エントリ

追記(12/20)
 このエントリをウィニー判決擁護(または論評)と考えている人がいるようですが、そうではないということを最初にお断りしておきます。
 私はまだウィニー判決の論評を書いていません。
 このエントリは朝日の社説批判です。
追記終わり

 朝日の社説はこういっています。

 運転手が速度違反をしたら、速く走れる車をつくった開発者も罰しなければならない。

 そんな理屈が通らないのは常識だと思っていたが、ソフトウエアの開発をめぐってはそうではなかった。ファイル交換ソフトのウィニーをつくって公開した元東大助手が、著作権法違反幇助(ほうじょ)の罪で京都地裁から有罪判決を受けた。

 これはどういう論理かというと

 ウィニーを開発・公開した者が処罰されるならば、速く走れる車をつくった開発者も処罰されなければならないはずであるが、速く走れる車をつくった開発者も処罰されるべきであるという理屈は非常識だから、ウィニーを開発・公開した者は処罰されるべしという判決も非常識である。

ということなのだろうと思います。

 しかしそもそもこのような論理で判決を批判しても説得力があると思えません。

 何故ならば、ウィニーの開発・公開と高性能車の開発や販売(以下、提供と言います)とは違う行為だからです。違うものを当罰性において全く同じものと看做して議論しているところに根本的な問題があります。

 朝日の社説は「そんな理屈が通らないのは常識だと思っていたが、」と言っていますが、たしかに高性能車の提供が速度違反の幇助に当たらないことは常識と言っていいです。
 しかし、ウィニーの公開が著作権法違反幇助に当たらないというのは起訴当時においても判決時においても常識とは言えません。

 判決の論理を高性能車の提供に当てはめると、高性能車の提供は速度違反幇助になる、という意見があるのですが、たしかに形式論理的には正しく見えそうな意見です。
 しかし、高性能車の提供は速度違反幇助になる、という結論は明らかに常識に反します。
 しかしだからといってウィニーの公開が著作権法違反幇助になる、という結論が常識に反することにはなりせん。

 犯罪の成否は抽象化された形式論理では判断できません。

 ではどうして高性能車の販売は速度違反幇助にならないのか、という当然の疑問が予想されるのですが、冒頭で述べたように、この問題は、ウィニーの公開がなぜ著作権法違反幇助になるのか、という問題を考えるにあたって考える必要のある問題だとは思えません。
 それぞれが独立に具体的事実関係に即して議論されるべきだからです。

 とは言うものの、それでは「逃げた」と言われそうですので、高性能車の提供について考えてみました。

 教科書的には、幇助行為とは、犯罪の実行を実行行為(犯罪行為)以外の方法によって容易ならしめることと定義されます。

 そして認容と言うのは、fuka_fuka さんがコメントされていますが

 認容説のいう「結果が発生してもかまわない」には
  結果が発生したらいいなーという積極的なもの
  結果が発生しても仕方ないとか気に掛けないという消極的なもの
 のどちらも含まれる、という理解が一般的。

ということです(判例は認容説ですので認容説で述べます)。

 では、幇助犯における「結果」とは何か、ということが問題になるのですが、自分(車の提供者)の行為によって運転者の速度違反行為が容易になる、ということです。

 つまり
  速度違反が容易になったらいいな (積極的認容)
または
  速度違反が容易になっても仕方がないな (消極的認容)
というのが、速度超過幇助における認容ということになります。

 では高性能車の提供は、いかなる意味において速度違反を容易にするのでしょう?

 最高制限速度(時速100キロ)を超える速度を出せる車(故障でもしていない限り、日本で販売されている全ての車は100キロ以上出せるはずです。)でも、制限速度以下で走っている限り、速度違反ではありません。
 運転者に速度違反の罪が成立するためには、運転者がその道路の制限速度を認識し(例えば時速60キロであること)、敢えて制限速度を超えるまでアクセルを踏み続けて加速するということが必要です。
 つまり速度違反の罪の実行行為はアクセルを踏むことによって(下り坂ならブレーキを踏まない行為でもいい場合があるかも)加速することです。

 そして速度違反幇助における幇助行為とは、個々の速度違反の場面において、運転者による車の加速行為を運転者以外の者が容易にすることです。

 しかし、その車が如何に高性能であったとしても、提供するだけでは個々の速度違反の場面における加速行為自体を容易にするとは言えません。
 アクセルを踏むか踏まないかは、その場における運転者の判断にかかっているからです。
 車の開発行為や販売行為は、その場における運転者の判断に影響するものとは言えません。

 じゃあウィニーも同じじゃないのか、という意見もあると思いますが、違うというのが私見です。

 ウィニーは、客観的にみて個々の著作権侵害行為を容易にしていると認められます。
 その最も大きな要素は、ron さんが説明してくださった匿名性だろうと思っています。

追記
 コメントでも述べましたが、補足しますと、私はウィニー判決が完全に正しいと言っている訳ではありません。

 判決批判のために、高性能車の開発の例を持ち出すのは失当だと言っているわけです。

 判決については、認容の問題などいろいろあります。

 参考ブログ
 落合弁護士の「Winny京都地裁判決要旨を読んで(前)」

追記
 高木浩光@自宅の日記でこのエントリが紹介されているが、

 だが、その個別の検討は、「高性能車の販売は速度違反幇助にならないのか」について大半の文章を費やしており、Winnyについては最後で次のわずか3行しか検討していない。

と指摘されている。

 これはこのエントリがウィニー事件と高性能車開発の対比を行って高性能車開発の幇助行為性を問題視する朝日の社説に対する批判であり、高性能車開発の幇助行為性の否定を主眼とするエントリですから当然のことです。

 高木氏のブログから来られた方は以上の点を踏まえてお読みください。

 何度も述べていますが、ウィニー判決の当否は、ソフトウェア開発の実情とウィニーの機能を踏まえつつウィニーの開発と公開が著作権法違反幇助になるのかという観点で検討されるべきであって、高性能車の開発を引き合いに出す必要はないし出すべきでもないと考えています。
 どうせ引き合いに出すなら、もっと適切な例があると思います。

 なお、ウィニー判決に対する意見については、判決の詳細を読んでからよく考えたいと思っているのですが、まだ読んでいません。

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コメント(146)

モトケン先生
 正直あまり説得力がないと思います。

> そして速度違反幇助における幇助行為とは、個々の速度違反の場面において、運転者による車の加速行為を運転者以外の者が容易にすることです。

 何故、こんな限定が必要なのでしょうか?論理的ではないと思います。160キロで走れる車を作ることが個々の速度違反の幇助行為といってもかまわないじゃないですか?少なくとも日本で100キロ以上で走る車を作り売る必要がないのですから。

 私は、金子被告は、確定的な故意があると思います。しかし、彼を処罰するのであれば、包丁はともかく、100キロ以上で走る車の製造販売も幇助で処罰しなければならないのではないかとの疑問をぬぐいきれません。ですから、両者を処罰すべきであるという価値判断もできないし、かといって、両者を区別する理論を見出すこともできないので、今のところ結論を留保しています。

自動車が生産販売されなかったら
毎年一万人近い交通事故死亡者が激減するのは
自明の理ですな

別の言い方をすると自動車なしで死亡事故を起すのは難しい
自動車は死亡事故発生を容易にしている

>カクテルさん

 私からすれば、高性能車の販売が速度違反幇助になる、という結論が全く説得力がないのです。
 はっきり言って非常識です。
 これは論理というよりリーガルマインドの問題だと思います。

 一応理屈をつければ本文のようになりますが。

>いのげさん
>自動車は死亡事故発生を容易にしている

 これは間違いだと思います。
 容易にしているのではありません。
 不可欠の原因です。
 自動車の生産販売そのものの違法性を端的に問題にすべきです。

>100キロ以上で走る車の製造販売も幇助で処罰

この論理ならば、60キロ制限や、40キロ制限にも対応しなければならない。
自動車が走ることを前提に道路事情によって制限を加えた、道路交通法の趣旨とは関係ないですね。

朝日は40キロや20キロ制限にどう対処するつもりなのか、「道路ごとに車を変えろ」と?
まあ、朝日なら言いかねません。

 補足しますと、私はウィニー判決が完全に正しいと言っている訳ではありません。

 判決批判のために、高性能車の開発の例を持ち出すのは失当だと言っているわけです。

前コメントで舌足らずになってしまいました、結論はこうなります。

「朝日が取り上げた自動車の話題は論理の飛躍とすり替えを含み詭弁の一種、それを比較対象にすることも詭弁である」

「高性能車の提供は速度違反幇助になる、という結論は明らかに常識に反する」
というのがどうも納得いかないです。

自動車も乗らないし、ウィニーもやらない自分からすると、どっちも幇助で(あるいはどっちも幇助じゃない)でいいように見えます。

外から見ていると、単に高性能車があふれ、それを用い、そういう生活に慣れている人々が
ウィニーがあふれ、それを用い、そういう生活に慣れている人に対し
「こっちのが違反になるのは常識に反してるよ。お前さんのはそうではないだろ?」
と言っているように見えます。

で、ネット上には後者の人が多いし、ある意味ウィニーの配布はネットが選ばれた人々の間のものだった頃の古きよき精神を体現している面もあるので反発していると。
結局のところ本質は文化の摩擦なんだろうな。常識というものの捉え方なんだろうなと思いますね。

>モトケンさん
恐縮です。お役にたてて嬉しいです。

私も別の例を持ち出しても議論が混乱してしまうだけでは、と思いますが。
車を運転して著作権侵害に問われることはないでしょうから。

匿名性という点では、ナンバープレートをはずして高性能車を運転することに当たるかと。
例えば、時速100kmを超えるとナンバープレートが隠れる機能を付けるとか。
スピードガンをだますような機能を付けるとか(電磁波を発する?)。

今回の判決、といいますか、警察が動いたことも含め、個人的には納得はいきません。
もっと別の方法はなかったのか、と思わずにはいられないのですが。

ただ、判決は「シロに近いがクロ」という相当微妙なものだと思いますし、当然、「クロに近いがシロ」もあり得たのでは、と思います。結局は、裁判官の心証なのではないでしょうか。

とすれば、裁判官の判断を尊重するしかないかと。
誰もが納得する判決は出せないと思うからです。

 カローラの開発は幇助にはならないが、スカイラインの開発は幇助になる、のでしょうか?

 それとも、車の開発・販売はすべて幇助になる、のでしょうか?

 判決による萎縮効果を別にした場合、この判決の結論つまり開発者を有罪にした点について、仮に世論調査をしたらどんな結果が出るんでしょうか?

 こんな意見もあります。
 もっとも筆者は霞ヶ関の官僚の方のようですので、若干のバイアスがあるかも知れませんが。

 今回の事件に対する判決の当否と、判決が今後のソフト開発に及ぼす影響というのは、たて分けて考えた方がいいと思います。

>これは間違いだと思います。
>容易にしているのではありません。
>不可欠の原因です。

自動車の無い時代にも
馬に蹴られたり牛車に轢かれて死ぬ人は
存在してたわけで

エントリの例であれば、スピード違反を促進させる要素があればいいので、「走り心地が快適」「高速走行をカッコいいと思わせるデザイン」といった点や、「アクセルを踏んだときの加速がいい」などのことがあげられないのでしょうか?

 ソフトや品物・薬剤などを開発する人々は法律の素人であることが多いと思います。私も含め、法律の概念を理解していないにとって、「たしかに形式論理的には正しく見えそうな意見」であれば、その違いは分かりにくいです。
 
>ではどうして高性能車の販売は速度違反幇助にならないのか、という当然の疑問が予想されるのですが、冒頭で述べたように、この問題は、ウィニーの公開がなぜ著作権法違反幇助になるのか、という問題を考えるにあたって考える必要のある問題だとは思えません。

 開発者にとって、何がセーフで何がダメなのか、を明確にしてほしい、という点で、かなり必要性が高いと思います。

>No.12 いのげさん

 自動車による事故は、自動車なければ起こりません。

 自動車の問題は、速度違反幇助のレベルで考えられるべき問題ではないといことが言いたいのです。
 
 速度違反幇助を問題にするならば、業務上過失致死傷幇助の問題に発展します。
 高性能車だけでなく、自動車の生産・販売そのものに直結します。

 しかし社会は車の生産と販売を許容しているのです。

 朝日の社説はこのことを無視する詭弁というべきです。

>北風さん

>開発者にとって、何がセーフで何がダメなのか、を明確にしてほしい、という点で、かなり必要性が高いと思います。

 この必要性は認めます。
 
 私の意見はこの必要性を論じるにあたり、高性能車の開発を持ち出すのは的外れだということです。

 ソフト開発における問題は、ソフト開発の実情に即して議論されるべきです。

No.4 モトケン先生
> 私からすれば、高性能車の販売が速度違反幇助になる、という結論が全く説得力がないのです。
 はっきり言って非常識です。
 これは論理というよりリーガルマインドの問題だと思います。

 非常識だという感覚はわかります。だから、私は結論を留保しているのです。しかし、論理的な整合性を保たなければなりません。常識は、人によって異なります。はっきり申し上げて、モトケン先生の論理で、無罪説の論者を納得させることは不可能だと思います。

>>100キロ以上で走る車の製造販売も幇助で処罰

>この論理ならば、60キロ制限や、40キロ制限にも対応しなければならない。
自動車が走ることを前提に道路事情によって制限を加えた、道路交通法の趣旨とは関係ないですね。

 いいえ。技術的に不可能なことは要求されません。現在の日本の行動での最高速度の範囲内であれば、客観的に「幇助」に当たらないでしょう。

 詭弁というのなら、どこがどう詭弁なのでしょうか?

「自動車は許容してwinnyは許容しない」
という区別が法で定められているのでしょうか?
自動車事故と自動車以外の交通事故に
倫理的な差異があるのでしょうか?

>カクテルさん

 スカイラインの開発と販売が速度違反を幇助するものかどうかという問題とウィニーの開発と公開が著作権法違反を幇助するものかどうかという問題は、判断の基礎となる社会的事実関係が全く異なります。

 それを形式論理で並列的に考えてウィニーの公開を無罪とする論拠とすること自体が、私にとっては全く説得力がない考え方なのです。

100km/hしか出ない車というのは、急な上り坂でも100km/h出るし、急な下り坂でも100km/hしか出ない、重量物を積んでも100km/h出るし、軽くても100km/hしか出ないという車のことですか。事故や災害を回避する際は、速度違反は問われないと思いますが、そのときでも100km/h以上はでませんから、そのような場面に出くわすと取りあえず諦めると。

当然、100km/h以上出るであろう外車は日本用に改造しなければ、輸入禁止措置が取られ、アメリカやヨーロッパ諸国との貿易摩擦も止むを得ない。

とりあえず、私はこの世からWINNYがなくなっても全く困らないですが、自動車がなくなると困ります。ポルシェやスカイラインなどは、日本の道のどこ走るのという気はしますが。

>No.17 いのげさん

 論点がどんどんずれていっていると思います。

 著作権法違反と交通事故の対比と馬車による交通事故と車による交通事故の対比は別問題です。

>「自動車は許容してwinnyは許容しない」
>という区別が法で定められているのでしょうか?

 刑法62条(幇助犯処罰規定)の適用問題です。

No.18 モトケン先生
>判断の基礎となる社会的事実関係が全く異なります。

 社会的事実関係って具体的にどういうことですか?
 その論理は、車が社会に不可欠なら100キロまでの車で十分じゃないか。なぜ、それを何十キロも上回る車を作る必要があるのだという批判に耐えられますか?私は無理だと思います。そして、この批判に耐えられないのなら、両者とも無罪しかないのかとも思います。

>No.21 カクテルさん

>社会的事実関係って具体的にどういうことですか?

 正直言いまして、この質問は少々イラつく質問です。
 ちょっとビールが入っているせいかもしれませんが。
 違うものは違うと言っているだけです。

 車の社会における位置づけとウィニーの位置づけが、少なくとも現時点では異なる、という説明では不十分ですか?

>その論理は、車が社会に不可欠なら100キロまでの車で十分じゃないか。なぜ、それを何十キロも上回る車を作る必要があるのだという批判に耐えられますか?

 この問題は、現在の車社会を前提にして議論されるべきことです。

 私が言いたいことは、車の問題とウィニーの問題は別問題だということです。
 なぜ、違う問題を一緒くたにして論じるのですか?

 ウィニーの問題は、ソフト開発における新技術の開発とその公開という観点で論じるべきであってそれで足りるはずです。

 高性能車の問題を持ちこむことは問題の本質をぼやかすか、または誤導するおそれがあります。
 私はそれを心配しているのです。

 平ったく言えば、たとえ話としては適切でないということです。

「自動車が生産販売されなかったら
毎年一万人近い交通事故死亡者が激減するのは
自明の理ですな
別の言い方をすると自動車なしで死亡事故を起すのは難しい
自動車は死亡事故発生を容易にしている」

↑この文章は最初から自動車以外のい死亡事故を想定しているので
ぜんぜん論点そらしではありません

>No.23 いのげさん

 私は、「幇助」という概念を念頭においています。

 幇助というのは、既に存在する犯罪の実行を容易にするという概念です。

 犯罪の発生に直結する行為は幇助ではなく、「正犯」または「教唆犯」ということになります。

 私のコメントはこのような論理を前提にしています。

 いのげさんは、そのような前提ではないと思います。

 たぶんそれが私が論点ずれと感じる原因でしょう。

>どこがどう詭弁なのでしょうか?

