エントリ

 先にも触れましたが、植草氏の痴漢事件について、でっちあげまたはその可能性を示唆する意見があります。
 平野貞夫氏は「植草問題について」においてこのように言っています。

植草一秀氏が、電車内で女子高生に痴漢行為を行い、蒲田署は「都迷惑条例違反」の現行犯で逮捕したとの知らせを受け驚いている。しかし、私はあり得ないことだと、植草氏を信じている。

          (中略)

今回も誤解を与える状況があったことを種にデッチアゲ事件の可能性がある。

 前回においては植草氏の犯行を現認し逮捕したのが警察官でありましたから、警察官が「事件をでっち上げた」と言われるのも仕事のうちですから、その意味で目くじらを立てるつもりはなかったのですが、今回植草氏を取り押さえて警察に突き出したのは、乗り合わせていた男性乗客2名です。

 この事件が「でっち上げ」であるならば、最初に被害を受けたとして泣き出した女子高生と取り押さえた乗客2名が「でっち上げ」の実行者ということになります。

 つまり、この事件を「でっち上げ」と言うときは、この乗客2名は捕まる理由のない植草氏を捕まえたわけですから、逮捕罪または暴行罪になる可能性があることを意味することになります。

 また被害にあった女子高生は強制わいせつ罪として告訴状を提出しているかもしれませんが、その場合は女子高生に虚偽告訴罪が成立すると言っている事になります。

 犯罪の成否にかかわらず、女子高生と乗客2名は無実の罪の植草氏を陥れようとした卑劣な人間として強い非難に値する事になってしまいます。
 
 現在はまだ、被害者の女子高生も男性乗客もどこの誰だかという報道はありませんが、本件が公判請求された場合は、いずれ明らかになります。
 植草氏が事実を認めない場合は、女子高生や男性乗客に対する証人尋問が行われることは不可避です。

 でっち上げ論者の人は、でっち上げの主張が女子高生や男性乗客を強く非難する結果になること、その結果として重大な不利益を受けかねないことを認識されているのでしょうか。

 推定無罪のもとに植草氏を犯罪者呼ばわりすることを批判しながら、同時に女子高生らを、具体的な根拠もなくして、「犯罪者または卑劣な人間」または百歩譲っても「他人(植草氏)の人生を台無しにしようとしている軽率な人間」と言っていることにお気づきなのでしょうか?


 なお、平野氏の主張を俎上に載せましたのは、たまたま目に付いたこと、立派な経歴をお持ちであること、発言の場が大手出版社のサイトで影響力が大きいと考えたことなどからです。

追記
 本エントリの関連エントリである植草痴漢事件続報に、植草問題に関する一つの意見(追記あり)で追記リンクした文藝評論家=山崎行太郎氏のブログからトラックバックをいただいた。

 はてなダイアリーはリンク元が表示されるのでそのお返しのトラックバックだったかもしれない。
 そのエントリには、国際評論家小野寺光一氏のメルマガが引用されていた。
 山崎氏のブログも小野寺氏のメルマガも突っ込みどころ満載といった趣だが、はてなダイアリーに特徴的な自動キーワードリンクで「小野寺光一」のリンクをたどったところ、表示されたのがこのページであった。
 私はこのページ以外の情報を知らないので、これ以上はコメントしません。

 ちなみに、傘の柄を手首にかけた状態でスカートの中のお尻を触れるかどうかについては、妻帯者の方であれば、奥さんを相手に確かめてみられてはいかがでしょうか。
 私はまだ確かめていませんが、一度やってみたいと思いますが、私の妻はミニスカートを持っていないかもしれません。

 しかし、最近(でもないか)の女子高生の制服のスカートというのはどうしてあんなに短いのでしょう。
 本件の被害者のスカートの長さについてはよくわかりませんが。

追記その2
 はてブのユーザコメントに

>ヤメ検氏の議論は自分のオマンマのことを考えて検察を弁護している可能性があるので検察よりにバイアスがかかった意見と考えた方が良いだろう。

というのがありました。
 バイアスかかりまくりのでっち上げ論への批判ですから反対バイアスがかかっていると見られるのはやむを得ませんが、検察庁は辞めた人間に給料を払ってくれません。
 刑事弁護士が依頼人の弁護をしないで検察の弁護を始めたら、それこそオマンマの食い上げです(^^;

追記その3
 最近、はてブ経由のアクセスがとても多いです。
 というわけで、はてブのユーザコメントがちょっと無視できないので、ひとこと(^^;

>「刑事弁護士が国策捜査を喰らったら、それこそオマンマの食い上げです」とも言える。安田弁護士もやられた。西村眞悟弁護士は…。いずれにしても、末尾の捨て台詞は問題。僕は矢部氏のファンだが、驕りが出てきたか

 まず、国策捜査という言葉についてですが、これは佐藤優氏を取り調べた特捜検事が使った言葉だとされていますが、特捜事件は、特捜部が意図するしないにかかわらず社会的影響が大きいですから、私としては、その言葉自体に特別な意味を見いだしていません。

 問題は、検察が起訴に値する事件を起訴しているかどうか、起訴すべきでない事件を起訴していないかどうかです。
 その観点でいうと、証拠関係の詳細を知らないので推測混じりですが、
 西村弁護士が(私の同期で修習生時代はタバコのやりとりをした仲ですが)起訴されたのはやむを得ないと考えています。
 しかし、安田弁護士の起訴は、あれは無理筋で起訴すべきではなかった事件だと思っています。

 事件というのは、つまるところ証拠に基づくケースバイケースの判断なのでありまして、「国策捜査」とか「国策逮捕」などとレッテルを貼り付けるだけの批判は、単なるプロパガンダのように思います。
 佐藤氏が言うように取調検事が国策捜査云々したというなら、その検事は馬鹿だと思います。
 私から言わせれば、揚げ足を取られるのがミエミエの与太話で、それこそおれは特捜検事だという「驕り」が感じられます。

 なお、 私は、私の知っている検察を理解してもらいたいと思っていますが、刑事弁護士が被疑者・被告人を弁護するという意味での弁護をするつもりはありません。

>驕りが出てきたか

 どの辺りでしょうか?
 自戒する必要がありますので、ご指摘いただけるとありがたいです。

追記その4(管理人からのお願い)
 現在このブログでは医療過誤事件や医療崩壊問題に関する議論が熱心に行われています。
 植草氏の問題も興味深いものであるかもしれませんが、医療の問題は国民全体の問題であると思われますので、是非関心をお持ちいただきたいと思います。(医療関係特集

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<元検弁護士のつぶやき●植草事件でっちあげ論について> http://www.yabelab.net/blog/2006/09/18-093226.ph... 続きを読む

先日 「 元検弁護士のつぶやき 植草事件でっちあげ論について 」 というエントリーをはてなブックマークに追加しましたが、その際に僕がつけたコメントに対し、... 続きを読む

AAA植草一秀氏を応援するブログAAA. - 保釈決定されないと良いのですが。 (2006年10月 8日 00:59)

植草氏の保釈が決定したとのニュースが昨夜出ていました。 しかし東京地検が取り消しを求めて準抗告したと事も同時に出ていました。 今日決まるのでしょう... 続きを読む

コメント(40)

仮にでっちあげだった場合でも、でっちあげたのは女子高生のみの可能性が大きいように感じます。彼女が泣いて植草氏にやられたと言ったので取り押さえたなら、でっちあげで一人の人生を台無しにしようとした卑劣な輩の仲間にはならないのではないかなと。

この件については植草氏の友人でもあるぐっちーさんが
なかなか冷静なコメントも出しています
前回今回の事件前後にも本人に実際お会いしているそうなので
情報としては正確に近いとおもいます

http://blog.goo.ne.jp/kitanotakeshi55/e/aaa15a929a24110eb2d884ccfca42c18
http://blog.goo.ne.jp/kitanotakeshi55/e/a5aad3807e3bbbcbb4695d98bc16e577

金融・相場については必見ブログの一つです

>なむこ さん

 で、でっちあげたのは女子高生のみの可能性が大きいのであれば、根拠もなくでっち上げを主張して女子高生のみを非難する結果になってもいい、とお考えではないですよね?

