エントリ

 判決によると、山地被告は05年11月17日午前2時すぎ、同区塩草2丁目のマンション4階の明日香さん方に押し入り、明日香さんと千妃路さんの顔や胸などをナイフで刺すなどして殺害。その後、現金5000円などを奪い、室内に放火した。山地被告は今年1〜2月、強盗殺人など計6罪で起訴された。

 判決は、最大の争点となった被告の責任能力について検討。性格の極端な偏りがある「人格障害」と診断し、責任能力を認めた精神鑑定結果を踏まえ、「周到に犯行を計画し、証拠隠滅のために室内に放火するなど違法性を認識していた」と述べ、刑事責任は問えると判断した。弁護側は「広汎(こうはん)性発達障害の影響で心神耗弱状態だった」と主張したが、判決は「対人関係の障害は認められない」と退けた。

 そのうえで量刑について、被告が殺人欲求を持つ特異な性格である▽16歳当時に山口市で母親(当時50)をバットで殺害した際の興奮と快感を得ようとして姉妹を襲った▽反省の態度を示すことを拒んでいる――などと指摘。「被害者の数や遺族の処罰感情などを考慮すると、極刑をもって臨むほかない」と結論づけた。

 死刑廃止論者からはいろいろ意見があるかも知れませんが、存置論者からすれば当然の判決だと思います。

 敢えてコメントすれば、心神喪失や講弱を主張しても、裁判所が簡単に認めるものではないということです。

 公判をめぐっては、並木裁判長が審理の迅速化のために初公判前に検察、弁護側が争点を絞り込む「公判前整理手続き」を適用。5月1日の初公判から重大事件では異例の短期間となる約半年間で結審した。

 こちらのほうが重要でしょうか。
 いままでが時間のかけすぎということになりそうですが、、、

追記
 報道によれば被告人は、「反省の態度を示すことを拒んでいる」ということです。
 これは興味深いことですね。

 反省の態度を示すということは、死刑回避の理由になりうる行為であり、そのことは弁護士も被告人に説明しているはずなんですが、そうしないのは何故なのかな、と考えてしまいました。

 死刑にはなりたくないんだけど、実際反省という気持ちが湧いてこないので、死刑になる可能性が高くなったとしても、あるいはどうせ死刑だからと諦めて、心にもないことを言いたくないという究極の馬鹿正直さの表れなのか?

 死刑願望の表れとして、敢えて自分に有利なことを言わないのか?

 前者だとしますと、底なしの人格の歪みの闇を感じさせます。
 極めて危険な矯正不可能な人格が見えます。

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コメント(50)

この事件は、死刑になったからそれでよかったと終わりにするべきではなく、
人格障害者の再犯を防ぐためにはどうすればよいのか考える必要があると思います。

こういう人たちに対しては死刑の抑止力は期待薄でしょうからね。

>こういう人たちに対しては死刑の抑止力は期待薄でしょうからね。

 そうでしょうね。

>人格障害者の再犯を防ぐためにはどうすればよいのか考える必要があると思います。

 ええ、ですからこの被告人くらいに危険な人物は確実に再犯を防止するために死刑にする必要がある、というのが私の死刑存置論の論理です。

 ところで、本文では心神喪失や心神耗弱は簡単には認められないと書きましたが、物事の善悪を判断してその判断に従って自分の行動を制御できる能力という責任能力の定義からしますと、犯罪傾向のある危険な(←この点が重要)累犯者というのは、本音で言えば心神耗弱だと思います(裁判所は簡単には認めませんが)。

 そういう人間について本人の意思とか更生意欲に頼って再犯防止を図ろうというのはもともと無理があると思います。

>ええ、ですからこの被告人くらいに危険な人物は確実に再犯を防止するために死刑にする必要がある、というのが私の死刑存置論の論理です。

モトケン先生のこのお考えは極めて現実的で理解できるものです。
人権的な問題はあるかもしれませんが。

残る問題としては、心神耗弱ならば刑が減軽されそれに当たらない人格障害は減軽されないという区分けは合理的なものかということでしょうか。
精神科医の先生方は、刑法のこうした基準についてどうお考えになってるのかご意見を伺いたいところです。

No.2 モトケン先生
> ええ、ですからこの被告人くらいに危険な人物は確実に再犯を防止するために死
>刑にする必要がある、というのが私の死刑存置論の論理です。

 究極の特別予防ですね。うーん,死刑廃止論者の私としては受け入れがたいものがありますが,それでも論理ではなく感覚の一部として頷く自分がいます。
 しかし,私としては,精神医学の観点からこのような犯罪者の脳を含めた,精神的,心理的な構造を研究して同じような犯罪者の矯正に生かすことができないのかと思います。このような矯正不可能と思える人格障害,つまり,持って生まれた性格が犯罪者だと指摘されるような犯罪者は定期的にこれからも生まれてくるでしょう。死刑にすることは簡単ですが,それではいつまでたっても社会はこのような犯罪者に無力であると言うことのならないでしょうか。
 私は,終身刑を導入して,受刑者を科学的に継続的に観察する制度が導入できないですかね。これもまた,人権侵害の危険はありますが,死刑よりましだと思います。

被害者姉妹は、魑魅魍魎が割拠する都会において、遅くまで接客業に従事し、将来の夢を叶えるべく貯金に励み、姉妹仲良く肩を寄せ合うように生活していたでありましょう。

ようやく仕事を終え、深夜自転車で安息の場であるはずの自宅にたどり着いた途端、同じマンションに居住していたというだけで、見ず知らずの男の凶行に遭遇し、強姦の屈辱をうけ絶命し加えて放火までされております。

姉妹の無念さはいかばかりのものでしょうか。

その動機は、被害者に対し恋慕の情を抱いていたとか、無一文のため金銭を強奪したかった相手は誰でもよかったとか、ゴト師仲間に復讐したかった、その為にゴト師仲間が居住するマンションで事件をおこした等、報道されていましたが、自らの性的満足度を得るために殺人行為をおこなったとの供述に至っては、これはもう理解不可能で、自暴自棄になっているとしか考えられません。

被告人の「行為」は、たとえ被害者の数が一人でも、死刑をもって裁かれざるを得ないと思います。

素人考えですが、裁判所は死刑相当であることを、審理の前から結論づけていたのではないでしょうか。

なぜ2名の命が奪われなければならなかったのか、と思いをめぐらせてみますと、16歳少年当時、母ひとり子ひとりであったところの母親を殺害しております。矯正プログラム自体を知りませんので批判はできませんが、その時の矯正施設での矯正プログラムは有効に作用していなかったのか?ということです。

また、矯正施設出所後、被告人は一時期パチンコ店で真面目に働いていたましたが、やがてゴト師仲間に加わっています。天涯孤独であろう被告人は、このあたりで自暴自棄になってしまったのではないかと考えると、刑期を終えた被告人が自暴自棄になったり、路頭に迷ったりしてしまわないような社会の受け皿が十分機能していれば、もしかしたら、姉妹も被害者にならなかったのではないかなどと思ってしまうのです。


No.4 カクテルさん

>死刑廃止論者の私としては受け入れがたいものがありますが,それでも論理ではなく感覚の一部として頷く自分がいます。

私は死刑廃止には反対ですが、お聞きしたいことがあります。
どんな凶悪犯であっても死刑にはしないということで社会にはどんなメリットをもたらすのでしょうか?
確実有効な矯正プログラムも見つかったとはとても思えない現状で、凶悪犯が受刑中にはその矯正プログラムの為に衣食住の為に税金を使い、また脱獄などされたときには、その恐怖を受忍し、出所後は再犯しないかとおびえながら我慢しなければならない理由は何なのでしょうか?

