エントリ

 いろいろなご意見をいただきありがとうございます。
 長くなりましたので別エントリにしました。

 ヤブ医者さんに対して制度論について、一言述べます。
 日本では、軽罪については略式命令手続などがありますが、ある程度以上のレベルの犯罪になりますと、欧米の司法取引のような妥協システムがありません。
 そうなりますと、全面戦争または全面戦争を予測した捜査をしなければならなくなります。
 つまり、最大の捜査力を発揮することになるということです。
 制度的な問題というのはこういう視点からの意見です。

 後は順番に思いつくままにコメントしてみます。

 東証がライブドアの上場廃止を決めたのは検察が起訴したからだ、というご意見についてですが、検察の起訴が廃止の判断に影響を与えなかったとは言いませんが、まさか東証は地検が起訴したという報道だけに基づいて廃止を決めたのではないでしょう。
 東証は東証なりに事実調査をして、東証の判断と責任において決定したと見ざるを得ません。
 私は、検察に責任が生じることはあり得ないと言っているのではありません。
 ただ、上場廃止の責任は、まずは東証が負うべきであると考えます。
 検察の責任は第一義的には捜査及び起訴に関する責任であり、起訴に至っている現時点では判決を待って論じられるべきでしょう。

 東証としては、堀江被告が起訴されなくても上場廃止を決めた可能性はありますし、東証がある企業の上場廃止を決めるにあたっては、その企業の経営者の誰かが起訴される必要もないと思います。

 前にも書きましたが、誰のどのような行為によるどのような結果について、どのような責任を負うのかということをきちんと考えないと、雰囲気だけでものを言ってしまうことになると思います。

 刑事責任は、原則として個人責任を問うものです。
 会社の刑事責任を問う両罰規定はありますが、個人的には両罰規定などというものは行政取締の手段的意味しかないと思っていますので横に置いておきます。

 刑事責任に対し、上場廃止は企業としての責任を問うものと理解しておりますので、仮に粉飾が発覚した場合でも、企業としての自浄作用が十分発揮されたら、敢えて上場廃止にしなくてもいいのではないのかな、と思っています。

 私は、検察の捜査を外科手術に例えましたが、つまり腐った部分を取り除くということです。
 その後の企業をどうするかの問題は、ライブドアについて言えば、まさしく東証の対応が決定的であったと思います。
 検察の捜査を批判するのはけっこうですが、株主の利益を考えるのであれば、経営陣が逮捕された後にきちんと自浄作用が発揮されていれば上場廃止をしなくてもいいという制度設計もありうると思いますので、その点についての検討も必要なのではないでしょうか。

 堀江被告個人は検察の捜査によって社長の地位を負われたのであり、その意味では経済人としては死刑に近い不利益を被ったわけですが、堀江被告の不利益はライブドア事件固有の問題ではなく、刑事司法一般の起訴裁量や冤罪の問題です。
 検察の起訴が妥当であったかどうかは、これから検証されることになります。

 なお、検察の外科手術の対象は、日本の社会であると思っています。
 検察の主流的な発想は、あまり国家主義的ではありません。
 国家は、社会の治安ないし秩序の維持のための手段であると考えており、国家を目的視する検事は少数であろうと思います。
 また、日本人社会という限定もあまりしていないと思います。
 私が「日本の社会」と言ったのは、検察作用は国家権力の発動ですから、属地的には日本国内にしか及ばないのが原則だからです。
 日本人であろうと外国人であろうと、適法に日本で暮らしている人の利益は守られなければならないと多くの検事は考えているはずです。

 手術の効果判定という例えが提示されましたが、医療としての外科手術の場合は、手術そのものだけでなく、外科手術後の医療措置の問題も大きく影響してくると思います。
 しかし、検察は患部を切除することしかできないのです。
 その後のことをフォローする権限も能力もありません。
 検察の手術が、切らなくてもいいところを切ったと評価されるのであれば、手術自体が間違っていたことになるのかも知れませんが、切るべきところを切ったというのであれば、その傷跡の治療や同様の病状の再発防止のために社会全体が考え動く必要があります。
 社会全体のフォローの有無や程度如何によって、効果判定は大きく変わってくると思います。