最高速度が100km/hとして、それ以上は問題で以下なら許されるとすると?
それが「必要ない速度」である、でしょうか。

公道での最高速度は普通自動車で60k・貨物50k・原付30k、道路によっても30kや20k制限が有ります。
公道では50k出せる車は十分に速度違反幇助となりえますし、自転車でも50k付近までは可能です。

「必要ない速度」を出せることが速度違反幇助に当たるとすれば、一般道を走る車はすべて速度違反幇助に問わなければならなくなり、極めて不合理です。

弁護側ではこれを解ってか「100kを越える車も許される」「余計な性能が有っても即幇助とはならない」と主張。

本当は、元々それ以上の速度を持っているのが自動車で、速度制限は後付。なので本件とは事情が違う。
それをあたかも対照できるとした論理のすり替えが有る、と言うことです。

また技術的に制限標識に合わせた車速制御装置が可能かどうかと、社会的に制限すべきかは別の問題です。

尚この件は、本件判決の評価とは関係有りません。

> No.22 モトケン
> 車の社会における位置づけとウィニーの位置づけが、少なくとも現時点では異なる、
> という説明では不十分ですか?

この問題について、モトケンさんが分かってもらいたいと思っている人に対しては、不十分、もしくは不親切に思います。もう少し詳しく。

「社会における位置づけ」と言うことであれば、車は既に社会に浸透して不可欠のものとなっているし、日常的にも速度違反は厳密に取り締まられているわけではない。法を厳密に解釈したらスカイラインの開発者を金子氏と同様の論理で起訴することは可能だけど、それじゃ現代社会が持たないから起訴しないだけ。社会もそれを容認してる。と主張されているのでしょうか?多分違うと思うのですが、このようにもモトケンさんの意見は読み取り可能かと。

1) 違法な行為が可能か
Winny -> 違法なファイルを送信できる。
スカイライン -> スピード違反ができる。

2) 違法な行為を取り締まることが可能か
Winny -> 違法なファイルを送信しても送信者がわからない。
スカイライン -> スピード違反をした人間が誰かわかる。

ということだと理解しましたが。

開発者としては、違法な利用が可能だとしても、取締りも可能にしておけば良いように思いますが。最低限、プロバイダが把握できるようにしておけば。ファイル交換ソフトではないですが、同じく通信の特定が困難な、SoftEtherというソフトは、プロバイダが通信を特定できるように、ちょっとした工夫をしていたように思います。

Gnutella、WinMX、BitTorrentなど、同種のソフトウエアについても調べてみましたが、いずれも「暗号化による匿名性」という機能はないようです。
確かに、効率を優先するなら、暗号化で効率を落とすのは変だと思います。

>判断の基礎となる社会的事実関係が全く異なります。

どなたかが別エントリで既にあげておられましたが、運転免許制度が一例ではないですかね?車を運転するには免許が必要ですが、Winnyを使うのに免許は要りません。

さらに、車は社会的に「危険な道具であるが有用」という認識がなされており、道交法を始めとする、様々な規制が存在します。

開発者の側でも、自動車の安全性については当然留意されるべきものとされており、自動車を開発するにあたって、様々な規制が存在すると思いますが。自由に作ってよいわけではないと思います。

自動車が登場した当初は、自動車を運転するのに何の規制もなかったでしょうし、開発も自由であったと思います。どんな危険な設計であろうと、それを縛るものは何もなかったでしょうね。しかし、その後の車社会の進展にともない、様々な規制がなされるようになったわけです。

現在のネット社会でのWinnyというのは、前時代の危険な設計の自動車に相当するのではないですかね?
そして、今まさに規制をかけられ始めているのでは?

Gnutellaも、本当の発信者・受信者を隠す機能を売りにしていました。あのソフトは、バケツリレー式にファイルを参加者間で受け渡します。従って、あるファイルを送受信しているだけではその人間が単なる中継者なのか、真の発信者・受信者なのかが分かりません。このため匿名性が高く、Open Society実現に貢献する、と開発者たちははっきり謳っていました。すくなくとも、このソフトが開発された直後のインタビューでは。「政府に抵抗する権利」を唱える米国人らしい論理だと思いながら読んだ記憶があります。

そもそも暗号化がなぜ悪意の証明になるのかも、私としては違和感があります。日本では通信の秘密が憲法によって認められています。このため、ウイルスが蔓延しても通信会社はそれを阻止しません。「目の前を流れていくのをただ眺めているのは悔しい」と通信会社の方が嘆いていたことがあります。ISPのセキュリティ機能はこの点を「ユーザーから委託を受け、代理で行っている」と解釈することで回避していますが、ならば、委託しない場合は「通信の秘密を確実に守るために暗号化」しても構わないはずです。個人的には、通信の秘密を全面的に認めた憲法が非現実的なのだと思っていますが、たぶん現在の日本では少数派でしょう。

モトケン氏は、リーガルマインドの問題だ、形式論理ではないのだと仰います。法律家はそのように思考するのだ、を知ったことは非常に勉強になりましたが、とすると、エンジニアである私としては、法曹関係者の皆様と常識を合わせておくことが極めて重要になる訳ですね。そんなもの当然だと昔なら考えたと思いますが、著作権法周りは普通のエンジニアの素朴な法律感覚では到底ついていけないと感じています。私の周囲のエンジニアには「あんなもの無罪が当然だ」という意見が大半ですし。医療関係者の皆様も常識が合わずに苦しんでいるようですし。

>No.15 モトケン先生

ありがとうございます。

>私の意見はこの必要性を論じるにあたり、高性能車の開発を持ち出すのは的外れだということです。
>ソフト開発における問題は、ソフト開発の実情に即して議論されるべきです。
ウィニーの問題は、ソフト開発における新技術の開発とその公開という観点で論じるべきであってそれで足りるはずです。

 「ソフト開発」に限定された法律が適用されているわけでもないので、素人目から見れば「既存にそれを用いた犯罪行為が行われており、新製品が開発者が本来意図してはいない使用法とはいえ、その犯罪行為を容易にさせるような性能アップがあり、使用者の意図的な悪用に対して防御策を施していない」ケース全般に(悪意を持って見れば)拡大されるのではないか、という懸念があるということだと思います。
 で、社説などを見ても、「その懸念があるのかないのか」「ないとしたら、何故(理論的根拠は?)」というところが分からず懸念が払拭されない、というところだと思います。
 
 車の問題については、「だからウィニーは無罪」というところに持ち込むということもあるのかもしれませんが、上の懸念についてのケースとしてあげられているのだと思います。
そして、その懸念が素人目には払拭されているとは思えない(モトケン先生が「常識」とされておられていますが、そこが「常識」と思えないというコメントもみられますので) 

 こうした懸念を払拭するように説明するのは鬱陶しいでしょうが、別分野では環境ホルモンだの鳥ウィルスだのあるいは問題を起こした類似の電気製品だので、技術的には詳しくない一般の人へどうその影響を説明するか、で苦労しているところに似た部分があるかと思います。大変だとは思いますが、ギャップを埋める・問題に対しての専門家の考え方(の断片)を一般の方に知ってもらう、という面では非常に有意義かと思います。

「未必の故意」、「リーガルマインド」、まさに馬鹿の壁というやつを実感。(^^;

刑法はやってはいけないことのみを規定しています。
技術は必ず負の側面を伴い、その負の側面のみが裁かれることに矛盾を感じます。実際、利益が負の側面を大幅に上回れば、その技術は社会に受容されていると思います。自動車、航空機、原子力発電、すべてそうなんだろと。ウィニーもその観点から裁かれるべきなんでしょうが、現行の司法制度では無理なんでしょうね。

No.22 モトケン先生
> 車の社会における位置づけとウィニーの位置づけが、少なくとも現時点では異なる、という説明では不十分ですか?

 不十分です。というより,社会的な事実を理由に処罰されたり,処罰されなかったりするのはおかしいと思います。何故なら,刑法yの「幇助」に当たるか否かの解釈だからです。刑法の最も重要な機能の一つは予測可能性です形式論理で「幇助」に当たる否かは決せられるべきものです。その上で,社会的に当罰性のあるものとそうでないものを形式論理で区別できないのなら,いずれも処罰すべきではないのです。それが,刑法の謙抑性だと思います。

>>その論理は、車が社会に不可欠なら100キロまでの車で十分じゃないか。なぜ、それを何十キロも上回る車を作る必要があるのだという批判に耐えられますか?
> この問題は、現在の車社会を前提にして議論されるべきことです。

 上述の通りです。現実に大型トラックには速度制限の機能がつきました。社会的事実の問題だというのなら,速度違反の無謀運転により年に何千人もの人命が失われている現実もあることをお忘れ無く。車の速度を規制したからと言って,車社会を否定することすらなりません。

>必要ない速度」を出せることが速度違反幇助に当たるとすれば、一般道を走る車はすべて速度違反幇助に問わなければならなくなり、極めて不合理です。

 いいえその必要はありません。日本で認められている最高速度を基準にすればそれでよいのです。問題は,「技術的に制限標識に合わせた車速制御装置が可能かどうかと、社会的に制限すべきかは別の問題です。」ではないのですよ,速度違反の幇助の故意があるか否かの問題なのです。速度制限にあわせて規制できる手段がない以上,法定の最高速度が基準とならざるを得ません。

No.19 じじいさん
>100km/hしか出ない車というのは、急な上り坂でも100km/h出るし、急な下り坂でも100km/hしか出ない、重量物を積んでも100km/h出るし、軽くても100km/hしか出ないという車のことですか。事故や災害を回避する際は、速度違反は問われないと思いますが、そのときでも100km/h以上はでませんから、そのような場面に出くわすと取りあえず諦めると

 現に,大型トラックは,規制されていますね。それは,現実の速度の規制です。

No.32 カクテルさん
>社会的な事実を理由に処罰されたり,処罰されなかったりするのはおかしいと思います。何故なら,刑法の「幇助」に当たるか否かの解釈だからです。

刑法のみならず、法律は総て「社会的な事実」を基礎としています。
法律は社会で使うものだからです。
予測可能性も当然使われるべき社会を前提としてなされます。
そして車社会とネット社会は異なります。

あとは、はっきり言って、理由抜きで自分の主張だけしているように見えます。
大型トラックにだけ速度制限の機能がついたのなら、他の車についてはどうなのでしょうか。

ITMediaに今回の判決に対しての評論が掲載されています。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0612/17/news002.html
私個人としては、エンジニアサイドの視点としてとてもバランス感覚の取れている記事だと思います。

このエントリで『常識』という言葉がたびたび出てきますが、常識というものは個々の集団、文化圏により異なるものです。法曹界には法曹界の常識があり、エンジニアにはエンジニアの常識があります。
他者が自分と同じ常識を持っているという前提で話しを進めていくと、個々が持っている常識がかみ合わないことによる摩擦が起きます。
このエントリのNo.21とNo.22にそれが端的に現れていると思います(双方の常識がずれているという例でどちらが悪いという話ではありません)。
この常識のずれを擦り合わせるには個々が持つ常識の言語化が必要ですが、常識の言語化は著しく困難であることも分かります。
が、医療崩壊を語るエントリでは医療関係者の方々はこの常識をなんとか言語化し、非医療関係者にも納得してもらえるよう努力されていますし、実際にその効果は現れていると思います。
自分と相手で『常識』のどの部分が違うのかを認識し、その穴を埋めるような『常識』の擦り合わせを法曹、エンジニア双方が行わなければ摩擦はずっと続くままだと思います。
なんだかNo.30のコメントの言い換えみたいになってしまいましたが、これが素直な意見です。

No.33 白片吟K氏 さん

>刑法のみならず、法律は総て「社会的な事実」を基礎としています。
法律は社会で使うものだからです。
予測可能性も当然使われるべき社会を前提としてなされます。
そして車社会とネット社会は異なります。

あなたは問題のなっているのが「幇助」であることを忘れていませんか?個別的構成要件の解釈とは異なるのです。個別的構成要件の解釈であるならば,社会的な事実に基づいて解釈できるでしょう。しかし,「幇助」という開かれた構成要件の解釈だから,すべての犯罪に共通の形式的な整合性が問題となります。

>あとは、はっきり言って、理由抜きで自分の主張だけしているように見えます。

 具体的に指摘してください。

>大型トラックにだけ速度制限の機能がついたのなら、他の車についてはどうなのでしょうか。

 少なくとも,他の車についても最高速度を制限することは可能だと言うことです。ウイニーの判決の論理で行けば,幇助の可能性は十分に認められると思います。


 


 
 

ウィニーとは、どんなソフトですか?

私も使ったことがないので、解らないのですが、他のPCやサーバー等から特定のファイルを断りなく、痕跡を少なくして取得することを目的としたソフトと理解するのですが。

現実に開発者はウィニーが著作権に違反する形で、使用されていることを認識した上で、誰でも取得できる形で公開した。だから、著作権法違反幇助に該当するというのが検察の論理だと思うのです。

この件に関連して、気に入らないのがウィルス、スパム、スパイウェアと言った類なのです。ウィルス対策ソフトを入れなければ、PCが使用できない。MicroSoftは基本ソフトの改良・更新を、どこかで中止してしまう。所詮イタチゴッコにならざるを得ない面があるし、日本だけで対処可能なわけはない。でも、そんな悪いソフトを開発し、広めている人達を検挙して欲しいと思うのです。

そこで、ウィニーに戻ると、もし公開されていないで、勝手に広まっていたらどうなのか?もっと、恐ろしかったのではないか?そんな気にもなってしまいました。それと、ウィニー対策ソフトが、何故販売されなかったのか?

バカなビジネスモデルを思いつきました。開発者は、このソフトをこっそりと、途上国によくあるような著作権の取締りが弱く違法ソフトがあふれている国の誰かに頼んで、安い価格で販売する。一方、ある程度このソフトが広まってくると、今度は対策ソフトとして著作権が確立された国々で販売して大儲けをする。こういうバカビジネスにどう対抗すべきでしょうか?

No.35 カクテルさん
>個別的構成要件の解釈であるならば,社会的な事実に基づいて解釈できるでしょう。しかし,「幇助」という開かれた構成要件の解釈だからすべての犯罪に共通の形式的な整合性が問題となります。

なぜ「幇助」だけ特別なのかが分かりません。
私は正犯も幇助も、刑法も民法も、総て法律というものは社会的な事実に基づいて解釈されると考えていますし、法律が社会で使われる規範である以上、それが当然だと思っています。

基本的構成要件(正犯)にも公然わいせつ罪のように開かれた構成要件と言われるものは存在します。
また、開かれた構成要件だから「すべての犯罪に共通の形式的な整合性」が必要という話は聞いたことがありません。

No.37 白片吟K氏 さん
>なぜ「幇助」だけ特別なのかが分かりません。

 正犯は「実行行為」,つまり構成要件に該当する行為を行うことが前提です。ですから,社会的な事実によって,すなわち,保護法益から構成要件を解釈することによって処罰範囲を限定できます。しかし,「幇助」すなわち,「助ける」という行為はきわめて広範です。その中から,処罰に値する行為だけより分けて「幇助犯」として処罰しなければいけません。そして,それ自体は価値中立であるが,犯罪的な使い方に使用されること多いことを認識認容して作成した場合にも「幇助」にあたると判断するのであれば,その判断はAと言う犯罪にもBと言う犯罪にも同じ判断をしなければならないはずです。
 考えても見てください。ウイニーの作者の立場に立って,高性能の車の制作者が処罰されないのは,車社会という現実があるからだと言われて納得できますか?