No.6 クルンテープ さん
 私が,死刑に反対する理由の第1は,誤判の危険性です。人間のやることですから裁判に誤判の可能性は全く排除することができません。しかし,だからといって自白事件だけ死刑にすることもできません。そんなことをすれば,どんな悪い奴でもしらを切り通せば極刑を免れることになります。元に,戦後後の混乱期の判決とはいえ,死刑囚の無罪えん罪事件が複数存在したことは周知の事実です。
 
 次に,国家がたとえ犯罪者とはいえ,その生命を奪うという行為を本当に正当化できるのかということです。刑罰の本質とか,刑罰の機能に関わる大きな問題です。

 さらに,確実有効な矯正プログラムを見つけるためには,人格障害などと診断された受刑者は,有効な資源なのではないですか。私は,死刑廃止は終身刑の導入とセットと考えていますので,有効な資源を死刑によって失わせてはいつまでたっても,確実有効な矯正プログラムなどできないのではないかと考えて,前回の論述になったわけです。

すいません,
 「元に」は,「現に」のタイプミスです。意味が読み取れないと困ると思いまして,連続投稿いたしました。

 本文に追記しました。

私も死刑廃止論者です。理由は、カクテルさんと同じです。

この事件の場合、姉妹殺害の6年前の16歳当時に山口市で母親をバットで殺害した。普通では考えられない凶悪さです。考えるべきは、矯正の制度ではないかと思うのです。少年でも凶悪事件を起こせば、無期ではなく終身刑に近い刑になる制度を導入しても良いのではと思うのです。18歳未満の犯罪者の扱いを検討すべきと思います。

終身刑より死刑の方が、社会的コストは安くつくと思います。仮釈放があるから死刑でなければならないという意見には反対します。死刑を宣告するのは裁判官であり(裁判員制度が始まればそうも言っておれないでしょうが)、執行するのは刑務官であるでしょうが、死刑制度を支持することは、間接的に、ほんのわずかではあるでしょうが、死刑に参加するみたいで嬉しくはありません。

 死刑存廃論については、このブログでも何度か話題になっていますが、正面から取り上げたエントリとして、「死刑存廃論について」を本文下の「関連するカテゴリー」でリンクしました。

ソースは今出せませんが、姉妹殺害で逮捕された後、大阪地検の検事に「母親を殺した時に性的興奮を感じて射精したが、少年審判では隠し通した」と供述したそうです。
これが少年審判時に判明していれば、その後の処遇はかなり変わっていたのではないでしょうか。
この事件は少年事件としても相当に重い課題を残しましたね。
少年審判においては、基本的に性善説に立って少年を扱うと認識しているのですが、こういう故意の隠蔽などの「悪意」には対処できているのでしょうか。
このあたりの問題も少年犯罪の厳罰化や検察の参加が叫ばれる要因になっているかと思います。

No.7 カクテルさん

> 私が,死刑に反対する理由の第1は,誤判の危険性です。

冤罪の可能性と言う面は私が死刑をためらうときの唯一の理由ですね。
しかし、冤罪被害ということでは無期刑であっても当人にとっては非常に重大な人権侵害で受刑中の期間は取り戻せるものではありません。死刑の存廃と関係なく、冤罪防止に努めなければならないと思います。

> 次に,国家がたとえ犯罪者とはいえ,その生命を奪うという行為を本当に正当化できるのかということです。

癌になれば外科手術で切除します。(可能なら) 凍傷その他で末梢部が壊死したりすると切断手術をすることがあります。
なぜなら、そのままで留まらず、健康な他の部分に深刻な影響を与えるからですよね。
切断することは確かに取り除いたものは戻ってきませんし辛いことですが、仕方が無いことです。

殺人でも初犯ならまだ、更生の可能性を信じることができるかもしれません。でも本件のような再犯者に対して何を期待せよと言うのかというのが正直な感想です。
正当防衛に限りなく近いような過剰防衛による殺人ならともかく私には死刑以外は考えられません。

極端に言えばこの姉妹は無邪気な死刑廃止論者や寛刑主義の犠牲者で、安易に更生教育を打ち切った関係者は共犯者です。

> さらに,確実有効な矯正プログラムを見つけるためには,人格障害などと診断された受刑者は,有効な資源なのではないですか。

殺人を繰り返すような凶悪犯は死刑と決まればそれらに対するプログラムなど必要ありません。もっと軽度の人格障害の犯罪者向けのプログラムに特化できますから、研究も効率的になります。
受刑者を養うのはただではありません。ヒトモノカネが有り余っているなら道楽も良いのですが、余裕はありませんし、その上、安全も脅かされることで何もメリットを感じないのです。

No.10 売れない経営コンサルタント さん

>死刑制度を支持することは、間接的に、ほんのわずかではあるでしょうが、死刑に参加するみたいで嬉しくはありません。

死刑に参加することと捉えたとしても、社会を構成する以上は社会の嫌なことにも参加せずにはいられないと思います。

この被告人を今回の事件で死刑にするのはよいのですが、問題は、第一の母親殺人の時の後も殺人願望の兆表があったのに何ら手当てがされてなかったことです。

被告人の危険性を理由に死刑にするという考え方は説得力のあるものですが、第一の母親殺人の時点では危険性があるからと言って死刑にまではできません。
結局、再び重大事件を起こした後に死刑に処するという結末となります。

この被告人と同様の人格障害者は社会に一定割合で存在すると考えられますが、上記パターンに従うと、彼らは第一の事件を起こした際は軽い処罰を与えられる以外なんら治療などの処置がなされることなく社会に出されることになります。
そして再び重大事件を起こして死刑になる。
こんなことを繰り返していたのでは凶悪事件を防ぐという課題の根本的解決にはならないのではないでしょうか?

No.13 クルンテープ さん
>しかし、冤罪被害ということでは無期刑であっても当人にとっては非常に重大な人権侵害で受刑中の期間は取り戻せるものではありません。死刑の存廃と関係なく、冤罪防止に努めなければならないと思います。

それはそうですね。でも,死刑は誤判が分かったときに全く償いようがないという致命的な欠点があります。そのことに全く触れられていないですね。だからなんだと言うことですか?

