エントリ

 今このブログの「医療崩壊に対する制度論的対策について(その2)」で医療崩壊の問題が議論されていますが、この問題は、医療過誤事件に対する司法ないし裁判のあり方が重要な意味を持っています。

 しかし、医療側からの発言はとても多いのですが、法律家側からの発言は相対的に少ないように思われます。

 できればさらに多くの法律家のご意見もお聞きしたいと思いますので、これまでの議論に対する感想でもけっこうですからコメントしていただけるとうれしいです。

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コメント(54)

あいかわらず、まとまりも、とりとめも、ない文章ですが。

裁判官や検察官がモトケンさんのブログを見ていたとしても、コメントを書き込むことはないでしょう。
特に検察庁は、ブログやホームページに対して、厳しいようですね。

あと、弁護士の書き込みが少ないのも、法律家の考え方の壁みたいなものがあるんじゃないでしょうか。
簡単に言ってしまえば、弁護士としては、「裁判所が言うんなら仕方がない。」みたいな所があると思うんです。
憲法上独立して司法権を行使することが認められる裁判所が判断したこと、とりわけ終審裁判所である最高裁の判断には、従わざるをえないし、その後はその判断を前提に物事を考えなくてはならない。
確かに、「判例を変えていこう!」というスタンスはないことはないですが、ぴったりの事件の依頼がないことには、弁護士は動けない。
だから、法律や判例に不満のある弁護士、自分なりの理想がある弁護士は、弁護士に飽き足らず、国会議員になっていくんだと思います。
弁護士といったって(実は医師も)、国の法律により弁護士資格(医師免許)を与えられ、法の範囲内で業務を行うことを国に許されているに過ぎない、ならば法律を変えるには国会議員になるしかない、と。
で、例えば医療崩壊をどう食い止めるかという政策論争の話になってしまうと、「弁護士だからこう考える」という部分は、あまりなくなってしまうのではないでしょうか。

#もっとも安田好弘弁護士が民事事件に絡んで逮捕(一審では無罪)されたときは、弁護士の中に「こんなんで逮捕・起訴されんの?やってらんねぇな。」「警察も検事も民事の実務知らねぇからな。」「ありゃ国策逮捕だ。」という声があがりましたので、警察や検察に対する考え方は弁護士もお医者さんもあまり変わらないのかもしれません。

日本の刑法では、業務上過失を重過失と同視していますが、その考え方を変えるべきではないかと思います。業務上過失の中で、故意と同視すべき悪質な重過失と、そこまでには至らない通常過失を分け、通常過失については、処罰するとしても罰金刑にとどめるべきでしょう。不処罰、という考え方も十分あり得ると思います。
モラルハザードが懸念されますが、保険により損害填補が十分なされるか、あるいはその十分な見込みがあること、被害者あるいは遺族が厳罰までは望んでいないこと、といったことを条件にするのも一計でしょう。
なお、身柄拘束についても、通常過失については、住居不定など、一般事件よりも厳格な条件を満たす場合にのみ認めるようにすべきだと思います。

法律家の皆さんは、こちらのエントリーの方をご覧になると思いますので、こちらで質問させて頂きたいのですが、ご教示頂ければ幸いです。

我々は手術や麻酔、侵襲的検査等を行う場合、「手術承諾書」「麻酔承諾書」「特殊検査承諾書」なるものを用意し、いわゆるインフォームド・コンセントをおこなっております。

このような書類は裁判の際、法的意味をもつのでしょうか?

医療事故がおこった場合、民事上では医師(病院、地方自治体、国)に対する賠償責任に関して、債務不履行責任が問題となると思うのですが(間違っていたらすみません)、このように医療行為を契約と考えた場合、「承諾書」は「契約書」と解釈されないのでしょうか?

承諾書には、「予期せぬ事態が生じ、死亡することもあります」などとは、ふつう書いていませんが、もし承諾書に「予期せぬ事態が生じ、死亡することもあります」との文言があり、患者さん(家族)が署名捺印した上で「予期せぬ事態」が発生した時、裁判所は、民事上どのように判断することが予想されるでしょうか?


或る内科医さん、

医療事故に基づく損害賠償を請求する場合、不法行為としても構成しうるし、債務不履行とも構成できます。
通常は、立証責任の問題や、消滅時効の問題(これが大きい)から、訴訟などでは債務不履行構成が多いのではないでしょうか。

>このような書類は裁判の際、法的意味をもつのでしょうか?
債務不履行の内容として説明義務違反を主張された場合、説明義務を果たしたということを立証する証拠の一つとなるでしょう。

ただ、承諾書が、医療従事者の故意・過失にかかわらず責任(損害賠償義務)を負わないとの内容を含むもの(いわゆる免責同意書)であれば、おそらく公序良俗に反し民法90条により無効とされるのではないでしょうか。
承諾書を契約書と解しても、内容に社会的相当性を欠けば、名目の如何にかかわらないでしょう。
どんな書面を作成していようと、患者の死傷という結果が生じ、それが医療従事者の過失によって引き起こされたものであるのなら、裁判所は損害賠償義務を認めるでしょう。
現実に手術の際には承諾書などが作成されているでしょうが、医療事故の裁判でそれがあまり問題にされることはありません。

また、診療契約には、消費者契約法が適用されます。
免責同意書は、消費者契約法に基づいても無効になると思われます(確か民法との重畳適用が許されると記憶しているのですが)。
消費者契約法については、福岡市医師会医療情報室のホームページがよくまとまっています。
http://www.city.fukuoka.med.or.jp/jouhousitsu/report027.html

>PINEさま
お忙しい中、詳細で立て板に水のようなご解説有難うございました。

ところで、
>『通常は、立証責任の問題や、消滅時効の問題(これが大きい)から、訴訟などでは債務不履行構成が多いのではないでしょうか。』
とのことですが、『立証責任の問題や、消滅時効の問題(これが大きい)』のは不法行為としての構成を判断する場合ですよね?このあたり解かりにくいので、お差し支えなければ、またお時間が許せば、具定例を挙げてご教示頂ければうれしいです。

私の周囲の医者(私を含めて)は「承諾書」が「免責同意書」になると思っているフシがあります。おそらく誰も、ご教示頂いた法的解釈を認識していないと思われます。

『我が国の法律は甘くはない』ということですね。


訂正です。
(誤)具定例を挙げて
(正)具体例をあげて
そこつ者ですみません。

法律家の皆さんは、法廷という場が仕事場で、そこの仕事に全力を傾けておられるのはわかります。訴訟の当事者の解決が最優先なのだと理解しました。
ただ、その仕事の性格上、司法の場ということで法を変える立場のわけでもなく、政を行う立場でもないわけで、ルールに則ってトラブルに対応するプロフェッショナルなのだという印象を持ちました。その判決やその過程が、社会に与える影響まで考慮する機会はあまりない、というかその必要もないと考えておられるかたが多いのではないかと感じました。

私は医療者で、法律家の方から見て矛盾ない判決でも医学的におかしいと思われる判決は多いと考えており、違和感がありました。しかしそれは他のスレッドで十分話されているのでここでは詳しく述べません。ただ、法律家の方々の考えることは、世間と少し遊離しており、法廷の中のゲームとルールに殆どの関心があるのかもしれないなという印象を持ちました。

それはそれでいいと思いますが、だからといってどうというわけではないのですが、私の素朴な疑問があります。
私は医者です。患者さんを診察して私の専門分野でなければ解決できない疾患を診断し、治療し、患者さんの命が助かったとき、仕事が面白いと感じます。

法律家の方々は、仕事は面白いですか?法律家の先生方のやりがいって何ですか?仕事が社会に与える影響について、考える機会はありますか?そんなことは考える意味がないことなのでしょうか?