 さてライブドア事件は切らなくてもいい事件だったのかどうかですが、切るべきではなかったという意見も多いようです。
 その中の一つに、ライブドアの時価総額の大きさに比して粉飾額が少ないという指摘があるようですが、金額の大小以前の問題として、ライブドアの時価総額が粉飾やその他の不正な会計処理によって膨らんでいたとすれば、そのような指摘は全くナンセンスなもののように思われます。
 そもそも粉飾が問題視されるのは、実態以上に時価総額を高く見せることからなのではないでしょうか。

 また、粉飾はどこでも普通にやっている、というご意見もあるようですが、これなどはスピード違反や違法駐車など誰でも普通にやっている、というのと同じ議論に思われます。
 まさしく程度問題だと思いますが、ライブドアがやっていた程度の粉飾(または粉飾に見える経理処理)の評価は、ライブドアと同程度の粉飾をしている企業の数によるのではなく、会計原則等に照らしてどの程度悪質かという観点から判断されるべきであると考えます。

 ところで、コメントにおいて引用された「週刊!木村剛」には

当局による自浄作用ではなく、制度としての自浄作用をもっと機能させたほうがよいという判断になるのではないか。  例えば、公認会計士協会は上場会社監査事務所部会を創設し、上場会社の監査法人に対して、登録を求めるとともに、一定水準の監査の品質を維持できない先に対しては、登録名簿から除名するという。これは、事実上の「破門」であり、これまで融和第一でやってきた協会としては、かなりの決断だったと思われる。

という指摘がありますが、もしライブドア事件が摘発されなければ、このような指摘はいったいいつごろなされたのだろうか、と思ってしまいます。
 日本は(日本だけではないかもしれませんが)、誰かが交通事故で死なないと交差点に横断歩道も信号も設置されない社会です。
 (なお、上記木村氏のエントリは何を言いたいのかさっぱりわかりません。)

 はなはだ失礼かとは思いますが、ここでけんじさんに少し苦言を呈しておきます。
 けんじさんは社会経験はそこそこおありのようですが、法曹界についてはロースクール生とはいえ、まだまだど素人に毛の生えた程度であり、特に検察の内部についてはほとんどご存知ないだろうと思います。
 そのけんじさんが

そもそも医学も含めた自然科学と違って、社会科学とくに法律学ではそういった「効果判定」のような思考は欠けがちなんですよ。
えてして「適法ならば責任はあるのか?」
といったロジックの世界に入り込みがちです。

とおっしゃるのは、やや片腹痛い思いがします。

 これも素人さんにチャチャをいれることになるのかもしれませんが、けんじさんが専門家を目指しておられることから、敢えて申し述べさせていただきました。
 ロースクール生でなければ、「そういうことがないとは言いませんが、普通は大きな事件についてはその社会的影響というものを考えますよ。法律的に可能だからといってなんでもかんでもやるわけではありません。」程度で済ませるとこですけどね。

 もちろん、批判は自由ですよ。
 反論も自由ですが(^^)
 このブログは、敢えて法律の素人さん(特にマスコミ)にチャチャをいれるというスタンスで書いてますので、それに対する好き嫌いの問題は議論の対象にはなりませんが、スタンス自体はそれなりのポリシーがあります。
 法曹界という外からは訳の分からんところの多い世界を少しでも理解してもらえればいいと思っています。
 ここで「理解する」というのは文字通りの「わかる」という意味であり、検察に対する賛同者を増やそうなどといった姑息な思惑はありません(^^)

