エントリ

 関西の事件だったら担当者はこう言ったかもしれませんが、千葉の事故の裁判のニュースです。

千葉市動物園の幼児死亡事故 市に1千万円賠償命令(asahi.com 2006年07月27日01時32分)

判決によると、05年4月、近くに住む男児が、背もたれのないサークル状ベンチに腰掛けた際、ベンチ内側に仰向けに転倒。ツツジの枯れ枝が後頭部に突き刺さり脳挫傷で死亡した。

 背もたれのないベンチに座らされていた男児(当時1歳)が後方に仰向けに落ちて、植え込みの枯れ枝が頭部に突き刺さったという不幸な事故のようです。

両親側は「ベンチには転倒を防ぐための背もたれがなく、ベンチ内側には幼児が転落した際に体に突き刺さる危険な枯れ枝が密生していた」などと主張。
市側は「転倒の危険性は、保護者が常に付き添うなどして防ぐべきで、園内から枯れ枝をすべて除去することは不可能」などと反論
長谷川裁判長は、背もたれが無いだけで安全性を欠いていたとは言えないとした上で、「枯れ枝の硬さや鋭さから、転倒した人がけがを負うことは予見すべきであった」などと両親側の主張を一部認めた。

 判決は市側に管理責任を認めましたが、私としましては、市側の主張を支持します。
 裁判官は、自らの判決がどのような影響を持つのか考えたことがあるのでしょうか。
 
 判決は、ベンチに背もたれがないこと自体は問題ないと判断しています。
 とすると、ベンチの近くつまり幼児が接近しうる場所に、枯れ枝があったことが問題だと判断したことになります。
 つまり、市側に対し、枯れ枝を取り除け、と命じていることに等しい判決であるわけです。
 物理的には、動物園の全ての植え込みから枯れ枝を全て取り除くことは可能かもしれません。
 しかし、そのためにどれだけの費用がかかるか考えたことがあるのでしょう。
 また、頭に刺さる可能性があるのは枯れ枝だけなのでしょうか。生きている枝は刺さらないのでしょうか。樹種にもよると思いますが。

 こう考えると、市側が将来的に責任を完全に回避するために取りうる現実的手段としては一つしかないと思われます。
 動物園はもとより、子供が遊びにくるようなあらゆる市が管理する施設から、植え込みを全て取り除くことです。
 
 また、判決は、ベンチに背もたれがないことは問題視していませんから、子供が仰向けに転倒することは想定内のこととし、その結果として、死傷の原因になるものを市側に取り除けと言っていると一般化することが可能です。

 仰向けに倒れた幼児が死傷する原因としては、枯れ枝だけが問題になるわけではないからです。
 たまたま石ころがあったとしても大きな怪我の原因になる可能性があります。
 裁判所は、動物園内及び市が管理する全ての施設から石ころを取り除けというのでしょうか。

 また、地面が固いと柔らかい地面より怪我が大きくなりますから、柔らかい地面なら死ななかったのに、地面が固かったから死んだという場合も考えられますが、そのような場合は、固い地面のまま放置したとして、市は責任を問われるのでしょうか。

 ここまで考えると、市側としてはさらに考えるでしょう。

 ベンチを全部取り除いてしまおう。

 しかし、子供が転倒するのは背もたれのないベンチに座っている場合だけとは限りません。
 歩いているだけでも転倒します。

 市側はさらに考えるのではないでしょうか。

 いっそのこと、子供が遊びにくるような施設はすべてやめてしまおう。
 動物園も児童公園も全部廃止してしまおう。

 ちょっと極論すぎるかもしれませんが、今回の判決および判決から類推される責任を全て回避しようとすると、そうせざるを得ないように思われます。

 この判決をした裁判官は、社会にはリスクがあってはならないと考えているように思えます。
 しかし、リスクのない環境などありえません。
 リスクはできるだけ少ない方がいいことは間違いないと思います。
 しかし完全になくすことが不可能である以上、リスクを減少させる努力とリスクを避ける努力がともに必要であると思いますが、この判決はそのバランス感覚を欠いているように思われます。

