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「元担任のいじめ」波紋 教師や保護者ら批判と不安 「人権意識問われる」 「指導しにくくなる」(ヤフーニュース(西日本新聞) - 10月16日17時8分更新)

 さまざまな意見が述べられてます。

 同市の中学校に勤める50代女性教諭は「似たような教師を何人か知っている。本人はクラスを盛り上げるつもりの冗談が、人をあげつらう不快な話になり保護者から苦情が出たこともある」と語った。

 必ずしもレアケースではないということでしょうか?

一方、「1人の教師のために、生徒指導がますますやりにくくなってしまう」と危惧(きぐ)するのは熊本市の男性中学教諭(50)。「子どもたちはぶつかり合いながら成長していくもので、たくましく育ってもらいたいとの思いで指導するが、今回の事件をきっかけに、傷つけないよう配慮することばかりになりはしないか」と話した。

 「傷つけないよう配慮することばかりになりはしないか」とのことですが、これはちょっと違うんじゃないでしょうか。
 問題の教師のいじめは、いかなる意味でも「指導」とは言えないでしょう?
 この熊本市の男性中学教諭は「指導」というものをどう考えているのか疑問になります。

 高校生と小学生の子どもがいる北九州市門司区の母親(46)は「校長や教育委員会と保護者との間で板挟みになり、だれも守ってくれる人がいない今の教師は、子どもにいかに気をひかれるかに神経をすり減らしているようにみえる。その結果、他の生徒にうけるような言動をしたのではないか」と語った。

 かなり同情的な意見ですが、同情というか正当化の限度をはるかに超えていると思います。

 西日本新聞の記事では特に論評することなく、たんたんとコメントを報道していますが、読者のほうで考えてほしいということなのでしょうか?

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コメント(7)

報道だけの情報から見る限り、
教師の能力に疑問を持たざるを得ないのですが、
それ以上に加害者の子供たちの報道が皆無なのが気になります。
直接的な加害者はいじめた子供たちであるわけで、
それを差し置いて原因となった先生をさらし者にしているだけで、
相変わらず先生(だけ)が悪いかのような報道はいかがなものかと思います。

推察するに、くだんの学級は学級崩壊していたような感じです。
組織、集団としての学級の動きに、
教師も逆らうことができなかったのではないか。
そこにおける教師の力不足は非難されてしかるべきと思いますが、
そもそもこの中学での学級崩壊の可能性はないのか。
それを招いたそもそもの原因は
マスコミによるこれまでの現場報道における、
教師糾弾姿勢にもあるのではないか。

そう考えるに至ったのは報道での葬式風景で、
並んだ子供たちに向かって親御さんが訴えているときに、
子供たちの反応が
「けっ…」
という態度に見えたからです。
ひとりの男子生徒は地面につばを吐いているようにも見えました。
泣いている女子生徒を映しているカットもありましたが、
あの年代の女子なら連鎖反応でもっと多くの女子生徒が
泣き崩れていると思われるのです。
それが説明程度の一人、というのがなんとも…

一番責められてしかるべきなのは
いじめをした当事者たちだと思うのですが、
今のままの報道では
先生が悪かったんだよぉ…
になってしまい、いじめの当事者たちはいっこうに反省しないでしょう。
世間をなめてしまったいじめの当事者たちの中から、
この先、凶悪犯罪者が出る可能性を危惧します。

同感です
報道の内容はいじめの張本人を免責するかの様な扱いです

 自殺の直接的な原因になったのは生徒たちかもしれませんが、本件において問題の教諭自身がいじめの当事者(加害者)であった点は看過できないと思います。

 先生が、生徒のいじめに気付かなかった、あるいは黙認していた、あるいは適切な対応を取らなかったというようないわば過失犯または不作為犯的なパターンとは違うと考えています。

>先生が、生徒のいじめに気付かなかった、あるいは黙認していた、
>あるいは適切な対応を取らなかったというようないわば過失犯
>または不作為犯的なパターンとは違うと考えています。