>癌になれば外科手術で切除します。(可能なら) 凍傷その他で末梢部が壊死したりすると切断手術をすることがあります。
なぜなら、そのままで留まらず、健康な他の部分に深刻な影響を与えるからですよね。
切断することは確かに取り除いたものは戻ってきませんし辛いことですが、仕方が無いことです。

 問題は,あなたが取り除くと言っているのが人の命だと言うことです。癌は体の一部の病変に過ぎません。人を殺すこと全人格を抹消することを正当化するたとえになり得ないのです。

>殺人でも初犯ならまだ、更生の可能性を信じることができるかもしれません。でも本件のような再犯者に対して何を期待せよと言うのかというのが正直な感想です。
正当防衛に限りなく近いような過剰防衛による殺人ならともかく私には死刑以外は考えられません。

 あなたの価値観ですね。良く分かりました。しかし,私の価値観とは相容れません。

>極端に言えばこの姉妹は無邪気な死刑廃止論者や寛刑主義の犠牲者で、安易に更生教育を打ち切った関係者は共犯者です。

 たとえば抗ガン剤は,良く効く場合もあれば,逆に重篤な副作用が出る場合もあると聞きます。副作用が出たから,その薬は,すべからく役に立たないのでしょうか?少年事件の保護主義は,多くの少年たちを立ち直らせています。もちろん,立ち直らずに大人になって重大な犯罪を犯してしまう例もあるでしょう。そういう例があったからといって,多くの成果を否定することはできません。人間は,ミカンでも,臓器の一部でもないのですから,悪くなったから捨てて終わりというわけにはいかないのです。

>> さらに,確実有効な矯正プログラムを見つけるためには,人格障害などと診断された受刑者は,有効な資源なのではないですか。
>殺人を繰り返すような凶悪犯は死刑と決まればそれらに対するプログラムなど必要ありません。もっと軽度の人格障害の犯罪者向けのプログラムに特化できますから、研究も効率的になります。

 私の言っていることが理解できないようですね。私は,快楽殺人など重大な犯罪を犯す可能性のある人を,少年時代の小さな非行の時からケアすることを含めて,確実有効な矯正プログラムといっているのです。そうすれば,お母さんを殺すことすらなかったかもしれない。
 
 被害者のご遺族には慰める言葉もありません。本当に悲しい思いをされていると思います。死刑に要求する気持ちも当然だと思います。しかし,それでも,人を国家が殺すと言うこともまた,国家による「罪」ではないかという,疑念を持たざるを得ません。人は,「おまえ死ね。」といえるだけの裁きの力を持っていいのだろうか。

>カクテルさん

 死刑は国家による殺人である、という言葉は死刑廃止論者の方からよく聞く言葉です。

 この考え方は、自分が国家の構成要素であるということを前提にして、国家による殺人を認めることは自分も殺人に加担しているという意識から生じるのではないだろうか、と考えたりしています。
 その意味では民主主義的な感覚なのかも知れません。

 しかし、権力の中にいたことのある私としては、国家権力というのはやはり国民とは別の実力装置だと感じられます。
 そして国家権力の使命・役割は、刑事司法に限定して言えば、社会秩序の維持ということになるだろうと思います。

 その観点から言えば、死刑を国家による殺人と捉えることは、事実としてはまさにそのとおりであるとしても、違和感があります。
 私は「絶対的社会隔離」という言葉を使うことがあります。
 その意味では、死刑と絶対的終身刑はほぼ等価値です。
 但し、死刑の意味は絶対的隔離だけではないと思っていますのでイコールではありません。

 また、国家による殺人は許されるべきではない、という考え方は、いかなる理由があっても殺人を許されない、という考え方に繋がりますが、それは法益権衡論の前には説得力のない考え方だと思っています。
 言い換えれば、正当防衛による殺人を容認する考え方と矛盾するのではないかということです。
 死刑を正当防衛と対比する考えに対しては、過去に「死刑は緊急行為ではない」という批判を受けたことがありますが、その批判は的外れだと考えます。

イギリス死刑制度史考証サイト
「死刑執行人もまた死す」
http://www.ff.iij4u.or.jp/~yeelen/index.shtml

から
冤罪死刑の有名な一例としてジェームズ・ハンラッティ事件
http://www.ff.iij4u.or.jp/~yeelen/victims/hanratty/hanratty.htm

こんなエグい死刑制度史を持つイギリスが
今は死刑を廃止してます

強姦殺人事件の冤罪
ロスコー・アーバックル事件
http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/mondo/m_01/m01_1.html

デブとしてはデブ差別に反対したいw

死刑廃止には反対の立場ですが、死刑そのものは脇に置きます。

No.7 カクテルさん
> さらに,確実有効な矯正プログラムを見つけるためには,人格障害などと診断された受刑者は,有効な資源なのではないですか。

「資源」というのが人体実験(心理学実験も含む)の対象なら、
ある意味死刑よりも残虐なんじゃないかという気がします。

皆さん、真っ当な議論をしておりますね。
私なんかは、再犯予防の為の論議は、犯人と別個に出来るわけです
から、そんなことよりも、死刑よりも、もっと残酷な刑を、作って頂けない
ものかなというのが、本音です。

このような、生得的な犯罪者は繰り返し生まれるでしょうし、
生体解剖でもすれば、少しは科学的要因が判るかも知れませんが
犯罪のメカニズム探索や再犯予防は、犯人とは別に論じれると思います。

この犯人をもっと、死刑よりも残酷に裁いて、遺族達や義憤を感じる
人々の気持ちをすっきりとさせてあげたい、という気持ちがあります。
市中引き廻しや、一日1センチメートルちょん切りの刑を作って
いただきたいと考えますが、感情に走った暴論でしょうか?
(これでも、冷静に考えているのですが)

>座位さん
仰っていることはもっともですし、私にもその種の感情はあります。国民感情というものはそういうものなのでしょう。問題なのは、医事訴訟に置いては、同じ感情が医師に向けてぶつけられることです。

死刑に関しては、前にも書いたことですが現状では終身刑化しているように思います。言い方は悪いですが、いつでも処刑出来るんだと、死刑判決を出した途端安心しきっているのではないかと思います。また、国民の反応を見ても、死刑判決を下されるまで注目しているのに、執行されたかどうかに関しては関心を持っていないように思います。

死刑の終身刑化と、無期懲役の終身刑化が同時に進んでいるようですから、死刑も無期懲役も形式的な違いだけで、実質的には変わらないのではないかと考えます。ですので、死刑には賛成する気もないし、反対する気もないというのが私の本音です。

その意味では、モトケンさんの
>死刑の意味は絶対的隔離だけではないと思っていますので

との言及には大いに関心があります。

No.21 しまさん

こんなこと、抗弁するのも、実は苦しまぎれなのですが、
残酷だから、死刑がまずいのか?
万一の冤罪の可能性を捨てきれないから、死刑がまずいのか?
再犯防止の見せしめにも役立たないから死刑がまずいのか?