 インターネットにおいて、曲がりなりにもジャーナリストを名乗って書く以上、たとえ一読してど素人さんと分かる文章であったとしても、批判を受けるのは当然ですし、それがかなりメジャーなサイトやブログに書かれたとなれば、私も批判すべきところはしなくっちゃ、という思いにかられますね。

 ただしライブドアニュースの件のパブリックジャーナリスト(なんじゃこりゃ^^)さんの記事は、「ご希望があれば突っ込みますが(^^)」程度だんたんですけどね。
 みなさんから思いっきり突っ込みが入りましたね(^^;

 批判で思い出しましたが、私の
>強制捜査による株価の下落、経営に対する支障の発生について検察が批判されるのであれば、検察は上場企業に手を出せないことになってしまいます。

についてですが、これは確かに表現が不適切だったようです。
 検察としては、正しいと思えば批判を恐れず毅然と捜査すればいいだけですね。

 それとヤブ医者さんが検察に対して唯我独尊的な印象をもたれるのはある意味当然かと思います。
 何故かといいますと、検察は公訴権を独占しているからです。
 その意味で、自浄作用というか自己批判という言葉は、検察にとって最も大事な言葉の一つだと思います。

| コメント(18) | トラックバック(1) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

トラックバック(1)

『元検弁護士のつぶやき』というブログがあります。時事の問題を中心に、元検察官の視点等からコメントされています。 続きを読む

コメント(18)

モトケン様、初めまして。Justinと申します。
本件に関する議論、大変興味深く読まさせて頂きました。

ここまでの議論でも大変勉強になりましたが、更に1点ご教示頂きたいことがあります。大変恐縮ではございますが、お暇なときにでも、ご教示頂ければ幸いです。

>特に検察の内部についてはほとんどご存知ないだろうと思います。
『そもそも医学も含めた自然科学と違って、社会科学とくに法律学ではそういった「効果判定」のような思考は欠けがちなんですよ。
えてして「適法ならば責任はあるのか?」
といったロジックの世界に入り込みがちです。』
とおっしゃるのは、やや片腹痛い思いがします。

この部分に関してですが、具体的に検察内部ではどのように「効果判定」と「フィードバック」を行っているのでしょうか?
私は検察関係者ではありませんが、権利行使とそれに起因する裁判の効果について具体的な「効果判定」基準と「フィードバック」の手法についてご教示頂ければ、その応用可能性について検討し、民事訴訟等において活用したいと思います。

以上、宜しくお願い申し上げます。

Justin さん、はじめまして
 検察の仕事は何かと言いますと、結局、事件を捜査して起訴するということに帰着してしまいそうですので、効果判定といい、フィードバックと言ってもかなり限定的なものです。
 また、特捜部が手を付けるような社会的に注目を集める事件と、日常的に処理している(検事にとって日常的という意味です)事件とでは意味合いが違ってきそうです。
 基本的には、効果判定というのは司法統計に基づくものになるでしょうし、フィードバックというのは処理基準の変更(起訴猶予基準や求刑基準の変動)ということになるのだろうと思います。

 簡単にいうと、最初は目くじらを立てるまでもないと思われるような事件でも、それが積み重なって社会的に無視できなくなり、統計上もそれを裏付けるような結果が出てくると、基本的に保守的な検察も動くという感じでしょうか。
 
 問題は、「社会が無視できなくなった」ということを何をもって判断するかですが、典型的には大きな(悲惨な又は無視できない)事件が起こった場合のマスコミによって取り上げられた被害者や市民の声がきっかけになる場合が多いと思われますが、そのような象徴的な事件が起きなくても、検事はそれこそ日常的に事件の被害者の声を聞いていますから、そのような声が一人ひとりの検事の感覚を動かし、それが上司のところで集約されるなどして徐々に処理基準が動いていくことも考えられます。

