エントリ

 広島市で小学1年生木下あいりさん(当時7)が殺害された事件で、広島地検は14日、殺人、強制わいせつ致死などの罪に問われたペルー国籍ホセ・マヌエル・トーレス・ヤギ被告(34)を無期懲役とした広島地裁の判決を「量刑不当」として、広島高裁に控訴した。同地検は死刑を求刑していた。被告側も13日に控訴している。

 予想どおりと言えば予想どおりです。
 控訴しないと地裁と死刑を求刑した意味がほとんどなくなると思います。

 あいりさんの父親の木下建一さん(39)はコメントを出し、極刑を望んでいることを判決後に検察に伝えていたことを明らかにした。さらに、「控訴がなされ、大変感謝しています。これからも犯人と闘っていく所存でいます」とコメント。検察側には、同種犯罪の抑止効果が期待できず、再犯の可能性もあると訴え、「性犯罪の悪質性を見直してもらいたい」と話したという。

 問題は、裁判所を説得できるかですが、闘っていくというのであれば、光市母子殺害事件の本村氏以上の世論に対する働きかけが必要だと思われます。

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コメント(9)

質問「殺人、強制わいせつ致死などの罪」となっていますが強制わいせつではなくて強姦罪に該当するのでは?12歳以下は同意があつても強姦罪じゃなかったですか?
少し改正があったにせよ、まだまだ性犯罪に対する刑罰が軽いように思いますが、これは男尊女卑の残滓なのでしょうか?この裁判も最高裁まで争われると予想されますが、最高裁で被害者遺族が望む画期的な死刑判決が下されることを願っています。

>質問
 強姦罪の実行行為である「姦淫」とは、女性器に男性器の少なくとも一部を挿入することが必要です。
 本件では挿入行為または挿入しようとする行為が証拠上認められなかったということだと思います。

最高裁判所長官は選べるのに、こういった末端の地裁の裁判官は国民は選べない。
こんな無責任な判例主義が未だに幅を利かせているのは、司法が国民の監視が行き届かないブラックボックスであるからだ。道義的に言えば、人を殺した人間は命を持って償うのがまっとうな論理だと思うが、日本の司法は道義的論理からあまりにも乖離して「殺され損」の社会を形成してしまった。もっと踏み込んだ判決を!そう願ってやまない。

モトケン先生へ
質問へのご回答ありがとうございました。いずれにしても7歳の女の子に対してのわいせつ行為と殺人という事実に、同じ年代の子を持つ親として強い怒りと悲しみを覚える事件です。繰り返しになりますが、性犯罪抑止の為にも判例主義に陥らず画期的な死刑判決を期待します。

>モトケン先生
お忙しいところ恐縮です。以下の点につきご教示頂ければ幸いです。

モトケン先生は、「控訴審判決はなぜ破棄されたのか」
http://www.yabelab.net/blog/2006/06/25-184848.php
において、
>「遺族がマスコミに積極的に意思表明したとしても、ひたすら悲しみと憤りに耐えて沈黙したとしても、判決に対する影響が大きく変わることはないと思います。」

と述べられています。

他方
当エントリーにおいて
>「問題は、裁判所を説得できるかですが、闘っていくというのであれば、光市母子殺害事件の本村氏以
上の世論に対する働きかけが必要だと思われます。」
とも述べられています。

以上のご見解を拝読すると、「世論に対する働きかけ」は裁判所の判断を左右する因子となり得る、と解釈してよろしいのでしょうか?

高校生の頃、正木ひろし氏の「八海事件」(中公新書)を読んだことがあります。これは冤罪事件で、裁判所の判断も二転三転したとのことです。
【八海事件】↓
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/yakai.htm
八海事件を題材とした「真昼の暗黒」という映画も観たことがあるのですが、「真昼の暗黒」は裁判係争中に上映され、当時、物議を醸したらしいとのことです。この当時の世論は、かかる裁判に影響を与えていたのでしょうか?