 私も,直感的には,この作者はやり過ぎだと思いました。処罰に値するのではないかと思っています。しかし,どうにも,うまく,処罰すべきでない場合と区別する論理が見つからないのです。包丁の場合には,犯罪に使われる蓋然性で区別は可能です。しかし,高性能の車の場合には,高速道路を走っている車は,ほとんどスピード違反をしているわけです。メーカーが知らないわけがない。其れなのに,場合によっては180キロまでメーターがあって,その速度が十分に出せる車が現実に販売されています。モトケン先生は,匿名性が決め手だという。でも,判決の論理は,モトケン先生が要約するように「元助手はファイル交換ソフトが著作権を侵害する状態で広く使われているとわかっていた。それにもかかわらず、ウィニーを公開してだれでも使えるようにしたのは幇助」行為にあたるとしているのです。「100キロを超えるスピード違反に広く使われるのは分かっていた。それにもかかわらず,そのまま販売して,スピード違反を容易にさせたには幇助」行為にあたるといっても何の矛盾もありません。免許制は何らの免責理由とはなりません。免許者による違法が多発しているのですから。

 じゃあどうすればよいか。私は,ソフト開発に際しても,別個の法的規制の枠をはめるしかないのではないかと思います。どのような規制が可能なのかは,検討しなければなりませんが,ウイルスの作成行為とか悪用可能な過度の匿名性を持ったソフトの禁止とか,個別の規制が妥当するように思います。

>No.30 北風さん

>で、社説などを見ても、「その懸念があるのかないのか」「ないとしたら、何故(理論的根拠は?)」というところが分からず懸念が払拭されない、というところだと思います。

 高性能車を開発・販売しても犯罪にならないというのは法曹界だけでなく国民的な常識だと思っていたのですが違うのでしょうか?
 違うというのであれば私も考え直さなければなりません。

 少なくとも法曹界の常識はそうだと思います。

 誰かがスカイラインの開発者を速度違反幇助の罪で告発したとすれば、警察や検察の担当者はほぼ例外なく、「この人は告発マニアか」と思うはずです。
 仮にその告発が受理された場合、担当検察官は開発者を取調べることもなく「罪とならず」で不起訴処分にすると思います。

 「懸念が払拭されない」とのことですが、私には、朝日の社説は無用の懸念をあおり立てているように思えます。


 なお、私が常識だと言っているのは、「高性能車の開発は速度違反幇助にならない」ということについてであり、「ウィニーの開発は罪にならない」ということについてではありませんので、読者の方はお間違えのないようにお願いします。

 ソフトの開発について、国民的常識というのはまだ成立していないと思っています。

>No.31 場末の開業医さん

>「未必の故意」、「リーガルマインド」、まさに馬鹿の壁というやつを実感。(^^;

 これはどういう意味でしょうか?
 意味によっては聞き捨てならないお言葉になりますが。

>実際、利益が負の側面を大幅に上回れば、その技術は社会に受容されていると思います。自動車、航空機、原子力発電、すべてそうなんだろと。

 これはそのとおりだと思います。
 ただし、原発を例にとれば、十二分の安全対策が取られているということが大前提になります。
 安全対策が全くとられていない原発の建設は、付近住民に対する殺人未遂と評価することすら可能だと思います。

 ウィニーもその機能面において著作権侵害に対する配慮がもう少しあったら立件されなかったのではないでしょうか。

No.39 モトケン先生

他の方のコメントについても、車も罪に問え、という意図ではないと思います。

 常識的に罪にならないケースと判決で罪とされたケースの決定的・本質的な違
いは何なのか?

 ということで、車の例があげられているので、「常識的に罪に問われない」ところをどうこう言っているつもりではありません。

 ソフトの開発における「国民的常識」が成立するためにも、上のケースの違いが理解されることが必要だと思いますが。
 

No.34 bgさま
ご紹介のITMedia(白田秀彰氏)の記事を読みました。
核心をついていると感じました。判決内容についても、判決についての周囲の反応についても。
白田氏の新書も未読だったのでさっそく買ってみようかと思います。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4797334673

記事中で一点、個人的に疑問に思った点にコメントしてみます。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0612/17/news002_2.html

 本件では、金子氏が個別具体的な著作権侵害について認識していなかったとしても、自らのソフトウェアが著作権侵害行為に使われていると認識していれば幇助になる、としている。これは「概括的故意」──たとえば多数の人がいるところで爆弾を投げ込めば、誰がいつとは特定しないにしても誰かが死ぬだろうというような、抽象的な故意のことを言う──と似た、「概括的な幇助の故意」ということになるだろう。いつ、どこで、誰が、何をということは知らないが著作権侵害が行われていることは認識していたはずだ、と裁判所は考えた。これは、従来の幇助の故意をより抽象的な水準でも認めたことになる。この拡大が、刑事裁判における謙抑の原則と調和する範囲にあるかどうかが問題になるだろう。

疑問があるのは、太字部分です。
概括的故意については、私も「群衆にマシンガン」という例で言及しましたが、
同じ理屈を幇助に適用するのは、概念を「非謙抑的に」拡張したもの(ではないか)という意見は、私の理解とは異なります。

不特定多数が対象だから概括的でも故意あり、という文脈(※)での「概括的故意」が許容されるのは、他者の法益を侵害する程度が「個に対する確定的故意」よりも飛躍的に大きくなるからだと理解しています。
つまり、その客観的な行為自体、違法性が非常に強く、そのような行為に出ようとする行為者の主観も、非常に悪質だといえる。

これは、正犯であろうが共犯(教唆犯、幇助犯)であろうが、統一的に解釈適用してなんら問題はないと思います。
本件の幇助にあてはめれば、
「違法コピーをしたがっている特定の個人に対して違法コピーを容易にするソフトを作成して提供してやるだけという場合と比較して、違法コピーをしたがっている不特定多数のユーザーにばらまく場合では、後者のほうが著作権が侵害される危険性・程度が飛躍的に高まる」
ということだと思います。

こういう事例に対して「故意」を認めることは、謙抑性の原則とむしろ整合的であろうと考えます。

白田氏の言われる「従来の幇助の故意」が、幇助に関する過去の判例はそのような概括的故意を認めていなかった、という意味合いで使われているのだとしたら、ピンクチラシ(パンフ)を作成した印刷業者に売春防止法違反幇助が認められた(当然、故意を肯定)例があるので、説得力が弱いと思います(東京地裁昭和63.4.18判決・判例タイムズ663号269頁)。


(※)「概括的故意」は別のケースの考察でも使われる概念なのですが、説明省略

No.38 カクテルさん
なるほど、あなたの考え方は分かりましたが、少なくとも、それは法律解釈としては使えないと思います。
あなた個人がそう考えるのは別に止めませんが、スポーツカーの販売会社を告発して、仮に起訴までいったとしても、法廷で幇助犯は認められないでしょう。
それだけです。

この複雑多様化した社会においては、正犯においても、「保護法益から構成要件を解釈することによって処罰範囲を限定でき」るとはいいきれません。何らかの形で行為態様の判断が関わります(完全な結果無価値という説がないのと同じ)。
そして、行為を評価するには、それが犯罪という社会的な行為ならば、社会における意味というものも考えなければ正しい評価は出来ないでしょう。

>それ自体は価値中立であるが,犯罪的な使い方に使用されること多いことを認識認容して作成した場合にも「幇助」にあたると判断するのであれば,その判断はAと言う犯罪にもBと言う犯罪にも同じ判断をしなければならないはず

私の目からは、その基準でもってウィニーとスポーツカーを同じというのはアバウトなあてはめに見えます。
「そのまま販売して,スピード違反を容易にさせた」という認定がアバウト。

>ウイニーの作者の立場に立って,高性能の車の制作者が処罰されないのは,車社会という現実があるからだと言われて納得できますか?

ウイニーの作者であれば、何を言われても納得しないと思います。
作者の立場に立つ必要はありません。
一般国民の立場で納得できればいいと思います。
で、「一般」って何だ、とか言われたら、もうお手上げです。
ここのコメント欄でも、みなさんがいろいろ「ふつー」(常識)の説明を尽くしてくれています。
でも、完全に説得できる説明はきっと出来ないでしょう。
ふつーって、何?というのは、もう永遠に答えは出ないと思います。
ひらたくいえば、カクテルさんは、「あなたってふつーじゃない」と言われて憤っているように見えます。


>私は,ソフト開発に際しても,別個の法的規制の枠をはめるしかないのではないかと思います。

その方がいろいろ安心であることは確かだと思います。
割とふつーにふつーじゃない人っていると思うからです。

No.38 カクテルさま

>そして,それ自体は価値中立であるが,犯罪的な使い方に使用されること多いことを認識認容して作成した場合にも「幇助」にあたると判断するのであれば,その判断はAと言う犯罪にもBと言う犯罪にも同じ判断をしなければならないはずです。

今回、幇助行為は「作成」なのでしょうか。
「公開」がキモではないのでしょうか。
判決要旨を読む限り、私はそう理解しているのですが。

今回の金子被告の行為は、作成と配布が同一人物になってしまっているので両者を一緒に論じている見解も多いように思いますが、プログラム開発と、不特定多数への提供には、質的な差があるように思います。

自動車に当てはめるなら、幇助に問われる現実的な可能性があるのは、メーカーではなくディーラーだろうと思います。


> 考えても見てください。ウイニーの作者の立場に立って,高性能の車の制作者が処罰されないのは,車社会という現実があるからだと言われて納得できますか?

こういう「自分の常識を疑わずに他者も共有していることを前提とする」ような意見が、批判されているのではないでしょうか(No.34 bgさまをダシにしてしまって恐縮ですが)。
ご自身が納得できない理由を説明しなければ、常識を異にする他者にとっては何をおっしゃりたいのかが理解できません。

ちなみに、「車社会という現実があるからだ」というだけの雑な説明を誰もしていないとは思いますが、適宜不足を補った上でであれば、私は納得します。

「司法修習を20年以上前に終えた」と書かれ、現役法曹であることを示唆されている方(疑っているわけではないですが、明言されていもいないようですので)の発言として、カクテルさまの一連の物言いは、感情に走りすぎていて、少なくとも私には説得力がありません。
「余裕の無さ」を感じてしまいます。

>No.32 カクテルさん

>社会的な事実を理由に処罰されたり,処罰されなかったりするのはおかしいと思います。何故なら,刑法yの「幇助」に当たるか否かの解釈だからです。刑法の最も重要な機能の一つは予測可能性です形式論理で「幇助」に当たる否かは決せられるべきものです。その上で,社会的に当罰性のあるものとそうでないものを形式論理で区別できないのなら,いずれも処罰すべきではないのです。それが,刑法の謙抑性だと思います。

とのことですが、カクテルさんは医療過誤訴訟に関するエントリをお読みになりましたでしょうか。
 過失犯も幇助犯と同様開かれた構成要件の犯罪です。
 そして医療側から、一般的な過失犯の形式論理を医療の現場に適用することに対して強い批判が述べられています。
 この点についてはどうお考えでしょうか?

>形式論理で区別できないのなら

とおっしゃいますが、検事を10年以上やってきた経験から言わせていただければ、「どの犯罪も形式論理で区別できるならこれほど楽なことはない。」ということです。

>いいえその必要はありません。日本で認められている最高速度を基準にすればそれでよいのです。

 これはなぜですか?
 形式論理に従った場合、制限速度60キロ超過幇助と同100キロ超過幇助を区別することができるのですか?
 カクテルさんがこの場合に適用した形式論理というのはどのようなものなのでしょう。

>速度制限にあわせて規制できる手段がない以上,法定の最高速度が基準とならざるを得ません。

 これが形式論理ですか。
 「速度制限にあわせて規制できる手段がない」というのは社会的制約ではありませんか。
 速度制限にあわせて規制できる手段は技術的には可能だと思います。
 ただし、莫大な費用がかかると思います。
 だから社会的制約だと言いたいわけです。

No.43 白片吟K氏 さん

 私が普通かどうかは別にして,朝日新聞も同じ疑問を持っているのです。同じような批判をしている論者が大勢います。あなたの普通が他の人の普通と違う場合のあることも忘れないでください。司法の役割として,少数者の利益を守るという役割のあることも忘れないでください。

>No.46 カクテルさん

 確認ですが

 カクテルさんは、高性能車の開発者を速度違反幇助で処罰すべしとお考えなのでしょうか。
 そのように読めますのでさらに質問しますが、

 ウィニーの開発者が処罰されるのであれば、高性能車の開発者も処罰されるべきである。

とお考えなのか

 ウィニー事件の発生の有無にかかわらず、高性能車の開発者は処罰されるべきである、今まで処罰されなかったことがおかしい。

とお考えなのか、どちらですか?

 なお、私は高性能車の開発者は処罰されるべきではない、と考えているのですが、この考えは高性能車の開発者は処罰されるべきであるという考えより「謙抑的」であると思っています。

 また、私も白田秀彰氏の見解に共感するところが多いです。

 ところで

>司法の役割として,少数者の利益を守るという役割のあることも忘れないでください。

 これはどういう意味でしょう?
 いままでの議論の文脈からして、何をいわんとされているのか理解できません。

>モトケン様
>>No.31 場末の開業医さん

>>「未必の故意」、「リーガルマインド」、まさに馬鹿の壁というやつを実感。(^^;

>これはどういう意味でしょうか?
 意味によっては聞き捨てならないお言葉になりますが。

つまり私の能力では理解するに壁に突き当たっている、という意味で申し上げたまでです。ほかに他意はありません。言葉足らずで申し訳ありません。慎んでお詫び申し上げます。

>場末の開業医さん

 了解しました。
 私の一方的深読みだったようです。
 私のほうこそ申し訳ありませんでした m(_ _)m

 医療崩壊エントリで私が感じていることと似たような状況かと(^^;

養老の バカの壁 を実際に読んだ人には注釈なしで通じるのでしょうけど、誤解を招きやすい表現であることは間違いないですよね。。。

(今回、お二方どちらにも非はないと思いますが)

>fuka_fuka さん

 頭が議論モードになっていましたので、深読みしすぎてしまいました。

>養老の バカの壁 を実際に読んだ人には注釈なしで通じるのでしょうけど、

 読んでない私に非があるということで(^^;;;

No.29 Forsterstrasse さんのコメント より
> Gnutellaも、本当の発信者・受信者を隠す機能を売りにしていました。
> あのソフトは、バケツリレー式にファイルを参加者間で受け渡します。

それは嘘です。Gnutellaは検索をバケツリレーにするだけで、ファイルの受け渡しは、公開者から直接通信での取得です。

> このソフトが開発された直後のインタビューでは。「政府に抵抗する権利」
> を唱える米国人らしい論理だと思いながら読んだ記憶があります。

それはFreenetの話を勘違いしているのでは?
そして、WinnyはFreenetをヒントに効率化したものです。

オフトピ気味で恐縮ですが。
>>No.36 売れない経営コンサルタント さん

> ウィニーとは、どんなソフトですか?
WikipediaのWinnyの項を参照してください。

> Winny対策ソフト
発売はされました。
しかし、ウィルス対策ソフトと違ってこれはエンドユーザーには関係のないソフトです。
ウィルス対策ソフトと違い、Winny対策ソフトを入れてもユーザーの利益向上にはならないからです。
(Winnyネットワークを悪用するウィルスもありますが、それはウィルス対策ソフトで対策できるので)
Winnyの使用で直接的な損害を被るものはプロバイダなどの中継サーバで(Winnyのトラフィックは膨大で常にプロバイダの回線を圧迫しています)、プロバイダや中継サーバの一部には対策ソフトも売れ、効果もあったようです。
しかしこの対策ソフトが通信の秘密を侵していると総務省から指摘され、抜本的な対策ソフトは使われなくなりました。

なお、このWinny対策ソフトはその後無料版が配布されました。企業などの社内ネットワークでは今も使われていると思います

私は開発者は著作権法違反の物が流れることを理解していたと思いますし、この判決もまあ妥当だと思います。ただwinnyを紹介していた雑誌を出版していた会社のほうが罪は重いと思っています。開発者はそれで利益を得ていないのに対して出版社は違法行為を助長して利益を得ているからです。出版社が問題視されないことに対して違和感を持っています。それともTVや出版社は表現の自由の名の下に特権でも持っているのでしょうか?
新聞は公務員に対して機密を聞き出しても許される現状は国家公務員法違反の幇助を認めているようなものだと思います。金を渡して他人に違法行為をさせることを認めている現状は正気の沙汰とも思えません。

私はwinnyを紹介していた出版社がすごく不快です。

話の腰を折るようで申し訳ないですが、本文の以下の記述は本当ですか?
道路標識を見逃して制限速度が法廷制限速度未満であることを見落としていた場合は、速度違反の罪には問われないのでしょうか?(見落としの罪はあるにしても)
>運転者に速度違反の罪が成立するためには、運転者がその道路の制限速度を認識し(例えば時速60キロであること)、敢えて制限速度を超えるまでアクセルを踏み続けて加速するということが必要です。

また、Winnyでは送信者が特定できないことが前提とした議論があるようですが、特定が困難なだけで京都府警は特定できる技術を開発したと発表していましたし、実際に逮捕もしています。(自動車でオービス逃れのためにナンバーを隠している方がよっぽど特定困難かと。)

私はwinnyを紹介していた出版社がすごく不快なのと同様に、自動車メーカーが罪に問われないのが不快です。そして、自動車メーカーが罪に問われない理由は、winnyを紹介していた出版社が罪に問われないのと同じだったりするのでしょうか。

自動車が制限速度違反をできるように作られていて、それを社会が許容しているのは以上だと思います。自動車に制限速度違反ができないような機能を付けたとしても社会的損失は少ない、むしろ全体として利益になるのではないでしょうか。
そういう点からすれば、自動車が160km/hも出せるような車が販売されており、警察や司法がそれを容認、放置している現状はサボタージュでしかないと思います。

皆さんの議論を興味深く読まさせて頂きました。
個人的には、鋭い議論をされている方がいらっしゃって、私も色々とコメントしたいのですが、ちょっと時間的についていけません。