別に連中を弁護する気はありませんが(植草さんファンブログとはケンカした過去があるし)、モトケン先生の書き方では、私人による現行犯逮捕が誤認逮捕だった場合、逮捕した私人は強く非難されるべきだ、という意味にとれるのが気になります。
私人による現行犯逮捕に誤認逮捕の可能性は少なからずありますが、だからといって、誤認逮捕を恐れて助けを求める人に手を貸す人がいなくなることは望ましい結果ではないでしょう。

ワタシ的には、連中は「でっちあげ」の主体は警察のみと考えていると解釈して、生暖かく見守ることにしています。
誰か「警察発表は全部ウソ。被害にあった女子高校生なんか存在しない」くらいのこと、言わないかなー。

>白片吟K氏 さん

 白片吟K氏 の危惧はよく理解できます。
 しかし誤認逮捕はいわば過失ですが、「でっちあげ」と言いますと、故意に虚偽の犯罪を作り上げるという意味になると思います。

 本件において「でっちあげ」という状況は具体的にはどういう状況かと想像しますと、女子高生について言えば、「触られてもいないのに触られたと騒いだ」とか、取り押さえた乗客について言えば、「女子高生が触れれてもいないのに触られたと騒いでいることを知っていながら、女子高生と一緒になって植草氏を痴漢犯人に仕立て上げるために取り押さえた」とか、警察について言えば、乗客と同じように、女子高生が痴漢被害にあっていないことが分かっていながら、「こいつは例のミラーマンじゃないか。やってないみたいだけどやったことにして検挙してしまえば上から褒められるぞ、と思って留置した」というような場合が想像できます。
 
 想像できますが、その根拠は何もありません。

 私も「誤解を与える状況に基づく誤認逮捕の可能性がある」というような意見でしたら噛み付きませんでしたけどね。

 「デッチアゲ事件の可能性がある。」と言われるとちょっと黙っていられません。

>いのげ さん

 このご友人は弁護士ではないのに逮捕中の植草氏と面会できているんですね。

 でっち上げでなくても微妙な事件の場合は、警察は弁護士にも会わせたがりませんし、まして一般人ならなんのかんのと理由をつけて会わせない場合が多いのですが、面会できているということは、かなりのほほんとした雰囲気が感じられます、警察にですが。

 この点からも、でっち上げというのは、かなり非現実的な主張に思えます。

 ところで、報道によれば植草氏は「警察のでっち上げ」だと言っているようですね。
 報道ですからあてにはなりませんが。
 「女子高生のでっち上げ」だと言うのであればまだ理解が可能ですが、警察のと言われると、無理がありすぎという感じです。

>「デッチアゲ事件の可能性がある。」と言われるとちょっと黙っていられません。

と、モトケンさんはおっしゃっていますが、でっちあげの可能性に言及することと女子高生や男性乗客を非難することは全く別のことではないですか?
女子高生や男性乗客が非難されるとすれば、今回の事件がでっちあげだと判明した後であって、でっちあげであるかどうか分からない現状では非難されることはありませんし、もし非難されたとすればそれは筋違いというものでしょう。

>windさん

 でっち上げに言及するということは、言及した人が、言及した限度で、女子高生らを非難することになる、という意味で書きました。

 つまり、平野氏らは、でっち上げの可能性を示して植草氏を擁護しているが、そのような擁護の仕方はその反面として女子高生らを非難する事になるということを分かっているのだろうか、というのがこのエントリーで言いたいことです。

 そして、言及した人だけでなく、その言説を信じた人も、同じく信じた限度で女子高生らを非難する可能性があります。

 平野氏らがでっち上げに言及したとしても、私は女子高生らを非難しませんし、多くの方もそうだろうと思いますが、女子高生らの周囲の人が女子高生らが渦中の人物であると知った場合に、でっち上げの可能性を少しでも信じるならば、女子高生らがどういう目で見られるかは想像に難くないと思います。

 非難されるのは、事が判明した後であるとは限りません。
 植草氏がそうであるようにです。
 疑いがあれば、非難されます。
 平野氏は、そのことを問題視しているのではないでしょうか。
 同じことは女子高生らにも言えます。

> で、でっちあげたのは女子高生のみの可能性が大きいのであれば、根拠もなくでっち
> 上げを主張して女子高生のみを非難する結果になってもいい、とお考えではないですよ
> ね?

そんなにかみつかないでください。
あなた自信が根拠なくでっちあげているのではないか、と、そういう話です。

>なむこ さん

 私が何をでっち上げたと仰りたいのでしょう?

こんにちは。

植草教授が起訴されるかされないか?
されたら証人尋問が....と仰られましたが、最後の最後に嫌疑不十分で不起訴でも、十分植草教授にダメージを与えることが可能だと思います。
本を出版する予定だったみたいなので。
謀略論だと仮定した話ですけど。

まったく違う話ですが、女子高生のスカートは学校では五月蝿いので、ウエストで巻き上げて短くしていますね。それが彼女たちのスタイル(感性なので理解しようとするのは野暮)なのでしょう。

 本文に「追記その3」を加筆しました

この事案は、裁判員制度の格好の勉強材料になるのでは。
痴漢裁判は、冤罪もあると聞きますが、具体的に決め手になるのは、被害者の証人尋問の証言の真否性なのでしょうか。
でも、横山ノックさんの時もありましたが、今回の事件がでっち上げである可能性は少ないのではと思いました。
警察の点数稼ぎのでっち上げ、そんなこと本当にあるのでしょうか。
モトケンさんの意見がききたいです。

>けい さん

 でっち上げの定義にもよりますが、警察が点数稼ぎのために事件を作るということはあります。
 しかし、それは拳銃の押収件数を稼ぐために暴力団員と示し合わせて被疑者が特定困難な状況で拳銃を発見したように装うというような場合で、無実の人間が起訴されるような意図的または計画的なでっち上げは、絶無とは言い切れませんが、あまり現実的な話ではないと思っています。

 事件をでっち上げて起訴に持ち込みそれを有罪にするということはそんなに簡単なことではないのです。
 そしてそれを最後まで隠蔽し切るというのはもっと難しいことだと思います。
 捜査には大勢の警察官が関与し、公判では被告人は当然争うわけですから、さまざまな人が証人として公開法廷で証言することになります。

 それらの関係者の中には、でっち上げに直接関与した者が複数いるはずですし、直接関与しないまでも不自然な事実に気付いた人が何人もいるはずです。
 このような人たちの口を全て封じ込んで有罪に持ち込むというのは、至難の業だと思います。
 また物証も捏造するとなると相当な技術と手間ひまがかかるはずです。

 意見を聞きたいということですので、植草氏の事件についてあえて言えば、意図的なでっち上げ可能性は極めて低いと思っています。

 東京都迷惑防止条例違反では、たとえ常習性を認定されたとしても「一年以下の懲役又は百万円以下の罰金」程度の罪です。
 前刑が罰金ですから今回は執行猶予がつく可能性もあります。

 はっきり言って軽罪です(比較の問題ですが)。

 罪の重さの問題ではない、植草氏に対する社会的評価の問題だ、という意見があるかもしれませんが、植草氏の社会的評価は前回の事件によって既に地に落ちています。
 敢えて手間ひまをかけて大きなリスクを冒して、わざわざ条例違反の罪をでっち上げるような「権力側の人間」がいるとは到底思えないのです。
 馬鹿正直に言わせていただければ、荒唐無稽な話です。

 真犯人説もでっち上げ説も、現段階ではどっちも確たる根拠がないという意味では同じだという意見がありますが、嫌疑または蓋然性の程度の問題として言えば、でっち上げ説は極めて低いと言わざるを得ません。

 誤解のないように申し添えますが、多分誤解している人が多いと思いますが、私はこのコメントで、警察によるでっち上げの可能性について意見を述べたのであり、植草氏の冤罪の可能性について意見を言ったのではありません。

でっち上げでなくても、冤罪の可能性は残るということでしょうか。
取り押さえた人二人は、現場を見ていたわけではなさそうだし、ポイントは被害者の証言ということになるのでしょうか。
でも、二人も犯行後の植草氏をみているわけだし。
裁判員としてみれば、どこがポイントなのですか。

はじめまして。時々拝見して参考にさせていただいております。
植草氏の事件のことは私にはよくわからないので、そのこととは別にしてお尋ねしたいのですが、たとえば、ある事件で目撃者とされた人の証言に矛盾なり、疑問なりを感じた場合、そのことをネットなどで指摘したら、その目撃者を誹謗中傷したことになってしまうのでしょうか?