モトケン先生の仰るとおりと思います。今回のケースは先生が積極的に
かかわっていたわけですから。
先生と生徒は当然立場が違うわけで、先生の言動の影響力
(事柄により発揮する場合と、しない場合がありますが)
を考慮すべきでしょう。報道の男性中学教諭の発言からして、
まだまだ、教師のなかに「いじめ」は無くならない。根本的な対策がないなどと、
真剣に取り組んでいるのかと疑問を持ってしまう。「いじめ」で自殺した子供達は
運が悪かったで済まされるのかと、全国の教育関係者や生徒・児童・保護者の
皆さんにアンケートで問うべきと主張します。
根本的には、本当に「いじめ」をなくす気があるのかないのか、という一点に
かかっていると考えます。

私は、鏡に映りし者さんの意見に同感です。
この問題教師の、行動(保護者からの相談内容を学級内で話す)や暴言が、この男の子を「いじめ」の対象となるきっかけを作ったと思います。だからと言って、この教師だけが問題なのでしょうか?
厳しいことを言うようですが、自殺にまで追い込んだのは、このクラスの子ども達でもあり、この学年の子ども達であるとも考えます。
反面教師の見本のような教師はいます。でも、その反面教師の言動をおかしいと思って、「いじめ」に加担しない子ども、この男の子の友人として彼を無視しない子ども、「死にたい」という声を正面から受け止めることができた子が、1人でもいれば最悪な結果は免れたのではないかと思います。教師が何をしようが、自分の考え(道徳観)で「おかしい」と思うことには、「NO」という態度を示すことができる子どもがいなかったことが残念です。
この男の子に直接、暴言を吐いた子も加害者ですが、無視をした子、クラスで孤立していく様子を黙ってみていた子も、ある意味加害者であると思います。

「いじめ」をゼロにすることは、難しいですが、あるグループにいじめられていても、それとは別に、自分の存在を無視しない子がいれば、どうにか学校生活は乗り切ることができると思います。(これは、私の経験上ですが)
同級生が「いじめ」を苦に自殺した事実を、きちんと考えて欲しいです。学校でそれが望めないならば、家庭で考えて欲しいです。

北海道の女の子の時も、同じ空気を感じましたが、学校は生き残っている同級生の社会的批判のみを心配して、子ども達に事実をきちんと受け止める指導をしていないように思います。自分の行動を振替って、何故、同級生が死ななければならなかったのか、考えることで、この同級生達の将来は大きく変わっていくと思います。

今朝、テレビでこの学校の学校集会の様子の音声をワイドショーでやってました。
校長の話はまるで生徒におもねるようでした。いじめを責めることも嗜めることもせず、「君たちがすばらしすぎて、先生たちが安心して少し手を抜いてしまったかもしれない」などと、ただ呆れるしかありませんでした。

この校長は、常に舌先三寸でいいかげんな言葉を放ち、その舌の根も乾かないうちに平気な顔で言葉を翻す。その場しのぎでやり過ごし、ほとぼりが冷めるのをじっと待つ、無責任管理職の典型だと思います。

この校長にして、この教師あり。多分生徒も、「マスコミうぜー。自殺もバカな教師のせいだろ。おかげで、いい迷惑じゃん」とでも思ってるのでしょう。このまま誰も彼らを教育しないとなると、将来どんな人間に育つのか、末恐ろしい気がします。

医療と同じように教育現場でももうどうしようもない状態が続いています。

結局誰かを悪者に仕立て上げないといけないとは思うんですが、
こういう事件があるたびに思う疑問があります。

「いじめはなくな(せ)るのか?」ということです。

私が今まで聞いた多くの友人は
「なくならないけどなくす努力をし続けなければならない」
と答えてくれましたが、正直それはきれいごとだと思ってます。

大人の社会の中にも確実に「いじめ」は存在するわけで、
そこをなんともできない大人が、「いじめはダメだ」と子供に説いたところで
何の説得力もありません。

子供達はそういうところにとっくに気付いているだけのことです。

それでもそこから逃げずに子供達と向き合っていくのが「教育」だとは思いますけどね。

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