 ところで刑事訴訟の感覚と民事訴訟の感覚はかなり違うように思いますので、もう少し具体的な質問をお聞きしませんとこれ以上は答えかねます。
 企業で知財関係のお仕事をされているようですが、刑事の世界でもこれからいろいろ考えていかなければいけない領域のように思われますので、具体的にお聞きしても答えられない可能性が高いです(^^;

             /⌒ヽ
            /´く_` ) <じゃ、帰りますよ
            |    /
            | /| |
            // | |
           U  U

早速のご回答本当にありがとうございます。
司法統計と処理基準(の変更)ということですね。今回頂いたこの回答で基本的には十分です。参考になります。

結局、企業においても何らかの「効果判定」を数値に基づいて行い、それを基に処理基準を作っていくことになるであろうことが推測できました。
ここでいう『何らかの「効果判定」』を訴訟に限定して考えるべきなのか、1年単位で費用対効果を図るべきなのか、複数年単位で費用対効果を図るべきなのかは、(人事制度を含めた)その組織のあり方が重要な要因でように思います。

そして、企業の法務部や知的財産部の場合、訴訟に限定して物事考えていては『訴訟に勝って、ビジネスで負ける』といったことにもなりかねず、それでは経営層にも株主にも評価されませんので、基本的には費用対効果で考えるべきなのではないかと(今のところ)思っています。
もちろん、企業における法務部や知的財産部が訴訟に限定して物事を考え、後は経営層に任せるという手法もありえますが、よほど目的意識の高い組織でないと、役割分担が明確な効率的な組織になるよりも、単にセクショナリズムが発揮され、情報が共有されず、責任の押し付け合いになることが多いように思います。

目的意識が高い組織、すなわち、自浄作用、自己批判ができる組織があることが大事であり、
> その意味で、自浄作用というか自己批判という言葉は、検察にとって最も大事な言葉の一つだと思います。

というご発言は、非常に納得が行きました。

最後に、またまた質問で大変恐縮ですが、
> ところで刑事訴訟の感覚と民事訴訟の感覚はかなり違うように思いますので、

このようにお感じなる理由は、『刑法の謙抑性』や『検察が公訴権を独占していること』などでしょうか。

ご教示頂ければ幸いです。

>矢部先生
 起訴裁量行使の妥当性についてですが、理屈の上では「起訴しないことの不当」は検察審査会によって評価され、「起訴したことの不当」については裁判所によって評価されるということになるように思われます。ただ、「起訴したことの不当(公訴権の濫用による公訴棄却)」は、最決昭和55年12月17日において極めて厳格な要件が示され、具体的な適用の可能性がほぼ封じ込められていますので、事実上「検察の自浄作用」に期待する他ないというのは、矢部先生のおっしゃるとおりだと思います(それがよいことかどうかは別として)。

 さて、効果判定・フィードバックということを、刑事司法の分野で考えるのはなかなか難しいことなのではないかなあと感じました。
 例えば、ある被告人に対する刑を懲役6年ではなく懲役7年にした結果として、その被告人に対する特別予防の効果がどの程度変化したのか、あるいは懲役6年ではなく懲役7年にした結果として、犯罪発生率がどのように変化し、一般予防の効果がどの程度変化するのかなどについては、あまりはっきりしたことはわかっていないように思われますし、検察も裁判所も、わかっていないながらも何となく求刑・量刑を考えているように思われるのです(法務総合研究所あたりが研究しているのは、主に「矯正処遇の内容と再犯」といったアプローチで、「量刑と再犯率・犯罪発生率の相関」というような切り方での研究はあまりないような気がいたします)。
 またしても求刑・量刑論に引き付けた話にしてしまいましたが、例えば検察の起訴・不起訴の判断基準は、再犯率や犯罪発生率の増減傾向の影響をどの程度受けて変化しているものか、ご教示いただければ幸いです。