>トミノ さん

 指摘の仕方によるのではないでしょうか。

>けい さん

 既に述べていますが、私はでっち上げというのは意図的な事実の捏造だと理解しています。
 それに対して冤罪というは誤判のことで、その原因は意図的な事実の捏造以外にも考えられます。

>裁判員としてみれば、どこがポイントなのですか。

 これは具体的な供述内容を検討してみないと答えられません。
 仮定の話はできますが、問題点は多岐にわたります。

初訪問です。最初からとても興味深く読み通しました。第一印象は、
この開設者であるモトケンさんが、真摯に対応している(ようだ)と
いうことです。近ごろは「悪徳」と枕詞がつく法曹関係者が出没し、
だれをどう信用していいのか、第三者にはなかなか分かりません。
でもこのように公開の場で、質疑応答を聞かせていただくと、とて
も参考になります。
今回の事案では、私はのぞき・さわりは「100&」しない人間、し
かし「犯人」と騒がれたら対抗手段を持たない人間、なので、電車
などでは満員すし詰め車両へは乗らない、女性付近へは行かない
(私は♂)、を可能な限り実行しています。♀専用車を出すなら、♂
専用車が欲しい一人です。
言わずもがな、もありました。議論をさらに拝聴します。

御説拝見致しました。実に説得力のある見事なものです。
さて、植草容疑者を盲目的に擁護し続ける無垢な一般人を装った、
植草擁護最前線ブログ"AAA植草一秀氏を応援するブログAAA"の管理人として
"ゆうたま"を名乗る中年女性らしき人物が、自説強化目的で極論を別サイトから
大量盗用、植草非冤罪意見の方達のコメントの大量無差別削除、複数の名前で
のコメントでのコメント欄の撹乱を行った形跡、他、情報操作、言論弾圧、等の悪
行を行っている事が発覚しました。
ブログ・タイトルがSEO対策されている等、元々不自然な点が多かったのですが、
更に不自然な植草支持を展開する上で、遂に「犯罪行為」にまで及びました。
小さな事件といえば、小さな事件ですが、これ程明確に情報操作が発覚した炎上
の例としては、近頃はレア・ケースだと思います。
植草擁護最前線ブログが、こうです!植草本人を我々一般人の誰が信じますか?

そんなしょぽいもん、言論弾圧なんて言わねーよ、くだらない。
個人のブログで何しようと勝手じゃん。

追記その3にある 「 ちょっと無視できない はてブのユーザコメント 」 を書いた者です。自分で読み返してみても、不特定多数の人の目に触れる文として、僕のコメントが余りに配慮を欠いた物であることは、否定のしようがありません。真に勝手ながら、当該コメント文を削除すると共に、矢部氏には、心から、謝罪の言葉を申し上げたいと思います。 (ただし、削除したコメント文の記録は、僕のブログのエントリーに記録しておくつもりです。)

一応、弁明と言いますか “ いい訳文 ” も書きました。より、お気を悪くされることになるかも分かりませんが、気が向きましたら、一度ご覧下さい。
http://igelblog.blog15.fc2.com/blog-entry-390.html

モトケンさま
初投稿です。医療関係の記事を愛読しており、いつもレベルの高い議論を拝見できるのも、モトケンさまの冷静で議論を尊ぶお人柄と目配りのおかげだと感謝しております。しかしこの話題でのモトケンさまは別人のようで、少々面食らっています。上のご意見を拝見して、それはそれとして納得できる部分もありますが、やや一方的な印象も否めません。

今回の事件で明らかに「でっち上げ」を示唆するような事実が公表されていない段階で「でっち上げ」を主張することは、同時に女子高生の罪を主張することになり女子高生を不当に苦しめるとのお考えだと理解しましたが、どんな場合でも勝手なことを言う人はいるわけですし、そもそも他人の罪を主張して警察に突き出したわけですから、そのことによって生ずるリスクは当然負うべきなのではないでしょうか。

モトケンさまは植草氏の有罪を確信しているように見受けられますが、もし本当に「でっち上げ」または誤認だった場合、逮捕され、マスコミに氏名を公表された植草氏やご家族の不当な社会的不利益、苦しみは考慮する必要はないのですか。植草氏が初犯の場合でも同じ主張ができますか。現実に多くの痴漢冤罪事件が起こっていることに目をつぶり、「被害者」側の保護のみを主張するのは明らかな片手落ちです。

またNo.14の
> 植草氏の社会的評価は前回の事件によって既に地に落ちています。
には、罪が確定した前科者はどんな辱めでも甘んじて受けよとでも言っているような司法の傲慢を感じました。医療訴訟で司法のでたらめさをさんざん見てきた私には、司法が正しい判断ができるとは全く思えません。ましてや痴漢裁判は推定有罪の現代の魔女(男?)狩りですから、物証を軽視する現在の裁判所はオヤジ狩りを推奨しているようにさえ見えます。

よく計画された冤罪であればあるだけ、論旨の整った、迫真性のある供述を演ずることができ、証人や物証を捏造することもできます。このような犯罪を防ぐには、始めから「でっち上げ」を想定した「自称被害者」の徹底的な取調べが必要だと思いますが、モトケンさまの上のご意見を拝見すると、実際は逆のことが行われているように感じます。

同じくNo.14の
> はっきり言って軽罪です(比較の問題ですが)。
のセンスも理解できません。もし私(男性です)が痴漢冤罪を着せられたら、死をもって抗議すると断言できます。

過激な表現になって大変失礼致しました。もし誤解があるようでしたらお知らせください。また植草氏の前回の手鏡事件判決を妥当だと考えておられるようでしたら、その根拠をお示しいただけると幸いです。


>ゆめ さん

 誤解があるようですのでお返事します。

>そもそも他人の罪を主張して警察に突き出したわけですから、そのことによって生ずるリスクは当然負うべきなのではないでしょうか。

 これについてですが、あなた自身が何らかの犯罪(詐欺でも傷害でもなんでもいいです)の被害に遭い、犯人を特定して被害届なり告訴状を提出したときに、あなたは、あなた自身が(あなたが加害者として名指しした)特定の人物を陥れようとしている、という第三者からの批判を甘んじて受けるのでしょうか?
 その批判が具体的な根拠がなくなされ、しかも相当多数の読者がいるブログであなたの陥れ行為の疑惑が指摘されたとしても、あなた自身は被害届を出した以上自分自身が負担すべきリスクとして納得されるのでしょうか?
 私がそういう立場におかれたら到底納得できません。

 私は、加害者の弁護士が冤罪を主張することを非難しているのではありません。
 私が痴漢の被疑者から弁護を依頼され、依頼者が犯行を否認するなら、でっち上げによる示談金要求の可能性は視野に入れます。
 ただし、それを、つまり意図的な陥れ行為を法廷で主張するかどうかは慎重な検討を必要とします。
 被疑者の利益を考えれば、軽々しく主張できるものではありません。
 
 それに加えて、私が指摘したブログの論者のでっち上げ論は、単なる痴漢冤罪をはるかに越えた議論をしています。
 国家権力による陰謀論です。
 私が批判の対象としているのは、単なる痴漢冤罪事件を対象にしているのではなく、国家的陰謀論を内容とするでっち上げ説です。

 私には、でっち上げ論者は、植草氏を擁護しようとするあまりに、被害者の利益をまったく無視しているように見えます。
 なお、私は、「被害者」側の保護のみを主張しているわけではありません。
 痴漢冤罪の可能性は否定していません。
 私が荒唐無稽と言っているのは、国家権力陰謀論です。
 冤罪とでっち上げが違うということは繰り返し述べています。

>> 植草氏の社会的評価は前回の事件によって既に地に落ちています。

 これはその文脈で書いたものです。
 植草氏が、国家権力の陰謀の対象になるとは思われないということです。
 陰謀によって社会的に葬る必要はすでになく、葬らなければならないほどの脅威が(国家権力にとって)あるとは思われないということです。

>> はっきり言って軽罪です(比較の問題ですが)。
>のセンスも理解できません。もし私(男性です)が痴漢冤罪を着せられたら、死をもって抗議すると断言できます。
 
 これは明白な誤解でしょう。
 痴漢冤罪が軽罪だと言っているのではありません。
 迷惑防止条例違反が軽罪だと言っているのです。
 こんな軽罪をでっち上げるために国家権力が陰謀をめぐらしていると考えることが荒唐無稽だと言っているわけです。

