかしという法廷戦術によって遅... 続きを読む

コメント(25)

 なるほど、安田弁護人は、2月中すでに「弁護人になろうとする者」として被告人と接見していたのですか。そういう事情ならば、裁判所に訴訟遅延行為の疑いを抱かれたとしても仕方がありませんね。

弁護士さんはため息が出るほど、駆け引きに長けてなければならないっていうことが良く分かりました。ズルさ必要なんですねぇ。
その分やりがいもあるかもしれませんが、普通の精神力では持たないとおもう。仕事と生活に区切りなんてない。自分の場合それだと映画や食事もあまり楽しいものにはならなくなってしまう。モトケンさんは検事もやってたって言うから、相当精神力が強い人なんだろうと思います。

 数年を経た後の結審間際や期日間際の著しく時期に遅れた抗弁は、即時却下されてもやむを得ないでしょう。迅速な裁判(刑訴法1条)は、被告人の人権だけではなく、刑訴法上の公益要請でもあるからです。
 死刑回避のためなら、期日間際の受任で準備が必要だからと称して、欠席戦術が正当化されるなら、期日間際の辞任選任繰り返し戦術(昔はやった)もまた正当化されることになります。
 死刑反対という目的が崇高だったと仮定しても、目的は必ずしも手段を正当化しないことを思い起こす必要があります。

 どうも弁護士の中には刑事上告事件の経験もない上に事情を全く調べもしないで想像だけでエントリを長々と書く手法の方がいるようですね。
 文筆業の世界では考えられないことです。元検さんのように手続きの細部まで丹念に追った上で意見表明をされる方だけが「訴訟やリーガルサービスの専門家」としての弁護士だと信じておりました。残念です。某弁護士への不信を強く感じます。
 弁護士会でこういう手法をとる方への指導教育はなされないんでしょうか。

法曹不信さん
 コメントありがとうございます。
 実は私も上告審についてはおっかなびっくりで書いているところがあります。
 小倉弁護士のブログのコメントに、上告審が控訴審の無期懲役を破棄して死刑を自判した例はないはずとの指摘がありましたので、データベースで検索してみましたところ、たしかに破棄自判死刑の例は見あたりませんでした。
 しかし、最高裁の判断は下級審を拘束しますから、最高裁が高裁の無期懲役判決を破棄した場合は、実質的には死刑判決に限りなく近いことになります。
 最高裁が破棄差戻をすれば、あとは遅かれ早かれの問題になりますね。
 そして、今の裁判体はそのつもりなのでしょう。
 事件の事実関係自体が動かないとしたら、いくら被告人が反省の念を示してお涙頂戴作戦に出たとしても、結論は見えてしまいます。
 その意味で、安田弁護士がなりふり構わずの戦術に出ることはよく理解できます。
 支持はしませんが。

 モトケン先生が参考にされた小倉弁護士のブログのコメントは何故か削除されていますね。ここの読者が迷うといけないので再現しておきます。ご参考までです。

(再現開始) 
あくまで法学部学生時代に習った一般論ですが。
 数年を経た後の結審間際とか期日間際の直近になされ新たな抗弁や新主張は、著しく時期に遅れた抗弁や主張として、即時却下されてもやむを得ないでしょう。迅速な裁判(刑訴法1条)は、被告人の人権だけではなく、刑訴法上の公益要請でもあるからです(高裁か最高裁の判例があった記憶です)。
 死刑回避のためなら、「期日間際の受任で準備が必要だから」「被告人が新たな主張供述をしているから」と称して、欠席戦術が正当化されるなら、期日間際の辞任選任繰り返し戦術(昔は流行したらしい)もまた正当化されることになります。
 死刑反対という目的が崇高だったと仮定しても、目的は必ずしも手段を正当化しない(神聖視しない)ことを思い起こす必要があると思います。

Re'dige' par: FRG | le mardi 21 mars 2006 a` 12:46


>絶対に原判決を破棄して死刑判決を自判するとは限りません。

 知り合いの弁護士によれば「というか、戦後の混乱期は知らないが、最高裁は無期懲役を破棄して死刑を自判した先例はないはず。こと死刑事案の量刑に関しては最高裁は法律審を維持している。あの永山事件だって、破棄差し戻しだから。弁護人は,差し戻し審の高裁で時間をかけて争うことは十分可能だ。」とのことです。ご参考まで。

