エントリ

 裁判を傍聴したわけではありませんので、報道で知る限りですが、弁護団は、少なくともお母さんに対する殺意を否認し、傷害致死であると主張したようです。

 しかし、控訴審判決を読んでみますと、一審二審を通じて、被告・弁護側は、殺害の計画性は争ったものの、被害者両名に対する殺意そのものは争っていないようです。
 ちなみに、一審判決に対する控訴は検察官だけがしており、2名に対する殺人を認定して無期懲役に処した一審判決に対して被告・弁護側は控訴していません。
 さらに言えば、先のエントリでも指摘しましたが、被告人の手紙は、殺意がなかったものの出す手紙ではありえません。
 本件が殺人については計画のない事案であるとすると(一審と二審はそう認定しています)、お母さんに対する殺意の不存在は、子供さんに対する殺意の不存在を推認させることになり、傷害致死1件と強姦致死1件の事案になるはずですが、もしそうなら無期懲役の量刑は宣告可能な最高刑でありますから、被告人においては極めて不満な判決であったはずであり、当時少年であった被告人に対する量刑としては重すぎるとして、当然被告人及び弁護人が控訴したはずです。
 検察官も控訴しているのですから、被告・弁護側としては、ダメもとでも控訴して損はなかったはずです。

 ところが被告人の出した手紙の内容は、死刑を免れてほっとする内容であり、控訴もしていないことからしますと、これはもう他の証拠を見なくても、被告人が殺意をもって2名を殺害(変な言い方ですが)したことは明らかであると思われます。

 このような経過に照らしますと、安田弁護士らが指摘する、鑑定書(たぶん司法解剖に関するもの)によれば手の向きが逆である、程度の主張で(テレビの記者会見ではそのように言っておられました。)、2名に対する殺意の認定が覆ることは、100%ないと言っていいと思います。

 そして安田弁護士ほどの経験豊富な刑事弁護士が、それを分かっていないとは思われません。

 では何故、安田弁護士らは傷害致死の主張をこの時点で持ち出したのか?

 もちろん推測になりますが、死刑廃止論者の安田弁護士としては、死刑判決が回避困難だとしても、被告人を一日でも生きながらえさせるために、批判を覚悟で殺意を否認したものと考えられます。

 ちょっと説明がいりますが、最高裁が原審の無期懲役判決を軽すぎて不当だと考えた場合の判決としては、最高裁が原判決を破棄して、死刑を自判、つまり最高裁自身が死刑判決を宣告する場合と、原判決を破棄して審理をいったん高裁に差し戻す判決をする場合があります。

 つまり、安田弁護士が今現実問題として考えていることは、最高裁が死刑を自判することを回避したい、ということではないかと思っています。
 最高裁が死刑を自判してしまいますと、その時点で死刑が確定してしまいますが、差し戻しになれば、控訴審審理の期間及び控訴審判決に対する上告審の審理期間、死刑の確定を阻止できるからです。

 刑事訴訟法第413条は

前条に規定する理由(注、管轄違い)以外の理由によつて原判決を破棄するときは、判決で、事件を原裁判所若しくは第一審裁判所に差し戻し、又はこれらと同等の他の裁判所に移送しなければならない。但し、上告裁判所は、訴訟記録並びに原裁判所及び第一審裁判所において取り調べた証拠によつて、直ちに判決をすることができるものと認めるときは、被告事件について更に判決をすることができる。

と規定していますが、弁護団としては、最高裁が「訴訟記録並びに原裁判所及び第一審裁判所において取り調べた証拠によつて、直ちに判決をすることができるものと認め」ないように、新たな争点を持ち出したものと考えられるわけです。

 もっとも、最高裁として、弁護人が傷害致死の主張をしないでも自判はせずに、差し戻すことが予想されます。
 有名な永山判決においても、最高裁は

以上の事情を総合すると、本件記録に顕れた証拠関係の下においては、被告人の罪責は誠に重大であつて、原判決が被告人に有利な事情として指摘する点を考慮に入れても、いまだ被告人を死刑に処するのが重きに失するとした原判断に十分な理由があるとは認められない。  そうすると、第一審の死刑判決を破棄して被告人を無期懲役に処した原判決は、量刑の前提となる事実の個別的な認定及びその総合的な評価を誤り、甚だしく刑の量定を誤つたものであつて、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認めざるをえない。 四 よつて、刑訴法四一一条二号により原判決を破棄し、本件事案の重大性、特殊性にかんがみ更に慎重な審理を尽くさせるため、同法四一三条本文により本件を原裁判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。

と判示して、事件を高裁に差し戻しています。
 本件もそのようになる可能性が高いと予想しています。

 ご遺族としては、最高裁による死刑判決を望んでいると思いますが、裁判所の死刑事件に対する慎重審理という姿勢からしますと、死刑という重大な判決を、最高裁といえども一つの裁判所だけの判断で確定させてしまうのは適当でないと考えているでしょうし、最高裁は法律審であるという建前からも、いったん高裁に量刑の見直しをさせるために差し戻すことになるだろうと予測しています。

 もっとも、最高裁が、「無期懲役では軽すぎる」と判断した以上、高裁はそれに拘束されますから、高裁としては事実認定や量刑に重大な影響を及ぼす新たな証拠が出てこない限り、死刑判決をするしかないわけであり、新たな証拠が出てくる可能性は本件ではなさそうですから、いずれは死刑判決が確定することになりそうです。

 そうなりますと、本件の裁判はさらに長期化しますが、長期化の原因の所在を敢えて指摘するとしますと、結果論ではありますが、安田弁護士ら弁護人側にあるのではなく、無期懲役を宣告した原審の高裁にあると言うべきでしょう。

関連エントリ
刑事裁判と被告人の納得(光市母子殺害事件から)

| コメント(58) | トラックバック(19) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

トラックバック(19)

山口県光市で1999年に起きた母子殺人事件で殺人罪などに問われ、一、二審で無期懲役の判決を受けた当時18歳の被告(現在25歳)の上告審弁論が昨日18日最高... 続きを読む

『山口県光市で99年、主婦(当時23)と長女(同11カ月)が殺害された事件の上告審弁論が18日、最高裁第三小法廷(浜田邦夫裁判長)であった。上告した検察側... 続きを読む

『 山口県光市の本村洋さん(30)宅で1999年、妻弥生さん(当時23歳)と長女夕夏ちゃん(同11か月)が殺害された事件で、殺人罪などに問われ、1、2審で... 続きを読む

山口・光市の母子殺害事件、最高裁が弁論を開き結審  山口県光市の本村洋さん(30)宅で1999年、妻弥生さん(当時23歳)と長女夕夏ちゃん(同11か... 続きを読む

山口・光市の母子殺害事件、最高裁が弁論を開き結審 (読売新聞) - goo ニュース 前回の弁論が弁護士の欠席という、被害者にとって非情な事態になったこ... 続きを読む

 ここ2,3日、あまりニュースやワイドショーを見ていなかったのだが、例の光市母子 続きを読む

もうこれっきりにしてくれ あっと言う間に一ヶ月が経っていた。 先月14日に予定されていたにも関わらず人権派弁護士がすっぽかしという法廷戦術によって遅延... 続きを読む

一 夢 庵 風 流 日 記 - 山口県光市母子殺人事件 (2006年4月19日 21:22)

あの弁護団が仰天驚きの言い訳を考えてきた。少年(犯行当時)が本村さんの奥さんと娘さんを殺したのは意図的ではなく弾みであった・・・真実はこうなんだ!・・・と... 続きを読む

世の中の多くの人が、やり場のない怒りを抱えてネット上を動き回っているのでしょうね。 こんなマイナーなブログの、しかも「報道ステーション」を見ながら、... 続きを読む

山口・光市の母子殺害事件、最高裁が弁論を開き結審 (読売新聞) - goo ニュース この事件で遺族の本村洋さんがTVや会見で8年間訴えられていることにつ... 続きを読む

山口・光市母子殺害事件、最高裁弁論で結審 本村さん「係争できたのは世論の高まり」 山口・光市で、当時18歳の少年が幼い子どもと母親を殺害した事件で、... 続きを読む

 さて、2日前の話で少々古いですが、山口母娘殺害事件の最高裁弁論、心配していたのですが予定通り開かれたので一応安堵しております。 連日この関連のニュースや... 続きを読む

やっと結審した光市母子殺害事件 先日、山口県光市母子殺人事件について取り上げた。 書いていて思ったのだが、この死刑になろうとしている殺人鬼について、ど... 続きを読む

ライフワークの仕事のために本業をすっぽかしOK、とな…。 が、「死刑廃止」という信念のために犯罪被害者のご遺族、 また法廷を愚弄することが司法の常識になっ... 続きを読む

弁護人出廷し結審=弁論続行は認めず?検察、死刑求める・母子殺害上告審 続きを読む

 山口・光市の妻子殺人事件の弁護人である安田弁護士、今度はしっかり出席したようですね。 本当はそれでも時間がたりないと言うのが本音だったんじゃないか?とい... 続きを読む