或る内科医さま:

PINEさまに勝手に代わりまして、簡単に。(込み入った話にしないよう端折れる部分は目一杯端折っていますのでご容赦願います)

1 立証責任
 不法行為の場合、原告が、被告の故意or過失を立証する必要があります。
 一方、債務不履行の場合、原告は「債務不履行の事実」を立証すれば足り、「帰責事由がなかったこと(≒無過失)」を被告が立証できない限り、債務不履行責任を免れません。
 ただし、債務不履行の具体的内容、つまり委任契約の善管注意義務を「怠ったこと」を立証するには、不法行為構成における過失の立証をするのと事実上ほとんど変わらないのでは、といわれています。

2 消滅時効
 不法行為構成の場合、原則、事故が起こった時から3年です。
 債務不履行構成の場合、10年です。
 これは実務上も非常に大きく違う点です。


医療者さま:

>その判決やその過程が、社会に与える影響まで考慮する機会はあまりない、というかその必要もないと考えておられるかたが多いのではないかと感じました。

どなたのどのような発言からそのような印象をもたれるに至ったのかは存じませんが、私としては、全く反対で、むしろそのような社会的影響に無関心である人のほうが少数、「考慮の必要なし」とまで考えている人はさらに少数(皆無?)ではないかと感じています。

ここからは法律家一般ではなく弁護士の視点としての話になりますが、
まず第一の関心は、client自身の利益であり、そのclientの(目先の)利益の実現が、社会的評価などの影響から、総合的ないし長期的にみてclient自身の利益とならないことが予見できるのであれば、そういう不利益を加味した「割引現在価値」的な最大利益と、その実現方法についてアドバイスするのが職責ではないでしょうか。
基本的にclientと直に接する職業に共通ではないかとも思いますが。

ここでの争点に落として言い直すならば、
医療者さまの疑問ないし不満は、有り体に申せば、その裁判によって医療崩壊を加速させるような社会的影響が明らかに予測できるのに、患者側を代理する弁護士は何を考えているんだ、というようなことでしょうか。文脈からの勝手な推測ですので、誤読であればご指摘ください。

弁護士は、clientである患者の言い分に分があると判断して受任すれば、患者の利益(経済的、とは限りません)の最大化のために最善を尽くす義務を負います。
そういう患者側代理人となる弁護士が、「その裁判が社会に与える影響まで考慮」していないという見立ては、必ずしも的を射ていないと思います。
「clientの利益をまず第一に考慮する」≠「他の影響を考慮しない」ではないでしょうか。


>法律家の方々は、仕事は面白いですか?

裁量の大きい仕事にまじめに取り組んでいる人であれば、まず例外なく、仕事は面白いと感じているのではないでしょうか。

煽りにしか読めないような質問からは、生産的な議論は産まれないと思いますが。

ちょっと、皮肉なリンクを。

http://www1.u-netsurf.ne.jp/~Nakajima/branch/bengosininsiki.html

『弁護士の認識

人権を見つめるあるシンポジウムが終わった後で、会に出席していた一人の弁護士さんが「最近、患者が集まり、会を作り始めて色々うるさくなった。やりにくくなってきたから医療裁判を手がけるのを止めようかなあ。」と発言した。この時周囲には数名の弁護士さんがいたが、この言葉を継いでの会話はなく、別の話題へ移っていったが、私としてはなんとも寂しい思いであった。

(中略)

後日談2:医療過誤裁判に原告側として関係したことのある医師からFAXが届いた。

「病院側弁護士は真実を求めて闘っている原告を地獄へ突き落とす悪魔だ」と。

同感です。医療現場の医学と医療裁判での医学のギャップをうまく利用して逃げ回るのです。皆さんやあなたの家族親戚が医療過誤に遭ってからでは遅いのです。マスコミを含めてこの問題にメスを入れていくべきです。』

別にこの認識が正しいとか間違ってるとか言いたいわけじゃなくて、特に民事の場合、両方の側に弁護士がいるわけで、「代理人」ってのは中々難しいものですね。

>医療者 さん

 まず、「医学的におかしいが法律家から見て矛盾ない判決」というのは、少なくとも裁判所の主観においてはあり得ないものです。裁判所は、裁判官が医学的に正当と考えられる結論に従って判決を下すのであって、裁判官自身が「医学的にはおかしい」と思いつつ患者勝訴の判決を出すことはありません。

 もちろん、「裁判官が医学的に正当と考えること」が医学会の標準的見解に照らしても正当といえるかどうかは別問題ですが。ただ、別エントリでも問題提起したとおり、法律家は法律家だけで「医学的に正当かどうか」を検討しているわけではなく、殆どの場合、鑑定人等の医師が示した見解に賛成するという形で結論を出しています。よって、医療過誤事件の裁判例に、医学的におかしなものが多いということなのであれば、何故に鑑定人たる医師がそのようなおかしな見解を出しがちなのか、その点を解明する必要があるように思います。これも繰り返しですが、鑑定人の選任には、病院側の意向も強くはたらいており、極端に問題のある医師が選任される可能性は低いと考えます。

(※ちなみに、自分としては医学的におかしな裁判例が頻出しているという認識は全くなく、裁判所は、医師の過失を認めることに未だ臆病すぎるという印象です。医師のかばいあい体質には依然根深いものがあります。「明らかにミスだが、裁判でそれを指摘すると業界で村八分にされる」という理由で、名前を出しての協力をして下さらない医師が何と多いことか・・・・。)。


 次に、「社会に与える影響」についてですが、法律家はこの点にむしろ敏感な人が多いのではないかという感じがします。もちろん、定量的に比較できるものではないので、あくまで印象ですが。

 また、「社会に与える影響」といっても、当然、色々な側面があるわけです。医療関係者の方々は、医療体制全体の崩壊という点を危惧しておられるわけで、それはそれで一つの切り口ではありますが、「医療被害に泣く患者を救済し、問題のある一部の医師を排除する」という観点からみると、民事訴訟、刑事訴訟というのは(医療業界自身による解決が甚だ不十分な現状下では)、極めて有用なツールだと考えています。


大雑把にいうと、昭和の時代までは医療被害、医療犯罪に遭った患者が医師や病院の責任を追及することは極めて困難であり、多くの被害者が泣き寝入りを強いられてきました。大多数の医師は誠実に治療にあたって多くの生命を救ってきた反面で、一部の問題のある医師は繰り返し不注意・不勉強によって多くの被害者を作り出し、しかも、その責任を問われることもなかったのです。近時、ようやく医療被害の問題に注目が集まるようになり、法律家の意識、実務の方針も、以前ほど医学会に遠慮することはなくなってきました。これにより、以前なら救済されなかった被害者が救済され、或いは、不問に付されてきたリピーター医師が(まだ稀ですが)検挙されています。こうした変化は、良い意味での「社会的影響」といえましょう。


自分の考えでは、医療業界というムラ社会を守るために、上記のような被害救済を減速させる必要があるとは全く思えません。この2つは、そもそも天秤にかけるようなものではないはずです。

談合を摘発すると建設業界は衰退するとか、脱税を細かく追及すると零細小売業者はやっていけないとか、色々言う人はいます。自分としては、そのようなスタンスには立たないということです。

> ある内科医さん
>
> 我々は手術や麻酔、侵襲的検査等を行う場合、「手術承諾書」
> 「麻酔承諾書」「特殊検査承諾書」なるものを用意し、いわゆ
> るインフォームド・コンセントをおこなっております。

私は、この「○○承諾書」というのは誤解を招きやすい表題だと思います。むしろ「手術依頼書」「麻酔依頼書」「特殊検査依頼書」というように、あくまでも患者が「○○して欲しい」と医療者に要望する形が良いのではないでしょうか。

「○○承諾書」だと、どうも患者の気の進まないことを医療者が説得して治療を受け入れていただくような印象があります。確かに昔はこのような治療形態が普通でしたが、いまでは患者が自らの治療について選択する時代になってきていると思います。

医療者は、患者に対して治療に関する複数の選択肢を提示し、それぞれのリスクと利点を説明する責任を持つのは当然です。患者は提示された治療法の中から、自分に最も都合が良いと思われる治療法を選択します。医療者はその希望に添うように努力します。結果、医療者および患者の想定の範囲内のリスクに関しては、その治療法を選択した患者の自己責任と考えます。

一般に、診療は体の不具合を自覚した患者が「診断・治療して欲しい」と医療者に依頼する形でスタートします。これを踏まえると、手術や麻酔に関しても「手術して欲しい」「麻酔して欲しい」と、患者から医療者への要望という形が、整合性が取れると思うのです。したがって、承諾書ではなく依頼書であるべきと思います。

しかし、こうすると医療者の責任逃れと思われますかね?