けんじさん
 凹まないでくださいね(^^;
 ロースクールの教員としての顔が出た意見ですので。

Justin さん、an_accused さん
 お返事は明日以降になると思います。

モトケン様、Justinです。
お忙しい中、何度も申し訳ありません。
明日以降で構いませんので、宜しくお願い申し上げます。

モトケン様、お教え有り難うございました。色々と考えさせられました。

以下の記述は私のコメントに対するものと解釈いたしました。

深い溝を感じて悲しく感じました。私は「検察はライブドアを見逃すべきであった」とは考えておりませんので。私の書き方の問題であれば良いのですが。

> また、粉飾はどこでも普通にやっている、というご意見もあるようですが、
> これなどはスピード違反や違法駐車など誰でも普通にやっている、というの
> と同じ議論に思われます。

箭内氏も、粉飾など日常茶飯だからライブドアを見逃すべきであったとは主張しておられません。氏が問題にしておられるのは氏自身を含む金融エリートの罪深さであり、そして、リークを多用する検察の捜査手法です。

Forsterstrasse さん、こんばんは

>以下の記述は私のコメントに対するものと解釈いたしました。
>> また、粉飾はどこでも普通にやっている、というご意見もあるようですが、

 これを読んで意外な感じがしましたので、Forsterstrasse さんのコメントを読み直しましたが、自分で言うのも変ですが、Forsterstrasse さんに対するものではないことを確認しました。
 「週刊!木村剛」の記述及びForsterstrasse さんが紹介された若者の意識などから私がその存在を推認した意見であって、Forsterstrasse さんがそのような意識を持っていると考えたわけではありません。

 Forsterstrasse さんが「手法」を問題にされているのは読み取っています。
 
 Forsterstrasse さんのコメントの中で、私も検察の対応に問題があるかもしれないと思っているのは、多くの大銀行の粉飾が刑事的には見逃されている点です。
 実は、同様の、かつもっと一般的な問題が大企業の脱税の問題にもあるのです。
 以前にライブドア摘発に関して一罰百戒について述べましたが、そのときは消極的意味合いが強い論調で書いたように思います。
 つまり一罰を加えるのが精一杯という現状を指摘しましたが、大銀行、大企業については、敢えて一罰の「一」ということを積極的に位置づけて考える必要があるのではないか、と感じています。
 つまり全部やってしまうと、日本の経済に深刻な打撃を与えてしまうが、見逃すといずれ全部が腐ってしまう恐れがある場合の究極の選択場面ではなかろうか、と思っています。
 言い方を変えるとスケープゴートになるのだろうと思いますが、目に余る横着な企業は、スケープゴートになる資格が付与されると考えると、このような一罰百戒にも正当化の余地はあるのではないでしょうか。

 時間がない中で書いてしまいましたので、不適切な又は誤解を招く表現があると自覚していますが、問題提起的なコメントとさせていただきます。
 

 素人にも大変分かりやすい説明と,複数のコメンテーターに対して自然に流れる文章の中で回答される手際の良さには感服しました.そして検察の手術後に社会のフォローが重要であることもよく解りました.有り難うございます.
 法律家の書く文章にはいろいろなところでお目に掛かりますが,モトケンさんほど明快な説明をされる方を他に知りません.
>検察に対して唯我独尊的な印象
かなり失礼な言いようでしたが,私が思うに
>検察は公訴権を独占しているから
よりは,モトケンさんのような検事さんが少ないから,の方が理由としてはより適切な印象を持ちます.実際に検事さん達とお知り合いになるとまた考えも変わるのでしょうけどね.
>自浄作用というか自己批判という言葉は、検察にとって最も大事な言葉の一つ
これは医療においても同様,というか全ての組織において重要ですね.検察の行動がそれぞれの分野に対して自浄作用を促すのが一番よい方向性である気がします.

