エントリ

いじめ加担教師の懲戒厳格化も 教育再生会議緊急提言へ(asahi.com 2006年11月26日08時01分)

 ネタもとは前のエントリと同じだと思うのですが、気になるのはこの部分

 提言作成の過程で、一部の有識者メンバーから、体罰の一部容認論も出されたが、現段階では提言に盛り込まない方向だ。

 出るんじゃないかなと思っていた意見です。
 個人的には体罰絶対反対論者じゃないんですが、あからさまに容認しますと、必ず暴走する教師が出てくると思います。
 きっちりと自己抑制できる教師でないと、感情のはけ口か支配の道具にしてしまうでしょう。
 そして、自己抑制できない教師がごろごろしているように思われます。

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コメント(12)

まず、教育再生会議のメンバーを確かめてください。
現場教師、臨床系の教育学者が一人でもいますか?
いないでしょ。
誰一人として、教室内で何がおこっているかを把握していないわけで、
そいつらが出す提言がまともなものであるはずがない。

資料・教育再生会議有識者
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku/kousei.html
  浅利慶太 劇団四季代表・演出家
○ 池田守男 株式会社資生堂相談役
  海老名香葉子 エッセイスト
  小野元之 独立行政法人日本学術振興会理事長
  陰山英男 立命館大学大学教育開発・支援センター教授、立命館小学校副校長
  葛西敬之 東海旅客鉄道株式会社代表取締役会長
  門川大作 京都市教育委員会教育長
  川勝平太 国際日本文化研究センター教授
  小谷実可子 スポーツコメンテーター
  小宮山 宏 東京大学総長
  品川裕香 教育ジャーナリスト
  白石真澄 東洋大学経済学部教授
  張 富士夫 トヨタ自動車株式会社会長
  中嶋嶺雄 国際教養大学理事長・学長
◎ 野依良治 独立行政法人理化学研究所理事長
  義家弘介 横浜市教育委員会教育委員、東北福祉大学特任講師
  渡邉美樹 ワタミ株式会社代表取締役社長・CEO、学校法人郁文館夢学園理事長
 
(注) ◎座長 ○座長代理

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現役の小・中・高等学校教師という人はいませんね。
いくらか近い立場というと、陰山英男さんは「立命館小学校副校長」です。副校長なんて名前だけの名誉職かもしれんけど。

高校に「職業講話」ということで良く行きます。
色々なパターンがありますが、一番多いのは一学年が6クラスあるとすると、6人の講師が行って一クラスに一人講師が一時限だけ話をするです。

これですと、講師の側からは一クラスしか体験できないのですが、何回かに一回の割合ですが、時間を2時限取って講師がクラスを取り替えて2クラスで話をすることがあります。

こうなると、同じ学校の同じ学年でのクラスの違いが見えるわけですが、これが意外なほど差があります。

もちろん学校間の違いもあるのですが、クラス間でも違う、学年間でも違う。

同じ学校の同じ学年なのだから、コース別のクラス編成をしない限りは同じレベルの生徒の集団であるはずなのに、なぜクラス別で違いが起きるのか?
これは教師の違い意外に理由がありません。

そして、中には「この先生では困る」という例に接します。
ということはモトケンさんがご心配している。

    必ず暴走する教師が出てくると思います。
    自己抑制できない教師がごろごろしているように思われます。

もあるでしょうが、それ以前に「なんでクラス間で差があるのが放置されているのか?」です。

この「差」とは、教室内のゴミの散らばり方とか、講師が教室に入っても(つまり授業時間に)飲み食いを続けいているか、などといったところです。

こんなレベルですらチェックされないのだから、暴走教師もチェックされないでしょうね。

わたしはチェックが簡単にできる仕組みとして、また教師個人の負担軽減のためにも「一クラス複数教員」が適当ではないかと思っています。

>Inoue さん
>まず、教育再生会議のメンバーを確かめてください。
>現場教師、臨床系の教育学者が一人でもいますか?

どっちかといえば、教育大学や教育学部の方が問題かもしれません。と言うのは、教職経験者が教育大学の教授や助教授、講師となった例をあまり知らないのです。

講師全員に教職経験が必要だとは思いませんが、教育現場を体験したことのない人が教員を教えるというのも不思議な気はします。

義家弘介氏は1999年4月から2005年3月まで母校である北海道余市郡余市町の北星学園余市高等学校で教職を勤められていますね。だからゼロではないようです。

 では、経済学部教授は銀行や証券ディーラー出身者とか投資ファンド経験者でないとだめなんでしょうか?そんなことはないですよね。
 教育学部は、教職免許状をとることだけが目的で存在しているわけではありません。「教育」という切り口で社会や個人を分析しているので、教員経験などなくても、教育学部教員は務まります。
 教職課程の講師としては現場経験はあった方がいいですが、それだけではだめなんですよ。「鳥の目」をもって俯瞰的に眺めることのできる人が必要です。現場経験者は「虫の目」しか持っていません。

>Inoueさん
もっともなご意見ですが、「講師全員に教職経験が必要だとは思いませんが」と書き込んだように、教職経験を条件に考えているわけではありません。私が問題にしているのは、「教職経験がある教員は皆無なのではないか」と言う事なのですね。根拠はありませんが。