>>FFF
弁護士さんはそういう方もいてけっこうなんですが
裁判官がバイアスもってたら不公平になります
過去がどうであろうと現時点の情報で是々非々でやってもらわねば
現場の医者(特に)は過去の業界の責任なんて関係ない
過去の医療過誤被害者の泣き寝入りは単に
当時の司法の無能無策が原因でしょう

さらにいうと被災者救済の必要性と医療関係者の責任は
別の問題 ミスが無くてもかわいそうな患者もいる
別問題をリンケージしてバイアスまみれの判決では
大多数の医者は到底承服できない

>いのげさん

 もちろん、現在の情報、現時点での知見、証拠に基づいた判断になりますよ。現に、「過去の医療業界の腐敗」を理由として医師有責とした裁判例はないと思いますが。どこかに誤解を招く表現があったのでしょうか。

 また、医療被害者の泣き寝入りについては、そもそも訴訟を起こす人が少なかったということも影響しています。病院がおかしいと内心では思っても、「お医者様」に責任を問うなんて恐れ多くて考えられない、という風潮があったものと思います。弁護士は被害者からの相談がないと、検察官は被害届けがないと、裁判所は訴訟の提起がないと手を打つことができません。その意味で司法は受動的な面があるといえます。

 もちろん、医療過誤、医療犯罪の被害者による声を吸い上げる努力が法曹界(と言っても、裁判所が特定の訴訟提起を促進させるわけにもいかないから、主に弁護士ですね)に不足していたことは否めないと思います。医師の犯罪、医療界の腐敗に対する切り込み、法的責任の追及が不十分だったという意味では、「司法の無能無策」という御指摘は甘んじて受けなければなりません。


 最後の、「被災者救済の必要性と医療関係者の責任は別の問題」というのは、至極当然のことです。日本の民法は過失責任主義を採っていますので、いくら被害が悲惨であろうと、加害者に故意や過失がなければ責任を追及することはできませんし、現実にもしていません。そのことは、多くの人があちこちのエントリで繰り返し説明しているはずですが、医師の方には理解が難しい概念なのでしょうか。

 ところで、「別問題をリンケージしたバイアスまみれの判決」というものがあるのなら御教示ください。

さらに申し上げると風潮と医者の責任も関係ないのは明らかです

バイアスの問題のある判決の一例としては、先日判決が確定した慈恵医大青戸病院事件、その解説は小松秀樹著「医療崩壊」に詳しい。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4022501839/250-9817925-1425817?v=glance&n=465392&tagActionCode=yyabenet-22

>いのげさん

 その事件についてはここのブログでも随分議論されていたようですね。
報道が「はーい、生まれました。男の子でーす」という発言ばかりを取り上げるのは如何か、という問題意識をお持ちの方が多かったように思いますが、判決にも何らかの「バイアス」があったということなのでしょうか。

 御指摘の文献をすぐに入手できる環境にないので、判決のどの点に「バイアス」があるという御趣旨なのか、要点だけでも解説して頂けるとありがたいのですが・・・・。

論点は多岐にわたるので最も重要な一点だけ

「出血と死亡の因果関係がない」ということなのです
事実関係↓
http://fair-law.jp/template/images/Acrobat/060721.pdf#search=%22%E9%9D%92%E6%88%B8%E3%80%80%E7%B5%8C%E9%81%8E%E3%80%80%E8%BC%B8%E8%A1%80%22

死因が出血多量による出血性ショックであることは確定

出血は動脈からではなく小静脈からのにじみ出るようなゆっくりとしたもの
(woozing)手術時間が長かったということは出血が遅いということの裏返しでもある。
出血源が大動脈であるとか、心臓を刺したとか、呼吸を止めたとか即死に直結するような過誤ではなく、輸血などの出血管理をすれば後遺症なく救命できた確立は相当高い

術者【被告人)は常識的な輸血量を術前に確保していた

麻酔医が血中ヘモグロビン低下を確認(20時45分)してから
血液センターに発注が届くま45分もかかっている
輸送車が出払っていたという不幸な偶然があったこれで30分ほど待ち
濃厚赤血球駅は交差適合試験は不要であるにもかかわらず試験を行っていた
これでまた30分

23時17分に心停止 ここで実質的に勝負が終わってます
(その後の経過は議論から外していいと思いますj)
ショックの予防のためには多少の時間的余裕が必要でしょうが
23時ごろまでに輸血開始していれば防止できていたはず
時間的余裕は最低2時間はあったことになる

患者の血液型はAB型であったが、大学病院にはO型の血液が充分量あり、これを緊急輸血することは技術的に問題なく可能であった。

判決要旨は上記の事実関係の解釈が強引である印象を持ちました
弁護側の論証に問題があったのかもしれません(そこは確認できない)

法律家の皆様に、法律家としての観点から医療崩壊に関連すると思われる事項についてお聞きしたいことがあります。医師の応召義務と労働基準法の関係についてです。

夜間に受診しにくる患者さんや救急車で運ばれる患者さんを無制限に受けいれていること、また通常の外来でも普通の対応能力を明らかに超過した数の患者さんを診療していることが、過重勤務の原因です。一般的な総合病院ではおそらく週一回24時間当直しており週80時間は労働していると思います。これは全国どこでもあらゆる職場で同様だと思われます。労働基準法第32条違反ではないか思いますがどうでしょうか。

ちなみに、医療法第16条で病院に当直医を配置しなければいけないことは定められていますが、当直医の業務については、「定時の見回り」、「院内の入院患者の急変への対応」が本来の業務内容のはずです。外来患者も診療してしまう場合は、当直ではなく夜勤として対応するべきなのですが、そのような対応はされておりません。地域医療支援病院は救急医療を提供しなければならないということになっていますが、無限に対応しなくてはならないのかという問題があります。

労働条件を確保し、健全な生活を送る権利は医師にもあると思います。ただ、医師の労働条件を改善するにあたり、大きな問題があります。現在の限られた医療費・限られた人材の中で、医師の休める時間を確保するということは、無理を強いて診療することをしない時間を作るということになり、昼夜を問わず受診を申し込んでくる患者さんの受け入れを拒否することにつながります。労働時間は一応規定されているのですが、それを度外視して診療を要求してくる患者さんに対して、診療を断ろうとする場合、医師法第19条の応召義務に違反する可能性が懸念されます。今まで医師はそれを恐れて、どんなに疲れていても患者さんを診ていましたが、それが現在事実上不可能になりつつあります。しかし、応召義務で法的に過重労働を強制されているのであるならば、それから逃れるためには体を壊して入院するか、退職するかが余儀なくされます。ちなみに病院側は、医師の労働条件については見て見ぬ振りをしています。

簡単に言いますと、「労働基準法を遵守すると、医師法第19条の応召義務を守れなくなる場合が多いが、『労働条件を守るため、院内見まわりのためだけに本来配置されている当直医が、夜間の救急隊からの診療要請や、夜間に来院してしまった患者さんの受け入れを断る』とは応召義務違反となるか」ということです。

「一法学部生」さんが応召義務について触れられていました(医療崩壊に対する制度論敵対策について2006年08月16日 21:56)が、医師法第19条「診療に従事する医師は、診察治療の求めがあった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。」の『正当な事由』について旧厚生省の昭和30年の通達があります。「正当な事由がある場合とは、医師の不在または病気等により、事実上診療が不可能な場合に限られるのであって、患者の再三の求めにもかかわらず、単に疲労の程度をもって、診療を拒絶することは、医師法第19条違反を構成する。」というのがそれのようです(ネットから拾っただけです)。現在も、医療現場の意識としてはこの50年前の概念は生きており、院内の他の患者の急変があってどうしても対応することが不可能だったりする以外は、いかに労働条件を悪化させようと、診療の受け入れには応じてきていたと思います。

この解釈が医師を極限まで酷使している原因と思われますが、いったい医師の労働条件というものは応召義務を盾にどこまでも侵害されるものなのでしょうか。特に小児科の時間外外来は、医師が過労で自殺する方もいるほどですが、それでも応召義務の方が優先されるものと判断されるものなのでしょうか。

ちなみに「夜間も対応できるように医師の配置数を増やせばいいのに」というのは非現実的です。医療費削減を続行しているのは政府の方針であり、それに従うと医師を追加で雇用する費用はありません。

もし、過酷な労働条件を理由に患者の診療を制限すれば応召義務違反とされるのであれば、医師は過重労働を法的に強制されていると考えるのですがどうでしょうか。医療崩壊は避けられない運命にあると思われます。現在の法の解釈でそうなのであれば、法改正されるまで状況は変わりませんが、国民が応召義務について変更することに納得すると思えません。

釈迦に説法かと思われますが、一応考えの整理のために書いておきます。
有名な話に、「コストの安さ、アクセスの良さ、クオリティーの高さをすべて満たすことは不可能」であることが常識です。
私が医師になる前の状態は実際どうだったのか確実なことは言えませんが、私が医者になった頃からは、患者さんに十分な説明をすること、同意を得てから治療することは当然のこととして時間をかけて説明が行われています。それはまともな医療機関であれば。以前に比べてクオリティーを上げているということです。そのためには一人当たりの診療時間がかかります。すると、無限の患者さんに等しく高いクオリティーの医療を提供することは物理的に不可能です。現在の社会の風潮で、クオリティーを下げることは不可能と思われますので、コストを上げるかアクセスを制限するかが必要となってきます。
コストを上げれば医療費が上がります(保険医療適応外のコストを上乗せすることにするにしても、患者さんの負担は増えます)。それが国民の総意が得られず、医療費削減路線が揺るがないのであれば、アクセスを制限することになります。
つまり、患者さんの診療を断るということです。
しかし、それも応召義務違反となって不可能であればどうなるでしょう。