山口・光市の母子殺害事件、最高裁が弁論を開き結審  山口県光市の本村洋さん(30 続きを読む

佐藤秀の徒然\{?。?}/ワカリマシェン - 安田好弘弁護士インタビュー (2006年5月29日 21:06)

VIDEO.COM私が重大犯罪の被告を弁護しなければならない理由 ゲスト安田好弘氏(弁護士)を見る。いやあ、よく分からない。隔靴掻痒だが、そこがまた面白い。 続きを読む

最高裁判決が出ました。 2審・広島高裁判決を破棄し、審理を差し戻しだそうです。「 続きを読む

コメント(58)

質問です。
今朝のTVニュースをいくつか見た限り、安田弁護士の主張は二つあるようです。

  • 殺意はなかったので、殺人ではなく傷害致死である。
  • 被害者の死後の行為なので、強姦ではなく死体損壊である。

    主張1の意図はモトケン先生のご説明で理解できるのですが、主張2の意図がわかりません。単に、論点が多いほうがより長引かせることができるということなのでしょうか。
  • wd さん
     テレビのニュースは一部分しか見ていませんので知りませんでした。

    >被害者の死後の行為なので、強姦ではなく死体損壊である。

     これについてですが、仮に殺意がないとしても、強姦目的で女性に暴行を加えて被害者を死亡させた直後に姦淫した場合には強姦致死罪が成立するというのが判例です。
     ちなみに、殺意があった場合には、原審のように、殺人罪と強姦致死罪が成立するというのが判例です。

     ただし、いずれも学説には反対説があります。

     そして強姦致死罪が成立しないならば、無期懲役という原審の判断も維持できなくなりますから、争点としては、一応判決に直接影響する重大な争点ということはできます。

     しかし、この問題も勝てる見込みのある争点とは思えません。

     つまり、wd さんが仰るように

    >単に、論点が多いほうがより長引かせることができるということ

    だと思います。

     

    法律家の法廷戦術というものの深遠さの一端を窺う気がするお話ですね
    素人なりの疑問ですが

    > ところが被告人の出した手紙の内容は、死刑を免れてほっとする内容であり、控訴もしていないことからしますと、これはもう他の証拠を見なくても、被告人が殺意をもって2名を殺害(変な言い方ですが)したことは明らかであると思われます。

    の主張に対して
    「殺意の認定については被告人は不満だったものの弁護士が勝手に争わなかった
    無期判決で満足したので殺意の認定については我慢した」
    とかいう論法でこれられても裁判所は無視できるんでしょうか
    法律の素人からみたらかなり有り得る話にも思えるんですが
    だれだって細かい話よりは命の方が大事ですし,
    弁護人が交代した直後だけに使い易いかなと

    >死刑という重大な判決を、最高裁といえども一つの裁判所だけの判断で確定させてしまうのは適当でないと考えている
    >最高裁が、「無期懲役では軽すぎる」と判断した以上、高裁はそれに拘束されますから、高裁としては事実認定や量刑に重大な影響を及ぼす新たな証拠が出てこない限り、死刑判決をするしかない

    ここらへんが矛盾しまっくっている様で素人には理解しがたいのですが,ぶっちゃけて言えば「俺は殺りたくないからお前が殺れ」というような話なのでしょうか

     殺意に関する弁解については、一審段階から争っていなければ(どうもそのようですが)、いまさら何を言っても無駄、という感じです。
     一審の審理時点では、検察官の求刑は明らかではありませんが、当然死刑求刑もあり得る事案ですから、争える材料があれば全て争ったはずです。
     被告人は争いたかったが弁護士が勝手に争わなかったという弁解も通用しないでしょう。
     被告人としては命がけなわけですから、弁護人に不満があればそれが法廷に現れないわけがありません。
     仮に、被告人が争う意思であったのに弁護人が争わなかったとすれば、弁護士に対する明らかな懲戒事由になります。
     死刑が問題になる本件で弁護士がそんなことをすれば、首が飛ぶ可能性があります。
     ですから、裁判所としては、被告人が殺意を認めるということは、被告人と弁護士が、相談に相談を重ねて熟慮し、慎重な検討の結果認めたと考えるはずです。

     ぶっちゃけて言えばの件ですが、たしかにぶっちゃけて言えば、ほぼそういうことだと思います。
     エントリの原稿段階では、私もぶっちゃけた話を書こうかなと思ったのですが、制度的な説明にとどめました。
     制度的に言えば、責任分散システムといえなくもないかもしれないと思ったりしてますが(奥歯にものがはさまりまくりの言い方ですが)。

    やはり更なる長期化の可能性があるということですね。
    無関係な第三者として感情的になるまいなるまいと心がけているのですが、事件そのものへの怒りとは別に、この裁判に関するニュースを見る度に感じる切なさは一体何なのでしょうか。「誰でもいいから本村さんを早く楽にしてやってくれ!」と叫びたくなります。法律とは、裁判とは誰のために存在するのか、そんな根源的なことまで考えてしまいます。

    ところで、一審・控訴審がいずれも無期懲役だったのは、当時の司法関係者に死刑判決を出すまいとする風潮があったからだ、という話を何かで読んだ記憶があります。「凶悪犯罪には厳罰を」という社会的要求が強い今なら、下級審でも死刑判決が出た可能性が高いという趣旨でした。実際、控訴審で例の手紙が証拠として出されたにも関わらず、量刑にほとんど影響を及ぼしていないのは不自然だと思っていました。死刑を回避するため意図的に軽く扱ったと考えれば腑に落ちます。司法において、そういうトレンド(?)的なものが存在するのでしょうか? だとすれば、本村氏の不運をますます嘆かずにはいられません。

    いきなりすいません・・・・質問があります。
    TVで担当弁護士の一人である足立氏が「最短七年で出てこれる」という声に「七年では出てこれない。無期は二十年を超えている」と反論していました。
    でもそれは成人の場合であり、少年事件では若干違ってくるのはないかと思うのですが・・・・・
    少年法では無期刑については七年で仮出獄を認めていますし・・・・


    そこで質問があります。
    仮にこの少年に無期が言い渡され、少年が模範囚で過ごした場合、どのくらいの刑期になりそうですか?
    少年法が記すように七年という可能性もるのでしょうか。
    それとも足立氏の言うとり二十年以上は入ってるのでしょうか。

    みみみさん
     トレンドというと変ですが、最近は全体的に厳罰化の方向にシフトしているように思えるところがあります。
     もっとも、そのような傾向とは別に、裁判官の中には、できれば自分が死刑判決をしたくない、死刑を避ける理由が何かあれば死刑にはしない、という意識というか気持ちの人がかなりいると思います。
     ある意味で当然の話ですが。
     誰も自分の手は汚したくありません。
     裁判官の職責をどのように自覚するかの問題があるように思います。

    あざみ さん
     手近な資料を見た範囲では、少年の無期囚の仮出獄の資料は見当たりませんでした。
     成人については、最近5年間の無期刑の仮出獄者の89%以上が20年以上服役しているとの資料がありました。
     成人なら10年経過すれば仮出獄が認められ、少年は7年経過で認められることから、単純計算で考えますと、14年くらいは入っているのではないかと計算はできますが、実情については申し訳ありませんが、知りません。

    コメントでははじめましてになります、BBRです。
    先生のブログ、日々拝見しております。本日のエントリも、ちょうど私が疑問を感じていた所をわかりやすく説明していただいていて、感じ入りました。

    さて、私も現実的なところ、判決は破棄差戻しの可能性が結構あるのでは、と思っているのですが、原審も検察の控訴によるもので、被告人は第一審の無期懲役の判決を争っていないのですから、昨日安田弁護士が述べていた、傷害致死等々の事実認定に関する主張を差戻審で行うことはそもそも可能なのでしょうか。

    安田氏の目的が裁判の引き延ばしにあるのは明らかとしても、原審で何ら主張していない事柄を弁論で述べようとしても、直ちに打ち切られてしまうのが本来ではないのでしょうか。

    ひょっとして、広島高裁の裁判長の訴訟指揮は、自分の力である程度左右できるとかいう算段でも持っているのでしょうか。主張が荒唐無稽なものとしか思えないので、その辺りが却って疑問に思えてなりません。

    BBR さん、コメントありがとうございます。
     ご質問の件について、簡単に述べますと、刑事訴訟法第411条は、上告審が原判決を破棄できる理由のひとつとして

    >三 判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があること。

    と規定しており、判例は、この「事実誤認」は「事実誤認の疑いがある場合」を含むと解していますので、控訴審で主張されていない主張でも、殺意の有無は「判決に影響を及ぼすべき重大な事実」にあたると解され、最高裁が殺意の存否に疑念をもったとすれば、破棄理由になり得るものであり、原判決の殺意についての認定に誤認の疑いがあるとの理由で原判決を破棄した場合は、差戻審において、殺意の有無を確定すべくさらに審理を行うことになると思います。

