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  死刑囚に慰謝料を支払わされた弁護士(囲碁と法律の雑記帳)

 安田弁護士について考えるときに必読の記事です。

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コメント(16)

つまり弁護士は裁判所の判断が不当であると考える被告がいる限り、被告が控訴を行う権利の代理人とならねばならない、というわけですね。
なお、どの方向から調査しても被告有利の判断が得られず訴えは言いがかりで手に負えないと考える場合は、最低限の義務として被告自身に自身の弁護をしなさいと言わねばならないと。
なるほど、最もです。

ところで、このような凶悪事件(山口県母子殺人など)において、被告が事件当時は自身は発狂状態で事件に対する責任は無い、と主張した場合どうなるのでしょうか?
今は自然治癒してしまったが当時は間違いなく発狂状態だった、それが分かるのは私自身だけだが間違いなくそうだと主張した場合です。
精神鑑定を受けても事件当時の精神状態を図ることは出来ないでしょうし、周囲の人間が幾ら彼は正常だったと主張しても、いや、回りからは正常に見えただけだと言ったとすると。

 この事案の弁護人が、死刑反対を旗印にしている安田弁護士ではなく、仮に死刑賛成論者の弁護人であった場合、或いは全く死刑に関して中立的な考え方の弁護人であった場合、かような議論沸騰となったでしょうか?裁判に個人の思想を持ち込んでもよいのでしょうか?
 
 かつて国会で死刑存廃論が議論された際、「どうしても死刑が必要な犯罪がある。」といわしめた「おせんころがし事件」というのもありましたね。(加賀乙彦氏「宣告」参照)

 この問題については私が最初に本件について書いたときに一言触れているのですが、別の弁護士ならたぶん微妙に違っていただろうと思います。
 もっとも安田弁護士ならではの行動と思われるところがありますので、安田弁護士以外の弁護士だったら、という問題提起はあまり意味がないかもしれません。

>裁判に個人の思想を持ち込んでもよいのでしょうか?

というご質問についてですが、裁判に思想を持ち込むというのがどういうことかが問題になります。

 一定の思想に基づいて弁護方針を決定するという例は昔からあります。
 最近はとても少なくなりましたが、過激派絡みの裁判(いわゆる公安事件)ではもろに思想が弁護方針を決定しています。
 その場合でも、法令に違反せず、被告人の利益に反しない限り、それはそれで弁護の一つのあり方だと思います。

 ただし、裁判は一つの価値観だけで成り立っているわけではありませんから、一つの思想または価値観に基づく弁護活動が他の価値観をないがしろにするようなことになれば、軋轢が生じ、その弁護士がよって立つ価値観に対しても反作用が生じる可能性があります。

 私は、死刑に絶対なりなくない被告人に死刑廃止論者の弁護士がつくことについて、それ自体には何の違和感もありませんが、検事として刑事司法、刑事裁判、刑事政策というものを意識してきた私としましては、安田弁護士の行動には賛成できないところがありますし、個々の事件として本件を見た場合においても、裁判官の判断によって左右される被告人の利益を考えた場合、死刑判決を回避するための弁護活動とは思えません。
 
 たぶん安田弁護士は、日本の死刑廃止論にも本件の被告人の死刑回避の可能性についても絶望しているのだろうと思います。
 買いかぶった見方かも知れませんが、安田弁護士には、もはや被告人の延命しか眼中にないのかもしれません。

私は、弁護士になったときに、先輩弁護士から、刑事弁護というのは、特に実刑事案では、「弁護人はやれることをやってくれた。自分が言いたいことは全て言ってくれた。」と納得(?)してもらって刑務所に行ってもらうということも重要だ、と教えられました。

誰がどう見ても無罪は無理だという事件でも、被告人がどうしても無罪を主張してくれと言えば無罪を主張し、被告人の無茶な主張も法的に筋の通る主張に構成しなおし、裁判所に退けられるのが分っていても精神鑑定の申立てをし、申立てが退けられれば異議を出すくらいのことはしてきました。

