共謀罪法案が治安立法または公安立法であることは間違いないところでしょう。
公安関係事案は最も権力濫用の危険性の高い領域ですので、現在の司法関係者の公安関係事案に対する姿勢を示していると思われる立川自衛隊官舎ビラ撒き事件について考えてみました。
この事件は、被告人3名が、平成16年1月から2月にかけて、「自衛隊のイラク派兵反対!」などと記載したビラを防衛庁立川宿舎各室玄関ドア新聞受けに投函する目的で,管理者及び居住者の承諾を得ないで,立川宿舎の敷地に立ち入った上,同宿舎の各室玄関前まで立ち入ったことが住居侵入罪に問われて起訴されたもので、一審は可罰的違法性がないとして無罪判決を言い渡しましたが、高裁では逆転有罪となって各被告人とも罰金刑に処せられ、その後各被告人とも上告しているというものです。
参考サイト
りゅうちゃんミストラル(自衛隊官舎へのビラまき有罪)
一審判決要旨
控訴審判決要旨
この事件の評価についてはいくつかの観点がありますが、
1 この事件について、住居侵入罪として処罰することは正当か?
2 この事件の身柄拘束は適切なものであったか?
3 警察の公安活動をどう考えるか?
4 裁判所の姿勢をどう見るか?
という観点で考えてみます。
1の問題についてはさらに住居侵入罪が成立するか、という問題と、成立するとしても処罰に値するかという問題があります。
私は成否の問題として住居侵入罪が成立すると思います。
本件の検挙と高裁の有罪判決に対しては、言論を不当に弾圧するものだという批判がありますが、本件は表現としてのビラ撒きを罪に問うたものではなく、ビラ撒き目的で官舎に入ったことが問題になっているのであり、直ちに言論を弾圧するものとは思えません。
官舎の管理者がビラ撒き行為を禁止し、住人が不快な思いをしている以上、排他的管理権がある官舎敷地内に拒絶対象者が入ることは住居侵入罪が成立すると感がえます。
被告人らの行為はいわば情報の押し売りとも言うべきものです。
商売の宣伝やピンクちらしは検挙されないのに反戦ビラだけ検挙されるのは不当だという批判は説得力を持ちません。
管理者にとって不快な行為だけ選択的に検挙の対象にするということは住居侵入罪の立件として何ら不当不合理なものとは思えません。
次に、本件の住居侵入罪は処罰に値するかという問題ですが、結論的には10万円前後の罰金程度には値するだろうと思います。
2の点について、本件では、被告人3人が逮捕され、相当長期間(2か月以上のようです)勾留されています。
この点については、一審判決が「各被告人とも捜査機関による取調べに対しては黙秘を続けており,」と指摘しているところからしますと、捜査側を全面的に非難することはできないように思います。
被告人側が対決姿勢を示す以上、捜査側も最大の力を発揮せざるを得ないでしょう。
誤解のないように申し添えますが、私は被告人が黙秘したことを批判しているのではありません。黙秘権は被疑者被告人の当然の権利です。
しかし、被疑者が黙秘権を行使すれば、捜査側も法律の範囲内でそれに対抗する手段を取ってくるということです。
判決要旨からは、被告人らの黙秘の程度がよく分かりませんが、判決要旨に「被告人らの捜査段階における供述内容が本件各公訴提起に供されたことはない。」とあることからすると完全黙秘を貫いたことが想像されますので、以下その前提で話を進めます。
私としましては、被告人らが何故黙秘権を行使するのか理解できないところがあります。
被告人らとしては、自らの行為は正当なものであると考えていたはずです。
そうであるならば、被告人らはなぜ堂々と自己の行為を認めてその正当性を主張しないのでしょうか。
私は、本件の住居侵入罪としての犯情からしますと、外形的事実関係が証拠上明白になった時点、具体的には被告人らが官舎敷地内におけるビラ撒きを認めた時点で身柄拘束の必要性は消滅すると考えます。
つまり、被告人らが事実を認めればその後の身柄拘束は違法又は濫用的なものと考えます。
3についてですが、本件が公安事件として捜査されたことは間違いないと思います。
相当広範囲な捜索が行われていることや身柄拘束に拘っていることから明らかです。
被告人らが黙秘したことも公安事件化をさせたのかもしれませんが。
住居侵入罪事案としてだけ見れば、そこまでせんでもいい事件であります。
可罰的違法性がないとまでは言いにくいですが、犯情軽微であることは間違いありません。
その背景が問題視されたからこそ、大捜査を行っているのです。
公安捜査の当否を考えるときには、そもそも警察の公安活動は必要なのかという問題を考えなければいけません。