Re'dige' par: FRG | le jeudi 23 mars 2006 a` 02:47

(再現終了)

 小倉弁護士のブログで少し議論になっているようですね。
 小倉弁護士のブログに投稿されたコメントを小倉弁護士が削除した後、とおり過ぎさんがそれを私のブログに転記すること、およびそれを私が容認することが、著作権的観点やネチケットの観点から何か問題があるかどうかについて、知財法の知識に疎くとネット経験の短い私には判断がつきかねますが、とりあえず容認いたします。
 何かご意見のある方はコメントしてください。

PS
 とおり過ぎさんへ
 誤記については、私のほうで編集しておきました。

「とりあえず作った書面を出す」か「弁論を欠席する」かの「究極の選択」などという場面ではないことについては、全く同感です。
ただ、永山事件の差戻審では、第一次上告審の指摘した量刑事情について、第一次控訴審の時点で既に分かりきっていたはずのものも含めて出張尋問を重ねて丁寧に調べられたと聞きますので、死刑が具体的に予想される状況になり、破棄自判の可能性もある時点で、なお慎重を期して数ヶ月の準備期間を求めること自体は批判されるべきではなく、弁論に欠席するという手段で準備時間を捻出するという手法の当否が問題にされるべきだと思います。
最高裁の措置の前提にあるスタンスは、おそらく、一審・控訴審の量刑判断の当否を判断するに際して、控訴審判決後の事情は考慮されないので(最高裁は傍論ながら上告審への刑訴法393条2項・397条2項の準用を否定しています)、最近になって被告人に何らかの新たな事情が生じているとしても、これを弁論に顕出させる必要はない、というものではないかと思います。
しかし、死刑が強く予想される事案について、「新たな事情を弁論に顕出させたい」という弁護人の考えが、最高裁の上記のような考えにぶつかってしまい実現できそうになくなったときにどうすべきかは、難しい問題であるように思います。弁護人は、国民の期待に応えるためではなく被告人の防禦のためにいるのだという問題のほかに、死刑事案について全件弁論を開き全員一致の判決を言い渡す慣行を作り上げたのがほかならぬ最高裁であり、真偽のほどはともかく、ある死刑事件で、一部事実につき冤罪説を採る裁判官が退官するまで審理が「継続」されたため、控訴審判決から最高裁判決まで10年もの歳月を経た、と語られていたりもすることを踏まえると、批判を浴びることを覚悟で弁論欠席することの善悪の評価は、本当に難しいと思います。
なお、個人的には、最高裁が慎重に審理して出した結論でさえあれば、現在の裁判長が言い渡そうと、後任の裁判長が言い渡そうと、どちらでもよいことのように思います。

>モトケン先生
 初めて投稿いたします。よろしくお願いします。
 拙コメントをここへ転載されても何らかまいません。(小恥ずかしいですがw)。むしろ光栄でございます。それに、某弁護士のブログへ投稿すればアーカイブに転載されるのが普通ですので、最初から転載フリーの意思で投稿しておりました。
 私は著作権の細かいことはよくわかりませんが、著作権(と呼ぶほどの内容はありませんが)者が当初からの転載許諾してますのでご安心ください。

>とおり過ぎさま
 削除された拙コメントを復活転載していただきありがとうございます。
 私自身はたいした内容ではないと思っていたので面映いです(頭カキカキ。
 なお、あの某弁護士のブログは、匿名プロクシ経由と管理人が判断した投稿はバッサリ削除されるポリシーのようですから、社内ネットワークがセキュリティの観点から、インターネット接続点でランダム顕名プロクシを使っていても、これが「匿名プロクシ」と見なされて削除されるのもやむを得ないかと思っています。

まげ さん
 コメントありがとうございます。
 人の生死がかかわる問題ですから、弁護人が全てを敵に回してもなりふり構わず死刑回避を目指すというのは理解できるのですが、既に書いていますように、裁判の引き延ばしと認識されますと、制度論に影響してくる可能性があることを危惧しています。

