エントリ

 校長が勤務していた学校では、5年生の女児(10)に対する同級生らのたかり行為をいじめと認識しながら、同市教委に「児童間の金銭トラブル」と報告し、いじめの実態を隠していたことが11日に報道された。校長は同日、記者会見し、「いじめと認識しながら、市教委に正確に報告しなかったのは事実。私の怠慢であり誠に申し訳ない」と話していた。

 私もこの校長先生を強く批判するエントリを書きましたし、その私が死者を鞭打つようなことをさらに書くのはとても忍びないことで、また批判もあるかも知れませんが、敢えて

 この校長先生は、問題を完全に履き違えているように思います。

 いじめ隠しをしていたのはこの校長先生だけではありません。
 なぜ、いじめ隠しが起こるのか。
 それを語って欲しかったと切に思います。

 それに、いじめられ自殺をなんとしても防がなければならない教師側の人が自殺していたのでは話になりません。

 この学校の事件では幸い生徒は自殺しませんでした。

 しかし教育委員会にいじめが原因ではないと報告されたいじめられ自殺の場合は生徒が自殺しているのです。
 いじめられ自殺隠しが何件もあるのです。

 この校長先生が自殺しなければならなかったのであれば、もっと自殺すべき教師が何人もいます。

 自殺を理屈で論じる愚は重々承知の上で書いています。

 自殺を考えるほど深刻に思い悩んでいる先生の皆さん

 自殺するより苦しいかも知れませんが、なぜいじめ隠しをしたのかを赤裸々に述べてもらいたい。
 最後まで教育者の誇りと責任を忘れないでください。

 自殺はひとつの告発になるのかも知れませんが、周囲に回復不能の大きな傷を残します。

 この先生の自殺を痛ましいと思った教師の皆さん

 いじめといじめ隠しを語ってください。

 もしこの校長先生の自殺を痛ましく思わない教師がいたら
 即刻辞めろと言いたい。
 

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別エントリにも書きましたが、いじめを報告した児童の事を思えば、この校長は自殺を選ぶべきではなかったですね。正直に児童がいじめを報告したにもかかわらず、校長先生が自殺してしまったと言うのは、問題があると思います。

いじめられている児童を追いつめる結果にならなければいいのですが。

何より、正々堂々と責任を取らないで死に逃げた、と印象を生徒に与えることは物凄く教育効果としてはマイナスだと思うんですよね。
大人は日頃えらそうなこと言っているくせに、やってることは違うじゃないか。
自殺はいけないとか言っておいて自殺するし、行ったことの責任はとれといっておきながら逃げるし、と思われないかなぁ。
結構10代前半の子供というのはその辺厳しいですよ

新しいエントリーが出来たので、こちらにアップします。

> しま さん
> 長い目で見ると、隠すよりは隠さない方がいいと思います。

同感です。ただ私の立場は、正直に報告することによってその再発を防止することに力を注いでほしいと常々考えております。正直に報告した人だけにペナルティーを科すとなると、なんとか隠してしまいたいと思う心情は理解できます(建前論としては論外な意見でありますが)。

> 今回の件で自殺する理由がよく分からないのは確かですね。

 確かに死んだ人には聞けないので理由を正確に特定することはできませんし、教育者が自殺するのもこれまた論外な話です。ですが、これほどの全国的ニュースになったら、私でも自殺するかもしれません。

 いじめの問題はなかなか解決の糸口がつかめない難しい問題ですね。子供達のいじめは、大人社会の縮図なのかもしれません。私自身は違うスレッド(11/6 悪ふざけ)でも書いたのですが、いじめる側(加害者側)の心情を第3者の大人が時間をかけ聞き出し、いじめられる側がどれほど傷ついているかを加害者側に理解してもらうことが大切だと考えています(多大な時間と労力および信頼関係が必要です)。状況がよくわからないまま、子供同士の喧嘩やいじめに大人が顔を突っ込むと、かえって状況が悪化すると思います。いじめを隠す、隠さないは責任者の処罰という面では重要な判断材料かもしれませんが、いじめ問題解決の本質部分ではないと考えています。

 教育専門家のレベルの高い提案が出てくることを期待しております。

理由は想像するしかありませんが、
・自分の判断ミスで学校を大騒ぎに巻き込んでしまったという後悔、
・マスコミや教育委員会をはじめ周囲から集中砲火を受けた(多分ご自宅にも電話や取材攻勢とかあったんでしょうね)精神的な疲労、
・教職員や生徒にすまないという胸が締め付けられるような思い、
・これから針のむしろの中を出勤しなければならないというプレッシャー等々が一気にのしかかって発作的にということなのかなと思います。

まず、教育委員会自身が、
・いじめ問題は教師の手腕、頑張りと必ずしも関係なく起きるという認識(いじめ発生をマイナスポイントとせず、その後の対応で評価する)
・いじめ問題への対応経験は委員会全体の「宝」との発想の転換、経験の共有
・マスコミ攻勢などから学校を守り一緒に解決していこうという姿勢、
・校長からの相談に校長経験者など幹部が積極的に応じ、現場を支援する体制づくりなど、
当事者として現場を守るという対応を示さなければ、校長の自殺は防げないという気がします。

結局,この校長は,校長として不適格であったということです。そういう意味では,この校長を校長に認定(?)した者は,その責任を問われなければならないと思います。

 少し別の視点から・・・。

 一般論として先ず述べるが、
自分の子供の頃を振り返っても、確かに 「いじめ」 はあったが、
学校にバレルような 「いじめ」 はなかった。
そういう意味では、学校は 「いじめが行なわれた場」 に過ぎないわけであり、
いじめの実態を学校側が把握することは、かなり難しい。

  「いじめ&いじめ自殺」については、最近に限らず、これまでもあった。
もちろん学校側にも それなりの責任はあるわけだが、むしろ責任の大部分は
当事者&当事者の保護者が負うべきものだと思う。
いじめた側はもちろん、自殺した側もである。

 そういう意味では、(当事者&当事者の保護者よりも、むしろ それ以上に)
学校側ばかりが非難されるという現実は、私は少し筋違いだと常々思っている。

 但し、最近の事例のように、学校側の説明が二転三転したり、
いじめに教師が加担したりしていた場合は、当然、学校側の責任は大きい。
また、今回のような学校側による 「いじめ隠し」 の報告については、
もちろん学校の責任である。

(そうは言っても、「いじめ隠し」報告の発端である金銭トラブル(?)自体は、
 当事者の生徒&生徒の保護者に 最も責任があることを忘れてはならない!
 残念なことに、誰もが(特にマスコミは)忘れているようだが・・・・)


 さて、もう1つ。「本件の校長自殺」 については、
表題にある 「モトケン氏の主張」 こそ正論であるのは勿論なのだが、
責任のとり方の1つとして、私は、自殺という手段は卑怯だとは思う一方、
あっても仕方がないか―と、個人的には思っている。

 私自身、責任をとって(卑怯にも)自殺して詫びるという事は、やはり考える。

 ただ、少なくとも 「いじめ自殺」の場合は、いじめられ苦しくて
(最近の傾向としては、仕返し、腹いせに?) 自殺するわけである。
決して、不始末の責任をとって自殺する―というのとは違う。

 そういう意味では、「いじめ自殺」 と 「本件の校長自殺」 とは、
別次元で考えたいと思う。
(もちろん、自殺は良くないという点では同次元だが・・・)

 個人的には、整形開業医Y さんの考えと同様である。
 

どんないじめも自殺も認めてはいけないと思いますが、どうしてヒト一人が自殺を選択してしまったか、結果だけでなくその背後にあるものを改善しないと結局同じことが繰り返されると思います。

教育崩壊も医療崩壊も似たものを感じます。

羅列で申し訳ありませんが、

・現場の大変さを一般の人は実感できない。
・何か事件があれば、マスコミに激しくバッシングされ晒し者にされる(システムの欠陥や背後にある問題については触れずに個人に責任を求めを攻撃する)
・子供を育むという極めて大事な仕事で、小学校、中学校の教育者には情熱、モラル、知恵、ビジョン、健全な精神など高い能力が必要であるはずなのに、報酬が少なく、給与体系が硬直しており、結果たいした人材が集まらない。
・仕事に不適格な教師(医師)がいても校長(公立病院の院長)の権限では排除できない。
・真面目な教師(医師)ほど仕事が増え、頑張っても手を抜いても報酬は同じで、割に合わずに燃え尽きる。
・生徒やその父兄は(患者)権利を主張するが、ルールは守らない。
・生徒(患者)も害を受けることがあるが、教師(医師)も心に大きな傷を受ける機会が他の仕事より多い。
・国やマスコミは生徒(患者)を甘やかし、教師(医師)が何もできないようにしていく。
・免許の更新がない。

国民が教育を大事に思うなら、
やっぱり一線で頑張っている教師の皆さんが頼りです、大事です。できるだけのバックアップはします。だから手始めにこの国の教育がよくなるように税金で教師の給料を2千万にします。自分の通っている学校の教師を親すら理屈無く尊敬できるような人材で固めてください。勿論教師の採用、解雇の権限は校長に与えます。定期的に校長や教師が適正な教育をおこなっているかどうかを第三者機関もチェックし、変な教師は排除します。適正であれば少々の体罰もOKです。もちろん適宜第三者機関がチェックしますが、子供たちのことを考え、どうか理想の、思ったとおりの教育をしてください、ぐらいの思い切ったことを国が発表すれば、現場で頑張っている教師はやる気を出すと思いますよ。
今の日本人は金をかけず、相手の自由を奪い、しかも結果を求めすぎです。
明治の初期の教師は地位も給与もよく、優秀な人は教師を目指したと聞きました。
夏目漱石や正岡子規もどこかで教師してましたよね。北欧のどこかの国は成績優秀者は教師になると聞きました。日本も税金を箱物や老人に使うだけでなく、成績優秀な人材が教師になりたい、と思うようなシステムを設定して欲しいと思います。

OBGYさまの提案には感じ入りました。普段私の思っていたことを言ってくださったように勝手ながら感じてしまいました。

ただし一つだけ、体罰には私は反対です。確かに「暴力」と「体罰」の区別はあるのかもしれません。しかし、体罰を認めることによる利益よりも、度を越した体罰が行われるおそれとそれによる害の方が大きいと思います。昔、教師のひどい「暴力」を目にした経験からの思いです。

昨日も児童の自殺が相次ぎました。校長の自殺とは、原因は異なりますが
現実逃避という動機は同じです。もちろん、両者ともその対策などに取り組む必要があるでしょうが、昔、女優が自殺した際、後追い自殺が相次いだことを思い出しました。
ここ最近の自殺の傾向は、特に児童の自殺には、そのような傾向があるのではないかと危惧を抱いています。何か日本人の個が確立されていない、付和雷同の性格にも大きな原因があるのではないだろうかと思います。

連投すみません。
度を越した体罰もさりながら、恣意的な体罰も危惧せざるをえません。そもそも教師は力の差をもって正義を振りかざすような存在ではあるべきでないでしょう。「悪いこと」をした生徒とは、対話をもって、正しいこと、どうあるべきかを共に考えていく姿勢が必要だと思います。対話が通じない生徒がいても、力をもって対することは、教師の役割ではないでしょう。

敢えて刺激的に書きます。

私はいじめ、差別の類はなくならないと思いますし、
なくすという前提で社会が動くと社会がゆがむと考えています。
いじめも差別もある方が社会は健全だと思うので。

例えば豚の場合では、一番力の弱いものが
一番乳が出ない乳腺に仲間達から振り分けられてしまいます。
あるいは犬や類人猿の集団にもいじめ現象は観察されるわけで、
いじめはある種本能に基づく行為だと思うのです。

成長期、思春期の子供達の集団が、
大人の監視から逃れて、ある種の規則に基づく集団を形成し、
その中でのルールを形作り始めた時にいじめは発生します。
ある意味では健全な独立心の萌芽でもある。
だから子供たちは絶対に大人達には知られたくないし、
「ちくる」行為は絶対に許されない。
大人がいじめを発見するのはとても難しいにきまっているのです。


問題は「程度」なのです。
報道されるような「程度」
にまで発展するのは明らかにやりすぎです。

私は具体的手立てとして、
中学入学時にまだ完全な自立集団ができていない段階で、
「いじめシュミレーション」をすることを提案します。
いじめがどの生物集団にも見られること、
それが過剰になると犯罪にまで至ること、
それらを教えた上で、
いじめのシミュレーションをするのです。
いじめる方、いじめられる方、双方の気持ちをシミュレーションさせる。
いじめそのものを否定するのではなく、
ここまでなら「遊び」の範囲で、
これを越えたら「遊び」ではなくなる、
ということを認識させる。

その上で過剰ないじめは本能に身をゆだねてしまう動物的な行為だということ、
過剰ないじめが発生した場合の非難方法を教える。
そのようなときには大人、先生、
あるいは警察に頼っても良いのだ、
ということを教える。
「過剰ないじめは、未熟なものがやることだ」
という認識を持たせることが重要なのではないでしょうか。