 次に

>よく計画された冤罪であればあるだけ、論旨の整った、迫真性のある供述を演ずることができ、証人や物証を捏造することもできます。このような犯罪を防ぐには、始めから「でっち上げ」を想定した「自称被害者」の徹底的な取調べが必要だと思いますが、モトケンさまの上のご意見を拝見すると、実際は逆のことが行われているように感じます。

 この点ですが、すでに別のコメントについてですが、冤罪とでっち上げを区別して考えてほしいということを、私も他の人も指摘しています。
 でっち上げを前提にした場合、いったい誰が「始めから『でっち上げ』を想定した『自称被害者』の徹底的な取調べ」をするとお考えですか。
 繰り返しますが、私が批判しているのは、警察を含む国家陰謀論です。

 誤解のないように念のため付け加えますが、私は、国家権力による陰謀などありえない、と言っているわけではありません。
 植草氏の事件が国家権力による陰謀だとは思えないと言っているだけです。

 私は、冤罪とでっち上げを区別しています。
 そこを意識して私の意見を読んでいただけると助かります。

なんか悲惨な事件が多い中で、なんかちょっと笑えるような事件かなあとちょくちょくあのブログを見てました。

もちろん痴漢行為は犯罪ですが、こういうのって山のようにあるだろうなあ

だからもっと皆もっと警戒すべきと思いますね。
隣人や通りすがりの人などの変な人につけまわされたりしたら、危害を加えられたりしたら、、、。

犯人が捕まって裁かれても、傷ついた事実はなくなったり癒えたりしないですからね。

無実を信じれる人はそれはそれで、そういう人がいてもおかしくはないけど、しっかり真実を調査しようって意志がなく、ただ信じてるのって、、、いかがなものかな?
マスコミ批判してるだけじゃなく、それ相応のことしてるの?

誤認とでっち上げの区別や、個人への冤罪につながることが理解できず、国家の陰謀論を信じる人。
というのは、どれくらい居るのでしょう?

この手の人がかなりの割合で存在するなら、裁判員制度の失敗する確立が相当上がりますが、判決に直結です。
影響が有りすぎで単に失敗では済まされないですね。

モトケンさま

丁寧なお返事ありがとうございました。大変嬉しく拝見しました。
遅くなりましたが、返答させていただきます。

> これについてですが、あなた自身が何らかの犯罪(詐欺でも傷害でもなんでもいいです)の被害に遭い、犯人を特定して被害届なり告訴状を提出したときに、あなたは、あなた自身が(あなたが加害者として名指しした)特定の人物を陥れようとしている、という第三者からの批判を甘んじて受けるのでしょうか?

これは甘んじて受けます。到底「納得」はしませんが、大人として、この世には理不尽な発言をする人がいくらでもいることを知っているからです。ただし「犯人を特定して被害届なり告訴状を提出」する場合、自分の主張の正しさを他人を納得させられるような十分な根拠なく訴えを提出するような「愚かな」真似はしません。証拠があれば、誰になにを言われようと、気にする必要はないのではないですか。

逆にモトケンさまに伺いたいのは、もしモトケンさまが痴漢の「でっち上げ」に会って、自分は無実なのに、マスコミに氏名を公表され、テレビやブログで「根拠のない」人格攻撃をされ、職を失い、家族はいじめに会った場合、さらに推定有罪で罪を負ったとき、これらの不利益を甘んじて受けるのでしょうか?
(これらの被害を防ぐ法律家としての秘策があれば、是非教えていただきたいと思いますが)

> 私は、加害者の弁護士が冤罪を主張することを非難しているのではありません。...
> 被疑者の利益を考えれば、軽々しく主張できるものではありません。

モトケンさまの慎重な法廷戦略は納得できます。確かに、根拠なく被害者をあからさまに非難することは法廷では無益だと思いました。しかしこの点について「植草事件の報道内容」No.52の小倉秀夫さまの

> この種の事案では、弁護人が「被害者」に事件当時の状況について質問するチャンスは、事実上、法廷での証人尋問期日での反対尋問時しかないので、このときまでに「でっち上げ」であることの確たる証拠がなければ「でっち上げ」であることを前提とする尋問をしてはならないということになると、弁護側としては、「でっち上げ」に対しては対応のしようがなくなっていきます。

が気になります。「でっち上げ」だとして、その証拠を手に入れることは一般に極めて困難だと思われるので、裁判の前に弁護士には警察から被害者、目撃者についての十分な情報(住所、電話番号、学校等)が与えられ、彼ら自身の話を聞くことはもちろん、家族、学校の先生や知人からの情報収集が可能であると信じていました。また警察は、痴漢事件に関する履歴(常習性の確認)、事件前後の携帯の通信履歴、預金通帳を調査し、結果を弁護士側に提供する必要もあると思います。実際はどうなのでしょう。

小倉秀夫さまの発言では、このような情報収集が困難であるような印象を受けますが、事前の情報収集もできず、法廷での発言も抑制的にしか行えないならば、「でっち上げ」の証明は、絶望的ということになりますね。モトケンさまが被疑者の弁護をする場合、どのようにして「でっち上げ」を証明しようとお考えなのでしょうか。もし被害者が口を滑らすのを待つだけなのならば、上の「軽々しく主張できるものではありません。」までの文は、「相手を刺激しないように、ただ奇跡が起こるのを待ってお祈りするだけ」といっているのと同じではないでしょうか。

> 私には、でっち上げ論者は、植草氏を擁護しようとするあまりに、被害者の利益をまったく無視しているように見えます。
> なお、私は、「被害者」側の保護のみを主張しているわけではありません。

被害者の保護と被疑者の保護は対立するものですから、中立的であるためには、どちらも考慮しないか、それぞれが正しい場合の被害の大きさを評価して、適当な平衡点を見つける必要があります。モトケンさまは被害者の利益の保護を主張して平野氏を批判しておられますが、被疑者の保護を侵害する人達に対してまったく言及していません。裁判の始まる前で、情報も十分公開されていない現時点では(犯罪の根拠は被害者の証言しかありません)、警察以外の一般人にとって、痴漢を行った、勘違い(冤罪)、でっち上げの可能性は等しいと考えるのが妥当(科学の世界では)ですが、根拠なく、今回痴漢を行ったことを前提として、植草氏の人格を批判する発言に対しても、被害者に対するのと同じ配慮が必要なのではありませんか。このブログも有名だと思いますが、「植草一秀氏 痴漢で現行犯逮捕 」、「植草痴漢事件続報 」は、この種の発言に満ちています。例えば「植草痴漢事件続報 」のモトケンさまの発言

> 病気という見方もできると思いますが、

は「根拠のない」人格攻撃ではないのでしょうか。モトケンさまは冷静で論理的な方だと思っていますが、植草氏に関してはときどき中立性を放棄するような発言をされているように感じます。

これは平野氏に対しても同じです。

「植草問題に関する一つの意見(追記あり)」冒頭
> 友人としての視点で推定無罪を論じられても、説得力に欠けるところがあるように思われます。

と述べられておりますが、平野氏の

> 犯罪の捜査や裁判における原理原則は、「推定無罪」であることが、近代刑法の本質だ。

は平野氏の刑法に対する認識であって、痴漢事件にも同じ原則が適用されるべきだと述べているわけですから、「友人としての視点」はこの部分の論理展開には含まれていないように感じました。法律のことはよく分かりませんが、モトケンさまがこの基本認識は誤りで、もしくは「迷惑防止条例」はこの原則に従わなくてよい正当な理由があるとお考えでしたら、それを述べていただかないと、ただ(根拠なく)揶揄しているようにしか見えません。

申し訳ありません。揚げ足を取る意図は全くありません。しかし、モトケンさまの一連の発言は(必ずしも明示的ではないにせよ)植草氏有罪を前提として、真の被害者の保護のみを主張しているようにように感じてしまいます。植草氏側の保護についての言及がないからです。私はそれでも構いません。それを前提として発言しますが、もしそうならば、平野氏の中立性への批判は偽善でしかありませんよね。

