ひき逃げ誤認逮捕、勾留10カ月 無実の訴え耳貸さず(asahi.com 2006年07月02日13時30分)
弁護士になってから痛感することですが、警察というのは、被疑者として目星をつけた人間の弁解(警察から見てのことですが)は頭から疑ってかかるくせに、被害者(と主張している人間)及び被害者側の人間の供述は容易に信用するという傾向が顕著に感じられます。
(1) 真犯人が言い訳をするのは当たり前だ、とでも思っているのでしょう。
(2) 被害者が嘘をつくはずがない、と思っているようです。
(3) 事件に関係がない(と思われる)第三者の供述は信用できる、とも思っているみたいです。
(1)は一応根拠があります。
悪いことをした人間でも刑務所には入りたくないですから。
しかし、(2)と(3)はほとんど根拠がありません。
事件の関係者には、どんな利害関係を持っているかわからない人間がいます。
そもそも、本件のように(3)を装っている真犯人だっているのです。
結局、人の話など無条件に信用できる場合などありません。
そして、(1)が根拠があるのと同程度に、いやそれ以上に
(4) 真犯人でない者が事件を否認することは、当たり前過ぎるほど当たり前なのです。
それを警察は、
真犯人が否認するのは当たり前 → 否認する人間は真犯人だ。
という完全に誤った論理を適用しているのではないかとさえ思えます。
そして、元検の立場で言わせてもらえば、本件の捜査で最も反省すべきは、起訴検察官です。
本件のような完全否認事件を起訴するにあたって起訴検察官として最も大事なことは、犯人性(被疑者が真犯人であること)についての絶対の確信です。
そのために不可欠の作業は消極証拠の収集と慎重な検討です。
ここで消極証拠というのは、被疑者の犯人性を否定する方向の証拠のことです。
犯人性を否定しようと思っても否定できないところに犯人性の確信を持つことができる根拠の一つがあります。
消極証拠の検討をおろそかにした確信は盲信にすぎません。
報道には
最後に藤佐さんを救ったのは無実を信じる友人(27)らだった。「榎本(容疑者)は車を神奈川県清川村の山中に捨てたらしい」という情報を同容疑者の周辺から聞き出し、未発見だった事故車を見つけ出した。今年2月のことだった。
とあります。
つまり、友人たちには被疑者の無罪を信じる何らかの根拠があったのだと思います。
その根拠こそ、消極証拠にほかなりません。
起訴検察官は、友人たちの話を聞こうとしたのでしょうか?
〈松田弁護士の話〉 接見段階で無実の予感があった。供述に争いがあったのだから、双方の言い分に慎重に耳を傾けるべきだった。適切な裏付け捜査をしていれば、10カ月も不当に勾留されることはなかっただろう。
警察や検察官が被疑者の話をまともに聞かなかったとすれば、被疑者の友人の話などさらに聞く気はなかったのでしょう。
消極証拠の検討とともに、積極証拠つまり被疑者の犯人性の根拠となる証拠の信用性の検討も慎重になされなければなりません。
本件で問題になるのは、捜査の端緒ではなかったかと推測します。
本件の被疑者が犯人であるという一番最初の情報として、どういう経緯でどのような内容の情報が警察にもたらせれたのかがとても気になります。
結局、その情報は虚偽情報であったわけですから、何らかの不自然さはなかったか、それに気付くことができなかったのか、気付いていれば誤認逮捕や誤認起訴はなかったのではないか、と思われるのです。
6月下旬、東京地裁の一室。「どうもすみませんでした」。警視庁交通捜査課幹部、玉川署幹部、東京地検検事がそろって2度頭を下げた。「なぜ逮捕した。なぜ釈放しなかった。絶対許さない」。怒りを抑えきれず言った。
この場に起訴検察官はいたのでしょうか?
検察官の仕事は、人に騙されることも多いですし、否認されたからと言ってそれだけで起訴を躊躇していたのでは仕事になりません。
一般論としては、無罪事件を起訴したからといってその結果だけに基づいて批判を受ける謂われもありません。
しかし、検察官としてやるべき捜査を尽くしていたのかについては、真剣に振り返ってほしいと思います。
6月下旬、東京地裁の一室。「どうもすみませんでした」。警視庁交通捜査課幹部、玉川署幹部、東京地検検事がそろって2度頭を下げた。「なぜ逮捕した。なぜ釈放しなかった。絶対許さない」。怒りを抑えきれず言った。
この怒りをどれだけ身に染みて聞くことができたかが、今後の検察に対する信頼を左右すると思います。
付記
検察官に対して厳しい意見を書きましたが、供述つまり人の話が決め手になる事件は少なくありません。
そして、そのような事件では公判における証言が有罪無罪を左右することになります。
無実の人が有罪に問われることの重大性を考えますと、他人を罪に陥れる偽証罪は極めて強い非難に値すると考えます。
同種事犯の抑止のためにも、偽証までした本件の真犯人たちには厳罰を科すべきです。
ちなみに、偽証罪の法定刑は「三月以上十年以下の懲役」です。
清里村まで車を探しに行った。
もし、私の友達が逮捕されたら、そこまでできるだろうか?ちょっと、考えさせられます。
藤佐さんは、パワーのあるいい友達がいたり、罪をなすりつけるとんでもない友達(後輩?)がいたり、人間関係が濃すぎます。
当事件は、29日夜のNHKニュースで知りました。8日に釈放されたことが29〜30日に一斉に報道されたわけですが、このタイムラグが不可解でした。7/2の朝日のサイトによれば、どうも公判の日を迎えて、担当者が被害者に謝罪して「発覚」したような感じですか?
また、このような謝罪が、いつ、どのように行われたのか、報道機関は公権力の監視者としてきちっと報道してほしいのですが、もしやその場をだれもみていないのではという感じが新聞記事から伺えます。
そんなこんなで気になっていたところに、このサイトを見つけました。
>masa さん
裁判所つきの記者がいますので、法廷の様子が変だったので気がついたのかもしれませんね。
やっと無罪判決がでたようですね
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060823-00000023-jij-soci
この件に関して警察、検察に対しての処分というのはないんでしょうか?
比較対象ではないのかもしれませんが、医療事故での対応と比べて身内に甘いなぁと感じざるを得ません。
>右でも左でもなく さん
たしかに本件は、警察も検察も下手を打った事件なのですが、警察内部でどのような評価を受けるのかはよくわかりません。
検察内部のおける一般論としては、起訴した事件が無罪になったというだけで懲戒処分を受けることはありません。
きちんとした捜査に基づいて起訴しても、無罪になることはありますし、刑事訴訟はそのような結果があることを当然の前提にしていますので、無罪判決が出たというだけで処分を受けることはないのです。
しかし、今回のような人違い起訴による真っ白無罪の場合は、起訴した検事自身としては恥と思うべきでしょうね。
また懲戒処分はないとしても、仮に今回の事件について、捜査不十分という評価を受けたとしますと、「できない奴」という事実上の評価はありうるわけで、さらに厳しい評価としては「使えない奴」という評価もありえます。
もっとも、これは起訴した検察官のキャリアにもよります。
経験の浅い検事なら、今後の糧にしろということで先輩から厳しく指導されるということになるだろうと思います。
大失敗をした後に大きく成長した検事もいます。
なお、医療事故との比較は単純にはできません。
仕事の内容自体が根本的に違うからです。
しかし、なぜこのような誤認起訴をしてしまったのかという点についての検証は医療事故と同様に不可欠であると思います。