「いじめをなくしましょう」というお題目だけでは、
決していじめはなくらないと考えます。
それ以上に
「お前をいじめていいのはオレだけだ。
 お前をいじめるやつがいたら俺がやめさせてやる」
と言える子供集団に私は魅力を感じます。

鏡に映りし者さんのコメントを拝見して、確か、アメリカだったと思うのですが、「看守と囚人」という心理学の実験を思い出しました。

教授の指導の元、学生を看守と囚人に分け、シミュレーションさせたものです。その結果、看守役の学生は、囚人を強制させるために、暴力がエスカレートしていったという話です。

この時は、参加していた学生(両役とも)が精神的に危険な状態になったため、教授が途中で実験を中止したというような話だったと記憶しています。

私個人は「いじめ」という悪ふざけの延長のような表現は嫌いなのですが、この手の問題が発生すると、何故か、「説明責任」と称して、校長をつるし上げるようなマスコミの対応が非常に心外です。これは、学校問題だけではないのですが、明確に犯罪者と認定されたわけでもないのに、自分の身分を明かさず、ひどい言葉を浴びせ続ける。
これこそ、マスコミによる「いじめ」ではないかと思うことがあります。

なお、以下のサイトに「説明責任」についての考察が掲載されており、大変興味深いものがあります。

http://www.genron-npo.net/opinion/okamoto/001432.html

まとまりのないコメントで申し訳ございません。

>>No.12 成田の近くの住人 さん
>私個人は「いじめ」という悪ふざけの延長のような表現は嫌いなのですが、この手の問題が発生すると、何故か、「説明責任」と称して、校長をつるし上げるようなマスコミの対応が非常に心外です。これは、学校問題だけではないのですが、明確に犯罪者と認定されたわけでもないのに、自分の身分を明かさず、ひどい言葉を浴びせ続ける。
>これこそ、マスコミによる「いじめ」ではないかと思うことがあります。

同意です。

おそらく、この校長の自殺はただの「いじめによる自殺」です。

「生きていく辛さ」と「死ぬ辛さ」を天秤にかけて、「生きていく辛さ」の方が重ければ、ヒトは「死ぬ辛さ」を選びます。
もともと引いてある風袋の重さは人それぞれです。
つまり、同じモノを比べてもどちらに傾くかは人それぞれです。
健康な人はしばしば「どうしてこの程度の負荷で死を選ぶのかわからない」と言いますが、健常人に「わからない」ことこそが自殺が病的事象であることの証明と言えます。

で、健常人が「わからない」ことこそが自殺の主たる原因になっているのです。

No.11 鏡に映りし者さん

激しく同意です。正しい理論だと思います。

加えることはあまりありませんが、具体的な対策を一つ追加させてください。

学校(もしくは大人)が、虐めをするなとか無視をするなとかの曖昧な話ではなくて、例えば恐喝など大きな問題行為に対して、言い逃れができないくらい、具体的にしてはいけない行為を定めて、それに対しての罰も明確に提示しておいて例外なく実施するということをあげたいと思います。(小さな悪事がエスカレートするのは、次の段階にいたっても大丈夫と思うからであって、明確に次の「程度」にいかせない方策が大事だと思うんですよね)
生徒にルールを自分達で決めさせておいて(もちろんある程度の干渉、誘導は必要)、罰則や確実な実施の確認は学校側というような方策も考えられますね。

 普通の教師は普通の生徒に教科の指導はできるが、問題児の指導はできないもの、という割り切りも必要かもしれません。
 
 荒れた教室を矯正する、いじめをやめさせる、不登校を矯正するというような仕事は、よほど人間力のある教師か専門的なノウハウを持っている教師にしか期待できないのではないでしょうか。普通の教師にすべてを求めるのは無理です。
 
 タスクフォース的なチームを巡回、派遣するという方法も考えてみるべきでしょう。
 暴行、強要、強奪、名誉毀損、器物損壊等々、大人なら刑法に触れるような行為には、特別の「指導」、「処罰」も必要だと思います。そういうノウハウ、権限を持ったチームです。

「いじめ」から少し遠ざかりますが、30数年前、私のいた中学校は校内暴力が蔓延した「荒れた学校」でした。生徒間の暴行、恐喝、喫煙、シンナー、器物損壊等々が日常的に繰り返され、教師達は非行を繰り返す一部不良生徒(以下、不良たち)の機嫌を取って、宥めようとするだけで、実際に被害を受ける一般生徒を守る姿勢が無かったようでした。そんなある日、数人の不良たちの集団が職員室を襲撃して、教師達が応戦し、教師側に相当の被害(骨折等)が出たことがあります。新聞の全国版や週刊誌で報道されるような事件でした。その時、私は怪我をした教師達に気の毒に思うことができず、むしろ「いい気味だ。ざまー見ろ。」と思ったものです。それ以来、私は、学校は決して生徒を守らないものだから、子供が学校で不当な扱いを受けたら、親が戦わなければならないと考えています。

鏡に映りし者さんの提案を見て、私は、昔「伝説の教師」というドラマのいじめの回で行われた「いじめ当番制」を思い出しました。実効性はあると思いますし、賛成です。

ただ、ある程度のいじめは遊びとして許容するというのは、どうも分かりにくいと思うのですが。いじめをなくすことが不可能だからと言って、一定程度までは認めてしまえという話にはならないでしょう。

と言うと批判的な書き込みに見えてしまいそうなので断っておきますが、いじめを発見するのは困難であると言うのには全く同意です。すると予防的方策が重要になるわけで、その意味で「いじめシュミレーション」、ぜひやるべきだと私も思います。

>No.15 きとら さん

私の通っていた中学は、私が入る少し前に大変荒れたようで、私の入学直前に、その「タスク・フォース」が送り込まれました。中坊でも聞いたことのある、市内有数のこわ〜い中学から、数名の教師が派遣され、校内暴力の「鎮圧」が実行されたようです。今でも、そういう荒れた学校専門の強面教師(もちろん非公式)が残っているかも知れません。ただ、校内暴力は分かりやすいですが、いじめとなると、対応のノウハウを持った教師はもっと少ないかも知れません。

私の入学時は、「鎮圧作戦」自体は終了し、その後の「統治」段階に入っていましたから、夜中に校舎のガラスが割られることはありませんでしたが、その代わりに髪の毛の長さは勿論、指定靴・指定カバンが定められ、靴下の長さまで決められる、ウルトラ管理社会でした。社会科で社会主義国の項目を教わったとき、誰もが自分たちの現状と引き比べたものです。それも今となってはいい思い出……、なワケありません(笑)。

校長は名前も顔も出るから、自宅の電話は鳴りっぱなしでしょう。外に出れば何か言われ、軽蔑の眼差しで見られ、嫌がらせがいっぱいあったでしょう。家族、親戚からも辛くあたられたのかもしれません。

はじめは、この校長に味方するようなコメントを書こうと思いましたが、よく考えると、ここの方々のコメントのように、「自殺で解決しようとするな」という厳しい意見の方が、これから、もっと出てくるであろう教育者の自殺にブレーキをかけるものになると察しました。

そういえば、マスコミからいじめられた医師が自殺したという話は聞きませんね。

>No.3 整形開業医Y さん
根本的な疑問ですが、いじめを報告することによるペナルティって存在するものなのでしょうか。評価の一つにはなるかも知れませんが、明確に減点されるものなのでしょうか。

>No.12 成田の近くの住人さん

その著者は一回目で、以下のようなことも述べています。このような視点を持っている上で、マスコミ批判を行っていることは踏まえておいたほうがいいような気もします。ちなみに、この文章のマスコミを「医師」とか「教師」に置き換えても十分に通用する気がします。

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 日本人の多くは、なぜか「マスコミ信仰」とも言うべきマスコミへの「思い入れ」を未だに持ち続けているようですが、例えば「報道機関は中立(であってほしい)」などという思い入れは、「国連は中立(であってほしい)」という思い入れと同様に、幻想に過ぎないものです。報道機関にも「思想・信条・良心の自由」や「幸福追求権」は保障されているのですから、「中立の強制」はむしろ憲法違反でしょう。実際に、「何を報道し、何を報道しないか」という判断の時点で既に「中立」ではないのであり、そもそも中立でない方が自然です。こうした「幻想」や「思い入れ」は、このブログの目的から見ても、早く払拭されるべきでしょう。
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> 後だしジャンケン さん
> そういえば、マスコミからいじめられた医師が自殺したという
> 話は聞きませんね。

それはほめて頂いていると思っていいのでしょうか?実際にはマスコミが報道しないからで、マスコミに違法行為で名前が出た後に自殺した医者を何人も知っています。記者の人たちも後味が悪いのか、あるいは自殺したことすら知らないのかもしれません。

ちなみに日本は先進7カ国(G7)の中でずば抜けて自殺率が1番高い国です。年間3万人強、1日90人弱の人が日本では自殺しています。そんなものいちいち記事にしていたら、新聞が自殺の記事で埋め尽くされてしまいます。多くはうつ病だと思いますが、経済苦(サラ金地獄での自殺者が数千人もいるとのことで、最近話題になりましたが)やリストラなども大きな原因だと思います。昔から死んでお詫びする(切腹)の文化が未だに引き継がれているのかもしれません。

 今回の校長ような、マスコミに吊るし上げをくらって自殺する人の実数は全体からみればそんなには多くないと思います(正確な統計資料は持っていませんので、間違っていたら、ごめんなさい)。

> No. 20 しま さん へ
> いじめを報告することによるペナルティって存在するものなのでしょうか

 少し長くなりますが、三十日の衆院教育基本法特別委員会で、日本共産党の志位和夫委員長が安倍総理大臣と伊吹文科相に対して行った質問の抜粋です。信憑性はあると思います。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-10-31/2006103102_04_0.html
----------------------------(抜粋)-----------------------------
 志位 いま総理は“いじめの件数がどうかという問題ではなくて、対応が大事だ”といわれました。その通りだと思います。

 ところが現実はどうなっているか。いじめの件数が多いか少ないか、これで学校と教員を評価するという事態が、全国で起こっているというのが現実です。

 二年生の男子生徒がいじめに苦しんで自殺した福岡県筑前町の中学校では、事件後、この数年で七、八件のいじめがあったことが明らかになっておりますが、報告では「ゼロ」となっていました。福岡県では、県の教育委員会が、市町村の教育委員会の指導主事を集めた会議で、「いじめは一件もあってはならない」と強調し、全県の学校への徹底を指示していました。そのもとで、私たちが県内の教員や父母に直接お話をうかがいますと、「いじめを明かせば『ダメ教師』と評価されかねない」、「いじめがあると校長や教師がマイナス評価になる」、こういう風潮がつくられているというお話でした。

 同様の事態というのは、全国でも起こっています。先日、TBSテレビで放映された、みのもんたさんの「朝ズバッ!」という番組では、次のような現役の教師の声が紹介されました。「自分の恥も含めてファックスします。現在『自己管理シート』というものがあって、各教師が目標を立ててどれだけ研鑚(けんさん)に励んだかを管理職が評価するものです。ここに、自分の学級にいじめがあるなどと書こうものなら、神経質な管理職なら書き直しを命ぜられます。ほとんどは上を狙っていい報告をするんです。『自己管理シート』の評価が悪いと、給料に反映するんです。こうして、物言わぬ教師がどんどんつくられていく」

 さらにもう一つ、これは東京新聞の特集記事でありますが、いじめが隠されてしまう実態を告発しています。そこで紹介されている東京都内の中学校に勤める女性教師はこうのべています。「最近は、いじめを同僚教師に相談できない雰囲気になっている」、「学校が管理社会になってしまい、いじめを表沙汰(ざた)にすると、自分の業績評価に響いてしまうので、教師が一人で抱え込んでしまう」、「それだったら、最悪の事態があっても、いじめには気が付かなかったと言う方がまだましということになる」。

 首相にうかがいたい。いじめの件数が多いか少ないかで、結局、学校と教員が評価されている。こういうやり方がいじめの実態を見えなくさせ、教師集団が協力してこれに対処することを困難にさせている原因の一つになっているのではないでしょうか。いじめの件数が多いか少ないかというやり方で、学校と教員を評価するというのは、私はいじめ克服のうえでも有害なやり方だと考えますが、総理の見解をうかがいたいと思います。

 伊吹文明文科相 志位先生がおっしゃるようなことだから隠ぺいが行われているのか、それとも教師が規範意識を持ってないから自分をよく見せようとして隠ぺいしているのか、これは見方があります。そして、仕事には目標を立てて、いじめならいじめを減らしていくということを、だからやめろというわけにはいかないんですね。いまご指摘のあるようなことにならないような運営は心がけるように教育委員会にわれわれも話しますけれど、だからといって目標を立てていじめを減らすやり方はやめろということは、私はちょっと本末転倒だと思います。

 志位 いじめの多寡――多いか少ないかで評価するというやり方を押しつけたら、結局、教師をそういうところに追いこんでしまうというシステムを、私は、問題にしているわけです。