> 迷惑防止条例違反が軽罪だと言っているのです。

これは法律家の視野の狭さを認める発言のように感じます。もし迷惑防止条例を軽罪だと考えるならば、マスコミ報道やこの罪による解雇の禁止、本人、家族への名誉毀損を積極的に認めるような姿勢を司法全体で示すべきです。「軽罪」を根拠にしたリンチには、目をつぶるという考えなのでしょうか。

> 私が荒唐無稽と言っているのは、国家権力陰謀論です。

これは、モトケンさまの実証的な態度を示す発言だと思いますが、私は荒唐無稽とは思いません。

確かに今回の事件だけを眺めていても、陰謀の証拠は見えてきません。しかしミクロ(この事件)のレベルで証明されないからといって、マクロ(過去の植草と政府との歴史)で陰謀が推定できないことにはなりません。例えば、盧溝橋事件が日本軍の陰謀であることを示す証拠は今に至るまで見つかっていませんが、日中戦争は日本軍の陰謀で始まったといえないでしょうか、可能性があるというのは誤った発言でしょうか。陰謀は、直接的な証拠をうまく隠すからこそ陰謀なのであって、人が陰謀を推定するのは、その事件が起こった状況とその帰結を総合的に評価した結果です。平野氏はこのレベルで陰謀を推定しているのであって、ボトムアップのモトケンさまの議論とは、そもそも論理の階層が違うのです。

> こんな軽罪をでっち上げるために国家権力が陰謀をめぐらしていると考えることが荒唐無稽だと言っているわけです。

これは間違っていると思います。もし植草氏が邪魔だと思っている闇の勢力が実在すると仮定すると(あくまで仮定ですが)、迷惑防止条例は「最良の」選択になります。これは
・闇の勢力にとって必要なのは、植草氏の発言への支持、学者としての能力、教育者としての立場を奪うことです。
・もし植草氏を殺害するようなことをすれば、世論は陰謀を疑い、植草氏の主張、業績は生き続けます。
・そこでもっとも望ましいのは、世間に陰謀を感じさせることなく、植草氏の職を奪い、国民に植草氏の発言の妥当性を疑わせるようにすることです。
・この場合最も目的に適うのは、国民の植草氏の人格への信頼を失わせることです。このことによって植草氏は教育者としての職を失い、テレビに出演することもなくなり、どんな正論を述べても、一部の人しか耳を貸さなくなります。主張の内容に対する正攻法ではなく、人格攻撃という奇襲によって、発言を封じ、埋没させることです。
・この場合に必要なのは、陰謀の証拠が残りにくく、簡単に有罪にでき、その罪によって人格を効果的に貶めるような罪が存在するかということですが、迷惑防止条例がこの条件に誂えたように、ぴったり当てはまります。
・蛇足ですが、迷惑防止条例は、なんの客観的証拠なく、被害者の一貫した迫真性のある発言だけで、有罪が成立する便利な(?)法律です。被疑者は逮捕されただけで失職し、マスコミやブログには「なんら根拠のない」人格攻撃が溢れます。わずかの金で「でっち上げ」を実行する「被害者」にはことかかず、「被害者」を使わなくても、泥酔しているときを狙えば、事件を偽装できるかもしれない...(この前は警察を使ったから、失敗したなぁ)

ちなみに私の立場は、「植草事件の報道内容」のGINさまに最も近いものです。わずかな(恣意的かもしれない)警察報道だけで、罪の有無を判定することはできません。これゆえに、「陰謀説」も含めてすべての可能性が同じ蓋然性で考慮されるべきだと思います。

ただしスポニチの記事が被害者の供述を忠実に伝えていると仮定すれば、納得できない点が少なくとも2つあります。一つはGINさまが指摘されていた「植草容疑者が手首にカサの柄をかけて手のひらで触っていた」という迫真性のある情景が「被害者」には絶対見ることができないものであること(実験してみました)と、それほど混んでいなかった車内で、なぜ1分間もの間「我慢して声を出さなかった」かという点です。私ならば肩が触れただけで瞬時に1mくらい逆向きに離れますが。

前者は、事後に植草氏の姿を見て推定したのかもしれませんが、もしそうならば「虚偽の事実」(単なる推測)を述べたことにならないのでしょうか。後者については我慢強い性格だった(?)、足がすくんだ等、さまざまな言い訳が可能かもしれません。

しかしもし「でっち上げ」を仮定すれば、「被害者」は予め泥酔している植草氏を見て、傘を持っていた左手にお尻を近づけ、1分間その状態を保つことによって万が一目撃者がいたときのための予防線をはり、然る後に声を上げたという説明が可能で、こちらの方が、より少ない仮定によって事実全体を合理的に説明できる考えを採択するという、科学的推論の原理(オッカムの剃刀)には適います。あ、この話は可能性があるというと叱られるので、単なる妄想ということにしておいてください。

もう一つ電車の乗り間違えが問題になっていますが、間違えるはずがないという皆さまの主張は、植草氏がいつもその時間にその駅で電車に乗ることを前提としているように思います。植草氏の勤務先は名古屋ではないのですか。また電車を間違えたことが、犯罪の存在を補強する証拠の一つとなるのは、植草氏が件の被害者を追跡していた場合に限られるように思います。女子高生はどの電車にもいるだろうし、その路線ならつかまりにくいわけではないのですから。女子高生はどこから電車に乗ったのでしょう?もし植草氏が女子高生を追跡した証拠がない(別の駅から乗車したなど)のならば、電車を間違えたのは、植草氏がそれほど泥酔していたという証拠にしかならないと思うのですが、いかがでしょう。

強調しますが、私は植草氏を支持しているわけではなく、ただ事実が知りたいだけです。(GINさま、応援してます!)

長文、大変失礼致しました。

ゆめ様
真実を知りたいとのことですが、我々一般人が知り得るのは、裁判の過程に於ける当事者の主張だけです。それ以上の情報を知ることは事実上不可能です。
そもそも、情報の絶対量が少ないのですから、少ない情報に基づいて、憶測を重ねるのは慎むべきだと考えます。情報が少ないのですから、どんな憶測でもできるからです。
我々にできるのは、今後、報道される当事者の主張を見守って、その主張に合理性があるかどうか判断するだけでしょう。
真実を知りたいとモトケンさんに訴えるのは無いものねだりと言うべきでしょう。


>ゆめさん

>自分の主張の正しさを他人を納得させられるような十分な根拠なく訴えを提出するような「愚かな」真似はしません。

 あなたは十分な根拠があると考えても、そんなことはおかまいなしにあなたの被害届をでっち上げだという人がいるかも知れませんよ。

 それにあなたのコメントによれば、本件の被害者の女子高生は十分な根拠なく植草氏を犯人と名指しするような愚かな真似をしたと考えておられるように読めましたが違いますか?

 でっち上げ論者は、どのような根拠があれば納得すると思いますか?
 有罪判決が確定してもでっち上げの可能性を否定しない方たちですが。

>証拠があれば、誰になにを言われようと、気にする必要はないのではないですか。

 大抵の人はそうではないと思います。

>逆にモトケンさまに伺いたいのは

 私がでっち上げにしろ勘違いにしろ、無実の罪に問われたならば、全力を挙げて戦います。
 なぜこのような質問をなさるのか理解できません。

>「でっち上げ」の証明は、絶望的ということになりますね。
>もし被害者が口を滑らすのを待つだけなのならば、上の「軽々しく主張できるものではありません。」までの文は、「相手を刺激しないように、ただ奇跡が起こるのを待ってお祈りするだけ」といっているのと同じではないでしょうか。

 完璧に構築された虚構を暴くことは困難だと思います。
 たとえ、「でっち上げではないか」という質問をぶつけても同じです。

 しかし、痴漢の無罪判決はいくつも出ています。
 これらの多くは、証拠関係が不自然で矛盾が多いと考えられます。
 その場の思いつき程度の虚構は、的確な反対尋問によって崩すことが可能です。いつも成功するとは思いませんが。
 この辺りのことを説明しようとしますと、とても大変です。
 大学の講座が一つ必要なほどの説明を要します。
 一言だけいいますと、闇雲に質問しても無駄だということです。
 証拠の全体の分析検討が必要になります。

