エントリ

荒川河川敷3人刺殺 一審の死刑判決を破棄(asahi.com 2006年06月27日22時20分)

 ホームレスとして生活していた東京都江戸川区の荒川河川敷で99年、同じホームレスの顔見知りの男性3人を相次いで刺殺し、遺体を荒川に捨てたとして殺人と死体遺棄などの罪に問われた安藤義雄被告(59)の控訴審判決が27日、東京高裁であった。須田賢裁判長は一審の死刑判決を破棄し、無期懲役を言い渡した。一審が認めた完全責任能力を否定し、3人を殺害した当時、心神耗弱状態だったと判断した。

 争点は、犯行前に覚せい剤を使用した被告の精神状態だった。

 被告の「殺害を指示する幻聴があった」との供述について、高裁は「自己に都合のいいように内容を誇張させているだけとはいえない」と指摘。被告の精神状態が正常でなかったとする鑑定を重視し、心神耗弱だったと結論づけた。殺害後の死体遺棄については、完全責任能力を認めた。

 常識的には納得できない判決です。
 被告人自ら違法な覚せい剤を使用しているのに、その覚せい剤の影響による心神耗弱を認めるなど、法律家や法律学者以外に納得する人はいないのではないでしょうか。

 常識はずれの理論は、社会規範として有効性を維持できないと思います。
 
 そして、刑法は社会規範の一部を構成しています。

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酒飲んで事故起こしたら罪が重くなるんだから、 覚醒剤を使用して殺人を犯したら罪を 続きを読む

http://kodomo.s58.xrea.com/seihanzai.htm (←転載自由なサイトである)を読んでいたら、最初の犯罪時に死刑だったら... 続きを読む

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早速ネットで調べてみました。

ttp://sugi22.fc2web.com/tenjyo/kuraim/act/141.html
三人の殺害だけでなく、路上にいた男性(当時36歳)にナイフで切りつけていた
ようですね。

ttp://www.geocities.jp/waramoon2000/bou_tokyo_h051227.html
>弁護人「一審判決は死刑だが、どんな気持ちでした?」
>被告「ショックでした」
>弁護人「一審では、死んでも仕方がないと言っているが、
>現実に死刑判決が出てどう思った?」
>被告「・・・・ショックでした」
ここらは生々しいです。

>弁護人「ご遺族宛の手紙を我々に預け、謝罪に行ってもらいたいと、
>貴方から頼みましたね」
>被告「はい」
>弁護人「我々が三人の遺族のもとに行った事は知っているね」
>被告「はい」
>弁護人「(遺族の方は)どう言って下さった?」
>被告「死刑にしなくて良いと」
>弁護人「どう思った?」
>被告「お詫びの仕様のない、申し訳ない気持ちで一杯です」
被害者の遺族の感情を鑑みると、今回の判決は妥当とも考えられます。
ここらへんが難しいところですが。

>検察官「貴方の反省は、一審判決の前と後で違いは?」
>被告「同じだと・・・」
このあたりの検察官の指摘も妥当だと思いました。

他にも傍聴記があったので、貼っときます。
ttp://www.geocities.jp/waramoon2000/bou_tokyo_h051117_2.html
ttp://www.geocities.jp/waramoon2000/bou_tokyo_h060127.html
ttp://www.geocities.jp/waramoon2000/bou_tokyo_h060307.html

>検事「中学時代に友人に怪我を負わせたのは、性格の表れとは?」
>証人「叱られるかも知れないが、被告の粗暴性を証明するために供述を
>蒐集されているようにも思える。これが、小、中学校時に記載された物であれば
>信用できる。(検事が何か言いかけたのか)ちょっと待ってください。
>こういう事件を起こした人の情報を蒐集するのでは、与える側が偏りを
>持ってしまう。別の事件ですが、元々この人は大変な人だったのではないか、
>と思い指導要領を見ると、大人しい人と書かれていたりする」

>検事「家族に見られた異常行動は、(覚醒剤の)乱用を推認できる、とあるが」
>証人「弟さんの家の屋根に上って騒いだ、妻への家庭内暴力、
>お腹の子供を不倫によるものだと思いピストルを発射した、等」

>検事「逮捕当時と、9月12日の供述の不一致は、何故だと?」
>証人「正確に言えば、調書の内容が変わっているんですね」
>検事「何故?」
>証人「録音テープがあれば、正確な内容が解る。調書は紙だから、
>捜査官の主観が入る事もある。検察官の調書では、いきなり(供述が)
>筋の通ったものになる。無論、デマとは言いようが無い。
>しかし、調書を一体どの程度信用していいのか。
>本件ではないが、この知能で理路整然とした事が言えるわけではないのに、
>そう書いている事がある。何故12日の検察官の調書で筋が通ったのか」

このあたりのやりとりも興味深いです。

専門家に読んでいただいて、内容の妥当性をお聞きしたですね。

法律上は行為能力がポイントになるので、殺人の時点で心神耗弱なら罪は減ぜられるでしょうが、凶悪犯罪も二つ重ねりゃ罪が軽くなるというのは、一般の常識からいえば考えがたいことです。法律のジレンマだと思います。

覚せい剤事案は、国によっては殺人などと同じレベルの犯罪として扱われている場合もあるようですし、本人にも社会にも百害あって一利なし(医療用は別ですよ。)厳しく取り締まってほしいものです。

ところで、覚せい剤って、末端では結構な値段がしたかと思うのですが、最近のホームレスの方々は、幻聴を聞くようになるまで覚せい剤を常用できるほど、お金持ちなんでしょうか??それとも今回の被告が、お金を持ってるけど、好きでホームレスをやってたんでしょうか。質さえ気にしなければ、安く手に入るのかも知れませんが・・・。覚せい剤をそんな気軽に買うことができるというのは、大変怖いことだと思うのですが。

「原因において自由な行為」というのは、学部の特に優秀な学生じゃなくても知ってることですが、
それを知らなくても、司法試験に合格し、さらには高裁判事まで務めることができるとは驚きました。

麻薬覚醒剤常習者に恨まれると怖いですね。
殺されても殺され損ということですから。

原因において自由な行為論を用いたとしても、覚せい剤を打ったりするときに死亡の結果について故意または過失がなければ、心神喪失ないし心神耗弱がそのまま適用されます。
この件の場合も、少なくとも殺意を持って覚せい剤を打ったわけではないのでしょう。
原因において自由な行為を判事が知らないと言うような批判は的がずれているのでは。

この件のこの判決は事実認定が正確である限り立法の不備の問題であって、裁判官を非難するのは筋が違うように思いますが。

> 殺されても殺され損

覚醒剤使用により無期になりそうだから、ということでしたら、被告が死刑になろうが無期だろうが、殺されれば「殺され損」だと思います。
「恨まれるようなことをしていないのに恨まれてしまう」という観点でしたら、その通りですが。

