昨日のエントリ「このブログは掲示板か!?」で「この問題に関連して思うところがありますが、それはまた別エントリで。」と書いたのは、このことなのです。
より正確には、「ハンドルネームで語る人またはその発言の信頼性」ということになるかと思います。
人は、リアルの社会で他人と話すときには、相手または相手の話がどの程度信頼できるのかを判断するにあたって、ただ単に相手の口から出てくる言葉だけを基準にしているわけではありません。
相手に関する全ての情報を総動員して判断しています。
相手がどんな人か、職業は、年齢は、性別は、性格は、これまでどの程度の付き合いがあるか、相手の過去の発言はどのようなものか、発言するときの顔色は、態度は、口ぶりは、目つきは等々です。
つまり、相手の人格を推し量りつつその話を聞いていると言えます。
ところがネット上の発言(このブログのコメント欄の発言もそうです)では、基本的には書かれた文字しか判断資料がありません。
特に、ハンドルネームもなしの純粋匿名投稿の場合は、文字通り投稿された文字しか情報がありません。
ネットを情報流通の場として捉え、そしてその情報の信頼性の判断は100%情報の受け手の責任であると考えるならば、そのような発言のあり方もありだとは思うのですが、私は、少なくともこのブログにおいては、情報の信頼性はできるだけ高いほうがいいと考えていますし、単なる情報紹介の場ではなく、コミュニケーションの場でもありたいと考えています。
コミュニケーションと捉える場合には、投稿の情報内容だけではなく、その背後にある人格または人間というものを考えざるを得ません。
その観点でみますと、発言については信頼性と真摯性を望みたいと思うのです。
ここで「信頼性」とは、信頼性を判断する材料は多いほどいいという意味です。
その意味で、私は最近コメント投稿にあたりまして、ハンドルネームの記入を要求する設定にいたしました。
いわゆるコテハン(固定ハンドルネーム)での投稿が望ましいと考えたわけです。
コテハン投稿ならば、その投稿者の過去の投稿内容を容易に知り得るわけで、それによって、その投稿者の考え方が自ずと明らかになり、その情報は、個々のコメントの解釈における誤解を最小限度にし、全体としてのその投稿者に対する信頼性を高めることになるだろうと思ったからです。
その反作用としておふざけ投稿を減少させる効果も期待しているところです。
また「真摯性」というのは、「くそまじめ」という意味ではなく、人付き合いにおける最低限度の誠実さというほどの意味です。
信頼性の判断と真摯性を突き詰めていきますと、実名投稿であるべきだ、という意見が出てくるかもしれませんが、私はそこまで要求する必要もないし、実名を要求しても、不当な違法な発言を抑止する効果はあるかもしれませんが、発言の信用性の積極的な評価にあたっては役に立たない場合のほうが多いだろうと思います。
例えば、私のブログにどこかの「鈴木一郎」(イチロー(鈴木一朗 )選手ではないです)さんが実名で投稿されたとしても、それだけでは実名であるかどうかの判断もできませんし、仮に実名であったとしても私を含めてそれがどこの鈴木一郎さんでどんな人なのか皆目わからないのでは、ハンドルネームと大差ありません。
リアルで、いきなり初対面の人に話しかけられて、すぐにその人が信用できるか判断しろと言われても無理というものです。
ですから私は、投稿者の個人情報を知りたいとは思いませんが、その投稿者がどのような考え方をしている人なのかについてはとても関心があります。
具体的にいいますと、その人の過去の発言がわかれば、その全体的な文脈において、個々のコメントの内容となぜそのようなコメントがなされたのかについて、より深い理解が可能となり、より深い理解はより強い信頼感に繋がるのではないかと思うのです。
そのような観点で、コメンテイターの方々を見てみたのですが、一つの分類基準があることに気付きました。
それは、自分でブログ(他の形式のサイトを含む)を持っている人と持っていない人の区分です。
実名で運営されている人もいますが、ハンドルネームで運営されている人もいます。
しかし、実名であるか否かにかかわらず、そのブログを見れば、その人の「人となり」が相当程度わかります。
また、別エントリで医師資格詐称の問題が生じていましたが、これも投稿者がブログで継続的な発言をしていたならば、そのブログを見れば、実名でなかったとしても、投稿者が医師であるか否かはほぼ誰の目にも明らかになった可能性が高いと思われます。
つまりブログは、ネット社会における実質的な身分証明書のような機能を果たしうるのではなかろうかと思うのです。
私が、「一緒にブログを作りませんか。」と呼びかけたのも、その中で独自ドメインを推奨したのも、このエントリで述べたような認識があったからです。
ところで、誤解のないように強調しておきますが、
ブログを持っていない人の発言は信用できない、という意味ではありませんし
ブログを持っている人の発言は信用できる、という意味でもありません。
ブログを持っていれば、その内容如何(さらにはその継続期間如何)によっては、発言者自身及びその発言内容をより深く理解することが可能であり、それはより強い信頼感に繋がるかもしれない、というにとどまります。
2004年9月にこんな記事を書いています。
インターネットで発信者の信用をどう確保するか?
http://youzo.cocolog-nifty.com/data/2004/09/post_2.html
続・インターネットで発信者の信用をどう確保するか?
