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妻と元同僚を殺害「矯正は不可能」と死刑求刑…静岡(2006年12月11日15時15分 読売新聞)

 論告によると、大倉被告は04年9月16日、交際していた女性の上司だった生協職員蒔田晃さん(当時37歳)が女性を中傷したことに腹を立て、自分のワゴン車内で蒔田さんの胸や腹を文化包丁で刺して殺害、翌17日、静岡市葵区の茶畑に遺体を埋めた。

 さらに、05年9月9日、焼津市の自宅で、不倫が発覚して離婚を迫っていた妻(同36歳)の首をネクタイで絞めて殺害し、翌10日、遺体を切断して同県由比町などの山林に捨てた。

 検察官は「矯正は不可能」と断じています。

 その根拠をどこに求めるかですが、約1年間の間をあけて確定的殺意に基づくと認められる2件の殺人行為を行ったという事実は、死刑の求刑根拠として十分であると考えます。
 
 最も私的には、矯正の可能性というより人格的危険性を強調します。
 言っていることは実質的には同じですが。

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コメント(2)

最初の頃は「うつ」だったようですが、軽度と判断されたのなら、精神的には計画的な思考は可能かと思います。うつの人は「自分を消してしまいたい」わけで、誰かを手にかけることを考える人は少ないと思います。そのように考えてみると、「うつ」なんて越えてしまって、問題が人格そのものになってくると思います。「死刑」というものが良いか悪いかは私自身は、判りませんが、死刑になったからといって、亡くなってしまった人が戻って来るわけではありませんからねー。(でも、凶悪だと言われる人間を生かしておいて、次の被害者がでるのも困りますが。)時々、考えるのですが、「死刑」って「被害者遺族の自己満足的なものではないのか」と。加害者が死刑を実行されて、被害者遺族は、それを被害者に報告するのでしょうが、それってどうなの?と思うのです。

どうなんですかね。
1回やって見つからなければ、2回目も見つからないだろうと考える。
そしてそのうち間隔がだんだん短くなっていく、というストーリーはありそうな気がしますが。

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