エントリ

大阪高裁判事、自殺か=住基ネット訴訟で違憲判決(ヤフーニュース(時事通信) - 12月3日20時0分更新)

 住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)をめぐり、高裁レベルでは初の違憲判断となった11月30日の大阪高裁判決で、裁判長を務めた同高裁部総括判事の竹中省吾さん(64)が3日午前、兵庫県宝塚市の自宅で首をつり死亡しているのが見つかった。

 遺書は見つかっていませんが自殺の可能性が高いようです。

 違憲判決との関係はよくわかりませんが、関係がないと見ることは難しそうです。
 少なくとも世間は関係がないとは見ないでしょう。
 
 ご冥福をお祈りいたします。

 しかし

 自殺の一般的当否とは別の問題として、つまり裁判官の責任感として、どんな理由にしろ自殺は許されない局面であったと思います。
 違憲判決直後の裁判長の自殺は必ず憶測を呼びます。
 少なくとも合議体を構成した二人の陪席裁判官に対して迷惑を及ぼします。
 そして、 3人の裁判官が心血を注いだであろう判決が傷つきます。

 このエントリの結びとすべき言葉が見つかりませんが、遺憾なニュースです。

追記続報
 朝日
 毎日
 読売

さらに追記
 予想どおりに憶測が飛びはじめたようです。
 ネットでは国による陰謀他殺説(みたいな説)が語られているようですが、私としては考慮外というところです。
 もし仮に「裁判官は国の政策に逆らってはいかんよ。」という陰謀であるならば、もうちっと(裁判官全体に対して)他殺の可能性を匂わさなければ恫喝にならんでしょう。例えば、交通事故死とか。
 裁判官の激務を肌で知っている別の裁判官から見れば、それに問題の性質から見ても、やっぱり自殺にみえるでしょう。
 住基ネットで謀殺されてたんでは靖国参拝問題はどうなるの、という感じです。
 いわずもがなの追記でした。

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コメント(59)

この裁判官は裁判官としての自覚に足りなかった,思慮・責任感が欠けていたと
言わんばかりのモトケンさんのコメントですが,自ら死を選ぶところまで自分を追い
詰めてしまったのはむしろ自分に課すものが大きすぎたためかもしれません。
いずれにせよ,この裁判官の自死の当否を論じることにさほど実益があるとも
思えません。
問題にすべきは,裁判官がある判決を出すことについて相当の圧力を感じていた
可能性があること,それ自体ではないでしょうか。

>問題にすべきは,裁判官がある判決を出すことについて相当の圧力を感じていた可能性があること,それ自体ではないでしょうか。

 裁判官の本来的職責がそういうものです。

 今回の裁判は特にそうだったとは言えますが、裁判官になると決めたときから想定内の事件と見るべきです。
 
 厳しい言い方であることは重々承知しております。

 ある書物に、地裁はまだしも高裁には上ばかり見て判決を書いている裁判官が多い(これをヒラメ裁判官というのだそうです)、とありました。しかし、竹中裁判官はそんな裁判官ではなかったようですね。
 自殺の理由は解りません。理由が解らない以上、意味づけもできないと思います。

>住基ネットで謀殺されてたんでは靖国参拝問題はどうなるの、という感じです。

 エントリーの主題から外れますが、靖国違憲判決を出した亀川判事(福岡地裁)は、判決に際して遺書を認めていたそうですね。また、箕面忠魂碑訴訟で違憲判決を出した古崎判事(大阪地裁)は、転任先の京都地裁で日本刀を持った暴漢に襲われたそうです(そのとき、古崎判事は暴漢に向かって「私を殺しても判決は変わりませんよ」とおっしゃったとか)。

「切腹」の伝統がある国ではどうしても自殺が、
ある種のパフォーマンスとして捉えられてしまうというのは
仕方がないのですが、
そろそろ「自殺」は病気の一種だという
コンセンサスを持つ必要があると思います。

特に今回の裁判官の自殺はたぶんに
精神疾患の疑いが強いと思います。
環境を考えたら、うつ病にかかり易いなと思われるわけですし、
その延長での自殺も推察できます。
問題にするべきは、精神疾患(の疑い)を放置したままにしてしまう
現状の職場環境なのではないでしょうか。
これは他の職場環境、社会環境にも言えることなんですが。

加えて「切腹」は自殺ではなく、
死を賭した訴えだということを理解して欲しいものです。
結果として死ぬだけで。
自分で自分の腹を掻っ捌くなんてことは、
飛び降りたり首つったりするより遥かにしんどいわけで、
そのしんどさに変わりうるほどの
主張がそこにあるということなのですから。
「切腹」と「自殺」を同列に扱うのは、
本当に「切腹」したご先祖様に対して失礼かと。

 「裁判官というのは能力職ではなく性格職だ。」

 という言葉を聞いた記憶があります。

私も、モトケンさまと同じく、裁判長の自殺(謀殺説は論外として)は、許せないと考えます。ニュースを聞いてから、怒れてなりません。日本の司法界に汚点を残す死であったと思います。

遺書もなく、どんな理由で、何を考えて死んだのかが判らないというのでは、妙な憶測や疑心暗鬼を生む元です。
つまり、今回の自殺が違憲判決がらみであると世間から見られることは必至ですが、そうなると、判決の意味に疑問が生じてしまいます。

1.裁判官としての信念に基づいて出した判決ならば、他人から何と批判されようと恥じることはなく、死ぬ必要はないはず。自殺は、判決が誤りであったと後悔したためかと疑われる。
2.自殺したのは精神病を患っていたためだとするならば、裁判官が正気でない状態で下した判決には無効の疑いがある。

権力側は、本件違憲判決の趣旨を矮小化しようとして、必ずやこのような攻撃をしかけてくるでしょう。
裁判長は自殺することによって、自ら、違憲判決の重みを半減させてしまったのです。

「違憲判決を出すと死ぬ」という誤った先入観が広まることも問題です。
ただでさえ、日本の裁判所は最高裁判所を頂点として体制べったりで、違憲判決をめったに出しませんが(戦後60年で数えられるほどしかない)、
裁判官らは萎縮して、ますます違憲判断を出さなくなるおそれがあります。
何のための司法権か、違憲立法審査権か?

めったにない違憲判決を出したことで、裁判長が裁判所内部で孤立し、無言の非難圧力を受けたであろうことは想像に難くなく、ひょっとすると報復人事等の実弾攻撃まで受けたかもしれません。
しかし、イジメに遭ったから死ぬというのでは、そのへんの小学生や中校生と変わりありません。裁判官のすることではない。
もし、どうしても耐えられないとしても、何も死ぬことはないので、辞表を出せば済む話です。法曹資格があるのだから、無理して居づらい職場にしがみつかなくても、どこかの法律事務所が喜んで客員弁護士としてお迎えするでしょう。あるいは、年金をもらって南の島でのんびり余生を過ごすとか。御年64歳という年齢からみて、てっきり退職予定の判決だと思いましたが。

裁判長はなぜ黙って死んだのか。抗議の自殺であるなら、遺書を書いて、各新聞社に送りつけてから、死ぬべきだ。死人に口なし。これでは犬死にどころか、百害あって一利なしです。
死者に鞭打つこんな批判をしたら、恨んで、私の前に化けて出てくれるかもしれません。そうしたら裁判長、あなたにお聞きしたいことがあります。
ホント、恐山のイタコの口を借りてでも、釈明してもらえないかな?

