「D.D.のたわごと」さんの「山口県光市の母子殺害事件 三者三様」で紹介されていたのですが、某テレビが被告人の父親にインタビューしてそれを放映したようです。
かなり批判の対象になるような発言をしたようです。
取材した記者としては、「息子は死をもって償うべきだ。」というような発言を期待してインタビューをしたのかも知れませんが、父親は息子を庇うような発言に終始したようです。
たしかに父親の発言は共感を呼ばないかもしれません。
しかし、私は死刑が必至である判決を受けた息子の父親にインタビューを敢行するマスコミにあざとさを感じます。
記者は、何を思ってインタビューをしたのでしょう。
私が想像したように、「息子は死をもって償うべきだ。」というような発言を期待したのでしょうか。
もし、そうなら、父親がどのような気持ちでそのような発言をすると思っていたのでしょうか。
記者の思惑はともかく、父親は息子を庇う発言をしたようですが、テレビ局はそれを放映しました。
その結果、父親がどのような批判にさらされるのか、考えたのでしょうか。
どっちに転んでも、父親を苦しめ責める以外の内容になりません。
本件は息子の犯罪であって父親の犯罪ではありません。
被告人の生育環境としての父親を問題にするのであれば、父親以外にも問題にされるべき生育環境はあります。
父親だけを問題にするべきではありません。
放映自体を見ていませんので、見ないで論評することは不見識のそしりを免れませんが、私には、父親にインタビューしたテレビ局に見識を感じることができません。
「D.D.のたわごと」さんのエントリには上記以外にも考えさせられる内容が多々あり、一読をお勧めします。
追記(6/25)
今朝のワイドショーで父親のインタビューの一部(編集したもの)を見ましたが、編集次第で印象が大きく(ほとんど180度近く)違ってくることを実感しました。
とても恐ろしいことです。
テレビの怖さを、私も感じます。私もそのテレビを見ておらず想像ですが、その記者は、特別な発言を期待したのではなく、他のTV局に先駆けてインタビューをとりたかっただけではないかと思うのです。
それでも、その父親を苦しめるだけ(苦しめてもよいと思ってやったのかもしれないが)であり、社会的正義が、インタビューにあるのと問いかけたくなりますが。
TVというメディアは、ともすれば感情的に短時間に訴えかけるのが効果的であるとなりがちと考えます。
私も父親へのインタビューを複数見たのですが、最も気になったのが「親としての責任」を連発していたことです。
父親は、勝手といえばそうかもしれませんが、とても正直な心境を話していたと思います。私としては、至極最もな内容でした。しかし、大衆にとっては我慢ならないもので、当然マスメディアも納得できないものでしょう。
「親としての責任はどう取るおつもりですか?」
「親としての責任の放棄じゃないですか?」
虫唾が走ります。「親としての責任」とは具体的には何を意図しているのでしょう?自殺ですか?心労による衰弱死ですか?号泣しての謝罪ですか?それらを望むのですか?