公安警察と言いますと、戦前戦中の特高警察を連想したりしてあるべき存在ではないという意見の方もあるかもしれませんが、私自身の公安事件に関与した経験などからしますと、公安活動は必要であると言わざるを得ません。
問題は、そのあり方です。
「公安」を「おおやけの安全」というふうに読みますと、「おおやけ」というのは何を意味するのかということです。
時の政権の利益だけを考えるようでは「公安」の名が泣くでしょう。
私は、公安活動が暴走しないための最大の歯止めは政権交代の可能性だと思っています。
ところで、本件において、公安は暴走したと見るべきかどうかですが、住居侵入罪として検挙したという限度で見る限り、そしてその当罰性を肯定する限り、大人げないという気がしないでもないですが、言論弾圧というレベルではないと思います。
4として、本件に対する裁判所の姿勢を見てみますと、地裁の裁判官は、可罰的違法性がないとして無罪判決を言い渡しています。
地裁の裁判官としては、自分の判決がそのまま確定するなどとは絶対思っていませんし(100%検察官控訴が予想されます)、高裁では自分の判決が破棄されることもほぼ確実なものとして予想していたはずです。
それにもかかわらず無罪を言い渡したのですから、まだまだ司法権は面白いじゃないかと思っています。
高裁では罰金刑になりましたが、懲役6月の求刑に対して罰金刑に処した高裁の判断はバランス感覚が保たれていると思います。
上記のりゅうちゃんミストラルのリンクをたどって、Assault on Toxic Confidence(防衛庁官舎ビラまき事件)を読んでみますと、撒かれたビラには
「復興支援は強盗の手伝い」
「殺すも殺されるも自衛官です」
「その地域の住民にとって、自衛隊は死に神になります」
と書かれていたようです。
正直言いまして、私もAssault on Toxic Confidenceの管理人さんと同意見です。
あまりにも配慮がない。
撒かれた官舎の住人の方たちがこれを読んでどう思うか。
国の政策の当否を論じる前に、人の気持ちを考えて欲しい、と思います。
住居侵入罪としての違法性を認めた高裁の判断の基礎には、このようなビラの内容もあったのではないかと思います。
以上からしますと、本件から見る裁判所の姿勢としては、権力濫用の抑止力としての信頼は失われていないと思います。
問題は、警察の権力行使の在り方ですが、またまた先延ばしです。
私のスタンスを示す意味で、ビラ撒き事件についての意見を述べさせていただきました。
TBありがとうございました。ご主張、ほぼ同感です。究極的には「訴訟の勝ち負けを度外視しているのではないか」としか思えない、「公安捜査」の案件も皆無ではなく。正直、そんなのが持ち込まれたら検察としても、「えらい迷惑」なのでしょうが、本件は被害者感情を害したこと尋常ではないケースだったと思います。今後ともよろしくお願いいたします。
KABU さん
コメントありがとうございます。
こちらこそよろしくお願いいたします。
> 被告人らとしては、自らの行為は正当なものであると考えていたはずです。
そうであるならば、被告人らはなぜ堂々と自己の行為を認めてその正当性を主張しないのでしょうか。
ガンジーを思い出しました。
具体的な出典は覚えていないのですが、「堂々と法を犯し、服役せよ」みたいなことを彼は非暴力抵抗の方法論として掲げてますね。
自らの正義を通すために、あえて法を犯す。然る後に、堂々とその責任を負うというのがその骨子であると考えられます。
ビラまきの違法性云々を争点にしてしまうと、本来政治的な行動であるはずが、結局法的な議論になってしまう。
違法であるが、それでも法を犯してビラを撒かざるを得なかった彼等の正義を、判決を受けいれた上で堂々と主張して欲しいものです。
> 私としましては、被告人らが何故黙秘権を行使するのか理解できないところがあります。
> 被告人らとしては、自らの行為は正当なものであると考えていたはずです。
> そうであるならば、被告人らはなぜ堂々と自己の行為を認めてその正当性を主張しないのでしょうか
自分を不当逮捕した捜査機関に対して、自分の法的正当性を訴えることが無駄であることは、常識のある人間なら誰でも理解できると思いますが。管理人さんの理論であれば、「自分を拉致した不法国家に対して、なぜ自分の正当性を訴えないか理解できない」ということになりますね。
当然、裁判段階では、裁判官に対しては自分の正当性を訴えていますよね。