>なお、個人的には、最高裁が慎重に審理して出した結論でさえあれば、現在の裁判長が言い渡そうと、後任の裁判長が言い渡そうと、どちらでもよいことのように思います。

 この点についてですが、弁護人の引き延ばしによって、前任者が慎重な審理に費やした時間が無駄になってもいいのか、という問題が生じると思います。
 特に、裁判員制度を導入して迅速な裁判実現にやっきになっている裁判所としては、そのような事態をできるだけ回避するという考えがあるものと推測します。

FRG さん
 コメント及びご了承ありがとうございます。

 私としましても、匿名投稿に対する私のスタンスを明らかにしておいたほうがいいかなと思っています。
 基本的には、コメントは実名である必要はないと思っていますが(確認が不可能^^;)、バーチャルとはいえ、人格の同一性は確保していただきたいな、と思っています。
 つまり、このブログ専用でもいいですから、固定ハンドルでお願いしたいと思います。

読んでて思ったのは弁論の期日を1日や2日延期してもやっぱり文句言うんだろうなーってこと。
だったら最初から「他の予定が入ってる」なんてのは理由にしなきゃいいのに。

>>前任者の弁護士が、辞任するまでの間、何の準備もしていなかったとは考えられません。
 たぶん、十分な準備時間を与えられて答弁書を提出済みであろうと思います。
 安田弁護士から見て、その答弁書が使い物にならない代物であったとも思えません。
 もしそうなら、前任者の弁護士はほとんど無能ということになってしまいますが、まさかそうではないでしょう。


この理由を教えてください。
私は、この前弁護人がほとんど無能であったとおもいます。
ほとんど無能というと表現が悪いですが、

1.少年とまともに向き合っていない
(これは、少年が知人に当てた手紙をみれば、誰も少年の心のケアをしていないということがよく分かります。もし本当に弁護人が被告と深く関わっていたなら、最低少年の心の矯正ができていなくても、あの様な手紙を少年が出すことを阻止するでしょう。(知らなかったのなら余計、少年とどれだけ浅くしか関わっていなかったかが分かります。)

2.検事の調書を信じきってしまった
(安田氏は、被告の話と物的証拠を照らし合わせて調書をもう一度自分で作りなおすような作業をしている。この世で事件の真実を知っているのは被告だけです。彼は今まで真実を聞いてもらえる機会がなかったと言っています。)

こんな弁護士から引き継いだものが、なぜ「何の準備もしていなかったとは考えられない。 安田弁護士から見て、その答弁書が使い物にならない代物であったとも思えない。」のでしょうか。使い物になるものなら、今更新事実が発覚することや、今更になってはじめて被告が証言するという事態にはならなかったのではないでしょうか。

>この理由を教えてください。

 特に理由はありません。
 普通はそうだろうと思うだけです。

>1.少年とまともに向き合っていない

 まともかどうかはともかく、結果的に見て向き合い方が不十分だったという批判は可能だと思いますが、私からみて本件の被告人の最も異様だと思える点は、あのような手紙を出したことです。
 あのような手紙を出すことが予測可能だったかどうかは、接見時の被告人の言動をすべて見てみないとわかりません。つまり私にはなんともいえません。

>彼は今まで真実を聞いてもらえる機会がなかったと言っています。

 これはどこで言っているのですか?
 安田弁護士にはそう言ったのでしょうか。
 そういう前提で答えますと
 客観的に見て、そのような機会はいくらでもありました。
 もし、被告人の「今まで真実を聞いてもらえる機会がなかった」という主張を説得力あらしめるためには、一審二審の弁護士を懲戒にかけるくらいまで批判(非難)する必要がありますよ。
 今のところ、安田弁護士からそのような批判はありませんね

>今更新事実が発覚すること

 どんな新事実が発覚しましたか?

>更になってはじめて被告が証言するという事態

 私には、死刑判決の可能性が高いという現実を突きつけられて、今になって必死に言い訳を考えているように思えます。
 単なる野次馬的憶測ですが。

 繰り返しますが、被告人が自己の主張をする機会はこれまでいくらでもあったのです。
 私が「何をいまさら」というのはそういう「事実」を前提にしています。

>>これはどこで言っているのですか?
 安田弁護士にはそう言ったのでしょうか。

会見での安田弁護士の発言です


>>もし、被告人の「今まで真実を聞いてもらえる機会がなかった」という主張を説得力あらしめるためには、一審二審の弁護士を懲戒にかけるくらいまで批判(非難)する必要がありますよ。 今のところ、安田弁護士からそのような批判はありませんね

あなたが安田氏の立場だった時、実際そうであっても「前弁護人は無能であった」と公に口にだしますか?しかも、前弁護人は大物とされている弁護士です。実際、足立弁護士は多少は濁していましたが、ぎりぎりそれに近い発言をしています。

>>どんな新事実が発覚しましたか?