 本件が大変不幸な事故であることは間違いありませんが、同時にとても不運な事故であり、誰かの責任を問うことによって解決すべき問題ではないように思います。

 なお、このエントリは、主として判決を批判するものです。

 下記の関連するエントリーも参考にしてください。

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コメント(35)

いつもニュースで耳にする裁判のニュースは首をかしげてしまうニュースばかりです。
モトケン先生のエントリーを拝読しまして、ホッとした気持ちです。
裁判官の判断が、そう思える日が来るのでしょうか・・・

まさしく、どないせぇっちゅうねん!ですね。
当方も、施設管理を行なっておりますので、この報道に接した時には、なんでやねん!って突っ込みを入れてしまいました。

一時巻き起こった自己責任論には違和感もありますが、社会にはリスクが存在しており、そのリスクは各人で負うべきものだと思います。
今回の事故は一義的には保護者の責任であり、国賠法上の責任を認定するのは行き過ぎだと思います。
責任論からすると、動物園より保護者の親の責任だと思いますし、この事案では親の過失致傷だって考えてる私の考えは飛躍しすぎでしょうか。

>なお、このエントリは、主として判決を批判するものです。

「こんなことで訴える親もどうかしてる」
とはっきり仰ってもよいのではないかと思われます。

ま、あれですね、国賠だから払える資力があるだろう、ってことで裁判官はこんな判決書くんでしょうけどね。
大企業も資力があるってことで同様の判決が下される可能性がありますから、企業が自らの管理地内にベンチをおく場合、植え込みを無くすわけにはいかないとしたら背もたれ設置は必須ですねw

>判決は、ベンチに背もたれがないこと自体は問題ないと判断しています。
 とすると、ベンチの近くつまり幼児が接近しうる場所に、枯れ枝があったことが問題だと判断したことになります。
 つまり、市側に対し、枯れ枝を取り除け、と命じていることに等しい判決であるわけです。

ベンチに背もたれをつけるという解決方法も存在しますので、必ずしも枯れ枝を全て取り除けということにはならない、と思います。

判旨は、「(子供のための施設である)動物園に背もたれがないベンチを設置したからには、子供が内側に転落した際に危険な枯れ枝があるときはそれを除去しておくのが管理者の義務である」ということだと思います。(動物園のベンチに幼児が座ることは当然予見可能。幼児は頭が重いので背もたれのないサークル状のベンチに座ると内側に頭部から仰向けに倒れる危険は高くなる。歩行時は手を繋いでいる保護者もベンチに座っているときは手を離す場合も多い。)。

憶測に過ぎませんが、裁判官は上記の極めて限定された事情の限度(射程)で責任を認めたのではないでしょうか。特に、事故の現場が動物園(=子供のための施設)だということが結論に影響しているのではないかと思います。例えばこの裁判官も市立美術館やデパートが現場なら結論は逆になったのではないでしょうか。判決文にも「動物園には幼児の安全確保が求められており、その見地から見れば安全性を欠いていた」とあるようです。

ただ、それでも管理者にとっては厳しい判決のように思います。
やはり一次的な責任は親にあり、親も背もたれのないことや、内側に危険な突起のある植込みがあることはわかっていたはずなので、転倒の危険を考えて手を離さないようにすることも十分期待できたからです。
また、転倒したとしても通常は大事に至らないのがほとんどなのに、偶々非常に不幸な結果となってしまったということで重い管理責任を認めることにも抵抗があります。今回の事案で、軽い怪我は予見できたといえたとしても重傷やまして死亡まで予見できたといえるでしょうか。軽い怪我しか予見できなかったのならば、それに見合う程度の管理をすれば、通常有すべき安全性はあるということになるはずなので、やはり今回の結論には無理があるように感じます。