私は、幸いなことに死刑事案はやったことがなく、また、田舎にいるので控訴・上告事件もやったことがありません。
私が、もし、誰がどう判断しても死刑だという事案の弁護を引き受けたのなら、被告人が悔悟していればその気持ちを裁判所に伝える、無罪を争うのであれば被告人の主張を出来る限り裁判所に伝える、という仕事しかできないのではないかと思います。

 PINEさん、こんばんは
 基本はPINEさんがおっしゃるとおりだと思います。
 ただし、国選事件についてはまさにそのとりですが、私選弁護ですとまず受任するか否かの段階でかなり悩むことになると思います。
 私は、私選なら自分の心証と被告人の主張が齟齬するなら受けません。
 
 今問題になっている母子殺害事件について言えば、安田弁護士らがなぜあの段階で受任したのかは、「弁護士のため息」の M.Tさんが書いておられるように、接見したわけでもない我々として本当のところは分からないのですが、安田弁護士らが記者会見で明らかにした殺意を否認する理由については、

それとも、死刑が恐くて錯乱している被告人の言い分を弁護人として主張せざるを得なかったのだろうか。

というMTさんの推測は大きく外れてはいないように思います。

 ただし、そのような被告人の主張を聞いた上で受任したのは、安田弁護士らのポリシーによるところが大きいのだろうと推測します。
 結果として、今のところ、成功しているようには思えませんが。

 私としましては、被告人がどんなに言いたいと思っていることでも、それが判決に悪影響(被告人により不利益な裁判)をもたらす可能性が高いと判断した場合は、そのリスクを説明して主張を引っ込めるように説得します。
 説得できなければ受任しない、又は辞任を真剣に検討します。
 国選の場合は、腹をくくりますが。

 >モトケン先生

 モトケン先生のご解説、an accusedさまのご解説、全くお見事としか言いようがありません。素人の小生が日頃、裁判等、司法に関して抱いていた疑問を氷解させるのには十分です。司法の世界は、語彙も含めて余りにも専門的で、素人は口出し無用のような、敷居の高い所がありますので。

 このサイトに出会えてよかったです。文章もメチャクチャおもろいです(大阪出身なので言葉使い失礼の段ご容赦ください)。

 死刑制度や、職業上先般の富山県某病院での安楽死の件に興味があります。機会があれば取り上げていただければ幸いです。
 
 閑話休題、先生より2つ年下の小生ですが、やはり記憶力減弱し、腰痛で集中力も低下の一途をたどっています。先生のバイタリティには恐れ入ります。あぁ、あと30年昔に戻れたら、法学部受けたいなぁ。論理的やのに、人間臭さを含んでる学問おもろいやろなぁ。

 
 

 

 

モトケンさん、コメントありがとうございます。

私は、概ね月1件の割合で国選事件を受任しており、私選事件は年に1件受任するかしないかなので、ついつい考えが国選事件を前提としたものになってしまします(=接見してみたら否認だった、というような。)。

私選事件の場合は、受任の前に接見する場合が多く、被疑者・被告人の言い分を吟味する機会が与えられておりますので、不合理なことを言う者に対しては、私も説得を試みてます。

安田弁護士の事件については、私も、安田弁護士としては、せめて死刑を一分一秒でも遅らせるということを考えているのではないかと思っておりました。

裁判に個人の思想を持ち込むのは,ある意味では当然だと思います。そもそも司法というものが思想と思想のぶつかり合いです。思想と言えば大袈裟ですが,同じ条文を解釈するにしても違うものがでてくるのは,そういう背景があるからではないでしょうか。

はじめまして

どんな凶悪犯にも自分を弁護する権利があり、その仕事を引き受けた弁護士は依頼主の弁護に全力を尽くすと言うシンプルな話だと思うのですが、今の日本のマスコミはA少年は一刻も早く死刑になるべきで、それを妨げる安田弁護士は「悪」、死刑判決を出せない裁判所は「ダメ」と言うことでベクトルがそろってしまっていて、怖いです。

弁護士先生方に伺いたいのですが、日本では保釈の可能性のない終身刑と言うのは出来ないのでしょうか?今の日本では死刑と終身刑にあまりに差がありすぎると思うのですが?