強姦ではなく、死姦であるということ。検察の調書と現場証拠に矛盾があることです。

>>私には、死刑判決の可能性が高いという現実を突きつけられて、今になって必死に言い訳を考えているように思えます。
 単なる野次馬的憶測ですが。
>>繰り返しますが、被告人が自己の主張をする機会はこれまでいくらでもあったのです。

被告人が今になって必死になりだしたのは私も事実だと思います。その理由として、前弁護人も被告も、事実が細かく検証される間でもなく、無期判決がでると思ってなめていた。そのツケが今回まわってきた。ということです。
「言い訳を考えている」これは、今までの安田弁護士の弁護活動から見て、まずありえないでしょう。(今までの安田氏に関する記事、手記などを読むことをお勧めします。そして何より私は安田氏と反対の立場で何度も彼の裁判を傍聴してきました。)

マスコミによる世論の先入観に引きずられて真実を見失うということが一番恐ろしいことです。実際、今回のことで、安田弁護士一人に対するマスコミバッシングが起こっています。しかし、被告の弁護人は彼一人ではありません。にもかかわらず、安田弁護士と特定するのはなぜでしょうか。

私は、坂本一家殺害事件を当初自分達の利害の為に握りつぶそうとした警察よりも、拘置所に送られてまで世論に迎合する検察や裁判所と戦って安田弁護士の方が数段信用できると思います。

>あなたが安田氏の立場だった時、実際そうであっても「前弁護人は無能であった」と公に口にだしますか?

 前弁護人が無能であったかどうかは問題ではありません。
 前弁護人が、被告人が傷害致死の主張をしようとしたにもかかわらず、裁判において被告人にその主張をさせなかったのかどうかが問題なのです。
 被告人がそのような事実があったと主張するのであれば、現弁護人としては、被告人の供述に基づいて、その状況を法廷において具体的に主張せざるを得ません。
 たとえ前弁護人がどんな大物弁護士であったとしてもです。

>強姦ではなく、死姦であるということ。

 被告人が被害者の死後に姦淫したことは、控訴審判決が「窒息死させて殺害した上,姦淫し,」と認定しているところであり、新事実ではありません。
 強姦ではないという主張は、法律解釈論の主張です。

 法律上は、事実とその評価は峻別されます。

>検察の調書と現場証拠に矛盾がある

 これは、逆手で口を押さえていた手がはずれて首にかかったという主張だと思いますが、これは私の知る限りでは、未だ主張のレベルにとどまっており、新事実とまでは言えません。
 裁判において事実とは、裁判所が認定してはじめて事実と言えます。少なくとも主張にかかる事実を証明するに足る証拠の存在がないと新事実とは言い難いです。
 それ以前は「主張」にとどまり、主張にかかる事実があるともないとも言えません。
 証拠の観点において、被告人の自供と鑑定書の記載とが矛盾するかどうかについては、自供調書と鑑定書を詳細に検討しないと、安田弁護士らの主張が説得的なものかどうか判断できません。
 判断できないというだけで、安田弁護士らの主張に説得力がないと断言しているのではありません。
 推測で言えば、なさそうだということは既に述べていますが。

>前弁護人も被告も、事実が細かく検証される間でもなく、無期判決がでると思ってなめていた。そのツケが今回まわってきた。ということです。

 この理解が不合理であることは既に述べています。
 仮にそうだとしても、被告人がなめた結果、現在の被告人に不利益な状況が生じているとしますと、不利益な状況が生じた責任は被告人にあります。

>「言い訳を考えている」これは、今までの安田弁護士の弁護活動から見て、まずありえないでしょう。

 言葉足らずでしたが、「言い訳を考えている」の主語は「被告人」です。
 言い訳であろうがなかろうが、被告人が傷害致死を主張する以上、それを最大限に法廷で主張するのは弁護人の職責です。