 教育基本法改定との関係でいいますと、この基本法が改定されたらどうなるか。国が「教育振興基本計画」をつくる。そしてそれを全国の学校に義務付けることになるわけです。ここに、中央教育審議会が二〇〇三年三月に「教育振興基本計画」のひな型として発表した文書があります。それを見ると、数値目標がずらっと並んでいます。そしていじめについても「五年間で半減」という数値目標が書かれております。私は、この文書のなかで、いじめ問題について書かれているのは他にないかなと思ってよく読んでみましたけれども、書いてあるのは「半減」という目標値だけなのです。

 私は、こういうやり方が全国の学校にもし義務づけられるとしたら、それこそいじめの件数が多いか少ないか、それだけを「ものさし」にして評価されてしまって、結局、学校と教師がいじめの問題を本当にありのままを報告し、その実態に即して対応する、これを妨げてしまうのではないか。政府も、会議を開けば、いじめの件数の多寡が問題ではなくて、対応が大切だといっているわけでしょう。ところが実際は、数値目標だけを押しつける。こういうことをやったら、私はいじめの実態が水面下に隠れてしまって、対応ができなくなると考えますが、今度は総理どうですか。

 首相 しかし、そのいじめの実態があるのであれば、いじめを減らすべく努力するのは当然のことであって、とりあえずそのなかでこういう目標を立てましょうと。

 しかし、そういう目標を立てたなかにあって、それを隠ぺいするというのはまた別の話であって、教師こそそんなことを、規範から外れることをやってはいけないのであって、そのためにどういう工夫をしていこうかということすら考えない先生がいることも問題でありますが、まずはそういう目標を立てたら、どう子どもたちに向き合っていけばいじめが減っていくかということを先生方にも考えていただかなければいけないし…。

 もちろん先生にすべてを担わせるのは大変かもしれませんが、しかし学校全体、あるいは地域や家庭も一緒になって連携しながらやっていこうというなかにあって、先生がリーダーシップを発揮していくことは当然求められることではないかと思います。

 志位 教育現場がありのままの事態を報告する、隠ぺいしたりすることは許されないと、これは当たり前のことです。ただ、(学校と教師を)そこに追い込んでいくようなシステムを問題にしているのです。

 私は政府のやっていることは矛盾していると思います。いじめ自殺という深刻な事態が起こったら、全国の担当者を集めて、そこで意思統一することは、“いじめの発生の件数が多いか少ないかよりも、どう対応するかが大事なんだ”ということをいっておきながら、教育基本法改定で押しつける目標というのは数値目標だけだと。これではかるということになったら、私はいじめ克服に逆行することになると思います。

>整形開業医Y さん
>「いじめを明かせば『ダメ教師』と評価されかねない」、「いじめがあると校長や
>教師がマイナス評価になる」、こういう風潮がつくられているというお話でした。

これは教師の「意見」ですよね。

>ここに、自分の学級にいじめがあるなどと書こうものなら、神経質な管理職なら
>書き直しを命ぜられます。

これも「評価」の一つだと考えます。これをもって、ペナルティが存在すると言い切るのは情報が乏しいように思いますが。もちろん、そのような恐怖感を抱くこと自体がペナルティだというのは分かりますが、誰がそのような風潮を作り出しているのでしょう。

>No.18 中山さん
 
 鎮圧部隊は実際にいたわけですか。大変でしたね。(笑)
 
 昭和二〇年代、三〇年代の小中学校は平和なものでした。
 
 今の学校、よく解りませんね。
 一時期は「管理教育」とか言われましたが、いまは「格差教育」らしいですね。
 生徒らも別の悩みを悩んでいるのでしょう。
 
 教師の方は一層管理が進んでいるようです。

 現場で起こった事件を医師、或いは校長や教師の責任として、はいそれで終わりで幕切れしようとする体制そのものが悪いのであって、医師或いは校長教師が悪いのではない。
 マスコミや官僚などは文系上がりの人間が多く、何故いじめが発生するのか、どうしたら減らせるのかという科学的考えが全然ない。苛めが発生したことが教師校長の評価を下げてきた体制そのものが間違っている。苛めは必ず起きるからそれは減点としないこと。苛め問題を克服したことが教師校長の評価の対象としない限り、教育崩壊は決定的となる。それに気が付かない国民やマスコミは馬鹿だ。医療と同じで教育も崩壊する。

しま様

>もちろん、そのような恐怖感を抱くこと自体がペナルティだというのは分かりますが、誰がそのような風潮を作り出しているのでしょう。

元をただせば、政府でしょ。

>ここに、中央教育審議会が二〇〇三年三月に「教育振興基本計画」のひな型として発表した文書があります。それを見ると、数値目標がずらっと並んでいます。そしていじめについても「五年間で半減」という数値目標が書かれております。

整形開業医Y様が紹介されたやりとりからすると、国が「5年間で半減せよ」と目標を立て、地方に流した。流された地方では、国が決めたことだから、否応なく従わざるを得ない。しかし、国が決めたからといって、子どもには関係ないので、いじめをやめるわけはない。しかも、決めたのは数値目標だけであって、そこにいじめ問題解決の方策はない。

要は、実態の分析も、解決方策も考えず(ゆとり教育の元凶である中教審にそんな能力があるとも思えない)、国が一方的に無茶な数値目標を決めただけで、地方、ひいては現場に丸投げした、ということでしょう。5年間でいじめ半減って、今までいじめ問題が発生してから何十年間も、現場もそれなりに努力してもなくならなかったのに、国が半減といっただけで急になくなるのなら誰も苦労はしないですよね。

こうして実態を無視して数字の実現だけを押し付けたから、結果としていじめの事実を隠蔽する必要が出てきたわけです。会社でも、現場を知らない親会社から無茶なノルマが課せられたら、必死で頑張ってダメなときは、辞表をたたきつけるか、「無能な社員」という評価に甘んじるか、それもできなきゃ、ウソの報告を上げるしかない。

国が都道府県教委を締め付け、都道府県教委が市町村教委を締め付け、市町村教委が現場を締め付ける。そしていじめ半減というノルマを達成できない教師は「無能教師」という烙印を押され、不当な扱いを受けるので、事実の報告などできない、ということでしょうね。

>>No.27 じじい さん
>会社でも、現場を知らない親会社から無茶なノルマが課せられたら、必死で頑張ってダメなときは、辞表をたたきつけるか、「無能な社員」という評価に甘んじるか、それもできなきゃ、ウソの報告を上げるしかない。

社会主義諸国で何が起こった/ているか、ですね。

>じじいさん
>国が「5年間で半減せよ」と目標を立て、地方に流した

↓を見る限りは、なんら決まってないものと思いますが。あくまで具体的目標を「例示」したものであって、これをもって「国が目標を定めた」と言うのはいささか早のみこみかと。もっとも、既にこれが目標として組み入れられているものもあるかも知れませんが。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/030301e.htm

問題は教育に数値目標が必要かどうかと言うことではありますが、私は必要だと思いますね。

いじめ隠し(追記)のほうに投稿した者です。学校の不祥事としては上位?にある金銭トラブル(たぶん恐喝orかつあげとして)として報告したのではないかと思ってます。犯罪ですし、加害者と被害者がはっきりしていています。いじめと報告するよりは管理者として評価は悪くなるのを覚悟の報告だったのではないでしょうか。ので、結果として・・・とか隠すつもりはなかった、といった言葉が出てきたのだと思います。
いじめについて。いじめは人間関係です。学校はそれを学んでいくところだと思います。40人の生徒が毎日同じ場所で同じことをやっていくのですからいつでもどこでも、トラブルは起きてます。それを、自分が妥協したり、折れたり、相手に文句言ったり、取っ組み合いしたり、うわべだけの付き合いを学んだりして成長していくのだと思います。最近の子供は自分は悪くない、こんなことされた、おまえら何とかしろ、と当事者になりません。(くだらないマスコミの影響が大きい)当事者が解決しようとしないで、子供の意見をもっと聞け、だとか子供の気持ちがわかってないなどと回りのせいにしています。(マスコミと一緒に)

>一塁ベースさん
いじめは人間関係です。・・・・・・

そのとおりだと思います。またいじめはや差別は根源的なものであることもあまり異論はないと思います。私らの子供のころももちろんありました。自信もいじめに加わったこともありました。しかし、私の経験のみを言えば、いじめがあると誰ということもなく、"かわいそうだからやめようよ"と言い出す子がいたものでした。いわば集団が一方向に動いていかないダイナミクスがあったような気がします。いまではそれが失われているような気がするのです。子供がわかっていっても口に出せないことのほうが、いじめそのものより怖いような気がします。

>集団が一方向に動いていかないダイナミクスがあったような気がします。いまではそれが失われているような気がするのです。
その通りだと思います。
子供は大人の社会を映した鏡とかんがえれば
いじめにおいても
A君対B君での対決のような構図はとらないのに
A君対「クラスのみんな」みたいないわば匿名性のある集団にもぐりこんだとき
一人一人の時では考えられないような残酷な仕打ちができるように
なってしまうんでしょう。
なんか、ネット上でのブログの「炎上」といった現象を連想してしまいました

>1塁ベースさん
恐喝が「金銭トラブル」ですか…。
私はトラブルと言うと金の貸し借りのような民事的なものに限定されるイメージがありますが、1塁ベースさんの中では犯罪まで包含されるのですね。
ちなみに、私の出身中学では5000万円程の恐喝を受けた生徒がいます。これも「金銭トラブル」なのでしょうか?まあ、こんなカテゴライズには何の意味もないとは思いますが。

小学校、中学校といじめは程度の差はあれ常に発生していた気がします。
熱心な教師が担任となって鎮静していたことはありましたが…
学校に責任があるとしてもその一端でしかない。

本来教育に関して協力者であるはずの保護者がマスコミに煽られ、マスコミと一緒になって教師に罵声を浴びせ石を投げています。
医療に対する攻撃と重ねあわせて見てしまいます。

スポンサーとなる大企業、手痛い反撃を浴びる恐れのある暴力団組織などがマスコミの標的となることはありません。「本来的に決して中立ではあり得ない」マスコミのターゲットとなるのは叩いても「安全」で「大衆(顧客)の溜飲の下がる」相手、例えば医療、教育、警察組織、有名だが無力な個人中心、という構図です。
それにしても、マスコミの反応というものがこうも画一的でパターン化されるのはどういうわけなのでしょうか?中立的とまでは言わずとももう少し多面的になれる方法はないものでしょうか?ないんだろうなあ。

>田舎内科医さん
>マスコミのターゲットとなるのは叩いても「安全」で「大衆(顧客)の溜飲の下がる」相手

マスコミは面白くて大衆受けすればいいんです。かれらも商売ですから。

>マスコミの反応というものがこうも画一的でパターン化されるのはどういうわけなのでしょうか?

大衆が画一的だからです。大衆が画一的なのはおそらく教育が画一的だからです。(ちょっと飛躍かな)

すいません。私の言いたいことは、恐喝はいじめではないということです。そしてその事も
いじめとはしないで(金銭トラブルはかるすぎるのかもしれませんが)ちゃんと報告しているではないか。それをなんで「いじめ」に「いじめ隠し」にしてしまうのかということです。

>田舎内科医さん
>スポンサーとなる大企業、手痛い反撃を浴びる恐れのある暴力団組織などが
>マスコミの標的となることはありません

暴力団組織は時々話題になりますね。大企業に関しては、リコール隠しの際の三菱自動車叩き、アスベストの際のクボタ叩き、最近では消費者金融叩きなどがありますね。

>1塁ベースさん
確かに金銭トラブルと報告していたようですね。


>市教委には「女児が自宅から10万円以上を持ち出し、数人の児童に渡した」と
>報告したという。
http://www.asahi.com/national/update/1111/SEB200611110006.html

>しかし、金銭要求が始まった時期や回数、額などを十分に調べておらず、
>市教委へは「女児が家の金庫から10万円以上持ち出し、同級生らに数百円から
>1万円程度を渡していた。いじめではなく、金銭のトラブル」と説明していた。
http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/ne_06111151.htm


もちろん、マスコミが信用出来ないというのも確かですので、これに反するような報道があったら教えて頂きたいと思います。

>↓を見る限りは、なんら決まってないものと思いますが。あくまで具体的目標を「例示」したものであって、これをもって「国が目標を定めた」と言うのはいささか早のみこみかと。もっとも、既にこれが目標として組み入れられているものもあるかも知れませんが。

確かに決まる直前(通常、後は通達を送って終わりです。)まで行ってますが、セットものの教育基本法が足踏みしてますので、計画としては出来上がってはいないようです。ただ、いじめ半減の部分が、放置されているのか、別途処置されたかは定かではありません。

> 問題は教育に数値目標が必要かどうかと言うことではありますが、私は必要だと思いますね。

教育目標の数値化を一概には否定しませんが、いじめのような人の内心にかかるものを数値化する意味が私には分かりません。半減といっても人の内心を無理やりコントロールすることが、教師にできるとも思えませんし、できない目標を掲げる意味は何なのでしょうか。
.

