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 「疎ましくなった」と「邪魔になった」は、日本語としてはほぼ同じ意味ですが、供述としては違う言葉です。
 ここで「供述」とは「被疑者の口から発せられた言葉」という意味で使ってます。

 何を問題にしたいのかと言いますと、報道されている、つまり警察がリークしている被疑者の言葉は、本当に被疑者の方から発せられた言葉なのか、取調官の誘導に基づいてそれに迎合した言葉ではないのか、という点です。

 これまでの報道に基づく単なる印象ですが、被疑者には場当たり的にストーリーを思いついてしまう傾向が感じられます。
 そしてほぼ間違いなく、相当屈折した人格だろうと思われます。
 そうなりますと、被疑者の真意は、被疑者の言葉に基づいたとしてもそれを額面どおりに受け取ったのでは理解しがたい面が出てきます。
 まして誘導の産物の供述(これは被疑者の言葉ではなく取調官の言葉です)を前提にしてしまいますと、被疑者の真意はさらに藪の中になってしまいます。

 今回の取調べについて、真の動機に迫るためには、誘導は厳に避けなければなりませんし、取調べの録音・録画の必要性を強く感じます。
 不当な取調べを防止検証するというよりは、真相解明のために必要だと思われるのです。
 被疑者の供述は、供述調書という形で証拠化されますが、供述調書というのは取調官が文章化するものですから、万一下手くそな取調官だとしますと、真意とかけ離れた文章しか調書に書かれない恐れがあります。
 その点、録画がなされていれば、より多くの情報が正確に得られ、文言上は不合理な供述の中から真意を探る手がかりが得られるだろうと思います。

 私は、「今回の取調べについて、真の動機に迫るためには、誘導は厳に避けなければなりません」と書きましたが、実は供述調書としてまとめ上げるときには、取調官による被疑者の供述の「解釈」という作業が不可避です。
 生の供述が一見整合していない場合は特にそうです。
 つまり、本件ではより多くの解釈が必要になる可能性があります。

 解釈とは、「つまり、あなた(被疑者)の言いたいことはこういうことか。」と言って供述をわかりやすくまとめることですが、それは誘導の一種にほかなりません。

 その意味で、最終的に解釈は不可避だとしても、その解釈の材料となる生の供述の獲得については誘導を避ける必要があり、そのような取調べプロセスの事後的確認のために取調べを可視化しておくことが重要だと思われます。

追記続報
 不可解な言動の数々、畠山被告の人物像つかみきれず(2006年7月17日15時31分 読売新聞)

 県警の悩みが伝わってきます。

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はじめまして

以前から容疑者の供述内容の信憑性に注目していました。
今回も似たような背景から出されたものでしょう。
実は長女殺害に容疑の範囲を広げてくれたおかげで、
容疑者の供述の異様性が強調される事になり、結果として、
ほぼ固まっていた男児殺害容疑が再び関心をもたれるようになります。
いくら自然科学のような検証は行われず、解釈の印象が決定的な役割を
果たすとはいえ、この長女殺害は全体のストーリを実に奇妙な色で染めてしまいました。容疑者にとっては思ってもいないチャンスが訪れているといえるでしょう。

>hatsutaroさん

 畠山鈴香容疑者・冤罪説ですか。

 豪憲君の事件については、豪憲君の事件単体でみれば、あれだけ弁護士が詳細な自供の説明をしちゃいますと、公判で争うことは相当困難だと思います。

 しかし、彩香ちゃんの事件とセットで考えますと、果たして被疑者がどれだけ本当のことを言っているのかよくわからなくなっています。
 しかし一応、弁護人の接見を受けつつ自白はしているようですので、自白の任意性や不利益な限度での信用性が認められる可能性はかなり高いと思われます。

 任意性や信用性を根底から争うとすれば、私ならまず精神鑑定を考えます。

 但し、もし公判で争うとすれば、まず今までの弁護人を解任します。
 弁護人を非難するというのではなく、これまで弁護人は豪憲君殺害事件で被告人の有罪を前提に行動していますので、弁護人としても無罪を目指す弁護が極めてやりにくいです。ですから私が弁護人なら、被告人が否認するということであれば辞任します。

モトケンさん

個々の事例の資料があるわけではありませんが、
強要された自白というものがありえるのだということは
一般的な常識であろうと思います。
そして強要された自白を行った容疑者の精神状態が
どのようなものなのか、これは医学の専門家でなければ
わからないのでしょうけれど、
素人判断では、ある時を境に自虐的思考の罠に陥って、
もはや自分を犯人に仕立てなければならないという
強迫観念に支配されてしまう場合もあるのではないかと想像します。

気になるのはこのチグハグな状況を強引に突破して有罪に
してしまった場合、確かに容疑者が犯人であるかもしれませんし、
その場合は正しい判断が下されるという結果になるのでしょうが、
今後そうではない事件に当たったとき、いつか必ず冤罪が
生まれると思います。

どちらかの殺人は、やっていないという弁護は、できないものでしょうか?

例えば、

鈴香容疑者以外の誰かに、殺害された彩香さんの遺体を、遺棄することを手伝った。
当初、黙っているつもりであった鈴香容疑者が心変わりした。

あるいは、警察が、「事故」として処理しようとしているのを知った事をきっかけに「殺された可能性」を疑い始めた。鈴香容疑者がそう思う理由も、あった。

両方の、仮定の前提にあるのは、
鈴香容疑者が黙っていれば、彩香さんの死亡の原因が事故になる 「はず」 だった。
という事実です。

>オルフェウスは振り返る さん

>どちらかの殺人は、やっていないという弁護は、できないものでしょうか?

 弁護方針としては、被告人の主張に基づきあらゆる可能性があります。
 そして、被告人の主張というのは、起訴後に開示される検察側の証拠を検討した上、被告人と弁護人がきちんと話し合って決めるべきものです。
 最終的には被告人の意思が決定しますが、その前に弁護人が証拠の全体を踏まえた意見・助言をすることが重要です。

 そのような観点から、捜査段階において被告人の供述内容や供述態度を弁護人がマスコミを通じて明らかにすることに批判的な弁護士が多いのです。

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