私は、加害者の関係者が事件後に不幸な人生を送らざるを得ないと思うと、心が痛みます。被害者の関係者が不幸になるのと同様に。むしろ、加害者の関係者は社会に阻害されるでしょう。
「親としての(道義的)責任」があるとしても、その内容は本村さんが言うように、被告人の反省を促したり、被告人を受け入れたりすることでしょう。人を殺す加害者が非人道的だとして、本人やその関係者に対して凄惨な最後を迎えることを望む大衆も非人道的です。
姉歯事件、畠山事件といい、最近、犯人の家族に対するインタビューが多く、お葬式で遺族に感想を問うような馬鹿げたインタビューと同様、「親の顔が見てみたい」的な、視聴率だけを求めたようなインタビューは大変不快になります。
私の見た範囲では、「今さらとやかく言ってもしょうがない」「息子だけが悪いわけじゃない、社会も悪い」「少年法は更生が目的なのに死刑は納得できない」などと、責任転嫁と自己弁護のオンパレードで、見るに耐えないものでした。(発言内容を正確には覚えていないので間違ってたらすみません。ただ、こんな感じの内容でした。)
「この子にしてこの親あり」という意図的な編集もあったのでしょうが、でっち上げでもなさそうなので、実際にしゃべったことも事実でしょう。息子が死刑になるかもしれないということは親にとってはつらい事実でしょうし、身内なら何とか弁護したくなる気持ちも分からなくはないですが、それを割り引いても、ちょっと・・・。
私の子どもなら、無実というならともかく、そうでなければ何をおいてもご遺族のもとに行き、お詫びをしようとすると思うのですが、どうもこの父親は違うようです。
私は一般大衆の一人ですが、別に父親や関係者の凄惨な最期など望んでいませんし、別にマスコミや大衆に対しての謝罪も必要ないと思います。
ただ、少なくともご遺族に対しては何としてでもお詫びするべきだと思うし、他人が言うならともかく、親が「社会のせい」というのはどこか間違っていると思います。
宮崎勤の父親は全財産を処分して被害者への賠償にあてた上で、縊死してますからねえ。知らぬ存ぜぬで通したって良かったはずです。成人の犯罪なんだから。
江戸時代じゃあるまいし、親兄弟まで連座させようなんてのは、近代的な人権思想とは相容れない。
森達也氏の論じる「マスコミの懲罰機関化」ですね
この本 けっこう評判の様です
こんなにレビューの多い本はそうそうない
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/408720314X/249-1511099-2432351
そうですね。私も成人なら知らぬ存ぜぬで通しても特に問題はないと思います。
私はこの案件について申し上げたつもりだったのですが、一般論として捉えられたのであれば、私の言葉足らずであったと反省しています。しかし、賠償やましてや連座など言及した覚えはありません。
ただ、本件のように未成年で自分の監護下にあった子どもが犯した犯罪なら、親として普通被害者側に謝罪くらいするのではないかと思っていたのですが、やはりこうした考え方は江戸時代の遺物で、近代的な人権思想では、知らぬ存ぜぬが一般的なんですね。
僕も報道を見ていて疑問を感じました。
インタビューアーがかなり高圧的だった事も気になりました。
最近、マスコミの行き過ぎが気になります。
情報が‘力’になっている以上、‘あり方’について考える必要が
あるのではないでしょうか。
国家による統制はあるべきではないと考えますが、自主性だけ
に任せておく事は少し不安を感じます。
インタビューを見ていないので、インタビュアーの感じがどうだったのかがよくわからないのですが、JR西日本の脱線事故の時に記者会見時における高圧的な新聞記者の物言い振り(TVでも放送されて相当批判をあびていましたが)と似たような感じだとしたら、それはそれとして、問題だとは思いますが、それを割り引いても、少年の家庭環境(この事は判決文でも触れられていましたが)がどういった感じのものだったか、を垣間見させる事、つまり、父親がどういった人物だったのか、は必要だったのではないでしょうか?
その結果、この子にしてこの親あり、という結論だとしたら、それはそれで、一つの結論になる訳です。
逆に言えば、こういう親だったのだから子供がこういった事件を起こしても止むを得ない→家庭環境が悪い→情状酌量の余地がある、という流れがあるのではないか?と見ることもできると思います。
穿った見方でしょうか?