そこで、モトケン様に質問なのですが、モトケン様のお考えでは、マスコミ等で発表されている判決要旨から明らかになっている「著作権侵害の幇助が成立するか否かという裁判所の判断の枠組み(判断基準)」は、適切と評価されているのでしょうか、それとも不適切と評価されているのでしょうか。

また、適切であると評価している場合、Winnyというファイル交換ソフトについて本件の被告が行った行為についてのみ、適切であると評価しているのか、それとも、全ての幇助行為について利用可能な適切な判断基準であると評価しているのでしょうか。

仮に、全ての幇助行為について利用可能な適切な判断基準であるとは評価されていない場合、今回の判断基準が利用されるのが適切な事件と不適切な事件の判別基準はどのようなものになるのでしょうか。

以上、ご教示宜しくお願いします。

>判決批判のために、高性能車の開発の例を持ち出すのは失当だと言っているわけです。

べつに失当ではないと思いますよ。

>じゃあウィニーも同じじゃないのか、という意見もあると思いますが、違うというのが私見です。

あくまでも私見ですよね。
それはわかりますが、この前のエントリで「幇助犯の無理解」などと私見に基づいて述べられたはそれこそ失当だと思います。
モトケン先生は、高性能車の開発の事例で幇助の成立要件にあてはめて検討されてますが、それはwinnyの件でも同様にあてはめ可能であり幇助ではないという結論を導き出すことが可能です。
それだから私は、故意論でこのwinnyと高性能車の開発を明確に区別することはできないと思うのです。

winnyで幇助犯が成立し、高性能車の開発で成立しないとの見解をもたれることは結構なことですが、それと高性能者の開発について幇助犯が成立すると考えること自体愚かなことみたいに書くことは別問題です。

>しかしそもそもこのような論理で判決を批判しても説得力があると思えません。

ということで、この朝日の「論理」自体は間違っていません。
説得力の有る無しは事実評価の問題です。

>No.56 Justin さん

>マスコミ等で発表されている判決要旨から明らかになっている「著作権侵害の幇助が成立するか否かという裁判所の判断の枠組み(判断基準)」は、適切と評価されているのでしょうか、それとも不適切と評価されているのでしょうか。

 まさしくこの問題こそがウィニー判決について議論されるべき問題であり、高性能車の開発・販売が幇助になるかどうかなどという問題は朝日の社説が持ち出したので本来の議論に悪影響を与えかねないと感じたことから私が噛み付いたにすぎない問題です。

 ウィニー判決についての議論は、判決の原文を読んでから考えたいと思っているところです。
 報道ではごく簡単な要旨が報じられていますが、どのような事実認定に基づいて何をどう判断しているのかを確認したいのです。
 今の時点でネットの所在を確認していませんので、ご存知の方がおられましたら教えていただけると助かります。 

 本来、刑事裁判は、当該起訴事実について被告人が有罪である無罪であるかを判断すれば足りるという考えもあろうかと思いますが、特に本件のようなリーディングケースにおいては、今後の予測可能性のために判決において一般的な解釈基準を述べるべきだと思います。

 この点を正面から指摘されているのが落合弁護士のブログです。

 報道を読んだ限りの単なる印象では、八方美人的な判決だな、と思っています。

 判決については、別エントリで私も正面から考えてみたいと思っています。

>No.57 kenji47 さん

 法律の議論は、講学上の議論であればどんな結論を導き出すことも可能です。
 どんな結論を導き出す説も考案可能だと言い換えることができます。

 しかし実務は現実と実際に発生した事実を前提とする議論です。
 結論の妥当性は重要です。

 そして、形式論理で判断すべきであるという論理は実務ではとりえません。

 どうもこのエントリでは、高性能車の開発が速度違反幇助になるという意見が強く述べられているのですが、ちょっと不思議です。

 高性能車の開発は処罰されていないのだから、ウイニーの開発・公開も処罰されるべきではない、というのであればまだ理解できるのですが。

モトケン様
早速のご返答ありがとうございます。

> 報道ではごく簡単な要旨が報じられていますが、どのような事実認定に基づいて何をどう判断しているのかを確認したいのです。

確かに、おっしゃるとおりですね。

> 今後の予測可能性のために判決において一般的な解釈基準を述べるべきだと思います。

この点は、私も今回の判決に対して、是非そうあって欲しいと願っています。
現時点でマスコミが報道している判決要旨からだと、コンプライアンス重視の昨今の情勢下においては、私の知り得る限りでも中止せざるを得ない、または仕様を変更せざるを得ないビジネスがいくつかあります。

>  判決については、別エントリで私も正面から考えてみたいと思っています。

そうですね。是非、その際には、今回の判決の判断の枠組み(判断基準)の当否や認定された事実から有罪と判断することの妥当性について、改めて議論させて下さい。

私のコメントが久しぶりであったにもかかわらず、ご回答ありがとうございました。
改めてお礼申し上げます。

>aoi さん

 私の記憶では速度違反の罪は故意犯です。
 過失犯は含まなかったと思います(ちょっと自信が?ですが^^;)
 故意犯なら上記の説明になります。

>警察や司法がそれを容認、放置している現状はサボタージュでしかないと思います。

 警察や検察はあまりでしゃばらないほうが世のため人のためというのが刑事司法の謙抑性という考え方です。

 車の開発者も処罰するとなりますと、同程度に違法行為の原因となりうる行為はいっぱいあると思われ、それらの行為がすべて処罰対象になりうるということになってしまいそうです。

 で、ウイニーの開発者処罰は司法のでしゃばりすぎかどうか、といことが問題になります。

> No.59 モトケン様へ
すみません、モトケン様のコメントを読んで、少し気がついたことを。

> 結論の妥当性は重要です。

企業において、結論の妥当性を前面に押し出して関連部署を説得するのは、非常に難しいと思います。理由は、部門毎に負っている責任は異なり、従って部門毎の価値観も、結論の妥当性も異なるからです。

そうすると、後は社内力学か、もう少しまともな企業であればロジック(どちらかというと形式論理)の勝負になることが多いと思います。

> どうもこのエントリでは、高性能車の開発が速度違反幇助になるという意見が強く述べられているのですが、ちょっと不思議です。

おそらく、社内で議論をすれば、このような意見が出ることは容易に想像でき、これを形式論理でクリアできなければ法務部門は社内議論には負ける気がします(少なくとも私の職場では)。
現場サイドに形式論理で勝てない法務部門なんて、ほとんど存在意義がなくなってしまいます。

というのも、企業が紛争を裁判で解決した際に、通常敗訴当事者は負けると思って訴訟しているわけではなく、その企業における実務感覚からは至極全うな主張をしているケースがほとんどです。
それでも、いずれか一方は負けるわけで、そんな時は余程社内の意見調整が出来ていないケースを別にすれば、「裁判官は実務を知らない!」と非難して終わるわけで・・・(笑)。
裁判官ですら実務を知らないと一喝されてしまうなか、企業法務部門の実務論の重みがどんなものかは簡単に想像がつくと思います。

というわけで、社内のパワーゲームに巻き込まれれば、「高性能車の開発が速度違反の幇助犯になる」という意見が強く述べられるは、全然不思議なことではないと思った次第です。

>No.62 Justin さん

 ということは、会社の法務部門で高性能車の開発が速度違反幇助になるかならないかという議論が生じた場合は(どんな場合に高性能車の開発が速度違反幇助になるという議論が生じるのかよくわかりませんが)、積極説が勝つ場合のほうが多いということでしょうか?

 なんとなく自分の常識に自信がなくなってきました(^^;

 なお、ウィニーが幇助になるという判断の基礎には、単にウィニーが「高性能」であるからだけではないと思うのですが、この点は判決文を全部読んでみないとわかりません。

 違法行為の可能性を提供することと、犯罪を幇助することとは本質的に違う部分があると直感しています。
 この直感を理論化しなければいけないと考えていますが、今のところ漠然としています。

 たぶん、幇助と言えるためには可能性の提供より、何らかの意味で積極性が必要だと思っています。

素人の第一印象だと、結局日本は法治国家でも放置国家でもなく情治国家なのだとかいう戯れ言が思い浮かびました(^^;)

人それぞれ、と言うよりも、業界それぞれで違う「常識」なんてものを、「法曹業界」という或る意味偏った「業界」の「常識」で判断されるのは怖いなぁ、と言う感覚が(^^;)
法律からロジックで判断されるならいいのですが……。

と言うか、法律を厳密に適用したら、多分日本人のほとんどは犯罪者になっちゃいますし(道交法違反とか、銃刀法違反とか)、捕まった時点で運(と政治力のなさ)が悪かったねって話に……。

これまでは警察や検察がaoi様曰くの「サボタージュ」をしていたおかげでなんとか回っていたのが、世論の変化かマスコミの煽りか、警察や検察が頑張りすぎるようになったので、何だか納得がいかないって事例が増えている、って話をどこかで見かけましたが(どこでしたっけ……すみません)、自動車会社が逮捕されないのは単にそこまで手が回らないだけのことなんじゃないかなーと、素人目には見えてしまいます。(それを謙抑性というのでしたっけ)

いえ、常識的には自動車製造が犯罪だなんてとんでもないと思うのですが、法律って時々その「常識的」とはほど遠い感覚のことが起こるからなーと、素人感覚では思うことがあるので、あんまり「常識的」があてにならないと言う話なんですが……う〜ん。

 つっこまれてイラつくのであれば、「社会的事実関係」だの「リーガルマインド」だの、法律家が素人を煙に巻くときに使う言葉をお控えになられるのがよろしいかと。

>jack さん

>いえ、常識的には自動車製造が犯罪だなんてとんでもないと思うのですが、

 この感覚は大事だと思います。

 裁判官は常識がない、という批判をよく聞きます。
 これは裁判官に「常識」を求める人が多いからじゃないでしょうか。

 なお、私は、高性能車の開発が速度違反幇助にあたると考えるのは非常識だといいましたが、ウィニーについては常識では結論が出ないということも言っています。

 常識がないまたは常識が通用しない領域では、条文とロジックと緻密な事実の分析と評価によって論理的整合性と具体的妥当性と追求することになります。

>自動車会社が逮捕されないのは単にそこまで手が回らないだけのことなんじゃないかなーと、素人目には見えてしまいます。(それを謙抑性というのでしたっけ)

 手が回らないことと謙抑性はまったく別です。

 手を出そうと思えば出すことができそうだけど出さない、というのが謙抑性です。
 刑事司法の自制です。
 

>zzz さん

 私がカクテルさんにいらついたのは、カクテルさんが20年近くの実務経験がある法曹であると思わせることを言われたからです。

 つまりプロに対してのいらつきです。

 素人相手に申し上げたわけではありません。

 「社会的事実関係」や「リーガルマインド」という言葉を「素人を煙に巻くときに使う言葉」とお考えであれば、このブログを読んでも益になることはないでしょう。

えええっと、いえ、私は、どちらかというと自分の「常識」には自信がないです。
むしろ、法律が「常識」を持ち出さなきゃちゃんと機能しないなんて、怖いことだなあと思うのです。
裁判官に常識がなくて非難されるのは、「裁判官に常識がないこと」じゃなくて、「常識のない裁判官でもまともな判決を出せる法律やシステムがないこと」のほうが問題なんじゃないかと、そういう感覚なので……。

>モトケンさん
>どうもこのエントリでは、高性能車の開発が速度違反幇助になるという
>意見が強く述べられているのですが、ちょっと不思議です。

まあ、普通に考えれば高性能であろうが低性能であろうが速度違反を起こせるわけですしね。モトケンさんの疑問ももっともかと思います。

例えとしては、車に100キロ制限のスピードリミッターが義務づけられた社会に置いて、リミッター解除の装置をばらまいたものが速度違反幇助になるか否かという例えでしょうか。winny判決批判の論理としては、「winnyが駄目だと言うのなら、車にスピードリミッターを義務づけるべきじゃないか」と主張した方がいいような気がします。。


>jack さん
法律と現実に齟齬が生じている場合、現実に合わせて法改正を行うべきなのですが、日本の場合は他人に頼り切っている感じがしますね。自分たちで法律を改正する努力をしないで「法律は変わるわけはないのだから、司法が現実にあわせるべきだ」とか「時代遅れの法律を放置しておいたのは官僚だから、官僚が現実に合わせた法律を作るべきだ」とか何とか。

jackさんも仰っているように常識は業界それぞれで違うものだとは思いますが、何が常識かを世間に訴えるのはあくまでその業界の方々であって、官僚や司法に頼るべきではないと考えます。

 法律と常識というエントリをたてると面白いかも

 今立てると収拾がつかなくなりそうなので、ちょっと検討します。

>jack さん
>法律が「常識」を持ち出さなきゃちゃんと機能しないなんて

常識を持ち出さないと世論から「裁判官は常識を知らない」と批判されるだけの話かと思います。裁判官は基本的に法律に基づいて判決を出すと思いますが、時代遅れな法律に基づくと当然時代遅れな判決が出ます。

さて、その時代遅れな判決は誰の責任でしょうか。裁判官個人の責任なのか、法律の責任なのか。私個人的には法律に責任があると思いますが、恐らく少数意見でしょう。大多数は「常識を知らない裁判官」に責任があると考えるのではないでしょうか。


>「常識のない裁判官でもまともな判決を出せる法律やシステムがないこと」

根本的な疑問として、まともな判決とは何なのかがありますね。裁判は白黒付けるものですから、双方共に納得する判決なんて基本的にはないはずです。つまり、こちらにとってまともな判決は相手にとってはまともではないし、相手にとってまともな判決はこちらにとってまともではないと言う事があるかと思います。

Justin さんのおっしゃる「会社の法務部門」での常識、と似たような感覚は、最近の弁護士にも散見されるように思います。
私は、弁護士というのは、紛争の解決をするのが仕事だと思っていたのですが、どう考えても現実的でない要求を声高に主張しまくった挙げ句、当然負ける、という展開をふつーにやる方がいらっしゃいます。
多分、依頼者の言いなりの主張をやって、結果、「裁判官は分かってない」と文句を言って、お金はちゃんといただく、というお仕事のやり方なんだと思われます。
他人の商売のやり方にけちを付けるつもりはありませんが、解決できるものが解決できない結果になるのは、何だかなー、と思います。

企業の法務部門も、自分たちを変えるよりも、愚痴を言う方が楽なのでしょう。
別に訴訟に勝たなくては給料もらえなくなるわけではないし。

特命の臆病者様

誤り訂正ありがとうございました。昔の話なので記憶が混乱したようです。
やっぱりプロトコル読んでないものは忘れるな、、、

モトケン先生

>しかし実務は現実と実際に発生した事実を前提とする議論です。
 結論の妥当性は重要です。


だから、私は最初から「社会常識で決まると思う」と言ってるわけです。


>どうもこのエントリでは、高性能車の開発が速度違反幇助になるという意見が強く述べられているのですが、ちょっと不思議です。

 高性能車の開発は処罰されていないのだから、ウイニーの開発・公開も処罰されるべきではない、というのであればまだ理解できるのですが。


私個人は、高性能車の開発を速度違反幇助にすべしなどとは一言も言っていません。
winny事件との同質性を指摘しているのみです。


>しょっぱなから、判決というか幇助犯というものに対する無理解を示す書き出しです。
 どう無理解かをわかりやすく説明するのは大変なんですが、興味のある方はとりあえず、別エントリの私のコメントを読んでみてください。

この「幇助犯というものに対する無理解」というコメントに疑問をいだいたのです。
こちらのエントリを読み進めるにつれて、結局のところ、winny事件と速度違反事例との根本的な違いは見当たらず、故意論でも区別できず、常識による判断に頼るしかないというような話になっていませんか?
そうだとしたら、いったい何が「無理解」だったのでしょうか?
両事例の同質性に目を向けて幇助犯成否の要件や限界を考えたほうがよいと思いますが。

winny判決に関しては、悪意を持ってないし、匿名性の有効性も認めているのに、幇助として扱ったというのは確かに意味がわからないというか、論理的に繋がらない感じですね。この辺りは判決文を読んでみないとわからないのでしょうが、原告側も被告側も困った判決だとは思います。上に書いたこととは矛盾しますが、この判決に限ってはそのように思います。あるいは、原告側も被告側も困らないけど、世の中の大多数が困る判決なのかも知れません。

白黒付けてないまま、黒と判定したような感じで、違和感はどうしても残ってしまいます。

考え方も多様でとても勉強になります、法律と常識がエントリーに立ったら際限なくコメントが続きそうです。
流れから遅れてますが自動車に補足して置きますと。

高速道路の100k制限は乗用車に対してで、貨物車は80k、大型貨物のリミッターは90k、形式論で行けばこのリミッターは速度違反幇助です。

また記憶では、速度規制は追い越し中の車両には適用されないはずです。

そして100kの決められた根拠は、それ以上の速度が必要無い、とか特別な問題が起きるから、ではなく高速道路の設計速度が100kとされただけのことです。

設計速度は建設当時の車両安定性などを考慮してカーブの半径やカントなどを想定したものなので、貨物車と速度が違うのも一理有り。また最近の乗用車の安定性からすれば120k以上でも実用的な不都合は無いと言えるでしょう。

むしろ100kと言う制限(目標)値が有るために、国内車メーカーはその範囲で壊れず快適な車作りに励んで居る様で、欧州車とのコストや操縦性の違いを生じる要素になって居り。乗り味を求めて国産の欧州仕様車を逆輸入する人も居ます。

形式だけで行けば自動車メーカーを訴える訴訟が可能と判断できるかもしれませんが、以上の様な事情に踏み込めばメーカーの責任は問えません。

一方ウィニーは、通常では出来ない不法行為を可能にする手段、との違いが有ります。
形式論は重要ですが実態を反映しないなら説得力は無い、形式だけで同列に論じることは為にする議論と思います。

報道の判決要旨は、報道向けに配布された判決骨子とは、多少ニュアンスが異なる、と言う感想をどこまで見たのですが。ソースが分からなくなってしまいました。
判決文はまだ被告にも交付されてないそうです。
http://openlaw.g.hatena.ne.jp/s-yamane/20061213

余談ですが。
形式論理という言葉で、クルト・ゲーデルの「合衆国憲法には矛盾がある」という言葉を思い出しました。
主権在民に関して、「国民が国民を統治するとは矛盾である」だったかな?
(すみません、本当に余談です)

「私の視点、私の感覚、私の言葉で参加します。」
(法務省選定 裁判員制度キャッチフレーズ最優秀賞)

つまり一般人の「常識」と「言葉」(そのまんま!)で裁判に参加しましょう、ってことですよね?

