エントリ

 ボツネタ経由「男児殺害 弁護士会見で危ぶまれる人権」byライブドアニュースということなのですが、PJオピニオン つまり一般市民の方の投稿記事です。
 市民感覚からの記事と理解できますが、「いくつかの人権上の危険性が潜む。」という指摘は、当たっているところもそうでないところもありそうです。

 まず、被害者側の人権である。弁護士は会見の冒頭で、男の子の家族に対する「被疑者の謝罪のコメント」を読み上げた。しかし、この段階で、すでに2人の弁護士は被害者家族にこの「謝罪」を伝えていたのか、また、「被疑者側の弁護士」が男の子の殺害直前の表情までマスコミに伝えることについて被害者家族の了解を得ていたのかは、不明である。もし、事前に被害者家族に接触していなかったとしたら言語道断であるし、仮に接触していたとしても、会見の席でどこまでデリケートあるいはプライベートな情報を公開するのか、被害者側と綿密な打ち合わせがなされるべきである。

 これは記者会見限定の指摘なのでしょうか?
 弁護士は、法廷の弁護活動としては、被告人の利益を守るために、被害者側のあらゆるプライバシーを暴露することも辞さないという姿勢が求められる場合があります。
 典型的な場面は、強姦事件の和姦主張の場合や、怨恨による殺人事件、家庭内の犯罪などです。
 このような弁護を行う際に、いちいち被害者側と綿密な打ち合わせなどしませんし、不可能な場合もあります。
 多くの場合は、弁護人から見れば、被害者側は、検察側の証人であり敵性証人です。

 ただし、記者会見における被害者側のプライバシーの指摘が正当なものかどうかは、弁護活動の必要性に照らして法廷による弁護活動とは別の判断があると思います。

 もう一つは、被疑者の人権である。弁護士を信頼して話したプライベートな情報が、すぐに記者会見を通じて公表されることが恒常化したら、被疑者は安心して弁護士に真実を語れるだろうか。今回、被疑者はどこまでの情報の発表を弁護士に認めたのか。

 この点は、依頼者たる被疑者・被告人と弁護人との関係の問題であり、被疑者・被告人と弁護人との十分な打ち合わせと被疑者・被告人の理解または承認が得られていることが前提になる問題だと思います。
 今回の会見の際にどの程度打ち合わせがなされていたかは知りませんので、その当否を断定することはできません。

 また、「被疑者側の弁護士」が警察発表よりも先に事件の動機や犯行の手口の詳細を明らかにすることは、一体、誰の利益に資するのかも問題である。来るべき裁判員制度の下では、マスコミ報道が、裁判員となる市民が法廷外で事前に心証形成する大きな要素となることは否定できない。われわれ市民は、被疑者側の一方的な会見に無批判に耳を傾けることの危うさを認識しなければなるまい。

 とにもかくにもジャーナリストを名乗る以上は、この点が一番ひっかかります。
 「警察発表よりも先に」というのは、どういう意味なのでしょうか。
 先後関係が何か問題になるのでしょうか。

 「われわれ市民は、被疑者側の一方的な会見に無批判に耳を傾けることの危うさを認識しなければなるまい。」

というのはまさしくそのとおりなのですが、同時に、

 「われわれ市民は、警察側の一方的な情報に基づく報道に無批判に耳を傾けることの危うさを認識しなければなるまい。」

ということも、認識されなければなりません。

 「警察発表よりも先に」というのは、まず警察発表がなされることを待つべきだということなのでしょうか。
 そして、それに文句がある場合には反論すべきだ、ということなのでしょうか。
 真意がいまいちよくわかりませんが、このPJ氏は、警察発表に過大な信頼をおいておられるのではないかと心配になりました。

追記
紹介したPJオピニオンの続報が掲載されました。
再論、弁護士会見を巡る人権上の問題

さて、問題は、最後の「裁判員制度」との関連である。12日の記事では、「被疑者側の弁護士」が警察発表よりも先に事件の動機や犯行の手口の詳細を明らかにすることは、一体、誰の利益に資するのかも問題である、と書いた。司法当局の発表が絶対で、信用できるなどと主張する考えは毛頭ない。本来、警察権力はウソの発表をするかもしれないと疑ってかかるのが、ジャーナリズムの権力監視としての役割である。

とのことです。

| コメント(5) | トラックバック(1) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

トラックバック(1)

トラックバックURL: http://www.yabelab.net/mt4/mt-tb.cgi/1267

『秋田県藤里町の藤里小1年米山豪憲君(7)が殺害された事件で、無職畠山鈴香容疑者(33)=死体遺棄容疑で逮捕=が、「豪憲君を殺害した場所は自宅の玄関」など... 続きを読む

コメント(5)

私も、この記事はおかしいと思います。
弁護士が被疑者・被告人の供述内容を記者会見を開いて詳しく説明するということは、これまで、あまりなかった事だと思いますが、
これまでの警察の発表ばかりが表に出ることで、当事者でない私たちが、先入観を持たされていた事を考えれば、
被疑者・被告人側の利益を守る弁護人から、自供の内容を聞けるという事は、
むしろ、裁判員が予断を持って裁判に臨む事を抑制し、被害者側と被疑者・被告人側双方に公平な裁判が行われるためには、必要だと思いますし、
まだ裁判員制度は始まっていませんが、実施されてからの事を考えれば、私たちが公平に考える習慣を持つために、今の内から始めておく必要があると思います。

この記事の書き方は、どうも、警察の発表による心証形成が今までなされて来た事を棚に上げて、「弁護士はしゃべるな。」と言っているように思えます。

最近、テレビに派遣されてくる元警察の方の人数が増えたのも、これからの裁判員制度の実施を考えると、弊害があるように思います。

弁護人が記者会見で公表した自供内容と違う事を裁判では発言するという事もしづらくなるわけで、この会見が被疑者の利益にならない(強要された自供内容である)なら被疑者がこの会見を認めるわけはない。