それより、そういう輩のターゲットにならない生き方を考える方が、幸せな人生への近道か、と。

サンドラールさん
>被害者の遺族の感情を鑑みると

家族から見放されたホームレスの遺族ですから、「厄介払いが出来て良かった」ぐらいに思ってるのでは?
普通の被害者の遺族感情と同列には置けないでしょう。

Taroさん
>そういう輩のターゲットにならない生き方

この事件はホームレス仲間が被害者でしたが、加害者は覚醒剤で心神耗弱なんだから、通り魔にだって十分に成り得るでしょう?
シャブでラリってる「輩のターゲットにならない生き方」をお教え下さい。

 犯行当時の被告人を心神耗弱と認定した以上は高裁の判断は法律的には間違ってはいません。
 もっとも、心神耗弱か否かについての判断の当否の問題は残りますが(地裁と判断が分かれてますし)

 心神喪失または心神耗弱というのは、例えればブレーキの壊れた又はほとんど効かないダンプカーみたいなものですが、自分でブレーキの壊れる原因を作っておいて、突然ブレーキが効かなくなったから勘弁してください、というのはなんだかなぁ、というのが法律を少しは勉強した人にとっても常識的な感覚ではないのかな、と思います。

 トラックバックをいただいた「A day in the life of Nagoya」さんにも指摘がありましたが、刑法39条は改正したほうがいいのではないか、と常々思っております。
 
 例えば、第3項として「心神喪失または心神耗弱が薬物濫用による場合は前2項を適用しない。」とかですが、別の観点で考えますと、薬物濫用によって重大事件を犯した者が再び薬物濫用事件を犯した場合には、死刑を含む重罪を科すことにするというのでもいいと思います。

 本件では、ご遺族(全員かどうかはわかりませんが)が、死刑にしなくてもいいと言っているようですので、それは死刑回避の理由になるのかもしれませんが、殺された被害者本人がどう思っているかはわかりません。
 SMさんのご指摘もあります。

 仮にこの被告人の無期懲役が確定し、将来仮出獄してまた覚せい剤に手を出したとしたら、それこそ被害者らは浮かばれません。
 この被告人の覚せい剤の再犯は、死刑に値します。
 現行法では無理ですけど。

刑法第39条については、
「第三十九条  心神喪失者の行為は、罰しない。
2  心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。 」
を第2項について
「2  心神耗弱者の行為は、その刑を減軽すことができる。」
と、改正して、個別の事件に応じて、適切に適用していけば良いのではと、つたない考えを持ちました。

このような判決がなされるたびに、思い出すのが「深川通り魔事件」です。
まさに、加害者の人権ばかり重視し、なんら罪のない2名の主婦、2名の幼児の人権を踏みにじった判決でした。
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/fukagawa.htm
刑法39条を、過大評価しているのではないだろうかと思ってしまいます。そもそも、精神疾患患者の心身喪失・心身耗弱と、覚せい剤による心身喪失・心身耗弱を、ひとくくりにしているところがわかりません。

an_accused様の
「裁判は、誰が担当しても同じようでなければならないのか」
http://d.hatena.ne.jp/an_accused/?of=10
のレクチャーを受け、裁判官によって判決内容が異なることは、頭の中ではわかりました。

しかしながら、このような判決が下されると、ふたたび何故、裁判官によって量刑に格差がでるのかという疑問がよみがえります。この事例の判決が将来、判例として残ることを考えると、依然として「判決と国民感情に隔たりがある」と思え釈然としません。

森田芳光監督作品「刑法第39条」では、この規定を痛烈に批判しておりました。精神鑑定を行う医者も、詐病によってだまされることがありますよ。との内容も含まれていました。精神鑑定を行う医者によって「みたて」が異なり、どの「みたて」を採用するかによって量刑が異なるのも、なんだかなあと感じます。

「保安処分」についても言及しますと、人権人権との大合唱で、尻すぼみになっていますし。結局、悲惨な事件がおこり、多数の被害者が出ないとダメだということでしょうか。立法の場においても、批判ばかり受けて、票につながらない議論は、敬遠されるということでしょうか。近隣に、いかにも言動のおかしい人物が住んでいたら、皆さんどう思いますか。自分自身や家族が被害者とならない保障はありません。

また、精神科入院患者が、外出外泊中に殺人事件等の凶悪事件を犯した時、外出外泊許可を出した主治医が、被害者遺族から訴えられ責任を問われる場合があります。このことは、しっかりした法律的バックボーンが存在しない現状では、主治医にとって酷だと思います。外出外泊許可を出さないと、逆に人権侵害だと非難される場合もありますし。

そもそも、何故刑法39条が規定されているのか、刑法39条が成立するに至った歴史的経緯、その必要性等につき、ご存知の方がおられましたらご教示頂ければ幸いです。

SMさん

>家族から見放されたホームレスの遺族ですから、
>「厄介払いが出来て良かった」ぐらいに思ってるのでは?
これは言葉足らずで失礼いたしました。

「ここらへんが難しいところですが」と書いておいたのは、
遺族が死刑を臨まないから難しいという意味だけでなく、
被害者である三名の方々について遺族がどのような感情を持っていたのか
裁判所が判断するのが難しいという意味もありました。

まさか判事が「残された遺族は厄介払いが出来たからその感情は考慮する
必要がない」とは言えないでしょうし、被告の改悛とみなされる行為を遺族が
受け入れたことが、「厄介払いだった」と裁判所が判断するようなら、
これは弁護側が黙っていないでしょう。

或る内科医さんの書き込みを読んで思い出すのが、
「狂鬼人間」と岡本喜八の「殺人狂時代」です。

特に「狂鬼人間」は脳波変調機を覚せい剤あるいはシンナー等に置き換えると、
そのまま刑法39条の抱える問題が浮き彫りになります。

で、この二つの映像作品は現状では放映出来ないみたいですね。
やはりこっちの関係に触れるような作品はタブーなんでしょうか。

追記:最終弁論の中で気になった部分が二箇所。
>コンビニで普通に行動できたからといって、意識障害が無かったとは言えない。

>被告人は、関心のある相手には積極的に話しかけ、気に食わない相手ならば、
>ホームレス仲間であれば、殴っていた。
>馬鹿にしている、電波を飛ばしている、という供述は、覚せい剤の影響と思われる。
>(被害者の)cさんが警察官であり、それを言わずに何気に顔で近所づきあいを
>していた、と考えていたのであれば、馬鹿にしている、と考えても当然である。

おちおち街を歩いていられないですねぇ。

好きで酒飲んでグデングデンになりながら車を運転して人を轢き殺しても業務上「過失」致死なの?という疑問から出てきたのが危険運転致死罪でした。
好きで覚せい剤を打って適度にパッパラパーになって車を運転して轢き殺したら、危険運転致死罪でしょうが、人を刺し殺したら限定責任能力下における殺人罪。
薬物濫用下での犯罪を、立法上もう少し整理した方が良い時期に来てるのではないかと思います。

法律のしろうとのコメントですが...