>しかし、被告の弁護人は彼一人ではありません。にもかかわらず、安田弁護士と特定するのはなぜでしょうか。

 これは足立弁護士を意識してのことでしょうか。
 私は、足立弁護士を意識して「安田弁護士ら」と書くことがけっこうありますが、それが徹底していないところはあります。
 なお、私も安田弁護士らを批判していますが、多くのマスコミとは別の観点で批判しているつもりです。

 マスコミによる安田弁護士バッシングは、マスコミの刑事弁護に対する無理解によるところが大きいと思っています。

>私は、坂本一家殺害事件を当初自分達の利害の為に握りつぶそうとした警察よりも、拘置所に送られてまで世論に迎合する検察や裁判所と戦って安田弁護士の方が数段信用できると思います。

 私は、警察との比較において批判しているわけではありませんし、安田弁護士が信用できるかできないかという議論をしているわけでもありません。
 私は、報道等によって知り得た安田弁護士らの行動について意見を述べています(必ずしも批判ばかりではありません)。 

丁寧なご返答ありがとうございます。

>>裁判において事実とは、裁判所が認定してはじめて事実と言えます。少なくとも主張にかかる事実を証明するに足る証拠の存在がないと新事実とは言い難いです。

それを私は危惧しているのです。大きな刑事裁判では大抵の場合、裁判所はマスコミや世論に迎合した結論をだします。それがたとえ事実と違っていても、立証されたものでなくてもです…それが真実ですか?それで被害者が救われると思いますか?第三者はそれでいいかもしれませんが、当事者は法律を語られても困ります。


>>私は、警察との比較において批判しているわけではありませんし、安田弁護士が信用できるかできないかという議論をしているわけでもありません。
 私は、報道等によって知り得た安田弁護士らの行動について意見を述べています(必ずしも批判ばかりではありません)。 

批判ばかりではないのは分かっています。だからあなたのブログに興味を惹かれました。もしかしたら気を悪くなさるかもしれませんが、きっと大きな刑事事件を実際やった経験がないのかなというのが私の最初の正直な感想です。実経験というより活字経験というか…それは弁護士的価値としてどうとか、大きい裁判をやったことがある人が皆優れているとかそういうことではなく、ただ単純にそう思いました。安田さんの弁護人についもいませんね。(ついていたらごめんなさい。)

私は被害者遺族ですが、かつての警察やマスコミ、裁判所の被害者でもあると私は思っています。
弁護士である限り、大きな刑事裁判の場合のマスコミのみの情報がどれだけ危ないかを知って欲しいと思います。今、被害者遺族、加害者遺族、裁判所、弁護士、この事件に関わる全ての人達はみな必死だと思います。単なる野次馬的憶測が、当事者をどれだけ傷つけるか分かっていますか?個人のブログでそれはないだろうというご意見を持ったらすみません。でもどうしても、“弁護士”とついていたいたので通り過ぎることができませんでした。個人的なことを申し上げて本当にすみませんでした。

>大きな刑事裁判では大抵の場合、裁判所はマスコミや世論に迎合した結論をだします。それがたとえ事実と違っていても、立証されたものでなくてもです…

 あなた自身が経験した事件とその裁判に基づいてあなたがそのような印象を持っていることについて私は何もいうことができません。
 しかし私が認識している裁判官の一般的傾向として、マスコミや世論に迎合するとは思っていません。
 そのような裁判官が絶無であると言うつもりもありません。

 あなたが経験した裁判とその内容を全く知りませんから、あなたの問題意識とずれてしまったり、誤解を生じるかもしれないことを恐れますが、裁判が世論というか社会から遊離したものになってしまいますと、裁判としては機能不全に陥ります。
 ただし、社会から遊離しないということと世論に迎合するということは別だと思います。

>当事者は法律を語られても困ります。

 裁判は、主として事実と法律に基づいて語らざるを得ません。
 裁判、特に刑事裁判の紛争解決機能、言い換えれば当事者の納得を得る機能は、極めて限定されています。

>きっと大きな刑事事件を実際やった経験がないのかなというのが私の最初の正直な感想です。

 あなたの言う大きな刑事事件というのがどんな事件を意味するのか分かりませんが、検事としての13年間は遊んでいたつもりはありません。
 検事は被害者に共感しなければその職責を全うできないと考えていますが、事件の当事者ではありませんし、感情移入しすぎるわけにもいきません。
 常に冷徹な目を持たないと勝負に勝てません。
 検事が勝負に勝てないということがどういうことを意味するか、あなたならお分かりでしょう。

