裁判員制度:市民と裁判官が審議/上 証拠「だけ」で事実判断 /青森(ヤフーニュース(毎日新聞) - 5月24日11時3分更新)
裁判員制度:市民と裁判官が審議/下 事実認定、戸惑いと悩み /青森(ヤフーニュース(毎日新聞) - 5月25日12時2分更新)
とても良い記事です。
たぶん本番の裁判員裁判でもこのような状況になるのだろうと思います。
「殺意の有無」をめぐっては統一見解がまとまらなかった。各裁判員が考える「殺意とは何か」が、そもそも違っていたからだ。
私が最も恐れる状況が現実化しています。
裁判員の皆さんそれぞれの判断の基準が違ったり、判断基準が全く分からなかったりする状況で、そもそも評議が成立するのかすら疑問になります。
素人を司法に組み入れるこの制度、実現に向け課題は多いと実感した。
という記者の実感は的を射ていると思います。
以下に記事の全文を引用させていただきました。
ヤフーのニュースはすぐ消えるように思いますので。
◇自己紹介なし呼称は番号 パフォーマンスに惑わされる恐れも−−本社記者が「模擬」体験 市民が裁判官と一緒に刑事事件を審議する裁判員制度が09年5月から始まる。最高裁が今年1〜2月に実施した全国アンケート調査では、「制度に参加したくない」との回答が全体の6割を占めたが、記者の立場で是非を判断するには、まずは制度の内容を十分に理解する必要がある。そこで、裁判員制度を想定して青森地裁がこのほど開いた「模擬裁判」(2日間)に参加してみた。実際に「裁判員」を体験することで、制度の意義や問題点を探った。【喜浦遊】 模擬裁判本番の前日、青森地裁に、これから一つの判決を出す9人の「裁判体」が集まった。裁判官3人と、一般人である裁判員6人だ。 裁判官は簡単にあいさつしたが、裁判員の自己紹介はなかった。ここでは名前の替わりに、くじ引きで決まった1〜6の番号が裁判員の呼称になる。裁判員のプライバシーを守るためで、私は「5番」だった。 今回、裁判長を務めるのは地裁八戸支部の佐藤卓生裁判官。「疑問に思ったことは、その場で解決しましょう」と佐藤裁判長はうながした。私たち裁判員は司法の素人。わからないことを「わかりません」と聞けなければ、誤った認識のまま審議が進む。「『あれ?』と思ったことには、すべて価値がある。それが市民を加える裁判の意味でもある」と佐藤裁判長は説明してくれた。 その後、起訴状が配られ、担当の事件(架空)が明らかになった。罪名は殺人と銃刀法違反事件で、被告人は養殖業の男(48)。自宅で男性(当時35歳)を包丁で刺して死なせたという。裁判官と検察官、弁護士は事前に事件の争点を確認する「公判前整理手続き」を行っており、既に争点が(1)殺意があったか(2)正当防衛が成立するか――の2点に絞られていた。 裁判官は「殺意」と「正当防衛」の定義を説明してくれたが、わかったような、わからないような……。きょとんとした私たち裁判員の表情に、室橋雅仁裁判官は「正当防衛は大学の法学部で1週間かけて学ぶ項目です」と苦笑い。消化不良のまま、翌日の審理に入ることになった。 ◇ 「殺すつもりはありませんでした」。翌日開かれた公判の冒頭で、被告人はいきなり殺意を否定した。 続く冒頭陳述では、検察官と弁護人が、それぞれが考える「事実」を述べた。しかし、裁判員は言葉に惑わされてはいけない。公判で提示される証拠「だけ」をもとに、何が事実かを決めなくてはならない。 ただ、検察側と弁護側から出される証拠物や書類の量は膨大だ。どの部分が後の判決で重要になるのか、実のところ、さっぱりわからない。内容を確認するだけで精いっぱいで、登場人物の名前さえ混乱してしまう有り様だった。 ◇ 1日目を通して最も印象に残ったのは、弁護側が演じた「犯行時の体勢」の再現場面の「わかりやすさ」だった。書類では理解しにくい説明も、実際に目で見ると、「なるほど」と納得してしまう。 逆に言えば、これほど怖いことはない。わかりやすいことと、それが事実であることは、まったく別だからだ。 その上、弁護人は大きなジェスチャーで裁判員に訴えかけてきた。無愛想な表情に終始した検察官に比べると、弁護人の方が「いい人」に見えてしまう。