となると、今回の裁判が、裁判員制度の下で行われていたら・・・、どんな判決が出たでしょうか。
本件は裁判員制度対象の重大事件ではないことは承知していますが。上記キャッチフレーズを見つけて、思わず想像してしまいました。

本ブログのコメンター諸氏が裁判員であったら、担当裁判官殿も苦労されるでしょうね。

>モトケン様
>法律と常識というエントリをたてると面白いかも

一般人が法廷の向こう側に立たなければならない時代には、不可欠な議論かと思います。期待しております。

さて、今回の判決をマスコミ、ネットなどで聞いた限りでは、有罪の根拠として幇助行為の有無ではなく、(1)幇助の意図の有無および(2)Winny利用者における著作権侵害行為の割合が高いこと、を挙げていたように思われました。

(判決文を読んでないし、読み解く能力もおそらくないので、そう仮定することにして以下、続けます。)

この場合、個人的に懸念するのは以下の2点です。

(1) 「意図」については、聞いている範囲では、戯言とも読めるメールや掲示板の書き込みを根拠にしているようですが、内面的な問題だけにもっと直接的に著作権侵害を示唆した文書が必要ではないかと思います。
もちろん、内心で舌を出している犯罪者は許せませんが、一方で、警察・検察の恣意的摘発(ないとは言い切れないでしょう)に利用される危険性も無視できません。(モトケン様に対する皮肉の類ではありません。お気を悪くされないよう。)
現に、今回の摘発もWinnyによる内部情報漏洩に対する京都府警の意趣返し、といった風説も流れました。
(戯言に関しては、「共謀罪」論議の中でたとえ話として引き合いに出されますが、よく考えたら、著作権法も共謀罪の対象ですね。)

(2) 結果「おおいに犯罪に利用された」=有罪、といった論理は、犯罪幇助を(積極的に)意図していなかった開発者から見た場合、非常に理不尽に感じられます。(個人的な後悔、罪の意識等は別として)
自動車の例を引き合いに出される方々が懸念されているのは正にここではないかと思われます。
例えば、「速度超過による免停者の大半がスポーツカーを運転していた。」という調査結果がまとまったとします。そうしたら調査前には常識的に犯罪幇助には当たらないことになっていたスポーツカー開発者(メーカー)は一転して犯罪を幇助したことになってしまうのでしょうか?

長文・乱筆で失礼いたしました。

>しかし、ウィニーの公開が著作権法違反幇助に当たらないというのは起訴当時においても判決時においても常識とは言えません。

同様に、ウィニーの公開が著作権法違反幇助に当たるというのは起訴当時においても判決時においても常識とは言えません。

常識、常識、と言うのは馬鹿の壁代表です。常識は定義不能です。もう少し論理的にいけませんか?

モトケンさんの最初の文書を読んで、幇助容疑者の意図が重要視される、という話かと思ったんですが、コメント合戦を見てるとどうやら違うようですね。一度冷静になってほしく。

>あさん

>同様に、ウィニーの公開が著作権法違反幇助に当たるというのは起訴当時においても判決時においても常識とは言えません。

 そのとおりです。
 ウィニーの裁判では常識で結論を出すことはできません。

>TK さん

 事件の処理(裁判を含む)において、理屈はともかくとても取れない結論というのがあります。
 刑法の議論においても、結論の不当性の故に批判される学説があります。

 そういう場合を分かりやすく説明するために「常識」という言葉を使いましたが、誤解を招いたみたいです。

 理論的に説明する努力を放棄していいと考えているわけではありません。
 高性能車の開発については、それなりに説明しているつもりです。

 論旨をきちんと読んでいただければわかるはずなんですが、「常識」という言葉だけが目に飛び込んでくるみたいですね。

> 論旨をきちんと読んでいただければわかるはずなんですが、「常識」という言葉だけが目に飛び込んでくるみたいですね。

そうではありません。論旨は理解しているつもりです。批難対象が違う、と。
しかし、コメント欄でのあなたの論理の最終兵器は「常識だから」という流れが散見されます。だから冷静になれ!と

何で高性能車との対比に皆さん拘るのかが、私にはよく分かりません。判決が高性能車との対比で論じられていたわけでもなく、また高性能車のメーカーやディーラーによる速度違反幇助が社会問題化しているという話も、私の勉強不足のためか耳にしません。多分、私の幼い頃(3〜40年前)から制限速度を超えることができる自動車は販売していたような記憶がありますが。

今回の判決の批判が、高性能車との対比を使わなければ説明不能であるならば止むを得ないのかもしれませんが、そもそも他の事例と対比しなければ説明できないような論理は妥当性を欠くでしょう。

朝日の社説にしても、その後の文章展開からして、最初に自動車の話を持ち出す必要性は特になかったように思います。文章として「つかみ」にインパクトを持たせようとしたのでしょうが、社説にそんなものは必要ではないですし(ネタ的に結構インパクトがあるのだから)、それだけにしては選んだ事案がWINNYと特に関係はない自動車です。朝日だけあってイマイチよく分からんセンスですが。

ところで、100k以上で走れる車は速度違反を幇助するという考えが正しいとすれば、100kでしか走れない車も80k制限以下のところでの速度違反を幇助し、80kでしか走れない車も、60k制限以下のところでは速度違反を幇助する。60kでしか走れない車も40k以下や徐行のところでは速度違反を幇助することになる。そして徐行しかできない車は余り役には立たない、ということで、速度違反幇助論すなわち自動車不要論とお見受けしました。とすると、結構「自動車よ、この世からなくなっちまいな!!」というご意見の方が多いのか・・・。結構ドライブって楽しいですよ。

>TK さん

>しかし、コメント欄でのあなたの論理の最終兵器は「常識だから」という流れが散見されます。

 私の論理に限らず、「常識」は法律実務家の最終兵器です。
 常識という言葉が法律の議論に直接顔を出すことは少ないですが、同様の概念は重要な役割を果たしています。
 条理というのは裁判規範の一つです。
 刑事では罪刑法定主義がありますので人を処罰する方向で条理を直接根拠として使うことはできませんが、処罰しない方向なら制約はありません。
 刑法の違法性の議論では「社会的相当性」という概念が違法性の本質論として議論されています。

 また常識というのは具体的妥当性のことでもあります。

 同じ問題について、結論aを導く理論Aと結論bを導く理論Bとがあり、いずれも論理的整合性に優劣がない場合、結論aがより具体的妥当性があるならば理論Aを採用する理由になります。
 結論bが非常識と評価されるならば、理論Bを排斥する理由になります。

 誰か興奮してますか?

No.83 じじいさん
えー、我ながらすごく変なところに食いつくと思うのですが、

>文章として「つかみ」にインパクトを持たせようとしたのでしょうが、社説にそんなものは必要ではないですし(ネタ的に結構インパクトがあるのだから)

というのは、私としては、違うと思います。
不特定多数を相手とする表現には総て「つかみ」が必要です。
当然社説にも。
ネタ的にインパクトはありますが、それだけ、ウィニーについて書く記事も多いのですから、やはり独自の「つかみ」は必要です。

そして、多少幇助犯の理解がなくとも、みんなが読んでくれて、どっかのブログで「興奮」したやりとりをしてくれたのなら、もう、一般紙の社説としては、十分の「つかみ」になります。
したがって、社説としては、これで万々歳の出来なんじゃないでしょうか。
幇助犯の正しい理解よりも「つかみ」を優先する価値観は、法律家としては「なし」でも、新聞記者としては「あり」だと思います。

なお、「速度違反幇助論すなわち自動車不要論」は、このコメント欄で、反論もなされています。
日本で認められている最高速度を基準にすればそれでよいんだそうです。
・・・理由は読んでませんが。

こんなの見つけました。議論の仕方だそうです。

http://benli.cocolog-nifty.com/benli/2004/08/post_4.html

>なお、「速度違反幇助論すなわち自動車不要論」は、このコメント欄で、反論もなされています。

へっへっへっ、ばれましたか。急に進んじゃったので、めんどくさくなって途中を飛ばしちゃいました(^^)

>日本で認められている最高速度を基準にすればそれでよいんだそうです。
・・・理由は読んでませんが。

32番のカクテル様のコメントでしたっけ。一応理由も読んだんですけど、理屈が理解できませんでした(^^;

最高速度を基準にし、最高速度100kを超えることができるものを速度違反幇助とするならば、道路運送車両法に基づく保安基準で、特定の車両(大きいトラック)に速度抑制装置の取付けが義務付けられているのですが、そもそも最高速度80k制限の大型トラックに90kの速度抑制装置を取り付ける義務自体が速度違反幇助の奨励行為になるような気がします。

また、通常、法律で特定の車両にだけ速度抑制装置の取り付けが義務付けられている場合は、裏を返せばそれ以外の車両に速度抑制装置がなくても違法にはならないように思いますし、大型トラックの速度抑制装置義務付けの考え方から言うと、他の全ての車両にも構造的、もしくは機械的な速度抑制が必要なら保安基準に書かれていると思うのですが。保安基準に適合する車のほとんどが違法という論理も私の理解を超えています。

No.63 モトケン様のコメントへ

> ということは、会社の法務部門で高性能車の開発が速度違反幇助になるかならないかという議論が生じた場合は(どんな場合に高性能車の開発が速度違反幇助になるという議論が生じるのかよくわかりませんが)、積極説が勝つ場合のほうが多いということでしょうか?

まず、「どんな場合に高性能車の開発が速度違反幇助になるという議論が生じるのか」という点についてですが、法務部門としては、研究開発の現場から著作権侵害の幇助犯として処罰される可能性がある製品の開発をしたいとの相談を受けた場合に、研究開発部門への回答にあたり法務部門としては(通常朝日新聞の社説は読まれていると思われれますので)朝日新聞の社説にも配慮せざるを得ません。また、研究開発部門は技術者(いわゆる理系出身者)がほとんどであり、彼らは非常にロジカルです。
その結果、このような議論が行わると思います。

ここで、もし、形式論理に近い部分で「高性能車の開発(及び提供)とWinnyの開発(及び提供)の違い」について説得力ある議論が展開できなければ(ここが重要です!)、法務部門の中で積極説が勝つ場合は多いと思います。
というのも、研究開発の現場サイドとの議論の中で、単に「高性能車の開発(及び提供)とWinnyの開発(及び提供)の違いは社会的事実の違いである」と法務部門が主張したら、研究開発の現場サイドからは、人の命と著作権のどちらが重いのか?と問われて、あえなく撃沈です。以後、この議論において法務部門は信頼を失い、議論の表舞台から退場することになるのではないでしょうか?(ある企業が「社会的な便益が非常に高いので、年間1万人位の死者がでることは甘受すべきだ」と正面切って主張している場面を想像して頂ければ分かりやすいかと思います。)。
上のような議論が起こらなかったとしても、社会的事実の違いとなると、全く同一の事件などなく社会的事実はあれもこもれ違うと反論され、そうすると生のまま社会的事実を持ち出して、研究開発部門を説得することは難しいと思います。少なくとも法的に意味にある事実とそうでない事実を分ける判断基準の合理性と妥当性の説明が必要になると思います。

従って、形式論理に近い部分で、説得力ある議論を展開し、開発及び提供してもある犯罪行為の幇助犯が成立するかしないかを判断する基準を提供でき、かつ、「高性能車の開発(及び提供)とWinnyの開発(及び提供)の違い」をその基準で説明できれば、「高性能車の開発(及び提供)」に速度違反の幇助になるという結論には法務部門でもなりません。そして、現時点では、少なくとも私の周りではこの点について説得的な議論が未だ展開できていないと思います(私も思案中ですので、皆さんもし良い案がありましたらご教示頂きたいと思います。宜しくお願いします。)。

そうすると、結局(分ける基準を提示できなければ)、法務部門としては「高性能車の開発(及び提供)とWinnyの開発(及び提供)」は共に幇助犯が成立する、または共に幇助犯は成立しないのいずれかの判断になると思います。
そして、通常法務部門は、リスク回避のため「高性能車の開発(及び提供)とWinnyの開発(及び提供)は共に幇助犯が成立する。そして、一方が事件になり、他方が事件にならないのは理論的な部分ではなく、社会(警察・検察)の注目度もしくは著作権侵害は親告罪であり、著作権が強行に権利主張したから。だから、権利者の権利意識が高い著作権侵害の幇助となるような研究開発は止めたほうがいい」という説明になると思います。
これをもし常識という言葉で説明したならば、「誰かの常識、世間の非常識」などと揶揄され、きっと社内議論には勝てないと思います(もし仮に、法務部門が常識を持ち出し、それに研究開発部門、営業部門等の常識が一致することがほとんどであるという会社があったら、それはある意味羨ましいような、怖いような・・・。)。
そして、きっと、これが技術者が法律家に対して抱く、「不信感」というか「いらつき」の原因なのかもしれませんね。

> 違法行為の可能性を提供することと、犯罪を幇助することとは本質的に違う部分があると直感しています。この直感を理論化しなければいけないと考えていますが、今のところ漠然としています。

おっしゃるとおりだと思います。企業の法務部門もこの点を期待されているのだと思います。ここで、法務部門が精度の高い判断基準を研究開発部門に提供できれば、法務部門の社内での地位も上がるのに・・・。
頑張ります。

明らかに興奮してるよあんた。法律家が使ってるから何だい?
問題はそんな話じゃなく、それが思考停止だということだろうが。法律家の常識論が正しい事を前提に議論するなんて、議論する意味がなくなるよ。あんたの発想では。
論点ずらしも甚だしい。

私はメーカーの開発部門に勤務する技術者ですが、Justin さんのコメントには大変共感できます。メーカー内部の実情を上手に表現していると思います。

Winnyと自動車の違いを平易に説明することは難しいのでしょうが、これを技術者に理解させないとメーカーは萎縮します。
法曹が直接説明できないなら、メーカーの法務部員か弁理士に翻訳を依頼して下さい、彼らは技術者の言語を理解できますので。

No.85 白片吟K氏様のコメント へ

白片吟K氏様、ご無沙汰しております。

> 企業の法務部門も、自分たちを変えるよりも、愚痴を言う方が楽なのでしょう。

おっしゃるとおりだと思います。ただ、そんな法務部門だと、全く社内から相手にされなくなるという現実もあります。
というわけで、まともな法務部門であれば、自分たちの存在意義を証明するために必死です。

> 別に訴訟に勝たなくては給料もらえなくなるわけではないし。

これも基本的にはおっしゃるとおりだと思います。
ただ、会社がなくなるような違法行為を看過した場合や、巨額の損害賠償や営業停止・営業資格の剥奪という内容の訴訟であれば、実際問題として給料がもらえなくなることはありますが・・・。
それと、もうひとつ、法務部門が「絶対勝てるから訴訟をしましょう」と経営トップに進言するときは、自分の首をかけていると思います(少なくとも、私の会社では、法務部長ないし法務本部長が「絶対勝てるから訴訟をしましょう」と経営トップに進言し、その結果負ければ、左遷ではなく、おそらく首ですね。)。
だからといっては何ですが、法務部門は訴訟に持ち込むことを避けるのが通常だと思います。まぁ、もう少しオブラートに包んだ言い方をすれば、経済合理性の観点から訴訟は避けるべきだ、なんて言ってます。
そして、これが他部署から法務部門が疎まれる理由でもあり、少しやりきれない気がします(笑)。

また、弁護士から「絶対勝てるから訴訟をしましょう」と言われたら、たぶん、ほとんどの場合、その弁護士さんとのお付き合いはそれで終わりになることが多いでしょうね。

>Justin さん

些細な疑問で申し訳ありませんが

>人の命と著作権のどちらが重いのか?

