エントリ

 最近の刑事司法関係の話題として議論の中心にあるのが共謀罪のようです。
 国会の情勢を見ると、今後どの程度の法案修正があるかどうかはともかく、成立はほぼ確実と思われます。
 ブログ界をさほど広くない視野で見渡しますと、乱用の危険を強調した反対論が大勢のようです。

 この議論は、背景事情としての外圧の存在が強く伺われますが、法案そのものとしては

 テロ対策の実効性 対 濫用の危険性

 の議論であると思われます。
 つまり、オウム真理教のサリン事件のような事件の防止の可能性と市民運動の弾圧などの危険性が天秤にかけられている議論です。
 もし、サリン事件の直後に法案が提出されていれば、反対論に対する反対論がかなり主張されたであろうことが容易に想像されます。

 たしかに、共謀を構成要件とする罰則は濫用の危険性が高いことは間違いないのですが、この問題は犯罪の予防措置を講じようとする場合には、常に問題になることです。
 一般論として、予防効果が高い措置ほど濫用の危険は高いと言うことができます。

 共謀罪法案は、最初に提出された内容から比べますと、濫用の危険の主張に対して修正が加えられた結果、その本来的目的のための効果はかなり骨抜きになってしまったように感じられます。
 ないよりまし程度の効果しかなくて、濫用の危険自体は依然として存在するということであれば、かなりできの悪い法案と言わざるを得ないかもしれません。

 濫用の危険について意見を述べさせていただきますと、濫用の危険性とは、法案の持つ濫用の危険性がその本質ではなく、濫用をチェックする制度の不備または濫用を許容してしまう社会情勢、そして究極的に濫用の危険のある権力を行使する人の資質に帰着するように思います。
 サリン事件発覚当時のオウム真理教に対する捜査等においては、多数の濫用的手法が用いられ、それが何ら批判されなかったことが想起されます。

 権力の濫用の危険は、共謀罪が成立していない今でも存在します。
 共謀罪法案の濫用の危険性というのは、濫用の誘惑の大きさであると言うこともできると思います。
 
 共謀罪が罰則規定である以上、それを適用する場合は刑事訴訟法の土俵に乗らざるを得ません。
 秘密警察が令状なしに秘密裏に身柄を拘束して闇から闇へ葬り去るというのとはわけが違います。
 起訴されれば、捜査経過と事実関係が完全ではないまでも公になります。

 ここで大事なことは、国民一人ひとりが濫用を濫用と見抜き、それを許さないという強い意思を示すことと、濫用を濫用と認めて濫用者に効果的なペナルティを科す制度整備のように思われます。
 制度整備というのは法技術的にはかなり難しい話なのですが、本質的に濫用の危険性の高い法律を作ろうとするならば、濫用の危険性を低めるポーズ的な修正でお茶を濁すのではなく、濫用された場合の対策をもっと真剣に考える必要があると思います。

 ところで、共謀罪法案が骨抜きになっていると言いましたのは、適用要件が厳格になって、適用を潜脱することが容易になったということです。
 形式的には適用範囲が限定されたということについて、実は警察や検察の現場は大歓迎しているかもしれません。
 一般の会社内の権力闘争などにも形式的には適用可能であったならば、それこそ反対派を陥れるための密告や告発が山のように申し立てられて、警察や検察はその処理にえらく苦労することになったのではないでしょうか。
 反対意見の中で濫用の危険性として例示されているシミュレーションのほとんどは、検事の感覚ではばかばかしくて捜査なんかする気になれないものです。
 つまり、共謀罪についてもっとも現時的に心配しなければならないのは一般市民による濫用であると感じていましたが、現状の法案内容では、暴力団の内部抗争に利用されそうな限度に改善されたように思います。

追記
 コメント欄も読んでください。
 関連エントリー「権力の濫用の恐れについて」は本エントリの補足説明です。

追記
 参考ブログ あれぐろ・こん・ぶりお(共謀罪に対する読売社説考)

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コメント(5)

 大変いろいろなことをインスパイアさせていただける記事です。勉強になりました。

 リーガルマインドとはまったく無縁のお気楽人間からすると、共謀罪云々には、三つほど感覚的に違和感を感じることがあります。

 まず第一に、目的合理性の観点から考えた場合、適用範囲をむやみに広げることは、結果的に各個別の犯罪集団に対する実効的な対抗力を法律から奪うことになるのではないかと言う気がします。

 たとえで言うならば、和洋中、すべての料理が食べられるビュッフェというのは、大概どれも味・量ともに中途半端になりがちだという現象と近いものが、この「共謀罪」という議論の大まかさにはあるのではないかという気がします。

 むしろ、例えば「対アルカイダ特別立法」であったり、「国際犯罪組織特別立法」といったような形で、適用対象を具体化することによって初めて実効的な犯罪の抑止対策になるのではと自分は考えます。したがって、適用範囲が修正案によって限定されたことは、本来の立法主旨から言ってもよいことなのではないでしょうか。

 もう一つは、やはり皮膚感覚として、いわゆる密告奨励的な印象が不愉快なことでしょうか。もっとも、この種の犯罪抑止立法って、たぶん歴史的にはそうとう古いものなんですよね。そして古いということは、やはり有効でもあるのでしょう。ただ、こういった制度をつくってしまうことは、何か戦後日本にあったとても大切なものを取り返しがつかない形で壊してしまうことになる気がしてなりません。

