いじめ、教委には「金銭トラブル」と報告 北九州市立小(asahi.com 2006年11月11日12時59分)
北九州市八幡東区の市立小学校5年の女子児童2人が同級生らから現金を要求されるなどし、学校が「いじめ」と認識していたにもかかわらず、市教委には「金銭トラブル」と報告していたことが11日、明らかになった。市教委は「結果としていじめを隠したと思われても仕方がない。対応が極めて不適切だ」として学校に詳しい調査と報告を命じた。
大庭清明・市教育長は「いじめに関する意識を改めるよう、学校や市教委への指導を徹底したい」と話した。
思いっきりひっかかったところをもう一度引用します。
市教委は「結果としていじめを隠したと思われても仕方がない。対応が極めて不適切だ」として
こんなもん「結果として」じゃなくて、「いじめ隠しそのもの」じゃないですか。
「思われても仕方がない。」じゃなくてく「そう思うのが当たり前」であって、「いじめ隠しである」と断定すべきなんじゃないでしょうか。
こんな腰の引けた言い方をしておいて「いじめに関する意識を改めるよう、学校や市教委への指導を徹底したい」と言ったところで全然迫力がないです。
大庭清明・市教育長の意識改革が不徹底と言わざるを得ません。
少しばかり腹を立てながら書きました。
この手の記事に接するたびに、お役所の事なかれ主義の保身主義者めと、怒りが込み上げます。それと懲りない面々が絶えない現実に、役所は人間をこういう恥知らずの鉄面皮にしてしまう。保身主義者の培養場なのかと、絶望感と無力感をに苛まれて、暗澹たる気持ちになるのは私だけでしょうか。
心ある人よ立ち上がれ、組織改革をやろうじゃないかと、リーダーシップを発揮する人たちを待望します。
こういう記事を読んでいると、「やっぱり、保身なんやね。」と思うのです。学校も市教も体裁ばかり気にして。どうみても、いじめ隠し・虚偽の報告です。市教長の「いじめに対する意識改革を指導」して、本当になんとかなると思っているんでしょうか?「何をどうするんでしょうか?」今の学校・市教で判る人がいるとでも思っているところが、判らない人の怖いところです。そして、いじめた子供・いじめられた子供のことは、どうするんでしょう?学校は、きちんと手をうっているのでしょうか?なんだか本題が後ろに回っている気がします。
絶対、子供たちになんらかの手をうってほしいものです。
「思われても仕方がない。」「言われても仕方がない。」
いまの大手ジャーナリズムの愛用句でもあります。
「福祉切り捨てと言われても仕方がない」
正面切って、この政策は福祉切り捨てである、と批判すべきなのに腰の引けた言い方をしています。
「金銭トラブル」?
これ、恐喝でしょう。恐喝罪として処罰されないが、恐喝行為でしょう。
真実から目を背けさせるために日本語を弄ぶ。
これも日本語の乱れのひとつと思います。
じゃあなんで今からでも恐喝で摘発しないのかなー
証拠は充分あるんでしょ
率直に教師は具体的にどうすればいじめを
撲滅できるんでしょうか?
みなさん 何か妙案あります?
九州では教師の間でも日教組加入組と非加入組の間でいじめがあると聞きます。未だに北朝鮮詣でをしているところもあります。そういうところに限って教育崩壊が進んでいるような気がします。保身にはしる教育委員会と日教組ではこの問題は解決不可能でしょう。
>いのげさん
いじめは撲滅(ゼロにするという意味で)できないでしょうね。
必然的に(または不可避的に)発生すると思います。
ただし、いじめる側が少しでも他人(いじめられる側)の痛みに共感できるならば、ある程度のところでブレーキがかかるように思います。
そうすると共感能力をどうして身につけさせるかということが問題になりますが、教師だけでは限界ありすぎという感じです。
最近は、自分の子供がいじめられていないかを調査する探偵がはやっているとか。
何でも、ランドセルの中に小型のICレコーダーなどを仕込んで、証拠といったこともしているようです。
さて、私はいつも、「いじめ」問題になると、何故、人権に関しては神経質な日教組が「何も言わないのか」が不思議でなりません。
あの方々の人権は、日教組組合員の権利を言うのでしょうか。そういえば、例の「履修逃れ」でも、日教組からのコメントは見なかったような気がします。