ご指摘のように、今回の判決が原因で悪影響が出そうです。

>いっそのこと、子供が遊びにくるような施設はすべてやめてしまおう。
 動物園も児童公園も全部廃止してしまおう。

特にこのことを懸念しています。

チョット異なりますが、以前にあった事件で、割箸が喉に刺さった幼児を診察した耳鼻科医が、喉に残った割箸を見逃して医師の過失が認定されたケースを思い出しました。

1歳の男児ですと月齢によっりますが歩行が微妙なとこですね。
刺さりどころが悪かったのか、高等部に致命傷になる程深く枝がささる勢いってどのていどなんでしょうか?普通に後ろに転げるぐらいで刺さる物なのかちょっと疑問を感じます。

>もは さん

>判旨は、「(子供のための施設である)動物園に背もたれがないベンチを設置したからには、子供が内側に転落した際に危険な枯れ枝があるときはそれを除去しておくのが管理者の義務である」ということだと思います。(動物園のベンチに幼児が座ることは当然予見可能。幼児は頭が重いので背もたれのないサークル状のベンチに座ると内側に頭部から仰向けに倒れる危険は高くなる。歩行時は手を繋いでいる保護者もベンチに座っているときは手を離す場合も多い。)。

 この点なんですが、判決の論理によれば、植え込みの近くを歩いていた幼児が転んで枯れ枝が突き刺さった場合も市側の責任が認められるように読めました。

誰か、判決を支持する専門家さんはおらんのかなあ?
ご自身では支持しなくても支持すると想定してのコメントを読みたいな。

判決を見てないので分かりませんが、国賠法2条の適用であればこのような判決でやむを得ない気がします。
市側は「その物が通常有すべき安全性の有無」しか争えないので、「枯れ枝をすべて除去することは不可能」では抗弁にならないのではないかと。
もちろん、市側としては通常有すべき安全性を有していたという意味で主張したのかもしれませんが…

結論については違和感は感じます。
原因はともかくお子さんが亡くなっているので棄却し辛かったというのが実際でしょうかね?

>誰か、判決を支持する専門家さんはおらんのかなあ?
>ご自身では支持しなくても支持すると想定してのコメントを読みたいな。
専門家ではありませんが。
少子化対策でつまらない予算を使うより、子供が死ぬリスクを減らすほうに予算を使うべきだと裁判官は考えたのでしょう。そのほうが現実的かもしれません。

かつて箱型ブランコというのがあり、危険なので、ほとんどの公園から撤去されてしまいました。冗談でなく、本当にベンチは無くなってしまうかもしれませんね。

わが子が死んだという現実と向き合った時に、
この事故の親御さんはいいようのない
「怒り」を感じたのではないでしょうか。
状況はもちろん想像するしかないのですが、
まさかあるとは思いもよらなかった事故。
でも気づいてみれば後ろに針が突き立っているような枯れ枝の茂み。
「誰が見たってあぶねぇじゃねぇかごるぁぁぁぁぁ!!」
私が親御さんと同じ立場に立ったら、
同じくそう叫んでいたかもしれません。
だからこその裁判。

裁判官としては
親御さんの無念さと、
とはいえ『だれが見たって…』は親御さん、
そもそもあんたもその『誰か』でしょうが。
という突っ込みと、
園側の管理責任を秤にかけて…原告○

ってことに相成ったのではと。

しかしこういうことが起きるということを想定して、
園側は事故保険をかけるとか、
医療過誤にも保険(既にあるようですが)
をかける時代になっているんでしょう。
保険会社の回し者ではないですが、
こういう保険を作ることこそ保険会社の責務だと思う次第。
モトケンさんのご意見には賛同しますが、
そこまで行く前に「保険」の存在を言いたかったのでした。