昭和49年に出された「改正刑法草案」では、
「草案16条(現刑法39条に該当)の規定は、『故意又は過失によりみずから精神の障害を招いた者』には適用しない。」
という明文規定(17条)が入っていました。

つまり、今の問題は30年以上前に既に明示的に問題視されており、また、この草案17条には反対意見はなかったのではないかと思うのですが、改正刑法草案がつぶれるのと運命をともにして、後の刑法改正にこの規定が入ることはなかったですね。

問題があるとわかっていながら放置してきたわけで、風の精霊さんがおっしゃる「立法の不備」というよりも「立法の不作為」じゃないですかね。

結論。

この国の司法は善良な国民を凶悪な犯罪から、
守ってくれることはない。
国家が変って復讐権を行使することもない。
さすればおのずから導き出される結論は、
殺される前に殺した方が勝ち。
死人に口なし。

今般、岡山で起きた学生による集団リンチ殺人事件。
加害者の者たちは無罪放免されるでしょう。
心神耗弱、殺された側にも非があった。
これらのことを考慮すれば無罪放免が適当でしょう。
まずそうなるでしょうね…
元検さんは反論できますか?


いいのか?
それで…
この国は法治国家ではなく、
放置国家なのか?
痴呆国家なのか?

私は最近、若いものたちが理不尽な振る舞いをするときに
注意するようにしています。
命がけですが。
でも大丈夫。
殺してしまえばあとは無罪放免。
若者に注意をするときは、殺すつもりで注意しましょう。
暴走族なんぞはひき殺した方がよい。
こちらがぼこぼこにされて相手が無罪より、
殺した方が絶対得。
良心の呵責など、
ちょいと反省文を書けば吹き飛んでいきます。

こういう考えの人間が増えたときに、どうするんでしょうか。
すでに増え始めていると思うのですが。

いや、元険さんに言ってもせんないことなのかも知れませんが、
元険なら、多少なりとでも司法関係者とのお話ができると期待。

まったく別件ですが
最近の医師一家放火殺人事件における
少年が作成したとされる「反省文」
反省の意はよくわかるのですが
なんぼ頭のいい少年だったとはいえ
極限状況で逮捕直後に書いたにしては
5W1Hが整いすぎてるのが気になる

>この件の場合も、少なくとも殺意を持って覚せい剤を打ったわけではないのでしょう。
原因において自由な行為を判事が知らないと言うような批判は的がずれているのでは。

風の精霊さんのコメントに禿同です。
責任主義は刑法の大原則なのですから、それを修正するのは刑法理論を根本から覆すくらいの問題だと思います。
だからこの問題の解消はなかなか難しいんじゃないのかなー、というのが私の感想です。

端的に「高裁が地裁より常識的とは限らない」と言うと、
法律に詳しくない方の誤解を呼んでしまうと思います。
モトケン先生には根本的な点の解説をしていただいたほうが皆さんの為になると思うんですけどね。

>或る内科医さま
 拙文をご覧いただいたようで、汗顔の至りです。

>「そもそも、何故刑法39条が規定されているのか、刑法39条が成立するに至った歴史的経緯、その必要性等につき、ご存知の方がおられましたらご教示頂ければ幸いです。

 との御疑問について、私が知る範囲の事柄を申し述べさせていただきます。

 我が国の刑法は、規範に違反した場合には刑罰を科すという威嚇によって、人々の行動を統制することを目的としています。しかし、心神喪失のため、規範を理解できず、規範にしたがって行動する能力を欠く者に対しては、刑罰による威嚇が及び得ません。そのため、刑罰による非難はなしえないとして刑を免除することとしています。

 今の刑法の前身である旧刑法(明治13年刑法)は、中世王朝期の刑法であった唐律とフランスのナポレオン刑法典の二つを基礎としています(澤登俊雄「ボアソナードと明治初期の刑法理論」吉川経夫他著『刑法理論史の総合的研究』4頁)。
 まず、7世紀頃に我が国に導入された唐律(名例律)ですが、これには

「諸年七十以上、十五以下、及廃疾犯流罪以下、収贖。八十以上、十歳以下、及篤疾、犯反逆殺人、応死者上請。盗及傷人者亦収贖。余皆勿論。九十以上、七歳以下、雖死罪不加刑。」
(70歳以上15歳以下の者及び廃疾者で、流罪以下の罪を犯した者には収讀(正刑を科さず、金で罪を贖わせること)。80歳以上10歳以下の者及び篤疾者で殺人を犯し死罪に当たる者については協議のうえ天皇に上奏してその裁可を仰ぎ、盗罪や傷害は収讀、それ以外の罪は問わない。90歳以上7歳以下の者については、死罪に該当する罪を犯しても刑を加えない。)

と規定されており、老小廃疾によって刑罰を減免することが明記されています。(利光三津夫・長谷川彰『新 裁判の歴史』成文堂 104頁)

 また、ボアソナードが我が国の刑法(明治13年刑法)の草案を作る際のベースにしたフランスのナポレオン刑法典(1810年)には、その第65条に

「被告人が行為のときに心神喪失の状態にあったとき、又は犯行を強制されたときは、重罪または軽罪とならない」

と規定されていたようです。この二つを出自として

「罪ヲ犯ス時知覚精神ノ喪失ニ因リテ是非ヲ弁別セサル者ハ其罪ヲ論セス」(明治13年刑法第78条)

が生まれ、明治40年に今の条文(第39条)に改正されたのです。

 こうしてみると、心神喪失者に対する刑の減免規定は唐やフランスからの輸入品に過ぎないと思われるかも知れません。しかし、鎖国によって外国から新たな刺激をあまり受けることのなかった近世期にも、心神喪失者を通常人と別異に扱う法運用があったことがわかっています。

 江戸期の幕府法は、幕府がもともと軍事政権であったことから、高額窃盗や交通事故にまで死罪が適用されるほどの厳罰主義でした。
 その幕府法である公事方御定書には、庶民に科せられる死刑として、鋸引・磔・獄門・火罪など様々な種類の刑執行方法が設けられておりましたが、酩酊状態での殺人や心神喪失状態での殺人に対しては「下手人」という最も軽い死刑を適用することとしていました(公事方御定書第78条。死刑に「重い」「軽い」というのもちょっと変ですが、「下手人」は首こそ刎ねられますが、他の死刑のように死体が晒されることもなく、また財産没収も伴わないという点で、死刑執行方法の中では最も寛刑でした)。
 さらに「下手人」は、被害者の主人や親族からの「下手人赦免願」によって執行が見合わされ、その身柄は縁者等に下げ渡されていました。また、法執行官(奉行ないし奉行所役人)は、「下手人赦免願」による刑の免除が許されている事件で、これを出すべきような情状が見られる場合には、赦免願を提出するよう被害者を強く指導(半ば強制)することもあったようです(谷口眞子『近世社会と法規範』吉川弘文館 112頁―114頁)。