教職課程の講師の件ですが、確かに俯瞰的に眺める事は必要かもしれませんが、「机上の空論」を教えることが恐いのですね。司法研修所の教官は実務経験のある方が努めてらっしゃる様ですし、医学部の教員にしろ医師免許を持っている方は珍しくはないと思います。

 教員養成は教育学部の専売特許ではありません。よく知られているように、教職免許状は小学校教諭と幼稚園教諭を除けば一般学部でも取得可能であり、理論と現場との接点は教育実習によって担保されています。
 また、医学部には付属病院がありますが、そこに籍を置く臨床系教員は大して学部生の教育には関与していません。彼らの仕事は、臨床と研究がほとんどです。せいぜい臨床実習の指導をするだけです。医学生の学習は、書店で購入した参考書で主になされるのであり、医学部教員はあまり貢献していないのです。

 むしろ、教育学部に必要とされているのは教育臨床系の人です。教育政策の歴史をまとめたり、あちこちの学校で横断的な調査をしたり、生徒や教師から聞き取り調査をしたりするなどの地道な研究をしている人たちは教育学部にしかいません。彼らの言うことは、決して机上の空論ではありません。
 例を挙げれば、東京大学教育学部の佐藤や苅谷などですね。なぜ彼らを教育関係の審議会に加えないのか不思議でなりません。

>講師全員に教職経験が必要だとは思いませんが、教育現場を体験したことのない人が教員を教えるというのも不思議な気はします。

しま様

メインは大学院の話ですが、中教審の枝の会議で、大学院、大学の教員への現場経験者の登用の話が出ておりますた。ご参考まで。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/023/06062108.htm

生徒が思い通りにならないと、女子だろうと鼻血が出ても殴り続け、戦前の管理主義・全体主義教育を正義と言い張る教師がいる学校に通っていた。その教師の口癖↓
「俺に殴ってもらえた事をお前らは将来感謝すんだよ」

ある日、勇気を出して聞いてみた。
「どうして感謝すると分かるのですか」
「俺や仲間がそうだったからだよ」
「先生や仲間の例がどうしてみんなに当てはまると分かるのですか」
「じゃあおまえ、社会に出て、礼儀知らなくて困っても良いのかよ!」
「礼儀を知らなくて困るかもしれないぐらいなら殴られた方が良いとは思いません。そもそも礼儀の勉強をするのに、どうして殴って従わせる必要があるのですか」

こんな話をしていたら突然殴られ「舐めたこと言いやがって」「ガキのくせに」「殺すぞてめえ!」「普通にやるぞコラ!」などと威嚇と脅迫を繰り返し「お前らもやれ」と集団リンチを命令し、鼻が曲がり前歯が6本折れるまで同級生から殴られ続けた。
さすがに当時としても問題になり、その教師は隣町の学校に飛ばされたが、一言も謝罪は無し。

当然、感謝など一度もした事は無く、あの偽善者を永遠に憎んでいる。

義務教育に限って言えば、現場の平教員が一番弱い立場にあるのが問題なんだと思いますよ。

教育委員会よりも校長よりも立場が弱かったのは昔からですが、今では保護者はおろか児童生徒より立場が弱い。児童生徒になにかを強制する方法が足りなすぎるのです。高校ならいざとなれば退学放校処分ができますが、義務教育なので児童生徒には教育を受ける権利があるからそう簡単にもいかない。

親にしても、昔なら「学校に子供を人質に取られている」面があったのですが、今ではモンペとなればそれでおっけーですからね。

じゃあ、体罰で強制すればいいというなら、精神注入棒時代に逆戻り。そういうのが好きそうな国民ではありますけどね。そうやって戦争に負けたんだけどなあ。

>個人的には体罰絶対反対論者じゃないんですが、あからさまに容認しますと、必ず暴走する教師が出てくると思います。
>きっちりと自己抑制できる教師でないと、感情のはけ口か支配の道具にしてしまうでしょう。
>そして、自己抑制できない教師がごろごろしているように思われます。

 私は、容認して、ある程度の範囲を示すほうがいいように思います。(特に、小・中学生)
理由は2つほど。

1.暴走の危険性に対して
 「範囲が示されず個人の裁量に任された状態」というのは、必然的に基本的に個々人の判断による部分が大きくなります。
 体罰でなく工場作業の例なんかでは、上の部分というのは安全面などでは非常に不安定な状態でもある(作業者のレベルが低い場合もろにでる)のですが。
 指針を示した方がかえって暴走などの危険が減るのではないかと思います。

2.情報の共有化について
  原則禁止ないしそれに近い場合、どういうケースがあってどうであったか、の情報があがってこないのではないかと思います。改善していくためには、実施した結果の情報があがってこないといけないので、原則容認で実施したケースとその結果からどういうケースで行うべきかの検討が進んでいくことで、1.なども抑制されていくのではないでしょうか。

 目的としては、「体罰の正当化」ではなく「適切な範囲で体罰の行使」なのですが。
 「個人が密かに(表立って容認されてないので)裁量に任された状態で実施している」ケースというのは健全な状態ではなく、不必要ならそれを無くせばいいし、必要でも制限をかけるのなら制限をかけていく、どちらかであるべきではないか、と思います。(ここら、自衛隊とも似てなくもないですが)

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