今日のニュースでミニトマトを喉につまらせて亡くなってしまった
園児が居ました。
これもまた似たような裁判が行われるのでしょうが…
園児の冥福を祈ります。

 ご両親特にお母さんのお気持ちを考えますと、ストレートに批判ができません。
 
>そこまで行く前に「保険」の存在を言いたかったのでした。

 はい、私も同感です。 
 
>ミニトマト

 小さな子供が死ぬ事故や事件を見ると、胸が詰まります。

このニュースを見ると、関西人としてはまず明石の砂浜陥没生き埋め事故を思い出します。こちらのケースでは管理する市と国に無罪判決が出ましたね。
http://news.goo.ne.jp/news/kobe/chiiki/20060707/T20060707MS01211A.html
この二件の分かれ目は何だったんでしょうか?今ひとつ分かりません。特に明石の場合は、事前に付近で同じような陥没事故が起きていて、予見可能性はこちらの方が大きいと思うのですが。

また、気がかりなことがもう一つ。
こういう判決が続くと、近い将来弁護士が増えた時、今アメリカで見られるようなアンビュランスチェイサー(救急車を追いかけて事件漁りをする弁護士)の類が勝機ありと見て、遺族を焚きつけて訴訟を乱発する可能性はないでしょうか?

 めそさまが指摘しておられるように、国賠2条では、「過失」ではなく「瑕疵」があれば賠償責任を認めるとしていますので、賠償責任が認められる余地は一般の不当行為よりも広いということができるでしょう。公園の植え込みにある枯れ枝を除去し切れていなかったことをもって「公の営造物の管理に瑕疵があった」とまでいえるかどうかについては、判決をつぶさに見ていないので判りかねますが、国立公園内の国有林において、落ちてきた枯れ枝によって観光客が怪我をしたという事例につき、管理者である県と国に賠償責任が認められているといった司法判断の傾向に照らせば、本件で千葉市の責任が認められたことはそれほど不思議ではないように思われます。

 本件では、サークル状ベンチの内側(ドーナツ型の穴の部分)にサツキの植え込みが密生していたということですから、ベンチに座る者とサツキの植え込みは非常に近接していたことが推測されます。そうであれば、通路沿いにあるような植え込みよりも人が倒れてくる危険は高いと考えられるので、管理者はそれなりの慎重さをもって管理すべきだったと判断されたのではないでしょうか。

 もちろん、「誰のせいにもできない不幸な事故」と評価すること(つまり、市にも責任はなかったと評価すること)も可能ですし、私がもしアドバイスできる立場にあれば、親御さんにはそのような方向で気持ちを整理なさったほうが後々楽になるのではないかとアドバイスしたかったところです(本判決では、「4分の3は保護者に責任があった」と明確にされたわけで、「誰のせいでもない不幸な事故」であるよりも、保護者の方にとっては、かえってつらい判決になったのではないかとすら思われます)。
 「人が死ぬこと」、とりわけ「幼子が命を落とすということ」が昔よりも身近でなくなった現在、親が子どもの死を「運命」として受け止めることはますます困難になっていくでしょう。親が悲しみを持て余せば持て余すほど、誰かに原因を求めたいという欲求が強まり、いきおい訴訟に解決を求めるケースも増えるということになります。産婦人科医が医療訴訟の相手方にされやすくなっているのも、同じような理由からではないでしょうか。
 ただ、悲しみを持て余すあまり誰かに責任を求めたくなるという親御さんの心情はわかりますが、本件では、訴訟よりも、カウンセリングを受けるといった手段を選択したほうがこの親御さんにとってはよかったのではないか、と考えてしまいます。訴訟は、必ずしも紛争の全面的な解決をもたらすものではないのですから。

>みみみさま
 ご紹介の記事によれば、
>民事では遺族との間に示談が成立し、国交省、明石市がともに賠償責任を認めている
 とありますので、本件と異なるところはないように思われます。