 このようなことを見る限り、「心神喪失状態にある者に通常人と同じ罪責を問うことは困難である」という考え方は、近代刑法独特のものであるとか、輸入物の法思想のみに基礎をおいたものというわけではなく、我が国の歴史文化に深く根ざした考え方であり、むしろ「心神喪失者にも通常人と同様の厳罰を科すべし」という考え方のほうが、我が国の長い歴史の中ではどちらかというと特殊な考え方であると言えるでしょう。
※我が国の伝統とか文化とかいったものを大事にしようという「保守」の立場の人々のほうに、我が国の伝統と異なる「心神喪失者も通常人と同じ刑に処すこと」を望む方が多いような気がするのは、ちょっと興味深いです。
※※もっとも、社会は変化するのですから、その変化に応じて「心神喪失者にも通常人と同じ刑に処すべし」という考え方で刑法が再設計されてもよいと私自身は考えています。

>けんじ さん

>法律に詳しくない方の誤解を呼んでしまうと思います。

 ご指摘ごもっともですが、
 法律解釈論からの意見ではなく、問題提起的なエントリですので、敢えて刺激的なタイトルとした次第です。

>an_accused さん
 詳細な説明ありがとうございます。
 とても勉強になります。

>鏡に映りし者さん
 鏡に映りし者さんがコメントで書かれたようなこと(無罪放免)にはならないと思います。

>an_accusedさま
いつもながらの、詳細でたいへん解りやすい、ご解説ありがとうございました。多岐にわたって豊富な知識を持たれる、an_accusedさまは、いつ寝ておられるのだろうと思ってしまいます。

覚せい剤等の幻覚剤については、「それを使用する者」は無論のこと、このような凶悪犯罪の原因となった「それを密輸し、売りさばく者」に対しても、シンガポールのように厳罰でのぞむべきだと思います。

さて刑法39条の歴史をご教示いただき、またいくつか疑問に思うのですが、

機〆から約100年前には、覚せい剤中毒者、薬物濫用者による犯罪行為そのものが、無かったのではないでしょうか。そのように考えると、覚せい剤中毒者、薬物濫用者の「心身喪失・心身耗弱」は、いつの時代から刑法39条に包括されるようになったのでしょうか?
覚せい剤中毒者や酩酊泥酔者の犯罪行為が、「刑法39条における心身喪失・心身耗弱状態である」とした過去の判例にしばられて、いまだに本エントリーの事例のような判決がなされると思うのですが。

供〃宰39条の見直しは、立法の場において、なかなか議論が進まないように思えます。そうすると、刑法200条が削除された経緯が浮かんできます。(私は学生時代に読んだ佐木隆三氏の著書で知りました。)確か、尊属殺の規定は法の下の平等に反し違憲であるとの判断で、最高裁判決が、立法に先んじた形になったと記憶しています。本エントリーの事例により、最高裁が刑法39条の見直しを行う可能性はないでしょうか?(個人的には、深川通り魔事件の際、見直してほしかったです。)
検察がこの事例を上告するとすれば、いかなる理由で上告するのでしょうか?例えば、全く同一の犯罪を、覚せい剤使用者が犯した場合と、そうではない者が犯した場合、その量刑に格差が生じると、「法の下の平等」に反するのではないかと思うのですが。刑法39条>憲法なのでしょうか?(このような発想は、素人の稚拙な発想でしょうか。)

掘 篆歓請喙困里燭瓠規範を理解できず、規範にしたがって行動する能力を欠く者に対しては、刑罰による威嚇が及び得ません。そのため、刑罰による非難はなしえないとして刑を免除することとしています。

とのことですが、「規範を理解できず」との文言に注目しますと、ある意味、我々国民の大多数が、義務教育の場において法律の授業もないのに、如何にして規範を理解しているのか、不思議な気持ちになります。にもかかわらず、我々は、一部の犯罪者を除いて、「やってはいけないこと」を理解しています。
しかしながら、例えば全く無法の国があったとして、(映画「時計じかけのオレンジ」に出てくる、欲望のままに行動するアレックスのような国民ばかりで構成された国)その国から日本にやってきた者が、ある犯罪行為をなし、「規範があることを知らなかった、理解できなかった」などと弁明した場合、「日本に規範があることを知らなかったため、規範を理解できず・・・」あるいは「無学のため規範を理解できず・・・」という言い訳は、現実的には通用しないと思います。しかし、学問的に、このような者の犯罪行為は、どのように解釈されているのでしょうか?


SMさま

> 輩のターゲットにならない生き方

我が家では実践しています。私を含め我が家の家族たちは、今実践している「大切なこと」を忘れなければ「絶対に」こういう輩のターゲットにはなりません。それは平たく言えば「業をためない生き方」です。
別に宗教がかったことをいっているわけではないです。確かにこれだけちょっと見れば「宗教がかった考えだから」ぐらいに思われてしまうことは理解できますし、そうやって排除することも簡単かと思います。

今の世の中、不安ばかり煽って、「万が一の時の保険を!」なんてしきりに宣伝されています。それは、マーケティングの手法として、そのものに対価を払うことにより、よりよくなることをアピールするよりも、苦痛を取り除く、というアプローチでアピールする方が財布の紐をゆるめやすいことが研究されているからです。ですがよく考えてみてください。万が一の目に遭ったときにカバーができることがいいのか、それとも万が一といわれていることに遭わないことがいいのか。後者が完璧であれば、後者の方がいいことは明白です。では「後者が完璧なことってあるのか」、ということが重要になりますが、それがその「業を溜めない生き方」であり、私はそのために時間とお金を使いますし、使っています。

被害に遭われた方は大変お気の毒ですが、私は被害に遭われた方を救うことなんておこがましいことなんかできませんし、そういう立場でもありませんし、もし真剣にそうしたいのなら、まずは自分が幸せでなければ、他人のことをどうこういえるレベルに達しないと思いますので、こういう事件が起きたときには、今一度自分の今までの人生を振り返って、業をためる生き方をしていないか、兜の緒を締め直す機会にしたいと思います。そういう意味ではモトケン様がこういうブログで、兜の緒を締めるきっかけを作っていただいていることに、大変感謝します。

・歩きながら小さなゴミだからとポイと捨ててしまった。
・入りきらず溢れているゴミ箱に、さらにゴミを捨てた
・すれ違いざまにちょっと人とぶつかってしまったが、急いでいたのでちゃんと謝ることができなかった(心では謝ったんだけど…)。
・討議していてつい頭に血が上って、言う必要のない罵りをしてしまった
・討議中に本質にはあまり関係ないことで揚げ足を取って攻めた
・今思えば鳴らす必要の無いクラクションを鳴らしてしまった
・別に理由もないのに仏頂面していた
・疲れていたので、電車で前に子どもを抱えたお母さんやお歳を召した方が来たんだけど、つい寝てるふりをしてしまった
・部屋が整理整頓されていない。散らかってしまっている。

こういった些細なことでも業は溜まっていきます。ですが気を付けていても人間たるもの、完璧ではありませんのでなかなか完璧に業を溜めないように生きることは難しいでしょう。私だって完璧ではないです(当たり前ですが(^^;))。ですが世の中にはその溜まった業を洗い流す手段がいくつも用意されています。溜めないように生きようとすれば、自ずとそういう方法に出会いますので、「万が一」といわれていることに遭いたくなければ、まずは溜めないように生きようとすることを「真剣に」心がけることをお勧めします。少なくとも能動的に「ちょっとぐらいいいかな」と言う気持ちでやってしまうことは、まずはお辞めになった方がいいです。小さなもののポイ捨てなんかこの部類でしょう。そして次の段階としては「つい、、、」を減らすことを心がけることです。