いろいろ、議論はあるだろうと思います。
そこで、敢てですね、正統派の論議でなく、素人として論議に加わる
わけですが、

死刑よりももっと残酷な刑があっても良いのではないか?
そしてそうした残酷刑の執行が、たとえ犯罪抑止力にならないとしても
十分に、遺族や世間の感情を復讐と言う形で望まれる場合は、
あってもよいのではないかと極論を投げかけてみたいのです。

死刑ではもの足りないある種の犯罪類型があって、これに対する
社会知の反映としては、死刑以外の何かがあるような気がします。
(必ずしも残酷でなくても良いのですが、思いつきません)

ヨタ話かも知れませんが、
アジアンマフィアは、日本の警察に捕まっても、決して仲間や組織を売らない、とか。

・日本ではよほどの事件でない限り死刑がありえない
というだけでなく、
・仲間を売ったら(縊頸による)死刑より遙かに恐ろしい報復が待っているから

ウソだとしても、心情的に納得できる話ではあります。

No.22 座位さま
>死刑ではもの足りないある種の犯罪類型があって、これに対する
>社会知の反映としては、死刑以外の何かがあるような気がします。

古代中国の九族抹殺なんか、死刑以上であることは明らかでしょうね。


ちなみに私は存置論者です。
冤罪は取り返しがつかないというのはまさにそのとおりなのですが、
トレードオフの関係にある存置/廃止のメリット/デメリットについてどこで折り合いをつけるか、という定量分析的な視点が必要なのだろうと思っています。

そして、現在のシステム下での誤判(完全に無辜なのに死刑を宣告・確定させてしまう)のリスクの程度からいけば、存置によるメリットが上回るのではないかと。分析のうえでの見解ではもちろんないですが。

モトケン先生

>死刑を正当防衛と対比する考えに対しては、過去に「死刑は緊急行為ではない」という批判を受けたことがありますが、その批判は的外れだと考えます。

この批判自体は理論的に的外れとは思えませんが?

>座位さん
平気で他人に残酷な行為ができるような人は、
自分に対しても平気で残酷な行為を行うことができるように思うのです

残酷な刑を施す事はありだと思いますが、当の本人が平気であったら
あまり意味がないような気はします。

つまりですね、国民や遺族は残酷な刑罰によって、死刑囚が
「悔やんだり」「改心したり」「苦しむ事」を期待しているのですが、
例えば今回のケースですと、そのような事が期待出来ないかと
思ってしまいます。

>つまりですね、国民や遺族は残酷な刑罰によって、死刑囚が
「悔やんだり」「改心したり」「苦しむ事」を期待しているのですが、
例えば今回のケースですと、そのような事が期待出来ないかと
思ってしまいます。

御意。
異常性格なわけですからね。

No.19 ほしさん

もちろん,人体実験を考えているわけではありません。

 しかし,研究者による問診や聞き取り,心理テストなどの対象になってもらうことは必要なのではないか考えています。

 資源というのは,少年事件の「社会資源」という程度の意味合いです。

No.15 カクテルさん

>だからなんだと言うことですか?

無期刑で命までは奪っていないからといって誤った本人=司法が自らを慰めても、自慰に過ぎないということです。

> 問題は,あなたが取り除くと言っているのが人の命だと言うことです。癌は体の一部の病変に過ぎません。

死刑となる凶悪犯は日本社会の一部に過ぎません。

> あなたの価値観ですね。良く分かりました。しかし,私の価値観とは相容れません。

カクテルさんて確か弁護士さんですよね。だとすると非常に残念な発言です。
貴方は持論の死刑廃止について少しでも多くの日本人に理解してもらって世論が廃止へ傾くことを望んでいると思ったんですが。
弁護士さんにまで簡単にギブアップされてしまうと次は誰との議論で私の存置論が正しいかどうかを確認すれば良いのでしょうか?

> 被害者のご遺族には慰める言葉もありません。本当に悲しい思いをされていると思います。死刑に要求する気持ちも当然だと思います。しかし,それでも,人を国家が殺すと言うこともまた,国家による「罪」ではないかという,疑念を持たざるを得ません。人は,「おまえ死ね。」といえるだけの裁きの力を持っていいのだろうか。

お釈迦様の教えを忠実に守ればそれで良いでしょう。 しかし現実は我が身を捨ててまでというのは大変難しいのです。
モトケンさんが正当防衛について書いておられますが、人命の尊さは結局のところ相対的なものであると思います。

現行の死刑制度の問題点。

#1 死刑になりたいというものが確かに存在する(本例も多分そう)。
#2 #1は時折無差別殺人に走る。(これは怖いです)
#3 死刑囚は執行の日まで至福の時を過ごす(らしい)。
#4 執行官のメンタルの問題。
#5 冤罪の問題。

生かさず殺さず終身刑のほうがよかろうと私個人的には考えます。 

No.20 座位さん

>そんなことよりも、死刑よりも、もっと残酷な刑を、作って頂けない
ものかなというのが、本音です。

残酷な刑と看做されそうな贖罪刑として、生体臓器移植のドナーになるかを死刑と選ばせるというのはどうでしょうか?
腎臓や肝臓は生体移植手術をしていますから、ドナーを死なせないことで済みます。
そして、人の命を奪うという重大な罪を購うには命を救わせるのが一番です。

確実に殺し、尚且つ残酷さを最大にするなら、腎臓を2つとも取ってしまうということが挙げられますね。
そして人工透析をさせて生活をさせます。 人工透析の実施間隔を自在に調節することで苦しめ方は自由自在となります。
もしくはユダヤ人ゲットーなみの食事しか与えず拘置しておくなどが残虐さの極みに思います。

No.16 モトケンさん
 国家権力と国民が別物だというのは,その通りだと思います。しかし,人(裁判官)が人の死を決定する行為を行うわけです。そのようなことを行うことが,果たして妥当なのか,許されることなのかと言う問題です。

 法益権衡説の立場で,いかなる国家による殺人も許さないのは成り立たないのではないかとのお考えですが,同意できません。私は,徹底的な結果無価値論者ですが,かかる観点からも,死刑に優越的な利益はないと考えています。正当防衛などは,現に失われる生命と,侵害しようとしている主体との関係です。緊急状態の中で行われる違法なものへの反撃です。ですから,違法行為者の法益性はない乃至低いといえます。しかし,死刑は,緊急状態への反撃という側面がありません。結果が出ているものへの処罰です。その意味で,生命の抹殺という手段は,犯罪の抑止という見地から見ても優越的な利益はないと考えられます。

 私は,死刑廃止の方が正しい等と申し上げるつもりはありません。この問題は,物の見方考え方が,そのまま反映される問題なんだろうと思います。その意味では,議論と言うより,考え方が違う人と対話をすると言った方が相応しいのかもしれません。

No.30 クルンテープ さん
結局は、我々市民が、死刑囚への報復のために、
報復の仕方を、考えめぐらすうちに、ある意味で
死刑囚と同様の残酷な思考を経験してしまう、
あるいは、相手の邪悪な土俵にのってしまい、
木乃伊とりが木乃伊になる事を防ぐという意味で
現行の刑罰というものが、一定の『残酷さ』を超えない
ものとなっている気がします。

しかし、残酷でなくても良いので、真に己の罪を
自覚出来るように、矯正して欲しい。
人一人を殺すことが、実は周囲の何人をも殺していること
であることを知り、遺族の悲しみを実感して欲しい。
罪を償う正しい心を一度育てて頂き、その上で、
被害者の絶望を味わって欲しいと思うわけです。

『人格を矯正し、罪悪感を感じてもらい
その上で、被害者と同じ体験をしてもらうこと』
これは、残酷とはいわないのではないか?

