エントリ

 遺族が強く求めていた危険運転致死傷罪は適用されなかった。粂原研二・次席検事は記者会見で「被害者らの心情を察するにあまりある。納得してもらうのは困難だと思う。(検察として)つらいものがあるが、証拠上、立件は困難と言わざるを得ない」と話した。
 地検は、園児の家族ら十数組約20人に処分理由を説明した。武南署で午後2時ごろ始まった説明会は4時間近く続いた。終了後、遺族らは報道陣に「私たちは見捨てられた」「誰も納得できない内容だ」などと怒りをあらわにした。

 地検の判断も被害者遺族の気持ちも分かるのですが・・・

 あらためて被告人に対する憤りがこみ上げてくるばかりです。

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さいたま地検も苦渋の判断だったのだろう。 先日、埼玉県川口市での園児死傷事故で運転手を業務上過失致死傷罪での起訴となったのだ。 この事件では、運転手が脇... 続きを読む

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医療事故のことを調べていて、こちらにサイトにたどり着いた医学生です。
業務上過失致死で医療事故と対比されることもある交通事故の刑事手続きについても興味がありコメントいたしました。

交通死亡事故も被害者感情や世論の影響で厳罰化の傾向にあるように見受けられますが、それが果たして根本的な解決になるのか疑問があります。

報道等で見る限り、本件は飲酒がらみでなく、脇見運転による純粋な過失犯に近いように思いました。ただ、脇見運転による物損事故を前にも起こしているなどの前歴もあるようですね。
過失犯であっても同時に複数の生命を奪ってしまう交通事故は恐ろしいの一言に尽きますが、善良な社会人でも一瞬の判断ミスで犯罪者となり、その人格まで非難されなければならないという過酷さも存在します。
加害者のその後の人生までを考えたときに刑事手続きの実務では何をもって実刑と執行猶予が選択されているのでしょうか?

最近のマスコミの論調では結果責任や被害者感情ばかりがことさらに強調され、加害者やその家族に対しては「加害者自らの責任で人を死なせたんだから家族共々一生が台無しになってもまだ罰し足りない」と言わんばかりです。報道の趣旨も加害者の人格を非難し、事故とは無関係の第三者にまで「加害者に対する個人的な憤り」をあおるようなものであることが多いように感じます。そこでは加害者側が適切な防御権を行使しただけでもバッシングの対象になっていきます。
このような論調は、医療事故報道における医師バッシングにも通じるものがあるように思うのですが。

追記します。

この加害者は5月の物損事故も脇見運転が原因だったようですので、注意転動性などの運転適性として問題のある特性があったのかもしれません。
この時点で運転適性を欠くとして道路から排除できるシステムがあれば、加害者、被害者の双方にとってもっともよい結果となったのですが。

>医学生1 さん

>報道等で見る限り、本件は飲酒がらみでなく、脇見運転による純粋な過失犯に近いように思いました。

 だから検察は危険運転致死傷罪の適用を見送ったと考えられます。

>それが果たして根本的な解決になるのか疑問があります。

 開き直った言い方ですが、刑罰は根本的な解決手段ではないと考えています。

>実刑と執行猶予

 過失の程度と結果の重大性が重要な基準になると思います。
 
 ここで重大な過失と故意(特に未必の故意)の区別は、理論上も事実認定上も相当困難であるということを指摘しておきます。

>最近のマスコミの論調では結果責任や被害者感情ばかりがことさらに強調され、・・・

 マスコミの論調はそのとおりだと思います。
 私自身も市民感覚的には被告人を強く非難したい(死刑を考えてもよい)気持ちにかられます。

 しかし、検察は罪刑法定主義に則り、遺族らの心情には明らかに沿わない冷静な判断を下しています。
 私が担当検事ならおそらく同じ判断をしたと思います。

>この時点で運転適性を欠くとして道路から排除できるシステムがあれば、

 免許の停止・取消しを含む運転免許制度は一応そのようなシステムと見ることができますが、運転適性を欠くものを道路から完全に排除するシステムを構築することは困難だと思います。
 最終的には、運転者の適切な運転行為に期待するしかありません。
 そこに業務上過失致死傷罪の存在意義があると言えます。
 業務上過失致死傷罪の存在意義は、事故を起こした者を処罰するというより、処罰されないように常に注意して運転しろと運転者に注意喚起するところにあると考えられます。
 注意喚起の実効性を確保するためには、不注意によって事故を起こした者を処罰する必要があります。