>じじいさん

-----------
教育基本法の改正後,政府において直ちに教育振興基本計画の策定作業に入ることができるよう,計画に盛り込むべき具体的な施策の内容について,今後,本審議会の関係分科会等においてより専門的な立場から検討を行うこととしたい。
-----------

教育基本法の改正後に教育振興基本計画の策定作業に入るという事は、策定すら始まっていないと言うことになります。中教審で審議されるという話ですから、どのような具体的目標を立てるのかはこれから審議されると言うことでしょう。これはあくまでもサンプルであって、これがそのまま目標に盛り込まれることはないと思いますが。


>いじめのような人の内心にかかるものを数値化する意味が私には分かりません。

対策を立てるのならば、数値化は不可欠だと思いますが。つまり、PDCAのサイクルと言いましょうか。計画→実行→評価→改善と言うサイクルが必要になると思いますが、数値化無しに評価出来るのかが疑問なのです。

もちろん、これは私が数値化抜きの評価方法を知らないと言うだけの話なのですが。

 10/30のエントリ「いじめの可能性」No.6で私が危惧していた自殺の連鎖反応が日本国中で始まってきたような気がします。
 ですが最近のマスコミ報道は、教師やいじめた側を一方的に非難するような論調が少し減り、冷静な報道も増えてきたような気もします。子供達が自殺に至る過程を特定することや、それに対して適切に対処することがとても難しい作業であることが、すこしは分かってきたのかもしれません。
 学園生活に常にいじめは存在します。いじめを受けていると感じる子供達は、日本国中に無数にいます。その中で自殺までいたるケースは一部かもしれませんが、今回の自殺報道で連鎖反応が起こっている事は間違いないように思います。なんとかこの悪循環を早く収束することはできませんかね。とても悲しい気持ちになってしまいます。

 なんだかいつのまにか、自殺した学校長が記者会見の場でマスコミから不当な「吊るし上げ」「いじめ」を受けたことが事実であるかのように語られ、(あえて申し上げますが)お決まりのマスコミ批判が展開されていますね。

 私は本件においてどのような態様の取材がおこなわれたかについて知らないのですが、記者会見の場において、例えばJR尼崎列車脱線事故の際に見られたような記者の暴言などがあったのでしょうか。浅田農産事件のように、会見を打ち切ろうとした会見主催者を取材者が囂々と非難し、長時間にわたり謝罪させ続けたといった事実があったのでしょうか。私は寡聞にしてそのような事実を知らないのですが、単に私が知らないだけだということであれば、ご教示いただければ幸いです。

 また、「明確に犯罪者と認定されたわけでもないのに」とのことですが、別にマスメディアは裁判所の確定判決を待たなければ取材や報道をしてはいけないというわけではありません。それどころか、マスメディア取材・報道が先行して行政手続や刑事手続が後追いするような事例もままあります(直近では「奈良市職員病欠問題」など)。もしも「明確に犯罪者と認定」されない限りマスメディアは誰かを追及できないということになれば、例えば官庁を舞台にした不祥事などはおよそ明るみになることはないのではないかと思われるのですが、皆さまはそのほうがよいというお考えなのでしょうか。

 なお本件は、公立学校において、児童生徒を指導監督し、出席停止を含め様々な懲戒を行なう権限を有する学校長が、長期間にわたり同級生や上級生から恐喝を受け続けている児童の存在を認知したにも係わらず、適時適切な指導や権限行使をしなかったのみならず、「児童が非対等な関係の下で一方的に金をせびられ続けていた」という事実を「金銭トラブル」というあたかも対等な関係の下で生じた紛争であったかのように教育委員会に報告し、自らの不適切対応を糊塗しようとし、その結果被害児童の救済が遅れたというものです(つまり「いじめがあったこと」ではなく、「いじめ問題に真正面から取り組み克服しようとするどころかその事実を隠蔽しようとしたこと」が主として問題視されているわけです)。
 成田の近くの住人さまご紹介のエッセイの内容に照らせば、法によって与えられた権限を適時適切に行使せず児童の権利救済を怠った公立学校長には、その「怠る事実」についてまさしく「全ての納税者を納得させられる説明を行なう責任」があるということになるでしょう。公式には、上司(任命権者)を通じて議会において説明責任を果たす、ということになるでしょうが、別に非公式な説明の場として記者会見を開催することは、上司の承諾さえあれば学校長の「自由」です。実際、保護者に対する説明会を非公開で行うだけでマスメディアなどには文書による応答で済ませる学校もあります。本件の学校長は、記者会見を開くことによって生じるメリット・デメリットと、記者会見を開かないことによって生じるメリット・デメリットを勘案した上で、「記者会見を開き、マスメディアを通じて住民らに対し事実説明を行なう」という途を選んだのです。そして、その選択は、自らが招致したマスメディアから数々の質問が投げかけられることも当然予想した上で下されたはずです。

 たしかに一般論としてマスメディアの取材姿勢や報道のあり方に批判されるべき点が多くみられるということは認めますが、本件において記者会見の場で取材者が暴言を発していたとか非常識なほど長時間会見を続けるよう強要していたとかいった事実を具体的に摘示しないまま、「不祥事を起こした公務員に対して事実関係を質す」というそれ自体はマスメディアにとっての正当な業務を、「吊るし上げ」であるとか「いじめ」であると批判なさるのは失当でしょう。

 あえて申し上げれば、本件におけるマスメディア批判の根底には「問題が何であれ、とりあえず『マスコミが悪い』と言っておけば何か批判したような気になれる」という気分があるのではないかとすら感じられます。

 ところで、「マスメディアが画一的であるのと同じくらい、ネット上で展開されるマスメディア批判が画一的である」と私には感じられるのですが、これはやはり「大衆が画一的」だからでしょうか。それとも、マスメディアは医療、官僚組織、警察などと並んで批判しても手痛い反撃をくらうおそれのない、格好の批判対象だからでしょうか。

>この校長先生が自殺しなければならなかったのであれば、もっと自殺すべき教師が何人もいます。

レスの方向がずれますが、私は自殺問題に注目したいと思っております。日本人の自殺は現在3万人を
超えており、崩壊した東欧諸国に次いで世界でもナンバー1となっております。西欧の2−5倍、南アメリカ諸国の10倍の多さです。実際、日本では増えたとはいえ、殺人事件は1000件のペースで、交通事故が6000人、自殺は33000人と桁が違います。子供の自殺問題も今回の校長の自殺問題も日本人の自殺へ誘惑が続く限り、どうしようも無い感じがします。モトケンさんは軽く書いたかも知れませんが日本には悪いなら自殺すべきという表現が良くあります。
宗教的問題、キリスト教がベースにない、儒教的だとか色々原因はあると思いますが、比較的無責任だと言われる日本人は個人主義というものが元来無く、個人責任を追求されると非常にストレスを感じうつ状態となり自殺に至ると感じます。
今回の各論に話は至りませんが、昨今のマスコミの報道は不可能をあたかも可能な如く、事件が起きるとその当事者にしぼり、個人的攻撃に走りその結果として2次災害(校長の自殺)が多発しています。
未履修問題にしても校長の自殺は私はマスコミによるいじめによる死亡だと考えております。マスコミによれば適正な報道、によって被害者がでて残念ですっていうコメントになるのでしょうが、相手が先進国で最も自殺性向が強い日本人であるということを認識して、その自殺可能性を予測し回避しながら報道、捜査をしているとは思えません。

自殺の話の続きです。
>自殺を考えるほど深刻に思い悩んでいる先生の皆さん
>自殺するより苦しいかも知れませんが、なぜいじめ隠しをしたのかを赤裸々に述べてもらいたい。
自殺に何故こだわるのかと言うと、日本人の自殺の多さを海外で指摘されたあと、一時自殺問題に取り組んだことがあるのです。といっても、
仕事で何か不慮の事態が起こったとき、自殺に至って居る当時者は自殺を考えるほど深刻に悩んでいるわけではありません。大抵は自己否定に陥り、反応性うつ状態になってしまっていて対処する精神状態ではありません。そして、そういう時の精神的なフォローは日本では全くありません。本人が対処しろ、お前が悪いと上司、マスコミから集中砲火を受け思考停止状態なのです。

自分の体験で申し訳ありませんが、一度刑事事件で任意の取り調べを受けた友人をフォローしたケースがありますが。任意の段階で最初は弁護人もつかず、それまでの仕事、人生を否定されることを毎日8時間以上の取り調べを受けたことで、自己否定につながり、不眠、食欲低下、精神活動のドンマが観られ、それにも関わらず取り調べを続けられました。近親者は自殺をほのめかす本人を心配しました。私は状態として反応性うつ状態であるが、入院で逃げることを許してくれる状況に無く、現実的に出来るのは精神的、法的フォローであろうとのことで弁護士、精神科医師を手配しました。取り調べには本人が対処せざるを得なかったのですが、一人孤独な状態からその前後に法的な助言を弁護士からもらい、精神科医師よりは治療を受け、うつ状態から乗り越え無事、捜査を乗り越えたという事例がありました。
捜査という非常にストレスが与えられた状態、マスコミから集中砲火をあびているとき、それに対応している個人は日本では非常に孤独で、反応性のうつ状態になっています。もう、何か対処できる精神状態では無いのです。
私としては、このような校長が自殺することはその家族、周囲にとって本当に悲しむべきことだと思います。また、校長本人には同情します。近くの者、教育委員会などの上司などなど、誰かがサポートしてくれば立ち直りその後、対応できたかも知れません。
 >>それに、いじめられ自殺をなんとしても防がなければならない教師側の人が自殺していたのでは話になりません。
その点で、この発言は成人が小児よりも自殺性向が高い日本人に対して問題を履き違えているとして考えられません。

失礼な発言、お許しください。

No42さんへ
 学校が事実を知ったのは今年の9月下旬(母親がその時点で気が付いた)母親から相談があったからです。恐喝は昨年のからあったというのはそれから調べてわかったことです。新聞記事のわなにはまってませんか。母親から相談があって調査して事実を教育委員会に正直に報告(金銭トラブルという言葉は問題ありかもしれません)。校長が不祥事を起こしたとはとても思えません。という私も(asahi.com)の情報ですが。

an_accused様

>なお本件は、公立学校において、児童生徒を指導監督し、出席停止を含め様々な懲戒を行なう権限を有する学校長が、長期間にわたり同級生や上級生から恐喝を受け続けている児童の存在を認知したにも係わらず、適時適切な指導や権限行使をしなかったのみならず

毎日新聞の記事によると

>被害女児の両親は9月26日、女児が上級生から脅され、2万円を英会話教室で渡すことになっていると学校に相談し、たかりの現場を押さえて指導するよう求めた。これに対し学校側は「それは学校がすべきことではない」と応じず、現金を要求した児童を呼んで事情を聴いたという。

>学校は事態をいじめと判断、10月16日に「学校で困ったことはあるか」という内容の全校アンケートを実施した。児童らの話とあわせて被害の実態把握に努め、7月以降女児が十数万円を渡した事実はつかんだが、たかりがいつから始まったか、詳細は完全に確認できていないという。

>永田校長は「双方の言い分が食い違う部分もあり、状況をはっきりさせてから市教委に報告したかった。いじめを隠す意図はなかった。いずれにせよ、子供たちが出していたサインを受け取れず、申し訳なかった」と述べた。

>http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061112-00000182-mailo-l40

というのが経緯(校長が説明した)だそうです。

確かに、結果として自殺を防げなかったのですから、学校のやり方が適切でなかったのかもしれませんが、これは我々があくまで自殺という結果を知っているからこそ指摘ができるわけですが、当時の校長らは当然この結果を知りません。多少、日程がスローな感じはするものの、経緯からすると必ずしも長期間放置されていた訳でもないようですが。

「適時適切な指導や権限行使をしなかったのみならず」という批判をされる、an_accused様には、当然「適時適切な指導や権限行使」が何なのか承知されていることと思いますが、よろしければご教示願えないでしょうか。

>「記者会見を開き、マスメディアを通じて住民らに対し事実説明を行なう」という途を選んだのです。

当然そういった理由も考えられます。また、このまま学校に取材陣が押しかけ、学校現場が混乱するのを防ぎたかったという理由も考えられます。(本件とは関係ありませんが、「会見を開かなければ、各社個別にぶら下がる」というある種の圧力がかかるケースも聞きます。)

教育委員会からの指示なのか、校長自身の判断なのかは分かりませんが、自らを非難しようと手ぐすねをひくマスコミの前で記者会見を行うことは恐ろしく苦痛なものと思います。しかも、翌日の新聞やテレビには自分に対する批判の言葉が並ぶこととなります。

an_accused様ほどの方であれば、記者の前で理路整然とご自身の主張をされ、例え自分に対する批判がマスコミで展開されても特に気には留められないのかもしれませんが。
私は本件記者会見を批判するつもりはありませんが、校長の苦痛は想像に余りあります。

>an_accused さん
>私は本件においてどのような態様の取材がおこなわれたかについて知らないのですが

本件はともかくとして、他の件で校長や教師に対し、をつるし上げに近いような取材が行われている場面はしばしばテレビの画面上で目にしております。

>また、「明確に犯罪者と認定されたわけでもないのに」とのことですが、別にマスメディアは裁判所の確定判決を待たなければ取材や報道をしてはいけないというわけではありません