「パフォーマンスがうまい方が勝つ」とは言い過ぎだろうが、裁判員は法律の知識も経験も少ないだけに、証拠が印象に負けてしまう恐れがある。 裁判員の負担を考えて多めにとられた休憩時間を迎えるたび、「ふう」と大きなため息が出た。証拠、被告人の様子、遺族の気持ち、被告人の家族の気持ち――。整理されないまま次々と詰め込まれる情報に、頭がパンクしそうな1日目だった。 ……………………………………………………………………………………………………… ◆裁判員の一日(1日目)◆ 9:00 裁判開始 冒頭手続き=起訴状朗読など 9:10 検察官の冒頭陳述 9:25 弁護人の冒頭陳述 9:45 公判前整理手続きの結果を朗読 9:50 評議=裁判員に争点など説明 10:20 証拠調べ (10:50〜休憩) 11:00 証拠調べ・証人尋問 11:40 評議 (12:00〜昼休み) 13:00 証拠調べ (約30分ごとに10分間休憩) 15:20 被告人質問=弁護側 (16:10〜休憩) 16:20 被告人質問=検察側 (16:30〜休憩) 16:40 証拠調べ 16:45 証人尋問=被害者の妻 17:00 証人尋問=被告人の妻 (17:15〜休憩) 17:25 被告人質問 17:35 次回期日指定 17:40 閉廷5月24日朝刊
(毎日新聞) - 5月24日11時3分更新
◇精神負担大、実現へ課題も−−「評議」非公開の密室で7時間 証拠調べが行われた1日目から判決を下す2日目までは、模擬裁判も1日休みだ。だが、裁判のことが頭から離れない。この点は「プロ」である裁判官も同じだという。室橋雅仁裁判官は「休みに子供と遊びながら、ふと『あの量刑は重すぎたかな』なんて考えてしまう」と話してくれた。 そして迎えた最終日の2日目。まず、検察側が論告で「殺意はあった。正当防衛は成り立たない」として懲役15年を求刑した。これに対し、弁護側は最終弁論で無罪を主張し「有罪でも懲役3年」と述べた。最後に被告人が最終陳述を行い、それぞれの「最後の訴え」が終わった。 ◇ 裁判員と裁判官が判決内容を話し合う「評議」は密室内で行われた。本物の裁判であれば、当然、非公開だ。 最初に行ったのは「事実認定」。検察官が冒頭陳述で述べた「事実」が「本当に事実なのか」を確認する。 進行役の佐藤卓生裁判長が口火を切った。「被告人は『田川弘志』で間違いないですか」。間違いない、とばかりにうなずくと、「では5番の方、それはどの証拠で示されましたか」と「名指し」で質問されてしまった。あわてて1日目の証拠を総動員。ようやく確認できて、証拠の重要性を改めて思い知らされた。 体の傷や凶器など「モノ」として証拠が残る点とは異なり、事件当事者の行動や言動などは、「モノ」としての証拠は残らない。目撃者や被告人の供述を基に認定するしかないのだが、関係者の供述は、それぞれ食い違っていた。誰の供述が信用できるのかをめぐり、次第に裁判員の意見も食い違っていった。 「本当の事実」は、被告人と死んだ被害者しか知らない。それでも判決を出さなくてはならない。「疑わしきは被告人の有利に」との原則もあるが……。事実認定は戸惑いと悩みの中で進んでいった。 佐藤裁判長は「世間一般の人にとって合理的かどうか」という判断基準を示してくれた。だが、「殺意の有無」をめぐっては統一見解がまとまらなかった。各裁判員が考える「殺意とは何か」が、そもそも違っていたからだ。結局、少数派に折れてもらう形で殺意を認めた。 ◇ 事実認定の後は、量刑を話し合った。これが事実認定以上に難しい作業だった。 「この程度の事件なら懲役何年」などのマニュアルがあれば簡単だが、そんなものは存在しない。「どうしたらいいんですか」と裁判官にアドバイスを求める声も出た。しかし、裁判員が判断しなければ、新制度をスタートさせる意味がない。裁判官からは「直感でいいですから」と促されてしまった。 裁判員が口にした量刑は、懲役3年9月から11年と大きく分かれた。私の意見は最長の11年。他の裁判員らからは減刑を求められたが、何年減らせばいいのか分からず、混乱するばかりだった。 結局、裁判員6人が「なんとなく」納得できる妥協点として、懲役7年6月で意見がまとまった。裁判官3人にも異論はなく、これで判決は決定した。 ◇ 評議は約7時間。予定を約4時間も超える長いものだった。それでも、後半は駆け足になってしまった。「納得してるわけではない」。裁判員の1人が判決後につぶやいた。 2日の審議日程が十分だったとは思えない。だが、日常生活から2日間も切り離される裁判員の精神的、物理的負担は、けっして軽くはなかった。 今回は「模擬」だから、戸惑いも難しさも興味深く楽しんだ。しかし、実際に制度が始まり、人一人の運命を素人が感情をぶつけあって決めるのかと思うと、ぞっとする。まだ、裁判所も検察側、弁護側も手探り状態でよりよい審議を模索している。素人を司法に組み入れるこの制度、実現に向け課題は多いと実感した。【喜浦遊】 ……………………………………………………………………………………………………… ◆裁判員の一日(2日目)◆ 10:00 開廷 検察側の論告求刑 10:30 弁護側の最終弁論 11:10 被告人の最終陳述 11:15 結審 11:30 評議開始 (12:10〜昼休み) 13:10 評議再開 19:30 評議終了 (当初予定では15:00) 引き続き判決起案 20:00 判決宣告 (当初予定では16:30)5月25日朝刊
(毎日新聞) - 5月25日12時2分更新
ボツネタ経由です。
追記
裁判員制度:市民感覚で簡潔に 導入、問題点どう解決−−地裁・三輪和雄所長 /青森(ヤフーニュース(毎日新聞) - 5月26日12時1分更新)
市民が刑事裁判に参加する裁判員制度が09年5月までに導入される。青森地裁では、これまで4回の模擬裁判を開き、実現に向けた問題点をチェックしている。青森面では23〜24日の2回にわたって記者の模擬裁判体験記を掲載。パフォーマンスや感情に流される危険性がある▽量刑の判断基準がない▽長時間の拘束で精神的・経済的な負担が大きい――など、裁判員が法律の素人であるが故に生じる問題点を指摘した。これらの解決に向け、裁判所は今後どう取り組んでいくのか、青森地裁の三輪和雄所長に聞いた。【聞き手・喜浦遊】 ――模擬裁判に裁判員として参加し、証拠の多さに驚いた。 ◆検察官にしろ弁護士にしろ、メリハリをつけてわかりやすく証拠を説明することが必要。立証の段階で、もっと工夫しなくてはならない。 ――証拠より、パフォーマンスのうまさに惑わされる危険がある。 ◆情に訴えてみたり、事実と関係ない認識をすりこまれることは、ありえる。情状というのは重要だが、それで事実をねじ曲げるようなことがあってはならない。裁判所が事前に証拠を慎重に精査しないといけない。また、実際にそのようなケースがあれば、裁判官が裁判員に「今の立証は無視するように」などと注意する必要がある。 ――評議は長い時間がかかった。 ◆課題の一つ。納得するまで無限に話し合えればいいのだが、「子供が帰ってくるから終わりたい」という人もいるかもしれない。なるべく時間の配分を考えて審議したいが、言いたいことは全部言ってもらったほうがいいので、時間がかかるのはやむを得ないとも思う。 ――量刑面で裁判員の考えが大きく食い違い、皆が戸惑った。 ◆あれは大きな問題。今は最高裁を中心に、「このような事件で、このような量刑だった」という資料をデータベース化する動きがある。それで、少しはばらつきが狭められるのではないか。ただ、データベースはあくまでも参考資料。事件は千差万別で、人にはそれぞれ人生観や価値観があるのだから、ばらけるのは仕方がない。間違った事実判断に基づいて判決が出るのは問題だが、そこは裁判官が正す。そして、最終的に一致点を見いだすことが望ましい。 ――裁判員制度のメリットは何か。 ◆国民の司法参加によって、裁判がわかりやすくなるということ。国民の刑罰に対する意識は厳しくなってきており、被害者の気持ちをもっと重視すべきだという考えが強まっている。これまでに裁判官が出した判決や量刑がおかしいというわけではないが、市民の感覚で、もう一度裁判を見直してみるのは、意義があることだ。 ――開始まであと3年しかない。 ◆時間は足りないくらい。市民が本当に参加してくれるのか、法律をいかにわかりやすく理解してもらうか、裁判官の数は足りるのか……。課題は山積みで、もう後がないという気持ちだ。5月26日朝刊