弁護人がわざわざ記者会見を開いて公に発表するからには、それが被疑者の主張であると考えるのが素直な見方だろう。
「犯行を行った」と弁護人に言ったとすれば、その部分に関して争うつもりはなく、その他の部分、犯行に及ぶに至った動機、事件の背景、殺害方法などで被疑者の主張と警察の発表が違う部分があり、そこを主張する事が被疑者の利益になるということなのだろう。

検察側としては、裁判の中で供述を翻されるより、裁判が始まる前に捜査をやり直す時間がある段階で取調べの中の供述内容と異なる自供を弁護士の口から公にされる方が、その供述の裏を取って矛盾を指摘できない場合、被疑者に対する心象は損なわれないので面倒なのではないか。

弁護士による事実調査には限界があり、だからこそ、被疑者の供述の裏付けは検察側が行わなければいけないのである。
取調べの中での「供述」と弁護人に語った内容が違うのなら、弁護人に語った内容の裏を取れば良い。それを捜査のかく乱だと言ってしまえば、裁判の公平性は存在しない事になる。

これまで、英米独仏などに比べ日本の警察の捜査権限が制限されていた為、取調べが捜査手法の中心になっており、そのことが自白の偏重、自白の強要の原因だと言われていた。警察が創作した話の筋を被疑者に聞かせて「こうやったんだろ」「真相はこうなんだろ」と脅しつけて、被疑者に「はい」と一言言わせただけで、その創作話を全て被疑者の供述として警察はマスコミに発表できる。この事件でも、ありえないとはいえない。

外国において採用されているという理由から、捜査権限の制限されていて真相解明を被疑者の自白に頼らざるを得ない日本で、外国と同じように「取調べの可視化」を全面的に導入すると取調べの機能を失わせてしまうという理由から、公開される部分は検察側に決定権は残すべきという意見もあるが、
捜査権限の強化は、監視カメラの設置の増加や盗聴法によって実現し、今回の事件で行われた被疑者に対する逮捕前の事情聴取のような身柄拘束の方法もある現在は、その理由は当たらない。
また、去年から何度か発覚した、警視庁留置管理課菊屋橋分室の取調室ででの警察官による強姦をはじめとする、取調室での警察官による犯罪によって、こういうことは珍しい事ではないと証明されているので、取調べの可視化が必要とされる意味は、「取調べの適正の確保」だけではないのだ。

このような自供内容の変遷が、起こるべくして起こったのかどうかは、取調べの可視化を全面的に採用すれば判断できるようになる。

ここでこのフォローが入るところが
モトケンさんのブログの素晴らしい点です

しかし記者がナニ考えてるのかはまだよくわかんない

 検察側の立場から言いますと、捜査段階の、しかもできるだけ早い段階から、できるだけ多くの供述が得られたほうがやりやすいです。
 たとえ、それが矛盾を孕むものであったとしても、情報は多いほど真相に迫り得るからです。

弁護士がマスコミ対策で積極的な先制パンチを繰り出すのって、大会社の場合だってそんなに見ないのに。
2年ほど前かな、どっかの弁護士会が出したブックレットか何かの中に、弁護士のためのマスコミ対策指南みたいなことが書いてあったのをちょっと見たことがあるけれど、むしろ防御の方に力点が置かれていて、積極的な記者会見については間違った情報が流布することを防ぐ場合くらいしか書かれていなかったと記憶している。

(以上は白片吟K氏さんのブログの 6月11日の文章からの引用です。)

今にして思えば、
今回の事件は、
かなりの確立で、
その場合に該当するような展開になるだろうという懸念が、
この時点で、既に、弁護側にはあった。
すなわち、容易にそのような予想が立つ事情が、背景にある。
だから、容疑者は、警察を頼みにせず、テレビの事件解決の番組に依頼した。
しかし、
それまで警察に捜査をするようプレッシャーをかけて、その結果、事件の解決につながっているように見えていた、その番組も、
「担当プロデューサーの使途不明金疑惑が原因」という発表で、
安定した高視聴率だったにも拘らず、
突然に終了する。

「メディアは権力の監視役」ではなく、
メディアと権力は、「相互利用関係」にあることを、象徴する現象でしょう。

親が、子供を邪魔に感じて虐待し殺した、他の事件と比較して、
テレビに出てくる警察側の人間の多さと、メディアの警察への肩入れの仕方が半端でないと思います。

嘘を作り続けて、発覚後に謝罪し、信用されなくなるのか、
一度、罪を認めて、やり直すのか。
企業が、不祥事や、制度的問題を取り上げられて断罪される。
既存メディアだけは、聖域だという考えでは、この先、自分の首を絞めることになると、気付かないのでしょうか。

横領や、視聴率の水増しなどは、視聴者に関係ありませんが、
本来の仕事の部分で、嘘やごまかしは、あってはいけないし、
「あってはいけないから、なかったことにする」のも許されない。
多くの人の目に、チェックされてますよ。
メディアの特性上、記録に残ります。

「犯人だと言ってしまったから、犯人でなければ困るんだ」
メディアが、そんな考えを続けられる時代ではないと思うのです。

いい加減な事を言う事も、
真実を隠す事も、
非常に困難な時代になっているのだから。
気付いている人は、割と多いと思います。

ここが、既存メディアが、これからも信用に足るメディアなのかどうかの判断の分かれ目ではないでしょうか。

コメントする

太字 イタリック アンダーライン ハイパーリンク 引用
ブログタイムズ
債務整理キャッシング