「ビラまきを認めたら、勾留が取り消される?」信じられませんね。
>外形的事実関係が証拠上明白になった時点、具体的には被告人らが官舎敷地内>におけるビラ撒きを認めた時点で身柄拘束の必要性は消滅すると考えます。
逮捕は現行犯じゃないんですか?現行犯なら「外形的事実関係は証拠上明白」ですよね。
刑事であろうと検事であろうと説得しようというくらいの気構えがないと世の中を変えられるとは思えませんね。
私は勾留が取り消されると書いた覚えはありません。
私としては勾留の必要性がなくなると考えるだけです。
本件に限らず、今の刑事司法は身柄を安易に拘束し過ぎだと考えています。
その主張はなかなか通りませんけどね。
不当逮捕というなら、勾留は不当勾留ということになりますか?
勾留を認めるのは裁判官ですよ。
無罪判決を出すような裁判官なら、事実を認めていれば勾留の必要なしと判断したかもしれませんよ。
>逮捕は現行犯じゃないんですか?
地裁の判決要旨を見た範囲では現行犯逮捕ではないように読めました。
現行犯なら、認めればさらに勾留の必要性は低くなると思います。
白片吟K氏さん
トラックバックありがとうございます。
概ね同意です。
ところで
>同じ行為でも「ビラ配りの意思であれば良いが、自衛官工作の意思じゃダメ。いやどんな工作か知らんけどさ。」という感じでは内心を処罰することになるのではないか。
についてですが、私も高裁が「自衛官工作」を問題にしたのは適切ではなかったと思っています。
自衛官工作と言っても、言い換えれば言論による説得なわけですから、これじゃあ言論抑圧と言われかねません。
そんなことを問題にする必要はなかったと思います。
ただ、検察幹部の言った「不安感」というのは被害者側の受け止め方のことじゃないんですかね。
私は、判決要旨から住人側の「不快感」を感じましたが、被害者側の不快感は被告人の行為の違法性を基礎づけると思います。
TBありがとうございます。
2,3疑問点等述べさせていただきます。的外れでしたらごめんなさい。
1 >被害者側の不快感は被告人の行為の違法性を基礎づけると思います。
住居侵入罪が個人的法益に対する罪である以上、そのとおりだと思います。
ただ、私の個人的な感覚としては、「不快」とか「不安」とかいう、雰囲気的なものを理由として処罰するということに疑問を感じます。
それは権力濫用の余地を作ります。
「ビラだけ配っているうちはいいが、立ち入りを繰り返すと、「今度は何をするかわからない」という不安感」(朝日新聞に載せられた検察幹部のコメント)の「何をするか」とは具体的にどのような行為の危険を指していて、それはどんな根拠に基づいているのでしょうか。
そりゃ検察の方であれば、具体的に把握しているかもしれません。しかし、ここで保護されている不安感の主体は住民です。本当に、何をするか「わからない」だけなのではないでしょうか。わからないなら、不快や不安を感じて当然です。しかし、それは法による保護に値するとは思いません。
彼らはまず「わからない」ものをわかろうとしたのでしょうか。その努力なしにプライバシー等の個人的法益の保護を公権力に委ねたのだとしたら、私はそれは愚かだと思います。(一方的に立ち入り禁止の掲示をし、一方的に抗議をし、その一方で営業用ビラの配布は放置することへの釈明はしないことをもって、話合いの努力をしたとは私には思えません。)
2 次に、そちらのエントリーを読んで疑問に感じたことですが、「不快感」の内容として、ビラの記載内容が挙げられていました。
しかし、これはビラまきの為に住居侵入する行為が問題となっているのですから、住民がビラの内容を知る前の段階で実行行為が終了しているわけですよね。この場合、法益侵害多寡の判定材料としてビラの内容を問題にするのは妥当ではないように思うのですが・・・。
検挙の対象としてピザ屋のチラシとこの手のチラシを区別する、というのはわかるのですが、中身にちゃんと目を通さないとわからないようなことで区別する、というのは表現の内容規制の香りもするし、なんか納得いかない気分です。
3 最後、コメント欄でも問題として取り上げた方がいらっしゃいましたが、被疑者の黙秘権行使についてです。
彼らは戦略として黙秘権行使を選んでいるようで、で、私は戦略としてはそれは余り頭良くない、とは思うのですが、権利行使という問題はそれとは切り離して考えなければならないと思います。
黙秘権が権利であるということは、その行使が権利者の自由意思に委ねられる、ということです。行使や放棄について、公権力から指図はできないはずです。