 安田弁護士の弁護人にはなっていませんが、あの事件は弁護士全員が自己の問題として意識すべき事件だと思っています。
 あの事件は安田弁護士の問題ではなく、警察・検察の問題です。

>弁護士である限り、大きな刑事裁判の場合のマスコミのみの情報がどれだけ危ないかを知って欲しいと思います。

 私のブログの雑感日記・犯罪報道カテゴリを通読していただければ、私のマスコミ報道に対するスタンスが少しはご理解いただけるかと思います。
 私自身、自分が捜査している事件をマスコミがどのように的外れに報道するかということを何回も経験しています。
 
 今回の私の安田弁護士批判の意見もマスコミの論調とはかなり違うと思いますよ。
 自分ではそのつもりです。
 法律のプロの視点で弁護士の弁護活動を見ているものです。
 あなたが被害者遺族であったとしても、ご理解いただけない部分はあるだろうと思っています。

>単なる野次馬的憶測が、当事者をどれだけ傷つけるか分かっていますか?
 
 法律家が法律家の行動を批判することは必要だと思っています。
 法学者は裁判を批判することが仕事です。
 先のコメントで「単なる野次馬的憶測」と言葉を使っていますが、不確かな情報に基づく推測ですのでそのようには言いましたが、文字通りの意味で「単なる野次馬的憶測」のつもりで書いたものではありません。

 私が

>>私には、死刑判決の可能性が高いという現実を突きつけられて、今になって必死に言い訳を考えているように思えます。

と書いたことが本村氏を傷つけることになるのでしょうか?
 この一文は、私としては被害者側の視点から被告人を批判する気持ちを込めて書いたものです。
 弁護士としては被告人がどんな弁解をしてもそれ自体を非難することはできませんから、あからさまには述べていませんが。

 私は安田弁護士の行動について、刑事弁護全体に対する影響の面からアプローチしましたので、被害者側からの視点の意見をほとんど述べていません。
 私が被害者及び遺族について触れないことから、被害者をないがしろにしているという見方もあるようですが、正面から触れていないだけです。
  被害者サイドの視点で述べると、マスコミの視点と重なってしまうことになり、このブログの論調は全然違ったものになっていたと思いますが、私としてはマスコミとは別の視点でものを言いたかったのです。 
 安田弁護士らの行動について客観的に論じようとすれば、ある面では被害者側を傷つけかねない記述が生じる場合があることはわかりますが、被害者遺族のあなたには申し訳ありませんが、それはやむを得ないことです。
 ただし、意図的に被害者を貶めたり遺族を傷つけるつもりは全くありません。

>私は被害者遺族ですが、かつての警察やマスコミ、裁判所の被害者でもあると私は思っています。

 この中に、検察という言葉が入っていないのは、意図的に外されたからでしょうか。
 もしそうであるならば、検察OBとして少し嬉しく思います。
 単なる書き漏れであるならば、担当検事に代わって謝罪したいと思います。 

健全な民主主義制度のためには裁判批判は必要です.対話・批判・ディアレクティケー どう呼んでも同じ意味のつもりですが,これが無いと何でも腐敗します.裁判所も検察も政治家もマスコミも医療も例外ではありません.そのためには批判は必要です.そして事実関係に基づいた批判の為には,公開性が必要です.今の日本の裁判批判に往々として事実に基づかない不毛な批判が横行するのは,裁判の公開性が十分でないからだと思っています.むしろ,今の日本人で裁判が公開されていると思っている人が何人いるのでしょうか?写真もテレビ中継も速記録の公開すらない,傍聴人も人数制限されているものを公開と呼ぶのは日本の司法制度が如何に常識を失っているかの証拠だと思います.

それはそれとして

>彼は今まで真実を聞いてもらえる機会がなかったと言っています。

弁護人が聞く耳を持たなくても一審でも二審でも裁判官が直接に言いたいことを言いたいだけ言わせる機会を与えていたのではないでしょうか?もしそうでないなら,これまた大問題です.