     以上の観点から、安田弁護士らの主張は、上告審の主張として、その採否は別として法律的には成立し得るものだと思います。

     但し、本件では、最高裁は殺意の有無を、つまりその存在を認定してしまう公算が大であると思います。
     そうなると差戻審で殺意の有無を争点にすることはできなくなると思います。

     審理の促進を重視している最近の裁判所の姿勢からしますと、差し戻すにしても、差戻審における争点を可能な限り絞り込むような判決をするのではないでしょうか。
     その意味でも、弁護人の主張を全て出し切らせるために、弁論を補充する書面の受理を認めたのではないかと推測しています。

    早速の丁寧なコメント、ありがとうございます。

    まずは、最高裁の判決の内容に注目したいと思います(その前に、補充の書面をめぐってパフォーマンスが展開されるのでしょうか)。

    TBありがとうございました。
    私なんかは素人の感情的なエントリになってしまいますが、冷静な分析と法律についての解釈が書かれていて、いつも勉強になります。
    傍聴していた人がどこかで書き込みされていましたが、弁論を補充する書面の提出を裁判官から「期限は守るように」と言われて笑いが起きていたそうです。
    今回は高裁の判断によるものということですが、延命目当てであろう裁判の引き延ばしって何か罰則とか適用されたりはしないのでしょうか。麻原裁判も酷すぎると思うですし。。

    >モトケン先生
    たびたび丁重なご回答ありがとうございます
    一審で言わなかったから通らないというのは,全くその通りでこれだけ時間をかけていろのですから手続き論の次元で押し切れる話ですね

    ぶっちゃけた話の方は,どこの世界でも有る下のものがツライという話かなと,高裁の判事には(それでも相当エライんでしょうが)同情申し上げる次第です.外野の無責任な意見としては,ちゃんと3審目までやってるんだから最高裁でケリをつけないことこそ税金の無駄,ええかげんにして!といいたいです.

     先生の文章は、裁判の内容について、掘り下げて論理的に解説されており、門外漢にもたいへんわかり易く、また裁判以外の文章も面白く、興味深く拝読させて頂いております。

     なんら抵抗できない年少女児が被害者となる悲惨な事件や、理不尽極まりない動機による事件、また少年(体格、行動、考え方は成人です。)による残虐な事件を見聞するにあたり、やはり死刑をもって処する以外には、どうしようもない犯罪が存在すると考えております。この事件につきましても、広島高裁の控訴棄却無期懲役判決当時の新聞記事や、「裁判官が日本を滅ぼす」という書籍から、犯人が友人に宛てた手紙の内容を知るにあたり、その念を強くした次第です。

     ともすれば、耳に心地よく聴こえる死刑廃止運動ですが、このたびの、弁護側の行状をみていますと、国民感情を逆撫でし、むしろ死刑存続論者が増えるのではないかとさえ思われます。死刑賛成派が感情的になりやすいとの指摘も散見しますが、このような自己の面子にこだわった如きの弁護方法は、死刑廃止論者の側がヒステリックなのではないかとも思えます。

     さて、大変お忙しい中恐縮ですが、以下の私の考え方につき、ご意見賜りますれば幸いと存じます。

    (1)かつて、関東の地裁で裁判官が「国家が死刑を言い渡すのはたいへんなことです。」との旨を言及し、無期懲役判決となり、控訴審で逆転死刑となった事件がありました。逆に、中京の地裁で3名の少年被告に、地裁では1名死刑、2名無期懲役、控訴審では3名とも死刑判決となった事件がありました。素朴な疑問として、同一の犯罪でも、担当裁判官によって量刑が異なれば、裁判の公平性が保たれないのではないでしょうか?
     そもそも死刑判決を言い渡すのが嫌なのであれば、裁判官という職業を選択すべきではないのではないでしょうか?高裁の判決が裁判を長期化させたとのご意見至極尤もだと思います。

    (2)裁判官によって死刑選択判断が異なるのであれば、例えば、犯罪の様態や被害者の年齢、酌量の余地等を個々の項目に分類し、数量化し点数をつけ、(例えば、なんら落ち度のない幼児を殺害した場合は、高得点を課す等。)一定水準を越えると死刑を選択するというような議論は法曹界ではなされていないのでしょうか?

    (3)「死刑は国家が殺人を犯す。」という論調にも違和感をおぼえます。国民は国家に対して税金を支払い、国家は国民の生命財産を守るという観点に立つと、裁判官は国家そのものではなく、感情移入は禁物でしょうが、仇討ち復讐が許されていない現代国家では、裁判官は被害者遺族の代弁者として位置づけられるべきではないでしょうか?

    (4)昭和58年の最高裁死刑選択基準ですが、今や当時より20年以上経過しております。厳罰化の傾向がある現在、今回の事件で差し戻しはせず、最高裁が新たな死刑選択基準を提示する可能性はあるでしょうか?個人的には、「殺害された被害者の数」「犯人の年齢」「前科」は現在の情勢にそぐわないと思います。

     弁護士は弱者の味方、検事は怖い人とのイメージがあります。しかし全くの独断ですが、今回のような刑事事件では、むしろ検事の方々が、被害者遺族の方々と共に泣き、憤りを感じたのではないでしょうか。検事の方々の方が人情豊かであると推測します。

     死刑確定囚は、公正な裁判を受け、執行まで十数年、反省をする時間、死への準備が十分与えられています。また、絞首刑は、法医学書を紐解くまでもなく一瞬のうちに意識がなくなり、苦痛を伴う残虐な刑罰ではありません。被害者の方々は、わけもわからず何の準備もなく、恐怖と絶望のうちに苦しみ命を絶たれてしまいます。希望に満ちた将来が無となってしまいます。
     今回、本村氏の人生をリセットでき得る最高裁の判断を期待しています。

    全くの門外漢です。
    ここでのお話しに交ぜていただけるとも考えておりません。
    ただ一点、私が殺人事件の被害者遺族であることだけです。
    「或る内科医」先生の、
    ”弁護士は弱者の味方、検事は怖い人とのイメージがあります。しかし全くの独断ですが、今回のような刑事事件では、むしろ検事の方々が、被害者遺族の方々と共に泣き、憤りを感じたのではないでしょうか。検事の方々の方が人情豊かであると推測します。”
    に触発されました。
    私たちは、1審に至るまでの間、その通りの思いを実感しておりました。
    実際、被害者と加害側の弁護士の接点はありませんでしたし…。
    今回の安田弁護士のTV会見を拝見しても、加害者の利益が代弁されているとは思えないのです。いたずらに被害者や周辺の方々の感情を逆撫でするだけで、彼らが意図する結果を得られることはないように思います。
    事件を得物にして、別の結果を求めることは、2重に罪があるのではないかと考える次第です。
    ここまでの皆さまの論議を汚したかもしれません。お詫びします。

    >ある内科医さま
     横から失礼します。
     (1)「裁判官の独立」の結果として下級裁判所レベルでは多様な判決が下されることを許容しつつ、上訴制度によって判決の統一を図るという我が国の制度においては、判決はある程度不均質なものになります。
     裁判官が、事件の個別性に着目した結果、従来の判例に反する判決を下すべきだと確信した場合、この確信に従って従来の判例に反する判決を下すことは、「裁判官の独立」によって認められた裁判官の権利であるというだけでなく、司法制度の一翼を担う裁判官の義務なのです。なぜなら、下級審が事件の個別性を充分に汲み取り、これに基づいて従来の判例に異議を唱えることで、上級審に従来の判例を見直す機会を与え、結果として時代の要請に適い民意を反映した司法の実現につながるからだとされているからです。
     本件は、むしろ下級審裁判官のほうが従来の判例にとらわれてしまい、最高裁のほうが時代の要請・民意へより深い配慮を見せるという、逆立ちした状況になっていますが、これは、下級審裁判官が「少年への死刑適用は慎重であるべき」というテーゼを守ることで「裁判の均質性」を保とうとした結果であるということができます。つまり、下級審裁判官が「裁判の均質性」を意識しすぎたことで、かえって事件の個別性から離れた判決を出してしまうという結果を招いてしまったのではないか、ということです。

     (2)「量刑判断の点数化」については、日本での議論はまだまだ始まったばかり(始まってもいない?)ですが、例えばアメリカには「連邦量刑ガイドライン」というものがあります。米連邦法上の刑事事件の量刑手続においては、裁判官による量刑審理に先立ち、連邦裁判所職員である保護監察官によって「判決前報告書(presentence report)」が作成され、裁判官・検察官・被告人(弁護人)に提供されます。両当事者は、量刑審理期日に先立って「判決前報告書」に異議を申立てることが許されており、量刑審理期日では、両当事者から出された異議の部分に絞って審理が行なわれます。この「連邦量刑ガイドライン」の内容は、個々の犯罪類型に応じた固有の点数に、「火器の使用」「被害者の数」「被告人の訴追協力」といった“犯罪レベルカテゴリー”、前科・前歴といった“犯罪歴カテゴリー”による点数の加減を行い、算出された点数を懲役年月・罰金額に換算するというものです。(ここで少し(4)に言及いたしますが、死刑適用に限らず、およそ量刑を検討する際に「被害者数」「年齢」「前科・前歴」を判断材料から外すのは無理ではないかと考えます。)
     裁判員制度の施行に伴い、事実認定の理論化・量刑判断の客観化の必要性は高まっていますので、今後我が国でも議論が活発化することと思われます。