人の命を重視しているような会社なら、最初から高性能車の開発を行わないと思うんですが。つまり、「速度違反幇助」や、高性能車によって死者が出る可能性等々を研究開発部門が認識しているような会社であれば、高性能車の開発をしたいという要望が出ないのではないかと思いますが。


>ある企業が「社会的な便益が非常に高いので、年間1万人位の死者がでることは
>甘受すべきだ」と正面切って主張している場面

車を作って、売る行為そのものが「年間1万人位の死者が出ることを甘受すべき」だと正面切って主張しているように思います。そして、自動車メーカーに対する表だった非難が出ない以上、社会も死者が出ることを甘受しているのかなと思います。

> 人の命を重視しているような会社なら、最初から高性能車の開発を行わない
> と 思うんですが。

自動車メーカーは人命を重視しています。乗員の安全のみならず、歩行者に与えるダメージを軽減させる工夫もしています。これらは顧客要求と一致するから(技術的には困難ですが)実施は容易です。
スピードに関しては、下げれば安全な事は自明ですが、顧客要求と相反するから(技術的には容易ですが)実施は困難なのです。

従来はメーカーが幇助罪に問われることは無かったと思いますので、顧客要求優先で商品企画が出来ました。幇助罪に問われるとなると、事情が変わります。

幇助罪を考慮して個人的意見を言えば、自動車メーカーが180km/hで作動するスピードリミッタを取り付けた時点で、180km/hまでの速度超過を幇助する故意があったと見なされても止むを得ないのではないか、と思います。つまり自動車工業会はスピードリミッタの取り付けで墓穴を掘ったので、幇助罪に問われても仕方がないと。

> 車を作って、売る行為そのものが「年間1万人位の死者が出ることを甘受
> すべき」だと正面切って主張しているように思います。

そんなことはありません。理由は上に書いた通り、安全性の向上に最大限の配慮をしていますし、事実死者は6000人程度に減少しています。

>Justin さん

 企業の法務部門としては、「高性能車の開発・販売は道路交通法違反として検挙される可能性がある」ということを前提にして議論するのでしょうか?

 議論される理由として朝日の社説が「運転手が速度違反をしたら、速く走れる車をつくった開発者も罰しなければならない。 そんな理屈が通らないのは常識だと思っていたが、ソフトウエアの開発をめぐってはそうではなかった。」と書いたことが原因なのでしょうか?

 もしそうなら、朝日の社説こそが萎縮効果の最大の原因ということになります。

 少なくとも法律家の大半は、「高性能車の開発・販売は道路交通法違反として検挙される可能性がある」なんてことは全く考えていません。
 私はそう確信しています。
 そして、国民の大多数の意識もそうだと思います。

 私はどうして「高性能車の開発・販売は道路交通法違反として検挙される可能性がある」ということが議論されるのか正直理解できません。
 そんなものは、答えが出ている問題です。

 以前から、「日本の道路はせいぜい時速100キロしか出せないのに、どうして150キロとか180キロ出せる車が必要なのか。」という意見はときどき新聞の投稿欄などで述べられてきました。
 しかし、高性能車を開発・販売したものは速度違反幇助で検挙すべし、という意見は聞いたことがありません。
 速度違反幇助に限らず処罰すべしという意見も聞いたことがありません。
 主張した人がいたかも知れませんが、少なくとも私の耳に聞こえるほど大きな声ではなかったのでしょう。

 速度違反幇助が問題になったのは、朝日の社説が書いたからではないでしょうか。
 あるいはそれより先に弁護団が主張して朝日がそれに乗っかったのかも知れませんが。

 朝日の社説がどうしても気になるというのでしたら仕方がありません。

 私としてはそれが理解できないと思うだけです。

 私が弁護士として高性能車の開発との絡みでアドバイスするならば、「高性能車の開発は罪に問われない、ということを前提に議論すべきです。あなたたちのやろうとしていることが高性能車の開発・販売と同じであれば検挙される心配はないでしょう。違うのであれば、どこがどう違うかによって結論か異なると思います。」と言うでしょう。

 そもそも、これまで検挙されたこともなく、またウィニー判決でも全く言及されておらず、今後も検挙される可能性があるとは思われない高性能車開発による速度違反幇助の可能性を、どうして考慮に入れて議論されなければならないのでしょう。

 高性能車の開発・販売に携わっている人が、「ウィニーが有罪になるなら、俺たちも危ないんじゃないか」と心配することは理解できます。

 しかし、ソフト開発に携わる人が、「高性能車の開発・販売が検挙される可能性があるから俺たちも危ないんじゃないか。」と心配することは理解できません。
 杞憂だと思います。

 そんな杞憂を生じさせた朝日の社説の罪は大きいと思います。

追記
 高性能車の開発者の心配も杞憂であることに変わりありません。

No.88 Justin さん
なるほど。とてもスッキリと納得できました。ありがとうございます。
これからの時代、法務部門は重要な役割を担っていくと思います(どちらかというと特許関連の話が多いと思いますが)。
今以上に躍進できるよう、頑張って下さい。

No.94 モトケンのコメント
速度違反と幇助の話が出た発端は朝日の社説ではなく、第1回公判の際の壇弁護士の発言だったと思います。

↓公判中での発言
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20040901
↓公判前のコメントでも
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20040829

私の記憶があやふやなのですが、金子氏が起訴された時のコメントでも仰っていたと思います(ソースが見つかりません。スミマセン)

当初はこういう方向から無罪を主張する訴訟戦術だったのかもしれません。

>生活習慣病予備軍さん
>そんなことはありません。理由は上に書いた通り、安全性の向上に
>最大限の配慮をしていますし、事実死者は6000人程度に減少しています。


自動車メーカーは本気で交通事故死者0を追求しているのでしょうか。私個人的には車は本質的に危険なものであるし、千人単位の交通事故死者は避けられない。コストをかければ確かに安全になると思いますが、0に近づこうとすればするほど莫大な費用が必要になるでしょう。問題は、社会が事故死者をどこまで許容するかだと思いますが、少なくとも1万人程度の死者数は許容しているようです。


メーカーはそのことがわかって車を売っているし、ユーザーもそのことをわかって車を買っているし、社会もそのことを受け入れていると思っているわけです。


もちろん、自動車メーカーが安全性に配慮しているのは認めるところですし、素晴らしいことですし、ある程度の死者数減少に寄与していると思っていますが、本質的に所有する危険な部分は除去出来ないと思います。先の発言が「自動車メーカーは人の命を軽く思っている」と誤解されてしまったようで、その点は謝罪します。むしろ、本質的に危険な乗り物である自動車というものを、社会が許容しているという点に注目したのです。


交通事故を0に近づけるためには、車の自動運転を義務づける以外に方法はないのではないでしょうか。昔騒がれていた、CCVみたいな感じの乗り物が主流となるのを待つ必要があると思います。

>No.94 モトケン先生

>企業の法務部門としては、「高性能車の開発・販売は道路交通法違反として検挙される可能性がある」ということを前提にして議論するのでしょうか?

 私も法務部門ではないですので推測でしかありませんが、「新聞などでの他の事例(製造責任など)」を見た場合、自社製品にも影響はないかどうかを考えることになります。
ですので、「自社製品が罪に問われる可能性」を考えて議論するのはむしろ当然だと思いますが。
 A社が罪に問われたケースは自社製品には適用されないのか、A製品(ウィニーでも可)が問題とされたケースは自社製品には適用されないのか否か、それは何故か?
 開発者や設計者、あるいは営業などから大丈夫か?と問い合わせがあった場合、理由を示して、場合によってはどこまでなら、という範囲をそえて答える必要があるでしょう。

 
 あと、別スレのbgさんのコメントにありますように、「帰納」「演繹」の違いがでていると思います。
 新しいケース(ウィニーのような事例への判決)が生じた、ということは、そこから帰納されるルール(理論)が変わるかもしれない、という思いを持ってしまうのですよ。
だからこそ、そのルールはどういうものか?ということを知りたいので、「こんなケースならそのルールではどうなるの?」という確認をとりたくなる、そのこんなケースが「包丁」「車」などに固まっているだけのことで、社説のせいとか杞憂とかいうことは違うと思います。

>北風さん
>新しいケース(ウィニーのような事例への判決)が生じた、ということは、
>そこから帰納されるルール(理論)が変わるかもしれない、という思いを
>持ってしまうのですよ。

日本の訴訟は法的安定性が何よりも重視されるようですね。winny判決が今後の未知の訴訟に影響を及ぼすことはあっても、一度法的に固まった事案に関する影響はないと思うのですが、法曹の皆様誤解していたらご指摘お願いします。


>「こんなケースならそのルールではどうなるの?」という確認をとりたくなる

基本的には訴訟を起こす以外、確認する方法はないと思います。弁護士が何をいったところで、法務部門が何を言ったところで、法律の解釈に関しては裁判所の見解が絶対だと思います


ふと思ったのですが、企業の法務部門は法律と現場の齟齬に関して誰よりも知る立場であるのですから、法改正に関しては主導的に行える立場でありますよね。積極的にロビー活動を行っても良いのではないかなと思いました。

180kmのスピードリミッターの件ですが、あれは法律で定められているわけではなくてメーカーの自主規制です。
という名の国土交通省の行政指導によるものなのですが。

それと輸入車についてはスピードリミッターもついてません。
これは、国交省がそんなものを要求すると非関税障壁だということで輸出国から非難されることを恐れてのことと言われています。

そんなわけで、国産車については180kmでリミッターを効かせればよい、輸入車はなくてもよいと国交省から非公式ながらお墨付きをもらってるようなものなわけです。
行政的に認められているから即ち刑事法上の責任を負わないということにはならないでしょうが、こういう事情も違法性判断の要素にはなると思います。
winnyには言うまでもなくそんなお墨付きもないわけですからね。

>No.96 bg さん

 落合先生のブログによれば、壇弁護士は

このようなソフトの開発等を幇助犯に問うこと自体がおかしい。それが認められるようなことになれば、コピー機、ビデオデッキ、携帯電話、自動車といった、犯罪にも使用されうるものを開発、提供した者は、ことごとく幇助犯になるが、あまりにもおかしい。

 こう言っていますね。
 つまり、「自動車の開発が犯罪を構成すると考えることはおかしい」、という認識を前提にしてウィニーの開発行為の不可罰性を主張されています。

 この前提認識は私と共通です。

 しかし朝日の社説の言い方は、「ウィニー開発が処罰されるならば高性能車の開発も処罰される可能性がある」と読めます。

 前提がすりかわっています。


>No.98 北風さん

>「自社製品が罪に問われる可能性」を考えて議論するのはむしろ当然だと思いますが。

 このこと自体はよく理解できますし当然だと思いますが、検挙例も有罪判決例もなく、弁護士に聞けばたいていの弁護士がその可能性を否定するはずの高性能車開発速度違反幇助説を、朝日が社説でたとえ話的に書いた程度で、真剣にその可能性を考えて議論するというのがちょっと理解できないところです。

 法務部というところは心配性の人の集まりなんだな、と思ってしまいます。

>モトケンさん
>法務部というところは心配性の人の集まりなんだな、と思ってしまいます。

心配性なのは法務部ではなくて、その他の部門なのではないでしょうか。他の部門が「朝日が社説でたとえ話的に書いた程度で、真剣にその可能性を考えて議論」しているので、法務部としてもその議論に参加せざるを得ない。

で、法務部としてはwinnyと高性能車の類似を否定することができない以上、その他の部門の主張を否定することができない。

弁護士の方々に「winnyと高性能車」の類似性を明確に否定してほしいのですが、弁護士さんの否定の仕方は同じ弁護士にはわかるのでしょうが、法律素人の方々には納得してもらえないだろうというのではないと想像いたします。これは、私の意見です。

>No.102 しまさん

>弁護士の方々に「winnyと高性能車」の類似性を明確に否定してほしいのですが、

 このニーズは理解できますが、たしかに抽象的な形式論理では難しい気がします。
 抽象的な形式論理で難しいとなると後は具体的な事実関係の違いが問題になります。
 そうなりますと、ウィニー判決がどのような事実を認定して、それをどのように評価して有罪を導いたのかを検討してみないと意見が述べられません。

 車の開発の背景事情や日本の道路交通事情はわかっているつもりですが、ウィニーの開発・公開の事情、ウィニーの機能、開発者の意図・目的・認識等について裁判所がどのように認定してどのように評価したのかがわからないと、車の開発と比較しようがないということです。

 私がこのエントリとコメントで述べていることは、法律実務家の多くは車の開発は速度違反幇助にならないと考えている、というだけで、ウィニー判決の当否や有罪論理の射程距離についてはまだなにも述べていないに等しいです。

スピード違反は常識としてさほど悪いことではない、と言うのが、高速走行可能車とwinnyの違いかも知れない、なんてのはどうでしょう(^^;)
それなりに交通量のある60km制限の道で、70kmで走るのと30kmで走るのとで、常識的に(社会的に?)どっちが悪いかって言ったらそりゃ交通の妨げになる30kmだよなー、なんて……。

>jack さん

>スピード違反は常識としてさほど悪いことではない

というのには賛成しかねますが

 制限速度100キロの高速道路をベンツで160キロで走行するのと、制限速度30キロの生活道路を90キロで走行するのとを比較しますと、明らかに後者のほうが危険極まりない運転だと思います。

 倍率で比較したとしても

 制限速度60キロの道路を120キロで走行するのと、制限速度30キロの生活道路を60キロで走行するのとを比較しますと、やはり明らかに後者のほうが危険な運転だと思います。

 多少本筋とはズレるのですが、私の素朴な疑問は、「高性能車が危険」というのはデータに基づく正しい認識なのでしょうか?ファミリーカーに比較してスポーツカーの方が重大事故を起こす確率が高いという確かな根拠はあるのでしょうか?
 認定に疑問はありますが、警察庁の統計では、2004年の第一当事者違反別交通事故件数における最高速度違反構成率はたったの0.65%に過ぎません。一方警察が速度違反取り締まりに熱心なのは、最高速度違反は証拠があって申し開きのできない違反だからです。もっと露骨に言うと、反則金が欲しいからです。

No.34 bg さんに同じく、ITMediaの記事です。
Winny裁判を考える なぜ「幇助」が認められたか

個人的には、「オービスによる撮影を困難にするナンバープレートを販売する行為が道路交通法違反(制限速度違反)の幇助に当たるとされた例」が興味深いと思いました。

「Winny1の初期バージョンを公開したことが問題視されているわけではない」とか。
(Winny1に続いてWinny2を配布したのが問題)

「適法な、ポジティブな用法で活用する人たちがわんさか出てくると、その技術等が押しつぶされることなく存続できる可能性を高めてくれ」るとか。

とりあえず私は、大分理解できてきたように思います。

ちなみに、常識に頼らずに法律から形式論理で判決を導き出す、のは勘弁ですね。
「ビッグ・ブラザー」は欲しくないです。
(いや、それならマシンでできるやん、と思ってしまったもので)

No.101 モトケン先生

>つまり、「自動車の開発が犯罪を構成すると考えることはおかしい」、という認識を前提にしてウィニーの開発行為の不可罰性を主張されています。
>この前提認識は私と共通です。
>しかし朝日の社説の言い方は、「ウィニー開発が処罰されるならば高性能車の開発も処罰される可能性がある」と読めます。
>前提がすりかわっています。

前提がすりかわっている、というより、対偶命題のような気がしますが。

「自動車の開発が犯罪を構成すると考えることはおかしい」=A
「ウィニーの開発行為は罰せられるべきではない」=B

落合先生は「AならばBである」と主張されているように読めます。

で、現実に、「Bでない」という裁判による判決がでているわけですので、
「Bでない」ということが先にありき(判決として既知なので)、「「AならばBである」という命題の対偶命題、「BでないならばAでない」のじゃないの? という意見がでているだけで、すりかえ、というよりは、対偶命題についてはどうなの?ということだと思います。

>No.108 北風さん

 こういう論理学的な説明は不得手なのですが、

 判決が「Bである」を否定したということは、「AならばBである」という主張も採用しなかったと考えられます。

 つまり判決論理では、「AならばBである」という命題は偽である、ということになります。

 そうであるならば、判決論理に従えば「AならばBである」の対偶命題「BでないならばAでない」も偽である、ということになるのではないですか。

 朝日の社説は、判決によれば偽であるはずの命題を判決に基づいて真であると主張しているように思えます。

 間違っていたらご指摘ください。

裁判は結論を決定する場でなく、命題の真偽を問う場だったんですね。初めて気がつきました!

