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堀江被告の保身嫌気、宮内被告が“決別”決意(ヤフーニュース(読売新聞) - 5月23日7時23分更新)

ライブドア事件で、証券取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載など)の罪に問われた同社前取締役・宮内亮治被告(38)が、前社長・堀江貴文被告(33)の関与を東京地検特捜部に供述したきっかけは、事件発覚後に堀江被告が見せた配慮に欠けた態度だったことが関係者の話で分かった。
関係者によると、宮内被告は、今年1月16日にライブドア本社などが捜索された直後には、ライブドアが上場廃止を免れるためにも堀江被告をかばおうと考えていた。そして、堀江被告ら幹部が集まり、捜査への対応を協議した会議で、宮内被告は「社長だけは守るべきだ。調べを受けたら、おれが全部決めたと言えばいい」と提案した。ところが、堀江被告は、宮内被告の心中を推し量る様子も見せず、「おれ何も知らないよね」と、自分の関与を否定する発言を繰り返したという。

 例によって「関係者の話」による記事ですので、本当ならばという留保つきですが、
 もっともこんなことを言いますと私のブログのネタのほとんどは留保つきになってしまいますが、

 堀江被告の人間性が垣間見える思いです。
 別に特に堀江被告の人間性を低く見ているわけではなく、よくある話ではありますが、
 落合弁護士のコメントを引用しますと

ぎりぎりのところで、上に立つ者の器量が問われる、ということも言えるでしょう。

に同感です。

 堀江被告の弁護人的(あくまで的)に言いますと、「知らなかったんだから知らなかったと言った。」ということになるのかも知れませんが、堀江被告が何をどの程度知っていたかは堀江被告自身は当然として宮内被告もわかっていたわけですから、宮内被告の胸の内を慮んばかる言葉があってしかるべきだったでしょう。
 罪証隠滅謀議を推奨するわけではありませんが、人としての感受性と配慮というものが欠けると宮内被告には見えたのだろうと想像します。

 一言でいえば、ついて行けん、ということだったのでしょう。

 堀江被告も、心情を述べているようですが

「生き急いできたかな」堀江被告が直筆で心情つづる(2006年5月24日12時56分 読売新聞)

経営に対する考え方については、「経営者というものは営業利益の拡大を目指すべきものと考えており、その考えは今回の事件の前後で変わるものではない」としている。

と述べつつ

堀江被告は、95日間の拘置所生活について、「人生を振り返る良い機会になった」と振り返り、「今まで生き急いできたかなと思うようになり、この心境の変化が今後、私の経営に関する考え方に何らかの影響を与えるかもしれないと感じている」と付け加えている。

とのことです。

 堀江被告は、単に急ぎすぎただけなのか、その過程で何か忘れたものはないのか、ということは考えているのでしょうか。
 今でも、お金で何でも買えると思っているのでしょうか。
 ことの真相はともかく、宮内被告が堀江被告に反旗を翻した事実(堀江被告から見てですが)はあるのですから、そのことを堀江被告はどう思っているのでしょう。

 人生ドラマとしては法廷における二人の対峙を見てみたい気がしますが、たぶん時間がなくて無理でしょうね。

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コメント(3)

 元特捜検事出身の弁護士と無罪のプロパガンダは「お金で買えて(委任できて)」も無罪は「お金で買えません」。
 あの田中角栄氏も無罪はお金でも絶大な政治力でも買えなかったんですから。
 それより、ホリエモンは経営者として復帰できると本気で考えているんでしょうか?
 多額の損害賠償債務(対ライブドア社は確実:商法の取締役の善管忠実義務違反)抱えて破産免責も多分ままならないはずなのに。

 民事関係の推測は控えておきます(^^;

田中角栄氏は最高裁判決が出る前に亡くなりました。結局罪は確定しませんでした。無罪ではないですが有罪でもなく人生を終えたので、「有罪ではない人は無罪」という考え方にすると、ある意味あそこまで裁判を延ばして、事実上無罪で(有罪者ではなく)人生を終えた感じを受けます。当時「やっぱり金と権力がなせる技だなぁ」と思ったものでした。

まだ堀江氏も何も確定していません。当時の法の整備が未成熟だったせいかもしれません。それが法治国家の盲点です。人道的に望まれざることでも、法律で明確に罪であることが規定されていないと、裁くことができません。また新法の遡及もできませんし。当時の法律と照らし合わせて法的にも罪であるかどうか決めるのは、マスコミでもなければもちろん一個人ではなく裁判所ですので、「多分」で論ずるのはどうかと思いますが、一ブログのコメント程度なら、まぁいいか。

また、最近田中角栄氏の裁判について見直されてきているのを見る機会が増えました。それらの主張が正しければ、国策(アメリカ策?)裁判に嫌気がさした裁判官たちの良心で、あの手この手で延ばし延ばしにしたのかも、とも今となっては可能性として考えてしまいます。

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