モトケン先生

私は本件に関しては、モトケン先生や落合先生の立場を支持します。
今までは、情報発信はマスメディアに独占されていましたが、日本でも
専門家による実名ブログの登場で、既存メディアの地位が大きく揺るがされて
いくと私は考えています。

メディアの方々が正確な情報を取るべく日々走り回られているのに
私は敬意を持っていますが、その「情報」に対する「評価」はやはり
専門家によらざるをえません。

最近では、既存のメディアよりも専門的な調査を書いたまま自己の
「思いつき」をただ言うだけのぱぶりっくじゃなーりすとなる人々も
出てきているようですが、刑事法の運用はやはり元検事の
弁護士の先生方の意見が一番重要だと思います。

日本は欧米と比べてあまりに専門性を重視しない社会ですが、
専門家が意見を発信することで、次第に日本も専門性を重視した
社会になるのではと期待しています。
今後も頑張ってください。

モトケン様、

ご趣旨よく分かりました。本件、自分でも少々被害妄想気味だなと感じております。

大銀行、大企業に断罪することは、簡単ではないのでしょうね。実際、自分が責任者だったとして、例えば日本の貸し出しの30%だったかな?を担うみずほ銀行を営業停止とする決断が下せるか?を考えたとき、現場の方々の苦労は思いやられます。

Justin さん

>> ところで刑事訴訟の感覚と民事訴訟の感覚はかなり違うように思いますので、

 一番違いを感じる点としては、争いのある事実の立証の程度において、刑事訴訟と民事訴訟とを比べると、刑事訴訟のほうがはるかに厳格であるように思います。
 厳格であるということは、立証責任を負う側にとって精密かつ強力な立証が求められるという意味です。
 そして刑事訴訟では検察官が犯罪事実の全ての立証責任を負っています。

 これは刑事訴訟が、被告人対国家の裁判であり、被告人の身体的自由や命が問題になっていることと、検察官には強大な強制捜査権が認められていることから、これはこれでバランスが取れていると言えます。

 これに対し、民事訴訟は、私人対私人の私法上の権利関係に関する争いが主となりますから、立証のレベルも、少なくとも刑事訴訟と比べるとかなりアバウトな印象を受けています。

 結局、公法と私法の違いからくることのようです。
 判決としても、刑事事件は、罪刑法定主義という縛りがかかりますが、民事裁判は類推解釈の許容や新たな権利の確認(創出?)も可能です。

 社会に対する影響としては、民事訴訟のほうが大きいと思いますが、その分、裁判官の資質が問われる事件も多いのではないでしょうか。

 ご質問に対する答になっているかはなはだ自信がありませんが、レスとさせていただきます。

an_accused さん

>さて、効果判定・フィードバックということを、刑事司法の分野で考えるのはなかなか難しいことなのではないかなあと感じました。

 そう思います。
 司法統計を元にするということは、個別事件の個性を捨象した全体的な傾向性に基づくフィードバックにしかなりえませんから、かなり大雑把なフィードバックになってしまいます。

>例えば検察の起訴・不起訴の判断基準は、再犯率や犯罪発生率の増減傾向の影響をどの程度受けて変化しているものか、ご教示いただければ幸いです。

 このご質問につきましては、私は明確な答をできるだけの資料を持っていません。
 最近、トラック事故の多発を受けて、運送業者の営業停止基準を相当厳しくするという報道がありましたが、検察としては、検察独自の判断で厳罰化の方向へ急に舵を切るということは難しいし適切でもないと思います。
 罪刑法定主義の大原則からすれば、やはりまず国会が法定刑の変更などの態度を示し、それを受けて処分基準を変更するというのが筋であろうと思います。

 私が経験した処分基準の大きな変更の例としては、もう20年くらい前になると思いますが、業務上過失致傷事件(人身交通事故)について、一定以下の軽傷事案は一律起訴猶予処分にするということにするという例がありました。
 それまで略式罰金にしていた事件の相当数が不起訴処分になることになりました。
 これは、交通事故によって罰金を受けるものが増えてきて、「一億総前科者」という言葉が囁かれるようになったことが理由の一つだったように記憶しています。