クオリティーを上げて、コストは下げるかそのままで、アクセスの良さはそのまま維持していると、医師は機械ではありませんので死んでしまいます。ストライキを行うことで労働条件の改善を図ることも、応召義務違反で不可能でしょうか。
そうすればどうなるでしょう。
自分が死んでしまわないためには、収入が減ってもどうなってもいいので辞職するしかありません。それが逃散と最近言われる行動です。完全にアルバイトだけで生活している人もいます。医師だからといって逃散しても生活が保障されているわけでも何でもありません。ただ、通常のストライキができないので「身を挺したストライキ」をしているだけです。小松秀樹先生の本では「立ち去り型サボタージュ」とも表現されています。

医師の応召義務と労働基準法の関係がどう判断されるのかについて、興味がある理由についておわかり頂けましたでしょうか。もしそれが法廷で問題になった事例があれば知りたいとも思いますが、勉強不足で存じておりませんのでご教授願います。

>fuka_fuka さま
ご解説いただき有難うございました。また先般のエントリー「人工呼吸器の取り外し」でもお世話になりました。

さて債務不履行責任に関して、ふと疑問に思うところがありましたので、ご面倒でなければ、再度ご教示頂ければ幸いです。

債務不履行責任の基盤となるものは、医療行為を契約(準委任契約ですか?)と考えた場合だと思います。

ところが我々はいうまでもなく、医療行為を行う場合、いちいち「契約」という概念を抱いているわけではありません。いわゆる契約書なるものも存在しません。私が「契約」という言葉から連想するのは、「両者の合意によって成立する行為」です。

そうすると、元内科医さまが述べられているように、「応召義務」が絡んできます。つまり医療行為の依頼があった場合、事実上これを拒むことはできません。医療行為を受ける側と医療行為を行う側との間に「合意」がなくても、すなわち、契約書も存在しない上、医療行為を受ける側からの一方的な要求となった場合も、医療行為を実施しなければなりません。

このことは「契約」とはいえないのではないか?という疑問です。
逆に言えば、医療行為を「契約」と考えるのは、それは如何なる法的根拠からでしょうか?

>某救急医さま
某救急医さまの仰ることは、よ〜く解かります。個人的には『医療者の責任逃れ』とは思いません。我々の業種のみならず、社会生活を営んでゆく上で、我々国民は法律でがんじがらめにされているのですから。

(追記)本来、法律家の皆さんがコメントされるエントリーに投稿してすみません。


>法律家の皆さんがコメントされるエントリー

 そんな制限をする意図はありません。
 関連するマジレスなら、横槍横レス大歓迎です。

>モトケン先生

今日の主要ニュースですが
堀病院事件もエントリ建てていただけますでしょうか
もう遵法闘争次元の話になってしまいました
明日から看護師内診をやっている全国の産科施設は
違法診療を中止して病棟を閉鎖するべきです

或る内科医様

>このことは「契約」とはいえないのではないか?という疑問です。
逆に言えば、医療行為を「契約」と考えるのは、それは如何なる法的根拠からでしょうか?

とのことですが、自治医大の先生のHPに、診療と契約について解説した部分がありました。解釈としてこれが正解かどうかは分かりませんが、とりあえずご参考まで。

http://homepage3.nifty.com/dontaku/ijihou/CHAP1.htm

>いのげさん

 さっそくありがとうございました。要するに、被告人とは関係ない原因によって輸血の準備が遅れ、その結果として被害者が死亡したのに、その責任を被告人に負わせるのは酷である、という問題意識なのでしょうか。機会があれば、御紹介頂いた文献も読んでみようと思います。

青戸の事件なんですが・・・。
すると、そういうわけだから、あの医師たちは無罪だということなのでしょうか。
あの患者の死は誰のせいでもなく、やむをえない死だったということになるのでしょうか。
遺族は「これが医療の限界だ。恨むなら神様を恨め」ということで納得しなければならないのでしょうか。
私は極力バイアスを廃して考えてるつもりなのですが、一般人としてどうにも受け入れがたい気持ちです。

じじいさんがリンクを貼ってくれた自治医大の先生のHPは、たいへん良くまとまっています。

それから、契約は本来両当事者の自由な意思の合致により成立しますが、法律によって契約の締結を強制されることもあります。
例えば、水道法の給水契約義務や放送法のNHKとの受信契約義務などがあります。

>医療者先生
 どんな職業だって、真剣に取り組んでいる者にとっては「やりがいある職業」です。そして、分別ある社会人は、他人の仕事について「その仕事にやりがいはあるのか」などという不躾なことは言わないものです。医療者さまがご自身の職業にやりがいをお感じになるのはご勝手ですが、他職に対して「仕事は面白いのか」とか「やりがいはあるのか」などと仰るのは、控えめに申し上げれば「大きなお世話だ」ということになるでしょう。

 「法廷の中のゲーム」と仰いますが、そこで行われている“ゲーム”には、人の人生がかかっています。刑事訴訟では文字通り人生(場合によっては生命そのもの)が左右されます。民事訴訟にだって、公害や薬害のように多くの人々の健康がかかっている事件もありますし、個人的な事件、例えば離婚や子の監護権を争うようなものであっても、その紛争にかかわる者の人生を左右することになります。医療者さまは、そのような事件にかかわる法律家がその紛争解決を「ゲームに過ぎない」と捉えているとお思いなのでしょうか。
 確かに、過去のコメントに「民事訴訟における裁判官はゲームの審判のようなものだ」というものがありましたが、それは民事訴訟における「当事者主義」を説明するための比喩であって、それを聞いて文字通り法律家が事件をゲーム感覚で処理しているとお考えになっておられるとしたら、短絡に過ぎると申し上げざるを得ません。

 そもそも、「医学的におかしいと思われる判決がある」というのであれば、各医学会が確かな鑑定医をどんどん推薦すればよいではありませんか。裁判所は医学会の推薦を無視して鑑定を依頼してはいませんよ。

 また、「門外漢である警察・検察に刑事訴追されるのは間違っている」というのであれば、医師・歯科医師で大半を構成している医道審議会なり、トップを含め多くのポストを医系技官が占めている厚労省医政局なりが、適切かつ迅速に医療事故を調査し、問題医師に対して行政処分を下せばよいではありませんか。検察の訴追基準には「責任をとるべき関係者が社会的制裁を受けているか」というものがありますから、捜査終結前に専門機関が適切な処分を下すか、近い将来調査結果を明らかにし適切な処分を行うという確かな見通しがあれば、検察はよほど重大な事件でない限り専門機関の調査結果を尊重して性急な訴追は行わないものです。
 しかし医道審議会は、適切な調査を行うどころか、つい最近まで「刑事訴訟の有罪判決確定を待って処分対象として審査する」としてきました。そして、慈恵医大青戸病院事件でようやく刑事有罪判決確定前に行政処分を下したくらいで、その後も刑事判決確定前の調査・処分を積極的に実施してはおりません。つまり、医師・歯科医師主体で構成されている医道審議会は永らく医師・歯科医師の処分について捜査機関に丸投げし続け、その状況は今もほとんど変化していないのです。丸投げされた以上、捜査機関は不慣れな医療事故捜査を行わざるを得ません。そして、専門領域に踏み込むことに消極的だった捜査機関に丸投げすることで、医師は永らく医療過誤の原因解明や責任追及から逃れてきたわけです。

 医師業界こそが捜査機関に不慣れな医療事故捜査を永らく丸投げしてきたということ、そしてそれによって少なからぬ医師がとるべき責任から逃れてきたということ、訴訟や捜査において医師業界が適切な鑑定医を選出せず、また行われた鑑定を検証・批判してこなかったことなどを無視して、医療崩壊の責任が全て司法にあるかのごとく主張なさるのは如何なものかと思いますね。

>いのげ先生
 >「過去の医療過誤被害者の泣き寝入りは単に当時の司法の無能無策が原因でしょう」
 なるほど。では、今後は泣き寝入りさせないように、どしどし患者に提訴させていけばよいということですね。司法関係者はそのお言葉を聴いてさぞや身が引き締まることでしょう。でも、司法が「無能無策」から脱却して医療に手を突っ込めば突っ込むほど、お医者様はやる気を喪って逃げ出しちゃうのではなかったでしょうか。難しい問題ですね。

 >「裁判官がバイアスもってたら不公平になります」
 「裁判官は原則として当事者から提出された証拠を元に判断する、スポーツの審判のようなもの」なので、これ以上「是々非々」な存在はないと思うのですが、お医者様から見れば違うのでしょうか。被告となった医師は、患者である原告に比べて格段に情報を豊富に有し、また「過失なし」と証言してもらえるお仲間も多いのだから、本当に過失がないのなら主張すべきことをきちんと主張してさえいれば負けることはないはずであり、そして実際に医事訴訟における原告勝訴率は一般民事訴訟に比べて著しく低い(=医師側勝訴率が高い)ではありませんか。これが裁判官の「是々非々」の姿勢でなくて何なのでしょう。「バイアスまみれ」とおっしゃるのであれば、せめて「裁判官が患者に肩入れするあまり一般民事に比べて著しく医師側敗訴率が高くなっているという事実」くらいご提示いただかなければ、いくら「判決はバイアスまみれだ」と主張されても医師以外の大多数の国民は到底承服できないと思われます。