はじめまして。法律等について全く素人の門外漢のものです。
門外漢ゆえに頓珍漢な発言でしたら申し訳ありません。

思うのですが、
> 業務上過失致死傷罪の存在意義は、事故を起こした者を処罰するというより、
> 処罰されないように常に注意して運転しろと運転者に注意喚起するところにあると
> 考えられます。
これ、ほんとうに意味があるのでしょうか?
「医療と検察」エントリのNo.23 医学生1 さんのコメント(2006年10月17日 01:12)で、業務上過失致死での刑事罰が、不注意による事故の再発防止にならなかったという事例が紹介されていました。
交通事故の事例も、素人目には大して変わらないように思います。

完全な排除は無理としても、事故を起こしたら適性検査を行って、結果によっては免許取り上げ等の処分にするなどしたほうが、多少でも効果がありそうに思うのですが……。

処罰による注意喚起の実効性って、どこかで実証されているのでしょうか。

>jack さん

>これ、ほんとうに意味があるのでしょうか?

 今まで何度か述べていますが、刑罰の犯罪抑止力は完全なものではありません。
 極端な言い方をすれば、ないよりまし、という程度かも知れません。
 しかし、それでもないよりましなわけです。

>どこかで実証されているのでしょうか。

 駐車違反なんかは罰則や取締の強化で件数は減っているみたいですよ。
 あと飲酒運転などもそのような報道がなされた記憶があります。

 いずれにしても、犯罪の減少のためには一つの手段だけでなく総合的な施策が必要です。

>私自身も市民感覚的には被告人を強く非難したい
>(死刑を考えてもよい)気持ちにかられます。
>しかし、検察は罪刑法定主義に則り、
>遺族らの心情には明らかに沿わない冷静な判断を下しています。
>私が担当検事ならおそらく同じ判断をしたと思います。

モトケン先生の熱く冷静なコメントにはいつもながら感服しました。

わき見運転をすれば最悪、人を轢き殺す可能性があるということは、
運転免許を持っている誰もが、分かる事柄です。
従って、車は凶器になるという事を忘れるな、心して運転しろと
改めて叫びたいです。

被害者遺族の悲しみ・無念・怒り・憤り・やるせなさ・無力感等々を
思うと、現状の司法の限界を感じ途方にくれます。
業務上過失致死傷罪がくせ者だと断じます。
園児4人を轢き殺し17人に重軽傷を負わせた。
未必の故意と断じて結果責任を取らせるべきだ。
応報主義に則って処罰しないと、バランスを欠くと言わざるを得ない。
直ちに法改正をすべきと主張します。
結果責任を負わせる法律に改正しろと主張します。

> 業務上過失致死傷罪の存在意義は、事故を起こした者を処罰するというより、処罰されないように常に注意して運転しろと運転者に注意喚起するところにあると考えられます。
> 注意喚起の実効性を確保するためには、不注意によって事故を起こした者を処罰する必要があります。

この部分は理解はできても納得はできないというのが正直な気持ちです。
これでは不幸にして事故の加害者になってしまった人を「見せしめ」とすることにしかなりません。「見せしめ」である以上は本来あるべき責任以上の社会的、刑事的な厳罰を受けることになってしまいます。加害者の立場ではこれは理不尽以外の何者でもありません。そして、このような加害者側の反論は「人を殺したのだから」の一言によって黙殺されていきます。

交通死亡事故の減少は、厳罰化の要因よりも、衝突安全装置の普及や救急医療体制の整備によるものが大きいのではないでしょうか。
医学、医療の分野では、ある治療法の有効性を実証するために、二つの治療法を対象患者に割り付けてその経過を解析することや、過去の症例や研究報告を統計的手法を用いて解析することが行われ、治療法の検証が行われています。しかしながら、司法の分野ではこのような科学的手法を用いた解析の実例をほとんど聞きません。

だって科学なんて習ったこと無いもん

>>No. 8

司法関係者が、ということでしょうか?

これからは司法修習の中に統計学や疫学を取り入れることも検討すべきかもしれませんね。また、係争事件の判断に専門性が求められるようになっていることから法曹の中に理工学や医学、経済学などの分野を修めたものを一定数採用するのも一計かと思います。

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