>根拠なく、今回痴漢を行ったことを前提として、植草氏の人格を批判する発言に対しても、被害者に対するのと同じ配慮が必要なのではありませんか。

 根拠なくとおっしゃってますが、植草氏が勾留されるだけの(裁判官が勾留を認めるだけの)根拠はあるのです。
 そして、被害者にも少なくとも被疑者と同じ程度の配慮が必要でしょう。
 でっち上げ論者は被害者に対してどのような配慮をしましたか?
 私のエントリは、被害者に対するあまりの配慮のなさに対する批判です。

>これは法律家の視野の狭さを認める発言のように感じます。

 私の文脈を読んでください。

>私は荒唐無稽とは思いません。

 これ以上の議論は無意味のようです。

バイロンさま

ご指摘ありがとうございました。

私の表現力の拙さから、誤解を生む発言をしてしまったことに気づきました。たしかに「事実が知りたい」の部分は筆が滑ってしまったようです。ただしモトケンさまに訴えたわけではなく、公正な調査が行われ、その結果が公表されることを望むという意味です。

既に述べたように、私は植草氏を特に支持しているわけではありません。はっきり言ってしまえば(また誤解されそうですが)、植草氏が痴漢を犯したのか、そうでないのかは、私にとってどうでもよいことです。むしろどのような証拠が法廷に提出され、裁判官がそれをどのように解釈して判断するのか、さらにその裁判に関する報道について、このブログの参加者(特に法律家)の皆さまがどのような反応を示すのかに興味があります。

私が最も関心を持っているのは、司法(法律家)の論理の構成手順、具体的には、司法はなぜ、どのように冤罪を作り出すのか、その状況を是認している(ように見える)のかという点です。

なお、モトケンさまは「冤罪」という言葉をでっち上げと対置して、被害者の勘違いの意味で使っているように思われますが、辞書的には「無実の罪」(広辞苑)とあるので、でっち上げであれ、勘違いであれ、裁判官の判断の誤りであれ、被疑者の犯行の事実がないのに有罪とされることとして冤罪という言葉を使うのが正しいのではないでしょうか。このコメントでは「冤罪」をこの意味で使います。

私がこのブログを読むようになったきっかけは、医療問題が取り上げられていたからです。ご存知かと思いますが、医療崩壊は加速の度を強めつつあり、その原動力の一つとなっているのが近年の(医療側から見るとですが)冤罪の大量生産です。このブログの他のエントリーでは、個々の事件について、新聞報道だけでなく判決文に言及されながら詳しく検討されています。

医療訴訟の判決文の被告側(医師、病院)の主張を読むと、医師にとっては極めて合理的で非の打ち所がないような主張が、裁判官によって次々と否定され、有罪になっています。同じ証拠(必ずしも事実という意味ではありませんが)を材料としながら、どうしてこれほど異なった、医師にとって理不尽な判断が行われるのか、もしかしたら、法律家は医師とは全く異なる論理で、事実を認定し、判断を導出するのではないかと思いはじめました。このブログは、モトケンさまをはじめとして、法律家やそれ以外の方々が、同じ材料に対して意見を述べておられますので、医療以外の方の考え方を知るうえで、大変勉強になります。

しかし医療の話題は、専門用語が多用されることもあって、個々の事実や医学的知見についての発言者の理解の程度(議論を始める出発点)を揃えるのが難しいようです。その点、痴漢事件は、事実自体は単純なので、その解釈、処理の部分に、議論を集中させることができると考えたのが、このエントリーに投稿した理由です。冤罪が多発しているという共通点もあります。

> そもそも、情報の絶対量が少ないのですから、少ない情報に基づいて、憶測を重ねるのは慎むべきだと考えます。情報が少ないのですから、どんな憶測でもできるからです。

この主張について、一般論としては同意します。私は現時点までに報道された情報で、真偽を判断できるとは思っていませんし、植草氏の無罪を主張しているつもりもありません。この意味で最も正しい態度は、何も言わないことです。

しかしマスコミでは(このブログにもときどき見受けられますが)、植草氏を非難する立場からこのようなことが繰り返されています。つまり「植草氏が罪を犯した」ことを前提とした、事実関係の説明、それに続く感情的な非難です。本来は集められた事実から「植草氏が罪を犯した」か否かを判断しなければならないかのですから、「植草氏が罪を犯していない」ことを前提として、事実を説明することができるかどうかも検討されなければならないはずです。私はその可能性もあることを指摘したかっただけで、私の仮説が正しいことを主張する意図はありません。

なお「情報の絶対量が少ない」ことは、法廷でも同じだと思います。痴漢事件では客観的な証拠が少なく、しばしば被害者の証言だけを根拠として判断が行われていると聞きます。例えば「被害者の証言は一貫しており信用できる。よって有罪。」といった判決です。これは「少ない情報に基づいて、憶測を重ねる」ことに他ならないのではないでしょうか。

本来ならその証言を裏付ける他の証拠(被害者と利害関係のない信用できる目撃者の証言、繊維片などの物証)がある場合に限って、被害者の証言の妥当性が認定されるべきです。被害者は自分に有利な発言しかしないはずですから。しかし上のような判決が横行しているために、警察は物証の採取を怠り、それが問題とされないようです(最近はどうなのでしょう?)。物証の採取や検査は警察にしかできないのですから、警察のこのような消極的な態度は、証拠がないことによる(被害者の証言だけを根拠とした)有罪判決を結果的に後押しすることになります。これは、周到な準備がなされた「痴漢のでっち上げ」は有罪判決を避けることができないということを意味します。

従って今回の事件については、警察官の物証の調査が行われたかどうかが、重要なポイントになると思います。

植草氏の前回の手鏡事件でも同じような話があったと言われています。以下は下記の資料の私の要約と感想です。なおこれは植草氏の弁護士さんが書かれた文章ではないかと思いますが、植草氏側の立場で書かれているので、その点を割り引いて考えるべきだと思います。どなたか判決文の所在をご存知でしたら教えていただけると幸いです。

「植草一秀氏の事件は冤罪です 」の公判資料


この資料によると手鏡事件の有罪の根拠は警察官による目撃証言だけだったようです。「犯行を見た」という警察官に対して、植草氏は「警察官にポケットのなかのものを見せてみろと言われて出したところ、その中に手鏡があっただけ」だと主張しています。人通りの多い場所だったのに、件の警察官以外に目撃者はいなかったようです。

問題はその後です。主張が食い違っているので、ほかの証拠が必要になります。現場には監視カメラが設置されていました。この画像の解析を「植草氏が」要求しました。ところが検察官は「カメラの設置角度により犯行現認場所は撮影範囲外であると」と主張して、この要求を拒否したと書かれています。

もしテープに犯行の現場が写っていなかった場合、証拠にはならないのですから、検察側の不利にはなりません。逆に写っていた場合には、犯行が行われたのが事実ならば、犯行を裏付ける決定的な証拠となるので検察側には有利になります。損をすることがない調査を拒む理由は、私には一つしか思いつきませんが、法律家の方々はどう考えるのでしょう。

すみません、流れに乗っておらず、又、的外れかも知れませんが。

モトケンさんを初めとした、「でっち上げ」論を批判される方々は、「陰謀論を前提としたでっち上げ」を対象としている訳ですよね。で、それを踏まえて、この事件がでっち上げだとすると、被害者の女子学生もでっち上げに加担している、という事をも前提としますよね。それを主張するには、ある程度の根拠が無ければいけない、というモトケンさん達のご指摘は、ごもっともなのではないかと思います。

ゆめさん>なお、モトケンさまは「冤罪」という言葉をでっち上げと対置して、被害者
 >の勘違いの意味で使っているように思われますが、辞書的には「無実の罪」(広
 >辞苑)とあるので、でっち上げであれ、勘違いであれ、裁判官の判断の誤りで
 >あれ、被疑者の犯行の事実がないのに有罪とされることとして冤罪という言葉を
 >使うのが正しいのではないでしょうか。
私は全くの素人ですが、この件での「でっち上げ」は、意図的に犯罪者をつくろうとする事ですよね。誤って無実の人間を痴漢だとしてしまう事とは、全然違う気がするのですが。

 冤罪とでっち上げの関係については、「植草事件の報道内容」のコメント欄が参考になると思います。

TAKESAN さま
モトケンさま

貴重なご意見ありがとうございました。
申し訳ございません。私自身が「冤罪」、「でっちあげ」の使い方について混乱していました。
モトケンさまがこのエントリーの No.18で