こんな重大なことをいきあたりばったりでやろうとするのが間違っていると思います。
裁判員制度が正常に機能する為には、国民の司法に対する理解や認識が高まっていないとならないのに、国民の司法に対する理解や認識を高めるために裁判員制度を導入するなんて話が全く逆です。
現状のまま強引にスタートしてしまったら大混乱になることだけは間違いないでしょう。
お久しぶりです。
TB先にも記載しましたが、今回の参加者は「希望者」です。決して無作為に選んだわけではありません。しかも、最も単純なパターンの事件であるのですが、これだけでも予定の時間を大きくオーバー、さらに精神的にも多大な負担になりました。
ですから、実際に制度が運用され、不本意ながら渋々の任務で、なおかつ複数犯・複数事件・否認事件という事態の中では、評議中に誰かが暴発して評議にならなくなるのでは・・・?という心配が非常に大きくなります
RYZ さん、高野さん
コメントありがとうございます。
ほんとに大丈夫なんでしょうか。
課題の解決のための具体的な動きがほとんど見えません。
あってもお茶を濁している感じです。
ますます悲観的になります。
陪審制がもっとも歴史があって広く行われているとされるアメリカですら、向こうの人にとって陪審院制は評判悪いそうじゃないですか。「13人の怒れる男」って映画では、軽々しい有罪評決(死刑と同義)を止めたのは一人の会計士であり、しかも彼は事前に現場に行って独自に調査をしていた。そんなことが一般人の陪審員にできるわけがない。
裁判特有の概念や用語があるのも当然で、それをいちいち説明していたらきりがない。バイトを仕事のたびに募集して仕事を教えるようなものです。
完全な一般人ではなくて、裁判官以外の法曹あるいは学識経験者からランダムサンプリングで裁判員になってもらうという制度じゃだめなのでしょうか?それでも十分に「国民の裁判参加」にはなってると思います。
個々の裁判員の資質のブレが激しいとひどいことになりそうですね。
内気な女性が声のでかいディベート好きと同席したりしたら、どんなにおかしいと思っても反論できずに押し切られるかもしれません。
また、幼児殺害事件に子持ちの母親を入れるなとか、事件によっては被告側弁護人が裁判員忌避を申し立てたりするケースがあるかもしれませんね。
裁判員制度自体には賛成なのですが、ちゃんとハードルを一つずつ解消してもらいたいものです。
みみみ様
>内気な女性が声のでかいディベート好きと同席したりしたら、どんなにおかしいと思っても反論できずに押し切られるかもしれません。
確かに、「大きな声で言うたもん勝ち。」の世の中って嫌ですね。
むかし、シドニールメット監督の「十二人の怒れる男」、そのパロディである三谷幸喜作「十二人の優しい日本人」という映画をみたことがあります。
さまざまな、キャラクターが演じられていましたが、いわゆるインテリで議論好きな陪審員が、しゃべりすぎたあまり、矛盾が生じて泥沼にはまり込んでいったり、寡黙なおじいさんが、確固たる信念で端的な意見を述べたりして、両者ともなかなか面白い映画でした。
裁判員もたいへんですが、多種多様な意見をまとめる裁判官の方々も、たいへんですね。
私は、モトケン先生の紹介された、「議論のしかた」というサイトを再読します。
それと、『裁判員のなかに、法律プロ、セミプロの方が選ばれたら、バイアスかかるで、どうするんかいな。』と思っていました。知識の土台が違うので。
最高裁のHP、裁判員制度Q&Aにちゃんと記載されてました。
裁判員の職務に就くことができない人。
司法関係者(裁判官、検察官、弁護士など。)
(この「など」が含みを持っていて、とても気になるのですが。)
大学の法律学の教授、助教授。
(どうして講師や助手はなし?法学部の学生卒業生どうなるんかいな?)
或る内科医さま
「怒れる男」も「優しい日本人」も観ました。
前者は、陪審制を通じて正義の素晴らしさをうたっているわけですが、同じアメリカ映画に「アラバマ物語」もあるんですよね。どんな制度を取り入れようが、良い点ばかりにはなりえないという、悲しい真理とでもいいましょうか。
ところで、ジョン・グリシャム原作の「評決のとき」はご覧になりましたか?