明確でもないのに報道し、その報道内容が事実と異なった場合、報道関係者は誤報道の被害をどう考えているのでしょうか。実際これはしばしば起こっているようです。つい最近奈良県で起こった産科の問題については、捏造といわれても仕方ないものがあります。ところが本来重大問題なのに、現在では関連記事を目にすることもありません。まるでそんなことなかったように。日刊スポーツの貴社はブログで自己批判めいたことを述べていたようですが。

>なお本件は、公立学校において、児童生徒を指導監督し、出席停止を含め様々な懲戒を行なう権限を有する学校長が、・・・・・

それはそのとおりだとおもいます。

>ところで、「マスメディアが画一的であるのと同じくらい、ネット上で展開されるマスメディア批判が画一的である」と私には感じられるのですが、

報道が画一的だから、反応も画一的であるだけです。

 このエントリの趣旨の一つは「いじめ隠し」であって「いじめ」ではありません。

 その点で言いますと、「恐喝」、「たかり」の類を「金銭トラブル」というのは適切でないと考えています。
 これは明らかに「いじめ」という言葉を使いたくないという意識の表れです。

 もう一つの趣旨は、校長先生の自殺の評価であって、自殺防止ではありません。
 自殺防止ということを考えないという意味ではなく、このエントリでは、自殺防止より自殺の評価に主眼を置いているという意味です。

モトケンさんの書き込みの直後にすみません。

> No.43 ぽんちさん
>自殺可能性を予測し回避しながら報道、捜査をしているとは思えません。
そうすると、官公庁での汚職事件なんか、ほとんど取材できなくなりますよね。福島でも和歌山でも自殺者は出てるはずですが。

たいていの場合は、何か事が起こった際に消極的な対応しかとらなかった(とれなかった)ケースで自殺を考えると思うのですが、「より適切な行動をとり得た」からこそ報道や市民の反応もフレームアップしていくわけで。むしろ、どうして初動で「何も見なかったことにする」という対応をとりがちなのか? も含めて国民性なんじゃないですかね。
個人的な意見としては、そんな場合でも死を選ぶ必要は無いと思います。生き延びてこそ、名誉挽回のチャンスだって巡ってくるかもしれないわけだし、そもそも死んだからって「やった(やらなかった)こと」が消えてなくなるわけでもないし。事態が手遅れになってるのに記者会見なんて開けばさらなるドツボが待ってるわけで、説明責任なんて(口頭ではなく)紙で済ませて生き延びろ、と思うんですが。

> No.47 科学者のなりそこないさん
>つるし上げに近いような取材が行われている場面はしばしばテレビの画面上で目にしております
こういうことを言っときながら、
>報道が画一的だから、反応も画一的であるだけです
……そんな結論で済ませていいの? とも思うんですが。休職外交官の佐藤優氏が著書で「日本人の実質識字率は5%以下、世論はワイドショーで作られていく」と聞かされたエピソードを紹介してたのを思い出したのは、さておき。

マスメディアと消費者のどちらがどちらを誘導しているのか? という議論は、それこそ「卵とニワトリ」ですよ。この構図に対するカウンターとして、欧米や韓国じゃ、ブログジャーナリズムをはじめとする試みがなされているわけですが、それがどうして日本じゃ育たないんですかね。(その点で、ここのブログ主の活動は応援しております)
それともう一点。既存のマスコミに不満や意見があるなら、どんどん言ってやんなさい。彼らも反論にはけっこう敏感ですから。

>横から失礼さん
いやだからブログの報道批判が画一的ということに対していったわけで、報道があってブログがあると思います。モトケンさんに怒られそうだからこれでやめときます。

マスコミが中立的でない、商業主義の害がある、等の点については皆さん認識は一致していると思います。
同じ欠点が目に見えているのですからマスコミ批判の内容が共通するのも当然です。大衆という一つの集団がある特性を持つのは必然ですから「大衆の画一性の故である」ということに意味があるかどうか。

しまさんや an_accusedさんの立場としては、マスコミに欠点はあっても例えば「隠蔽された社会悪の告発」という機能があるために現状のまま存続が必要である、というところでしょうか?
目につかない暴力団関連報道や世論の動向を見定めての企業叩き(受け手の主観の問題でしょうか)の手柄と比べても医療崩壊、教育崩壊などにおけるマスコミの負の役割は容認できるものではない、というのがマスコミ批判の立場です。

「マスコミが画一的である」というのは大衆が画一的である、というのと同じく、そこに一つの閉じた集団があるというだけのことですが、
彼らには医学知識もなく教育の現場に立ったこともなく、どこまでも外部からの無責任な立場で、限定された知識を「常識」として振りかざしている。でもマスコミというシステムの中にいる限りそれに気づくこともできない。
強力な対抗者なしに、頭のない大蛇のように無目的に這いずり回る今のマスメディアはないほうがマシ、少なくとも規模を縮小化した方がいいと思います。巨大商業メディアが解体されたら即国家による情報の独占が始まるといえるのでしょうか?
教育も医療も資本主義の論理だけではうまくいかない。マスコミもそうではないでしょうか。

ちょっと脳内想像:非営利で、政府からの情報を独占し、速報性よりも正確を旨とする国営放送、国営新聞を設立して、その内容を自由に批判する民営放送、民営新聞がある、という形ならもっと上手く機能するのかな?二大政党制的に。

an_accusedさん
>それとも、マスメディアは医療、官僚組織、警察などと並んで批判しても手痛い反撃をくらうおそれのない、格好の批判対象だからでしょうか。

マスコミを批判する人間は、マスコミからの「反撃」を待っているのではないでしょうか。
ネット上の議論で、不思議なほどマスコミサイドからのものはありません。あくまでも既存のメディアで、新聞やテレビ、自分達がコントロールできるところでしか勝負しない、という姿勢に見えます。「コミュニケーション」ではなく、「一方的な宣伝広報」が彼らの本分である、というのは不当な評価でしょうか。

ネットは成長途上で、今は過渡期です。
どのように世の中が変わっていくのか分かりませんが。
批判することで、マスコミをどうこう出来るとか、したいとか思うのではなく、今のマスコミの在り様に疑問を持つ人が増えて欲しいと思っています。
記者会見後に自殺者が出るのが当たり前とは思わないし記者達に責任がないとも思いません。

マスコミのあり方の議論に関して、No.49 横から失礼さんのご意見に共感します。資本主義の下では、マスコミは大衆や社会を映す鏡のような存在です。マスコミは、需要があるからその需要どおりに報道しているだけです。マスコミを批判するということはすなわち社会を批判するということで、遠回りというかお門違いのように思えます。

田舎内科医さんは、校長の死について記者たちに責任があるとおっしゃいますが、報道の自由を認める以上は、記者の責任とすべきではないと思います。自殺は、犯罪被害者でもない限り、本人の責任です。

>yomさん
>自殺は、犯罪被害者でもない限り、本人の責任です。

ちょっと聞き捨てならないコメントにつき、いわせてください。犯罪被害者としての自殺というものが小生にはどんなものかわかりませんけれども、自殺にはそもそも論理性はあまりなく、自己責任などという話ではないのです。どなたかコメントされてましたが、自殺する方のかなりの人がもともとうつ状態であったと考えられ、そういう人はちょいと後ろから肩をたたけば自殺してしまうんです。マスコミの報道はいわば病人に毒を盛るような行為であるわけです。マスコミが自身の報道で自殺者が出ても、自己責任だからなどと言い放ったら、これは恐ろしいことです。そこまでひどくはないと思いますが。

「責任」と一口に言っても法的責任や道徳的な意味での責任などいろいろあるかと思います。が、そんな細かい話をせずとも、おそらくここでは、「非難されるべき点」というような意味でしょう。とすると、私が「自殺が本人の責任」と書いたのは不適切でした。(そこまで考えずに書いていました、すみません)

もっとも、マスコミに責任すなわち非難されるべき点があるとも思えません。自殺というのは非常に悲しいことですが、このことでマスコミを過剰報道だとか過剰取材だとかで責めるのは結果論ではないでしょうか?そうするともし自殺していなかったらマスコミの行為は適切な範囲だった、などという話になりそうですが、それはどうも腑に落ちません。

No.49 横から失礼さん のご意見には納得できる部分が多いのですが、yomさんの意見には賛成できません。

>資本主義の下では、マスコミは大衆や社会を映す鏡のような存在です。マスコミは、需要があるからその需要どおりに報道しているだけです。マスコミを批判するということはすなわち社会を批判するということで、遠回りというかお門違いのように思えます。

需要があるからなんて、マスコミ自身の口から出たのだったら最低の言い訳だと思うところです。

マスコミが鏡だとしても完璧な鏡ではなく、偏光性や不純物があり内部での乱反射もあります。像が結ぶところには特定の「ずれ」は不可避です。鏡の質は偶然に作られたものであって、変更し得ない必然のものでもありません。
また鏡であるとしてそれにより批判を免れるべきという理由が理解できません。政治家のレベルは国民(社会)のそれを反映する、だから(以下略)、教育のレベルは(以下略)、医療の(以下略)??
空港のトイレが汚いのはその国の民度を反映していると言ってもいいでしょうが、それはその国民が奇麗なトイレを永遠に持てないという意味でも、欲しがってはいけないという意味でもありません。
また、仮にマスコミの在り様に変更の余地がないとしても、マスコミの存在が必要不可欠で代替不可能である、という大前提は動かしがたいものなのでしょうか?言論の自由には賛成しますが、報道の自由はそんなにも尊くて不可侵のものでしょうか。

>自殺は、犯罪被害者でもない限り、本人の責任です。

「犯罪被害者」をつけたのは「たかり」は犯罪で自殺した生徒に責任はないが校長の場合は記者の行動が合法であったから本人に責任がある、とするためでしょうか…?
標的になる当人にすれば合法だろうと非合法だろうと大差はないと思います。

ただ、先ほどは記者の責任について言及しましたが、自殺について責任の所在を追及することにはあまり意味はないと考えています。
教師は、いじめを防ぐ権限も能力も持っていないと思います。それなのに世間も学校も「何としても自殺を防ぐべきだった」と思っているからいじめ隠しも起きる。
保護者と教師が協力すればいじめ自殺が防げるかもしれない、というところからはじめるべきだと思います。

日本人の多くは、自殺を「悪」とは考えてませんよね。キリスト教では自殺した者は天国にいけないというのを聞いたことがありますが。
日本の時代劇では、追い詰められた悪人が自害すると、いさぎよいと見なされ、「ええい」と向かっていくものは、「この期に置いて往生際が悪いみっともない」と言われ、斬られる。
私も最後は人に迷惑かけずに雪の中や樹林の中に消えられたらいいと思う。
他の人が自殺することに関しては色々言いますが、自分が自殺することに関してはそれほど絶対的に「悪」と思ってない。そういう人は私の他にも結構いるのではないかと思います。

欧米では、自殺のほかに薬に走るという道がある。ちゃんとした本来の人格を持ってしては耐えられない状況になった時、人格を壊しながら生き続ける。日本人は欧米のように薬が手に入りやすくなっても、薬より死を選ぶのかもしれない。
日本人の「恥の文化」の一つの現れのようにも思えます。

>一塁ベースさま(.45)
>学校が事実を知ったのは今年の9月下旬(母親がその時点で気が付いた)母親から相談があったからです。恐喝は昨年のからあったというのはそれから調べてわかったことです。新聞記事のわなにはまってませんか。

 私のコメント中にある「長期間にわたり」は「恐喝を受け続けている児童」にかかり、「(学校長が)児童の存在を認知した」にはかかりません。「新聞記事のわな」とは何を指しておられるのかよくわかりませんが、ご心配には及びませんのでお気遣いなきよう。

 なお、「特定の児童が一年以上にもわたって、一方的に金を要求されたり、耳元で『死ね』とささやかれたり、机をけられたりしている」という事実を「金銭トラブル」と報告するのは、「正直に報告」とは普通呼ばないように思われます。

>じじいさま(.46)
>確かに、結果として自殺を防げなかったのですから、学校のやり方が適切でなかったのかもしれませんが、これは我々があくまで自殺という結果を知っているからこそ指摘ができるわけですが、当時の校長らは当然この結果を知りません。多少、日程がスローな感じはするものの、経緯からすると必ずしも長期間放置されていた訳でもないようですが。

 本件の被害児童は自殺していませんので、当時の校長だけでなく現在の私も「自殺という結果」を知りません。

>「適時適切な指導や権限行使をしなかったのみならず」という批判をされる、an_accused様には、当然「適時適切な指導や権限行使」が何なのか承知されていることと思いますが、よろしければご教示願えないでしょうか。

 私は教育機関の管理職に就いたことがありませんので、「適時適切な指導や権限行使」が何なのかについて「当然承知している」ということはありません。また、学校長や担任教師の力量、当事者児童の性格や成育歴、当事者児童の家庭環境など、様々な要因に応じて、当事者間での話し合いで解決できる場合もあれば、スクールカウンセラーなどの専門職の助力を得たり、副担任の加配を行なう必要があるかも知れませんし、警察や児童相談所といった外部機関の助力を求める必要があることもあるでしょうから、新聞報道から得た情報のみを基にして本件における「適時適切な指導や権限行使」が何であるか即座にお答えすることは私には不可能です。従って、じじいさまのご希望に沿うことはできません。申し訳ありません。