     なお、「むしろ検事の方々のほうが、被害者遺族の方々と共に泣き、憤りを感じたのでは」というご指摘についてですが、公訴官たる検察官が犯罪被害者に近いのは当然だし、被告人の主張を代弁せよと制度上義務付けられている弁護人が「被害者から遠い」といって非難されるのは酷に過ぎるでしょう。弁護士の中にも犯罪被害者の代理人として尽力されておられる方々もいれば、「誠実に医療行為を行った医師を起訴した検事」「歩道橋事故の再捜査を求める遺族に、玄関で事務官に対応させた検事」もいるわけですし。

     素朴な正義感,素朴な市民感情に沿って仕事ができる検察官の方が,時には世論を敵に回して被告人を守らなければならない弁護人よりも楽な気がします。弁護人は,被害者がかわいそうなのは百も承知で,被害者と共に泣きたい気持ちを抑えて,その職務に忠実に被告人のため弁護活動を行ってるわけですから,弁護人を非難するのは筋違いな感じがします。

    an accusedさま

     たいへんわかりやすい、秀逸な文章に感服致しました。この事例での下級審判決の後「司法に絶望した。」との被害者ご遺族の血の叫びが、無駄にならないためにも、判例第一主義にかたよらないような、従来の判例に反する判決を下す、「裁判官の独立」を強く意識した裁判官を教育養成するシステムが、我が国に存在し、発展することを熱望します。この事例での下級審判決結果の一要因として、一審、二審とも「裁判官の独立」が欠けていたのかと思うと、あらためて被害者並びにご遺族がお気の毒でなりません。

     法律は自然科学と同様に、ものごとを極めて論理的に考えてゆく学問であると思います。しかしながら、「人が人を裁く」という過程は避けようがありません。論理とは相反する、裁判官の性格や感情といったファジーな部分が、判決に至るまでの間、介在するのではないかと考えざるを得ません。「冷静かつ公明正大に裁く」ために裁判官がどのように自己の感情を訓練しコントロールしているのか、非常に興味のあるところです。なぜなら、ネットで公開されている判決文を読んでみても、「死刑」と「無期懲役」の「境界」がわからないのです。

     裁判官の「心の中」が第三者に読み取られれば、「裁判官の独立」が維持できないのでしょうが、各々の判決文には同じような語彙が並び、所論には理由がないなどと結語されていますので、素人の私の能力では、その「心の中」が読み取れないのです。その境界判断根拠が「昭和58年の判例」や「裁判官の独立」に起因するといっても、各裁判官に十人十色の考え方がおありでしょうし。

     さらには、裁判官が民意や素朴な国民感情を如何にして知り、判断されているのか、わからないのです。

     常日頃このように思っていましたので、大部分の国民が納得する、時代にそくした公平な判決がなされる為にも、裁判員制度云々もさることながら、「情勢に適応した、量刑判断の数量化」が必要だと思った次第です。(個人的には、乳幼児、学童等が被害者となる犯罪は、たとえ犯人が少年であり、被害者が1名であっても死刑相当と考えます。すでにこの時点で「人」である私は「感情の塊」となっておりますね。)

     私の文章が拙劣な故、「弁護士の方々、検事の方々に対する私の印象」を読まれた皆様に誤解を与えてしまったかもしれません。あくまで、今回の事例の「死刑廃止論者」の弁護人の方に対しての、各論的感想であります。ましてや弁護人の皆様全体への非難ではありません。また、本来のテーマから逸脱しておりますので、この点ご了承ください。 あえて付記させて頂ければ、弁護人の方々と同様に、医者は、たとえ極悪非道な患者さんであっても、知識を総動員し、職務に忠実に全力を尽くすのは言うまでもありません。


    >ぽんたさま
    今回の非難は弁護する行為そのものに向けられたものではないと思いますよ。どんな凶悪犯でも弁護を受ける権利があることは皆さん承知の上だと思います。ただ、安田弁護士の手法があまりにもイレギュラーかつ強引で、被害者への配慮に欠けていることが議論を呼んでいるのでしょう。
    「違法でない限り、被告の利益を守るためにはどんな手も使うのが弁護士の務め」という見方もあります。しかし、裁判員制度で一般市民の視点も司法に加わろうとしている現在、被告の延命のために裁判長期化を狙うかのような無理な主張や、記者会見でのイラストのように被害者の心情を省みない行為は、かえって被告側の心証を損ねる結果になるでしょう。
    an_accusedさんがおっしゃる通り、検事にも弁護士にもピンキリがあるということではないでしょうか。私自身は、安田弁護士の熱意はピンでも手法はキリだと思っています。

    「裁判官の独立」の結果として下級裁判所レベルでは多様な判決が下されることを許容しつつ、上訴制度によって判決の統一を図るという我が国の制度においては、判決はある程度不均質なものになります。

    こういうことを述べた文献ないし何らかの証拠が存在するのですか?
    何らかの根拠があるならば,お聞きしたところですな。
    単純に下級審レベルで,異様な思想を持った裁判官が存在するだけの話では?

    あそうさん:

    > 「裁判官の独立」の結果として下級裁判所レベルでは多様な判決が下されることを許容しつつ、上訴制度によって判決の統一を図るという我が国の制度においては、判決はある程度不均質なものになります。

    > 単純に下級審レベルで,異様な思想を持った裁判官が存在するだけの話では?

    両者は矛盾しないのではないかと思いますが。

    an_accusedさんが書かれたのは、「裁判官の独立+三審制」という制度は、「不均質な下級審判決」が生ずる事態を想定し、織り込み済みのものだ、というあくまで「制度面」の話だと思いますが、少なくとも私には特に違和感なく理解できる話です。
    という意味で、ソースを要求するような話でもないのではないかと思います。

    あそうさんのいわれる「異様な思想をもった裁判官」は、どの裁判官のどの判決・決定をもって「異様」とするかはさておき、その「制度」の中では存在しうるでしょう。

    そういう「異様な思想をもった裁判官」がいたとしても、その(法律上の)不都合は上訴によって是正されるし、その「異様」さが度を過ぎていれば再任拒否によっても是正される、ということでは。

    >或る内科医さま
     丁寧な応答をいただき、ありがとうございます。
     私も、或る内科医さまが仰るように、被害者ご遺族の血の叫びが無駄にならないような裁判が行なわれることを強く望みます。

     前のコメント(2)に補足いたしますと、アメリカにおいて「量刑基準のガイドライン化」が推し進められたのは、我が国ではあり得ないほど量刑に格差が生じ、量刑の予測が不可能に近かったからであり、我が国では裁判官が「量刑相場」という大枠の中である程度均質な量刑判断を維持してきたから「点数化」のような試みが行なわれてこなかった(必要と感じられなかった)のだろうと考えています。今後、裁判員制度の実施により量刑研究が活発化するだろうと申し上げたのは、「相場感」を有しない一般人が量刑決定に参与することで相場に大きな変動が生じる(又は相場そのものが喪われる)ことになるため、法的安定性を重視する立場の人々からの揺り戻しとして「量刑判断基準の構築」が図られることになるのではないか、と推測するからです。
     なお、「判決文を読んでも、死刑と無期懲役の境界がわからない」というご指摘は、私も同様に感じます。これは、判決書中に示される量刑理由は、単に判断の材料とした事情を列挙しているだけなので、個々の事情が量刑に影響を及ぼした度合いがわかりにくいからではないかと思います。

    >あそうさま
     基本的文献として、近代における裁判の裁量的・創造的性格について述べたものとしてマックス・ウェーバー「法社会学」(創文社)を、最高裁判例と異なる下級裁判所の判決が最高裁の判例変更の契機となることについて述べたものとして中村治朗「裁判の世界を生きて」(法律時報社)をご紹介しておきます。

    >fuka−fukaさま
     ご解説いただき、ありがとうございます。
     いろいろと応答文を考えていたのですが、fuka−fukaさまのご説明に尽きると感じましたので、私からは文献紹介にとどめさせていただきました。

    或る内科医様
     「乳幼児、学童等が被害者となる犯罪は、たとえ犯人が少年であり、被害者が1名であっても死刑相当」というのは,人の価値に差があるということですか?被害者が年寄りなら無期でも構わないが子どもなら死刑?

    あそう様
     異様な思想を持った裁判官でなくとも,微妙な限界事例であれば多様な結論が出るのは当然ではありませんか。裁判官はコンピューターではなく人間ですし。むしろ,どの裁判官が判断しても全く同じ結論しか出ないという方が気味が悪くないですか。

    >>ぽんた氏
    「乳幼児、学童等〜」=力無き者という表現では?