死刑論議について法理論には疎いのですが
・「死を刑罰とすべき犯罪は存在するか」「いかなる犯罪であっても死を刑罰とされるべきではないのでは」 についてどう感じるかが賛否の根本だと思いますし、賛否論についてはそこを詰めずに先にいって先ず結論ありきの議論にしかなってないように感じます。
そういう意味では、考えが違う方との議論、というのは確かでしょう。
「死をもって罰せられる犯罪がある」と考えるかどうかで別れますから。

 私は、例えば、毒ガスで数十人を殺害、子供を含むは大勢の人間を残酷に殺す などの凶悪犯は死刑に処せられるべきと思っています。
 一方で、「犯人を殺す「必要性」はない」、ということも承知しています。そうした犯罪者の再犯を禁じるなら、牢などに一生閉じ込めておくなり方法はいくらでもありますから。

 私でいえば、犯人を殺す「必要性」はないが「死をもって罰せられる罪はある」と感じているので、理論とかの問題ではないのだと思いますが。

No.28 クルンテープ さん
>無期刑で命までは奪っていないからといって誤った本人=司法が自らを慰めても、自慰に過ぎないということです。

 身柄拘束から解放することができます。補償も本人にすることができます。死刑とは天と地の違いです。何でオナニーなのか全く分かりません。

 私が,価値眼が相容れないと申し上げたのは,あなたの死刑をガン細胞にたとえて肯定する考え方,再犯者は構成不可能であるかのように考える考え方が私の物の見方考え方と根本から違うと思ったからです。その意味では,説得する気はありません。たとえば,「死刑となる凶悪犯は日本社会の一部に過ぎません。」というご主張は,私の感覚では,身の毛もよだちます。社会の一部であっても,たとえ凶悪犯であっても,その人の命それ自体はかけがいのないものであるというのが,個人の尊厳の考え方だと思うからです。

>お釈迦様の教えを忠実に守ればそれで良いでしょう。 しかし現実は我が身を捨ててまでというのは大変難しいのです。
 
 お釈迦様が我が身を捨てろと言ったかどうかは,仏教の素養が全くないので割りません(我が家はプロテスタントの家系なもので。しかし,我が身を捨てろと,私は言った覚えはありません。

 で,お金がかかる以外に終身刑ではだめな理由は,あなたから積極的に提示されていません。ですから,価値観の問題だと私は思うのです。

 

No.34 カクテルさん

> 身柄拘束から解放することができます。補償も本人にすることができます。死刑とは天と地の違いです。何でオナニーなのか全く分かりません。

解放し、補償すれば冤罪被害者が全て満足するのなら、問題はありません。私が冤罪被害者にだとすれば到底満足などできませんから、それで過ちを償ったと思ったら大間違いだと思うわけです。ですから自慰に過ぎないと書いたのです。

> お釈迦様が我が身を捨てろと言ったかどうかは,仏教の素養が全くないので割りません(我が家はプロテスタントの家系なもので。しかし,我が身を捨てろと,私は言った覚えはありません。

日本に生まれ育ったのなら殺生の禁止はご存知でしょう。 お釈迦様の国は正当防衛よる反撃もしなかったので結果滅びたと言われています。
この事件の姉妹も犯人の親殺しでもっと厳格な処罰が為されていたら、命を奪われずに済んだのです。
犯行当時、未成年だった犯人を死刑にすることは現実的には無理だったのでしょうが、姉妹からすれば死刑になっていれば殺されることはありえなかったのです。
凶悪犯の人権なるものを重視したばかりに失われた命なのです。

>ですから,価値観の問題だと私は思うのです。

結局、廃止論者の方が価値観の違いで済ましてしまえる程度の論議なら、仕方がありませんし、私は持論に対する不利益もありません。現実の日本では私の肯定するように死刑も存置されていますので。
しかし、カクテルさんにとっては私個人は説得できなくても、私をダシに使って持論の説明をROMに宣伝できて支持者を増やす機会だったと思いましたが。

私はダシにもなれず、残念でした。

No.35 クルンテープ さん
>解放し、補償すれば冤罪被害者が全て満足するのなら、問題はありません。私が冤罪被害者にだとすれば到底満足などできませんから、それで過ちを償ったと思ったら大間違いだと思うわけです。ですから自慰に過ぎないと書いたのです。

死刑との比較ですよ。死んだら保障することすらできないではないですか。あなたの議論はためにする議論といいます。

>この事件の姉妹も犯人の親殺しでもっと厳格な処罰が為されていたら、命を奪われずに済んだのです。

 抗癌剤の例えに一言も反論しないでこれですか。結果論というしかないですね。あの宅間は、それまで殺人をしたことはありませんでした。でもあのように残虐なことをしています。それまで犯罪歴のない実や座切れは連続で幼女を殺害しました。
 もちろん、殺人を犯した後、服役してきちんと更正した人も大勢います。
 それに私は、凶悪犯の人権一般の議論をしているつもりはありません。国家が人の命を奪うこと、そのことに絞った議論をしているだけです。架空の敵を非難しないでください。

 あなたを説得することはとうにあきらめています。しかし、十分にダシになっていただけてはいると私は考えています。


カクテル様、何か終戦しそうなのでちょっとだけ参加しま〜す。

 誤判の問題については、一度死刑にすると確かに復活させることはできませんが、失われた時が戻らないのも事実ですし、死ぬ間際にお金をもらったことが償いになるかどうかは意見が分かれるところと思います。

 一方、終身刑囚も不死身ではないので、執行中に死ぬことになるでしょうが、死後に事実が判明しても解放も償いもできないのは死刑と同じです。ですから天地の差があるという議論は、本人が存命中、というより比較的早い段階で事実が判明したときに成立する議論かと思われます。

 また、死刑も、中国などと異なり、とりわけ冤罪を争っているような案件については、わが国では執行までにかなりの期間がありますので、比較的早い段階で事実が判明したときには救えることも多いと思います。奇しくも、カクテル様が指摘された戦後混乱期の死刑囚冤罪事件のほとんどは、執行後の冤罪判明ではなく、執行前の冤罪判明だったと思います。そこから執行されたものの中にもいたかも知れないというご指摘なのでしょうが。

誤判の可能性についても、わが国ではとりわけ死刑案件については、かなり慎重に審理を重ねているように見受けられます。(オウム裁判のようなこともありましたが)カクテル様もご承知と思いますが、昭和30年に発生した松山事件以降の事件で、死刑囚の再審無罪案件はありません。

多分、戦後の一時期とは、警察の捜査手法も裁判自体もそれなりに変わってきていると思うのですが、法曹の職にいらっしゃるカクテル様には、当時のレベルと大して変わっていないという認識を持っておられるのでしょうか?