>安田弁護士の事件については、私も、安田弁護士としては、せめて死刑を一分一秒でも遅らせるということを考えているのではないかと思っておりました。

 PINEさんとは感覚がよく似ていると感じています。


>思想と言えば大袈裟ですが,・・・

 そうですね。
 考え方の違いがさまざまな局面で出てくると思います。


>保釈の可能性のない終身刑

 立法政策の問題ですからできないことはないと思いますが、死刑とは違った意味で過酷な刑罰ではないかとか、刑務所の秩序維持に問題が生じる可能性があるとか、いろいろ問題があるようです。

奉仕刑って作れないものですかね。
社会奉仕40年とか海外で地雷撤去労働20年とか。
懲役よりはゆるいものの、一定の人権制限下で社会奉仕をし続けるという刑罰があると良しかも。

保釈なしの終身刑の場合受刑者が人生に絶望してしまうという問題があるそうで(死なないだけの死刑みたいなものですから)、逆に「早く吊るしてやる」のがある意味人道的と言えるのかも知れません。

 >洗足さま
 >保釈なしの終身刑の場合受刑者が人生に絶望してしまうという問題があるそうで(死なないだけの死刑みたいなものですから)、逆に「早く吊るしてやる」のがある意味人道的と言えるのかも知れません。

 全くもって然り。120%同意致します。以下私の感想ですが。

・我が国では、死刑確定から執行までの期間が長すぎる。加えて近年、年1〜2名程度の執行なので 死刑確定者が増えてくる。(執行命令書に捺印しない、といった発言をする大臣が出てくる我が国ですから)

・死刑囚の中には時の経過とともに、自らの犯した凶悪犯罪に対する、犯してしまった事実、悔悟の認識が薄れてゆくものも出てくる。

・なぜ、自分が死刑にならなければならないのか、などと思い始める。当初の「死」に対する納得感や覚悟が(もしあれば)なくなってくる。

・拘禁反応を示すようになると、さらに、自分が死刑になる理由を認識できなくなる。

・そのような気持ちを持ったまま、突然やってくる「その日」を待ち続ける。
 
  これはある意味、人道的ではないと思います。

  また、確定から執行の期間が長いと、

・死刑執行の報道がなされた時、当時の凶悪事件がいかに残虐非道なものであったか、という事実が世間から風化している。
・その結果、執行に関する死刑反対論者のコメントが、前面に押し出される傾向がある。

  このような疑問をもってしまいます。

  

>或る内科医さま
おっしる通り、死刑確定から執行までの期間の長さは、問題だと思っております。
死刑の裁判-判決確定までが、多く報道・議論されているのに対し、判決確定-執行に関しては、比較して議論が少なく、不透明です。
死刑の場合、「執行されて初めて、(死刑という)刑を受けたことになる」(←これで合ってますか?)わけで、「執行」に関する議論は、「判決」に劣らず重要だと考えます。

一般人Y さん

>死刑の場合、「執行されて初めて、(死刑という)刑を受けたことになる」(←これで合ってますか?)

 はい、合ってます。

 はじめまして。

 「弁護士のため息」の管理人のM.T.です。
 私のブログのコメント欄に、(おそらくモトケンさんのブログを読んでやって来られた方が多いと思うのですが)たくさんのご意見や質問が寄せられています。

 質問をまとめたのがトラックバックさせて頂いた「刑事弁護についてのQ」です(ほぼご質問どおりで文章はほとんど変更していません)。
 これに回答するのは私には荷が重いのですが、季刊刑事弁護の特集記事を読みなら、私なりに考えて少しずつ答えていこうと思っています。
 モトケンさんも、よろしければ、ご自身の意見としてご回答頂けないでしょうか?
 お忙しいとは思いますが、やはり弁護士のあり方、刑事弁護の本質にかかわる問題だと思いますので、ご協力の程よろしくお願い致します。

M.T.さん、いらっしゃいませ
 ブログを拝見させていただいてます。
 いずれのQも難しい問題で、コメントしたいと思いつつ考え中です。
 もうしばらくお待ちください。

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