> 既に述べていますが、私はでっち上げというのは意図的な事実の捏造だと理解しています。
> それに対して冤罪というは誤判のことで、その原因は意図的な事実の捏造以外にも考えられます。

と説明しておられました。この意味なら私の理解と同じで、全く問題はありません。

しかし、No.23の私のコメントで
> よく計画された冤罪であればあるだけ
の「冤罪」は「でっち上げ」の誤りでしたので、訂正させていただきます。

それからNo.30の発言の「冤罪」はその通りの意味で使っていますが、話が広がってしまいますので、以後はこのエントリーのテーマに集中するよう気をつけます。

ところで TAKESAN さまのご意見についてですが、「でっち上げである」と主張していれば、この議論はある程度(限定するのは女子学生が加担していないでっち上げも考えられるため)正しいと私も思うのですが、モトケンさまが指摘したのはこのページ冒頭の平野氏の

> 今回も誤解を与える状況があったことを種にデッチアゲ事件の可能性がある。

という文です。「でっち上げ」ではなく「でっち上げの可能性」を主張しているので、真実が分かっていない段階では、この指摘に誤りはありません。これを否定する人は「でっち上げの可能性がない」ことを主張することになるので、こんどはその人が「でっち上げでない」根拠を示す必要があることになるからです。

平野氏の主張は論理的には正しいことを言っているわけですが、モトケンさま論理的な正しさではなく、このような文章を影響力の大きなサイトで発表することが被害者に不利益をもたらすので、倫理的(?)に正しくないと主張しておられるのだと私は理解しています。(もし間違っていたら修正していただけますでしょうか >モトケンさま)

なお蛇足ですが、
> 私は全くの素人ですが、この件での「でっち上げ」は、意図的に犯罪者をつくろうとする事ですよね。誤って無実の人間を痴漢だとしてしまう事とは、全然違う気がするのですが。
もちろんその通りで、私はでっち上げや、被害者の勘違い、裁判官の誤りなどは、それぞれ別の、冤罪を作る原因だと述べています。

モトケンさまNo.29へのお返事は、別稿とさせていただきます。

> モトケンさま No.29 その1

お返事ありがとうございました。
また長くなりそうなので分割して意見を述べさせていただきます。

まず
> そんなことはおかまいなしにあなたの被害届をでっち上げだという人がいるかも知れませんよ。
これはどんな場合も防ぐことはできません。

> 女子高生は十分な根拠なく植草氏を犯人と名指しするような愚かな真似をしたと考えておられるように読めましたが違いますか?

そんなことは言っていません。そう考えるためには、情報が少なすぎます。「愚か」という言葉は、自分が冤罪を作ってしまうかもしれないことに対する配慮の欠如という意味で使いました。痴漢事件で、被害者が相手を十分確認せず、誤認して訴えた場合は、私は「愚か」だと思います。卑劣といってもいいかもしれない。しかし現実には、ほとんどの痴漢事件でこのような被害者=犯罪者の主張が認められる結果になっているのではないですか。これは無能な裁判官による虚偽告訴の奨励に他なりません。

> でっち上げ論者は、どのような根拠があれば納得すると思いますか?

必要条件としては、被害者の証言以外に、植草氏がやったという客観的な証拠が見つからないことだと思います。この場合、裁判の結果がどうであろうと、その判決の信憑性はありません。もし警察、検察が、手鏡事件のときのように、故意に物証を隠すような行動を取れば、権力が関与したでっち上げを確信するでしょう。

> 有罪判決が確定してもでっち上げの可能性を否定しない方たちですが。

裁判が真実を明らかにすると信じておられる方の考え方ですね。医療系のエントリーで、米国の医療裁判では、裁判所の判断はコインを使ったギャンブルと同じ(正確には過失の存在と判決は無相関)だという定量的な証拠(evidence)が報告されていますよね。日本の痴漢事件は、表しか出ないように作った特殊なコインでやるわけですから、最初から結果が分かっているそんな判決は真実とは何の関係もありません。考慮に値しないということです。

医療訴訟、痴漢事件の裁判に関する記事を読んでいると、裁判官や検事は、真実の解明には無関心に見えます。彼らの関心は、自分の思い込みと法体系をいかに整合させるかだけです。そのために恣意的に、情報の価値を歪曲し、重要な情報を無視し、さらに隠蔽します(特に検事は)。これが私が貴ブログで学んだ成果です。


> 私がでっち上げにしろ勘違いにしろ、無実の罪に問われたならば、全力を挙げて戦います。

これは答えになっていません。当たり前のことですから。無実の罪であっても、(特に痴漢事件では)不当な非難や解雇などの過酷な理不尽な不利益が実際に生じています。「これは病気ですね」といった根拠のない書き込みがどこかのブログに載るかも知れない。これを甘んじて受けるのか、納得するのかと質問しています。

> なぜこのような質問をなさるのか理解できません。

質問のしかたがまずかったのかもしれません。その点は、お詫び申し上げます。

この質問では、モトケンさまの中立性についてのお考えを確認したかったのです。「被害者」の不利益だけを声高に叫ぶのが中立といえるのかと。

真実が分からない段階で、モトケンさまが「被害者」側に生じうる不利益を「到底納得できない」と考え、痴漢事件の被疑者が受ける不利益を、被疑者(自分)が無実の場合でも「納得できる」と仰るならば、モトケンさまが平野氏を批判するのは筋が通っています(私には理解できませんが)。しかしどちらも「到底納得できない」と思われるのなら、平野氏を批判してもよいけれど、それ以上に植村氏を根拠なく貶めている人達を批判すべきなのではないかと考えたのです。

もしモトケンさまが自らの中立性を否定するのならば、他のどんな発言に対しての批判も正当性を失うことになります。自分は根拠なく一方に肩入れすることになるのですから、他人の肩入れを批判することはできません。


また、このエントリー冒頭の、モトケンさまの被害者の不利益についての記述も、私には針小棒大の不自然な誇張に思えます。

乗客2名の逮捕罪または暴行罪と女子高生の虚偽告訴罪を考慮されており、この辺はさすがに法律家だと感心させられました。しかしこれらの罪を告訴するのは植草氏なのではありませんか。平野氏の読者が告訴することがあるのでしょうか。植草氏自身が告訴するか否かは、平野氏の発言とは関係ないように思います。この辺の理解は誤っているかもしれませんので、ご教示いただけると幸いです。

また、痴漢事件で虚偽告訴罪や逮捕罪または暴行罪の告訴がなされ、実際に有罪になった例があるのでしょうか。最初の痴漢事件が有罪でも、被疑者はこれらの罪を訴えて、勝訴した例があるのでしょうか。法律の可能性としては考えられても、告訴された、有罪になった例が皆無であれば、このような被害者の不利益を考えるのは杞憂でしかありません。少なくとも私はこのような記事を一度も読んだことがありません(報道されないのでしょうか)。

平野氏の主張が、被害者等の罪の成立(の可能性)を意味するというところまでは、理論的には分かります。しかしそれが、実際に被害者にどのような具体的な不利益をもたらすかという点が、説明不足で、説得力を欠きます。平野氏の文章の読者が、仮にその被害者が罪を犯していると考えても、普通は被害者に対して行動を起こすことはありません(家に落書きしたり、石を投げたりすることを考えておられるのでしょうか)。そんな軽率な人が平野氏の文章を読むとは思えないし、なによりも読者の怒りは権力に向けられるはずなので、下手人(被害者)に興味が向くことは私には考えられません(私も平野氏の文章を読んでそれなりに納得した一人ですが、モトケンさまの説明を読んだ後でも、「被害者」にはなんの感情も感ずることができませんでした)。

以上の考察から、モトケンさまが平野氏の発言を批判する(倫理的な?)根拠は、私には虚構にしか思えません。しかし私の知識不足から多くの仮定を含んでいるので、実際のデータをお持ちでしたら、お知らせいただけると幸いです。

モトケンさま No.29 その2に続く(予定)

あのさー、続きの前で悪いけどさー、
少なくともゆめさんは、No.34においては、「デッチアゲ事件の可能性」を主張する人たちは誰も「被害者」を責めたりしていないのに、
それは被害者を責めるものだということを理由として責めたりすることは根拠がないって
そういいたいわけでしょ。
何かいろいろ書きすぎてて逆に分からなくなってるけど。