 弁護士の増加により訴訟が乱発されるのではないかとのご懸念ですが、ある程度訴訟数は増加するでしょう。ただ、訴訟数の増加は、弁護士の増加という要因もさることながら、地域社会の紛争処理機能が喪われることにより、公的紛争処理手続に解決を求めていかざるを得なくなるという要因のほうが大きいのではないかと推測しています。
 なお、我が国では懲罰的賠償が(まだ)認められておらず、民事陪審がバカ高い賠償を命じるということもありませんので、弁護士が「一発当てる」のにも限界があります。したがって、我が国がアメリカほどの訴訟社会になるかというと、そこまではいかないのではないかとも思われます。

植え込みがなくて、そこにコンクリートが敷いてあったとしたらどうなんでしょう?
一般的には、そのほうが頭打ち付けて大怪我する可能性が高そうに思われます。
むしろ植え込みがあったほうがダメージが少なくなるような気が…。
個人的にもベンチに座った時、バランス崩してひっくり返った経験がありますが、植え込みがあったから痛い思いをせずにすみました。

サークルベンチの中心の植え込みがまずいとするとどうすればいいんでしょう?
コンクリ敷きだと余計まずいだろうし。
スポンジでも設置すべきというんでしょうかね?

>判決の論理によれば、植え込みの近くを歩いていた幼児が転んで枯れ枝が突き刺さった場合も市側の責任が認められるように読めました。

ご指摘ありがとうございます。判決にも「枯れ枝の硬さや鋭さから、転倒した人がけがを負うことは予見すべきであった」とありますので、植え込み自体の危険性から責任を導いているようです。ご指摘のとおりだと思います。

めそさんのおっしゃる国家賠償法2条に基づく場合の処理ですが、
参考:http://homepage2.nifty.com/rm596/lecture/AD200116.htm
によると、

高知落石事件(国道沿いの崖からの落石が国道走行中の車両に衝突して死者が出たケース)によると、落石被害を防ぐために費用が相当にかかるとしても、直ちに責任を免れる根拠にはならないとされています。

ただ、この事案は「国道上への落石による事故につき、従来右道路の付近でしばしば落石や崩土が起き、通行上危険があつたにもかかわらず、道路管理者において防護柵または防護覆を設置するなどの危険防止措置をとつていなかつた」という事実関係のもとでのものなので、この点で、今回のように事故が起こって初めてその危険性が公になったのと異なります。

後の河川管理の最高裁判決では財政的制約も考慮していますし、今回の事故のように死亡結果の予見可能性が低く、かつ回避に多大な費用がかかる場合には、通常有すべき安全性がなかったとはいえないとして、責任を否定できるのではないかと考えます。特に、落石・枯れ枝の落下は被害者には回避措置がとれませんが、幼児の安全は親が第一次の監護義務を負っていますので、管理者に対して親が義務を果たせば防げる事故についての責任を厳しく問うのは、「通常有すべき」という文言からも離れているように思います。

もは様

河川と道路では、自然工物か人工工物か、という点といったところで大きな違いがありますので、河川管理における最高裁判例をもってくるのは不適当だと思います。

>kenji47さま
 さあ、どうでしょうか。たしかに、時折みられる飛び降り自殺などの報道では、「植え込みがクッションになったため一命を取り留めた」といった記述があります。また、kenji47さまが「植え込みのおかげで痛い思い」をしなかったというのは事実でしょうから、植え込みにはそれなりのクッション効果があるのでしょう。ただ、「植え込みがよくない」とは誰も述べていませんね。判決は、「植え込みの管理をもっとキチンと行うべきだった」と述べているのではないですか(もちろん、それについては大いに異論があるでしょうし、市が上訴すれば結論が変わることも充分予想されますが)。Kenji47さまが倒れこんだ植え込みがどのようなものであったか私には知る由もありませんが、ひょっとしたら管理がいきとどき、枯れ枝が適切に除去された植え込みだったのかも知れませんよ。

