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日歯連裏献金事件:検察側、立証の柱否定され…村岡氏無罪(毎日新聞 最終更新時間 3月31日 11時25分)

 かなり力の入った署名記事だと思います。

「最近、特捜部の調書は臨場感がないと思っていた。来るべくして来た判決だと感じる」。あるベテラン裁判官は、こう打ち明けた。 (中略) 一般的に法廷で供述内容が変遷することはあるが、それでも信用性が認められるケースは少なくない。前提として、法曹関係者は「調書の細部(ディテール)が持つ『厚み』が必要」と指摘する。「机の上に何があったとか、朝に誰とどんな話をしたとか。構成要件以外の話が最近の調書にはない。一言で言うと『落ちてない(容疑者が本心を明かすしていない状態)』という調書が目立つ」(ベテラン裁判官)

 検察としては、このベテラン裁判官の指摘を最も重大なものとして、謙虚に受け止めるべきだと思います。
 この指摘は、端的に特捜検事の取調べ能力が落ちていることを指摘しているからです。
 検事の取調べ能力の低下は、本件にとどまらず、現在係争中の、そして将来着手するはずの全ての事件について深刻な不安を生じさせます。

さらに、領収書の未発行が橋本元首相の意向である可能性や、自民党事務局長により処理された可能性を指摘。「1億円献金の不記載は事務局長を通して行われた」とした弁護側の仮説にさえ、「単なる憶測の域を超えたもの」とし、検察側の構図よりも優位に位置づけた。  裁判で起訴されていない者について踏み込んで言及することは、刑事手続きの原則に反する可能性もある。にもかかわらず、判決が踏み込んだことに、ある元検察幹部は「証拠もないのに仮説に仮説を重ねている」と厳しく批判する。

 この元検察幹部の指摘は、現検察幹部の不満を代弁していると思いますが、起訴の時点で、「なぜ村岡氏一人だけ起訴なのか」というのは多くの国民が疑問に思ったのではないかと推測しています。

ただし、事件を巡っては、不記載を認識していた野中広務元幹事長を起訴猶予とするなど、当初から「なぜ村岡元長官だけ」との声もあった。調書のディール以前に検察側の描いた事件の構図そのものに問題はなかったのかが問われている。

 要するにそういうことなのです。
 特捜部の捜査する事件は、関係者の供述に頼るところが多いです。
 だからこそ、事件の構図(いわゆる筋)が正しければ関係者の供述の信用性は少々のことでは揺るがないのですが、構図が歪んでいますと、いくら調書で取り繕ったところでその信用性には自ずと限界が生じます。

政治家を対象とした捜査への影響を心配する声もある。ある検察幹部は「この種の事件はどうしても供述に頼ることになるが、今後はもっと多くの『支え』を要求される。捜査に消極的にならなければいいが」と懸念を示す。特捜部経験のある元幹部は「2審もかなり厳しい。控訴趣意書を書くのに相当苦労するだろう」と表情を曇らせた。

 冷静かつ的確な認識だと思います。
 「今後はもっと多くの『支え』を要求される。」とのことですが、今に始まったことではなく当然のことです。

 私は、政治家の不正に切り込めるのは特捜部しかないと思っています。
 その意味で特捜部に大きな期待を寄せています。
 一審とはいえ特捜部は負けたわけですから、その反省を踏まえて捜査に消極的になることなく、がんばって欲しいと思います。
 正しい構図が描けているならば、多くの『支え』となる証拠が、努力に応じて自然に集まってくると信じてその使命を果たしてもらいたいものです。
 正しい構図の重要性から見ますと、特捜部のおいては最前線の取調べ担当検事の取調べ能力だけでなく、主任検事、副部長、部長などの指揮官に深い洞察力が要求されます。
 この点についても、筋読みは的確であったかどうかについて、検証の必要があるでしょう。

 とはいうものの、政治家を被疑者とする事件の立件と処理にあたっては、証拠関係との兼ね合いによる何らかの政治的配慮はありえるのだろうと想像しています。
 私自身は、政治家に対する捜査に関与したことはありませんが、やはり相手はそれなりの数の有権者の支持を得て議員となっているのですから、謙抑性が働くことは批判にあたらないと思っています。
 もちろん確たる証拠があるならば、総理大臣だって起訴できるししなければならないと思いますが、証拠に決め手か欠く場合は、より慎重にならざるを得ないことを理解されるべきだと思います。

 私の想像では、本件は検察としては、派閥の最高幹部に対する牽制の意味で牽制球を投げたつもりではなかったかと思っています。
 ところが、ボールの握り方が悪かったか狙いがそれたかして、暴投になってしまい一塁手(裁判官)がとても取れないボールを投げてしまった。
 こんなふうに見る余地はないでしょうか。
 そう見てしまいますと、村岡氏をスケープゴートという言い方は、本質をついているかもしれません。

 もちろん私は、特捜部が無実の村岡氏を犯罪者にでっちあげて起訴したというつもりはありません。
 検察としては、手を思いっきり伸ばしたのだけど、村岡氏までしか届かなかったということだと思っています。
 ただし、今回の判決を見る限り、深い闇の中に手を伸ばしたことから、捕まえるべき対象を誤ったということになってしまいます。