    >ポンタさま

     私の駄文「個人的には、乳幼児、学童等が被害者となる犯罪は、たとえ犯人が少年であり、被害者が1名であっても死刑相当と考えます。」に関するご指摘ですが、決して高齢者の方が被害者ならば、無期懲役でよいという意味ではありません。ましてや、被害者の年齢により、命の価値に差があるという意味は含んでおりません。

     この際、私事で恐縮ですが、皆様に私の胸中を吐露させて頂きます。

     近年、乳幼児学童が凶悪な犯罪に巻き込まれる事件が多発しているのは、ご周知のとおりです。しかも、自らが危険な場所に行ったために被害にあうわけではなく、日常生活の場においてです。即ち、通学路(奈良、栃木、広島の事件)、学校や塾内(京都、大阪池田小の事件、古くは学校内のトイレで被害にあった事件もありました)有名な宮崎事件、神戸須磨、長崎の事件。あるいは海や川に投げ込まれたり、ショッピングセンター内でいきなり刺されたり。こういった報道を見聞するたびに胸が熱くなるのです。

     なんら落ち度がない、ましてや抵抗の出来ない子供が犠牲となることに、さらに、宇宙のように大きい、子供の未来を消し去ってしまうことに、特に強い義憤を感じるわけです。しかも、その犯行動機として、わいせつイタズラ目的が多いのは言語道断です。

     光市母子殺害事件に関しても、最も安全であるはずの自宅において被害にあわれています。不運にもあのような凶悪な男が近隣にいて、言葉巧みに屋内に入り込んでいるのです。この際、お母さんは他人を疑わない、純粋な心の持ち主ゆえに、屋内へ入れたのでしょう。凶悪犯は、その純粋な気持ちを利用しているわけです。

     下級審の判決文を読みますと、その犯行状況が詳細に列記されております。4月の午後、平和であるはずの日常のひと時におこった惨劇が目に浮かび、読みながら涙がでてきました。もっとも頼りにしているお母さんが、あのような酷い目にあっている傍らで、逃げることもできず、ただ泣きじゃくるだけの、生後わずか11か月の娘さんの胸中、そして、苦しみの中で、最愛の娘さんを思うお母さんの気持ち。どんなにか無念だったでしょう。

     しかも、犯人が友人に宛てた手紙、自分は法律上少年であるから、死刑にはならないという計算。被害者のご遺族に対する侮蔑的な文言、まさしく言いたい放題です。まさに蛇蝎の如く忌み嫌うべき内容です。計画性や動機が云々という問題ではありません。死刑にしなければどうしようもない犯罪が、現にあるのです。しかし、広島高裁では無期懲役でした。死刑も考慮と述べつつ、種々の理由をこじつけて、何とかして死刑を回避したいといった判決内容だったという印象があります。

     このまま無期懲役が確定してしまうと、著しく社会正義に反すると考えます。このような判例を残してはいけないと思うのです。

     ここに至り、本村さんはもちろんのこと、法治国家を自負する、我が国全体の問題ではないでしょうか。
     
     an accusedさまの、詳細丁寧なご解説にもありましたように、逆立ち現象となってしまいましたが、最高裁の方で自判ないしは破棄差し戻しをし、死刑相当との裁定が下されることを、心の底から願う次第です。

    4人の子を持つ母親です。法律のことは全く分かりません。でも、もし自分が今回のこの事件の被害者の家族だったらと考えました。自分が被害者の家族だったら、法律によって加害者が死刑になるのはいやです。自分の知らないところで、他人の手によって、自分の家族を殺した者が殺されてしまったら、わたしは、やり場のない思いをどこに持って行けば良いか分からなくなるのではと思います。何十年かの懲役か無期懲役かにして頂きたい。そしたら、毎日、犯人に会いに行きます。いえ、思い出すのがいやで、何ヶ月か何年かは、会いにいけないかもしれない。でも、生きていてい欲しい。そして、会いにいけるようになったら、話し合いをします。いえ、初めは、話し合いなんてきっとできない。暴言を吐いてお前も出てきたら、私の手で殺してやるからな..なんて言ってしまい、家へ帰ってきてから落ち込みそうな気がする。それでも、気が済むまで犯人と会い、自分の気持に納得がいけば、もしかしたらどこかで、もう済んだことだと思える日がくるかもしれない。犯人も、もしかしたら、心から反省してくれる日がくるかもしれない。結果的に出来なくても、人の手によってそういう結果が出る可能性を摘み取られてしまうのはイヤだと思いました。想像してみての感想なので、本当にそうなった時は、全く違う思いを持つかもしれませんが..。とここまで、書いてきて、これは、おもに、自分の子供が殺された時の気持を想像しているなあ.......と思いました。夫や自分の両親だった場合は、ここまで怒るかどうかわからない.....マイダーリンごめんなさい。でも、逆に私が、殺された場合、マイダーリンには、犯人を極刑にしてくださいとは言って欲しくないという気持ちがあります。お前の愛情はその程度だったのかー!天国か地獄で、叫んでしまいそうな気はします。自分勝手ですが.....^^;
    直接法律には関係ない話なのですが、一庶民の感情を書いてみました。

    安田弁護士と足立弁護士の主張がどういう意味を含んでるか、
    ある視点から考えてみました。

    両名は鑑定書や実況見分調書を調べただけで
    1、2審での事実認定が誤りだということを指摘しています。
    そして、殺意を持った殺害行為ではなく過失致死に留まると主張しています。

    ということは、これまでの前任弁護士は
    7年もの長い間裁判に関わってきながら、
    その間にこの重大な事実誤認に気がつくこともなく、
    たかだか無期懲役という判決を得ただけでガッツポーズをし(したと言われている)、
    上告もせずに本来ならば被告人にとっての不当な量刑を
    当人に納得させるに至ったということになりますよね。

    これはつまり、中光という前任弁護士は
    証拠を精査して被告人にとっての有利な弁護をするという弁護士としての
    仕事を全うすることの出来ない、その能力を欠いた人間だって事を
    安田、足立両名が指摘しているのに等しいって事にはなりませんかね?
    特に、安田弁護士は「誰が見ても原審は間違ってる」などと言っていましたが、
    であるならば、当然証拠に接することが出来た前任弁護士がその間違いに
    いち早く気付くべきということになると思うんですが…。

    後任者がそれまでの弁護内容とあまりにかけ離れた主張をすると、
    前任者との整合性がとれなくなると思いますが、
    これは問題ないのでしょうか?

    或る内科医 さん
     私も、法律家以前の一人の人間としてあの判決文は読むに耐えません。
     そして、一審と二審の裁判官はどういう気持ちで無期懲役を言い渡したのかとさえ思います。
     法律家としての論理が、かろうじて無期懲役がありうることをつぶやきます。
     しかし、ありうることとその選択が正しいかどうかは別問題です。
     がしかし、量刑における論理的に正しい判断などというものがあるのかとも思うのです。
     最終的には社会の支持の問題になるのだと思います。
     まさしく、死刑存廃論がここにあります。


    とみざわさん
     コメントありがとうございます。
     被害者の立場としては、被害と向き合い、それを克服する途はいろいろあると思います。
     しかし刑事司法は被害者や遺族の気持ちだけを代弁するものではありません。
     特に死刑はそうだと思います。
     私は、本件の被告人は死刑になるべきだと思いますが、それは遺族が死刑を望むからではありません。


    ふぃる さん
     ご指摘のとおりだと思います。
     安田弁護士らの弁護戦術は、ほぼすべての面において私の考えの対極にあるようです。

    無期懲役でも14年ぐらいで仮出獄が認められるかのような記載がありますが、仮出獄に対する認識が間違っていませんか。

    仮出獄は、「受刑者が本当に反省して更正し」、「社会的責任を償った」場合に、検察官が認めてあげるかもしれない、という制度ですから、「反省もしていないのに仮出獄が認められる」などという議論は、前提を欠く議論です。無期懲役で反省しなければ、死ぬまで懲役です。

    もし、14年で仮出獄が認められるなら、14年で「受刑者が更正し」「社会的責任を償った」と検察官が判断したということですから、「懲役14年」が正しい量刑であったということになりますし、死刑求刑が不当であることを検察官が自認することと同義です。最高裁まで死刑を争った経緯を考えれば、検察は、意地でも、被告人が死ぬまで仮出獄を認めないでしょう。

    今回の議論は、「死刑」と「仮出獄を検察が認める可能性がゼロの無期懲役」を巡る議論ですが、どちらでも大差ないと思いませんか。むしろ、「無期懲役」として、「本当に反省すれば出してやる」とする方がふさわしいように思います。