クライマックスで陪審評決がポイントになる内容です。こちらも「正義はここにあり!」という展開のように見えるのですが、視点を変えると非常に恐ろしい結末になっています。ネタバレを避けるため詳細は申しませんが、ぜひ一度ご覧ください。
もう一つ忘れていました。
筒井康隆の小説「十二人の浮かれる男」。
明らかに無罪の被告を「つまらんから」という理由で陪審員がよってたかって有罪にする、とんでもない内容です。関西人としてはこちらも是非お勧めしたい。
「怒れる男」を観た人なら爆笑必死です。
みみみさん
> 評決のとき
小説、映画どちらもみましたが、私もまったく感動できませんでした。
「これで感動させることを意図してるんかい。怖えぇ」って思いました。
いえ、グリシャム作品は好きなんですけど。
> 浮かれる男
筒井は大好きなのですが、これは未読でした。
今度買ってみます。
みみみ様、fuka_fuka 様
筒井康隆作品、面白いですね。
大学生の時に「宇宙衛生博覧会」というのを読んで、ファンになりました。
その中の、「ウィークエンド・シャッフル」「女菩薩団」「関節話法(間接話法ではない)」「問題外科」
いまでも憶えています。
なんじゃこりゃーちゅう内容やったです。
「大いなる助走」も面白かったなぁ。(昔を懐かしみ、遠くを見るような目で)
「十二人の浮かれる男」は、まだ読んでません。早速読んでみます。
ブックオフにあるやろか。
「アラバマ物語」「評決のとき」も観てみます。法廷ものと違う?けど、「ミシシッピー・バーニング」も観てみたいなぁ。ジーン・ハックマン、シブイ味だしてるやろなぁ。
つたやにあるやろか。
エントリーと無関係のコメントですみません。
fuka_fukaさま、或る内科医さま
「浮かれる男」は新潮文庫から出ていたと思います。筒井作品がお好きな方なら間違いなく楽しめると思います。
実は私、中学時代に筒井康隆全集を購読して揃えたツツイストでございます。思春期に染まったせいか、社会問題に対する姿勢などはかなり影響を受けております。
「宇宙衛生博覧会」から入ったとはかなりのつわものですね。あれは初心者に勧めるべきではない本の筆頭なのですが(笑)
「関節話法」は今読み返しても涙を流して笑える自信があります。あの手の傑作では他に「経理課長の放送」というのがあります。他には「俗物図鑑」「霊長類、南へ」「 ポルノ惑星のサルモネラ人間」などがお気に入りです。
「アラバマ物語」「評決のとき」ぜひ感想をお聞かせください。この記事の問題も絡めて語らずにはいられない傑作と(?)作です。ちなみに前者の主役(演じたのはグレゴリー・ペック)は、映画人が選出するアメリカ映画ヒーローランキングでインディ・ジョーンズやロッキーを押しのけて一位に輝いています。
ところでモトケンさんはこれらの映画をご覧になったことはありますか? アメリカでは「アラバマ物語」を見て法律家を目指した人が多そうですが(笑)
筒井康隆は僕も好きです ここに名前があがってるのはほとんど読んでますです
時期尚早論は気持ちは分かりますが 一般人への充分な啓蒙を法務省が行うとなると、大いなる助走どころか永遠の助走になりそうな気がします
通りすがりのものです。
これまでのコメントの流れとは全く関係ないのですが、質問させてください。
この記事『裁判員模擬裁判』は、著作権の侵害に当たらないのでしょうか?
正当な引用の範囲を越えているような印象を受けました。
(リンクだと許容範囲だと思いますが。)
Yahooの方にもこのような断り書きがあります。
法律が専門の方のようなので、ご教授ください。
Yahooや新聞社の回し者ではないです(^^)
ぴぽぷ さん
私は知財関係は専門ではありませんが、今回のエントリについては正直言いまして厳密に考えるとやや問題かなと思っています。
しかし、私のコメントの趣旨をよく理解してもらうためには必要であり、その意味では正当な引用の範囲にとどまると考え、またこれらの記事がすぐリンク切れになるのはいかにももったいないと思いましたので、全文引用させていただきました。
みなさま、超名作の題名を間違えて書いてしまって汗顔の至りです。「怒れる男」は名作なので、派生した作品群が一つのジャンルを形成しているのですね。「ぽすれん」でDVD借りて見てみます。
モトケンさん
(モトケンさん = このブログの主という前提で書きます。)
> 厳密に考えるとやや問題
やや問題なのは、引用の目的に合っているかどうかという点ですよね?