こういう自殺をするからには、おそらくうつ病だったのでしょう。
で、うつ病による自殺への理解が全く広まっていないのがよくわかってまた悲しくなります。

校長や、生徒のときもそうでしたが「何も死ななくてもよかったのに」という意見を出す方は、「自分は、今まで死を選びたくなるほどの目に遭ったことがない恵まれた人間だ」という宣言以上に何も述べていないことに気付いて欲しいです。
他人にはなぜ死を選んだのか理解できない、ことこそがうつ病による自殺が「病的状態」であることの証明です。

ある負荷がその人にとって耐えられるか否かは、その人でないとわかりません。
例えば、世界には20年とか50年とか寝ていない人がいるそうですが、
http://x51.org/x/05/01/1940.php
これから先、一生寝ずに仕事をしても問題ない方はいらっしゃいますか?
10年ぐらいならOKですか?
いくらなんでも1ヶ月ぐらいはOKでしょう?

他人に対する想像力とはこういう能力を指すのだと思います。

>>No.7 YUNYUN さん
>2.自殺したのは精神病を患っていたためだとするならば、裁判官が正気でない状態で下した判決には無効の疑いがある。

「精神病」という表現はともかくとして、確かにその問題は存在しますね。

人は簡単に自殺しようと思ってもできないものです。死にたいと思うことと、本当に自殺してしまうことの間には果てしない溝が横たわっているはずです。

自殺するということは、非常に病的な状態だという認識が必要ではないかと思います。
うつ病であるかどうかはわかりませんが、少なくとも「何らかの病的状態」にあったのではないかと考えられます。ただ私は精神科医ではありませんし知識には不十分な点も多くあり、あくまでも推測に過ぎませんが。

自殺をした方を責めるのはかわいそうというわけではありません。
自殺する人の心象風景は、(私も含めた)通常の精神状態にある人間の尺度で簡単に測れるようなものではなく、自殺する直前には、全く異質な世界に棲む状態だったと思われますし、そういう認識を多くの方が共有することが大切だと思います。私は理屈の上ではモトケンさまやYUNYUNさまのおっしゃることは分かりはしますが、この人を病人として扱うことができなかったのか、ということの方により興味があります。

私は、「病気の裁判官」が、休職という選択ができる職場環境が一般的に整備されている状況なのかどうかが知りたいです。その選択肢があるのに、なんらかの理由で選ばなかったのであれば、本人にも責任はあると思います。ただ、それが(雰囲気上であっても)許されないのか、もしくはそういうシステム自体考えられていないのであった場合は、本人を責めるよりもシステムの不備を責めるほうが合理的だと思います。

私としては、病んだ人にもスーパーマンであることを要求することは理にかなったことではないと思いますので、そういう人をうまく救う仕組みがあり、かつ機能していればこんなことにはならなかったのではないかと残念に思います。

知らない人どうしの実利実害のないイデオロギーの争いってどうでもいいのにねぇ。

常識的な線でエイヤって文章書いたらそれでいいんじゃないだろうか。
司法の独立とかいうし。文句あったら上告するだろうし。

ほんとにそれが原因なんだろうか。

原因なんかなくて病気っていやあそれまでだが。そんなひとはいっぱいいるし。

元内科医さん
「私としては、病んだ人にもスーパーマンであることを要求することは理にかなったことではないと思いますので、」
全くその通りだと思います。裏事情に思いをめぐらせず、自殺にまで結果責任論で叱咤を加えるのが、司法関係者の一般的な思考回路なのだとしたら、怖すぎます。

>峰村健司 さん

 このエントリは、違憲判決をした裁判官の判決直後の自殺だから書いたものであり、そのような裁判官の自殺の客観的影響を指摘したものです。

 私としては、極めて消極的な評価をしておりますが、自殺一般論を述べたものではなく、結果責任論で叱咤したつもりもありません。

 裏事情に思いをめぐらせていないわけでもありません。

 自殺がいわば異常事態、その意味で病的と見うることに異論があるわけではありません。

 しかし、裁判官としては、どんな理由にしろ自殺は許されない局面であったと思うわけです。

 今後、似たような事態に直面した裁判官が、自殺を思いとどまる力を残しているとしたら、少しでもその力の支えになればいいという思いからのコメントです。

> 病んだ人にもスーパーマンであることを要求することは理にかなったことではない

私も、一般市民に対してそんな無茶は言いません。
しかし、この人は普通の職業ではない、裁判官は公務員の中でも、特に強大な権力を与えられた特別職公務員です。裁判によって多くの人々の運命を左右し、時には死刑判決という形で、生命すら奪う権限があります。

> 自殺するということは、非常に病的な状態
病的な状態の裁判官に、自分の一生を左右する事件の裁判をしてもらいたいと望む人が居るでしょうか。
裁判官にはベストの体調で、ベストの判断をしてもらいたいと望むのが当然でしょう。
本件に限らず、最近にこの裁判官の裁判を受けた人は、みな判決内容を疑ったことと思います。数年間、自分が心血を注いだ裁判に対する判決が、病人の異常な精神状態から生み出された、何の意味もないものだとしたら・・・?

裁判官の職責の重さからすれば、自らの進退を決することも責任の内であり、職に耐えないと悟ったら、社会に迷惑を掛けないよう、さっさと辞職しておけということになると思います。

> 「病気の裁判官」が、休職という選択ができる職場環境が一般的に整備されている状況なのかどうか

裁判官にも病気休職の制度はあるでしょうが、長期に休むことは能力を問われますので、
ある程度の期間内に回復して復帰できなければ、辞職せざるを得なくなる可能性大です。
現在の裁判官らは配点事件数が常時200件とも言われる労働過密状態であり、大きな責任を背負って仕事をしていくためには、普通に健康という以上に、心身ともに頑健な人でなければ務まらないと言えます。
(私は自分の頭と体の程度からして、とてもそんな激務は務まらないと自覚しておりますので、弁護士として細々と仕事を取っております。)

> そういう人をうまく救う仕組みがあり、かつ機能していればこんなことにはならなかったのではないか

本当は裁判官を増員すべきであり、法科大学院が出来て供給源も増えたはずですが、
「公務員削減」がここ数年の内閣の政策であるため、増員は全く予定されていません。
弁護士会も運動しているのですが、司法予算を増額することについて、国民の理解を得るに至っていません。
そういう意味では、この人を個人的に責めても、どうにもならないことではあります。

>YUNYUN様

裁判というものはそれほど裁判官の個性が反映されるものなんでしょうか。判決文に論理的整合性が取れていれば、問題はないと思うのですが・・・・
裁判が裁判官の個性に大いに影響されるならば、裁判制度そのものを考え直さなければならないと思うのですが。

モトケンさんは他殺は考慮外と仰っていますが、
YUNYUNさんの
>2.自殺したのは精神病を患っていたためだとするならば、裁判官が正気でない状態で下した判決には無効の疑いがある。
という意見を考えるなら、『精神錯乱して自殺したようにみせかけて』ということも十分考えられると思います。
老練な判事のようですし、各方面からの圧力は織り込み済みで判決を出したと思われますし、圧力が高々2,3日で自殺する理由になるとはちょっと思えないというのが感想です。

陰謀論といってしまえばそれまでなのですが。

No.13 YUNYUN さん

コメントを読む限り、鬱に関する理解が足りないと思います。(医師でないの当たり前と言えば当たり前ですが)

精神を病んでいるといってもいろいろなパターンがあるのですが、最近よく心の風邪と表現される鬱というのは、本当に風邪くらいに一般的な疾患なんですよ。まず頻度として一生のうちに経験する率は(病院にかかっていない場合も多いので正確な数字はない)過半数を超えるのではないかと考えている医師もいます。誰でも罹りうるわけで、理性の強さや、能力の高さなどで、防げるものでもありません(むしろ罹り易いかも)。脳内の伝達物質が足りなくなる又は、バランスが悪くなるためなので、風邪を引いた人間が咳を我慢することができないように、鬱の症状に抗うことは不可能なのです。
自殺の原因になることも多いですが、治ってしまえば全く正常の人ですし、繰り返す可能性は高いものの精神的な後遺症は全くありません(風邪を引きやすいくらいに理解してください)。ですから、数ヶ月休むことは必要かもしれませんが、「さっさと辞職」する必要はありません。