 なお、慈恵医大青戸病院事件判決が「バイアスまみれの判決の代表例」ということのようですが、学内の倫理委員会に諮ることを怠り、指導医についてもらうこともないままに経験の乏しい腹腔鏡手術を長時間漫然と続け、患者を死に至らしめた被告人の過失を認定した判決を「バイアスまみれ」とおっしゃるのには驚きました。
 「被告人は常識的な輸血量を術前に確保していた」とのことですが、未熟な技量の持ち主が指導医抜きという非常識な体制で手術をしようとしているのに、輸血準備「だけ」常識を守っていたから過失責任は問えないということでしょうか。ちょっとよくわからないのですが、いのげ先生の仰る「常識的な輸血量」とは、「常識的な手術」に対するものではないですか。素人である私には、未熟な者が指導医なしという非常識な体制で手術を行いたいのなら、輸血準備も非常識なほど多量に確保しておくのが当然だと思われます。実際、慣れない手術を非常識なくらい長時間続けた結果、「常識的な輸血量」では間に合わなくなったのでしょう?素人である私には、「常識的な輸血準備量」に何の価値も見出すことができないどころか、自分たちの技量不足を軽視した愚かさの現われとしか見えないのですが、お医者様にとっては違うのかも知れません。もし、被告人らが当該手術の実施に当たり「常識的な輸血準備」をしていたことが過失責任を否定する充分な根拠になるというのであれば、本当にお手間を取らせて申し訳ないのですが、素人である私にもわかるようにご教示いただければ幸いです。
 また、「病院内に豊富にあったO型血液を緊急輸血することが可能だった」というのであれば、AB型血液が足りなくなったことや輸血輸送車の到着が遅れたことなどは患者の死とは無関係であるということになり、なおさら「被告人らが出血量を把握できていなかったために緊急輸血が遅れ、死ななくても良い患者を死なせてしまった」ということになるのではないですか。

 結局、本件が「バイアスの問題のある判決」と仰るのであれば、「凡そお医者様のすることに文句を言うな」と仰っているに等しいように聞こえます。そして、これが「医療を萎縮させる不当判決」というのであれば、そんな医療は萎縮してもらって結構です。充分な説明も受けられず、本来つけられるはずだった指導医すらつけられないまま未熟な医師のチャレンジの道具にされるよりよほどマシですから。

 私も、福島産婦人科医逮捕事件や杏林大割り箸事件などは不当捜査だと思いますし、できれば医療行為については刑事免責を原則とすべきだとも思います。しかし、それは医師の皆さんが、青戸病院事件を起こした医師のような者をきちんと咎め、医療者自らの手で医療者の技術的・倫理的水準を保ちうると国民が信じることができて初めて成り立つ議論です。青戸病院事件の被告人らの「自分たちが未熟であることを知っていながら、指導医による指導体制を整えることなく手術を強行した」という大元の過失を無視して、お医者様が「輸血準備が常識的だったからあの判決は不当だ」などと仰っておられるうちは、おそらく司法は医療に手を突っ込み続けるでしょう。

>元内科医さま
 まず、お医者様も「労働者」であり、労働基準法の適用を受けますので、労働基準法や三六協定に違反するような超過勤務命令に従う必要は全くないはずです。
 「参議院議員櫻井充君提出勤務医を取り巻く諸問題に関する質問に対する答弁書」(2002年2月22日)によれば、「勤務医の労働条件は極めて過酷であり、このことが医療における安全性などに悪影響を及ぼしている。以下の各ケースは労働基準法に違反しているか。違反しているのであればどのような対処を行うつもりか」との質問に対し、政府は「労働基準法(昭和二十二年法律第四十九号)の適用を受ける労働者を、同法第三十二条から第三十二条の五まで若しくは第四十条に定める労働時間を延長し又は同法第三十五条に定める休日に労働させる場合には、使用者は、同法第三十三条又は第四十一条に定める場合を除き、同法第三十六条に定めるところにより協定をし、これを行政官庁に届け出なければならない。また、最低賃金法(昭和三十四年法律第百三十七号)第五条により、使用者は、最低賃金の適用を受ける労働者に対し、その最低賃金額以上の賃金を支払わなければならないとされている。御指摘のケースが労働基準法又は最低賃金法に違反しているかどうかは一概にはいえず、個々の事案に即して判断する必要があるが、これらの法律の規定に違反している事実が認められた場合には使用者に対し是正のための指導を行うほか、悪質な事案については刑事事件として取り扱うことも含め、厳正に対処していくこととしている」と答弁していることからも、医師も労基法の保護を受けるべき存在であり、労基法に違反して超過勤務を命じられてもこれに従う義務がないことは明らかです。

 次に、医師法19条1項が定める「応召義務」は、我が国の通説的見解によれば、お医者様の国に対する公法上の義務であって、国民(患者)に対するものではないと解されています(野田寛「医事法上巻」111頁ほか)。旧法では応召義務違反者に対して罰則規定が定められていたようですが、現行法下においては罰則規定は除かれており、また、お医者様が応召義務に違反してもその違反行為が反復されない限り行政処分の対象にもなりません。しかも、医道審議会が本条違反を理由にお医者様の資格を停止したり免許を剥奪した例はほとんどないようなので、お医者様に対する「応召義務」は、実際には公法上の義務というより「倫理上の責務」にとどまるものと解すべきであると考えます。
 なお、前述のとおり、医師法19条1項は直接患者との関係を律する規定ではないため、診療を拒んだからといって直ちに民法上の不法行為を構成するものではありません。しかし、同規定が患者保護の側面も有することから、診療拒否によって患者に損害が生じればお医者様に過失があるとの一応の推定をし、反証のない限り、お医者様の民事責任を認めてよいとするのが有力であり、いくつかある下級審判決も概ねこの考えを採用しているようです。

 「応召義務」に関する最高裁判例が見当たらないため、さしあたり下級審判決をいくつか見ましたところ、「医師法19条1項における診療拒否が認められる『正当な理由』とは、原則として医師の不在または病気等により事実上診療が不可能である場合を指すが、診療を求める患者の病状、診療を求められた医師または病院の人的・物的能力、代替医療施設の存否等具体的事情もよっては、ベッド満床も右正当事由にあたると解せられる」というものがあります(千葉地判昭和61年7月25日)。
 これによれば、お医者様が診療を拒むことができる「正当事由」とは、旧厚生省昭和30年通達のいう「医師の不在または病気」だけにとどまらず、「医師の人的・物的能力、代替医療機関の存在」や「患者の病状」も、診療拒否を正当化する理由になりうるわけですから、少なくとも司法は「患者さんを無制限に受け入れよ」とお医者様に要求してはおりません。
 また、「医師といえども、一般の祝祭日、休日等の休診日または診療時間終了後においてまで常に通常の時間帯と全く同程度の診療義務に就くべき義務を負うわけではないから、継続的に外来診療をしている患者でも、医師がその身体的状況を把握しており、診察申込の内容が医学的見地からして直ちに診療治療するまでもないと判断できるときは、これに応じなかったとしても直ちに診察応諾義務を懈怠したとすることは相当でない」(名古屋地判昭和58年9月30日)というものもありますから、例えば過去のコメントで紹介されていたような「サラリーマンが勤務終了後救急外来を利用して風邪の診察をするよう求めてくる」といった事例については、追い返していただいても直ちに「応召義務違反」にはならないようですし、勤務時間終了後まで通常の勤務時間帯と同程度の診療義務を負わせられているとはいえないように思われます。

 事実上過労死せざるを得ないほど過酷な労働条件に置かれているお医者様は数多くいらっしゃるとは思いますが、以上申し上げましたとおり、少なくとも裁判所は「いかに労働条件を悪化させようと、無条件に患者を受け入れよ」などと命じてはおりません。そのような理不尽な要求をしているのは医系技官をトップに戴く厚労省医政局でしょう。

>青戸の事件なんですが・・・。
>すると、そういうわけだから、あの医師たちは無罪だということなのでしょうか。

責任のとり方について刑事以外は一切無視するという前提なら
その通りということになります。なぜなら刑法上の過失の構成要件がそうなっているから。逆にいうと感情論でなっとくいかんから法を歪めるという立場、これはわたくしは肯定できません。

そして、処罰の方法は刑事に限らずとも行政処分もすでに下り、民事でもドーンときつく処罰することが可能です。なおかつこの点に異論を唱える医療関係者はほとんどいません。