自己の行為が正当なものであると考えているならば、なぜ堂々と自己の行為を認めてその正当性を主張しないのか、とは、対等な個人としては言ってやってしかるべき言葉ですが、公権力行使するものがその地位に基づいて言ってはいけない言葉だと思います。
もちろん、黙秘すれば捜査(身柄拘束)の必要性が消えないわけで、消えない以上法定の期間内は拘束できるわけで、それは権利の行使が自己責任を伴うことの結果であり、それ以上のものではありません。
ただ、それは黙秘権放棄について指図しているかのような外観を伴います。この2つは厳に区別しなければならないと思います。
・ ・・と、書いてからよく読むと、モトケン先生もこの2つを区別されて書いていることに気がついたわけですが。
以上、長くなってしまいました。・・・ホントすいません。
wikipediaによれば、現行犯ではなく、令状逮捕だったようでうす。
しかし、この手の堂々と入る住居侵入で、現行犯逮捕ではないとすると、行為当時、施設を看守する人は行為を黙認していたのではないですかね。すると、住居侵入の要件(高裁判決にいう「侵入とは、管理権者の意思に反して立ち入ることをいう」)を満たすか疑問ですね。
白片吟K氏さん
朝日新聞に載せられた検察幹部のコメントというのは、あまり適切なコメントではないと思います。
何の根拠もない漠然とした不安感というようなものを検挙の根拠とするのはまずいです。
私は、ビラの記載内容に基づいて住人の不快感を推認しました。
そして住居侵入罪が成立するためには、侵入の事実を侵入の時点で被害者が知る必要はありません。
空き巣狙いを考えていただければお分かりかと思います。
住人がその事実を知ったら敷地内や玄関先への立入を拒否したと認められる態様の立入は侵入と評価することが可能です。
黙秘権行使の問題については別エントリで書いた方がいいかもしれませんが、私としても黙秘権は権利として認めた上で議論しているのはご理解いただいているとおりです。
なお、勾留の要件としての「定まつた住居を有しないとき」というのは、黙秘によって住所が明らかでない場合も含まれると解されていますので、黙秘権の行使によって住所が不明な場合は、それだけで勾留が認められる場合があります。
黙秘権行使と罪証隠滅のおそれの問題についても議論がありますが、黙秘が罪証隠滅のおそれを認めるための資料の一つになることは判例及び多数説が認めていると考えています。
無記名さん
地裁判決を読む限り、黙認していたとは言えないと思います。
>モトケン先生
レスありがとうございます。勉強になります。
はじめまして。Assault on Toxic Confidenceの管理人edge13といいます。私のblogから文章を引用してくれてありがとうございます。弁護士の方に読んでもらえるなんて思ってもいませんでした。これからも社会問題に突っ込んで行きたいと思います。
追記) プロフィールつけました。
はじめてコメントさせていただきます。
「商売の宣伝やピンクちらしは検挙されなにの反戦ビラだけ検挙されるのは不当だという批判は説得力を持ちません」と仰いますが、今回の事件を無罪だと主張するためには確かに説得力を持たないでしょうね。
しかし、そうした文脈で使われる言葉ではないのではないですか。
地裁の公判で、自衛隊官舎の住人は、公安警察が書式を作成した被害届にサインをしただけだと証言していますよね。おまけに刑事が職場までやってきてお膳立てをした、と。
ですから、公安が「表現内容」に特に目をつけたからこそ、今回の事件は事件化したのではないか。というぬぐいがたい疑いがあるのですよ。
法政大学のデモでは29人の学生が逮捕、勾留されているし。立川のビラ配りの地裁で無罪判決が出た一週間後には、葛飾で逮捕されてるし。葛飾のビラ配りでは、逮捕された方は自分の身分を明らかにして、ビラ配布の事実自体は認めているのに、23日間も勾留されているし。素人の私からしたら、「あぁこの人が配布しているビラが共産党の議会報告じゃなかったら、きっと逮捕なんかされなかっただろうなぁ」としか思えませんよ。
私が当事者の立場だったら、今後ビラ配りなんて止めてしまうでしょうね。
私は、言論を弾圧しようとするなら、何もその手段が不当逮捕・勾留である必要は必ずしもないと思うに至りました。というのも、今回のような軽微(と思える)事件でも、とにかく逮捕して有罪になってくれれば、言論の萎縮に効果テキメンですものね。
最初に挙げた言葉はそのような文脈で使われる言葉だと思います。先生はどのように思われますか?