私自身、慣れない行政仕事をしている期間に、短期間軽症の鬱を患ったことがあります。また、自他ともに頑健な精神と思われていた人間の鬱での自殺も経験しています。

モトケンさんからのレスの、前半については了解いたしました。

>しかし、裁判官としては、どんな理由にしろ自殺は許されない局面であったと思うわけです。
>今後、似たような事態に直面した裁判官が、自殺を思いとどまる力を残しているとしたら、少しでもその力の支えになればいいという思いからのコメントです。

このコメントは「鬱病患者に対する激励叱咤」にあたり、全くの逆効果になるように思うのですが、専門の方、如何でしょうか?少なくとも思慮を欠いていると思うのですが…

No.17 峰村健司 さん

我々もよく自殺念慮に関する質問を憚ってしまうことがありますが、精神科医から受けた指導では、しっかり聞いて診断に役立てることが有用であり、それが自殺に繋がることはほとんどないということでした。

人間の意志と理性の関係というものは、論理とか理性から意志が生まれてくるのではなくて、勝手に生まれてきた意志を、理性が取捨選択するという形でコントロールしているらしいです。自殺をする意志が生まれてくるのは、ある程度仕方がない。(鬱がひどいと死ぬ意志が湧いてこないという意味で、自殺に関してはかえって安全だったりします)生まれてきた自殺の意志を止めるための、理性の道具として、判決が台無しになるという情報は、役に立つ可能性があります。

鬱の時は脳内の伝達物質が足りない状況であり、さらに出すようなことを強いれば、枯渇してますます悪化します。とにかく心の安静を保つことが大事です。意志をもって困難に立ち向かうとか最悪ですね。それを強いるのがすなわち激励叱咤ということです。自殺はいけないという話は、何かしろという話ではありませんので、あまり問題にならないと思います。ただし、死んだら判決が台無しになるという話を、自殺念慮のある鬱の人に直接告げた場合は、容易に判決を台無しにするという非難ととらえうるので、ちょっとよろしくないですが、これから鬱になる人(全く正常な人なので)に対しては問題ないでしょう。

*脳の中のことは未だ不明な点が多いため、仮説を含んだ意見ですのでよろしく。

> 裁判というものはそれほど裁判官の個性が反映されるものなんでしょうか(No.14 場末の開業医さま)

法解釈、証拠の評価の仕方について、法曹100人が100人とも、意見が一致するという明白な問題でない限り、裁判官によって判断が分かれることは十分ありえます。
医療において、同じ患者を診ても、医師により最適な治療方法の判断が分かれる場合がありうるのと、同じこととと思います。

日本の裁判官はキャリアシステムを主軸として、比較的均質な人材を登用しているため、法曹資格者が立候補して選挙で選ばれるアメリカなどと比べれば、裁判官の個性による判断の差異は小さいと言われますが、それでも全く同じではありません。
三審制で、上級審において新たな証拠を追加するのでなくても、上訴が許されるしくみは、同じ証拠を見ても人によって判断が変わることを期待しているためです。よく、「○○コート」と裁判長の個人名を冠して呼ばれるのは、裁判官にも個性があり判断が分かれることがあるという事実の表れです。

加えて、本件の住基ネット訴訟を違憲と判断するかどうかは非常に微妙なところで、法曹100人が100人とも違う答えを出すかもしれないという、対立の深い問題です。国民主権の意義、プライバシーの権利の性質、行政の任務、司法の役割といった諸要素を考慮した上で、最終的には裁判官の内心にある価値観によりどの要素を最も重視するかによって、結論が決まります。
この法廷でなければ、この3人の裁判官でなければ、あの判決は出なかったという事件であると言えます。

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> コメントを読む限り、鬱に関する理解が足りないと思います(No.16 元行政さま)

裁判は強制力を持った国家権力の作用であり、国民に対して影響が大きい仕事ですから、
この場合は、鬱病患者をいたわるよりも、仕事の成果(数でなく質の問題)が重んじられるべき場面であると考えます。

私はウツになった裁判官はすべからく直ちに「退職せよ」と言っているのではありません。病気休職して治るものなら、さっさと「休職せよ」です。
要は、自殺するほどの重度のウツ状態で、裁判に関与してほしくないということです。権力の座にある者は、個人的な責任の有無は別にして、客観的に仕事ができない状況になったら、外れてもらうしかないのです。
手業の職業なら、頭の働きが鈍っても身体で覚えた技でもって仕事をこなせるということはあるかもしれませんが、裁判は頭脳活動であり、特に、本件のような前例のない問題についての判断を問われる事件では、自らの思考力の冴えのみが頼りです。
それが、絶不調というのでは、どうしようもありません。

司法は国家による独占事業で、国民は基本的に、自分を裁く裁判官を自由に選ぶことはできないシステムです。その上で、たとえ不本意な内容であっても判決を強制されてしまうのですから、
裁判を受ける者が判決に納得する−「納得」ではなく「諦め」かもしれませんが−理由は、裁判官が全力を尽くして誠実に判断してくれた結果だから、ということしかないと思います。
元行政さまが、もしも、トンデモ判決によって敗訴させられ、不名誉にも過失ありと公言されて多額の賠償を命じられた場合に、「あの時はウツでよく考えられなかったので、テキトーに判決しちゃいました」という言い訳を聞いたとしたら、
いくら鬱病に理解があるお医者様でも、「病人を責めたら可哀相だ」では済まされないのではないでしょうか。

いや、本件の裁判長は、別に不調ではなかったかもしれませんが、外形上は不調を疑われても仕方がない状態です。判決に対する疑念を抱かせ、司法に対する不信感を助長するというだけでも、許し難いものがあります。
残された者たちが迷わないように、「私は判決は理性的に、信念に基づいてしました。死ぬ理由はこれこれです」と、言い遺してほしかった。

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>>今後、似たような事態に直面した裁判官が、自殺を思いとどまる力を残しているとしたら、少しでもその力の支えになればいい
> このコメントは「鬱病患者に対する激励叱咤」にあたり、全くの逆効果になるように思うのですが(No.17 峰村健司 さま)

叱咤激励ではありません。
無理してその職場で頑張るな、休んでしまえ、辞めてしまえ。
ドロップアウトの勧めです。勤務医の<逃散>と同じですね。

程度問題ですが、鬱の持病があっても、弁護士なら仕事の仕方によっては、十分務まります。
権力から離れて、貧乏で、名誉栄達や勲章とは無縁の人生であっても、自分の好みの仕事をしていれば、心穏やかな生活が送れるでしょう。

モトケンさん、元行政さん、YUNYUNさん

元行政さんの言われるように「自殺はいけないという話」やYUNYUNさんの言われるように
「無理してその職場で頑張るな、休んでしまえ、辞めてしまえ。ドロップアウトの勧めです。」ということならいいのだと思うのですが、モトケンさんの最初のエントリーは「どんな理由にしろ自殺は許されない局面であった」ということに加えて「容易に判決を台無しにするという非難」が続くだけで、ドロップアウトの薦めはありません。つまり逃げ道が用意されていないのです。私のへっぽこな鬱病対応の理解では、逃げ道が用意されていない譴責は非常にまずいものだと思います。こういう話題のエントリーですから、今現在鬱病を患っている裁判官の方が読んでいることは想定しておくべきでしょう。