 ところで、この学校は、金銭の要求が始まった時期や回数、被害額などを充分に把握できていない状態で、被害児童と加害児童に「握手」させて「和解を促した」そうです。
http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/ne_06111101.htm
 長期間にわたって非対等な関係の下で金銭をせびり続けた/せびり続けられた児童らに対し、事情をよく知りもしないままで「和解せよ」と申し向ける行為は、当該児童らに対して「学校は君たちがしたこと/されたことについてあまり関心がなく、表面上揉め事が起こってさえいなければあとはどうでもよい」というメッセージを送っているに等しいのであって、児童らを教育すべき立場にある教師の取る行動としては極めて不適切なものであるように思われます(じじいさまにとっては「多少、日程がスローな感じ」な程度かも知れませんね。私とじじいさまとは生まれも育ちも異なるので、そのくらいの認識の差はあって当たり前だと思います)。
 もっとも、「『適時適切な指導や権限行使が何か』すらきちんと説明できない浅学菲才なan_accusedには、そもそもこの学校の対応について論評する資格がない」とおっしゃるのであれば返す言葉もありません(ちなみに私は、必ずしも「何が適切か」を言い当てることができない者であっても、「何が不適切か」について理解できる場合はあると思っていますが、じじいさまは「『適時適切な指導や権限行使をしなかったのみならず』と批判するan_accusedには“当然”『適時適切な指導や権限行使』が何なのか承知していることと思われる」とおっしゃるのですから、何かを「不適切」と批判する者は“当然”「何が適切か」が言えなければならないとお考えなのでしょう。私はじじいさまがそれほどまでに高いレベルの「批判を行なうときの覚悟」を抱いておられるとは存じ上げませんでした。今までのじじいさまのコメントや、これから投稿なさるじじいさまのコメントは、「何が適切な選択であるかについての答えを“当然”ご用意なさった上での批判コメントであるはずだ」と思って読ませていただくことにいたします。)

>科学者のなりそこないさま(47)
>本件はともかくとして、他の件で校長や教師に対し、をつるし上げに近いような取材が行われている場面はしばしばテレビの画面上で目にしております。

 私は「本件について」お尋ねしたのです。要するに、「本件の取材で実際に吊るし上げが行なわれていようといまいとどうでもよく、『吊るし上げ』『いじめ』と決め付けて批判してよい」とお考えだということですね。これ以上、科学者のなりそこないさまとはお話しする意味はなさそうです。ありがとうございました。

>田舎内科医さま(.51)
>しまさんや an_accusedさんの立場としては、マスコミに欠点はあっても例えば「隠蔽された社会悪の告発」という機能があるために現状のまま存続が必要である、というところでしょうか?

 いつ私が「現状のまま存続が必要」と述べましたでしょうか。わざわざ私は「JR尼崎脱線事故報道」や「浅田農産事件」を例示したり、「マスメディアの取材姿勢や報道のあり方には批判されるべき点が多く見られる」と申し上げたりしているのですが、お読みにならなかったのでしょうか。それとも、「an_accusedがどのようにコメントしているかはどうでもよく、マスコミが現状のまま存続することが必要であると考えているということにしたい」ということでしょうか。

 私が問題にしているのは、実際に暴言や長時間拘束といった「吊るし上げの事実」があったかどうか明らかでないのに、「吊るし上げ」があったかのように皆さまが論じておられていることです。事実なんてどうでもいい、本件の学校長の自殺はマスコミ批判の口実に過ぎない、何かきっかけさえあればいつでもマスコミ批判するぜ、というお考えであるならば、科学者のなりそこないさまと同じく、これ以上本件についてお話しする意味はなさそうです。ありがとうございました。

 学校側の対応に問題があった、ということはこの議論の前提条件であると思います。
 それについては、an_accusedさんのご意見に賛同いたします。
 
 今のマスコミのセンセーショナリズム、センチメンタリズム、行き過ぎた報道に問題あり、という点は、基本的には、皆さんの共通理解であると思います。
 
 大淀病院のバッシング報道は酷いものでありました。
 しかしこの件の取材、報道には特に問題があったとは思えません。
 
 校長の自殺に関しては究極のところ、議論がかみ合わないのではなかろうかと思います。校長は自らを厳重に罰したと見ることも可能であり、責任を回避、転嫁したと見ることも可能であると思います。自殺者の心理は解らないものであります。
 
 マスコミ報道が校長を自殺に追いやったかどうか、それを判断する材料や基準があるのでしょうか。
 
 教育基本法改正案が採決されました。管理強化が進むと思います。一層のいじめ隠し、不祥事隠しが進行するだろうと危惧しています。

an_accused様

>本件の被害児童は自殺していませんので、当時の校長だけでなく現在の私も「自殺という結果」を知りません。

お恥ずかしい次第です。本件は、校長先生が自殺されたのであって生徒は自殺を考えたにとどまる案件でした。関係者の皆様にお詫び申し上げます。

>私はじじいさまがそれほどまでに高いレベルの「批判を行なうときの覚悟」を抱いておられるとは存じ上げませんでした。

私は反対に、他者を批判するコメントに対し、しばしばその根拠データと論証を求められる(私も何度かお叱りをいただきました。)an_accused様のお考えから、今回の自殺された校長先生に対し批判されるに当たっては、「当然に」そうした「適時適切な指導や権限行使」についての考察をなされているものと推察し、an_accused様が考察されたであろう「いじめ対策」について楽しみにしておりました次第です。

これはあくまで、私がan_accused様の日ごろの高度な論証に基づくコメントから推察しただけのことです。私の勝手な思い込みですので、ご本人にそうではないといわれればそれまでのことです。勝手な思い込みは迷惑とのことでしたら、今後は改めさせていただきます。

これまでのご賢察のとおり、私の批判は、常々お叱りをいただく程度のものですし、an_accused様の示されたような覚悟をしてのものではありません。

>じじいさまにとっては「多少、日程がスローな感じ」な程度かも知れませんね。私とじじいさまとは生まれも育ちも異なるので、そのくらいの認識の差はあって当たり前だと思います。

私がスローと評価したのは私が引用した毎日新聞の記事に基づくものですが。
校長の言い分や毎日新聞の記事などより、読売新聞の記事を信頼すべきということのようですので、今後は、実家が取っている読売新聞を頑張って読ませていただくことにいたします。

 以下は今回の事件経過および、これまでのこのエントリでのご討議を踏まえて、私のイマジネーションを織り込んで勝手に解釈してみました。ご批判いただければと思います。

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 まず一般的な話としてマスコミ関係の人たちは、なるべく話題性のある事件を早くスクープして、活字や電波に乗せたいと思う人たちです。このスクープがきっかけとなって、多くの隠れた犯罪を暴きだした功績は数限りないと思います(これが言論の自由ですよね)。もちろん活字にする以上は、反対に告訴される可能性もあるのでウソを書く事はできません。

 今回の報道も「いじめ」と思われる生徒のトラブルを恐らく校長や現場教師の評価が下がらないように「金銭トラブル」と表現して報告してしまった。おりしも、いじめ問題が日本中で騒がれていた時期であったため、格好のスクープ記事となり「教師によるいじめ隠し」というセンセーショナルな見出し記事となり、「いじめ」の元凶は教師にあるかのような印象を与えるような報道となって、日本中に知れ渡るところとなってしまった。しかし、今回の一連の報道の中で明らかな嘘の記事や不適切な取材はなかったように私は思います。

 ところがもう少し事件を詳しく調べて検証してみると、今回のような「いじめ」を報告しないという習慣は全国各地で普通に行われていたようで、北九州の事件が特別悪質であったというわけでもないようであった。また学校現場や専門家の話をよく聞いてみると、(1) 通常の学園生活では常に「いじめ」が存在し、ごく些細なきっかけから「いじめ」が始まる。(2) いじめている子供達にあまり加害者意識がない。(3) 被害を受けている子供にもいじめをうける何らかの原因があるようだ。(4) 子供同士のいじめや喧嘩を大人に相談すると「掟破り」とされていて、さらなるいじめの対象となる。(5) 結果として先生達が子供達の世界の中の「いじめ」を正確に把握するのは非常に困難であるらしい。(6) また子供同士の「いじめ」や「喧嘩」に下手に教師や親が介入すると状況がさらに悪化する場合も多いようである。

 ごく最近の新聞記事を読むと、以上のような現場の教師だけではとても対処できないような現実がマスコミ関係の方々にもようやく理解できてきたように思います。ですが報道としてはせいぜい地味な特集記事程度にしかならないので、結果として「教師によるいじめ隠し」という不信感だけが多くの国民の心にインプットされてこの事件は静かに忘れ去られてしまうことになるのでしょう。

 ウソではないが事実の一部分のみを重点的に報道するという点で「マスコミの報道はかたよっている」という批判も的を得た意見だと思います。大多数の記者はスクープを狙っておりますが、その事件については専門知識がゼロの状態から取材を始める訳ですから、とりあえず取材してウラのとれた情報で読者が喜びそうな内容はどんどん活字にしていくというのが実際の取材現場のスタンスなのではないでしょうか。だから専門知識を持った人たちが読むと、あまりに無知な報道に怒り心頭するわけです。

 以前はマスコミ報道以外に情報収集の方法がありませんでした。最近はネットからの情報収集が容易になったために、マスコミがいかに一部の表面的な事実しか報道していないかが、皆の知るところとなり、その内容も広く関係者に共有されるようになってきたように思われます(ちなみに医療関係は相当すすんでいます)。それでも、マスコミの力はまだまだ強力です。強力であるがゆえに、マスコミ関係者はもっとよく勉強してから報道して頂きたいと考える人は多いのではないでしょうか。偏った報道が日本を間違った方向に導いた事も歴史的にはたくさんあったと思いませんか。されど、完全に中立な報道などというものもまたあり得ないという認識も忘れてはいけません。

 マスコミ関係のことばかりになって本来のエントリの趣旨からはずれてしまって申し訳ありません。

 ところで、この自殺した校長の気持ちは皆さんどのように考えられます?想像ではありますが、校長の心理を私なりい描写してみました(本当に勝手な推理ではありますが)。

「確かに、自分の都合のいいように金銭問題と教育委員会に報告したのは多少不適切だったかもしれないけど、この生徒の直接の担任でもないし、実際にどんなやりとりがあったのかは担任から聞いた程度の事しか私は知らなかったんだよね。それがよりにもよって全国ニュースにまでなって、いままでまじめに教師をやってきて校長にまでなれたのに、日本中の国民が私のやった事を極悪非道なことと思っているみたいだ。私のせいで、家族の人生も完全に破壊されてしまった。こんなつらい仕打ちをうけてまで、生きてられない。とにかくこの絶望的な気持ちから何とか逃れたい.........」
 そう考えて自殺することが彼にとって一番楽な道だったのではないでしょうか。事件を起こしたことを深く反省して責任をとるために自殺したとは私には到底思えません。とにかく消えてしまいたかったのです。

 校長のいじめの処理に問題があったのは確かです。マスコミが意図的に校長をいじめたとは言いません。記者の人たちは職務に忠実に不正事件を報道しただけであって、まして加害者意識などあるわけありません。しかし校長の心の中では、マスコミを含めて皆で寄ってたかっていじめられたという気持ちは強かったと思います。

 でもこの校長の心理は、いじめられて追いつめられて自殺していく子供達の心理と基本的に何らかわりはありませんよね。子供達の学校という世界は、大人の社会という世界の縮図と私は考えています。

 子供達のいじめを防止したり解決することがいかに不可能なことであるか、またそのいじめの中から自殺などに発展しそうな深刻ないじめをいかに事前に発見し予防することは想像以上に困難なことだと考えています。

 自殺防止する具体的な方法は、やはり専門家におまかせするしかないように思っています。それにこのエントリの目的でもないようですし。

田舎内科医さんのお考えは、全マスメディアとは言わないまでも巨大すぎるマスコミについては報道内容や報道手段(あるいは存在そのもの)を一定程度規制すべきであるという風に解釈しました。私は反対です。報道の自由は最大限尊重されるべきです。その理由は、表現の自由が尊重されなければならないのと同じ理由です。

もちろん、報道による弊害は、あります。虚偽報道や名誉毀損などは論外ですが、例えば、世論誘導。これは、私たちが自衛するしかないのだと思います。それには、メディアリテラシー教育を徹底するしかないでしょう。

過剰報道は、言論の自由がある以上、弊害ではなく、自然な現象ととらえるべきだと思います。過剰報道は一年中休みなしです。例えば、ボクシングの亀田興毅選手が「俺へのいじめ」と言うほどのバッシングが起こったように、大なり小なり無数の軋轢が日々起こっています。不謹慎な話で恐縮ですが、もしここで仮に亀田興毅選手が自殺したらやはりマスコミ規制の議論になるのでしょうか?