多弁は労しませんが、節度ということ、相手の思いやりということが抜けているマスコミが多いと考えます。
もう一つ、それらに対して、ただ視聴率が取れればいいという考え方・・・つまり報道の「質」に対する指標が必要かもしれません。
「光市母子殺害事件最高裁判決の感想」でも書きましたが、父親のインタビュー
を見た人間です。テレビ朝日で放送されたものを見ました。
で、感じたこと及び考えたことですが。
1.被害者側の遺族がマスメディアに露出し、意見を言う権利があることと同じく、
加害者側の親族がマスメディアに露出して意見を言う権利がある。
2.処罰されていない自らの犯罪等の告白ならいざしらず、例えその内容が
不快であったとしても、その親を直接罰すべきという発言は控えるべき。
3.父親の発言を観て聴いて、自分の身の回りのことについて考えた時、
父親と類似している点で自省すべき部分がないか、あるいは知人や近所の
住人で父親に類似した人物は思い当たるかどうかを考える。
で、モトケンさんのおっしゃる「マスコミはあざとい」という部分は間違いなく存在する
でしょうが、私は上記のうちの3.について有用な情報を提供されていると思います
ので、今後も望むのであればこのような報道がなされることに異議がありません。
わたしは実際にインタビューを見たわけではありませんが
こういった被告人・加害者の親族の方々にインタビューを行うときには、必ず何かしら報道目的があるわけですよね。
色々と見た方の書かれていることを読む上では、視聴者に対しても、実際にインタビューを受けた父親にしても、よい影響を与えているようではなさそうです。
インタビューを受けなければ「受けない」ことを報道されるだろうし
受ければ受けたで「編集されて」報道されるだろうし
ほんとうに、誰のための、何のための報道なんでしょうね^^;
ぼくは、いい親だと思った。
自分なら、子どもが犯罪を犯しても最後まで味方でいてやりたい。
そういう親も実際いるんだな、ということを教えてくれた、
このインタビューは貴重でしょう。
インタビューの意図をどう思うかは、視聴者の意識次第。
ぼやきくっくり
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid81.html#sequel
昨日の『報ステ』及び今日の『ワイドスクランブル』から拾った父親の発言
「無期懲役以上の判決を広島高裁で出しなさいってことは、死刑でしょ。死刑と出したら終わりです」
「少年法というのは、これから先更生できるかどうかが大事ではないか。罪を憎んで人を憎まずって言葉があるが、これはまさに少年法に該当する」
「罪を犯させるということは、他の大人にも責任あったかもわからん」
「加害者が100%悪い、セックス目的だと(本村さんは)言うが、僕は本人(息子)から聞こうと思ったことあります。実際どこまでやったのかと」
「5年、6年前に出した手紙を出してきて、『反省していない』と言うのはおかしい」
「更生できると思ってる。本人は変わった。昔の手紙と今の手紙を比べて下さい。本人と会って話して下さい」
「向こう(本村さん)は1日も早く殺したいと思ってる。死刑しか考え方ない。だけどこれ(差し戻し)はしょうがないでしょう。最高裁がそういう判断したから」
「僕が被害者のことを考える必要はない。自分の息子のことで精一杯だから」
「命があれば、できるだけのことを自分の身をもってしてもらいたい。息子を生かしてくれたら、僕もそれに対して助けることがあれば、できる範囲でやらせてもらいます」
>宮崎勤の父親は……縊死
縊死ではなく、橋から河原への飛び降り自殺です。
テレビ局はボランティアではなく単なる営利目的の企業です。よって非常識なプロデューサーは視聴率を取るためには倫理ギリギリのこともするでしょう。商売ですから。報道目的は、視聴率です。今回の内容がネット上で取り上げられているということは視聴率はとれたということなのでしょう。・・・だからといって良いか悪いかは別の問題です。悪いと思えば改善要求をすればよいのです。みんなの声が企業を良くしていくのです。テレビ局は正義の味方ではないことを再認識すべきです。しかし、このインタビューは、テレビ局が一方的に悪いとは言えないところがあります。父親には拒否権があります。インタビューを放送して良いと承諾しているので反響も承知の上のはずです。普通の親であれば、本心は子供を守りたいと思っていても建前上は沈黙を通すものです。それを全国ネットにあのような発言をしたということは、子供の性格形成は親の責任であるということをみなさん学んだのではないでしょうか?犯罪者は急に出現しません。必ず人間から生まれてきます。このインタビューは親の責任の重大さを考えさせられる発言でした。
直リンクはまずいかな?まずいようなら消してください。
http://youtube.com/watch?v=w2jEb1kJhEU&search=
私もかれんさんの意見と同意見です。
しかし、親としての責任はやはり親権者としての責任ありでしょうね。実際にはコントロールすることなどは無理だったでしょうけど。
私としては我が身を身代わりに死刑にされてでも息子の命だけは助けてやってくれと懇願するところを見たかったですね。 皮肉でもなく、親として姿として。