コメントもそのことについてのみ触れられていますので。
知財関係どころか法律の専門家でもないので、違っていたら訂正ください。
(司法試験に受かった方に法律を語るのは気恥ずかしい限りですが。)
正当な引用の要件のひとつとして、引用元との主従関係が求められると思います。
その量的な目安として、引用が50%を越えないことという基準で考えれば良いと
聞いた覚えがあります。
判例でどうなっているかまでは知りません。
全体的にこのサイトの特徴として、その引用の要件を満たしていない記事が
多いように受け取れました。
しかし、法律専門の方がそんな初歩的なミスを犯すはずがないと思い、
何かからくりがあるのかと思ってしまいました。
この質問に至るまででもいろんな可能性を考えたのですよ。。。
なんかがっかりです。
手品師に手品を見せられて、ホントにタネも仕掛けもなかったというか、
ホントに胴体切断されちゃってたよってなオチという感じです。トホホ。。。
喩えがブラック過ぎて、すみません。
法律専門家ではありませんが:
無許可で引用してOKの基準は
1.引用部分明確化(「 」でくくる)
2.出所明示
3.引用の必然性
4.質・量ともに引用先(ex.このブログ)が主要部分となり、独立した著作となりうる
5.「正当な範囲内で」 = 引用しすぎてはいけない
とのことです。
http://homepage1.nifty.com/samito/copyright2.htm
分量としても引用部分の方が地の分より少ないという関係にないといけないとのことです。
http://www.pressnet.or.jp/info/seimei/shuzai/1002copyrightnet.htm
>引用が50%を越えないことという基準
これについては、割合がそれほど重要ではないという見解を読んだ記憶があります。
引用文とそれに対するコメントの量的関係については、単なる文字数の対比によって判断すべきではないだろうと思っています。
根本的にはネットにおける引用の限界については議論が不十分なのだろうと思います。
ネットのブログにおけるサイトの記事の引用と、営利的出版物による引用とが同じ基準が妥当すべきかも問題であろうと思います。
また出版物の引用であれば引用元がある程度永続性を持ちますが、ネットのニュースなどはかなり短期間で削除されてしまいます。
そうなりますと引用したブログだけが残ることになり、引用が不十分ですと引用元の趣旨自体が誤解されかねない結果にもなります。
これは引用元にとっても好ましい事態とは思われません。
訴訟にでもなれば受けて立って、判断基準の確立の一助にでもなろうかなどとほんの少しだけ思っています。
たぶんそんな晴れ舞台に上る機会はないと思いますが。
記事が消える心配等で、引用が必要とのことであれば、今から許諾を得ればよいのではないでしょうか。
(2回になりすみません)
連投したつもりでしたが、既にお返事が書かれておりました。
ともあれ、著作権法が専門の方に確認されるのが確実と思います。
モトケンさん
あんまり、がっかりさせないでください。
それでも法律家ですか?
> 引用文とそれに対するコメントの量的関係については、単なる文字数の
> 対比によって判断すべきではない
あくまでも簡単な目安を書いただけであって、では何を基準に判断しますか?
分量にしても、本記事は特に50%どころじゃなく、私には主従関係が
逆転しているとしか読めません。
> ネットのブログにおけるサイトの記事の引用と、営利的出版物による引用とが
> 同じ基準が妥当すべきかも問題であろうと思います。
それを言ってしまうと、Webサイトにおける著作権の存在自体が危うくなります。
営利目的が関わってくるのは、著作権者が訴えるかどうかの線引きでしかないかと
思います。
さとさんもおっしゃられているように著作権者に承諾を得るのが本筋でしょう。
引用元が削除されるからというのは、モトケンさんの身勝手な理由だと思います。
引用元が文章を変えても、元のものが別の場所で公開されているということが
変だと思いませんか?
やや問題どころではないです。
法律は知らないからという理由で罰せられないことはないというのも
周知の事実ですよね?