ここのコメント欄で、結論からじゃ納得できない奴らがいるから
命題でやってくれ、というご要望が出たから、
命題という面からやっているんでしょ。

裁判が命題の真偽を問うてるんじゃなくて、
一部の一般の方が命題の真偽を問うているだけです。

この流れは自分に自信がない「心配性」が責任転嫁しているように見えて
正直、不愉快です。

No.108 北風さん
No.109 モトケンさん
朝日の社説の言わんとするところは『AならばBである』が偽と判定されたこと自体を疑問に思う、という内容であると私は読み取ります(私の思考にバイアスがかかっていて実際はそうでないかも)。
もっとも朝日の社説は後半の話が余分で全体としてまとまりがつかなくなっている感がありますが。
でも、私はAからBを導出すること自体無理があると思います。

自動車や包丁の話はもうすっぱり忘れて一から考察しなおすべきなんじゃないかと思います。
同じ著作権法違反に問われる事例ならわかりますが、自動車の場合は道路交通法違反で犯罪の形成過程が違いますし、それに対する幇助の形成過程も違ってきますから(という考えで合っていますよね?)
朝日も壇弁護士も、自動車の話は持ち出さないでほしいです。

>No.112 bg さん

>朝日の社説の言わんとするところは『AならばBである』が偽と判定されたこと自体を疑問に思う、という内容であると私は読み取ります

 私もそう思います。

 しかし、それにとどまればよかったのに、「BでないならばAでない」が真である(またはその可能性がある)かのようなことを書いたところに問題があったと思います。

>でも、私はAからBを導出すること自体無理があると思います。
 
 私もそう思います。
 判決もこの命題または論理には触れていないと思います(読んでないから断言できませんが)。

>自動車や包丁の話はもうすっぱり忘れて一から考察しなおすべきなんじゃないかと思います。

 これも全面的に同意です。

>同じ著作権法違反に問われる事例ならわかりますが、自動車の場合は道路交通法違反で犯罪の形成過程が違いますし、それに対する幇助の形成過程も違ってきますから(という考えで合っていますよね?)

 基本的にはそれでいいと思います。
 道路交通秩序とインターネットにおける著作権保護秩序は、その成熟度において天地雲泥の差がある、と言ってもいいんじゃないでしょうか。

>朝日も壇弁護士も、自動車の話は持ち出さないでほしいです。

 壇弁護士は弁護人としてあらゆる論理を駆使して依頼者(被告人)を弁護する職責がありますから理解できますが、朝日は弁護人の主張に一方的に乗っかって判決批判していると思われます。

 というわけで、朝日の社説に対する批判は、ウィニー判決とは一応別物ですし、だんだん不毛感も漂ってきましたので、このあたりでお開きにしようかと思います。

 このブログはエントリ単位でコメント投稿を制限するシステムを持っていませんので、コメント投稿は引き続き自由にしていただいて結構ですが、私が応答する保証はありません。
 気が向いたらレスするかも、です。

 もっと言いたい、議論したいという向きもおられると思いますので、もっと視野を広げて裁判と常識という観点で新しいエントリを立てるつもりです。
 意見交換のための掲示板的エントリ(たいていそうなってますが^^;)にしたいと思います。

追記
 さっそく立てました。
 「裁判と常識

No.94 モトケン様のコメントへ

モトケン様、議論が収束方向にあるのに(既に収束した?のかな)再度のコメントで済みませんが、私自身は後少しでモトケン様との議論が噛み合い納得できそうな気がするので、お手数おかけ致しますが、もう少しお付き合い下さい。

その前に、1点。
> 私はどうして「高性能車の開発・販売は道路交通法違反として検挙される可能性がある」ということが議論されるのか正直理解できません。

これは別に検挙だけを議論しているわけではありません。
著作権侵害の幇助犯が成立するということは、民事上の損害賠償請求や差止請求が成立する可能性は非常に高いわけです。
是非、民事上の問題についてもご配慮いただければ、非常にありがたいです。

さて、
> 私が弁護士として高性能車の開発との絡みでアドバイスするならば、「高性能車の開発は罪に問われない、ということを前提に議論すべきです。あなたたちのやろうとしていることが高性能車の開発・販売と同じであれば検挙される心配はないでしょう。違うのであれば、どこがどう違うかによって結論か異なると思います。」と言うでしょう。

おっしゃるっとおりだと思います(そして、私がモトケン様とお話をしたいのはまさにここです。)。
そうすると、次は、「高性能車の開発・販売と同じ」というのは具体的にどういうことなのか?という議論になるわけですよね。
「具体的な事実として全く同じ」という意味で使用されているわけではないと思いますので(それでは、ソフトウェア開発・販売に対するアドバイスとして機能しないわけですから)、ある程度抽象化された基準で、どのような要件があれば幇助犯が成立し、どのような要件があれば幇助犯が成立しないのか?を説明しなければなりませんよね。

そこで、モトケンさんが「高性能車の開発・販売」の事例について、どのような要件を立てて、その結論を導き出しているか、是非とも、この点をご教示頂きたいのです。
そして、その基準は「ソフトウェア開発・販売」が著作権侵害の幇助になる場合とならない場合を区別する基準として機能することが必要ですから(もし、機能しないのであれば、ソフトウェア開発者に対するアドバイスにはなりませんから。)、その点も含めてご教示頂きたいのです。

> 少なくとも法律家の大半は、「高性能車の開発・販売は道路交通法違反として検挙される可能性がある」なんてことは全く考えていません。

法律家の大半が上記のように考えているのであれば、「検挙」の可能性の有無についても大変興味がありますので、是非、どのような要件があれば幇助犯として検挙され、どのような要件があれば幇助犯として検挙されないのかをご教示頂きたいと思います。そして、その要件が「ソフトウェア開発・販売」にも基準として機能することをご教示頂ければ幸いです。

以上、宜しくお願い申し上げます。

1点だけ気になることがあるのでもう一言。

>  壇弁護士は弁護人としてあらゆる論理を駆使して依頼者(被告人)を弁護する職責がありますから理解できます

その結果、業界人は壇弁護士のコメントに不安を煽られる形になったわけですが、弁護士なら依頼人の弁護のために何を言っても許されるのでしょうか。
国民の多くが幇助に対して誤った認識を持ってしまった(と思われる)ことについて、他の弁護士はそれを理解(それも止む無し、というニュアンスだと思いますが)されるのでしょうか。

壇弁護士が判決後のコメントで未だ自動車の例を持ち出しているところを見て、この論法が判事の心証を得るのに有効であったと見ますが、果たして判決ではどのような扱いになったか。判決文の公開が待ち遠しいです。

>Justin さん

 別エントリでも紹介していますが、私は今のところ、Justin さんの質問に対する法律家の答として、奥村弁護士の見解のこのエントリ以上の答を持ち合わせていません。

 なお補足意見を後ほど別エントリ(ウィニー判決とソフト開発者処罰基準に関する見解)に追記コメントするつもりです。


>bg さん

 当事者的立場である弁護士の主張をあたかも裁判所の判決の論理的帰結であるかのように書いて不安を煽ったのは朝日の社説だと思います。
 死刑が予想される事件ではほとんどの弁護士がかなり強引に責任能力を争いますが、その結果として「心神喪失を主張すれば死刑を免れることができる」という誤解(現にあるように感じられます)が生じたとしても、それは弁護士の責任とは言えないのではないでしょうか。

 主張はあくまで主張つまり言い分であって、真実でも事実でも判断結果でもない、ということが理解されてない場合が多いように感じます。

No.116 モトケン様のコメントへ

「奥村弁護士の見解」を読みました。
が、かえってモトケン様との議論が前に戻ってしまったような気がするのは、私だけでしょうか・・・。

すみません、「奥村弁護士の見解」を読み違いえているかもしれませんので、再度確認をさせて下さい。

結局、モトケン様のお考えとは、
1 「高性能車の開発・販売」の事例について、幇助犯が成立するかどうかの判断基準は、モトケン様自身は持ち合わせていない。
2 「高性能車の開発・販売」の事例について、幇助犯として検挙されるかどうかの判断基準は、モトケン様自身は持ち合わせていない。
3 「ソフトウェア開発・販売」が著作権侵害の幇助になる場合とならない場合を区別する判断基準は、モトケン様自身は持ち合わせていない。
4 「ソフトウェア開発・販売」において、幇助犯として検挙されるかどうかの判断基準は、モトケン様自身は持ち合わせていない。
5 従って、ソフトウェア開発者に対するアドバイスも、モトケン様自身は持ち合わせていない。

という理解で宜しいでしょうか。

もし、誤って理解している点がございましたら、ご指摘の上、判断基準をご提示頂ければ幸いです。

何度も何度もすみませんが、宜しくお願いします。

>Justinさん

横から失礼します

奥村弁護士の見解と、モトケンさんの回答を重ねて判断するに、「高性能車と言うものは登場してから長い年月が経過しているにも関わらず、速度違反幇助として立件されていない。従って、幇助犯として成立しない」と言うことだと思います。もちろん、新たな法律が施行されれば別ですが、現行法では成立しないという判断だと。

一方、winnyに関する判断基準は、winnyが登場して間もないわけであり、判例が蓄積されて確立されていくものであると言うことになるでしょう。すなわち、現時点では誰も判断基準を持っていないことになります。

こう考えていくと、判断基準の作成というものは裁判官が絶対というわけではなく、弁護士と検事と裁判官との共同作業なのだなと思いました。


弁護士や検事の方が裁判官に向けて法解釈を問いかけ、裁判所がその問いかけに法解釈で答える。これを繰り返すことによって判断基準というものが少しずつできあがっていくと言うことなのでしょうか。

No.118 しまさん
> 「高性能車と言うものは登場してから長い年月が経過しているにも関わらず、
> 速度違反幇助として立件されていない。従って、幇助犯として成立しない」

技術革新を無視していませんか?
昔の価値観で判断するなら、医療訴訟で医療者側が負けるはずはありません。
昔は、重い病気にかかったら諦めるのが常識でした。

>生活習慣病予備軍さん

 高性能車開発については状況が安定していると考えられます。

 しかし、医療過誤業過をめぐる状況は極めて不安定な過渡期といえます。

> 生活習慣病予備軍さん

明確に高性能か低性能かを分類する基準に関して知らないものでして、高性能というのは相対的なものかという認識でした。つまり、「昨日の高性能車、明日の低性能車」という認識です。

時代時代によって高性能車というものは存在する訳ですから、昨日の高性能車が幇助として検挙されないのであれば、明日の高性能車も幇助として検挙されないと思うのです。

No.121 モトケンさん

ああそうですか、医療分野の進歩と工業分野の進歩に大差があるとは思えませんが、まあいいでしょう。
これに対する反論は医療者にお任せします。

>生活習慣病予備軍さん

 司法側による評価が過渡期だということです。

No.124 モトケンさん

了解いたしました、
No.123のコメントは反省しております。
思わず即レスして筆が滑りました。
申し訳ございませんでした。

TBかけたのですが、何故か反映されません。スパムが多いせいでしょうか・・

>ヤブ医者 さん

 すいません。

 コメント欄にURLをはりつけてください。

えっと、この記事
http://blogs.dion.ne.jp/yabudoc/archives/4741835.html
でTBしたつもりでした。

結局「逃げた」状態になっている。ロジックを構成できていない。

「高性能車の提供」「加速行為自体を容易にするとは言えません」「アクセルを踏むか踏まないか」といういいかたをするから曖昧にごまかせて(いるような気になって)しまっているだけでは。
「スピードメーターに160kmまでついてる車」と言い換えたらどうですか?時速160kmを出す事が実際に想定されそれが可能なように設計され作成された車。 100km以上でも操作がしやすいようスピードメーターも用意された車。いくらでもありますが。
これが幇助にあたらないのだから当然 Winny 開発も幇助にあたらないのでは。

結局法曹の人でも「理屈じゃないんだ。こっちはおかみがいいと言ってるからいい、同じでもあっちはだめと言ったらだめ」という、法治国家とはとても言えないレヴェルなのですね。
池田信夫が以下のように書いてましたが、日本は法治国家ではないというに等しい発言が法曹の人からも出てくるのか、と思いました。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/16d34ed43d9cd8a5a20743d93e1f8ca9
要は「あいつは悪い奴だ」というコンセンサスができるかどうかが問題で、そういう「国策」があれば犯罪は(よしあしはともかく)いくらでもつくれるのだ。

地方の大学で刑法を担当している身分ですが,「高性能自動車の比喩」の適否は非常に難しいといわざるを得ません。純客観的な部分では「違反を発生させうるもの」といわざるを得ず,(記述的な意味での)幇助の客観的構成要件構成要素になると思いますし,形式論理のみでいえば,例えば,開発者や,販売者が「これのクルマに乗る者の中には,スピード違反をするんだろうけど,それはしかたがないよなぁ」と思って,幇助罪の主観的要素を備えていた場合は,制限速度違反幇助罪の成立の可能性は否定できないと思います。

その意味では,朝日新聞の論説は正当であり,多くのネチズンの批判も正当だと思います。しかし,法解釈及び法の適用は形式論理だけでは決まらない。そこが問題になっているのだと思います。

現在の実務における構成要件というのは「実質的構成要件要件概念」の下で「当罰的な違法・有責行為類型」という位置づけがなされていると理解しておりますが,その「当罰的な」という枕詞の中で「高性能自動車」と「Winny」が区別されているということです。つまり,「高性能自動車」開発は社会通念によって当罰的ではないが,「Winny」の開発は社会通念によって評価が確定されていないから当罰的になりうる,ということなのでしょう。あるいは違法論の用語になりますが「社会的相当性」,責任論の用語を持ち出せば「可罰的責任」という概念によって区別されているということなんでしょう。(ここでは「社会的相当性」なのでしょうね。)

ただ,学者としていわせてみれば,この「社会的相当性」概念はつとに批判されているように「正しいものは正しい」というトートロジーでしかないと思います。また,「当罰的な違法・有責行為類型」概念も,明確な法益侵害類型ないし社会倫理規範違反類型であれば基準として予測可能性,つまり自由保証機能を担わせるに足りると思いますが,幇助犯の構成要件はかなり「開かれている」ので,グレーゾーンが大きすぎて予測可能性が害される…という問題が生じます。(もっとも,構成要件は自由保証機能を担わないという議論はあり得ますし,実際にあります。)

もっとも,この点については,モトケン先生も「『高性能自動車の開発』はグレーゾーンではなく明らかに『白』ということがコンセンサスであって,『Winny』についてはなんら言及していない。」という指摘だと思われますので,上述の批判は当たらないのでしょう。それは重々理解しております。

ただ,実務では実質的な考慮が多分にはいるのは理解していますし,それはやむをえないところだと思いますがが,やはり「当たり前」「常識」以上に何らかの説明が欲しいというのは率直なところでしょう。

じゃあ,お前が説明してみろ…,ということになるのかも知れませんが,社会における違法利用の割合や,社会的許容行為としての定型性…などで説明するより他ないと思います。結局,「きちんと説明できない」というのことになってしまいます。

ちなみに,Winny事件の件ですが,不作為犯構成の方が第一次的な配布行為は適法とみて不作為犯構成にした方が理論的にはうまく説明できるのかなぁ,と思っています。

>かけ出し理論家さん

 コメントありがとうございます。

>例えば,開発者や,販売者が「これのクルマに乗る者の中には,スピード違反をするんだろうけど,それはしかたがないよなぁ」と思って,幇助罪の主観的要素を備えていた場合は,制限速度違反幇助罪の成立の可能性は否定できないと思います。

 こう言ってしまいますと、酒の製造・販売は飲酒運転幇助、高性能車に限らず車の製造販売は速度違反幇助及び無免許運転幇助の成立の可能性が否定できず、さらには包丁の製造・販売は殺人罪幇助の成立可能性が否定できないことになります。

 また、「それはしかたがないよなぁ」と思っていれば幇助になるということであれば、車の製造・販売は(幇助の)客観的実行行為性を有することが理論的前提となると思われますが、つまり故意(より正確には認容)の有無の問題として説明することになりますが(私もそう説明したことがありますが)果たしてそうかという疑問があります。
 車の製造販売の不可罰性の説明としては、客観的な実行行為性の否定のほうが適切であるように思われます。
 
 つまるところ、規範的構成要件該当性の実体は、ご指摘のとおり「当罰性」の有無に帰着するように思われます。

 となると当罰性の判断基準として「常識」以上のどのような説明が可能かが問題になりますが、当罰性を否定する素人向けの説明としては「常識」が最もわかりやすいかと思ったわけですが、当罰性を肯定する説明はケースバイケースのように思われます。
 「社会における違法利用の割合や,社会的許容行為としての定型性」という言い方には賛成しますが、当罰性の有無そのものの判断の明確な基準足りうるかは疑問です。
 で、結局の結局、「常識的判断」ということになりそうで・・・

以前に別のエントリでコメントしましたが、Winny は、正当なデータ配布の目的に使用するには著しく不便な設計になっています。そこがキモではないでしょうか。

無理に自動車に例えるなら、スピード違反となる高速走行では高性能だが、低速走行では著しく操作性の悪いものにあたります。

この判決は車検法でいう不法改造キット頒布、銃刀法でいうエアガン違法改造キット頒布行為に対すると同等の良識的な違法度認定だと思います。朝日の社説のほうが不見識で非常識でしょう。

>>かけ出し理論家さん

 高性能車の開発の速度違反幇助の成立可能性について幾つかの質問があります。

 車が「高性能」であるということは、その開発が幇助行為か否かの判断において何か意味があるのでしょうか?