「宗教がかった考え」がお好きでなければ、まずは哲学書のようなものをお読みになることを薦めます。そうすれば私が何を言わんとしているかは、多少なりともご理解いただけるかな、と思います。

ただしこれはもちろん強要ではありませんし、同意いただかなくても結構です。単なる一意見、一考察(?)ですので、どう感じ取られ、どういう生き方をされるかは自由であることをお断りしておきます。

被害に遭われた方のご冥福をお祈りし、残されたご関係者が一日も早く立ち直られることをお祈りすると共に、加害者には必要にして十分な厳罰に処されることを切に願っております。

>モトケン先生
 こちらこそ勉強させていただいている上に、長文コメントばかり投稿して申し訳ありません。「おっさん」と化した今になって、「日本法制史をちゃんと聴いていればよかった」と思い知らされるとは思いませんでした(「他の講義も聴いていなかったくせに」と呼ぶ声あり)。

>或る内科医さま
 応答をいただき、ありがとうございます。
 なかなかドンピシャリのお答えができませんが、紆余曲折も含めてキャッチボールにお付き合いいただければ幸いです。

気砲弔い
 「今から約100年前には、覚せい剤中毒者、薬物濫用者による犯罪行為そのものが無かったのではないでしょうか。」ということですが、刑法39条は、心神喪失状態が何によって生じたのかを一切問題にしていないので、覚せい剤中毒者、薬物濫用者の「心身喪失・心身耗弱」は、最初から包摂されるしくみであったということになるでしょう。
 さかのぼって公事方御定書をみましても、精神疾患による心神喪失と酩酊による心神喪失はどちらも「乱心」であり、心神喪失をその原因で区分するという発想自体なかったのではないでしょうか。

兇砲弔い
 これについては、私もモトケン先生に答えをお伺いしたいです(というより、兇鉢靴老宰〜輜世鬚ちんと勉強していない私には荷が重いです)。一応、私なりに考えてみますと、まず、心神耗弱状態に陥った者と完全な責任能力が認められる者は同一ではないため、それに見合った格差が結果に生じることには合理性があるので、「法の下の平等」に反しているとはいえないでしょう。【刑法39条>憲法】ではなく、あくまでも【憲法>刑法39条】であるという論理は崩れていないように思われます。
 検察官上告の可能性についてですが、私には、刑訴法405条各号のいずれを主張するのも難しいような気がします。ただ、光市母子殺害事件がそうだったように、とりあえず何かの理由で上告すれば、その上告理由自体は認められなくても、最高裁が「量刑が著しく不当」(刑訴411条2号)とか「重大な事実誤認あり」(同条3号)を認めて審理する場合もありますから、検察庁は何か理由をくっつけて上告するかも知れません。

靴砲弔い
 この場合の「規範を理解できず」というのは、単に「法律を知らなかった」ということではなく、「理非善悪を弁識する能力がなく又はこの弁識に従って行動する能力がない」ということを指します。最高裁判例の主流は、違法であるということを認識していなくても、犯罪事実の認識があれば、故意が成立するという立場をとっているようです。そして、単に「法律を知らなかった」場合は、刑法38条3項により刑が減軽されうるに過ぎないのです。とはいえ、或る内科医さまが「ある意味、我々国民の大多数が、義務教育の場において法律の授業もないのに、如何にして規範を理解しているのか、不思議な気持ちになります。」とお考えになるのも無理はありませんでして、最近ではPSEマークをめぐる騒動があったように、数多ある行政法規の中に罰則規定が知らぬ間に設けられ、合法だと思っていた行為がいつの間にか違法行為になっている、という可能性がないわけではありません。
 刑法学者の井田良氏(慶応大教授)は、「注意すべきことは、「(違法性の錯誤に陥ったことの)相当の理由」としてどのような事情まで要求するかは、一般の市民が正確な法的情報へのアクセスをどの程度に保障しているかに決定的に依存している」としたうえで、「わが国のように、ふつうの市民にとり刑罰法規の詳細についての情報を得る可能性が必ずしも十分に保障されているとはいいがたい状況のあるところでは、「相当の理由」の有無の判定においては特別の寛容さが要求されよう」(井田良『刑法総論の理論構造』成文堂240頁)と述べておられます。

 ご質問全部にお答えしきれませんでしたが、とりあえず投稿いたします。モトケン先生、答えが間違っていてもあまりお叱りにならないでくださいね。

Taro | 2006年06月30日 11:19 氏へ

> 輩のターゲットにならない生き方
のコメント、どんな方法だろうとワクワクしながら読んだら・・・・

    つまんない!

   実に、つまんない!
   
     読み損

あなたが唱えている「業をためない生き方」は否定しません。
素晴らしいことです。
私も「業をためない生き方」をしています。

しかし、人殺し(殺人鬼)を舐めてはいけません。
殺人鬼の心理は未知です。


殺人鬼は、

・すれ違いざまにちょっと人とぶつかってしまったが、急いでいたのでちゃんと謝ることができなかった(心では謝ったんだけど…)。
→謝ったとたんにナイフで刺します。

・疲れていたので、電車で前に子どもを抱えたお母さんやお歳を召した方が来たんだけど、つい寝てるふりをしてしまった
→席を譲った時点でロックオン、その場で刺すか、尾行して刺す。

これは、揚げ足取りではありません。事実です。
殺人鬼は、目についた人を無作為に殺す場合もあれば逆もあります。

「親切にしてくれたから、殺したくなった。」

この様な動機で人を殺した殺人鬼がアメリカでいました。


もう少し、具体的かつ確実な
「輩のターゲットにならない生き方」
が見つかりましたら、是非、教えてください。

an_accusedさま
ご多忙中ご丁寧にお答えいただき、いつもすいません。私の疑問が、的外れで稚拙なものではないかと、いつもドキドキしながら、投稿ボタンをクリックしております。

>覚せい剤中毒者、薬物濫用者の「心身喪失・心身耗弱」は、最初から包摂されるしくみであった

刑法第39条が制定された約100年前には、覚せい剤中毒者、薬物濫用者による心身喪失・心身耗弱という概念がなかったのでしょうね。にもかかわらず、いまだに、精神疾患と覚せい剤中毒者、薬物濫用者による心身喪失・心身耗弱を「乱心」として包摂して考えることは、(当エントリーでコメントされている皆さんも、そう感じておられるように)やはりおかしいですね。衆参院法務委員会で、刑法第39条に関する見直しは、審議されているのだろうかと思ってしまいます。(法務委員会の会議録議事情報を、インターネットでまめにチェックすればよいのでしょうが、なかなか時間もありません)もこ様がおっしゃるように、「立法の不作為」を感じてしまいます。