>FFF先生

別のたとえでいってみましょう
ここにある原因Xによって出血多量でショック死寸前の患者がいたとする。
輸血すれば十分に救命可能で、手近なところに血液があったとする
被告人Aが殺意を持って輸血前に血液を破棄損壊し、結果患者が死亡したとする。

死亡の因果関係がXに有ってAに無いとするなら、Aは無罪になります
違いますか?

an_accused様
 労基法違反で病院を告訴した私の告訴状にはその答弁も参考資料につけたことはもちろんです。いちおう自分なりに資料としてそろえてつもりですし、労基署もかなり協力的であったと思いますが、それでも労基法違反で起訴して頂けませんでした。

>いのげさん

 すみません、たとえの趣旨がよく飲み込めません・・・・。

刑法上の因果関係というのは、私の理解では、生じた結果と実行行為との間に観念するものなので、何者かによる実行行為ではない「原因X」と死亡の(刑法的な)因果関係を議論することは適切でないように思います。

 用語の使い方はおくとしても、そのたとえ話で何を示唆しようとされているのか、ちょっと分かりかねます。

>じじいさま
たいへん有益なHPのご紹介有難うございました。とても勉強になりました。
医師には裁量権があるからこそ、その責務も重大であることを再認識しました。

>PINEさま
私のコメントにお付き合い頂いて、また「契約」について考える「きっかけ」を作って頂いて、有難うございました。世間知らずですみません。

>an_accusedさま
「応召義務」についてのご解説、たいへん勉強になりました。この仕事を選んだ者として、また自分自身(家族)が病気になって、患者(患者家族)の立場になるという視点からも、an_accusedさまのご意見、襟を正して拝読させて頂きました。

私の言いたいことをan_accusedさんがあらかたコメントしてくださいました。

>手術時間が長かったということは出血が遅いということの裏返しでもある。

私はこの部分の理屈の立脚点がどうにも理解できないのです。
そもそも手術が異様に長引いた原因は医師にあるのではないのですか?
一般的な方法を用いていればとっくに済んでいたはずなのに、ろくにできもしない
方法を用いたからだらだら長引いたわけでしょう。
まともな手術をしていれば、出血が静脈だろうが動脈だろうが、そもそも命に
関わるような事態にはならなかったのではないのですか?

この医師たちは、患者のあずかり知らぬところで、より危険だが自分がやって
みたい方法を採用した。つまり、医師たちは患者の命より自分の欲求を優先
したということですよね。
これは医療の世界では「罪」ではないのですか?
どんなにバイアスを排除したって、一般社会ではどう考えても「罪」ですよ。
実際に出た判決には異論があろうとも、少なくともこの点ではあの医師たちは
刑事で裁かれてしかるべきだと私は思います。

医療の世界において、リピーター医師や倫理に欠ける医師を排除する自浄能力はまともに機能しているのでしょうか。少なくとも今は、一般人は機能しているとは思っていないし期待もしていないでしょう。だからこそ、世間から医療事故の刑事事件化を憂う声が出ないのです。

別エントリーで医療関係者の方が、身の回りの話として「明らかなミスを連発するリピーター医師が野放しになっている一方で、患者をやむをえず死なせた医師が刑事事件として捕われる」という主旨の発言をされていました。エントリーではスルーされていましたが、私は愕然としました。知っててほったらかしにされているリピーター医師がいて、それを当たり前のように聞き流した医療関係者の皆さんの姿勢に、です。
この問題について「人手不足」「逃散」という言葉が免罪符に使われるなら、私はもう
何も言えません。

青戸の医師は医業停止2年でしたよね。医療関係者から見てこの処分は重いですか、軽いですか? これは2年頭を冷やせば出直しがきくレベルの罪なのですか?
免許制でないサラリーマンには「懲戒免職」という処分があります。その職業における事実上の死刑です。医師ならば免許剥奪に相当します。
医療の世界では、その境界線が相当高いところにあるような気がします。交通違反じゃあるまいし、しばらく謹慎すればまた点数がゼロになるものなのでしょうか。

医師免許更新制度が容認できないならば、なおのこと「免許を持つに値する人間か
どうか」が厳しく問われなければならないのではないでしょうか。
リピーター医師に限らず、たとえ故意でなくとも退場に値する過ちを犯した医師に対し、「お前は医師免許を持つ資格がない。他の仕事を探せ」と引導を渡せるだけの自浄能力を、今の医療業界は備えているのでしょうか。
そのくらいでないと、「かばいあい」の指摘を偏見だとはねのけることはできませんよ。

同業者として医療者さんのコメントに言及させて頂くと、確かに表現は宜しくないと思います。そのためにやや過剰と思える反応を引き起こした様ですが、私が解釈する医療者さんの真意は「法律家の判断は、法律家以外の人の判断と乖離がある印象を持つ」ということではないかと思います。よく法律家の方が「一般人が医療や医者に対して○○な印象を持つ以上・・」といった類の表現をされますが、似たような事ではないでしょうか。専門家のお立場としてスルーできないのはよく解りますし、反論は当然です。一方、漠然とした印象が世の中の一部にはあることは、医者の場合と同様に法律家の方も自覚された方がよいのではないかとも思います。

>an_accusedさん

>各医学会が確かな鑑定医をどんどん推薦すればよいではありませんか。
仰ることは正論ですが、「確かな鑑定医」はその時点で臨床に深く関わっている必要があると思います。例えば産婦人科の訴訟において、一線の臨床医が鑑定医になる余裕なんてない様に思えます。名誉職の「老人」にはまともな鑑定なんて無理ですが、現実問題として仕方がない気がします。

>医師・歯科医師で大半を構成している医道審議会
これも「名誉職の老人」ばかりです。そもそも審議会なるものの大半は役人が筋道も結論も予め決定しており、突っ込まれた場合に「識者の審議を経ている」という責任逃れのために存在する装置ではないかと、少なくとも私は解釈しています。審議会メンバーの選出も、役人主導で行われる場合がほとんどではないでしょうか。

>トップを含め多くのポストを医系技官が占めている厚労省医政局
医者の資格があるとは言え、所詮はお役人です。前項も含めて、役人に建設的な施策を求めるのがこの国に於いてどれほど有効か、はなはだ疑問です。

>捜査機関に丸投げ
ものは言い様と申しますが、「丸投げ」は本来依頼する意志がある場合の表現ではないかと思います。事の理非や必要性は別にして、相手の意志に無関係に介入する側が「丸投げ」などという表現をお使いになるのは如何なものかなと思います。尚、医療機関が「異常死」を自発的に届けるのは、これが無いことを理由に逮捕の可能性まであるからで、「丸投げ」ではありません。

>医師は永らく医療過誤の原因解明や責任追及から逃れてきたわけです。
これは仰る通りですが、これって医療界固有の問題なのでしょうか?私には日本人全体に通じる問題の様に感じます。

>医事訴訟における原告勝訴率は一般民事訴訟に比べて著しく低い
医事訴訟における勝訴率とはどの辺りが「適正」なのでしょうか?そもそも「一般民事訴訟」と比較して高いか低いかという議論自体にはどういう意味があるのでしょうか?

>慈恵医大青戸病院事件判決が「バイアスまみれの判決の代表例」
いのげさんの弁を多少擁護しますと、青戸の件は認知度が高いからお出しになったのだと思いますが、「あの判決にすら一部バイアスがある」程度の意味ではないかと思います。医療従事者の多くは青戸の件を擁護しません。一方、判決要旨の一部に疑問を持つことは別問題だと思います。「疑問」については議論すればよいだけです。

>そのような理不尽な要求をしているのは医系技官をトップに戴く厚労省医政局でしょう。
申し訳ありませんが、これは全くの事実誤認です。厚労省には財務省と渡り合える様な力はありません。理不尽な要求の根源は医療を含む社会保障制度縮小策ですが、これを進めているのは経団連・政府・財務省です。また、技官が事務官よりも相当低い地位にあるのが官僚の世界だと思います。この観点から、医系技官には世の中を左右する権限などないと考えます。

上記で「異常死」は「異状死」の誤りです。訂正いたします。

>いのげ先生

 青戸の件は確かに輸血の遅れも死亡原因として考えられますが、手術前のシミュレーションを含めた準備不足、開腹タイミングのまずさ(遅れたことと、十分な補液をしていないタイミングで開腹し、ショックを助長したこと)も理由として挙げられるかと思います。それをどこまで刑事で問うかについてはいろいろな意見があるかと思いますが、今の司法の現状では執刀医などの刑事有罪判決はやむを得ないかと思います。