>矢部先生
 詳細なご回答をいただき、ありがとうございます。
 検察官にせよ裁判官にせよ、自らの判断(起訴・不起訴や求刑、無罪・有罪とその量刑)が、目の前の被疑者・被告人にとっていかなる影響を及ぼすことになるかについて、全く関心がないわけではない(当然きちんと考えておられる)のでしょうが、かといって被疑者・被告人について、その後の更生状況を追跡調査するなどして効果測定ができているわけでもないでしょう(例えば神戸児童殺傷事件の審判官は、加害少年に対し、医療少年院に送致した後も面会を重ね、加害少年の更生過程を見守ったとのことですが、これは特殊なケースであって、ほとんどの検察官・裁判官は被疑者・被告人のその後について情報を得ていないし、また得ようとしていないのではないでしょうか)。その点、「5年生存率」といった形で治療の効果を数値化して把握可能な医療の世界とは異なるように思われます。

 検察官や裁判官が自らの起訴裁量行使や判決・量刑について効果を確認したりフィードバックを受けたりするシステムがない以上、検察官・裁判官は刑罰の一般予防・特別予防の効果の判断について知識や技能を獲得することはできないということになるでしょう。
 では、検察官・裁判官は起訴裁量行使・量刑判断の経験を重ねることによって、いったい何を獲得するのかと申しますと、それは「罪刑の均衡を保つ技能」なのだろうと私は考えています。

 なお、交通業過事件の処理基準変更という非常に興味深い事例をご紹介いただき、ありがとうございました。「では、医療業過についての処理基準も、いずれ見直されるのかしら」と思うとともに、「そういう裁量のあり方というのは果たしてよいことなのだろうか」という疑問も感じます。やはり、「まず国会が法定刑の変更などの態度を示し、それを受けて処分基準を変更するというのが筋であろう」というご指摘のとおり、立法府がきちんと態度を示すべきですね。

an_accused さん
 検事が、取調室で自分の目の前にいる被疑者についての刑罰効果を知りうる資料が全くないわけではありません。
 それは、被疑者の前科関係です。
 被疑者に前科がある場合は、その概要がわかります。
 それを見ると、その被疑者の前刑やそれ以前の前科が被疑者にどの程度抑止力になっていたか、つまり前刑後直ちに再犯に及んでいるか、更生効果があったが今回前回とは別の事情で犯罪を犯したかなどに関する資料がありますので、処分や求刑を決めるにあたってそのような資料を参考にします。

>矢部先生
 再度のご回答をいただき、ありがとうございます。
 取調室に舞い戻ってきた前科前歴の持ち主から生活歴等を聴取することによって、その者にとっての刑罰の教育効果について理解を深め、求刑判断に反映させていくということでしょうか。

 求刑・量刑基準のような、外部者にはわかりづらく容易に言語化されにくい「自生的なルール」を、いつもわかりやすく噛み砕いてご教示いただき、本当にありがとうございます。

モトケン様
ご回答ありがとうございます。

皆さんのお話を聞いて、これ(『効果判定』と『フィードバック』)は結構難しい問題だなと改めて認識しました。

刑事訴訟の方が立証の程度が厳格であるため、起訴(公訴権の行使)は慎重になる。
が、他方で、検察は強制力を伴う証拠収集手段(捜査)を持っていて、逮捕・勾留・起訴となれば被告人の負担は民事訴訟の比ではない(場合が多い)。

このような状況だと、刑事訴訟の『効果判定』と『フィードバック』を、民事訴訟に応用することの出来る点というのはあまり無いと思ったほうが良いのかもしれませんね。

また、検察、企業の法務・知財部のいずれにしても、権利行使をすることの妥当性を、ステークホルダーに説明できるようすることは重要なことだと思いました。

法律相談へ

ブログタイムズ

このエントリのコメント