 しかし闇の中に存在する不正の事実は否定されません。

 報道において

無罪判決は旧橋本派(現津島派)内の暗闘を浮き彫りにした。しかし、津島派は党内最大派閥から転落するなど、事件後に弱体化が進んでいる。
津島派は前回の総裁選で、村岡元長官と野中元幹事長の対立を中心に分裂状態に陥った。裁判では団結力を誇った仲間同士が憎悪をむき出しにする場面もあった

などと指摘されていることからすると、牽制球の意味はそれなりにあったものと思われます。

 検察は控訴の方針のようですから、村岡氏に対する労いの言葉はまだ控えさせていただきますが、先に引用した「2審もかなり厳しい。控訴趣意書を書くのに相当苦労するだろう」という元検察幹部の言葉は、控訴審の結果をかなり正確に予想しているように思われます。

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コメント(16)

>私自身は、政治家に対する捜査に関与したことはありませんが、やはり相手はそれなりの数の有権者の支持を得て議員となっているのですから、謙抑性が働くことは批判にあたらないと思っています。

「元検事」の方のブログとして唖然とするご発言です。
検察は公式にもこんな事言っているのでしょうか?

「法の下の平等」という言葉はどうなるんでしょうか?

証拠が弱ければ手がだせません。
リアクションが大きすぎて、逮捕したけど起訴できなかった、というわけにはいきませんよ。
政治家相手は権力闘争の色合いが生じます。
謙抑性というのは言い方を変えれば慎重さです。

政治家には証拠が弱ければ手を出しません。
一般人には証拠が弱くても手を出します。

ということですね。検察は。

政治家、特に国会議員相手には特に慎重になるということです。
法の下の平等との観点で言えば、会期中の国会議員には不逮捕特権があり、憲法上、平等ではありません。

「キミたちは何年 検事やってんだぁ!!欲にまみれて必死に悪知恵働かせてるヤツらが相手なんだぞ!キミたちのように型通りのことだけやって、シッポ巻いてたら、いつまでたっても勝ち目はない!”向こう側”へ踏み込んでくってのはそんなに甘いもんじゃないんだ!!」ある漫画からの引用です。先生の記事を読んでいて読み返しました。権力の向こう側を相手にするにはより慎重さが求められることを考えると今回は甘かったのかな‥

受験生さん
 まあ、勝負の世界は結果論ですからね・・・
 外野からはなんとでも言えるんですけど
 証拠を見ずに言ってるところがありますので、ピンぼけの意見もあると思うのですが
 ともかく村岡氏としては納得いかないところが多々あったような気がします。
 だんだん歯切れが悪くなってきました(^^;

>私自身は、政治家に対する捜査に関与したことはありませんが

私は逆に「元検事」として、率直な意見を述べていると感じました。
綺麗事を並べるのは誰でもできますが、逆に私はそういう意見ばかりだとうさんくさく感じてしまうので。

「謙抑性が働く」相手の範囲はどこまででしょうか?

1 現職の国会議員
2 現職でない元・前国会議員

一般人さん
 この問題は、形式的に線引きができる問題ではないと思います。

憲法上の特権のお話ですが、不逮捕特権は「会期中」の「逮捕」の話なので会期中以外の逮捕、もしくは在宅起訴についてまで国会議員と他の人とで差があると言えるかどうかはやや微妙な気がします。さらに、与党が行政権を掌握している現在においては、少数派の議員の逮捕に慎重であるべきとは言えても多数派の議員について特典を認める意義があるかはかなり疑問な気がします。

それはさておき、敵もさる者(国会議員を相手にする場合、向こうも優秀な弁護士を雇って全力で無罪を勝ち取るために闘ってくるだろう)、ということで相当証拠を集めないと有罪にできないと考えて起訴に慎重になる、というご趣旨であれば納得がいくのですが、起訴して無罪になったときの社会的影響(無罪になる可能性ではなくて無罪になった場合の影響)を考慮して起訴に慎重になるというのであれば、それが本当に適切な起訴裁量権の行使と言えるか個人的には疑問に思います・・・。

法科大学院生 さん
 国会議員を逮捕するということは、否応なしに政治問題になります。
 ということは検察が政治の世界に引っ張り込まれる危険性を孕むことになります。
 検察は、自らが政治に利用されることをとても嫌います。
 少なくとも原則的なスタンスとしてはそうだと思います。
 そういう観点から見る必要があると思います。

たびたび申し訳ありません。

政治に関わることになると準司法機関としての性格を歪めることになるのでそうならないようにする、というご趣旨はなるほどと理解できました。

それが有権者から選任された議員の犯罪の捜査には謙抑的であるべきだということと結びつくかどうかについてはもう少しまた考えたいと思います。

お忙しい中色々ご教示いただき、ありがとうございました。

 論理的に結びつくかどうかは価値観の問題とも絡んで難しい問題だと思いますが、特捜部の捜査が大きな社会的影響を生じさせることがあることは事実ですので、どうすればどうなるか、どうなるとさらにどうなるか、という現実問題を考えないわけにはいかないところがあります。

うーん・・ それにしても専門バカというか、あまりにも一般人の常識とかけ離れてしまうと組織の存在意義すらなくなりますね。

同感です.
その後有罪となって上告中の村岡さんがブログを立ち上げたようです4.
http://blog.goo.ne.jp/kanezou_muraoka
生々しい記述で一杯です.是非ご覧願います.

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