そういう意味で、No.60 整形開業医Y さんのご意見の中で、今回の校長への報道はいじめに近い状況であった、と分析されているのは、微妙なところです。おっしゃることは分かるのですが、いじめとは不当に人格を傷つける内容を含むもの、という私の理解からは、それはあくまでもいじめではないと考えます。望ましくはないけれどもやむをえない軋轢のひとつでしょう。

ただ、心理描写は真に迫るものがありますね…。正直、複雑です。

>yom様

No.61 のコメントの前半部分支持します。マスコミの中立、公正はさまざまな報道の最大公約数(平均値?)として成立するものとおもいます。それゆえ報道の自由は保証されなければいけません・・・・・
となるはずですが、例に挙げられた亀田興毅選手の報道にも見られたように、No.45の横から失礼さんの表現を借りれば鶏と卵が一体となって、いわば一つのベクトルを作ってしまうメカニズムがあるのです。 なぜこうなるのか、日本人の識字率5%と述べられているように教育が悪いのか、はたまた商業主義が悪いのか、メスを入れるべきはまさにこのメカニズムではないでしょうか。
このベクトルによって突っつかれ校長は自殺したと私は勝手に想像しているのですが、やむをえないどころかそれによる最大の不利益は、まさに何も語ってもらえなかったということでした。それにしても語るべき立場のかたからの投稿がありませんですね。

>No.51 田舎内科医さん
>目につかない暴力団関連報道や世論の動向を見定めての企業叩き(受け手の主観の
>問題でしょうか)の手柄と比べても医療崩壊、教育崩壊などにおけるマスコミの負の
>役割は容認できるものではない、というのがマスコミ批判の立場です。


暴力団関連報道や企業叩きも、医療崩壊や教育崩壊と同じ構図だと思います。つまり、医療や教育にターゲットを絞っているわけではなく、暴力団であろうと企業であろうと、叩きやすいものから叩いているし、何を言っても世論が反対しないときに叩いている。


個人的には消費者金融叩きは問題だと思っているのですが、あまり反対の声は聞かれませんね。あの問題、実際にお金を借りた経験がない人が議論に参加しているような気がしてなりませんが、いかがでしょうか。


マスコミに関しては受け手の問題だと思っておりますし、商売として成り立っているのなら営利企業としては問題ないと思います。私自身がマスコミを信頼しているという訳ではないですが、望む人がいるのならそれでいいのではないかと。私自身は地上波もほとんど見ませんし、新聞も購読していません。つまり、マスコミに期待をしていないし、幻想も抱いていないのが私の立場と言うわけです。

ここで異論を述べて見ることにします。文句の付け所もないマスコミと言うのも、逆につまらないものになるような気がします。例えばブログにしろ、2ちゃんねるにしろ、マスコミ報道が発端となっているエントリやスレッドなど枚挙にいとまがありません。マスコミ報道が、自由闊達な言論や表現の元となっているような気もします。


私個人的には、マスコミの一方的な報道、言論の押しつけによって自ら考えるくせが見についたような気がします。マスコミに腹が立って「マスコミはこう言っているけど、こういう考え方もありなんじゃないのかな」とか「マスコミの意見に反論するにはどうすればいいか」とか「なるほど、この意見を使えばマスコミの言論を否定できるぞ」とか、発想を促す元となっている節もあります。


確かに、健全なマスコミというのは社会のあるべき姿なのかも知れませんが、あまり健全すぎると味気ない社会になるかも知れませんね。

>>No.64 しま さん
>例えばブログにしろ、2ちゃんねるにしろ、マスコミ報道が発端となっているエントリやスレッドなど枚挙にいとまがありません。

このブログそのものからして...

>例えば、ボクシングの亀田興毅選手が「俺へのいじめ」と言うほどのバッシングが起こったように、大なり小なり無数の軋轢が日々起こっています。不謹慎な話で恐縮ですが、もしここで仮に亀田興毅選手が自殺したらやはりマスコミ規制の議論になるのでしょうか?

私は、余り亀田選手へのバッシングには同情していません。
元々亀田ファミリー自体が、TBSとタイアップし、マスコミを自分たちの売り出し用ツールとして利用しつくして、今の地位を築いたのですから。

タイプはやんちゃな辰吉と似ていますが、タレントとしてはともかく、ボクサーとしての力量は未だ成長途上のボクサーに過ぎず、世界チャンプ当時の辰吉(網膜をやる前の)などとは天地の開きがあるように思います。その彼が世界チャンプにまで駆け上がれたのは、ひとえにマスコミの力と陣営のプロデュース力といっても過言ではありません。

今までさんざんマスコミの甘い汁を吸い尽くしてきたのですから、メッキがはがれればその反動がくるのも止むを得ないところだと思います。自分を褒めそやしてくれるときはどんどん利用しておいて、自分を批判しだしたら「俺へのいじめ」では同情する気にもなれません。

>じじいさま(.59)
>私は反対に、他者を批判するコメントに対し、しばしばその根拠データと論証を求められる(私も何度かお叱りをいただきました。)an_accused様のお考えから、今回の自殺された校長先生に対し批判されるに当たっては、「当然に」そうした「適時適切な指導や権限行使」についての考察をなされているものと推察し、an_accused様が考察されたであろう「いじめ対策」について楽しみにしておりました次第です。

 ええと、ものすごく乱暴な話をいたしますが、大阪で会社勤めをしているA氏が上司から「明日東京で行なわれる会議に出てくれ」といわれたとします。A氏が選択しうる移動手段には、飛行機や新幹線、夜行バスなど、様々なものがあるわけですが、そのどれを選択するのが「適切か」については様々な事情によって異なります。まあ一般的には当日の朝に新幹線を利用して移動するのが順当ということになるのでしょうが、会議の行なわれる場所が伊丹空港に近ければ飛行機を利用するほうが「適切」かも知れませんし、会議の開始時間によっては夜行バスや前日大阪入りしておくという選択が「適切」であり、当日の新幹線移動では「不適切」である、ということになるかも知れません。しかし、例えば「ヒッチハイクで」といった選択肢は、よほど特殊な事情がない限り大抵の人間は「不適切」と判断するわけです。

 本件で言えば、「特定の児童に対する長期間にわたるたかり行為」を認知した担任や学校長が選択しうる手段は様々なものがあり、そのうち「何が適切か」については多くの事情によって異なるので一概には言えませんが、「いつから、いくらといった事件の核心部分すら把握していない状態で、当事者児童を握手させて“和解”させようとすること」とか、「たかり行為が長期間に及んでいることや『死ね』といわれたり机を蹴られたりしていることを伏せて『金銭トラブル』と報告すること」が適切か不適切か考えるのはそれほど難しいことではない、ということです。

 たしかに私は他者を批判するコメントに対しその根拠や結論に至った理由を問うことが多いですが、「〜は不適切である」というコメントに対し、「何を理由に〜は不適切であると考えるのか」と問うことはあっても、「では何が適切なのか答えてみろ」と言わんばかりの切り返しを行なうようなことはあまりしていないと思います。なぜなら、そのような質問は上述したように「一概には答えようがない」ということが多いからです。

 しかしまあ、じじいさまが「日頃の私のコメントスタイルに合わせたまで」とおっしゃるのですから、コメント欄において相当の期間対話を続けさせていただいてきたはずのじじいさまにとっても、私のコメントが「一概に答えるのが難しいことを答えるよう相手に求めているもの」と理解されていたということなのでしょう。本当に残念に思います。私としてはその事実を重く受け止め、今後そのような印象を与えることがないよう、配慮していく所存です。

>>例えばブログにしろ、2ちゃんねるにしろ、マスコミ報道が発端となっているエントリやスレッドなど枚挙にいとまがありません。

>このブログそのものからして...

 まったくそのとおりでして

 私としましては、マスコミの報道は社会における議論の発端として利用されるべきものと考えています。
 そういう観点で報道記事を引用しています。
 その意味で、全文引用もありだと思っています。

 議論または批判の対象は、「報道された事実」と「事実の報道」の両者を含むと考えています。

 なお、全文引用の可否についての議論は完全にエントリずれになりますので、議論が始まるのであれば別エントリを立てます。

an_accusedに私の能力不足で「校長が長い間知っていき何もしなかった」と読み違えてしまいました。すいませんでした。 と謝るつもりでしたが

<事情をよく知りもしないままで「和解せよ」と申し向ける行為は、当該児童らに対して「学校は君たちがしたこと/されたことについてあまり関心がなく、表面上揉め事が起こってさえいなければあとはどうでもよい」というメッセージを送っているに等しい

はひどいですね。どうして等しい。私が読み違えた文も意図的にそのように書いたと判断し謝りません。


今回の事件を私はこう考えてます。
校長は相談があり調べた結果恐喝が合ったことは事実と確認できた。いつから、何回、額等は正確にはわからないが最近だけでも数万円は間違いない。1年前ぐらいから数十万円の可能性がある。脅し取る時「いじめ」と同じ行為があったのは確認したが、それは恐喝にはつきもののことで、人格への攻撃である「いじめ」の手段としての恐喝、おどし、嫌がらせではないと判断した。そして、恐喝とするには加害者、被害者の関係が複雑でもっとよく調べなければならない。で、トラブルとした。
新聞の「いじめを認識しながら」という部分を疑っての推測と願望なんですけど。皆さんの議論には何の役にも立ちませんが、教員の端くれとして校長ともあろうものが、と思って書いてしまいました。本当に保身のためであったなら自殺は当然だと思います。中間でない最終的な報告書を見てみたいです。
失礼いたしました。

>No.62 科学者のなりそこない様
>鶏と卵が一体となって、いわば一つのベクトルを作ってしまうメカニズム

言い得て妙なフレーズですね。私も、その点は問題意識として共有しているつもりです。そのメカニズムが校長を自殺に追いやった一因というのも、おそらくその通りでしょう。

しかし、このメカニズムは解決しようがないと思います。識字率5%の日本に限らず、報道の自由を認める世界中の国で、同じメカニズム、同じ現象が起こっているのではないでしょうか(調べたわけではないので推測ですが)。結局、欠点のないシステムは存在しない。報道の自由を否定することによる弊よりは100倍マシということで、あきらめるしかないというのが私の認識です。過剰報道は嵐と同じで、大騒ぎの割には過ぎ去るのも早いですしね。

No.59 an_accusedさんの意見について
>「an_accusedがどのようにコメントしているかはどうでもよく、マスコミが現状のまま存続することが必要であると考えているということにしたい」ということでしょうか。
>私が問題にしているのは、実際に暴言や長時間拘束といった「吊るし上げの事実」があったかどうか明らかでないのに、「吊るし上げ」があったかのように皆さまが論じておられていることです。

一般論としてマスコミの非中立性、批判すべき部分があるという前提は一致しているが、マスコミという存在への評価と意見が異なっている、というだけの話です。
私の言う「現状のまま」というのは「an_accusedさんが批判しない、適正な報道の範囲を逸脱していないと考える部分」を含めてのことです。メディアが「吊るし上げを行ったから」非難しているというのも正確さに欠けます。少なくとも私が問題にしているのは、世間一般が非難することがないから、裁判所に咎められることがないから、その方が受けるからといって、一面的な悪者探しで教育不信を誘導するやり方です。

No.61yomさんの
>田舎内科医さんのお考えは、全マスメディアとは言わないまでも巨大すぎるマスコミについては報道内容や報道手段(あるいは存在そのもの)を一定程度規制すべきであるという風に解釈しました。

ほぼ、ご理解頂いたとおりです。
>報道の自由は最大限尊重されるべきです。
メディアが自身を語る時に金科玉条のごとく持ち出すこの文言には疑問を感じています。
好き勝手にやっているように見えるメディアも、皇室報道など「自主規制」するわけですが、いざ言論の自由が必要な局面、例えば日本国民の意識がまた不幸な戦争を選択する方に傾くことがあれば、かつてそうしたように、率先して煽りたてるのはやはりマスメディアであると思います。(個人的には皇室報道は抑制されたものであるべきと思っていますが)
現実的には、規制をかけるというのはメディア及び国民の合意を得ることは難しいでしょうし、誰が規制するか、によっては不当な情報操作の手段となるリスクもあるでしょう。
メディアの存在しない近代国家を想定することは今のところは難しく、「健全なマスコミ」というのもつまらないというかあり得ない存在です。

私が期待するのは「マスメディアの相対的な弱体化」です。

この職業を選ばず、医療の実態と医療報道の乖離と、医療報道の成果を目にしていなかったなら、私の考えはしまさん
>私自身がマスコミを信頼しているという訳ではないですが、望む人がいるのならそれでいいのではないかと。

や、モトケンさん(いつもお世話になっています)
>私としましては、マスコミの報道は社会における議論の発端として利用されるべきものと考えています。

に近いものだったと思います。実際にはマスコミ報道に疑問を持たない人も多く、また自身が中立であろうとしても、そもそも晒される情報に偏りがあればそれは不可能です。教育現場への影響も、外部から見えるよりも深刻なのではないかと想像しました。
まずは動機が「何となくそうすることがカッコイイと思うから」程度だろうと、ネット上でマスコミ批判の声、マスメディア内で完結しない情報が増えることは望ましいことだと考えています。それが間違いであっても「マスコミの大騒ぎ」よりリスクの低い間違え方であると思うからです。