「どこかで聞いた記憶」とかで法律家が法律違反の内容を垂れ流す影響を
少しでもお考えになったらどうですか。
すみません。あまりの身勝手さに、熱くなってしまいました。
さと さん
サイトの紹介ありがとうございます。
「ネットワーク上の著作権について」のほうは、日本新聞協会編集委員会の見解としてある意味当然の見解でしょう。
著作権法第三十二条の「公正な慣行」と「正当な範囲内」の要件については、議論の余地があると思います。
引用における注意事項について言えば
1)他人の著作物を引用する「必然性」があること。
これについては満たしていると考えます。
2)かぎ括弧をつけるなど,「自分の著作物」と「引用部分」とが区別されていること。
これについても明確にしています。
3)自分の著作物と引用する著作物との「主従関係」が明確であること(自分の著作物が主体)。
実はこのエントリについてはたしかに微妙かもしれませんが、それ以外については、私は自分の意見を述べる前提として引用しているつもりです。
つまり質的にはあくまでも私のコメントが主です。
私のブログはニュース報道自体に対する批判がかなりの割合を占めていますが、量的な主従を問題にされますと事実上そのような批判が不可能になります。
報道においてどのような文脈でどのような表現が用いられたのかと言う点を引用で明示しないと私のコメントの意味が分からなくなりますから、文脈込みで引用しますと必然的に引用が長くなる場合があります。
その場合でも私の批判が主と考えます。
4)「出所の明示」がなされていること。(第48条)
これは満たしているはずです。
モトケンさん
書き忘れたので。
> ネットのブログにおけるサイトの記事の引用と、営利的出版物による
> 引用とが同じ基準が妥当すべきかも問題であろうと思います。
それは立法府(国会)に提言すべき問題でしょう?
おかしな法律でも制定されている以上は守らないといけないのが、
市井の者の義務だと思っていましたが。
検事さんともなると別なのでしょうか?
ぴぽぷ さん
著作権というのは文化のあり方の問題です。
インターネットという媒体は文化のあり方を大きく変えつつあります。
インターネットを前提にした著作権法の解釈のあり方にも影響を与えると思います。
著作権法上の権利行使についてもその当否を問題にする意見が述べられています。
法律がおかしければ、その妥当性について立法府の改廃を待たずに議論することが可能ですし、また議論すべきです。
また権利主張が不当または妥当を欠くと主張することも可能です。
ところで私は、現在検事ではありません。
モトケンさん
> 私のブログはニュース報道自体に対する批判がかなりの割合を占めていますが、
> 量的な主従を問題にされますと事実上そのような批判が不可能になります。
あなたのサイトが特別な理由を教えてください。
引用元がWebサイトだったら、リンクを使えばいいだけですよね?
向こうが消されたら困ると言うのが著作権者を無視した行為なのです。
HTMLやHTTPのHT(Hyper Text)からも分かる通り、リンクを否定することは
Webの仕組み自体を否定することになり、Webの世界にはなじまないと
思っています。
また、本記事は質的にも主従が逆転しているとも思いましたが、
分かり易い量的な話に限定しました。
モトケンさん
掲示板のところに以下の記述があったので、現役の方かと思いました。
失礼しました。
> また検事の仕事に関する質問も歓迎します。
> 法律がおかしければ、その妥当性について立法府の改廃を待たずに
> 議論することが可能ですし、また議論すべきです。
> また権利主張が不当または妥当を欠くと主張することも可能です。
すごく他人ごとようにも受け取れるため(相談を受けている弁護士のような)、
確認します。
他でもあなたのこのサイトで、上記主張をされているということですか?
つまり、現行の著作権法に問題があるのであって、何ら著作権の侵害は
していないとおっしゃるのですか?
益々法律家の意見に思えません。
他の人が真似したら、どうしますか?自己責任でとでも?
私は、私のブログにおける引用は許容範囲だと考えています。
著作権法に問題があるというのではなく、著作権法の許容範囲だという考えです。
> 法律がおかしければ、その妥当性について立法府の改廃を待たずに
> 議論することが可能ですし、また議論すべきです。
> また権利主張が不当または妥当を欠くと主張することも可能です。
これについては、法律家なら当然の話です。
現実の法廷でしょっちゅう議論されています。
もし私が著作権者から訴えられたら、私の代理人になってくれる弁護士はいくらでもいると思います。
もちろん著作権者側の代理人になる弁護士もいます。
>他の人が真似したら、どうしますか?自己責任でとでも?
そうです。自己責任です。
弁護士の私の真似をしたからといって免責の理由にはなりません。
私としては、ネットでこれくらいの引用ができなければおかしいという私の考えで引用しているのです。
私の考えを裁判所が支持する保証はありません。
しかし安全パイばかり切っていたのでは世の中変わりません。
ネットはこれからの世界ですからね。
モトケンさん
大事な質問にお答えいただいていないので、再度同じ質問をします。
>私は、私のブログにおける引用は許容範囲だと考えています。
>著作権法に問題があるというのではなく、著作権法の許容範囲だという考えです。
それでは、なぜWebの最大の特長であるリンクではなく、全文引用なのですか?
あなたのサイトの文章(ある記事)を全文引用されたら、それは正当な引用と
認めますか?