一方、YUNYUNさんの言われた「本当は裁判官を増員すべき」「この人を個人的に責めても、どうにもならないこと」は全く腑に落ちます。医療事故なんかも個人を譴責するのではなく、構造的な観点から対策を進めていくべきであることは小松先生著「医療崩壊」でも書かれていますが、どちらの問題もなかなか国民の理解を得られず困ったものです。

裁判官に対しての議論はともかくとして、うつ病に関する知識というかイメージを医者・うつ病患者と共有出来ていない方がいらっしゃるようですのでその橋渡しとなるようなマンガを一つ

『ツレがうつになりまして。』
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4344011430/sr=11-1/qid=1165400800/ref=sr_11_1/250-1023325-5476214

(以下も「うつ病患者の判事が下した判決の妥当性」に関しては留保します)
ちなみにこのエントリとコメントを100人の中等症以上のうつ病患者に読ませたら、3人ぐらいは絶望して自殺すると思われます。
似たような言動を職場や家庭でしたとすれば、「殺すつもりはなかった」と言いながらナイフで胸をグサグサ刺しているのとさして状況は変わりません。
それは「刑法の条文を知らなかった」ということが言い訳にならないのと同じです。
無知は罪です。

私にとっては「不具合のある裁判官」を想定し、対応できるシステムがなさそうであることが気にかかります。「責任が重大なのだからガンガレガンガレ」と日々言われてそれに応えられる人はよいです。問題は応えられなくなった場合です。私は本件と同様に抑鬱状態で困っている裁判官の方が他にもおられ、このエントリを読むかもしれないと考えて記載しています。私はモトケン様の一番最初のコメントはやはり配慮に欠け、うつ病患者を叱咤(叱責)する、問題のある表現で終わっていると感じます。

病気は誰の身にも、モトケンさまにも、YUNYUNさまにも、私にも等しく降りかかる可能性があるものなのです。もし自分が裁判官で、でも抑うつ状態になっていたらどうしたらいいのでしょうか?責任感が強くて真面目な人の場合、「責任が重いので頑張らなければいけない」と思い込んでしまったらどうしたらいいのでしょうか?

誰かが「もう辞めてくださいと命令」もしくは「もう辞めてもいいんだよとアドバイス」しないといけないと思います。私は知識が不足しているので、本当はそういう機関があるのかもしれませんが、裁判官を評価し、メンタルヘルスに問題をきたしていると判断した場合介入する機関がないように思われます。休職するかどうかの判断を、患者さん自身だけに委ねるしかないのであれば、今後も同じことが繰り返されます。責任感の強い人は休職など最も嫌うものだからです。

裁判官を評価するシステムがないことが問題なのではないでしょうか。私には、不可侵として扱うあまり、健常な状態ではない場合のトラブルに対応できなくなっているようにみえます。

増員もできないのであれば裁判官のなり手がじきいなくなるのではないでしょうか。荷重労働に加え、私のような人間が、裁判官に対し憎しみを持ち攻撃していることがその傾向を加速させる一因となるのでしょうか。あらゆる業界で責任をとる人間が逃散し尽くす時代の到来なのでしょうか。

「それではトンデモ裁判だとかいって裁判官を責める(そうでなければ鑑定をふくめたシステム全体を責める)お前の物言いを控えろ」と言われそうですが、それも困ります。

現時点では裁判官が全てを決めているので、裁判官にはまともな判断をしていただき後世にまで笑いものになるような荒唐無稽な判断をしないという責任を持って頂くべきだという考えは変えられません。現時点での民事訴訟・刑事訴訟のやりかたを変えないというのであれば(私は鑑定が最も問題だと思っていますが)、最終判断をした者が全ての責任を負うべきだと考えます。

でもそれは無理なことなのです。人間の限界を超えていると思うのです。

システムに無理があるのではないですか、ということです。
自分の理解不能な分野(医療訴訟での「取り違えなど明らかな過誤を除く」微妙な判断を要求される専門家でも意見が割れるような問題)までカバーしようとすることもしかり、メンタルヘルスに問題があってもそれを指摘し直ちに休ませるようなことが一般的でないこともしかり、裁判官をとりまく環境に、不十分な点が多々あるのではないかと考えます。

法曹界が時代の変化に対応しきれていないのではないかと感じます。司法崩壊といわれるような現象も意外な方向からおこりうるのではないかと懸念します。
医療崩壊を肌で体感した私自身の経験からの類推です。

モトケンさんは、裁判官という職業の職業倫理について書かれているだけで、生身の人間としての裁判官に対して叱咤激励しているわけではないと思います。
職業倫理は「かくあるべきだ」という、いわば燦然と輝く規範であって、人間に対する配慮がないのはむしろ当然だと思います。

>白片吟K氏 さま

まあ、この自殺された方が抑うつ状態だったかさえも誰にも分からないことではありますが、状況と経験からそうなんじゃないかなと疑われるわけです。

職業倫理は自殺された方も百も承知で分かりすぎるくらい分かっていることだと思います。それを念押ししたところで何も変わらないのです。むしろ非常に悪い影響しか与えないのです。

医療従事者の間では常識なのです。
とにかく言ってはいけないことは「絶対に」言ってはいけないのです。厳しく戒められている鉄則です。そういう感覚からすると、モトケン様の最初のコメントはこちらがハラハラしてしまうほど無邪気でありかつ無防備なので、老婆心ながら心配しているだけだと考えてください。

「非常に悪い影響」とは、誰に対する影響なのでしょうか。
その人はこのブログを確実に読んでいるのでしょうか。
読んでいるかいないか分からない人に対して、配慮しなくてはいけないという理由で、個人が自分のブログで職業倫理について語ることは出来ないのでしょうか。

わたしには、「医療従事者」の「常識」というだけでは理解できません。

> ちなみにこのエントリとコメントを100人の中等症以上のうつ病患者に読ませたら、3人ぐらいは絶望して自殺すると思われます(No.21 元田舎医さま)

このエントリとコメントでは、「裁判官が」「裁判が」と連呼しておりますが、
裁判官でない一般人も、自分の立場に引きつけて、絶望すると思われますか?
もしそういうことがあるとしたら、その人は自意識過剰ではないかと私は思いますが、それは素人なりの浅はかな考えかもしれません。

> 誰かが「もう辞めてくださいと命令」もしくは「もう辞めてもいいんだよとアドバイス」しないといけないと思います(No.22 元内科医さま)

モトケンさまにお聞きになればよいと思いますが、
一般職の公務員が定年まで勤め続けるのが普通であることと異なり、
裁判官や検察官は、定年を待たずに少なからぬ人たちが退職して弁護士に転身するという”慣行”があり、何が何でも職を守らなければならないという意識は薄いと思います。10年目、20年目などが一つの節目であるようです。
迎える弁護士会としても、元裁判官、元検察官という人は別に珍しくもないので、弁護士になった以上は同業として仲良く一緒に仕事をしております。
実際、イザとなれば辞表を出して、弁護士で喰っていけるわい、というのが、裁判官にとって自らの信念を守る武器になっているのです。「退職前に変わった判決を出す」というやつです。
従って、裁判官らがこのエントリを読んで、仕事ガンガレの責任感に押しつぶされて死ぬという可能性は少ないと思います。

一方、職にしがみついてガンガってしまう人は、仕事に対する責任感というよりも、その組織内で評価されて出世したいという願望が強いのではないかと想像します。最高裁判事になりたい、東京高裁所長になりたい等。「エリート意識」とも言えるでしょう。
そういう人にとっては、退職はもとより、病気休職も、与えられた仕事をこなせないというだけでも、自分の存在意義を否定されたように感じ、「負け」「挫折」と映りますから、
仕事を辞めるなどは最もやりたくない事であって、その凝り固まった価値観を変えさせない限り、自ら身を引く決意は容易でないと思われます。
価値観を変えさせるのは、妄想を捨てさせるのと同じ程度に、大変なことでしょう。