>じじいさま
お詫びと訂正:拙コメント67「大阪で会社勤めをしているA氏が東京に行くとしたら」は、「東京で会社勤めをしているA氏が大阪へ行くとしたら」の誤りですので、お詫びして訂正いたします。申し訳ございませんでした。

>一塁ベース(.69)

>「私が読み違えた文も意図的にそのように書いたと判断し」

 「長期間にわたり同級生や上級生から恐喝を受け続けている児童の存在を認知した」という文における「長期間にわたり」は、継続した状態を表しているのだから、過去の一点を指している「認知した」ではなく、行為が続いていることを示す「受け続けている」につながると考えるのが当たり前であって、「認知した」につながると読解するのは明らかに誤りである。
 誤読されないようにわざわざ「受け続けている」「認知した」と書き分けられているものを勝手に誤読しておいて、「意図的に(読み違えるように)書いたと判断し」などといって他人を難詰するとは、いったいどういう了見なのか、全く理解に苦しむ。君が私に謝ろうと謝るまいと知ったことではないが(そもそも私は一度たりとも君に「謝れ」と求めていない)、自分の読解力不足を棚にあげ、「読み手が誤読するようわざと紛らわしい文章表現を用いた」などと非難するとは、思い違いも甚だしい。

>「どうして等しい。」

 恐喝を「金銭トラブル」と報告することを「正確に報告」などと言ってのけるような感覚の持ち主には理解できないだろう。

 この学校は、複数の児童による特定の児童に対するたかり行為が「いつから」「いくら」行なわれていたのかさえわからないうちに、加害児童と被害児童らを「握手」させ、「和解」させようとした。大人同士の純然たる金銭トラブルを裁く法廷なら、「とりあえず相手が弁済できる額で手打ちにしませんか」といって和解を促す場合もあろう。しかし本件は、まだ心身ともに発展途上にある児童同士が、ある程度の長期間をかけて著しく非対等な関係を構築し、その中で「金銭をたかる」「耳元で『死ね』とささやく」「机を蹴る」などといったいやがらせが行なわれるようになった、というものである。
 学校には、児童らの間に出来上がったこのような関係を出来る限り早期に解消するため、被害児童には一時的に庇護をあたえ、新たに友人関係を築き直させるとともに、加害児童には反省を促し、今後このような行為を繰り返さないよう指導する責務がある。
 そのためには、被害児童に対してはまず充分に話しを聞き(傾聴)、受けた恐怖や悲しみに理解を示す(共感)必要がある。本件では、教頭が「児童が激しく泣いたから充分に聞き取りができなかった」などと釈明しているようであるが、学校長や教頭、担任がダメでも保健教諭や部活動の顧問、場合によってはスクールカウンセラーなど、被害児童が心を開くことができる適任者を早く見つけ、被害から立ち直らせるためにできる限りの助力をすべきであった。にもかかわらずこの学校は、被害児童から充分に聞き取りをしないまま(充分な聞き取りができていないことを認識していながら)加害児童と「握手させ、和解を促した」ということであるが、このことは被害児童から見れば、「充分に話を聞いてもらえる対象すら与えられることなく、再び“和解”の名の下に今までの非対等関係に戻される」ということを意味しているに他ならない。
 また、加害児童に対しては、「自分のしたことを全て明らかにしなければ、本当に反省したことにならない」と言明し、自分のしたことに直面するという経験をさせる必要があり、どうしても加害児童に反省が見られない場合や保護者の理解が得られず学校での対応が困難である場合には、被害の態様や被害額の大きさによっては、警察への通報や児童相談所への相談といった手段を用いて外部機関の介入を求めるべきである。にもかかわらずこの学校は、「児童が何をしたのか」について深く追及することなく「被害児童と握手させ、和解を促した」とのことであるが、このことは加害児童にとっては「しばらくやり過ごしていれば、この程度の悪事は深く追及されることなく、また今までどおりの生活に戻ることができる」ということを意味しているに他ならない。

 したがって、「事情をよく知りもしないままで『和解せよ』と申し向ける行為は、当該児童らに対して『学校は君たちがしたこと/されたことについてあまり関心がなく、表面上揉め事が起こってさえいなければあとはどうでもよい』というメッセージを送っているに等しい」。

>「脅し取る時『いじめ』と同じ行為があったことは確認したが、それは恐喝にはつきもののもとで、人格への攻撃である『いじめ』の手段としての恐喝、おどし、嫌がらせではないと判断した」

 もう、何を言っているのか理解不能である。「恐喝」は財産犯ではなく粗暴犯であり、構成要件にも「畏怖困惑させ」とあるように、あきらかに人格への攻撃であることを理解しているか。また、「『いじめ』の手段としての恐喝、(…)ではない」とのことであるが、君の言う「恐喝」と「いじめの手段としての恐喝」との違いは何か。「いじめの手段」であろうと「生活の手段」であろうと恐喝は恐喝ではないのか。仮に「恐喝」と「いじめの手段としての恐喝」を区別しようとする場合、「恐喝」は、概ね偶発的な、初対面の者や面識の浅い者を対象として行なわれ、「いじめの手段としての恐喝」は、概ね非偶発的な、固定された濃密な人間関係の下で非力な者を対象に行なわれるものであると推測され、本件のような場合はまさに「いじめの手段としての恐喝」に他ならないと考えられるが、本件について「この学校が『恐喝』であって『人格への攻撃であるいじめの手段としての恐喝』ではないと判断した」と君が推測した(単なる願望以外の)根拠は何か。

>「恐喝とするには加害者、被害者の関係が複雑でもっとよく調べなければならない。で、トラブルとした。」

 「よく調べなければならない」というのは当たり前のことだが、「たかり行為が長期間に及んでいるらしいこと」「たかりの対象が特定されていること」「机を蹴ったり、脅迫する言辞を伴っていること」を捨象し、「トラブル」とだけ報告するという姿勢のどこに、「もっと調べなければならないと考えた」と推測する要素があるのか。更に言えば、学校は当事者に対しては既に「握手させ」和解を促しているのである。このような行動からは「学校は事実解明よりも事件のもみ消しを選んだ」と推測されこそすれ「学校がもっとよく調べなくてはならないと考えていた」と読み取ることは無理というものである。

>「本当に保身のためだったら自殺は当然だと思います。」

 本気で言っているのか。私はこの学校長に対して、「何らかの処分は当然」「場合によっては職を辞するべき」とは考えているが、「自殺して当然」などとは微塵も考えていない。学校長が自殺したことは紛れもない痛恨事であると考えている。

>田舎内科医先生(.71)
>「一般論としてマスコミの非中立性、批判すべき部分があるという前提は一致しているが、マスコミという存在への評価と意見が異なっている、というだけの話です。」

 なるほど、「マスメディアの行動のうち、何を、あるいはどこまでを批判すべきと考えているのかが違う」ということでよろしいのでしょうか。そういうことであれば理解できます。

>「メディアが『吊るし上げを行ったから』非難しているというのも正確さに欠けます。」

 田舎内科医先生はそうではないらしい、ということはわかりました。

>「メディアが自身を語る時に金科玉条のごとく持ち出すこの文言には疑問を感じています。」

 これには私も疑問を感じています。ややキナ臭い話になってしまいますが、何度も審議日程に浮上しては消えている「人権擁護法案」には、「メディア規制条項」があり、政府に犯罪被害者や、加害者の親族といった“メディア・スクラム”の対象になりやすい者への取材制限を勧告する権限などを与えようとしていましたが、メディアの猛反発を食らってその部分だけ「凍結」された、といったこともありました。テレビについては自主規制団体としてBROがありますが、どの程度有効に機能しているか疑問ですし、新聞や雑誌には自主規制団体すらありません。
 ここまでは、田舎内科医先生のおっしゃるところの「an_accusedも批判する部分」に関する部分であって、法や自主規制制度は田舎内科医先生の批判なさっておられる「医療不信や教育不信などを煽るような報道姿勢」に対しては無力です。これについては、規制で何とかなるというものではないように思います。マスメディアに拮抗するような情報の流通ルート(田舎内科医先生や他の皆さまがさしあたり想定しておられるのは「ネット世論」ということでしょうか)が必要、ということになるのでしょう。

an_accused様

私の真意は、校長先生のやり方が悪かったのなら、どこが悪かったのか、どうすれば良かったのかを前向きに議論したかったのです。しかし、マスコミも多くは単に「悪い」とは指摘するが、ではどうすればよかったのかというところを、掘り下げたものはほとんど見かけません。そんなもの素人に分かるわけないと言われればそこまでですが、プロもどうしたら良いか分かっていないのが現状であろうかと思います。

しかし、私をはじめとした教育の素人でも、自らの子ども時代、又は自分の子どもたちのことで、いじめを間近にみた経験がある方、さらには自らが、もしくは自分の子どもがその当事者(被害者も加害者も)となったことがある方もいらっしゃるでしょう。そういう意味ではいじめがどんなものかは、多くの人が大なり小なり知っているのではないかと思います。そこから何か議論ができるかと思ったのです。

私には、自らの不勉強のため、加害児たちが、特定の児童、つまり被害児をいじめる手段として、カツ上げをしたのか、それとも、よくある遊ぶ金欲しさに、あちこちでカツ上げをやっていて、たまたまカモの1人が被害女児だったのかすら分かりません。

そうした時に、an_accused様が議論を盛り上げるためか挑発的な表現で参戦されたので、厚かましくもこれ幸いとan_accused様のお考えをお聞かせいただき、どうすればよかったのかについて議論を深めたいと思ったのですが・・・。

確かに、若干悪乗りしてan_accused様の挑発的な表現に乗るような形でお返ししましたので、その後は売り言葉に買い言葉であったためか、私の拙い表現等もあり前向きな議論どころか悪意による言葉としか受け取っていただけなかったようです。私が、an_accused様の多彩で深い知識と高度な検証に基づくコメントを尊敬しておりますことは、皮肉ではなく事実ですので、その点につきましてはご理解を賜れれば幸いです。失礼な言辞でご気分を害するようなことになりお詫び申し上げます。

これ以上は、モトケン先生の趣旨からも外れていきそうですし、そもそも場を荒らすのは本意ではありませんので、このエントリーへの書き込みはこれを最後といたします。

an_accused
 私はバカですから優秀なあなたから非難されるのは我慢できますが、新聞のしかも被害者家族のコメントとマスゴミが逃げ口をつけている事を根拠に「この学校では・・・」と言い切る傲慢さに気がつきませんか。ここによせられる皆様の良質なコメントと異質な(はっきり言うと低レベル)物を感じてます。

管理人さんすいませんでした。ただの口げんかでした

もう投稿しません

このエントリの議論も終わりの流れでしょうか。

マスコミの過熱報道(「偏向報道」や「恣意的な報道」という言葉は個人的に好みません)に対して、ネット世論などで対抗してマスコミの力を弱体化させる方向が望ましい

という結論でよさそうですかね。私は建設的な意見が何一つ言えてなくてお恥ずかしい限りです。

上のいくつかのコメントで田舎内科医さんが誤解されておられるのではなかろうかと若干不安なのですが、私はマスコミ業界とは無縁ですよ。私が「報道の自由」とかマスコミ擁護的なことを言ってたせいかもしれないですけど…。

1塁ベースさん,意見の相違や感情のもつれなどはありふれたことです。しかし,No.69やNo.74のような投稿は,感心できません。

いつも金,金と言っているように思われるのは何ですが…。
件の校長,死亡退職ということで退職金が出るのでしょうかね?

世間的に報酬が高いと言われる職業は,それなりの期待が掛けられ,責任があるはずです。件の校長は,校内の問題を解決できなかったばかりか,それを拡大させ,挙句に解決することもなく,自死という逃げに走ってしまった。つまり,期待された職務を果たさなかったのですから,場合によっては解雇・解任されても仕方がないでしょう。例え責務を果たせなかった自責ではない理由があったにせよ,それを明らかにしなかったという責任があるでしょう。それなのに,もし,事故死と同じように退職金が出ているとしたら,疑問に感じます。
マスコミ等によるバッシングの有無が言われるが,校長はその学校の(マスコミ向け,というより社会へ向けた)顔であり,一般の市民とは異なるだろうと思います。

>TuHさま
残酷ですね。死者に鞭打つ言葉は、理由が何であれ悲しい。恐怖を感じる。

>じじいさま(.73)
 ご期待に沿うことができず、申し訳ありませんでした。別エントリー「いじめ、母親が経験語る」において、皆さまが自らのご経験も交えながら率直な議論を展開なさっておられますので、そちらをご参考になさってはいかがかと思います。
 なお、「ではどうすればよかったのか」についての卑見は、.72でほんの少しですが言及いたしました。被害者に対しては「傾聴」「共感」の姿勢で臨むというのが、現在の「被害者支援活動」における原則です。また、少年院における矯正教育においては、少年に対し「自分の犯した罪に直面させる」ということが重要であるそうです。

とおりすがりさん
>残酷ですね。死者に鞭打つ言葉は、理由が何であれ悲しい。恐怖を感じる。(No.78)

そのような姿勢こそ,事実の解明を遅らせ,不要な自殺を認め,周囲に悲しい思いを広げているとは思いませんか?

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