自分はいいけど、人は駄目とか?(^^)
横から失礼。
>ぴぽぷさま
さすがに議論が逸れ過ぎなので、どうにかなりませんでしょうか。
裁判員制度についてはもう少し語りたいものですから。
もしご自身のブログをお持ちなら、そちらでこの件の記事を書いてリンクした上で
モトケンさんをお招きし、そちらで議論を続けてはいかがでしょうか?
既にモトケンさんはグレーゾーンであることを認め、訴訟になれば受けて立つとまでおっしゃっています。これに対し、あなたがいくらクロだクロだと言い募っても議論は進展しようがないのではありませんか?
もし、モトケンさんが「ごめんなさい。違法でした。この記事は削除します」と明言しない限り退かない、ということでしたら、さらに泥沼になるでしょう。
話をやめろとは申しません。ただ、場所を変えていただければと思います。
モトケンです
区切りとしてお答えします。
本エントリに限って言えば、さすがに分が悪いことは認めます。
しかし、裁判員制度の議論において大変有意義な記事ですので、私がこれまで書いた裁判員制度に関する意見(関連するエントリ)を補足する資料として、引用としてなお許容されるものと考え、また多くの方に読んでいただきたいという気持ちがありますので、削除はしないことにします。
全文引用する理由は既に述べていますが、リンク切れで読めなくなるのがもったいないからです。
私のブログの全文引用につきましては、必然性があり、出典を明示し(リンクを貼っていただければ結構)、正確に引用されるのであれば、問題視しないどころか歓迎します。
それによって私の主張がより多くの方の目に触れ、またこのブログのアクセスも増えるでしょうから。
モトケンさん
>全文引用する理由は既に述べていますが、リンク切れで読めなくなるのが
>もったいないからです。
それは身勝手で、著作権者の意向を無視した行為でしょうと言っても
同じ回答なのですね。。。
>私のブログの全文引用につきましては、必然性があり、出典を明示し(リンクを
>貼っていただければ結構)、正確に引用されるのであれば、問題視しないどころ
>か歓迎します。
あなたが改変しても引用先では改変しないと思いますが(気付かないで)、それで
いいということですか。
そのためにも、"普通は"引用の範囲を超える場合は著作権者に許可を取って、
連絡を受けられるように引用者はしておくものだと思っていますが。
みみみさんや他の方
お騒がせしました。
確かにみみみさんのおっしゃる通りです。
モトケンさんのような程度の低い方を、自分のブログに招くようなことはしませんので、
これにて失礼します。
とりあえず、著作権者のYahooと毎日新聞に今後の対応を委ねることにします。
終わりのようですね。では話題を戻して・・・。
モトケンさま、件の映画をご覧になったことはありますか?
映画ファンのレビューはよく見ますが、法曹関係者の感想はあまり見かけないので
興味があります。
みみみさん
「十二人の怒れる男」はテレビで何回か見ました。
感動しました。
でも、現実の陪審評議の多くは「十二人の怒れる男」のようなものではないから、「十二人の怒れる男」はドラマになるんでしょうね。
つまり、日本のサスペンスドラマと同じくらい非現実的なのではないでしょうか。
主人公が特徴のあるナイフを見つけてくるシーンがあったと思いますが、あれなどはほんとに偶然的な話ですよね。
実際の捜査の場面にあてはめますととても面白いですが、素人の方の評議として見るとかなり無理がありそうです。
ぴぽぷさんへ
人のブログで逸れた話を延々と続け,丁寧に対応したモトケン先生に対し「程度の低い方」などと罵倒するのはもはやれっきとした荒らしなのでは?著作権者が言ってくるならともかく。
僕も12人の怒れる男は観ましたが,実際の裁判員制度では,あんなに議論が盛り上がるのか若干疑問があります。
私は、立法、政府及び司法は国民(市民)のものであるべきと考えています。「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」が2年前に制定され、やっと市民参加の裁判が開始されると期待しています。
やがては刑事だけではなく民事裁判についても市民参加がなされなくてはいけないと思っています。
著作権のことが、このブログの中で議論になっていますが、当然のこととして裁判でのみ白黒の結論が出ることです。自分が裁判員だとしたら著作権に対してどのような判断を下すのかを自分の良心に問いかけ、考えてみることが重要と思います。
その際、単に著作権法のみではなく、発表、発言の自由、引用の目的、その他社会正義、社会発展等々様々なことも考量に入れるべきと思います。