    はじめまして。 私は、本村さんを励ましたい一心で、3月そして先日と、最高裁へ初めて、傍聴に出かけた者です。抽選には、外れたものの、本村さんに声をかけることが出来ました。その時彼は、毅然とした中にも穏やかな表情で、うなずき返してくれました。でも、その後姿を見送りながら、私は、涙がとまりませんでした。
     詭弁としか思えない弁論を展開する弁護士の二人ですが、翌19日は、安田氏自身が被告となっている、約8年前の公務執行妨害事件の公判が、東京高裁で開かれました。この事件で、彼についている弁護団は当時で、900人以上。今では、千数百人とか?もちろん足立さんもです。オウム関係の弁護士はじめ、そうそうたる顔ぶれでした。 オウムや、耐震偽装事件では、マスコミを通じていつも全面的に、対立しているはずの弁護士さんたちが、当日の弁護人30人弱の中に、しっかり顔を出しているのです.人権派弁護士の安田さんを断固、支持すると、裁判所の中でも外でもイキマイテいました。 しかし私は、どうしても解りません。 誰にとっての人権派なのか。案件は違うものの、これだけの支援を受けている人物が、光市の事件においては、あまりにも、良識ある国民感情からは、かけ離れた弁護を展開するのかが。 それから、もうひとつ。弁護士さんたちの仲間意識というものが。 事件が違う、、ということは、わかっているのですけれど。  支離滅裂な文章になってしまいました。ごめんなさい。
      最後に一言。私は、死刑制度を支持します。裏返して言えば、殺人事件など引き起こさなければ必要のない罰なのですから。

     

    ボビーさんへ
     これは橋下弁護士がおっしゃっていたことなのですが,人権というのは相対的なもので,犯人と被害者との関係で言えば守るべき人権は当然被害者のそれですが,国家権力と被告人との関係で言えば,守るべき人権は被告人の人権だとのことです。
     私もそこは分けて考えた方がよいと思います。でないと,被害者がかわいそうだから,被告人なぞ国家が煮て食おうが焼いて食おうが好きにせい,ということになりかねないですから。
     あと,執行妨害の件は事案を読めば分かると思いますが,あの事件は大弁護団が付くにふさわしい,不当な国家権力の行使がなされた事件だと思います。

    ぽんたさま   
     コメントありがとうございます。 
    もうひとつの、不当に行使された国家権力のほうは、事案の内容を確認してみます。 

    異論を挟んで申し訳ないんですけど、万が一(通用するしないは別として)真実殺意が無かったとすれば、死刑の求刑は重すぎるのではないですか?
    例の手紙にしても、確かに挑発的な文言ではあるものの、殺意を証明するような部分は無いように思われます。
    今まで殺意を認めていたのは、被告の反省の表れであって、それは殺意を認めたとしても死刑にはならないと思っていたから争わなかった。
    と思うのは被告に対して同情的な見方すぎるでしょうか?
    いずれにせよ、こういう事件において、殺意について争いが無かったとすれば、それはその方がおかしいと思います。
    弁護側が被告と話し合って殺意を認めたとしても、それで殺意が完全に証明されたこととはならないのではないでしょうか?
    やはり、こういう重要ことは裁判でキッチリ争って真実を追求するべきだと思います。

    RYZ さん
     殺意がなかったと認定されれば、処断刑の上限は無期懲役(最悪で強姦致死)ですから死刑はありえません。

    >今まで殺意を認めていたのは、被告の反省の表れであって、それは殺意を認めたとしても死刑にはならないと思っていたから争わなかった。

     こんなことは考えられません。
     少なくとも私は考えないし、一般的な検事や裁判官も考えないと思います。
     本件で「絶対死刑にならない」などと楽観的な考えを持つ被告人や弁護人がいるでしょうか。
     懲役30年が無期懲役になる可能性は受け入れられるとしても、無期懲役が死刑になる可能性がわずかでもあって、真実殺意がなかったのであれば、反省の表れとして殺意を認めるなどということは、ほとんど非現実的な想定です。
     被告人自身が殺意はなかったと思っていたならば、または弁護人が殺意を争う余地があると思っていたならば、無期懲役よりずっと軽い判決の可能性もあるわけですから、殺意を争わない弁護士、または殺意を被告人に争わせない弁護士は懲戒ものです。

     なお、

    >例の手紙にしても、確かに挑発的な文言ではあるものの、殺意を証明するような部分は無いように思われます。

    とのことですが、例の手紙を読んで被告人が反省していると感じる人はまずいないと思います。
     そうしますと、被告人が反省の気持ちから殺意を認めたという論理が成立しなくなります。

    >いずれにせよ、こういう事件において、殺意について争いが無かったとすれば、それはその方がおかしいと思います。

     控訴審判決を読んだ限りの推測ですが、本件では殺人の計画性は争われています。
     殺人事件において、殺意の存在自体は争わない事件はいくらでもあります。
     本件において殺意を争う余地があったかなかったかは、証拠の詳細を見てみないと判断できませんが、もし争う余地があったなら、普通の弁護士なら当然争ったと思われます。
     争っていないとすれば、それは証拠上殺意を争う余地がなかったものと推測します。

    >弁護側が被告と話し合って殺意を認めたとしても、それで殺意が完全に証明されたこととはならないのではないでしょうか?

     弁護側が被告と話し合って殺意を認めたということであれば、被告人の殺意の自認供述は極めて強力な証拠になります。

    >やはり、こういう重要ことは裁判でキッチリ争って真実を追求するべきだと思います。

     このご意見は殺人事件については必ず殺意を争うべきであるという趣旨でしょうか。
     殺意を争うか争わないかは被告人と弁護人が協議して判断すべきことです。
     そして被告人には、殺意を争う機会はこれまで十分あったのです。
     争わなかったとしたらそれは被告人の判断であり、その結果は被告人に帰せしめられるべきです。
     その判断過程において弁護人が適切な助言をしていなかったとすれば弁護人が批判されるべきですが、弁護人が虚偽自白をさせたものでもない限り、自白の信用性が大きく揺らぐことはないと思います。

     ちなみに、殺意というのは、被告人が「殺すつもりでやった」と言うか言わないかだけで認定されるものではありません。
     自白は重要ですが、さらに客観的な証拠を総合して認定されるものです。
     つまり自白がなくても場合によって殺意は認定可能です。
     本件がそのレベルかどうかは分かりませんが。

     さらに付言しますが、裁判において「歴史的真実」は必ずしも明らかになりません。
     裁判において重要なのは、「証拠によって認定される事実」です。
     言い方を変えれば、「証拠によって認定される事実」以外の何物かを根拠に裁判をすることはできません。

    死刑支持派の特徴
    1.「あの犯人憎たらしいから殺せ」という野蛮な感情の持ち主
    2.復讐心を消し去ることができない小学生かヤクザのような精神年齢
    3.更生の可能性を全否定する短絡思想の持ち主 何でそんなこと言えんの?あんた神様?
    4.死刑は被害者遺族の復讐心を満たすためにあると勘違いしている知ったかぶり もっと勉強しろよお間抜けさん
    5.死刑は被害者遺族の復讐心を満たすためにあると言ってておきながら、実は自分が憂さ晴らしをしたいだけ

     ネットでよく見る死刑支持派の特徴ですね。
     もっと端的にいうと、「殺したんだから死ね。」という感じですね。
     そのような意見を見ると、いつも「そうじゃないんだけどな」と嘆息しています。

    「短絡的で感情論に凝り固まった死刑支持派 VS 寛容な心を持ち理性を重んじる死刑反対派」というのは、死刑反対派が好んで示したがる図式ですね。内容から察するに、これは挑発のためのテンプレートのようです。支持派にピンキリがあるように、反対派にもピンキリがあるのだなあとため息をついてしまいます。
    現在の日本で死刑反対派が少数勢力に甘んじている原因は、決してマスコミの偏向報道だけではありません。通りすがり氏が2でいみじくも体現しておられるような「被害者への敬意の欠如」こそ、一般市民の支持拡大の大きな妨げではないかと私は考えます。安田弁護士や足立弁護士の記者会見の有様もそれを裏付けるものでした。
    死刑反対関連のドキュメンタリーなどを見た時、いつも私の心に引っかかるのは、「寛大な心で加害者を許す被害者=被害者のあるべき美しい姿」「声高に厳罰を求める被害者=憎しみに心奪われた哀れな被害者」というおためごかしなレッテルが透けて見える点です。
    葛藤を乗り越えて加害者を許せる人は本当に素晴らしい。だからといって、そうしない人を責めることは許されない。現行法で極刑たる死刑が存在する以上、悲惨な運命を強いられた遺族がそれを求めるのはしごく当然のことです。そして、それが妥当だと判断したなら、検察が死刑を求刑するのもなんら不当なことではありません。私は「加害者の最後の砦となる弁護士」と同じくらい「被害者と共に泣く検察」も社会に必要だと思います。
    個別の事件において、「被害者の救済は別問題だ」と死刑反対派が言うのと同様に、「死刑の是非も立法の問題なんだからよそでやれ」と言いたいところです。
    煽りにも冷静にレスを返されるモトケン様の姿勢に敬意を表します。