No.36 カクテルさん

> 抗癌剤の例えに一言も反論しないでこれですか。

抗がん剤の限らず、医薬品の試験で凶悪犯の再犯率ほどの割合で重篤な副作用が出たとしたら、そんな薬は承認されないと思いますよ。

>結果論というしかないですね。

統計として再犯率は以前からずっとわかっていたでしょうから、偶然に発生した不幸な事故とは違います。

>国家が人の命を奪うこと、そのことに絞った議論をしているだけです。

正当防衛であって許されるということです。
カクテルさんが何があっても許されないというなら、有効な代替案を示すべきです。
終身刑というのはよく聞く案ですが、実際には現実的とも思えません。
コスト軽視しすぎだと思います。
懲役刑の受刑者が仮出所するのは模範囚で絶対的に更生したからの仮出所というよりも、収容能力との絡みで放り出したように見える場合もあるからです。
無期刑でも同様です。

No.37 じじいさん
 おっしゃっていることの意味は,良く分かります。重要な議論だと思います。ところで,私の最初の指摘を覚えていらっしゃるでしょうか?私は,悪い奴ほど死刑にならない不公平も指摘しています。

> また、死刑も、中国などと異なり、とりわけ冤罪を争っているような案件については、わが国では執行までにかなりの期間がありますので、比較的早い段階で事実が判明したときには救えることも多いと思います。

 刑事弁護の充実に伴って,当然に否認事件の増加が予想されます。えん罪を争っていれば死刑の執行に慎重になるとしたら,死刑を執行されたくない犯罪者は判決後もえん罪を主張し続けます。結局,中途半端に反省して自白した凶悪犯や死刑希望で凶悪な犯行を行った者だけ処刑されることになります。後者については,死刑制度があるから,凶悪な犯罪が実行されたという言い方すら可能かもしれません。求刑や判決でも,悪い奴ほど死刑を免れる危険はないでしょうか?あまりいい例ではないかもしれませんが,筋弛緩罪事件の検察側の求刑は無期懲役でした。弁護団はこの求刑を評して,「論告であれほど無差別殺人を強調し,被告人を非難した検察が死刑を求刑できなかったのは,自信のなさの表れだ」と主張しました。被告人が本当に犯行を行ったか否かはともかくとして,検察官の起訴事実がすべて事実だとすると確かに死刑の求刑であってもおかしくない事件です。裁判官の判断においても,有罪だという心証は持っているが,被告人が無罪を争っているから,死刑をためらうということがあるかもしれません。悪い奴ほど,死刑にならない,執行されない,こんな結果は正義に反するとは思いませんか。

 今の刑事司法は,昔と比較すると良くなっているとは思います。しかし,モトケン先生も指摘するように,検察べったりの裁判官がいることも事実です。また,裁判員制度が導入された結果,裁判がどのようなものになるのか予断を許さないという論者もいます。

No.38 クルンテープ さん
抗がん剤の限らず、医薬品の試験で凶悪犯の再犯率ほどの割合で重篤な副作用が出たとしたら、そんな薬は承認されないと思いますよ。

 いったいどのような統計に基づくご発言でしょうか?むろん,薬品の副作用の発生率との単純な比較はできませんが,日本の犯罪者の再犯率が高いというデータはなかったはずです。ましてや,凶悪犯一般の再犯率が高いなどという指摘は,私が犯罪学の文献を読む限りなかったと思います。有意的に高いのは,日本も外国も性犯罪です。それ以外に,凶悪犯の再犯率が高いとは何処の統計でしょうか?

>懲役刑の受刑者が仮出所するのは模範囚で絶対的に更生したからの仮出所というよりも、収容能力との絡みで放り出したように見える場合もあるからです。
無期刑でも同様です。

 終身刑については我が国で導入はされていないのですから,幻に向かって鉄砲でも撃っているみたいですね。無期懲役の仮出所は,日本の場合,収容能力との絡みで無理矢理出すと言うことはあり得ません。何か,変な読み物か,外国の読み物を読んで身につけた知識でしょうか?確かに終戦直後は,膨大な数の受刑者に対応するために早く出られたと言うことはあったようです。しかし,それ以後は,刑務所が整備されてからはそのようなことはなくなりました。

 あなたは,コスト,コストといいますが,死刑判決など年に数件です。それらを終身刑にしたからといって,せいぜい食費程度のことです。もちろん,収容者の作業によって,刑務所は収入を得ていることも忘れてはいけません。刑務官の増員も,収容房の増築も必要とは思えません。


 

No.39,40 カクテルさんのコメントについて

No.39にっいては、よく分かりませんね。運営面で改善していくべきことで、そもそも死刑制度がどうこうするべき点とはいえないと思います。
No.40については、上の論からいけば、終身刑が導入されれば、現在、その上が死刑であるため無期懲役とされているところが終身刑とされることが予想されますので、コストについては現在の死刑件数を元にしてもしようがないと思います。また、釈放・死刑の執行による空きが生じないことによる累積についても考える必要があります。

No.41 北風さん
>。運営面で改善していくべきことで、そもそも死刑制度がどうこうするべき点とはいえないと思います。

 裁判とは,人が人を裁くことです。現実に自分が判断する場面を想定して見てください。検察官として,裁判官として,法務大臣として,まじめに事件と向き合えば向き合うほど否認事件の死刑は難しくなります。運用面の改善など絵空事のように聞こえます。

 あと誤解があるようですが,無期懲役がすべて終身刑になるであろうというのは間違いです。終身刑の制度に合わせて,有期懲役の上限も長くなるでしょう。無期もそのまま残るかもしれません。いずれにしても,そのような凶悪犯はほんの少数ですから,コストがかさむというのは杞憂だと思います。

 結局,死刑を異時すべきか否かの判断は,刑罰に対する一人一人の見方の問題ではないかと思います。多くの人を残虐に殺したものは,死を以て償うべきだという応報の考え方を維持べきだと考えるのであれば,えん罪の危険とのバランスの中でも,なお,死刑に意義を見いだします。どちらが,議論が優越するという話しではないのかなあというのが率直な感想です。

カクテルさん
No.39 については、否認事件について、冤罪か否かという判断の重みについて述べられていると読みました。であるなら、一生を拘束される終身刑であっても、その重み、否認事件の難しさがあるでしょう。そもそも冤罪により被る被害を考えた場合、否認事件の判断の重みは終身刑や死刑だけに限らないと感じます。現行でもそうした重みのせいで判断を下すのが難しいというのであれば判断を下しやすくするような改善というか何かがいるのではないでしょうか?痴漢などであっても冤罪で職を失ったり大きな痛手を被りますから。