> 裁判官を評価し、メンタルヘルスに問題をきたしていると判断した場合介入する機関

正規のルートとしては、裁判官分限法があります。
心身の故障により職務に耐えないと判断された場合は、本人の意思に反しても免職にできます。まあ、法が発動されるのは、よっぽど奇行があって傍目にも明らかに正常でないと判断された場合でしょうが。
それ以外は、所長や部長や先輩あたりが、「君は弁護士のほうが向いているよ」と、穏便に退職を促すのではないかと。

> 増員もできないのであれば裁判官のなり手がじきいなくなるのではないでしょうか。

増員しないというのは、定員数を増やさないという意味で、退職による欠員分は補充しています。
今のところ、毎年の裁判官志望者数は採用予定者数を上回っており、選抜されている状態です。
知力体力を限界まで試される過酷な仕事と知っていても、名誉と権力に憧れる人は、いつの時代にもあります。(訴訟で責任を追及される危険は、医師に比べてずっと少ないし。)

ちなみに、15年ほど前、検察官志望者が減少して定員を満たせないのではないかと危ぶまれた時期がありましたが、それはバブル景気で異様に好待遇になった勤務弁護士に流れたためで、景気が悪くなり待遇が良くなくなると、安定志向の公務員志望が盛り返しました。
今後は法曹大量養成のため、勤務弁護士の待遇は切り下げられる一方と予想されますので、しばらくは、裁判官志望者に事欠かないと思われます。

No.19 YUNYUN さん

前にも書きましたが、鬱は自殺する状態が最重症なのではありません。自殺する状況の頭の中(生理学的な意味で)が解明されているわけでないのですっきりとした説明はできませんが、自殺するほどの鬱でも思考力が落ちて、裁判の結果が非論理的になるということは基本的にはないと思った方がいいと思います。(重症度が進むと判断がおかしくなるのではなく、作業効率が下がっていき、作業自体ができなくなるわけでトンデモは考えにくい)物事の捉え方等感情の部分には、病気は多少影響がありますが、むしろ冷静で慎重に物事を進める望ましい状況になる可能性だって低くないですよ。少なくとも鬱状態の人間の方が仕事に対しては誠実です。

>「あの時はウツでよく考えられなかったので、テキトーに判決しちゃいました」

こんなことは鬱の人間は言いません。

>外形上は不調を疑われても仕方がない状態です。判決に対する疑念を抱かせ、司法に対する不信感を助長する

司法というシステムを考えれば、実際に問題になるのはこちらの方でしょうね。医療裁判における公平不公平の話と同じように、科学的な真実よりも外形が大事。多くの一般人は鬱とはどんなものか知らないのですから。

医者ってのは、人を救う仕事なんですよね。このエントリーの書き込みが、人殺しを働く危険がある、そこまで行かなくても人の病気を悪化させる危険がある、人を傷つける危険がると考えるから、医者が警報を発しているんですよね。たとえば差別用語とかを平気で書く人がいたら、多くの人が注意するでしょう。今回の件で医者が心配していることは内容は専門的ですが、ある意味では差別用語を見つけて「まずいんじゃないの?」と言っているのと似ています。私が受験したときの医師国家試験には、禁忌選択肢がちりばめられていて、禁忌選択肢を2個選ぶと、他が満点でも不合格となる制度でした。そして「鬱病患者を励ましてはいけない」というのはまさしくその禁忌選択肢でした。それほど「絶対にやってはいけないこと」なのです。まあ「理解できない」というのは、単なる無知であって仕方が無いですが、自分の専門外のことであるのに、より専門に近い人の意見をまともに聞かずに食って掛かるような人々が、医療事件の審議をしているんですかね。そうだとしたら勘弁してほしいものです。

それとも、差別されている人が見ているとは限らないからと言って、個人が自分のブログで職業倫理について語ることは構わないですか?

>>No.26 YUNYUN さん
>このエントリとコメントでは、「裁判官が」「裁判が」と連呼しておりますが、
>裁判官でない一般人も、自分の立場に引きつけて、絶望すると思われますか?
>もしそういうことがあるとしたら、その人は自意識過剰ではないかと私は思いますが、それは素人なりの浅はかな考えかもしれません。

少なくとも一人、中等症のうつ病である私はかなり絶望しました。
自分の立場にひきつけることなどいくらでもできますし、それこそが臨床医を辞めた理由ですので。
「自意識過剰」という言葉に至っては、「とどめ」に近いですね。
今日の私は大丈夫ですが。

まず知識を得てください。
今のままでは「刑事と民事の区別がつかないまま裁判制度を論じている」のと同程度と言わせていただきます。

先の投稿で『「鬱病患者を励ましてはいけない」というのはまさしくその禁忌選択肢』は誤りで、正しくは『「鬱病患者を励ます』が禁忌です。ごめんなさい。

ちょっと話題がそれますが、No.19のYUNYUNさんが

「法解釈、証拠の評価の仕方について、法曹100人が100人とも、意見が一致するという明白な問題でない限り、裁判官によって判断が分かれることは十分ありえます。
医療において、同じ患者を診ても、医師により最適な治療方法の判断が分かれる場合がありうるのと、同じこととと思います。」

と述べられているその点に関して、日本裁判官ネットワークブログの12月3日のエントリーに、秀逸な(と、私は感じた)コメントがありました。リンクは自分の名前のところに貼っておきましたのでぜひご参照下さい。一応こちらのブログと、新小児科医のつぶやきと、我が家で「医者2ちゃん」と呼ばれている(笑)医者限定のm3を検索して、同様な話は書き込まれていないことを確認したつもりですが、どこかで既出でしたらお詫びします。

>No.28 峰村健司 さん
>たとえば差別用語とかを平気で書く人がいたら、多くの人が注意するでしょう。

多くの人が注意するからといって、その注意が皆正論とは限りません。
少なくとも私は注意しません。書くのは自由だからです。
ただ、不快であればその記事を読まなくなるだけです。

>それとも、差別されている人が見ているとは限らないからと言って、個人が自分のブログで職業倫理について語ることは構わないですか?

構わないとおもいます。


モトケンさんのこの記事が、厳しいことは理解しています。モトケンさん自身理解しているでしょう。
しかし、そんなこと書くようじゃ、医師国家試験には受からないね、といった批判は、少なくとも医師国家試験を目指していない者にとって、何の説得力も持ちません。
その批判を多くの医師が書くとしても説得力のなさは変わりません。

白片吟K氏さん

うーむ、これがいわゆる「バカの壁」というものなのでしょうかね?(と、「バカの壁」を読んでもいないのに呟いてみる)

>モトケンさんのこの記事が、厳しいことは理解しています。モトケンさん自身理解しているでしょう。

厳しいとか厳しくないという問題じゃあないんですけどね。
人殺しになる可能性がありますよ、ということなんですけどね。

>しかし、そんなこと書くようじゃ、医師国家試験には受からないね、といった批判は、少なくとも医師国家試験を目指していない者にとって、何の説得力も持ちません。

国家試験に受からないからなんてくだらないことを言いたいわけじゃないですよ。
人殺しになる可能性がある、それくらい絶対的にやってはいけないことなんですよ、といいたいわけなんですけどね。

あと、先の書き込みで『差別用語を用いて』という文言が抜けていまして、これまた失礼いたしました。白片吟K氏さんはお気づきだったですね。「それとも、差別されている人が見ているとは限らないからと言って、個人が自分のブログで『差別用語を用いて』職業倫理について語ることは構わないですか?」に訂正します。何度も何度もすみません。

 このブログの常連の、つまり読者の皆さんの中にうつの方がおられるということは私も知っていたわけですから、その意味で配慮が足りないという批判は甘んじて受けます。

 しかし、うつの方に配慮して自殺に対する否定的見解を表明することは避けるべきであるということであれば、公の場で自殺に関する議論をすることはタブーであるということになると思います。

 
 なお、検事にとって辞職というオプションは常に持っているオプションです。
 格好よく言えば、検事は常に辞表を用意して仕事をしているということです。
 それが検事の(場合によっては上司と喧嘩してでも自分の判断を主張するという)主体的判断を担保しているといえます。
 私は裁判官も検事以上にそのような姿勢で仕事をしている、またはそのような姿勢で仕事をすべきである、と思っています。

>No.32 峰村健司 さん
>うーむ、これがいわゆる「バカの壁」というものなのでしょうかね?