>みみみ様

>青戸の医師は医業停止2年でしたよね。医療関係者から見てこの処分は重いですか、軽いですか? これは2年頭を冷やせば出直しがきくレベルの罪なのですか?
免許制でないサラリーマンには「懲戒免職」という処分があります。その職業における事実上の死刑です。医師ならば免許剥奪に相当します。
医療の世界では、その境界線が相当高いところにあるような気がします。交通違反じゃあるまいし、しばらく謹慎すればまた点数がゼロになるものなのでしょうか。

 交通事故を例えにされましたが、酒酔い運転+ひき逃げで死亡事故を起こしたとしても行政罰である「運転免許」に関しては初回である場合、最長で免許取り消し欠格期間3年間です。医師免許の場合、同じく行政罰で免許取り消しとなっても今のところ再取得する手段が明確ではありませんので、よほどのことがない限り(故意による医療事故など)医業停止2年は十分重い罰則だと思います。交通違反じゃあるまいし・・・、とおっしゃいますが、人の死・怪我に関しては医業であろうが交通事故であろうが何ら変わりないと思います。医業だから重罰にするというのであれば賛成できません。
 もちろん、現状がよいとは思いませんが、免許取り消しという処分を行うのならば、再取得についても何らかの規定を設けて頂かなければならないと思います。

 また、リピーター医師に関してですが、民間病院で人事権を持っている院長を除けば仮に我々が苦々しく思っていても排除する手段がないのが実情なのです。自浄作用を働かせようにも医道審議会のごく一部のメンバーを除いて、そのような権限をもつ人間がいないのです。我々のような底辺の医師ではどうしようもありません。そう言う意味で確かに問題は多いと思います。

 さらに医療事故では医師や看護師の能力・正確等よりシステムが原因となって起きるものが極めて多い・・・と言う実情があります。代表的な例が都立広尾病院事件です。この事例で点滴を担当した看護師に刑事有罪判決が出ていますが、実のところ問題は個人の資質云々ではなく、ユニヴァーサルシステム(栄養剤、消毒薬、点滴などを同種類の注射器・点滴セットで使用できるシステム)にあると思います。私に言わせれば、これで刑事訴訟にされた看護師は気の毒としか言いようがありません。システムエラーを個々の医師・看護師の責としてしまうという今の司法の実情もお分かりいただけたら・・と思います。

>ヤブ医者先生
 丁寧なコメントをいただき、ありがとうございます。
 さて、いただきましたコメントについて感想を順次述べさせていただきます。

>例えば産婦人科の訴訟において、一線の臨床医が鑑定医になる余裕なんてない様に思えます。名誉職の「老人」にはまともな鑑定なんて無理ですが、現実問題として仕方がない気がします。

 なるほど。第一線で働くお医者様が多忙を極めていらっしゃるということはよくわかりましたし、鑑定を引き受けることが大きな負担であることもわかります。しかし、せめて鑑定にご協力いただけないと、いつまでたっても判決は「医学的におかしい」ままでしょう。それに、医事鑑定すら協力できない第一線の臨床医の先生が「医師主体の第三者機関」に関与するなんて、とてもできないのではないですか。これでは、どのような紛争処理制度ができたとしても、お医者様の不満は解消されなさそうですね。

>これも「名誉職の老人」ばかりです。そもそも審議会なるものの大半は役人が筋道も結論も予め決定しており、突っ込まれた場合に「識者の審議を経ている」という責任逃れのために存在する装置ではないかと、少なくとも私は解釈しています。審議会メンバーの選出も、役人主導で行われる場合がほとんどではないでしょうか。

 ヤブ医者先生が審議会にどのようなイメージを抱いておられるのかは知る由もありませんが、お医者様主体の機関が皆さまの資格審査を行っているというのは紛れもない事実です。また、「筋道も結論も予め決定している」役人の多くも医系技官です。医道審議会令を見る限り、有罪判決の確定を待たなければ医師を処分できないとは一言も書いていないのですから、医道審議会が医師主体の専門機関として医療事故の調査を行い検察の訴追判断より前に医師の処分を行うことについて法令上何の妨げもありません。単に「やってこなかった」というだけです。そして、医道審議会がやるべきことをやってこなかった結果、門外漢である警察・検察が「やらざるを得なくなった」ということは、動かしがたい事実でしょう。

>医者の資格があるとは言え、所詮はお役人です。前項も含めて、役人に建設的な施策を求めるのがこの国に於いてどれほど有効か、はなはだ疑問です。

 前コメントでは、医系技官に「建設的な施策を行え」などとは一言も申しておりません。「医療事故について調査し、医師に対して適切な処分を行うべきだ」と申し上げているのです。「所詮はお役人」とは仰いますが、曲がりなりにも医師なのだから、全くの門外漢である警察官や検事が調査するよりはマシなはずではないですか?

>ものは言い様と申しますが、「丸投げ」は本来依頼する意志がある場合の表現ではないかと思います。事の理非や必要性は別にして、相手の意志に無関係に介入する側が「丸投げ」などという表現をお使いになるのは如何なものかなと思います。尚、医療機関が「異常死」を自発的に届けるのは、これが無いことを理由に逮捕の可能性まであるからで、「丸投げ」ではありません。

 拙コメントにおける「丸投げしてきた」の主語は「医道審議会」であり、「医療機関」ではありません。前コメントの文脈に医療機関による異状死の届出義務の話は一切出していないと思うのですが、私がどこかで医療機関による異常死の届出義務について一言でも触れておりますでしょうか。前コメントで述べているのは、「医道審議会が自ら行なう行政処分の判断根拠を専ら刑事訴訟の結果に求めてきた」です。
 よく「先進国で医師が医療事故で刑事訴追されるのは日本だけ」などと言われ、その際にはアメリカの例が引き合いに出されますが、アメリカは医師が刑事免責の対象になっているかわりに行政処分については厳しく適用されているから、全体として医師に対する信頼が保たれているのでしょ?そうであるならば、我が国でも医師に対する刑事免責を確立しようと思えば、専門機関による調査と厳格な行政処分が行われなければなりませんよね。そして、医師に対する行政処分を行うことができる現行法上の専門機関は医道審議会ただ一つなのですから、医道審議会が医師の刑事免責実現の鍵になるはずではないですか?

 医道審議会は医師・歯科医師が自らの処分を決定することができる唯一の専門機関であるにもかかわらず、その判断については「医師、歯科医師の行政処分は、公正、公平に行われなければならないことから、処分対象となるに至った行為の事実、経緯、過ちの軽重等を正確に判断する必要がある。そのため、処分内容の決定にあたっては、司法における刑事処分の量刑や刑の執行が猶予されたか否かといった判決内容を参考にすることを基本とし、その上で、医師、歯科医師に求められる倫理に反する行為と判断される場合は、これを考慮して厳しく判断することとする」(医道審議会医道分科会「医師及び歯科医師に対する行政処分の考え方について」(2002年12月13日))としています。つまり、行政処分を行うにあたって医道審議会は独自の調査結果に基づいて判断することなく、刑事有罪判決における量刑を根拠として行政処分の内容を決めるとしているのです。「ものは言い様」も何も、これを「丸投げ」と呼ばずに何と呼べばよいのですか。

>これって医療界固有の問題なのでしょうか?私には日本人全体に通じる問題の様に感じます。

 民俗学的には興味深いご見解であるように思われますが、私は民俗学のプロパーではないので掘り下げたコメントをすることができません。申し訳ありません。

>医事訴訟における勝訴率とはどの辺りが「適正」なのでしょうか?そもそも「一般民事訴訟」と比較して高いか低いかという議論自体にはどういう意味があるのでしょうか?

 さあ、どのあたりが「適正」なのでしょうね。ただ、一般に民事訴訟の原告は「勝てる」という見込みがなければ訴訟という手段を選択しませんから、原告勝訴率が高くなることは当然であるということになります。したがって、裁判官が「是々非々」で臨めばどうしても原告勝訴率が高くなるということです。しかし、医事訴訟においては原告勝訴率が低い水準で推移しています。これは、原被告間における資源バイアス(医学知識の偏在、協力医の偏在などによって生じるバイアス)によってある程度説明がつきます。つまり、裁判官が「是々非々」だからこそ資源バイアスがそのまま反映されて一般民事事件よりも原告勝訴率が低くなっているということです。

 ところで私は、「裁判官が医療について素人であるために、医学的におかしな判決を書いている」という批判は何度も眼にしておりますし、その批判についてはある程度理解できます。しかし、「裁判官が医事訴訟の審理に当たり、過去の業界の責任といった別問題をリンケージしてバイアスまみれの判決を書いている」といった批判がなされるのを見るのは初めてです。後学のため、「裁判官が医事訴訟の審理にあたり、過去の医療業界の責任といった問題をリンケージして、バイアスまみれの判決を書いた例」を是非ご教示ください。

>「あの判決にすら一部バイアスがある」程度の意味ではないかと思います。医療従事者の多くは青戸の件を擁護しません。一方、判決要旨の一部に疑問を持つことは別問題だと思います。「疑問」については議論すればよいだけです。

