国語、学習の基本に 次期指導要領、言語力を重視(asahi.com 2006年07月29日07時23分)
次期学習指導要領の改訂で、文部科学省は、国語を他教科も含めた学習の基本と位置づけ、「論理的な思考力」を向上させることを軸に教育内容を見直す検討を始めた。
ということは、つまり、これまで、「論理的な思考力」を向上させる教育が十分でなかったということなんでしょうね。
いままで「論理的な思考力」を十分教えてこなかった(つまり自分も教わってこなかった)教師の皆さんが、これから「論理的な思考力」を十分教えられるのか心配です。
「論理的な思考力」を向上させることを軸にした教育技術というものは、研究されているのでしょうか?
「論理的な思考力」を教えるのは、国語だけの問題ではないですよね。
数学、算数、理科、社会全て論理的な思考力がないとできないはずだし、そのような教科で日本語を含め言葉は論理的な思考を助けるのであり、自分の考えを纏め、人を説得するのに必要だと学ぶのである。
オレオレ詐欺や振込詐欺で騙される人がいるから、文部科学省は指導要領の改訂を思いついたんでしょうか?
でも一番重要なのは、先生が論理的な発言を常にしていることと私は思います。
私は、学生時代を通して、国語が一番得意な教科でした。(その割には、文章が下手じゃねえかという声が聞こえてきそうです。)
だからといって、論理的思考が身についているわけではなく、どちらかといえば口うるさいだけの直感型にカテゴライズされるタイプです。
そういう例を出すまでもなく、「国語」という教科の習熟と、各教科における論理的思考の涵養とは必ずしも一致はしないんじゃないかと思っています。
ただ、国語の勉強を一生懸命することは悪いことではないのですが、学習指導要領の改定というと、「ゆとり」教育の例を思い出してしまいます。何ごともバランスよくやってもらえればよいのですが、どうも振幅が大きすぎるのが気になります。
> (つまり自分も教わってこなかった)教師の皆さんが、
あー、同じようなことを「成果主義の導入」とやらの時に思いました。
年功序列で昇給してきたり、独特の人間関係で地位についたりしてきた人たちに評価されるのか…と。
論理的というか合理的な思考を教育する方法としては「クリティカルシンキング」という教育手法(?)が有名です。「知識」ではなく「考え方」を学ぶということになるわけですが、まずは教師の教育が必要でしょうね。
この手の対策の例を見ると「科学教育」とは名ばかりで「テクノロジー教育」しているなんていう例も見つかります。「論理的な思考力」を向上させようと、ズレた教育をするようなことが無いように、がんばって欲しいですね。
論理的思考には、基礎知識や計算能力を土台に自然科学を理解するプロセスが重要です。
そして国語、多くの文章に接して感情表現だけでなく、論理的な文の本質を理解し、やがて自分で別の方向から証明する。
要するに記憶を含めた頭脳の総合力が要ります。
しかし、それを上手く教えられる先生には多く接した事が有りません、自ら思考実験を行うように仕向けることは難しいのでしょう。