それで、立法がダメなら司法があるのではと思い、尊属殺が削除された経緯を思い出し、兇里茲Δ覆桓遡笋鬚気擦討い燭世ました。最高裁の判断を試すべく(試すという表現は不適切かもしれませんが)検察は本事例を上告するでしょうか。

>「法律を知らなかった」場合は、刑法38条3項により刑が減軽されうる

推理小説の題材になりそうですね。考えてみれば、我々は、好むと好まざるとにかかわらず、「法律という鎖」でがんじがらめにされながら、日常生活をおくっているわけですね。

>※我が国の伝統とか文化とかいったものを大事にしようという「保守」の立場の人々のほうに、我が国の伝統と異なる「心神喪失者も通常人と同じ刑に処すこと」を望む方が多いような気がする

ちょっと興味を持ったのですが、【「保守」の立場の人々】とはどういった人々なのか、(私と同じ考え方の人々ですが)お差し支えなければ教えていただけますでしょうか。

>或る内科医さま
 こちらこそ、議論を適切に前進させるコメントを返していただき、いつもありがとうございます。ドキドキしながら投稿ボタンを押すのは、お互い様のようですね。刑法総論なんて久しぶりなので、間違ってやしないかと冷や冷やしています。さて、

>刑法第39条が制定された約100年前には、覚せい剤中毒者、薬物濫用者による心身喪失・心身耗弱という概念がなかったのでしょうね。

 確かに、今から100年前には覚せい剤使用による心神喪失というものは想定されていなかったでしょう(覚せい剤が我が国内で流通し始めたのは1940年代初頭、「ヒロポン」などという名称で大流行し、厳しい規制が求められるようになったのは1940年代末から1950年代にかけてということだそうです)。しかし、酒に酔って事理弁識能力を失った者に対しては従来から心神喪失・心神耗弱を認めています。アルコールも薬物の一種ですから、アルコール摂取を原因とする心神喪失・心神耗弱が認められて、覚せい剤使用を原因とする心神喪失・心神耗弱が認められないというのは合理性に欠けるということになるでしょう。
 ともあれ、限定責任能力という考え方を認めること自体、立法政策上の問題ですから、立法によって解決を図るべしというご見解については異論ありません(最近は刑法改正も頻繁に行われていますから、うまく政治日程に乗れれば改正できるのではないでしょうか)。
 検察官が上告するかどうかは、私にはわかりません。申し訳ありません。

>「法律という鎖」でがんじがらめにされながら、日常生活をおくっているわけですね。

 普段さほど意識することのない「法の鎖」ですが、大抵の商売には「○○業法」なんていうものがあったりして、意外とがんじがらめにされているんですよね。

>【「保守」の立場の人々】とはどういった人々なのか
 前のコメントで述べましたとおり、「我が国の伝統や文化を大事にしようという人々」のつもりです。ちょっと興味を抱いた程度でして、追々もう少し掘り下げてみたいと考えているところです。

横レスにて失礼いたします。

>尊属殺が削除された経緯を思い出し、兇里茲Δ覆桓遡笋鬚気擦討い燭世ました。最高裁の判断を試すべく(試すという表現は不適切かもしれませんが)検察は本事例を上告するでしょうか。

尊属殺は尊属対する殺人について通常の殺人より重い法定刑が予定されていたわけですが、それは刑法の表層的な変化に過ぎないものだと思われます。
それに対して刑法39条は現在の刑法における責任主義という根本原理に由来する規定であり、その見直しにはより困難が伴います。
覚せい剤で責任能力を喪失あるいは低下している人に通常の責任能力がある人と同じ責任追及可能とするロジックの構築が難しいと思われます。
薬物で責任能力が減退している場合と精神病で同様に能力低下している場合をどのような基準で薬物の場合だけ完全な責任能力ありとするのか、あるいは刑事未成年の場合との均衡はどうするのか?などの問題が考えられます。

危険運転致死罪のように、「アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で四輪以上の自動車を走行させ」というように要件を限定できる、しかも過失犯ならば規制もしやすいのですが、薬物の影響で刃物を取り出し…などと故意の犯罪について規定をするのは現実的とは思えません。

それに、司法によって39条の改廃を期待することはできません。
違憲という評価が与えられる可能性は皆無だからです。
すでに述べたような困難はあるもの、あくまでも立法によって解決を図るべきものだと思われます。

>an_accusedさま

たびたびの、ご応答有難うございます。先人たちも「乱心者」に対して、寛容さをもって接していたのですね。あるいは、現代のように精神医学が発達していない時代には、「乱心者」を「乱心者ではない者」と同じように処遇することをタブーと考えていたのでしょうか。

著明な犯罪精神医学者である中田修先生も『アルコール中毒犯罪者(その他の中毒による犯罪者も同様)の処遇としては、刑罰よりも治療的処分が重要である。その意味で、多くの国々では、保安処分として、飲酒者治療所または禁断施設に収容することが、立法化されて実施されている。わが国の改正刑法準備草案にもこの種の保安処分が禁断処分の名のもとに規定されている。将来の刑法改正によってこのような処分が実施されるものと予想されるが、非常に望ましいことである』(創元医学新書、「犯罪と精神医学」中田修著)と述べられていますが、これは昭和63年の書籍です。いまだに、保安処分に関しての議論は、十分なされていないように思います。結局、「乱心者」による大量殺戮事件がおこらないと、立法の場での議論沸騰は生じないのかと思ってしまうのです。

また、疑問に思うところがあるのですが、しつこくてすいません。これは総論ではなく各論になると思いますが、「未必の故意」に関してです。

・ひとりの覚せい剤使用常習者の男がいた。
・近所の人々は、この男の言動が、なにかおかしいと気づいていた。包丁をもって徘徊したり、通行人に「殺すぞコラ!」などと威嚇していた。みんな怖いので警察に通報することなく、見て見ぬふりをしていた。
・しかし、覚せい剤の効果がきれている時は、普通の常識者であった。
・近所の親切なひとが、勇気を出して「あんたおかしい時があるで、気いつけたほうがええで」とその男に言った。
・男は、「ああ、きっと覚せい剤のせいや、もう止めなあかん。このまま覚せい剤を続けていたら、自分が何するか怖い」と思っていた。
・しかし、強烈な嗜癖性がある覚せい剤を止めることができなかった。
・ある日、台所の包丁を懐に隠し持ち、うろうろしていた。たまたま通りかかった見ず知らずの人を刺殺してしまった。

機,海両豺隋△海涼砲蓮◆嵬どの故意」があったとされるのでしょうか?それとも刑法39条による、心身耗失状態が優先されるのでしょうか?