瑞穂さん
私は最初に
>現在の司法関係者の公安関係事案に対する姿勢を示していると思われる立川自衛隊官舎ビラ撒き事件について考えてみました。
と断っています。
そして、警察は「司法関係者」に含まれないというのが私の理解です。
私は、そういう文脈で書いています。
つまり、裁判において無罪になるかならないかという文脈で書いているのです。
>ですから、公安が「表現内容」に特に目をつけたからこそ、今回の事件は事件化したのではないか。というぬぐいがたい疑いがあるのですよ。
ここでいう「事件化」という言葉が、本来事件にならないものを事件にしたということであれば異論がありますが、自衛隊官舎に反戦ビラを撒いたから事件として立件されたという意味であれば、そのとおりだと思います。
法政大学のデモや葛飾のビラ配りの件については情報を持っていませんのでコメントできません。
情報をいただければ私なりのコメントは可能です。
なお、地裁での住人の方の証言を問題にしておられますが、証言全体を読んでみないと地裁の認定の当否の判断ができません。
私は地裁の事実認定には間違いがないとの前提で書いています。
地裁が認定した住人の言動については、住人がその旨を法廷で証言したものと考えています。
先生、お返事ありがとうございます。
もちろん、当エントリーが無罪になるかならないか、という文脈で書かれてあることは心得ています(先生の書かれた内容についてはその通りなのだろうなと思いますし)。むしろ、そうであるからこそ「商売の宣伝やピンクちらしは…」云々という発言は使用される文脈が違うのではないか、と思ったのです。
よく立川の事件と同列に論じられる「葛飾ビラ配布逮捕事件」、都立板橋高校の卒業式で式を妨害したとして、元教師を威力業務妨害罪で起訴した事件(板橋高校事件)、は同じ検事さんが担当しておられますよね。
http://blog.goo.ne.jp/05a21/d/20050112
自衛隊派遣反対、共産党、日の丸君が代法案反対。一般の市民としては、なにか特定の思想をたたいているようにしか受け止められないのです。これらの事件についてすべて検察の意図が含まれているはずだと断言する元検察官(三井環氏)もおられるわけですし。
一介の素人としては、こんなことがあっていいのかいな、というのが率直な感想です。
情報、というのはどのようなものを指すのか分からないのですが、以下に事件経過などを扱ったリンク先を貼らせて頂きます。
葛飾ビラ配布(事件経過)
http://homepage2.nifty.com/katusika-bira/CI9.htm
板橋高校事件(事件経過など?)