 戦後すぐの頃には、法廷内の撮影は自由に行なわれていたようですが、カメラマンが法壇(裁判官席)の後ろに回りこんで被告人を撮影するなど問題が多く生じたため、結局全面的に規制されるにいたったと聞いております。

 さて、憲法第82条に「裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ」と定められていますように「裁判の公開」は司法の大原則の一つということになっています。ただ、議論の過程やそこで行なわれた議決の内容が直ちに国民生活に影響を及ぼす国会審議と異なり、裁判は基本的に当事者間の具体的紛争解決を目的としたものですので、国会ほどには公開性が強く求められておりません。また近年、裁判過程において秘密保護が必要であるという意識(営業秘密やプライバシーなど)が高まってきているため、むしろ「裁判公開原則」は後退しているというのが現状です。
 とはいえ、公害訴訟のように被害者が多数に上る事件や汚職事件といったような公の関心が高い事件について、法廷にテレビカメラを入れることは今後検討されるべきだと思います。
 なお、民事訴訟記録については民事訴訟法第91条、刑事訴訟記録については刑事確定訴訟記録法4条に基づいて、一定の条件の下に公開されています。

 「今の日本の裁判批判に往々として事実に基づかない不毛な批判が横行している」というご指摘につきましては、その主な理由は、初・中等教育の正規科目に法学教育がないからではないかと私は考えています。

>an_accused 先生

ご教示ありがとうございます たいへん勉強になります

法壇から中継する必要はまったくなくて傍聴席からの情報だけでも公開していただきたい.さらにいうと,法廷で文書を読み上げずに提出するだけというのも傍聴人無視も甚だしいので重要なものについては止めて欲しい,裁判過程でなく審議内容の公開が絶対に必要だと思ってます.

民事にはゼンゼン必要ないので以上は刑事についての希望です.
民事の大部分は公開しても見たがる人は少ないし,刑事よりはるかに公共性が低いと思います.

刑事裁判においてプライバシー保護はどうあるべきか,これは難しい話ですね.プライバシーと審議の本質が密接に関連してて且つ,事件の公共性が高度な事例もけっこう多いと思います.ここは訴訟指揮で判断していただくのが現実的だと,その程度には裁判所を信頼しております.

私が申し上げた「事実に基づかない」とは法知識不足よりも実際の事実関係についての情報不足の意図でした.
それはそれとして義務教育課程における法律教育は是非是非強化してほしいです.これが不足しているからサラ金や悪徳商法が跋扈しているのではとも思っております.

宮崎学なんてやつは、反体制をきどっているが、やくざの提灯持ちだろ。ろくな奴じゃないよ。やくざの家に生まれたのを自慢しているような輩さ。そんなのと仲良しの安田弁護士先生は、そんなにご立派な、お人なのかね。死人に口無しでなにを、いまさら言い出すのか。浅はかなマスコミだ?自分たちの気にいらないものはそー見えるのではないか?高裁差し戻しのための傷害致死理論だろうが、死刑廃止のためならばこんな事なでする人間たち。真実といいながらダラダラ裁判を長引かせてるではないか?
姑息だ!

http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060508/mng_____tokuho__000.shtml

この記事を読むことをお勧めします

死刑という制度は、罪を償わせるという一見真っ当な理由によるものだが、実質は被害者の私刑を禁止した代わりに国家がこれを行うというものと定義する意外にない。仮に私刑を許せば法治国家とはもはや呼べず、中世の敵討ち社会に逆戻りするからであり、また、実質的側面からは、重罪を犯した犯罪者を処刑することにより、これから社会に出てきて行うであろう犯罪を予防する効果も期待できるからである。何やら変な宗教にはまったか人権派を気取っての人気取りを目論んで変な論理を捏ね上げ、こうした当然の論理が本当に理解できないのなら本当のバカである。そのような人間は、他人の感情を忖度するというまともな感情の持ち主とは到底思われず、人様の前で意見など述べても袋叩きに逢うのが関の山なので、庭の草でもむしっているべきである。

光市母子殺人事件の犯人への怒りが昂じたあまり、誰に対しての罵詈雑言か分らない文章を皆様にお見せしてしまいました。管理者の方及びお読みになって不快感を持たれた方々に深くお詫びいたします。

ただし、人権を守ろうという立場の人間の中には、どちらの人権を守るべきかまるっきり分らなくなっている人も結構見かけます。そうした人たちに対しては、先のコメントのとおりです。詫びません。

法律相談へ

ブログタイムズ

このエントリのコメント