    私は法曹ではありませんが、法学はたしなみ程度にやっています。


    弁護士は現代日本でも希有なムラ社会の生き物です。

    一般国民からすると、その職業性を差し引いても、まったく珍妙としか取れない発言をする(せざるをえない)のは、生態まで考慮すれば「アリ」でしょう。

    しかし、そこまで理解を示しても、今回の安田弁護士らの発想や具体的行動は私の限界を超えている。

    モトケン氏の「刑訴法413条を延命のために利用しようとしているのでは?」という推測を読んで「成る程」と感心する一方で、ますます分からなくなりました。


    なにも、「彼の人間性が理解できない」という類の感情を言うのではありません。

    「弁護士の中でも極端な死刑廃止論者である安田弁護士」

    というフィルターで、冷ややかに彼を見たときにどうしても分からないのです。


    これだけ社会の関心を集める事件。

    さらに、被害者遺族である本村氏が堂々たる死刑存置論者であることを、マスメディアが取り上げている。

    死刑制度という観点のみから言えば、オウム事件よりも注目度が高いとすら言え、歴史的にも重要な裁判でしょう。

    法曹界だけではなく、世間一般でも今後の死刑を考える上で「語りぐさ」になるであろうことは疑いありません。


    そんな中で、まず、モトケン氏ご指摘のとおり、構成要件のうち計画性ではなく、その前の殺意を争おうとしている点。

    法廷戦略として明らかに無謀です。

    しかし、このやりかたは弁護手法の無理だけではなく、被告人の証言の無理も産む。

    結果、怒りを通り越して失笑する程の珍妙な証言の山となり

    「甘える気持ちで」
    「死体を蘇生」
    「ちょうちょ結び」
    「来世で結婚」

    これでは、国民の応報感情を高めるだけでしょう。

    弁護団がこのセリフを与えたことは疑いないが、百歩譲って被告人のオリジナルだとしても、弁護団による「火消し」が見られた様子もなく容認しているとしか思えない。

    マスメディアとネット界で、被告人の発言や態度が、痛烈な批判をもって、あるいは面白おかしく、どうしても不利にしか取り上げられない。


    仮に安田弁護士らが、その危険性を踏んででも、刑訴法413条を利用しようとしたのであっても、それは1人の延命にはなるかもしれないが

    無期(地裁)→無期(高裁)→死刑(高裁)→死刑(最高裁)

    というルートを辿ることになり、本件を歴史的にも強固な死刑支持判例として存在せしめる結果になるでしょう。


    以上、それぞれを鑑みるに中嶋博行の言い様ではないが、「死刑廃止論者・安田好弘」が今後の実務的な法の運用上のみならず、国民感情の上でも、死刑を支持しやすくしているとしか思えない。

    国民感情が死刑を支持しているかどうか?
    この認識こそが、法の番人である前に、一人の弱い人間である裁判官の背中をこれまでどれだけ押してきたか。

    それを知らない安田弁護士ではないでしょう。


    どんな悪魔でも弁護する、どんな悪魔の命でも救うという安田弁護士の姿勢は理解できないではない。

    悪魔すら救おうとした弁護士がいたという事実のみであれば、死刑廃止論を後押しするでしょう。

    しかし、死刑制度を国民感情の上でも、法運用の上でも堅牢なものにしてしまった弁護士がいたとしたら、理解が真逆になります。

    いったい、日本中のどれだけの刑事弁護士や弁護士を目指す人々が、今回の安田弁護士らの法廷戦術に嘆息をついていることか。。。


    どうやっても「死刑廃止」を訴えたい理性人のする行動ではないとの感が強いのです。


    私にとってかろうじて一つの理解の仕方は、安田弁護士を「死刑廃止論者」としてではなく、怯懦の人と見る方法です。

    死刑をもって敗北した弁護士が、あたかも自分が被告人に死刑を言い渡したかのような錯覚にとらわれると聞きます。

    安田弁護士がある種の「後遺症」ともいえるであろう怯懦をもって、死刑となろうとする現在の被告人を助命することに執心するあまり、それが後々の社会に与える影響を鑑みないと考えれば、そして、彼の展開する死刑廃止論は、その延長線上にある理由付けにすぎないと考えれば、かろうじて納得できなくはないのです。

    そのためには、あの熱く堂々とした安田弁護士の瞳の奥底に、怯えの炎がゆれるのを見なければならないのですが・・・

    No.37 真鍋かおり さん

    安田弁護士に対する評価は違うかもしれませんが、おっしゃりたいことに100%同意します。

    >>37

    真鍋かお

    まで読んだ


    # 一言だけマジレス  日本の殺人罪や強姦致死罪に「計画性」なる構成要件はない。

    真鍋かおりさんご本人なのでしょうか?(マ、それは話の枕ということで)

    被害者の声が強くなって何も言えなくなって来ているような現状(一般論です)に対して、自己の職務・職責を使って、果敢にものを言っている(そしてそれが被告人の望むところでしょうから)と考えたりする今日この頃です。

    psqさま

    「眞」でも「を」でもありません。
    自分のブログへのアクセスが欲しいだけでしょう。それが偶然「似た」実名であってもなくても。
    フィッシングの一種ですねw

    >>薬屋の企画屋さん

    力強い同意、ありがとうございます。


    >>psq法曹さん

    被告人の望むところ・・・ですか。
    ものを言うことが彼の望みは延命、助命だけだと思いますが。
    私は被告人を気の毒に思うことすらあるのですよ。
    彼が本心から「悪人のまま終わりたくない」と言ったのなら
    弁護団の方針が、少なくとも法廷で彼に悔悛の善人であることを許さないのですから。


    >>fuka_fuka(イソ弁) さん

    ご指摘ありがとうございます。
    日本語を広くとらえて死刑支持の構成要件・・・とでも置き換えてお考えください。
    その方が当方の意思もよく伝わります。
    単純に安田弁護士に迷惑だと思うときもあるのではないですか?
    弁護士に対する認識も一昔前よりずいぶん変わってきましたし。

    >>42

    その名前でナニを掻いても説得力null
    既存の価値にfree rideする必要があると考えている時点で自分の固有の意見に価値がないと自認しているのだろう
    私はそうみなす

    お前がやっていることの悪質性は"goggle"と同レベル。
    http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=118541

    納得したならそのブログは閉鎖して名前変えて引っ越しな。

    > 日本語を広くとらえて死刑支持の構成要件・・・とでも置き換えてお考えください。

    自分から「構成要件」というテクニカルタームを使っておきながらこうやって後出しの言い抜けをする人間を私は徹底的に軽蔑する

    ここで続けるのは迷惑かもしれんので、場外乱闘掲示板に 「真鍋かおり(≠眞鍋かをり)を叩こう」 というスレでも立てようか?

    No.43 fuka_fuka(イソ弁) さん

    >既存の価値にfree rideする必要があると考えている
    この問題については同意

    マスコミ報道限りだが、弁護団の主張とされているものをまとめると、

    .灰好廛貅駝で水道屋の格好をし、
    ▲團鵐櫂鵐瀬奪轡紊鬚靴討い董△覆爾被害者宅に入ってしまい、(住居に侵入してしまったら、もはやピンポンダッシュではないが・・・)
    1さんを見たら突然母が恋しくなって抱きついてしまい、
    けさんが抵抗したので奥さんの首に体重を乗せて押さえたら死んでしまい、
    ゥ泪泪乾藩靴咾里弔發蠅濃匐,鮠欧肪,つけ、
    子供を泣き止ませるために、何を思ったか子供の首にちょうちょ結びを作ろうとして、紐で締めたら死んでしまい、
    Ъ誉困垢譴弍さんが復活すると思って死姦し、
    ┘疋蕕┐發鵑なんとかしてくれると思って、死体を押入れに押し込んだ。

    しかも、この主張が、最高裁の差戻判決により差戻審で死刑判決が下される可能性が高くなった途端に、なされたというのだから、合理性や信用性なんてある訳がなく、差戻審の裁判官が正気なら死刑判決は確実だと思う。

    「どんな主張をしてでも、被告人に有利な判決を引き出すのが弁護人の使命だ」と弁護人が自己陶酔するのは勝手だが、合理性も信用性もない戯言を社会が容認してやる義理はない。
    他の弁護士が、「弁護活動としてならば、あのような主張がなされても容認するべきだ」と発言するのは、自分達の仕事を神聖不可侵のものと考える驕り以外の何物でもないと思う。弁護人制度だって単なる社会装置の一つに過ぎないのだから、他のあらゆる制度に社会性が要求されるように、弁護人制度にだって社会性が要求されるのは当然のこと。仮に弁護人が社会性を無視するのを許容しようとするならば、弁護人制度だって社会から排除されるべき害悪となりうるのだということを、弁護士は肝に銘じるべきだと思う。

    「被告人が言うことなら、どんなに馬鹿げた主張であっても弁護人は主張せざるを得ない」との発言も見られるが、被告人側の主張の推移を見れば、社会常識で考えて上記のストーリーを「発明」したのが被告人ではないことは明らかなわけで、それでも「被告人が言い出したのかもしれないじゃないか」などと案じてやる義理は社会にはない。仮に上記のストーリーが弁護人の意に拠らず、本当に被告人から発案されたものならば、弁護人は辞任するべきだろう。
    社会性を超越した存在ではなく一つの社会的な存在に過ぎない弁護人は、社会性を逸脱した主張に組してはならない。そうしないと、弁護人制度が果たすべき本来的な役割を果たせなくなってしまう。弁護人制度が社会の信頼を喪失すれば、弁護人制度だって死ぬのだ。弁護人制度は、全く絶対的なものではないのだ。