無期に対しては言葉足らずですみません。無期懲役の中でも、凶悪ではあるが死刑までは、という無期懲役(まだ確定してませんが、広島女子殺害事件など)は、死刑がなく終身刑であれば、終身刑になりませんか、ということです。

とはいえ、コストについては本質的でないことは確かですね。

私の考える本質的なところは、「死をもって償う」(償うことはできないので、これは言葉としてはどうかと)、というか、「人を殺してはいけない」というルールを破った、もとい、他人の人生を奪った(凶悪犯)者が、なぜ生きていることができるの? という疑問についてだと思います。

他人の人生を奪った(凶悪犯)者が生き続けるべきではない、のか、生き続けてもよいのか。生き続けるべきではない、という立場においても、「他人の人生を奪った者であっても死を与える権限を持つ者がこの世にはいない」と「誰かが死を与えるべし」という回答がありますが、上の疑問に対して、生き続けるべきではない、と感じてしまえますと、「誰かが死を与えるべし」と思えてしまうのですが。

カクテルさまは、生き続けるべき、というお考えなのでしょうか?

私は、死刑制度存続論者ですが、確かにカクテルさんの言われるとおり、えん罪事件の場合については、実際のところ結論はでません。しかし、自力救済が許されず、国に強制執行の権限を委託している以上(法的にこの表現でいいのかわかりませんが)真犯人が無罪になっても、許されるどうかは別として無罪の人間が有罪になったとしても、量刑も含めて、遺族はそれを受け入れざるを得ません。
本件の父親は、犯人が死刑でなければ、自分が殺すか父親自身が割腹自殺すると言ったそうですが、子を持つ親としてその気持ちは痛いほどわかりますし、私自身がそのような立場に立てば、同様のことを言うでしょう。そして、国民の半数以上が死刑制度維持を望んでいる以上、死刑はやむを得ないでしょうし、裁判員制度が始まれば、その傾向はより強まると思います。私はカクテルさんの主張を全く否定するつもりはありませんが、無神論者で、本件の父親の立場になった時に犯人を許せるほど広い心は持てません。

カクテル様、お付き合いいただきありがとうございます。

さて、
>後者については,死刑制度があるから,凶悪な犯罪が実行されたという言い方すら可能かもしれません。

これについては、死刑願望といっても、通常の自殺者が望まぬ凶悪犯罪を犯して死刑による死を求めるわけではなく、そもそもそうした傾向のある人でしょうから、死刑がなくとも別の理由でもっとひどい凶悪犯罪を犯しているかもしれません。いずれにしても、仮定と空想の世界になってしまいますので、余り意味はないかもしれません。

確かに真の冤罪者と、冤罪を騙る凶悪犯との見分けは、客観的証拠が揃ってたりすればともかく、難しいかもしれません。北風様のおっしゃるように、それは死刑相当犯でなくとも同様でしょう。とはいえ、死刑の場合は執行してしまえばお終いですので、執行のタイミングは非常にデリケートで難しくなるでしょうね。

ただ、私の考えとしては、現状の死刑囚の冤罪リスクを考えると若干のリスクの上昇は覚悟の上で、ある程度期間を置けば執行も止むを得ないのではないかと思います。

これについては、死刑囚の冤罪の危険性の評価と執行の平等性の確保との調整の問題なのでしょう。この辺はカクテル様がおっしゃる価値観の問題でしょうから、意見が分かれるのも仕方がないと思います。

私は、死刑存置論者ですが、価値観の異なる反対派の方々を説得するつもりは毛頭ありません。


>いずれにしても,そのような凶悪犯はほんの少数ですから,コストがかさむというのは杞憂だと思います。

終身刑への移行については、現実に行うとなるとモラルの維持が問題になるのではないかと思っています。

カクテル様は楽観されているようですが、死刑の代替として終身刑を導入する場合、終身刑が最高刑になります。となると、終身刑囚は、仮に刑務所の中で何をしても(殺人を犯したとしても)、それ以上刑が重くなることはありません。また、模範囚として過ごしても終身刑ですから外に出られることもありません。(仮釈がありだと現在の無期刑と余り変わりません。)

要は何をしても状況が全く変わらないのです。こうした中で、死刑に相当するような凶悪な犯罪を起こすような囚人が、果たしてモラルを維持できるのかという問題が生じるように思います。死刑の執行官も嫌かもしれませんが、わが身の安全を考えると終身刑房の看守にだけはなりたくありません。信用するには、余りに脆弱すぎる良心ですから。

No.40 カクテルさん

>それ以外に,凶悪犯の再犯率が高いとは何処の統計でしょうか?

数日前にテレビで少年に殺人の再犯率です。 上昇傾向で現在は60%を越えていると。
成人の場合はこれほど高くないそうですが、詳しい統計は犯罪白書あたりに載っているのでしょうね。
カクテルさんのほうがその点は詳しいでしょうから、カクテルさんは正確な数字を出せば済むことでしょう。
ただ、殺人事件なんてものをおこす確率は1万分の1にも遥かに満たないのに対し、再犯率は1%だとしても百倍以上も高いわけで、殺人の前科があるということはそれだけで十分脅威の対象であるということもできます。
医薬品の試験でも副作用率が高くても、それよりもましな薬が無ければ承認されるのかも知れませんが、例えば5パーセントもあったらそれでも承認されないのではないでしょうか?

> 終身刑については我が国で導入はされていないのですから,幻に向かって鉄砲でも撃っているみたいですね。

終身刑は私が言い出したのではなく、カクテルさんが言っていることですよ。(苦笑)

> あなたは,コスト,コストといいますが,死刑判決など年に数件です。

数件なのは冤罪を恐れるがあまり、本来の刑法よりも軽い量刑が与えられているように思います。判決ではトリモチのような理屈で死刑を回避していると思います。


まあ、でも少し歩み寄れることも考えてみると、死刑廃止論は「国家によっても人の命を奪うことは例外無しに許されない」ということでしょうから、一般国民が死刑相当犯の存在をまったく意識せずに済むような刑罰なら、私は殺さなくても構いません。
例えば、絶海の孤島、南鳥島や硫黄島などに収容施設を作ってしまい、本土とは音信を絶ってしまうような場合です。明治以前の終生遠島の仕置きのようですが。
収容所の維持管理は廃止論者の方々にお任せしたいと思います。収容地域内からの逃亡を防止すれば、それ以外はまったくの自由裁量で構わないです。懲役させなくても、所内での懲罰もなくても自給自足していれば、どんな贅沢をしていても構いません。
被害者遺族の中には犯人が死刑を執行されていないということが不満となるかも知れませんが、執行されたということで収容所に送ってしまえば、遺族の意識からは存在は消せます。

No.43 北風さん
もちろん,えん罪の痛手は犯罪の質によっては与えられた刑罰以上に大きい場合があるのはその通りです。しかし,それでも死刑とその他の刑罰とでは大きな質的な差があるというのが私の主張です。ご理解いただけませんか。

>他人の人生を奪った(凶悪犯)者が生き続けるべきではない、のか、生き続けてもよいのか。生き続けるべきではない、という立場においても、「他人の人生を奪った者であっても死を与える権限を持つ者がこの世にはいない」と「誰かが死を与えるべし」という回答がありますが、上の疑問に対して、生き続けるべきではない、と感じてしまえますと、「誰かが死を与えるべし」と思えてしまうのですが。
>カクテルさまは、生き続けるべき、というお考えなのでしょうか?