>或る内科医さん

 いつもながら舌足らずのエントリですいません。

 一般論としては、遺族の死刑を求める処罰感情は、死刑を選択する方向では決定的な意味は持たない場合が多いだろうと考えています。
 肉親を殺された者が厳しい処罰感情を持つことは当然のことであり、その感情の表出の程度や態様によって判断が大きく変わるとは思えないからです。
 逆に、これも一般論ですが、遺族が犯人の死刑を望まないという意思を積極的に表明した場合は、死刑回避への要因になりうると思います。
 但し、この場合も決定的ではなかろうと思っています。

 では死刑選択について何が重要かと言えば、客観的は犯行状況だろうと思います。

 光市母子殺害事件の場合は、遺族感情を度外視した客観的な犯行状況において、これまでの死刑基準に照らして死刑選択が視野に入る事件だと思います。
 そうなると遺族感情が厳しいのは当然ということになります。

 しかし、広島小1女児殺害事件においては、客観的な犯行状況において、これまでの死刑基準に照らして死刑選択が視野に入ると言いにくい点が光市母子殺害事件と異なるように思います。

 つまり、検察は、死刑基準の変更を裁判所に迫っているのです。

 裁判所は、個々の事件の個々の遺族の被害感情が如何に峻厳であろうと、そのような個々の事情に基づく判断として死刑選択に傾く可能性は少ないと思うのですが、検察官の意思は公益の代表者としての意味合いを持っています。
 裁判所から見ると、検察官の意思が真に公益を代表しているかどうかが問題になるのですが、そこで遺族の方が世論に働きかけて、厳罰化の世論が形成されるならば、死刑を求刑する検察官を側面支援することになるのではないかと思うわけです。

 

>モトケン先生

お忙しい中、ご丁寧なご解説本当に有難うございました。ご趣旨わかりました。

>つまり、検察は、死刑基準の変更を裁判所に迫っているのです。

この一文により、モトケン先生を通じた、検察の治安維持に対するスタンスがわかり、安堵致しました。

木下あいりさんのご両親ならびに関係各位の方々は、これからも、いばらの道がつづくわけですね・・・。

以下、独語です。

私は別に、なんでもかんでも厳罰化、死刑にすべしという考え方ではありません。実際、大学生等による「生き埋め殺人事件」には何の関心もありません。
営利目的誘拐殺人は、被害者一人でも死刑の可能性があるじゃないですか。記憶が正しければ、「吉展ちゃん事件」から営利目的誘拐殺人は厳罰に処されるようになったのではないでしょうか。
今の時代、犯罪遂行成功率の低い営利目的誘拐は減ってるし、変質者による幼児児童を対象とした性的犯罪に対しても、公益を代表する検察の問題提起を、裁判所はきちんと受け止めてほしい。


初めまして。アメリカ在住の一主婦です。木下あいりちゃんの件で検索していておじゃましています。赤の他人の私でも何かできないか悩み、結論として「広島地方検察庁にハガキを書こう」という運動を始めました。はがきの表に 〒730-8539 広島市中区上八丁堀2-15 広島地方検察庁内 木下あいりちゃん殺害事件担当検事様 と書き、裏面には「死刑が求刑されたのに無期懲役の判決で残念です。控訴審での死刑判決を期待します」といった内容を書いてください。極刑と書くのに抵抗があればご遺族ご支援の旨を書いていただければと思います。 ブログ「小さな風」http://smallwind.blog.shinobi.jp/にて運動を展開しています。一枚でも多くの支援ハガキを届けたいと思います。よろしくお願い申し上げます。お問い合わせはyachanusa@yahoo.co.jpまで。

yasukoさま、ご趣旨理解したつもりです。
ですが、このような運動はちょっと賛同しかねます。
正直今回のヤギ被告に限らず、殺人を犯した人間に対し
「人を殺した以上自分も殺される覚悟があるんだろ?
だったら死刑も受け入れろ!」と思っています。
あなたが今回の判決に憤りを感じておられるのも無理からぬ事と思います。
ですが、このような運動は街頭での「ヤギ被告死刑賛成署名運動」を
行うようなものですよね?街中でこのような光景をみかけたらと思うと
少々薄ら寒い思いがします。
たとえ今回の運動がこのまま進み、将来死刑判決が出たとしても
私は司法がこの運動に触発されたとは考えません。
ですが、そう考える人はいると思います。そしてそれは第二、第三の運動に
つながっていくでしょう。そうなると司法がいつまで無視できるのか判りません。
それは大衆の犯罪者つるし上げになってしまいませんか?

それと「赤の他人」たるあなたが、今回の事件の判断基準とされているのは
おそらくマスコミの情報によるものだと思います。
ですがそこに犯罪者憎しのバイアスがかかっていないかどうか、
第三者に判断は難しいのではないでしょうか?

支援されたいと言うお気持ちは分らないでもないですが、
それでしたら検察に死刑希望のハガキを出すのではなく、
ご遺族の方にはげましのお手紙を出された方が良いと思うのですが、
いかがでしょう?

偉そうな事を書いてすいません。当然止める権利は私にはありません。
でもまあ、こういう反対意見もあるよ ということです。考えてみて下さい。

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