それはそれで半分は当たっていると思う。
でも、「デッチアゲ事件の可能性」を主張することは、それが権力の腐敗を糾弾するという目的しかなくて他意はないにせよ、「被害者」をイヤでもこの騒ぎに巻き込むものである結果になることを容認している、と言われても仕方がないと思う。
普通の痴漢冤罪に巻き込まれるだけでも大変なのに、「でっちあげ」だよ。
もう少し配慮して物言った方がいいんじゃないかと思う。
そのことを考えてないってこと自体が批判の対象になりうると思うよ。

>平野氏の文章の読者が、仮にその被害者が罪を犯していると考えても、普通は被害者に対して行動を起こすことはありません(家に落書きしたり、石を投げたりすることを考えておられるのでしょうか)。そんな軽率な人が平野氏の文章を読むとは思えないし、なによりも読者の怒りは権力に向けられるはずなので、下手人(被害者)に興味が向くことは私には考えられません

なぜそう言い切れるのかが俺にはわかんないけどね。


No.30とかさー、ゆめさんはいろいろ書いてるけど、
「客観的データに基づかない、人の言葉なんかに証拠価値認める、あんたたち法律家なんて信じらんないっ!」

って言ってるだけのような気がする。

物証(特に科学的捜査方法で得た証拠)だからって、人の証言よりも信用できるとは限らないよ。実験だって、理論通りの結果はなかなか得られないでしょ。
その辺が譲れないなら、基本的に歩み寄りの余地はないと思うよ。

ゆめさん
スルーしようと思ったのですが、あまりにしつこいので一言。
現時点で、警察検察がどのような証拠を持っているか解りません。裁判が始まれば、証拠は開示されます。その証拠に基づいて、植草氏の有罪が合理的な疑いが残らないまでに証明されれば、氏は有罪とされ、合理的な疑いが残れば、証拠不十分として、無罪にされます。
不当な判決がなされる可能性を論じるならば、すくなくとも証拠が開示されてからにしたらどうでしょうか?何も解らない段階で論じてもまったく意味がありません。
一般論ならばともかく、現実の具体的な事案について、憶測に基づく立論を行うことは慎むべきだと考えます。
なお、報道されている事実を見る限り、氏の逮捕及び拘留に違法性はないと考えます。

>ゆめ さん
 
 気になる点についていくつかコメントして終わりにします。

>しかし現実には、ほとんどの痴漢事件でこのような被害者=犯罪者の主張が認められる結果になっているのではないですか。

 あなたは、どれだけの数の痴漢事件について、具体的な証拠の検討をなさいましたか。
 たぶん、報道による印象だけの判断でしょう。
 それなら、それはあなたの「思い込み」です。

>医療訴訟、痴漢事件の裁判に関する記事を読んでいると、裁判官や検事は、真実の解明には無関心に見えます。彼らの関心は、自分の思い込みと法体系をいかに整合させるかだけです。

 これも同じです。
 裁判官や検事の思い込みを主張されるあなたは、自分の思い込みの可能性については考えないのでしょうか?

>> でっち上げ論者は、どのような根拠があれば納得すると思いますか?

 書き方がわかりにくかったかもしれませんが、これは、「でっち上げ論者どのような根拠があれば【でっち上げでないことを】納得すると思いますか?」という質問でした。
 たぶん、相手がどのような根拠を提示しても納得しないと思います。
 根拠自体のでっち上げの可能性を主張することが可能だからです。
 つまり、でっち上げ論者と事件の真相を語り合うことはできないと考えています。
 土俵が違ってしまうということです。

>これを甘んじて受けるのか、納得するのかと質問しています。

 納得するわけないでしょう。

>もしモトケンさまが自らの中立性を否定するのならば、他のどんな発言に対しての批判も正当性を失うことになります。

 これは民主主義社会における言論の自由という問題についての無理解を示す発言と受け取れます。
 中立性というのは何ですか?
 中立でなければ他人を批判できないのですか?
 中立でない批判は正当性がないのですか?
 平野氏の発言は中立なのですか?
 少なくとも私と同じ程度に中立でないと思いますよ。

 私は裁判官ではないし、ここは法廷ではありません。
 ここは私の私的なブログであり、私の個人的な意見を述べる場です。
 そのような私に中立性を求めること自体が間違っているとは思いませんか?

 そもそも法律の世界は、相対立する利害を調整することを目的にしているということができます。
 法律における中立性というのは、利害調整におけるバランス感覚ということができます。
 バランス感覚の支点が問題になるわけですが、法律が社会の秩序を維持するためのものであり、社会を構成する個人の価値観が多様であることを前提にしますと、絶対的な一つの支点を定めることなどできません。
 ここはそういう視点でのブログです。

>自分は根拠なく一方に肩入れすることになるのですから、他人の肩入れを批判することはできません。

 私は、意見の根拠を示していると思っています。
 もしあなたの言う根拠が「誰の目にも明らかで疑いようのない客観的な事実」を言うのであれば、ほとんどの問題において、私だけでなくあなたを含めて誰も他人を批判することができないのではないですか。

>しかしそれが、実際に被害者にどのような具体的な不利益をもたらすかという点が、説明不足で、説得力を欠きます。

 あなたの想像力の問題でしょう。

 陰謀の可能性について想像力をたくましくするが、被害者の不利益については理解できない、というのは私からは極めて偏っていると見えます。
 中立性が感じられません。

 これ以上議論しても、「基本的に歩み寄りの余地はない」と私も思います。
 終わりにしましょう。
 

モトケンさま
みなさま

すっかりみなさまの顰蹙を買ってしまったようです。

誤解もあるようですが、この原因が、私の知識の不足、理解力の低さ、文章の冗漫さにあることは、私自身がよく分かっています。ただ信じてはいただけないでしょうが、私は自分の考えの正当性を主張したかったわけではありません。モトケンさまやその他のみなさまのお考えを自分なりに理解し、納得したかっただけなのです。

私が仕事をしている分野では、議論はお互いを高めるために行います。お互いの情報の不足を補いあい、相手の主張の正しい部分は認め、自分の誤りを認めるのに躊躇せず、双方がより深い認識に到達することを目指します。つまらない質問にも丁寧に、誠実に答える人が尊敬され、より多くの人を納得させた主張が支持されます。

このブログで、真摯に議論しようする人に対して、曲解、揚げ足取り、ささいなミスの攻撃、断定、無視、誹謗、中傷、威嚇が繰り返されるのを目の当たりにしました。相手を黙らせることによって自己を正当化しようとする人がいることを知りました。私ではなく「植草事件の報道内容」のGINさまや小倉秀夫さまのことを言っています。悲しいことですが、これが現実の世界でもしばしば起こっていることなのでしょう。

日本の法廷がこのよう場でないことを祈るばかりです。また法律家のみなさまには六法全書の外の世界の真実や不条理にも目を向けていただきたいと願っています。

短い期間でしたが、発言の場を与えていただいたモトケンさま、拙い文章を読んでいただいたみなさまに心から御礼申し上げます。また、不愉快な思いをさせ、ご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます。もう二度と発言することはありません。

ゆめさん
老婆心ながら、忠告します。
>この原因が、私の知識の不足、理解力の低さ、文章の冗漫さにあることは、私自身がよく分かっています。
このように考えているのならば、後に続く文章は蛇足でしょう。自分に責任があるといっておきながら、その後に他人を非難する文章が続くのは矛盾です。
>つまらない質問にも丁寧に、誠実に答える人が尊敬され、
モトケンさんがあなたの質問に丁寧誠実に答えていないといっているように読めます。つまり、モトケンさんを非難しているように思えます。
>日本の法廷がこのよう場でないことを祈るばかりです。
間接的な表現で日本の法曹を批判しているわけですが、「このような場であるかもしれない」と考える根拠が示されていません。思い込みで他人を批判するのは無礼でしょう。
>また法律家のみなさまには六法全書の外の世界の真実や不条理にも目を向けていただきたい
これも、根拠のない、思い込みに基づく批判ですね。他人を批判する場合は、その根拠となる事実を指摘する必要があります。
結局、あなたは「自分は少しも悪くないのに、いじめられた」と子供のような主張を繰り返しているだけですね。
あなたは、ディベートのマナーを学ぶべきです。

判決要旨を読みますと、植草氏の有罪判決は極めて妥当だと判断出来ますね。

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