供,気蕕法◆屬海里泙浤个擦ず泙鮖藩僂径海韻討い譴弌△燭い悗鵑覆海箸鬚靴討靴泙Α廚塙佑┐討い訝法A)と、「そのような事は認識していない、自分が気持ちよければそれでよい」と考えていた男(B)との間に、刑罰の差異は生じるのでしょうか?同じ犯罪結果を生み出したとしても、(A)の方が(B)より「内省」の度合いが強いと思うのですが。


>けんじさま

横レスだなんてとんでもないです。有難うございました。勉強になりました。ロジックの構築が困難な事例で、なんとかロジックの構築を、可能ならしめることをご存知の方はおられないかと思い、私のつたない考えをコメントさせて頂きましたが、やはり、
>ロジックの構築が難しい
のですね。

前コメントの質問菊發諒絃蓮
「心身耗失状態」→「心身耗弱状態」です。
モトケン先生、お気づきになられたら、お手数ですが、ご訂正お願いいたします。

>或る内科医さん

 ご質問の件ですが、「心神耗弱」または「心神喪失」というのは「責任能力」の問題です。
 そして、「未必の故意」の問題と「責任能力」の問題は全く別の問題です。

 ここから説明したほうがいいですか?
 刑法理論の説明になってしまいそうですが。

>モトケン先生

ご応答いただき、有難うございます。
もし、わたしの疑問が、あまりにも初歩的で、かつ当ブログに参加されている法曹の方々が辟易するような疑問であれば、ご回答を求める資格もないでしょうが、当ブログの参加者の法曹ではない皆さんが、私と同じような疑問をもっておられるなら、ご多忙中恐縮ですが、基礎からご教授いただければ幸いです。

未必の故意とは、「犯罪的結果の発生自体は確実でないが、発生するかもしれないことを表象しつつ、それが発生してもかまわないと認容している心理的状態」とのことですが、「覚せい剤を使用すると、人を殺すかもしれないという心理状態にあった者が、覚せい剤を使用し、人を殺してしまった」場合でも刑法39条が適用されるのだろうかと思ったのです。

千葉県館山市の放火殺人事件(千葉地方裁判所死刑判決)でも、犯人が酩酊状態で放火していたら、判決はどうなったのかと思っています。
飲酒して放火した方が、罪は軽くなる?などと思ってしまいます。

>けんじさま
 懇切なフォローコメントをいただき、ありがとうございます。こうして法律を体系的に学んでおられる方からフォローコメントや誤りの指摘をいただけるので助かります。これからもよろしくお願いします。

>或る内科医さま
 こちらこそ、ありがとうございます。また、参考文献もご紹介いただきありがとうございます。
 中田修先生のお考えは、近代医学・近代刑法の考え方に沿ったものであると理解いたしました。「保安処分」については、心神喪失者医療観察法に形を変えて実現した部分もありますが、「禁絶処分」については未だ整備されているとは言えません。池田小事件のような悲惨な事件が起こる前に、法整備を進めることが必要であるように思われます(治療というアプローチであれ刑罰というアプローチであれ)。
 さて、ご設問についてですが、私も、或る内科医さまと共にモトケン先生のご解説をお待ち申し上げることにいたしたいと思います(私も、或る内科医さまと同じ非法曹ですから)。
 ただ、この種の事件によくある感想として「覚せい剤を打ってから人を殺せば無罪か」などというものがよく見られますが、覚せい剤使用(飲酒)=心神喪失・心神耗弱ではありません。たとえ覚せい剤を使用していても完全責任能力が認められた裁判例は数多く存在する(札幌高判昭和58年4月19日など)ということを付言させていただきます。

>モトケン先生
 私も先生のご解説をお待ち申し上げております。
 私も素人なりに考えてみたのですが、実行行為時に心神耗弱状態であったことが認められたとした場合、「殺人罪成立、心神耗弱により刑を減軽」になるのか「認識ある過失あり、原因自由行為の法理により重過失致死罪成立」になるのか、それとも全く異なる結論になるのか、よくわかりませんでした。

>an_accusedさま
>私も、・・・非法曹ですから

え〜っ!(⌒▽⌒;)、 an_accusedさまは非法曹の方だったんですか。
ハンドルネームおよび、極めて豊富なご見識から、私はてっきり法曹関係の方と思っておりました。
それにしても、すごい知識量に基づく、ご解説ですね。
an_accusedさまを「法律学者」の方と、当方、勝手に想像させて頂きます。

わたしのコメントに対するフォロー、有難うございました。いつもすいません。

>或る内科医さん

>「覚せい剤を使用すると、人を殺すかもしれないという心理状態にあった者が、覚せい剤を使用し、人を殺してしまった」場合でも刑法39条が適用されるのだろうかと思ったのです。

 なるほど。
 未必の故意に基づく原因において自由な行為が認められるか、という質問と理解しました。
 
 初歩的な質問ではありません。
 かなりハイレベルな質問と思います。

 理論的には、原因において自由な行為の理論の適用はある、すなわち、刑法39条が適用されない場合があると思います。

 但し、この場合の故意を殺人罪の故意と考えた場合、問題は、覚せい剤を使用することが殺人の実行行為と言えるかどうかということだと思います(この点は学説によって説明が微妙に変わりそうです)。
 普通は、覚せい剤の使用行為を殺人行為と見ることは困難だろうと思います。
 そうすると事実評価上の問題として刑法39条の適用を排除することが難しいということになります。

 確定的故意があったとしても、原因において自由な行為の理論の適用は困難と思われます。

 問題は、いわゆる殺意の強さという主観的な問題ではなく、覚せい剤使用が殺害行為に至る客観的危険性の程度問題だと考えます。
 言い換えれば、覚せい剤を使用すれば(通常の意味での)殺人行為に及ぶという高度の客観的危険性が認められる特別な事情があれば、刑法39条の適用が排除される場合が考えられるということになります。

 わかりにくいですか(^^;

 とりあえずアップして再質問をお待ちすることにします。

>モトケン先生

お忙しい中、ご解説有難うございました。
私が、しつこく刑法39条にこだわるのは、やはり皆さんと同じく、釈然としないものを感じるからです。そして、裁判員制度がはじまった時、「荒川河川敷3人刺殺」のような事件に関して、裁判員が同じような疑問を持つのではないか、裁判官はいかにして「無期懲役とした理由」を裁判員に説明するのだろうか、と感じたからです。

>言い換えれば、覚せい剤を使用すれば(通常の意味での)殺人行為に及ぶという高度の客観的危険性が認められる特別な事情があれば、刑法39条の適用が排除される場合が考えられる。

とのことですが、検事の方は、「殺人行為に及ぶという高度の客観的危険性が認められる特別な事情」を立証してゆくのですね?