私もそう思います。ちなみに私も本は読んでいません。

人殺しになる可能性がある言葉、行為は、世の中にいくらでも転がっています。その可能性がとても高ければ、「よろしくない意見」として認められますが、可能性があるとだけ騒がれてもわかりません。
こちとらシロートですしい。
それから、訂正、了解しました。引用した上で述べた私の意見は変わりません。

>モトケン先生
TBうったけど反映されますぇん。

>白片吟K氏さん

 TBの件
 スパムTBはうじゃうじゃ来てますが、白片吟K氏さんのTBは確認できませんでした。
 スパムブロックのプラグインの不具合だと思うのですが、私のスキルでは対応困難な状況です。
 とりあえずコメント欄にURLを貼り付けてください m(_ _)m

では、お言葉に甘え、TB代わりに
死者を悼みつつ住基ネット違憲判決(大阪高裁)を語る
むしろ判例評がメインで、このエントリとはあまり関係ない・・・

自殺を批判することよりも
自殺を美化することの方が自殺傾向を助長します
批判は悪くないと思います
CDC:アメリカ疾病予防管理センター 自殺予防プログラムの
河合クリニックによる解説を引用
http://www.geocities.com/kawaiclinic/suicide.htm
「行動科学者によれば、自殺をニュース報道することは「自殺の伝染」「まねた自殺」と呼ばれる行動を引き起こす。

自殺を不適切(お馬鹿)な理想化・英雄的行為・ロマンティック化とすることにより、一部の人に同情化・共感をもたらすことが調査により判明している。

メディアによる自殺の手段・状況の詳報は、素因のある人が自殺を開始するのを援助する。科学的調査で、自殺の場所の詳しい方法の報道や地図(図面)は自殺開始を促進する。

精神科医は、自殺方法の詳細な報道は、危険性を増すと考えている。

自殺を(問題のない)優秀な人、健康な人の不可解な行動として報道すると、一部の人に自殺者に共感をもたらす。 」

まったく話がかみ合う気配がないので、おしまいにしようかと思いますが。
私は自殺への批判はいいとは思います。

でも、モトケンさんの最初のエントリからの話の流れは「批判」なんて可愛いものじゃなかったと私は感じました。これはニュアンスの問題ですので、各人で受け止め方は異なるかとは思います。ただ、私は今まで、自殺した人を批判する文章の中でもこれほどまでに酷な表現には接したことがありません。

同じことを言うにしてもいい方があるということです。批判するなというわけではありません。しかし、遺憾の意が全く伝わって来ず、自殺した後まで完膚なきまでに徹底的に糾弾され尽くしている印象を私は受けました。それは裁判官への扱いとしては正当なのかもう良くわかりませんが、自殺をした人への言葉としては甚だ不適切だと考えます。死ということに対して鈍感過ぎるのではないかと思います。概念の中でのみ自殺を考えている印象があります。

私は医師ですので、人の死に接することは日常です。よく、医師は死への感覚が麻痺しているとか言われますが、私は非医療者の方のほうが他人の死を矮小化して考えているのではないかと感じました。

まあいくら言葉を並べても根本的に理解がしあえないようなので、また私の文章力ではどのニュアンスがどうか、と詳述できない面もありますのでこれ以上言っても詮無いことですけど。

本エントリの話題から少々外れますが、No.30 峰村健司 さまご紹介の
> 日本裁判官ネットワークブログの12月3日のエントリー
についてのまとめ

一番上のコメント「高度な判断医に基づく選択が必要とされる場合に妥当する?」
文意が取りにくい文章ですが、
・医療行為においては、合理的な選択肢の一つとされる手法であれば、<結果的に>最適な治療法でなかったとしても、免責されるべきである
という主張と理解しました。
専門家の意見に敬意を払い、専門的裁量の範囲内とされる事項については、司法はその当否を問わないという理論は存在しますから(行政裁量など)、一般論としては頷けるところです。

問題は、具体的な手法が合理的な裁量範囲内とされるか、つまり許容範囲内であるか外であるかであり、
A鑑定は「許容範囲内である」といい、B鑑定は「許容されない」と言った(Aは裁量枠を広く考え、Bは狭く考えている)。
さて、医療の素人は、どちらの意見を信じたらよいのだろう?

事案に関する本ブログ内エントリは
●最高裁二審を破棄(ポリープ摘出手術)
http://www.yabelab.net/blog/2006/11/14-152340.php
最高裁判決の趣旨をどう理解するかについての、私見はNo.6

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原告側が出したA鑑定と、被告側が出したB鑑定とが対立する状況では、裁判所は判断に迷ってしまいます。
これを避けるための鑑定手法として、
医師の標準的な見解を求めるために、一人二人ではなく、一定以上の数の医師を集めて意見を聞き、多数決で決めるorディスカッションさせて意見をまとめる
というアイディアが出されています。
●医療崩壊について考え、語るエントリ(その8)
http://www.yabelab.net/blog/2006/11/23-231315.php
No.68あたり。

しかし、裁判官も大変ですね。
勤務医が開業医に逃げるごとく(失礼)
裁判官も弁護士に逃げたりするんですかね・・・

> 裁判官も弁護士に逃げたりするんですかね・・・(No.40 立木 志摩夫さま)

裁判官や検察官を退官して弁護士を開業することについて、否定的な意味付けはありません。
皆やっていることだもん、ぜーんぜん普通よ。
(だから本気で「逃げ」ようという人も、気兼ねなくやれますよ。)

弁護士のほうが向く人は、早く転身したほうが、本人にとっても、世の人々のためにも、良いことです。
日本のどこかに、あなたを待ってる人(依頼者)がいる〜

うつ病患者が自殺するときの心境は、おそらく「火事の現場でギリギリまで消火・救出作業をし、逃げ遅れて殉職」した消防隊員のそれと似ていると思われます。
普通の感覚なら投げ出し、逃げ出して当たり前の状況でもそうできないのが中等症の狭義のうつ病の患者です。
No.24で元内科医 さんが
>職業倫理は自殺された方も百も承知で分かりすぎるくらい分かっていることだと思います。
と述べられていますが、まさにそのように考えます。
医者にかかって治療中の人で、かつ一部以外は自分のことを「怠け病だ。辞めたり休んだりすれば他の人に迷惑がかかる。他の人はもっと頑張っているのにもっと頑張らねば」と思っています。
理解のない周囲以上に。

また、No.27 元行政 さんのおっしゃる
>重症度が進むと判断がおかしくなるのではなく、作業効率が下がっていき、作業自体ができなくなるわけでトンデモは考えにくい
もその通りで、「量はこなせないが、ギリギリまで質は保たれる」のがうつ病患者の仕事です。
その「量がこなせない」ことが、またうつ病患者の自責の念を強くします。
「仕事に穴を開けない」のはうつ病患者にとって自分の健康状態よりも最重要な課題なのです。