http://wind.ap.teacup.com/applet/people/msgcate5/archive
ここみたいな凄まじい水掛け論になりそうな気が・・・。
冷静にお願いしますよ。
「戦争反対を叫ぶこと」
http://plaza.rakuten.co.jp/ryujisato/diary/200605170001/
なるほどね〜、という感じですね。
どっちも刑事事件化するほどのことかいな、とは思いますが、
警察にかなりバイアスがかかっているということは間違いないところです。
どんなバイアスかと言いますと、端的に言って共産党絡みだからでしょう。
なんといっても警察の共産党認識は こういうもの だからです。
この種の問題の本籍地は司法ではなく政治だと思います。
政治問題を司法の場に強引に持ち込んでいるような事件ですから裁判所の判断は注目されますが、刑事裁判となれば、犯罪の成否という土俵で戦わざるをえないでしょう。
公訴権濫用の主張は、今の裁判所の姿勢では、公訴棄却を得ることは難しいと思います。
ちなみに、三井氏の意見もかなりバイアスがかかっていると思います。
前にも書きましたが、検事の多くは国家主義的じゃないですよ。
ところで、時と場合によっては、ピンクちらしも警察のメインターゲットになることがあります。
かなり前ですけど、大阪で花博が開催されたとき、大阪府警はあらゆる手段を使ってピンクちらしを取り締まりました。
当時、私は大阪地検の風紀係検事をしていましたので、とても忙しい思いをさせられたのを覚えています。
>矢部先生
大阪地検の風紀係検事でいらしたんですか。大阪という土地では、新手の性風俗サービスがよく生まれるそうですから、(柔軟な法解釈を要求されるという意味でも、別の意味でも)さぞやエキサイティングなお仕事だったのではないかと勝手に推察してしまいました。
国際花と緑の博覧会当時の立法状況は存じませんが、いわゆるピンクチラシについては、風営適正化法・各都道府県条例によって頒布がダイレクトに規制されていますね。したがって、立法者の意思=国民の総意として、「ピンク」という内容に着目したチラシ頒布の規制を期待しているわけですが、政治ビラについては、その内容に着目した規制を立法府は望んでいない(はず)ですので、ビラ記載内容の政治的傾向によって摘発の危険性が異なるというのはやはり問題ではないかと思ったりします。
はじめまして。
「りゅうちゃんミストラル」のリンクから来ました。
>法律を語るだけが能じゃない(^^)
と書かれているのに、結局法律論だけでこの事件について語っている気がします。
これって「タイトルに偽りあり」ではないですか?
an_accused さん
政治ビラについてその内容に着目した法規制を行うと直ちに憲法問題になりますから、立法府というか与党が望むと望まざるにかかわらず、規制は困難でしょう。
ビラ記載内容の政治的傾向に基づく摘発の危険性の差異は問題だと思いますが、公安警察のあり方の問題だと思います。
公安警察は日夜活動してますから、刑事事件化されればまだ外部から見える余地が多いだけまし、という見方もあります。
通りがかりさん
私のコメントお読みになりましたか?
私は、法律的観点から意見を述べたのです。
法律的観点からのコメントである以上、法律論で分析するのは当然です。
私のブログのスタイルは私が決めます。
タイトルに偽りがあるかどうかの判断はおまかせします。
たまには芸能ネタも書いてます(^^)
モトケンさん
返信ありがとうございました。
>タイトルに偽りがあるかどうかの判断はおまかせします。
わかりました。
「タイトルに偽りあり」と判断します。
この場で法律論以外のことを求めるほうが間違っているのでしょう。
失礼しました。
法律論だけで語るなという人は、結局のところ「ビラの内容は正しいのだから、住居侵入ごときで逮捕はおかしい」と言わせたがってるだけに思えるんだけどなあ。
りゅうちゃんミストラルの記事とコメントのやりとりを見てますますそう感じた。
まがりなりにも法治国家の日本で「造反有利」は無理があると思う。
通りがかり さん
わかりました。あなたも人に意見の表明を強要するタイプの人だと理解します。
というようなけんか腰のバトルもやろうと思えばできるんですが、さすがに実名晒してそんなことすると大人げないので(^^;;;
このブログでは自重するようにしています。
(そうでもないぞと影の声^^)
いや、このブログ、集まる人達も優等生が多くて、俺なんかでも、ちょい息苦しいのよ。
勉強にはなるけどさ。
法律でこうなってる、ああなってるって言われると、フツーの人、どうしても言い返せないしさあ。
タイトルにかこつけてイヤミの1つも出るってもんだよ。
あれあれっ?
「法律を語るだけが能じゃない」というのは,社会の事実と離れて本の上だけで法律を語るだけではない,という意味だと受け取っていました。
日々社会に起きる事件を捉えて題材にし,これに関連付けて法律を語っているので,タイトルに偽りなし。
違ったかな?
論争回避手段
タイトル変えちゃいましょうか。
「法律を語るしか能がない」
最近、そういう自覚がないこともないですし(^^;