私には、難しすぎて、再質問をするキャパシティが、恥ずかしながら、もはや無くなってしまいました。

>an_accusedさま

「勝手にふるな。」というお叱りを覚悟の上で、すみませんが、あとは宜しくお願い致します。ご専門家同士の質疑応答を、読ませて頂きますm(_ _;)m。

 刑法39条の存在を前提としつつ、その適用を制限する方向の運用としては、「心神喪失」または「心神耗弱」の認定を厳格にするという方向が考えられます。

 「心神喪失」または「心神耗弱」というのは法律概念であり、その判断権は裁判官にあります。
 つまり、精神科医等の鑑定人が「心神耗弱」だと言っても、裁判官はそれに拘束されません。
 というか、医師たる鑑定人は「心神耗弱」とか「心神喪失」という用語を使うべきではないのです。

 荒川河川敷3人刺殺事件の第1審が心神耗弱を認めず、控訴審が心神耗弱を認めたのは、穿った見方をすれば、控訴審が死刑を回避する理由として「心神耗弱」を認定したと見る余地があります。
 心神耗弱か完全責任能力かという問題は、所詮、判断能力や行動制御能力というもともとはっきりしない能力の程度問題ですから、明確な基準があるわけではありません。

>或る内科医さま
 振っていただくのは全く問題ないのですが、ご設問に対する正解はモトケン先生のお答えに尽きると思われます。以下、あまり発展可能性はありませんが私なりのコメントをさせていただきます。

>検事の方は、「殺人行為に及ぶという高度の客観的危険性が認められる特別な事情」を立証してゆくのですね?

 とのことですが、実はこれ、相当高いハードルなのです。

 大コンメンタールに紹介されていたケースで、ちょうど或る内科医さまの設問に似たケースがありましたので紹介いたします。

「飲酒すると暴力癖のある被告人が、飲酒の結果病的酩酊に陥って心神喪失の状態となり、牛刀を持ち出してタクシーの運転手にそれを示し、暴行脅迫を加えて強盗をしようとしたが未遂に終わったという事案について、被告人が飲酒すれば自己規制が困難となり、責任能力が少なくとも著しく減低する状態に陥って他人に暴行脅迫を加えるかも知れないことを認識予見しながら、あえて飲酒したとして、原因自由行為の理論を適用して、示凶器暴行脅迫罪(暴力行為等処罰法違反)の限度で故意犯の成立を認めた」(大阪地判昭和51年3月4日、判時822号109頁)。
 このケースでは、被告人は単に飲酒すると暴力を振るう習癖があるのみでなく、周囲の者からたびたびその点について忠告を受けて自分でもその習癖を充分承知しており、しかも、本件の一年少し前にも飲酒酩酊に陥った上本件同様刃物による暴行脅迫を手段とする強盗未遂罪を犯し、保護観察付執行猶予の判決を受け、裁判官から特別遵守事項として禁酒を命ぜられていたという事実があり、それに被告人の飲酒量や犯行前後の言動等をあわせ考えると、被告人には持ち出した牛刀で人に暴行脅迫を加えるであろうことについての認容があったのみならず、飲酒行為と示凶器暴行脅迫罪との間に相当因果関係を認めてもおかしくない事案であったと思われる。(大塚仁ほか『大コンメンタール刑法 第2巻』799頁)

 或る内科医さまのご設問でも、近隣住民の忠告が「おかしい時がある」という程度の漠然としたものにとどまり、また実際の行動も刃物を持ち出して周囲にいる者を脅す程度にとどまっているので、「殺人に及ぶことを認識予見できるはずだった」とまでは言えず、せいぜい暴行脅迫の故意が認められるか、場合によっては「周囲の者を傷付ける危険が生じないよう、覚せい剤使用を自ら抑止する義務があったのにこれを怠った」という過失が認められるにとどまるのではないか、と考える次第です。

>an_accusedさま
いつも、文献や事例を提示して頂いて、有難うございます。具体例でご説明頂くと、たいへんわかりやすいです。我々の仕事でも、「症例提示」により疾患の具体例をあげ、それを検討してゆきますが、文献や事例を提示して頂くと、理解が深まります。

私は法学部出身ではありませんので、「原因において自由な行為」の理論は存じません。
そこで、ネットで調べると載っていました。↓
http://www.seiunkai.net/pdf/07_tanaka.pdf

う〜ん、多様な解釈の仕方があって、難しいです。
しかし、難しいとわかっただけでも、勉強になったと思っています。

>モトケン先生
>荒川河川敷3人刺殺事件の第1審が心神耗弱を認めず、控訴審が心神耗弱を認めたのは、穿った見方をすれば、控訴審が死刑を回避する理由として「心神耗弱」を認定したと見る余地があります。

結局、このことが本エントリーのテーマ「高裁が地裁より常識的とは限らない。」へと帰着するわけですね。

>私と同じく、法律素人の皆さんへ
前にもコメントしましたが、森田芳光監督作品「刑法第39条」は「家族ゲーム」とならんで名作だと思います。鈴木京香、堤真一の演技だけでも一見の価値ありです。刑法第39条を考えるにあたって、機会があれば、ご覧になることをおすすめします。↓
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD31683/index.html

>或る内科医さま
 すみません、「原因において自由な行為」という言葉を、全く説明せずに使用していました。申し訳ありませんでした。もうお調べになられたようなので蛇足になりますが、ものすごく単純化して申し上げますと「酔っ払ったら暴れることがわかりきっているのに、あえて酒をガブガブ飲んだ上で暴れたのなら、『酔ってたから』なんて言い訳は聞きません、暴れたことについてキッチリ刑事責任を取ってもらいますよ」ということです。字面だけ見ても何のことやらサッパリわからない、いかにも専門用語という感じなので、刑法を習いたての学生が嬉しがって使いたがるのですが、実際にはそうそう当てはまることはありません。

 「家族ゲーム」は観たことがあるのですが「刑法39条」は未見です。機会を見つけて観てみます。

>an_accusedさま
たびたびの応答有難うございます。
実は「原因において自由な行為」という言葉が出てきた時点で、まるで自分自身が、ゴビ砂漠にポツンとおかれたような気がしまして(もっとも、ゴビ砂漠には行ったことはないのですが)、ああもうギブアップ、あとはan_accusedさまに振ろうと思ったのです。

モトケン先生やan_accusedさまのご解説で、「原因において自由な行為」が、自分なりに解かり、またひとつ知識が増えました。有難うございました。

このブログに出会ったおかげで、モトケン先生がエントリーで述べられたことや皆さんのコメントは、新聞の裁判記事を読む際、参考になりますし、書店では、裁判、法曹関係の本棚の前に立つようになりました。(私のレベルでは、新書類の本ですが)
今後ともよろしくお願いいたします。

>或る内科医さん
 不用意に「原因において自由な行為」という言葉を使ってしまいました。
 すいませんでした。
 お読みになった pdf もかなり難解ではなかったかと思います。
 ともかく

>自分なりに解かり、またひとつ知識が増えました。

と言っていただき、私もほっとしました(^^;

 「原因において自由な行為」については自分なりの考えがないこともないのですが、まだ煮詰まっていません。
 実務家としてはできるだけシンプルに考えたいところです。

被告人の言っていた「電波」が気にかかります。
軍用技術としてPSIを利用して、二人称で語りかける技術があります。
被告人はそのターゲットにされていたかもしれません。
また、一人称で語りかけるようなこともできます。それは、まるで自分の意思自体を改竄できるものです。また、声なくして暗示で洗脳することもできます。
ほとんどの人にとって、空絵ごとに聞こえるため明るみにはでません。

田舎の精神科病棟にも電波に詳しい人が
いっぱいいて勉強になったもんです

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