 なお、本件判決に対して批判があることはよくわかりますし、私も市に賠償責任を負わせるのはやや酷に過ぎるのではないかという印象を抱いていますが、訴えた親に対して「どうかしている」とは決して思いません。
 むしろ、「こんなことで訴える親もどうかしている」と仰るほうが「どうかしている」といわざるを得ないと考えます。
 請求権などがないことが客観的な証拠から明らかで、それを充分知っていながらあえて訴訟を起こしたといえない限り、「不当訴訟」とは言い得ません。しかも、本件では(まだ一審段階であるとはいえ)一部勝訴しているのですから、原告には訴えるに足りる理由が充分にあったことが結果的にも認められているわけです。にもかかわらず、「訴える親もどうかしている」と仰る方は、憲法で保障された「裁判を受ける権利」の趣旨を根本的にわかっておられないのではないかと疑ってしまいます。素人さんならいざ知らず、法科大学院生を自称する方がそのようなことを仰っておられてはちょっと困りますね。

判決原文を読んでないのですが,「背もたれが無い『だけで』安全性を欠いていたとは言えない」とありますので,背もたれが無いことをまったく問題にしていないわけではないのでは。背もたれがないベンチが前にあるという状況下で,植え込みの枯れ枝が危険性を有していたことを設置・管理の瑕疵ととらえたのではないでしょうか。

国賠法2条の瑕疵については“鐃害法益の重大性,⇒集可能性,(設置・管理による)結果回避可能性,ぁ併篆佑砲茲覯麋髻亡待可能性などの総合判断になるとされています。本件では,,生命であったこと,△任脇以園という子供が集まる場所であったこと,子供はベンチに座っていたもので公物は「通常の用法」で用いられていたこと,上述のように背もたれのないベンチの後ろに鋭い枯れ枝があったこと,ベンチに背もたれをつけることはさほど難しいことではないことが瑕疵を肯定する方向に働いたのではないでしょうか。ただ,に瓦なった子供が1歳であったことは瑕疵を否定する方向に働くと思います。幼児・児童であれば,常に保護者の監視下にあることは期待しがたいため,瑕疵が認められやすいですが,乳児の場合はそうではないからです。

ちなみに,最判平成5年3月30日は,「公立学校の校庭が解放されて一般の利用に供されている場合,幼児を含む一般市民の校庭内における安全につき,校庭内の設備等の設置管理者に全面的に責任があるとするのは当を得ないことであり,幼児がいかなる行動に出ても不測の結果が生じないようにせよというのは,設置管理者に不能を強いるものといわなければならず,これを余りに強調するとすれば,かえって,校庭は一般市民に対して全く閉ざされ,都会地においては幼児は危険な路上で遊ぶことを余儀なくされる結果ともなろう」と判示し,瑕疵を認めた場合の社会的影響を考慮しています。本件も,もし(モトケンさんのように)社会的影響を重視するならば違った結論もありえるかと思います。

施設を利用するにあたって、管理者の責任青を回避できるような注意書きのある書類にサインをすることになるかもしれません。そして(レンタルビデオ屋のような)簡易的な保険に強制加入させられるかもしれません。今の日本ではその方が楽なのかもしれません(利用者も管理者も)。そうやって、何が危険なのか想像する能力が失われていくのでしょう。

市側は控訴するでしょうし、どうせ高裁では逆転判決が出るのではないですか?
この長谷川という裁判官も、地裁判事にまま存在する非常識な人間の一人ということでしょ。

an_accusedさん

>「訴える親もどうかしている」と仰る方は、憲法で保障された「裁判を受ける権利」の趣旨を根本的にわかっておられないのではないかと疑ってしまいます。

言うまでもなく、裁判を受ける権利を否定するものではないです。
でも、事故が起きると亡くなった子のせいには出来ず、自分自身を責めるのも耐えられなくなって、結局誰かの責任にしようとする姿勢に共感しかねるのです。

はじめまして。裁判所の判決には疑問です。再現実験は実施したのでしょうか?背もたれがあると誤って体重を預ければかなりの加速度を以って後ろに転倒するはずです。幼児の頭骨は発達が未熟で、大人ほどの強度はない。剪定管理された枝は切り口が竹槍状に鋭利にとがったものもあり、十分に頭に突き刺さることは考えられます。事故につながってしかるべき行動、たとえばふざけていた、酒に酔っていたなどの経緯がない限り自招危難とは到底いいがたい。子供が来園することは当然に予定されていた事で、かかるベンチを設置した責任は当然あると考えます。