>Barさん
>自分なら、子どもが犯罪を犯しても最後まで味方でいてやりたい。
これはまったくその通りだと思います。ただ、その意思を被害者に見えるところで示してはならんのですよ。それほど子供を大切に思うなら、大切な子を奪われた本村氏の気持ちをなおのこと慮らねばなりません。今回のように100対0で息子の側に非がある場合、逆ギレがましいことを言うのは本心がどうであれ全くの逆効果です。
被害者に対しては、とにかく言い訳せずに息子の頭を床に押し付けながら自分も土下座する。そして、息子と二人っきりになった時に「世界中が敵に回ってもお前のそばにいてやる。地獄の底まで付き合ってやる」と肩を抱いてやるべきなのです。
それはそれとして、マスコミの価値基準はやはり「番組的においしいか、おいしくないか」なんですねえ。視聴者からこれだけ反応を引き出したスタッフはホクホク顔でしょう。
かつての池田小乱入事件のとき、児童を取り囲んで「犯人はどんな人だった?」「刺された子はどんな様子だった?」と惨劇をさんざんリプレイさせた挙句、その同じ番組が後に「児童のトラウマが心配です」とぬかした時には、関西人の私がツッコミを忘れるほど呆れてしまいました。
それにしても、加害者家族叩きは切ないですね。親はまだしも、子供や兄弟姉妹まで責められるのは理不尽です。こういうことになる背景には、情状酌量の材料として「問題のある家庭環境」を安易に使っていることがあるのではないでしょうか。これはつまるところ「こんな犯罪を起こしたのは本人だけじゃなく家族のせいでもある」という意味ですからね。
情報番組と報道番組の境界が曖昧で、まるで芸能人のゴシップを扱うかのごとく、報道番組を作っている最近のテレビ局には失望を強めています。報道番組で、スローモーション等の映像効果やBGMを使ってニュースを盛り上げていることは、視聴者の誤解や偏見を助長しているとしかいいようがありません。被疑者の言い分を意図的に無視したり、ひたすら被害感情ばかりを強調したりすることも珍しくないその製作手法は、まるでドラマと同じです。
福知山線の事故の時も、とにかくJR西を叩けとばかりに、ヒステリーに近い報道が大量に生産されました。ある新聞記者が、記者会見に応じたJR社員に怒鳴り散らした際は、一定の批判もあり、まだこの日本にも冷静な世論があったかと、かえって驚かされましたが、光市事件の報道の多くは、日本人がいかに残虐で低俗な民族であるかを強調する中国のマスコミとほとんど同レベルに成り下がっています。加害者への憎しみを表現できるのは、本来被害者だけなのに、被害者でも何でもない人が被害感情に浸りきって復讐を叫ぶ様子は、正義を大義名分に暴れたがっているフーリガンと同じで、そういったフーリガンを大量に生み出しているマスコミには、言いようのない危うさまで感じざるをえません。
そして、元検事という方のサイトであえて申し上げさせていただきますが、そういったマスコミを最大限利用しようとした検察にも大きな問題がある、と私は考えます。検察は、不愉快な文言が並ぶ被告人の私信を、被告人が反省していない証拠として利用し、マスコミに被告人たたきのための第一級の材料を提供しましたが、これは一種の悪性立証で、不公正としか言いようがありません。私信は、公式の態度表明ではなく、オフィスで上司に従順に振る舞っている部下達が、酒席で上司の悪口を言い合うといったことはいくらでもあります。この私信もそれと同じで、被害者への手紙の内容に問題があるのならともかく、この私信の件では、被告人は罠にはめられたとさえいえるのではないでしょうか。検察は、この私信の存在をどのように把握し、入手したのか、明らかにする必要があります。私は、検察の指揮下にある被告人の文通相手が、被告人を煽るような文言の手紙を被告人に送って、被告人の無思慮な発言を引き出して、無反省の証拠を作った可能性さえあると思えてなりません。
kunarukante さん
>検察は、この私信の存在をどのように把握し、入手したのか、明らかにする必要があります。
私も検察官が手紙を入手した経緯については興味がありますが、これは間違いなく法廷で明らかにされているはずです。
そうでなければ証拠にできません。
そしてその入手経緯が適法であることが求められますが、安田弁護士らが検察官の入手経緯の違法性についての主張をしていないことからすると、適法であったのだろうと思われます。
一説には、一審で更正の余地があると無期になったにもかかわらず、手紙に反省の色がまるで無かったことに戦慄した友人が提出した、という話があります。
それは、聞き捨てならない説ですね。
仮にその説が本当だとしたら、その友人も人でなしですね。
高裁の判決文には,「被告人の上記手紙の内容には、相手から来た手紙のふざけた内容に触発されて、殊更に不謹慎な表現がとられている面もみられる」と書いてあるんですよ。
自分でふざけた内容の手紙を送っておいて検察に友人の手紙を証拠として提出する。
その行為によって友人が死刑になるかもしれないのにですよ。
私だったら「そういう手紙を書くのをやめろ」と言って止めますけどね。
たしかに、人でなしの友人には人でなしがいるものだということなんでしょうかね?