 最後は、やはりモトケンさんもおっしゃっていましたが、行政による濫用の危険性でしょうか。一般論として政治制度を設計することの根幹は、それは確実に濫用されるものであるという前提の下により害の少ない制度を工夫することではないかと自分は考えています。

 法制度の運用上のリスクというものは、人間がいい加減な生物である以上、あらゆる立法についてまわることだと思います。である以上、立法者は人間の善意というものに一切期待してはならないとも思うのです。したがって、モトケンさんのおっしゃるように大切なのは濫用を抑止する制度設計なのは間違いのないことです。

 

 

寝太郎 さん、お久しぶりです。
 私が実効性について疑問視するのは、立証の困難性からです。
 適用限定というのは、対象行為の観点と対象行為者の観点の二つがあるわけですが、対象行為の限定は立証の難易にほとんど影響はないと思います。
 しかし、対象行為者を限定した場合、対象行為者に該当するかどうかの立証はかなり困難さを増すと思います。
 現在の共謀罪法案では、既知のテロ集団(または暴力団)の既知のメンバーによる共謀でないと、有効な対処は困難ではないかと考えています。

 共謀罪に反対する意見のブログには、法案の規定の拡大解釈の濫用と思える例が見受けられます。
 例えば、市民団体の企業活動に対する反対運動が威力業務妨害罪になり、それを相談すれば共謀罪になるというような議論ですが、これは共謀罪の濫用の危険を言っているのではなく(それもありますが)、威力業務妨害罪の濫用の危険性を言っていることに他ならないのです。

 密告奨励的な印象が不愉快ということですが、これは日本人的感覚から見て理解できるところです。
 しかし、日本の法制度が欧米化しつつあることはひとつのトレンドであると思われます。
 裁判員制度の採用がその端的な現れです。
 司法の民主化ということは、市民による密告、司法取引、その前提としての自首による利益処遇(これは利益誘導です)などを含む考え方であると理解しています。
 

 共謀罪における「対象行為の限定」についてですが、最決平成15年5月1日では、暴力団組長が配下の組員らに「自分の警護のために東京の接遇担当者にけん銃を用意させよ」などと具体的に告げていなくても、「概括的・確定的認識」と「認容」、および「黙示的な意思の連絡」があったとして組長と組員との間に銃刀法違反(けん銃所持)の共謀成立を認めています。
 もしも、「黙示の共謀があり犯罪実行の準備その他の行為が行なわれた時点で検挙が可能」ということになれば、組長が「東京に行くぞ」と配下の組員らに告げ、組員の誰かが組長の上京準備をし始めた時点で「共謀罪成立」となり検挙できるということになるのでしょうか。
 組長が実際に東京に行き、東京駅で出迎えた組員らがけん銃を携行していることを認識しながら、それを咎めることなくその警護を受けるといった「既遂」の段階に至っているというのであれば、まあ共謀を認めてもよいということになるかも知れません。しかし、まだ何ら結果が生じていない段階での検挙を可能にするのならば、せめて謀議の内容が犯罪実行を明示したものでなければならないと規定すべきではないかと思うのですが、どうでしょうか。
 また、「抑圧の可能性ないし危険性の程度(の増減)は共謀罪の成立の有無に関係がない」とのご指摘についてですが、既遂であれば、被告人の行為の態様や法益侵害の程度が処罰価値を有するほどのものであったか客観証拠から具体的に把握可能で、そこで犯罪と処罰の均衡を検討することが可能ですが、未遂段階ではそういった検討をする余地があまりなく、抽象的なレベルでの犯罪実行の(黙示的な)意思の存在が関係者供述をもとに認められれば処罰可能となるので、「濫用の危険性の程度」が飛躍的に高まるように感じられるのですが、これを一般的な権力濫用の問題に還元してしまってよいのでしょうか。

 的外れかも知れませんが、素人である私には上記のような疑念が浮かびましたので、ご教示いただきたくコメントさせていただきます。

的外れなのはわかってるんですがコメントさせてください。
この議論はもうかなり以前から行われてました。
で昔は確かに実効性vs濫用の議論だったと思います。
でも最近の議論で問題になっているのは、
ずっと問題があると指摘され続けた法案なのに、「国民にきちんと説明がされなかった、いやむしろ説明するまいと画策しているようにみえる」
ということだと思います。つまり、『よりによってPSE問題とかあったから政府に対する不信感がある。今までは政府の説明を鵜呑みにしていたけど気になって調べてみれば、共謀罪関連ではあまりにウソ(恐らく悪意はない)が多い。そしてこれが濫用される恐れがあるのなら、この誠意の欠いた対応の陰には政府の陰謀があるに違いない』
といった具合ですかね(^_^;)
まぁ、実際あるのかもしれないですけど。
ちょー的外れなのはわかっているのでご迷惑なら削除してください。
長文『濫』筆失礼しました(笑)
m(_ _)m

an_accused さん
 答になっているかどうかわかりませんが、別エントリ(共謀罪の立証などについて)で書いてみました。

権兵衛 さん
 陰謀説というのは、話としては面白いが、程度に考えています。
 本当の陰謀ならもっと密かにやるか、もっと上手にやるでしょう。

 最近の与党案というのは、ともかく法案が通ればいいという感じでヤケクソでやっているのではないかという印象を受けています。
 だからといって法案自体の濫用の危険性がなくなるわけではありませんが。

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