ゆーき様

表現が不適切でした。お詫びして下記のように訂正します。「直ちに」責任を免れるとすることはできない、という高知落石事件判例の文言から、予算制約を責任を否定する方向での「考慮要素」とすることはできるという見解が成り立ちえます。自然工物についての河川管理判例では現に考慮要素としており、(差異があるとはいえ)人工工物についても、上記のように考えていいのではないか。という趣旨です。


のら様

追加情報http://newsflash.nifty.com/news/ts/ts__jiji_26X001KIJ.htm
>「来園者の多くが幼児や子供連れの施設では、単独行動する幼児の安全確保が必要」と指摘。「背もたれのないベンチの内側に、枯れ枝の混ざったツツジを植えたのは管理に落ち度があった」

私も当初のら様のように考えたのですが、前半の「単独行動する幼児の安全確保が必要」との部分からは、およそ園内で幼児が単独行動する可能性の範囲にある物については、すべて安全確保が求められることになるように思います。

おそらく裁判官が前半で言い過ぎているのであって、実際には後半の状況の限度でのみ責任を認めるのだとは思いますが、「判決の論理」では「動物園の全ての植え込みから枯れ枝を全て取り除くこと(だけでなく、アスファルトの地面・階段の段差なども同様に)」が要求されてしまっているように思います。

この千葉地裁の裁判官と別エントリの前橋地裁の裁判官
入れ替わってもらうと、バランスが良くなる気が。

はじめまして。

>裁判官は、自らの判決がどのような影響を持つのか考えたことがあるのでしょうか。
とありますが、裁判官の判決がどのような結果になっているのかの評価はどうなっているのでしょうか。
たとえばAという犯罪に対してBといった判決を下した場合再犯率はどのくらいか、といった議論はほとんど聞いたことがありませんがどうなんでしょう?

>たとえばAという犯罪に対してBといった判決を下した場合再犯率はどのくらいか、といった議論はほとんど聞いたことがありませんがどうなんでしょう?


不謹慎な話で申し訳ありませんが、担当裁判官ごとの再犯率って出したらどうなるんでしょうか?当然運・不運もありますが、何らかの有意性が出るかもしれないなあと、ふと思いました。

はじめまして。
シロウトながら疑問に思うことは、「単独行動する幼児」という考えを今回のケースに当てはめてもいいものなのでしょうか?
1歳児といえば、まだ赤ちゃん(乳児)の範疇に近いと思います。
ベンチから仰向けに倒れたことが幼児が単独行動したことになるのでしょうか?
この事故そのものの要因や責任と、一般的な幼児に対する安全管理責任とを混同しているように判決は思えます。シロウトから見ると論理が破綻しているように感じられるのですが。。

私には2歳になったばかりの子がいるのでわかりますが、1歳半ぐらいではまだ外界の認識もよくできてないように思いますし、よちよち歩きの1歳児が転んだり落ちたりすることをあらゆる場所で想定して対策することは不可能でしょう。
子供が来るような場所の提供を止める、子供の入場を制限する、訴訟に備えて保険に入る、ぐらいしか対策はなさそうです。

営造物の瑕疵→損害賠償の成立の問題
親の安全配慮義務(被害者側の過失)→過失相殺の問題

なので、親が目を離したという問題は、損害賠償の成立とは無関係です。
裁判所は、一般的に小さい子供が訪れることを予定しているから、他の場所のベンチと植え込みより高度の安全性が、「動物園」のベンチと植え込みに求められる「通常有すべき安全性」だといっているのだと思われます。

これが市側にとっては厳しすぎる基準であるとは思いますし、妥当性には疑問がありますが、親の過失の問題とは一応切り離して考えるべきだと思います。

> 営造物の瑕疵→損害賠償の成立の問題
> 親の安全配慮義務(被害者側の過失)→過失相殺の問題
>
> なので、親が目を離したという問題は、損害賠償の成立とは無関係です。

これに関して、1歳児を放置していて危険が無いところというのは、屋外では無理だと思うのです。自宅の子供部屋とか、保育所などの幼児専用ルームみたいな所だけでしょう。
つまり、ほとんどの施設は損害賠償を免れることは困難になってしまうのではないでしょうか?