http://youzo.cocolog-nifty.com/data/2004/09/post_25.html
しばしば「匿名の記事は信用できない」と簡単に書かれますが、これは私が1987年にパソコン通信を始めたときから言われていたことです。
NIFTY-Serveのフォーラムでは実名登録制を強制したところもありますが、わたしの知人で「神(じん)」さんという方が「入会を拒否された」と笑っていました。
また、有名作家などが来ると「ペンネームではダメか」といった議論もしばしばありました。
考えてみると、匿名とはその人を追跡できないことを意味して、固定ハンドル(ペンネーム)が複数の発言を追跡可能である、事の対比でしょう。
つまり「追跡可能か」がキーポイントであると思っています。
一方、ネット上だけでなくビジネスの世界でも「無名の人がいきなり信用されるわけがない」のでして、ある発言=発言する人の信用はその発言者が作るしかないでしょう。
どんなによく知っている人の紹介でも、紹介先を100%信用したら危ないです。
信用を他人が保証することは出来ない。
こんな風に考えています。
そういう面では、自分は一時ニュースソースのあやふやなのを記載してしまい、いくらかの方から、突っ込み、批判を浴びたことを恥じ、更に勉強してかくようになりました。
また一人の人間から複数のハンドルネームを使って絨毯爆撃的に批評を受けたこともありました。しかし、大概のBLOGWRITERの方はそうでしょうが、このBLOGに沢山の書き込みがあることから、考え方の違いと、視点による見方の両面性・多角性を感じているのが相当だと思います。
まあ、文中に職業が書いてあるだけでもかなり、そのひとの姿勢が分かるということはありますし、これは管理人さんのご判断にもよりますが、ローカルルールにしてもいいでしょうね。
>私は、少なくともこのブログにおいては、情報の信頼性はできるだけ高いほうがいいと考えていますし、単なる情報紹介の場ではなく、コミュニケーションの場でもありたいと考えています。
良質な情報の紹介、建設的なコミュニケーションが保たれる場であれば宜しいですね。
> コミュニケーションと捉える場合には、投稿の情報内容だけではなく、その背後にある人格または人間というものを考えざるを得ません。
御意にござります。
ですから私は、「産科医」をハンドルネームとして参加しましたが、途中、同じお名前の投稿がありましたので、「産科医−1」と変更する旨お伝えさせて頂きました。また、メールアドレスには、ダミーで結構ですとは書かれていましたが、このご趣旨にそって、私のアドレスを初投稿の時から、その度に記入しております。
この記載の真偽は、管理人さんがお調べ下されば、すぐに判る事かと思います。
それにしても、自分と意見がひどく違った者が居たとして、だからといって、「お前は医者じゃないだろ!」はないですね。こんな思考様式を捨てない限り、なかなか、幅広いコミュニケーションは難しいですね。
夜と霧の著者であるE.フランクルは,当初,被収容者番号119104として,強制収容所体験を公表するつもりだった,だが,匿名で公表されたものは価値が劣る,名乗る勇気は認識の価値を高めると自分に言い聞かせ,自分をさらけ出す恥を乗り越え,勇気をふるって告白したと序文で述べています。
匿名性と信用性の関連について,様々な意見があって然るべきですが,現在の私は,フランクルの如き勇気はありません。
未だ2000年ほど過去に居住する,飼い犬の手を噛む番犬
管理人です。
産科医−1 さんについてですが、
管理人において、産婦人科医師であることを確認しましたので、ご報告いたします。
>>産科医−1さん
まことに失礼いたしました。
>>管理人さん
ブログが私のせいで荒れてしまったことと、いらぬ手間をおかけしてしまったことについて申し訳ありませんでした。
ニフティーサーブのパソコン通信時代から議論し尽くされている気がします。
匿名だろうが実名だろうがコメントの内容で判断すればいいと思います。
それが非対面の文字だけのコミュニケーションでの経験則だからです(ペンパルとかもそう)。
実名だからといって、○○士だからといって、中身のない間違いだらけのブログもあります。
匿名でも思わず膝を打って打撲するwくらい素晴らしいコメントと推測されるお人柄に遭遇したこともあります。
実名にこだわる方へのジョークとしては、「キミは嫁さんと結婚前に匿名で交際していたのか?」というのがあります。
匿名にこだわる方へのギャグとしては、「キミは嫁さんと匿名で結婚したのか?」というのがあります。
形式よりも中身という実質主義で発車オーライではないかと。
匿名が前提のネットでなりすまし問題を云々するほど空しいものはないと思うわけですが(苦笑)古のパソコン通信時代と比べるとオープンになっている分成りすましやら煽り荒らしやらいちいち非難排除して廻るのも現実無理ですし、議論向けのスレでこの手の話題はもう終わりにしませんか。
成りすましについては鑑定人選任問題と同じことなのかなと思っています。実生活においても肩書きや出身大学に関わりなく使えるか使えないかはつき合っていれば判ってくるものです。ネット上においてもレスのやりとりを通じて自ずと話の出来る相手、出来ない相手は判ってくるものですし、実際医療者サイドに限らず一部の方々は既にそれなりの扱いを受けているのではないでしょうか?
一般論として成りすましだろうが煽りだろうが傾聴に値するレスを発するならば名前だけの本物よりも(少なくともネット上では)はるかに有益な存在と思いますし、その逆もまた同じことなんじゃないかと考えています。と言いますかまあ、スルーというのは初歩的なネットマナーかと思っておりましたが…