うつ病は「落ち込む病気」なのではなく「エネルギーがなくなる病気」です。
ちなみに、仕事の質を保つだけのエネルギーを確保するために、まず節約することは「自分を飾るために費やすエネルギー」です。
元々きちんとしている人が、無精髭を生やすようになった、化粧をしない、風呂に何日も入らない、同じ服をずっと着ている、などのようになると、うつの兆候と言ってよいと思われます。
ただ、これも客商売の人には当てはまらなかったりします。


おそらくこの判事さんの場合、重要案件が一区切り付いた「荷下ろし」状態になっての自殺かと思われます。

No.38 元内科医さん

この判事の自殺がまだ判決前、もしくは退官してからの自殺だった場合は法曹の方々からのコメントはまた違ったものであったと思います。
元内科医さんは判事、特に重要判決直後という特殊な地位、タイミングで起こったことを軽視し過ぎだと思います。

 すでに私が反論する必要はないのかも知れませんが、総括的に批判に対して答えておくことにします。

 私のこのエントリは、一般的な自殺反対論ではありませんし、既に自殺してしまった裁判官についてのコメントですので自殺予備軍的な人に対する叱咤でも激励でもありません。

 重大案件について違憲判決をした裁判官が判決直後に自殺した、という事実に対する法律家としての論評です。

 自殺という事実を批判する以上、自殺者に対する批判になることは当然のことですが、私の趣旨はあくまでも違憲判決直後の裁判官が自殺したことに対する評価です。
 
 医師の立場として、自殺の原因をうつ病に求め、うつ病患者に対する対処の問題として考えるということは理解できますが、このエントリは「裁判官が自殺した」という今回の事実に対するものですから、問題の裁判官は既に死んでいるという意味で、うつ病の患者に対して叱咤・激励してはいけない、という批判は全くの的外れとしか言えません。

 私もうつ病の患者に対して「ガンバレ」と言ってはいけないという程度の知識は持っています。
 しかしこのエントリはそういう場面の話ではありません。

>私は今まで、自殺した人を批判する文章の中でもこれほどまでに酷な表現には接したことがありません。

 私も自殺に対してこれほど明確に否定的評価を言明したことはなかったと思います。
 それは、判決直後の裁判官が自殺したという報道に接したことがなかったからです。

 白片吟K氏 さんが指摘されているように、私は裁判官という職業の職業倫理について語ったのです。
 そして私が理解する裁判官の職業倫理からすれば、たとえうつ病という精神疾患によって自殺したとしても、倫理基準に照らせば、少なくとも完全には正当化されないと言わざるを得ません。

 裁判官の自殺という行為の評価としてはそうなるということです。

 法律家というのは、過去の行為を評価することが仕事です。

>それは裁判官への扱いとしては正当なのかもう良くわかりませんが、自殺をした人への言葉としては甚だ不適切だと考えます。

 他の方も指摘していますが、裁判官の自殺でなかったら私はこのエントリを書きません。
 このエントリは裁判官の自殺について書いたものであって、苛められて自殺した小学生についてのものでもなければ、パワハラによって自殺した人についてのものでもなければ、借金苦で自殺した人についてのものでもありません。

 判決直後の裁判官の自殺について書いたものです。
 そして、裁判官が判決直後に自殺した、という一事に対する批判です。

 自殺した裁判官の悩みや苦しみ、遺族の方の悲しみが深くと大きいものであったことについては、十分でないかもしれませんが当然考え理解しております。

 しかし、ここで問題にすべきはそういう問題ではないと考えています。
 裁判官の自殺がどういう意味を持つのか、ということこそ、このブログで私が書く意味があると考えます。

 法律家というものは、事実を冷たく見る必要があります。
 そしてその評価を冷徹に述べる場合があります。
 しかしだからといって、「他人の死を矮小化して考えている」と指摘されるのははなはだ心外です。
 「死」というものが何より重大であると考えているからこそ、その影響の重大性を指摘したのです。

うーん。モトケンさんのおっしゃることはよくわかるのですが、裁判官も人間です。人間ならば風邪は引きます。鬱のかたの自殺というのは、不可抗力に近いのかとわたしは思っています。崖から足を踏み外すがごとく、すとんと落ちてしまうのです。崖で足を踏み外すべきでなかった、と言っているのに聞こえます。
でも、なんとしてでも、崖から落ちないようにするのが裁判官と、おっしゃっているわけなんでしょうけど。
モトケンさんが述べられている倫理観ほど、一般人は裁判官に期待していないかもしれません。
それは、自分の判決が医療に与える影響を裁判官は考えていないのだ、とここのどこかで読んだように記憶しておりますが、ちがってましたでしょうか?
裁判官が自殺する事の影響より、生きてトンデモ判決をする影響のほうが、わたしには困ったものです。

>モトケンさん
> そして私が理解する裁判官の職業倫理からすれば、たとえうつ病という精神疾患によって自殺したとしても、倫理基準に照らせば、少なくとも完全には正当化されないと言わざるを得ません。

この裁判官は職業倫理がかけていたから自殺したのでしょうか。卑しくも高裁の裁判官にまでなった人です。根拠はないがそうではないんではないでしょうか。想像するに、裁判を終えた喪失感のようなものに襲われて自殺されたんだと思います。つまり、わかっていても自殺してしまうのが病たるゆえんです。確かにこの自殺は陰謀説などと憶測を呼んでいますが、憶測は憶測、ただのうわさです。職業倫理を再確認していただくのは大変結構なことと思いますけれども、法曹家には裁判官の自殺の是非なぞよりも死んで残した判決の是非を大いに論じてほしいと思います。そちらのほうがわれわれにとっても大事なことです。もっともそんなこといわれるまでもないと怒られそうですけども。

もし私が裁判の当事者になったとしたら、うつになるくらい真剣に考えてくれる裁判官に裁判を任せたいと思うのです。そもそもいい加減な人間はうつになりにくい。(うつにならない人間はいい加減というわけでは決してありません。)裁判が裁判官の価値観の反映に過ぎないならばなおさらそうです。そして最後に自殺してしまうくらい自分の問題として考えてくれたなら、言うことありません。
なんだか最後は自殺の美化になってしまいました。

ウツのほうに議論がいくとは思いませんでした。
根拠なしの2チャンネル風であまり言いたくはないのですが、ここの方は理解くださると思い、あえて書くと、全く逆の可能性として次のようなことは・・・?
判決は合議→2対1で裁判長少数説→後輩判事を説得できなかった自己の力の限界を感じる→自己の本意でない判決宣告→英断の判決と高評価(原告・マスコミなど)→ますます自己嫌悪→自殺→後輩判事に与える影響が大なので遺書なし(なければの話です、仮にあっても非公開を希望)
妄想・架空の理由ですが、理解可能ではないですか?(裁判官として良いかどうかは別として)
No.1のコメントに同感で、要は、どうにでも考えられるので、あまり意味はないかと・・・。

面白い議論ですね。


モトケンさんはあくまでも裁判官エヌ氏を批判しているのであって、竹中省吾さんを批判しているわけではないようです。また、元田舎医さんは裁判官エヌ氏が批判されると、竹中省吾さん本人が批判されている印象を受けるようです。このあたりが、法曹と医師との考え方の違いに繋がるんでしょうか。


これは私の印象ですが、法曹の方は、その人本人と、その人の行為とを分けるトレーニングを徹底的に積んでいるようですね。裁判によって裁かれるのはその人の行為であり、弁護士が弁護するのもその人の行為である。人格とか事情によって斟酌する事はなく、あくまでも行為そのものによって判断する。


同僚がミスを犯した場合、医師は「余裕があれば、きちんと判断出来たはずで、ミスはなかった。確かにこの医師はミスを犯したが、それは環境に問題がある」と思うのに対し、法曹の場合は「余裕がない事が本人に分かっていて、その上で余裕が無いことが原因によるミスを犯したのであれば、仕事を辞めるべきだった」と思うのではないでしょうか。

>オジヤマ虫さん
>自己の本意でない判決宣告

個人的な印象のみで発言します。

まさに、この点を法曹の方は問題視しているのではないかと思います。そして、裁判官が正常な状態で「自己の本意でない判決」を出すより、鬱のせいで「自己の本意でない判決」を出した方がまだしも救われるとお考えなのかも知れません。

>No41 YUNYUNさん

過重労働であんまし儲からない。しかも世間からの目が厳しい。
一方弁護士はうまくやればずっと儲かる。というようなことでは裁判官を目指さなかったり、辞めたりする人が増えてきたりはしないのですか?