つまり、こういうことでしょうか?

(1)幼児がケガをする可能性のある枯れ枝を放置するなどして動物園としての安全管理に少し問題があった(と認定した)。
    ↓
(2)不幸にも1歳の子供がそこで倒れて死に至ってしまった。
    ↓
(3)安全管理上の瑕疵があるので、死亡事故の賠償責任を負う必要がある。

(2)→(3)の間にかなり論理の飛躍があるように思われるのですが、法律とはそういうものなのでしょうか?
通常の安全管理と今回の死亡事故との因果関係は明らかなのでしょうか?
今回の事故に至った要因を一つでも取り除けば同じ事故は起こることはありません。あたりまえですね。

極端な話、その場所にその子が近寄らなければ(近寄らせなければ)事故は起こっていません。
危険回避能力とはそういうことも含むように思います。

トンチンカンな意見かもしれませんが、何度も失礼しました。

土地工作物の瑕疵→結果(死亡)の発生に因果関係があれば、その所有者は損害賠償責任を免れません。
この場合所有者としては「十分注意していた」ということは争うことができず、「土地工作物に瑕疵が無かった(=通常有すべき安全性)」ということだけが裁判での争点です。

例えば、自分の家に塀があり、その塀を作った業者が手抜き工事をしていた(瑕疵)としましょう。
ある日その塀が崩れて第三者が怪我をした場合、所有者は毎日塀が崩れないか注意して確認していたとしても、損害賠償責任を免れません。
また手抜き工事が無かった場合でも、地震によって塀が崩れて第三者が怪我をした場合は同じように責任を負います。およそ想定外に大きい地震の場合は別ですが。

手抜き工事の場合は所有者が業者に対して、負担した賠償額を請求でき、地震の場合は被害者に過失を認めて過失相殺する場合と同じように扱うことで調整されます。

一度瑕疵があったと認定されてしまった以上、およそ想定できないという事情がない限り土地工作物の所有者は責任を免れないため、安全性の基準が重要になります。

その点、今回の基準は厳しすぎるとは思います。だから裁判所は「動物園」の限って高度の安全性を要求したのだと思われますが、その限定にどれほどの意味があるかは疑問です。通常、幼児が来ることがない施設の方が少ないでしょうから。

すみません。
判決の原文を見てないし、引用先の記事にも「動物園」に限定したとはありませんでした。
限定してなければ、より厳しすぎる基準ということになりますね。

「動物園の全ての植え込みから枯れ枝を全て取り除くこと」
が不可能だとすると、管理者が責任を免れるためにはどうしたらいいんでしょうね。

植え込みに植える植物の種類を枯れない常緑樹に変えるとか、
あるいは、
背もたれ無しのベンチは一斉撤去とかかな。
そしてお客さんは座る場所もなくさ迷うことになる、と。

なんかそんな小話聞いたことあるような気がします。

めそ様

わかりやすい事例での解説どうもありがとうございました。
この裁判、続ければ続けるほど両親が辛くなりますね。
危険が予見できる場所に1歳の子供を放置した(まだ体がしっかりしてない1歳児を転倒する可能性が大きい背もたれの無いベンチに座らせた&その背後に危険が予見できる枯れ枝の植え込みがあった)ということを証明して認定されているわけですから、傷害致死で有罪というケースに近いのではないでしょうか?
いくらお金をもらってもどんどん心は壊れそうです。

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