    多くの一般人が、本件における弁護団の主張に触れて、「馬鹿に付き合ってられない。刑事弁護制度なんて本当に必要なのか?」と感じていることの重大性を、他の弁護士や弁護士会も深刻に受け止めるべきだと思う。弁護士会は、本件弁護団に対してしかるべき処置をとらないと、自治権を失いかねないぞ。

    No.46 アルブレヒトさん

    おっしゃりたいことは同意。

    しかしながら、
    >社会常識で考えて上記のストーリーを「発明」したのが被告人ではないことは明らかなわけで
    ここは不同意。
    当初はそうおもっていましたが、最近、被告人が次から次へと珍妙な発言をしているところを見るとさすがに意見が変わりました。
    これさえも安田弁護士の作戦であるならば、ぼつでおkさんのポアロ説に同意です。

    >fuka_fuka(イソ弁) さん

    当方に関する不快感をお示しになるのはご自由ですが
    自覚されているとおり、こちらでは場が荒れます。
    ご自分のところ、場外、私のところいずれでもかまいませんので
    ご非難の場をご移動ください。


    >管理人さま

    至って真面目にコメントしたつもりでしたが
    もともとの私のHNとブログの名がふざけていたばかりに
    思わず一部の人を過剰に刺激してしまい、場が荒れてしまいました。

    当方のコメントの扱いについてはお任せします。
    私はこのようなお客さんがいらっしゃる以上、下がらせていただきます。

    No.46 アルブレヒトさん
    >マスコミ報道限りだが、弁護団の主張とされているものをまとめると、
    .灰好廛貅駝で水道屋の格好をし、
    ▲團鵐櫂鵐瀬奪轡紊鬚靴討い董△覆爾被害者宅に入ってしまい、(住居に侵入してしまったら、もはやピンポンダッシュではないが・・・)
    1さんを見たら突然母が恋しくなって抱きついてしまい、
    けさんが抵抗したので奥さんの首に体重を乗せて押さえたら死んでしまい、
    ゥ泪泪乾藩靴咾里弔發蠅濃匐,鮠欧肪,つけ、
    子供を泣き止ませるために、何を思ったか子供の首にちょうちょ結びを作ろうとして、紐で締めたら死んでしまい、
    Ъ誉困垢譴弍さんが復活すると思って死姦し、
    ┘疋蕕┐發鵑なんとかしてくれると思って、死体を押入れに押し込んだ。

    少なくとも、
    .灰好廛貅駝で水道屋の格好をし、けさんが抵抗したので奥さんの首に体重を乗せて押さえたら死んでしまい、ゥ泪泪乾藩靴咾里弔發蠅濃匐,鮠欧肪,つけ、
    子供を泣き止ませるために、何を思ったか子供の首にちょうちょ結びを作ろうとして、紐で締めたら死んでしまい
    は弁護団の主張ではありません。

    みなさんこんにちは。okaと申します。
    いままでこのブログでROM専やってましたが
    >>37-48のやりとりを見かねてコメントします。
    板を荒らしているのは常連気取りで真面目にコメントした人に揚げ足取りにヤクザまがいの暴言で一方的な攻撃をしているイソ弁氏でしょう?
    真鍋氏の少なくともコメントは常識的なのに人様の板で「真鍋かおり(≠眞鍋かをり)を叩こう」 というスレでも立てようか」とはいったい何様なんですか?
    私はイソ弁氏のような人間こそここから去ってほしい。
    真鍋氏は板に配慮して削除を要請しているが個人的には>>37の見解にモトケン様がどうコメントするのか非常に興味深い。

    >>37-48のやりとりだけでなく、ニセ真鍋のブログも見てみるといいですよ。
    楽天のニセ真鍋はハンドルだけでワタシの脳内NGワードにひっかかるから、ワタシは見ませんけどね。

    >>白片吟K氏 さん

    せっかくですが真鍋氏のブログには興味ないです。
    私が言いたいのは「この板で」イソ弁氏の下品な発言や振るまいが目に余るということなんです。
    たとえ真鍋氏が詐欺師であっても「この板の」コメント欄を荒らしているのは真鍋氏ではなくイソ弁氏だと思います。
    私の発言も書いてみて読むとずいぶん乱暴だけどイソ弁氏よりはおだやかに言ったつもりですよ。

    まあ、fuka_fuka(イソ弁) さんのコメントが目立っているのは確かですが、
    以前、真鍋氏のブログをちょっと読んで、法律的な間違いを指摘しようかなあ、と考えてから、
    間違いが基本的すぎるうえに、間違いを直してもらいたいわけでも無さそうだから止めよう、とあきらめたことがあるワタシは、怒る気持ちもわかるんですよ。
    だからちょっと口を挟ませていただいただけで。

    なお、私の感覚は2ちゃんが基準なので、
    この板は今も昔も別に荒れていない、と判断しています。
    まー、感覚の問題ですけどね。

    この板を上から順に読んでいたら真鍋氏のコメントがありました。
    薬屋さん同様その内容には十分納得するところがありました。
    その後にfuka_fuka(イソ弁) 氏が登場。基本的な間違いを指摘するまではぜんぜんよいですが
    「納得したならそのブログは閉鎖して名前変えて引っ越しな。」
    「場外乱闘掲示板に 「真鍋かおり(≠眞鍋かをり)を叩こう」 というスレでも立てようか?

    ですよ。
    わたしには真鍋氏が自身のブログでどんなことを書いていてもなんで余所サマのブログへの感情を他人サマのブログで出すのかが理解に苦しみますね。
    真鍋氏はブログを公開しているしコメント欄もBBSもあるから真鍋氏への批判は削除覚悟でもそこに書けば?というのが筋論じゃないですか。
    削除がイヤならご自分でブログを持ってそこに書けばいいじゃないですか。
    「ここ」では真鍋氏の「この板」に書かれたコメントに付いてだけ述べればいいんじゃないですか?

    白片吟Kさんは「>まー、感覚の問題ですけどね。」とのことですが足跡帳に行ったらこんなものを見つけました。

    >時々出没しておりますfuka_fukaです。
    >弁護士です。まだまだ駆け出しに属するペーペー、いわゆるイソ弁です。
    ・・・
    >年齢層もキャリアも様々な方々の、たくさんのナマの意見に触れることができるので、個人的には「掲示板化」は歓迎です。
    >というか、コメントを投稿する人が増えてくれば不可避な現象だと思います。
    >「よい掲示板」風になるか「悪い掲示板」風になるかは、参加者同士の良心とマナーの問題ではないでしょうか。

    >では、今後ともよろしくお願いいたします。>皆様
    >-------------------------------------------
    >No.9  Posted by: fuka_fuka | 2006年08月31日 20:30

    彼のマナー感覚は少なくとも1年ほど前までは2ちゃん感覚ではなかったようですよ。

    いや、fuka_fukaさんのマナー感覚が2ちゃん感覚だということじゃなくて、
    私の感覚が2ちゃん感覚なんですよ。

    別にokaさんのご意見に反対はしませんよ。
    正論だと思いますから。

    んー、
    真鍋かおりだかそれに類する名前の有名人か何かが存在するってことですか?
    世間に疎いもので…

     このエントリでトピずれコメントが重なることは避けたいと考えていますので、管理人として一言いわせていただいて収束ということにしたいと思います。
     もしさらに何か言いたいということであれば場外乱闘のほうでお願いします。
     
     真鍋氏のコメント自体は賛否両論はあるにしてもまっとうなものだと思います。
     しかし、やはり問題はお名前なんでしょうね。
     真似ハンであると断定はできませんがそう思われても仕方がない面はあると思います。

     実は、私には過去に真似ハン使いによって友人が深く傷ついたという苦い思い出があります。
     ですから、真似ハンには、正直言いまして生理的な嫌悪感を感じるところがあります。
     真鍋氏におかれては、半年近く続いているブログをお持ちですので典型的ななりすまし真似ハンとはちょっと違うのかも知れませんが、ブログタイトルから見てもやはりマイナスイメージは免れないところです。

     fuka_fukaさんも豊富なネット経験をお持ちだと思いますので、つまりいい思い出もいやな思い出も経験されていると思いますので、fuka_fukaさんのコメントは心情的には理解できます。

     真鍋氏(だけではありませんが)におかれては、このブログではコメント投稿者に実名は要求しないとしても、人格の継続性つまりハンドルの独自性を大事にするという空気があるということをご理解願いたいと思います。

    No.54 okaさま

    間延びしてしまいましたが、場外乱闘掲示板のほうにコメントさせていただきました。

    http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/3910/1182565691/r39

    法律相談へ

    ブログタイムズ

    このエントリのコメント