 私は,生き続けるべきであるという判断をしているのではありません。人が,「おまえ死ね」という判断を下すことが許されるのかという問題だと思うのです。あなたがご自分の信念として「人を殺した者は死を以て償うべきだ。」という考え方を持っていたとして,その信念に基づいて,人を殺したと判断し,かつ,人にそれを強制できるのかという問題です。

No.44 北の役人さん
 家系的には,プロテスタントですが,私個人は無神論者です。
 現状で死刑維持が国民の多数派であるのは確かでしょうし,死刑制度が憲法に反すると主張するつもりもありません。ただ,被害者や遺族への国のフォローが進む中で,加害者への憎しみという形でしか,表すことのできなかった遺族の悲しみが別なものに変わるような気もしています。
時代の変化と共に,死刑制度の対する見方も変わってくるだろうと私は思っています。

No.45 じじいさん
  今のような少数の刑務官で終身刑の受刑者との関係で秩序を維持できるのかという論点は,終身刑制度が現実化する段階では十分な議論が必要な問題だと思います。
 ただ,私は,死刑囚が拘置所で沙補と秩序を乱しているという話は聞かない(何年も死刑執行がなかったときもありました)ので,現段階ではさほど心配はしていません。

No.46 クルンテープ さん
>カクテルさんのほうがその点は詳しいでしょうから、カクテルさんは正確な数字を出せば済むことでしょう。

 無責任ですね。時節の裏付けなんですから自分で調べてください。もちろん,私も平成17年までの白書のあらましで調べましたが,そんな衝撃的なデータは,出ていません。

>終身刑は私が言い出したのではなく、カクテルさんが言っていることですよ。(苦笑)
 もちろん,終身刑という主張をしているのは私です。しかし,終身刑が導入されていないにもかかわらず,「懲役刑の受刑者が仮出所するのは模範囚で絶対的に更生したからの仮出所というよりも、収容能力との絡みで放り出したように見える場合もあるからです。
無期刑でも同様です」とおっしゃったのもあなたです。終身刑に仮釈放制度があると誤解されているのではないですか?

>数件なのは冤罪を恐れるがあまり、本来の刑法よりも軽い量刑が与えられているように思います。判決ではトリモチのような理屈で死刑を回避していると思います。

 と,おっしゃる以上,死刑回避の無期懲役が,日本で年に何件言い渡されているかご存じなんですよね。全受刑者に占める割合がどのくらいかもご存じの上での議論ですよね。私には,とてもそうは思えないのですが。

>まあ、でも少し歩み寄れることも考えてみると
 別に,歩み寄る必要はありませんよ。重要なのは,お互いの考え方の違いを理解することです。
 私は,死刑制度を維持すること,廃止することがどちらが制度として優れている言う問題ではないと思います。少なくとも現段階においては,両方の立論を踏まえて,主権者である国民が判断することです。で,現時点では,死刑存続を主張する人が多数派である。そのことを私も認めています。
 私は,このような対話をすることによって,いつか死刑廃止が現実のものになればいいなあと願います。

 


 

No.47 カクテルさん

>>カクテルさんのほうがその点は詳しいでしょうから、カクテルさんは正確な数字を出せば済むことでしょう。

> 無責任ですね。時節の裏付けなんですから自分で調べてください。

私はこの後1%と5%という百分率の数値を上げていますが、この数値は犯罪白書にある数値から大きく外れていていたでしょうか?もっと低かったのでしょうか?

>終身刑に仮釈放制度があると誤解されているのではないですか?

カクテルさんが言う終身刑というのは例外なしに死ぬまでムショ暮らしと言う意味なんでしょう?だから無期刑と言ったのですが?
有期刑であれ無期刑であれ日本では仮釈放はありますよね。

> 私は,このような対話をすることによって,いつか死刑廃止が現実のものになればいいなあと願います。

了解です。

カクテルさん

>No.43 北風さん
もちろん,えん罪の痛手は犯罪の質によっては与えられた刑罰以上に大きい場合があるのはその通りです。しかし,それでも死刑とその他の刑罰とでは大きな質的な差があるというのが私の主張です。ご理解いただけませんか。

「死刑とその他の刑罰とでは大きな質的な差がある」点については了解です。
「冤罪を恐れるがあまり、本来の刑法よりも軽い量刑が与えられている」こともあるでしょう。
No.39の主張の趣旨について、「冤罪を争っていれば死刑の執行に慎重に〜」など、死刑に限定されることではないでしょう、ということです。更に言えば、冤罪を争っていないからといって「死刑判決を下す」際の事実認定の重みが減るのですか?ということです。

>私は,生き続けるべきであるという判断をしているのではありません。人が,「おまえ死ね」という判断を下すことが許されるのかという問題だと思うのです。あなたがご自分の信念として「人を殺した者は死を以て償うべきだ。」という考え方を持っていたとして,その信念に基づいて,人を殺したと判断し,かつ,人にそれを強制できるのかという問題です。

私の書いたところの「他人の人生を奪った者であっても死を与える権限を持つ者がこの世にはいない」というところですね。
で、お書きになられている「問題」について、「許されていい」としているので死刑賛成の立場になるのですが。
 死刑の問題については、自分の家族が殺されたとした場合を想定してみています。「許されるなら、可能ならば、あるいは全てを捨てる覚悟があるのなら」、妻子を殺された場合「この手で犯人に死を与えてやりたい、という感情がおきる、つまり「犯人は死ぬかあるいは誰か(上の場合、自分)によって死を与えられるべき」と心中では判断している訳です。
自分の手で犯人を殺すことは「法によっては」許されていません。
はっきり言えば、「国家が犯人を殺す権限がある」との確信はないです。「犯人に死を与えるべき誰か」」として現状最も適当なのが国家である、として死刑制度に賛成しているに過ぎません。

カクテル様

>ただ,私は,死刑囚が拘置所で沙補と秩序を乱しているという話は聞かない(何年も死刑執行がなかったときもありました)ので,現段階ではさほど心配はしていません。

松本死刑囚は別格として・・・、
死刑囚の場合、限られた運動や風呂、TV、面会時間などを除き一日房内で過ごし、基本的に全て一人で処遇されるそうですから、看守との接触も少ないでしょうし、拘置所側も死刑囚に余りうるさくは言わんでしょう。

懲役ではないですから、賦役はないですし、本人的には、無茶すると執行が早まることを懸念するでしょうから、積極的に反抗等はしないのでは。フルタイムの一人処遇が困難で、賦役もある(はずの)終身刑との比較は難しそうですね。

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