子供をかばうというよりはか、自分を擁護してるって感じでしたけどね。
これはあくまで噂に過ぎません。
ネットの都市伝説です。その点は明記しておきます。
問題がありそうなら削除して頂けると有り難いです。
被告が友人にはめられたのかもしれないと言っても、裁判ではその往復書簡の内容は精査されているでしょうし、内容は検閲されているのでは?
確か重要証拠の隠滅を依頼する可能性もあるので書簡は検閲されるという話を聞いたことがあるのですが。
これは仲間内の悪ふざけですという弁明は既にやっているでしょうが、それでも重視されたということは、やはり何か問題があると見られたのだと思います。
仲間内の悪ふざけですというのは弁明ではなく高裁の判決文ですよ。
高裁の判決によると、重視はしているにせよ、仲間内の悪ふざけであるから、反省していないという明確な証拠とは言い難いということになっています。
高裁の判決文をよく読みましたか?
それに、ご指摘の通り拘置所から手紙を発信する場合は検査があるようですので、その説はおそらく大嘘です。
問題なのはそんなことではなく、そのような、ちょっと考えれば大嘘とわかるような都市伝説がまことしやかに信じられてしまっているということにあるのではないでしょうか。
ようするに、被告人憎しという感情が思考停止を招いてしまっているということです。
そしてその被告人憎しという感情を煽り立てているのが、マスコミの一方的な報道だとしたら、私は、そっちの方が恐ろしいことだと思うのです。
>一説には、一審で更正の余地があると無期になったにもかかわらず、
>手紙に反省の色がまるで無かったことに戦慄した友人が提出した、
>という話があります。
私がテレビ報道で見たときの出演者の話では、本村さんの出版された日記を
読んだ友人がその内容に感動し、元少年に公正な裁判を受けて欲しいと思い、
検察に提出した、という説明でした。
>仲間内の悪ふざけですというのは弁明ではなく高裁の判決文ですよ。
2001年4月27日付の西日本新聞の報道によれば、
控訴審の第五回公判で全部で23通の手紙が証拠採用された際に、
少年は「不謹慎なところもあると思うが、手紙をやり取りするうちに
相手を笑わそうとしたもので、公開されるとは思わないで書いた」と釈明した
そうですから、洗足さんはこのことを指摘したのではないでしょうか。
>問題なのはそんなことではなく、そのような、ちょっと考えれば大嘘とわかる
>ような都市伝説がまことしやかに信じられてしまっているということに
>あるのではないでしょうか。
これはいささか脱線しますが、「死体洗いのアルバイト」、「茹で蛙」、
「百匹のサル」、「電子レンジの猫」等々、そもそも都市伝説とは
よく考えれば嘘とか疑わしいものであるものであるのに流布しているからこそ
「都市伝説」なのではないでしょうか。
従って、
>ようするに、被告人憎しという感情が思考停止を招いてしまっているということです。
,という結論には全く結びつかないと思います。