十分な希望者が集まらなかったりしませんか?
医療崩壊と同じで、いったん崩壊し始めると大変ですよ
・・・とまぁ沢山裁判官になりたい人がいるなら問題にはならないんですけどね

ウツの原因の推測するなら、
仕事上の悩みよりも、プライベートの問題というほうが、まだしも理解はできます。
そうあれかしと、私は願いますね。例えば、健康不安とか(完全な憶測ですが)。そのほうが、仕事の成果や裁判官の威信に傷が付かないから。
ただ、その場合でも、世間に誤解を招かないように、時期を選んで、ちゃんと遺書も書いておいて欲しかったです。

上に述べたように、法曹にとっては、職務に行き詰まった時は、退官という究極の解決方法が許されています。定年まであとわずかの時期では、転職に伴う経済的不安も少ないから、死ななければならないというのは考えにくいのです。

合議で少数派に立ったためというオジヤマ虫さまの説は、ドラマティックで小説の主題にでもなりそうですが、実際の可能性は低いでしょう。
裁判官は職務の性質上、自分が合議で少数派の地位に立つことがありうるのを、常に覚悟しています。実際には、話し合っているうちに全員の意見が収斂して、大きな対立なく判決書が仕上がる場合がほとんどです。
しかし、合議で自分の意見が容れられず、判決書に署名することを、どうしても潔しとしない場合は、判決を出す前に退官してしまうという手があります。裁判の最終局面になって事件を放り出すことは、同僚裁判官に迷惑を掛けるし、当事者の期待を裏切る(審理に直接携わった裁判官が判決を書いてほしい)ことにもなりますが、自分の信念を貫きたいなら、それもアリです。
本件で、裁判長は判決書に自ら署名した以上は、合議で多数派であったか少数派であったかに関わらず、この内容で責任を取ると決意したのでしょう。それを、後になって死ぬほど悔やむというのは、裁判官の性に反することなので、永年裁判官をやってきた人がそういう行動を取るとは思われません。

> 裁判官が正常な状態で「自己の本意でない判決」を出すより、鬱のせいで「自己の本意でない判決」を出した方がまだしも救われる(No.49 しま様)

裁判官は信念に基づいて判決してもらいたいと思います。

しかし、それはそれとして、本件事案においては、
違憲判決を出すほうが合憲判決を出すよりも数段困難な作業であり、正常な状態で信念を曲げてまでやることではない(気が触れたらやるかもしれない)、という見方になると思います。
だからこそ、理性を疑わせるような自殺という行為は、してもらいたくなかったわけで。

> 十分な希望者が集まらなかったりしませんか?(No.50 立木 志摩夫さま)

No.26の後半参照。
余談ですが、
世間では、医者と同様に、弁護士は儲かっている(いるはずだ)という思い込みが根強いですね。
弁護士でうまくやって儲けている人は、ほんの一握りでしょう。
楽して儲かる商売はない。自由業とは飢え死にすることの自由である。

しかし、その真実を、家族が理解してくれなかったら悲劇です。
不祥事を起こした人について、奥さんが浪費家で、弁護士なら儲かるはずだという考えなのがイカンかった、という批判を聞いたことがあります。
私は幸い、扶養家族がおりませんので、収入が少なくても責められることもなく、好き勝手に仕事をしておりますが。

>>No.48 しま さん
なるほど。
目からウロコが30-40枚ほど剥がれ落ちました。

>No52YUNYUNさん

弁護士も普通はそんなに儲からないことは知っています。
儲けに走ろうと思えば走れることも聞いています。
でも多くの弁護士はその道を選ばずに生きていることも感じます。

その辺全部医者と似てますのでなんとなく判るつもりです

No.54 立木 志摩夫さん

>その辺全部医者と似てますのでなんとなく判るつもりです

違いは保険制度があるか無いかなんですね。
自費だと医療費も高いと思いますが、弁護士の相談料が高いと感じるのは全額自費だからなんですね。

議論をざっと読ませていただきました。元田舎医さんのコメントには
教えられるところ,うなずけるところが多かったです。

人にあなたはこの道を行くべきであるとか,この道には行くべきでないとか
と言う場合,言われる対象となる人が選択することが可能な状態・状況に
あることが当然前提になります。(そうでなければ言う意味はないでしょう。)
しかし,この前提の存否について,結局のところ,ここにいる人たちの誰も知らない
ために議論が平行線をたどったようです。元裁判官,現役裁判官の方の本音が
聴けたらよいのですが・・・
私は定年間際まで裁判官を務め,修羅場をいくつも経験してきたはずの人が
自殺したことは「彼は選択できる状態になかった」と考える方が自然に思いますが。

ともあれ,上の「前提」が明らかでない以上は,「この道には行くべきでなかった」
などということは言うべきでないと思います。
モトケンさんのコメントが,竹中裁判官の死に際してのコメントではなく,まったくの
一般的見解としての「裁判官が判決直後に死ぬのはよくない」というコメントで
あったならばまた話は別ですが。

ここでも法曹と医療者の意見が割れていて興味深くよませていただきました。

医療側はおおむね「自殺は本人の力では止めようのない『病気』の可能性が高い」と判断しており、法曹側は「自殺は本人の意思」と考えられているようです。

これでは意見がかみ合うはずもないですよね。

モトケンさま、自殺にも色々あろうかとおもいますが「病気」由来の場合でも同じように批判されますか?

その場合、判決直後の裁判官が病死、たとえば、くも膜下出血で亡くなった場合でも同じように批判しなければならないはずですが。病気のため、本人の意思と関係なしになくなったわけですから。

また、医療側は「診療が仕事」だけではなく、やはり「鬱は病気であり、風邪と同じくだれでもかかる場合があるし、場合によっては風邪同様、死に至る」ということを広報する必要があるのではないでしょうか?それは本務ではない、という意見もあろうかとおもいますが、それを言い出すとこの事実を伝える人がいない、ということになりませんか?

この事実が一般化されれば、モトケンさまが心配されるような「裁判官の自殺」という現象の意味が変わってくるはずかとおもいます。つまりは病死だということです。

>一般人さん

 裁判官にとって、判決直後にその判決と関係があると考えられる状況のもとで自殺するのは犯罪的である、と考えていただければもう少し理解していただけるかも知れませんね。

 犯罪の場合でも、犯罪事実の存在が認められるとしても、被告人の犯行がうつ病に起因する部分があると認められる場合において、うつ病の程度および病気と犯行との関係性如何によっては、責任能力がないとして被告人が刑事責任を問われない場合はありますが、その事件が犯罪事実として違法であることには変わりはないのです。

 行為それ自体の評価とその行為者が自分の行為について責任を負うべきかどうかは別問題だと、刑法では考えます。

YUNYUNさん、(No.39)

お返事遅れましたが、ご紹介ありがとうございました。
最高裁二審破棄に関するYUNYUNさんの私見は以前読んで納得させてもらった記憶があります。

余力があれば、ご紹介下さったエントリーのほうにも駄文を書かせて頂こうと思います。

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