 いのげ先生は、FFF氏の「ところで、『別問題をリンケージしたバイアスまみれの判決』というものがあるのなら御教示ください」という求めに応じて青戸病院事件判決をお示しになられたのですから、「一部バイアスがある」という程度の趣旨ではないと思われます。また、

>>青戸の事件なんですが・・・。/すると、そういうわけだから、あの医師たちは無罪だということなのでしょうか。
>責任のとり方について刑事以外は一切無視するという前提なら/その通りということになります。

というコメントからも、いのげ先生は「あの医師たちは無罪である」とお考えになっておられると推測できます。従って、いのげ先生は青戸病院事件判決について「判決要旨の一部に疑問を持つ」というような程度の評価をなさっておられるのではなく、「判決理由の根幹部分」と「有罪の結論」の両方に異論があり、同判決を「別問題をリンケージしたバイアスまみれの判決」であると主張なさっておられるのではないですか。このようなご発言が「青戸の件の擁護」でないとすると一体どういう意図のご発言なのか、ちょっと私にはわかりません。

>申し訳ありませんが、これは全くの事実誤認です。
 ご教示いただきありがとうございます。昭和30年に出した旧厚生省通達を未だに墨守し、「いかに労働条件を悪化させようと、無条件に患者を受け入れよ」と応召義務を過剰に遵守するよう医師に強いているのは、厚労省医政局ではなく財務省と経団連なのですか。勉強になりました。

 なお、「技官が事務官よりも相当低い地位にある」とのことですが、私には本省の局長ポストを独占し続けている医系技官が「相当低い地位にある」とはとても思えません。また、第164回国会議事録(平成18年6月12日参議院行政監視委員会)には、川崎二郎厚労相の発言として「厚生労働省という役所は随分技官のトップクラスが多い役所だなと。そういう意味では、他省に比べまして、運輸省と比較するとしかられるかもしれませんけど、他省に比べたら技官というもののポストが恵まれている役所ではなかろうかなと、こういう感じを受けております」というものがあり、また大塚耕平参院議員の発言に「それから、技官が比較的優遇されているとおっしゃいましたが、それはそうだと思います。でも、それは逆に悪い部分もあって、事務次官とお話をしたときでも、専門的な話はそれは医政局長のマターなので私どもは口を挟めないなんというふうに言われたことも私もあります」といったものがあることから、厚労省の医系技官というものは「相当低い地位」にあるとはいえず、また「医療行政」という枠内においてはそれなりに「世の中を左右している」と推測して差し支えないのではないかと思われます。

>an_accused 様

私の拙い質問に詳細に答えていただき誠にありがとうございました。
ひじょうにわかりやすい解説ありがとうございます。
ただ、一点解釈しづらいところがありましたので、先生のお時間のあるときで(もしくは他の先生方でも構いませんが)お教えいただければ幸いです。

>医師法19条1項が定める「応召義務」は、我が国の通説的見解によれば、
>お医者様の国に対する公法上の義務であって、国民(患者)に対するもの
>ではないと解されています(野田寛「医事法上巻」111頁ほか)。
>お医者様が応召義務に違反してもその違反行為が反復されない限り行政
>処分の対象にもなりません。
>医師法19条1項は直接患者との関係を律する規定ではないため、診療を拒
>んだからといって直ちに民法上の不法行為を構成するものではありません。
>しかし、同規定が患者保護の側面も有することから、診療拒否によって患者
>に損害が生じればお医者様に過失があるとの一応の推定をし、反証のない
>限り、お医者様の民事責任を認めてよいとするのが有力であり、いくつかあ
>る下級審判決も概ねこの考えを採用しているようです。

応召義務が、国に対しての義務であり、国民に対しての直接の関係を律する規定ではないということは初めてお聞きしました。ここで理解が難しいのは、国に対しての義務とは国民に対しての義務と、結果的には実質的に同じではないのかということです。

国民が、応召義務違反によって損害を受けなければ、応召義務違反そのものが不法行為とならないことは私にも理解できます。ただ、医療とは予測がつくものではありません。軽微な症状で診療を求めてきた患者さんが、その後重篤な病状に急激に進展していくことも多く経験します。その場合、初期の診療の機会を奪われて重篤な後遺症が残ったなどの損害の賠償を求めて、患者さんが医師を相手に民事訴訟を起こすこともあるでしょう。その民事訴訟で敗訴する確率が高いのであれば、医師は「応召義務という倫理上のルールを破った」ということにより「診療の初期の機会を奪った」ということに結果的につながり、損害の補償をさせられることになるのではないでしょうか。医療現場ではその可能性を危惧して、診療の求めに対してすべて応じているのですが。

医師が国民である患者さんの診療を、自分の労働条件や体力を理由に断るとした場合、患者さんがその後重篤な病気になったり、後遺症を負う疾患の初期状態だったことが後に判明したりすることは非常にありえる話だと思います。もし、そういうことが起き、患者さんが医師を相手に民事訴訟を起こした場合、診療して症状がみつからなかったのならまだ反証をだせるでしょうが、電話対応などで断った場合、診療もしないで断ったということは裁判官の心証も著しく悪くすると思いますがどうでしょう。

『診療を拒んだからといって直ちに民法上の不法行為を構成するものではありません。』とありますが、それは当然と考えますが、『直ちに』ではなくても、患者さんに不利益がおきたら不法行為に変りませんでしょうか。医療は予測できないのです。医師はそういう事例を嫌というほど経験しています。

応召義務違反はあくまで患者さんとの個別の関係を規定するものではないため、もし初療を拒んだことで患者さんに不利益が起こったと考えられる場合も、患者側の弁護士さんが訴訟の理由を構成する事項として応召義務違反を掲げることは全くないと考えていいのでしょうか。私には「本当に大丈夫なのかな」と、不安ですがどうでしょう。

民事訴訟でも、訴訟で負けた場合(勝った場合でもそうですが)、診療ができなくなったり、社会的に抹殺されたり、マスコミにいたぶられたりと失うものが多すぎます。そのため、患者さんを診療せざるを得ないと思っているのです。

>事実上過労死せざるを得ないほど過酷な労働条件に置かれているお医者
>様は数多くいらっしゃるとは思いますが、以上申し上げましたとおり、少なく
>とも裁判所は「いかに労働条件を悪化させようと、無条件に患者を受け入
>れよ」などと命じてはおりません。

とありますが、実質命じているのと同じではないのかと私などは思ってしまうのですが、いかがですか。

実際、先生が挙げておられた例で言えば、

>「サラリーマンが勤務終了後救急外来を利用して風邪の診察をするよう求
>めてくる」といった事例については、追い返していただいても直ちに「応召
>義務違反」にはならないようですし、勤務時間終了後まで通常の勤務時間
>帯と同程度の診療義務を負わせられているとはいえないように思われます。

とありますが本当ですか。もしそのサラリーマンが「ちょっとした熱と頭痛がしますが風邪と思うんです」と言って病院に来、病院の事務当直が「時間外ですけど風だという人が来ているので診療してください」と病院の当直医に院内PHSで連絡したとします。当直医はPHSを使って「風邪だったら明日来てください。私は院内の見回りしかしないことになっています」と答えて診療を拒否したとします。

その患者さんがウイルス性の脳炎の初期であったらどうでしょう。早ければ早く治療するほど予後が良好な疾患です。脳炎が進行したら、記憶障害など脳の高次機能に障害が残り、社会的な機能が失われる場合も多い疾患です。

そのような可能性も考えると断ることはおそろしくてできません。実質「患者さんに何かあった場合民事訴訟で負けないとも限らない」のであれば民事訴訟の判決が医師を時間外診療を強制していることになるのではないかと考えるのですがいかがでしょうか。

これはan_accusedさんへのレスというより、an_accusedさんのコメントを受けてのコメントということになると思いますが、、、

>よく「先進国で医師が医療事故で刑事訴追されるのは日本だけ」などと言われ、

実は第三者機関の関連で裁判外紛争処理制度のあるドイツの医療過誤に関する文章をいくつか読んでいたのですが、一言で言って、ドイツのそれは(医療者側にとって)決して甘いものではないようですね。また、少なくともドイツでは医療事故で刑事訴追されないと言うことは無いようです。

http://www.sj-ri.co.jp/issue/quarterly/q21_2.html

『刑事事件としての告訴
医療過誤事件については、患者が民事賠償請求に留まらず、医師を刑事告訴し、傷害事件として捜査が行われる事例も決して希ではない。
医療過誤に関連する刑事告訴は、毎年2,500件近くなされている。そのうち90%は公訴保留となるが、1%は立件され公訴されている。』

1%ですから極めて抑制的に処理されていると言うことが出来ると思いますが、一方