 意味があるとする場合は、「高性能」と「高性能でない」との区別の基準はどのようなものでしょう?

 幇助行為になると考えた場合、いかなる意味において速度違反行為を容易にしたと見るべきなのでしょうか?

雑用が忙しく,レスして頂いたのにお返事が遅くなり申し訳ありません。

>車が「高性能」であるということは、その開発が幇助行為か否かの判断において何か意味があるのでしょうか?

結論のみを言えば,スピード違反が可能であれば「高性能」であるかどうかは問われない,ということになるでしょうね。少なくとも形式的に実行行為では切れませんから。

ただ,そうなってしまうと,ご指摘の通り,なんでもかんでも幇助罪が成立してしまう可能性出てきてしまうので問題なのは明らかです。

では,どうやって「自動車開発・販売」と「Winny」を分けるのか,というと非常に難しい。
かといって「常識」ではカズイスティックに事例判断では限定機能をもたず自由保障機能が害される…というわけで,実質的な実行行為性の認定における一般規範として「社会における違法利用の割合や,社会的許容行為としての定型性」でごまかそう(苦笑)…もとい…もうすこし基準としての明確性を確保しよう,というわけです。

あるいは,規範的な帰属命題として,「これをやっておけば帰責されない」という規範的な限定方法を考慮すべき時なのかも知れません。

モトケンさん、こんばんは。

このスレッドはレスポンスがあり、未だ生きているということでしたら、是非ともNo.117の私の質問に答えていただくことはできますせんでしょうか?

インターネットというツールのおかげで、元検事さんで現法科大学院教授と議論をさせて頂けるという非常に有益な機会を頂いていると実感しており、モトケンさんを初め参加者の皆様に本当に感謝しております。是非ともこのような機会を実りあるものにして頂けないでしょうか。

なお、N0.117の私のモトケンさんへの質問は以下のとおりです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
No.116 モトケン様のコメントへ

「奥村弁護士の見解」を読みました。
が、かえってモトケン様との議論が前に戻ってしまったような気がするのは、私だけでしょうか・・・。

すみません、「奥村弁護士の見解」を読み違いえているかもしれませんので、再度確認をさせて下さい。

結局、モトケン様のお考えとは、
1 「高性能車の開発・販売」の事例について、幇助犯が成立するかどうかの判断基準は、モトケン様自身は持ち合わせていない。
2 「高性能車の開発・販売」の事例について、幇助犯として検挙されるかどうかの判断基準は、モトケン様自身は持ち合わせていない。
3 「ソフトウェア開発・販売」が著作権侵害の幇助になる場合とならない場合を区別する判断基準は、モトケン様自身は持ち合わせていない。
4 「ソフトウェア開発・販売」において、幇助犯として検挙されるかどうかの判断基準は、モトケン様自身は持ち合わせていない。
5 従って、ソフトウェア開発者に対するアドバイスも、モトケン様自身は持ち合わせていない。

という理解で宜しいでしょうか。

もし、誤って理解している点がございましたら、ご指摘の上、判断基準をご提示頂ければ幸いです。

何度も何度もすみませんが、宜しくお願いします。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「高性能車」と「Winny」の違いは、『匿名性』とのコメントがありますが、もし現時点でもそのようにお考えであれば、『匿名性』の観点から上記の質問にお答え頂いても構いません。
以上、宜しくお願いします。

かけだし理論家さん、初めまして。
Justinと申します。

> 「常識」ではカズイスティックに事例判断では限定機能をもたず自由保障機能が害される…というわけで,実質的な実行行為性の認定における一般規範として「社会における違法利用の割合や,社会的許容行為としての定型性」でごまかそう(苦笑)…もとい…

私の実感ですと、違法性の割合や社会的許容行為、さらに言ってしまえば、社会的相当性というワードで説得できるのは、むしろ法学部の出身者の方々の方が容易かと思います(特に、行為無価値の視点が強い方々にその傾向が強いようですね。)。

むしろ、理系や技術系の方々の方が、
> もうすこし基準としての明確性を確保しよう,という

意識は強いケースが多いですね。もちろん例外もありますが・・・。

> あるいは,規範的な帰属命題として,「これをやっておけば帰責されない」という規範的な限定方法を考慮すべき時なのかも知れません。

おっしゃるとおりだと思いますが、実際のところ、このような規範を作り裁判で採用されるようになるのは、なかなか難しいことではないか思います。
しかしながら、このようなことをしていかないと、少なくとも企業にとっての、法学部卒、法科大学院卒、法曹といった方々の存在意義が問われてしまうのだと思います。
というわけで、色々言いましたが、私個人としては、この方向性には非常に賛成です。

モトケン先生

スミマセン。ちょっと誤解されそうな記述がありました。

>少なくとも形式的に実行行為では切れませんから。

と上で書きましたが,これは「形式的な基準」で「実行行為」から外すことができない,という趣旨です。


Justinさん,はじめまして。

>私の実感ですと、違法性の割合や社会的許容行為、さらに言ってしまえば、社会的相当性というワードで説得できるのは、むしろ法学部の出身者の方々の方が容易かと思います(特に、行為無価値の視点が強い方々にその傾向が強いようですね。)。

学説的にみても行為無価値論vs結果無価値論の対立は違法論だけの問題であって,犯罪論全体としては行為規範違反の側面は考えなければなりませんから,そのような意味では最近では「行為無価値」や「結果無価値」という概念で考察するのは,あんまりトレンドではないとおもいます(学生に教えるときはラクな使い勝手の良い概念なのですけどね)。話を元に戻しますと,規範の正統性を社会にもとめる考え方は,それ自体正当なものですから,これ自体は悪くないと思います。

> むしろ、理系や技術系の方々の方が、
> > もうすこし基準としての明確性を確保しよう,という
> 意識は強いケースが多いですね。

私が非法曹,非法律関係者と話していると,「具体的にその方の利害に関わっている場合は」という限定付きですが,ご指摘のような意見が多いように見受けられます。
たいていの場合,技術が先行して,常識が後から付いてくることになり,「常識」という基準でが醸成されるまでは,白か黒か不安定な状態にさらされる訳ですから,あらかじめ基準を求めるのは当然だといえます。私が一般規範にこだわるのは場当たり的な事例判断に陥らない(結果的に予測可能性が害される)ようにするためなのですが,常識に先行する事案について予測可能性を保障するためにも一般規範にこだわる必要があると思います。

>おっしゃるとおりだと思いますが、実際のところ、このような規範を作り裁判で採用されるようになるのは、なかなか難しいことではないか思います。
>しかしながら、このようなことをしていかないと、少なくとも企業にとっての、法学部卒、法科大学院卒、法曹といった方々の存在意義が問われてしまうのだと思います。

上述は「法的に」という趣旨…つまり,客観的帰責の問題(教科書的にいえば因果関係論か客観的帰属論か)において,因果関係ないし帰属関係を遮断するような,規範的的基準を考えるべき,という趣旨です。誤解を招いてしまったようで申し訳ありません。

もっとも,ご指摘の点がまったく私の考慮外だったか,というとそうでもありません。私自身も企業と刑事責任の問題についての研究会に所属しておりまして,企業の方と一緒に話をすることがあります。ここでよく話題になるのが企業のコンプライアンス規定をもうけても,いったん事件が起きてしまえば企業自体や取締役が免責されるワケではないじゃないか,こんなんじゃコンプライアンスに対する取り組みもなかなか進まない,という話です。

ただ,この点は非常に難題です。そもそも個々の企業が作成するコンプライアンス規定は,法的な観点で見れば,所詮,一個の私企業が作成する「所信表明」みたいなものであって,公的関心事(res publica)である刑事責任と直接関係を持たないのは当然というのが法学者の立場です。しかし,刑事政策的に,企業犯罪の抑止の点から考慮すると,効果は予想される訳ですから考慮すべきということになります。じゃあ,どのようにつなげるのが良いかというと,結論的にいえば,政府がコンプライアンス制定・運用のガイドライン法を制定して,法律に見合ったコンプライアンスの制定・運用を行っていた企業については,企業又は取締役を免責とするということにするのが適切だと思います。

もっとも,それにしてもガイドラインの内容や,特に運用の監視方法についてはよく考えなくてはならない部分も大きいと思います。

判決文を公表しないのは批判封じが目的なのかなー

>No.136 Justin さん

 ご質問を見落としていた可能性がありますが、ここで簡単にお答えします。

>1 「高性能車の開発・販売」の事例について、幇助犯が成立するかどうかの判断基準は、モトケン様自身は持ち合わせていない。

 現在の自動車メーカーによる時速100キロを超える車両の製造・販売は速度違反幇助罪を構成しない、というのが私の考えです。
 そのような判断ができるという意味で持ち合わせています。

>2 「高性能車の開発・販売」の事例について、幇助犯として検挙されるかどうかの判断基準は、モトケン様自身は持ち合わせていない。

 犯罪が成立しない行為を検挙すべきでないことは当然です。
 検挙の判断基準に関する質問は、犯罪の成立を前提とするものです。
 仮に車の製造・販売が速度違反幇助になる場合があるとするとそれはどのような場合かを考えますと、車の設計段階からオービス対策をとってナンバーが写真に写らなくするとか、ボンドカーみたいにナンバープレートが変わるような機構を組み込んだりすれば、幇助犯になりえますし、検挙の対象になると思います。

>3 「ソフトウェア開発・販売」が著作権侵害の幇助になる場合とならない場合を区別する判断基準は、モトケン様自身は持ち合わせていない。

 このような一般的な質問にお答えすることはできません。
 どのようなソフトウェアがどのような状況のもとに開発・販売されたかが明確になって初めて著作権侵害の幇助になるかどうかが検討されます。
 ですから、「ウィニーの開発・公開は著作権侵害の幇助になるか否か」が問われるべきです。
 およそ犯罪の成否は、まず構成要件に該当するか否かという問題から検討することになります。
 そのような一般論的意味では私は判断基準を持ち合わせています。
 しかし、個々具体的なケースにおいては、そのケースに関する知識と理解が必要です。
 私がウィニー判決の当否について明確な意見を述べていない最大の理由は、私自身でウィニーを理解している自信がないからです。
 その意味では、ウィニー判決の当否を論ずる明確な判断基準はまだ持ち合わせていません。
 判決要旨を読んだ範囲では、ウィニーの有する匿名性は車におけるオービス対策のように思われます。
 判決全文を読めば、京都地裁のウィニーに対する知識と理解が分かるかなと思い、それが明確になってから京都地裁の知識・理解を前提として判決の当否を考えてみようと思ったのですが、なぜかまだ判決全文が公開されていないみたいです。

>5 従って、ソフトウェア開発者に対するアドバイスも、モトケン様自身は持ち合わせていない。

 まったく持ち合わせていないわけではありませんが、あまり役に立つアドバイスはできないでしょうね。
 私はソフトウェア開発の実情に関する十分な知識がありませんから。
 判決全文が明らかになれば、ファイル交換ソフト開発者に対してはちょっとはましなアドバイスができるかもしれません。

 一般論的な質問に対しては一般路的な(その意味で抽象的な)助言しかできません。

 強いて言えば、あるソフトウェアの開発・公開によって何らかの社会的影響が生じれば、その社会的影響の質・程度によって、社会秩序を維持しようとしている力によってリアクションが生じますから、単に技術的な問題だけでなく、社会的影響についも考えたほうがいいですよ、程度の助言はできると思います。
 ソフトウェア開発者も社会の構成メンバーの一人という立場から逃れることはできません。

 私としては、ウィニーという特定のソフトが特定の状況下において開発・公開されたという問題を、朝日の社説などが技術一般に拡大して論じていることに疑問を呈したわけです。

かけだし理論家さん、コメントありがとうございます。

> 「社会的相当性について」(学生に教えるときはラクな使い勝手の良い概念なのですけどね)。

以前、法学部生と法科大学院生に、P2Pのファイル交換ソフトの問題について、犯罪の成否とその判断基準について質問したことがあります。
開発行為については、適法という方が6割くらい、条件付で適法という方が4割くらいでした。
この条件付の条件というのが、著作権侵害の意図を有していた場合、若しくは、著作権侵害の悪意(?「悪意」と言っていました)がある場合というものでした。
そこで、次に何故「意図」や「悪意(?)」があると違法になるのかと聞いたところ、侵害の意図や悪意があると悪い行為だからという回答がほとんどでした。
さらに、何故「意図」や「悪意」があると悪い行為になるのと聞いたところ、(犯罪)行為は主観と客観の統合体であり、侵害の意図や悪意がある以上、悪いことをしているのだから社会的に許されないみたいな回答が多かったです。

結局、何が言いたいかというと、
> 「行為無価値論vs結果無価値論の対立は違法論だけの問題であって,犯罪論全体としては行為規範違反の側面は考えなければなりません

ということが理解できずに、とりあえず困ったら主観的な意図や悪意に焦点をあて「社会的相当でないといっておけ」みたいところが気になったということです。

それから、P2Pファイル交換ソフトのような新しい問題の場合、「常識」が醸成されていない以上、社会的相当性という理由で説明することは難しいのかなと思ったのですが、この点如何でしょうか。

なお、提供行為については、適法という方が8割くらいで、条件付きで適法という方が2割くらいでした。
ただし、殺意を持っている人に包丁を提供する行為について犯罪の成否を質問した後に、再度提供行為について結論は変わらないかと尋ねると、ほとんどの方が条件付き適法という回答に変わっていました。

P2Pのファイル交換ソフトの件を、かけだし理論家さんの学生に聞くと、おおまかどのような反応なのでしょうか。もし、突っ込んだ議論をされていれば、その議論の内容なんかも教えて頂けるとありがたいです。

モトケンさん、ご丁寧な回答ありがとうございます。

基本的には、モトケンさんのお考えが理解できたのですが、もう1点だけ教えて頂いてもよろしいでしょうか

>1 「高性能車の開発・販売」の事例について、幇助犯が成立するかどうかの判断基準
現在の自動車メーカーによる時速100キロを超える車両の製造・販売は速度違反幇助罪を構成しない、というのが私の考えです。
そのような判断ができるという意味で持ち合わせています。


判断ができることは理解できましたが、その判断基準が未だに解りません。

私の質問の3への回答で、
> およそ犯罪の成否は、まず構成要件に該当するか否かという問題から検討することになります。
そのような一般論的意味では私は判断基準を持ち合わせています。
しかし、個々具体的なケースにおいては、そのケースに関する知識と理解が必要です。

とご発言されておりますが、「現在の自動車メーカーによる時速100キロを超える車両の製造・販売」という具体的なケースにおいて、モトケンさんはこのケースに関する知識と理解があるからこそ、「速度違反幇助罪を構成しない」という結論を導いておられるのだと思いますので、常識とか社会的相当性という言葉でなくご説明頂けると幸いです。

というのも、「常識」という言葉でご説明になされるのであれば、高性能車のケースに関する知識と理解がなくとも、ほとんどの人が常識で回答できることになり、Winnyの件も知識と理解があるかどうかより、常識があるかないかが回答をすることの可否に影響を与えることになるからです。

ただ、常識がある場合は常識で判断し、常識がない場合は知識と理解で判断する、といことであれば、判断基準としてそれはそれで理解ができます(どうもモトケンさんの主張は、このような考えにたっているような気がしております)。もちろん、何を「常識」と定義するかと言う問題は残りますが、それは別途議論されている問題ということでよいと考えております。

>Justinさん

 速度違反の罪は、速度違反能力のある車の存在を前提にしています。
 道路交通法は、運転者が速度違反能力のある車を運転することを前提にして運転者の自己制御を求めているのです。
 その意味で、法は制限速度を超える車の存在を許容していると解されます。

 速度違反の罪は、自己制御を行うことなくあえて制限速度を超過する速度で車を運転する行為です。
 速度違反幇助と言えるためには、運転者があえて速度違反をしようと思ったそのときにそれを幇助するものでなくていはならないと考えます。
 具体的には、アクセルを踏み込む行為を幇助するものでなくてはならないと考えています。

 そのためには、単に100キロ以上の速度が出せるというのは必要条件でも十分条件でもありません。
 必要条件でないというのは、100キロ以下の制限速度があるからです。
 十分条件でないというのは、既に述べたところから明らかだと思いますが、車の販売は、アクセルを踏めば制限速度を超過する速度を出すことができる車を提供してはいますが、アクセルを踏み込む行為自体を幇助するものとは言えないからです。

 車の開発者が十分条件を満たすためには、単にスピードが出せるだけでなく、検挙を免れるために装置(オービス対策など)を付けるなどの幇助のための付加価値が必要だと思います。

 以前にも同様のことを書きました。

 ウィニーも、ファイル交換機能だけに着目すれば高性能車の製造販売と同様だと思います。
 京都地裁の判決は、匿名性をオービス対策機能と同視したのではないかと考えています。
 それだけで有罪を導いたのではないと思いますが。

 補足しますが、私にとっては、高性能車の開発が速度違反幇助になる、という議論がまじめになされることが自体が意外なのです。
 私にとってあまりにも当然なことなので、それを説明する言葉がなかなか見つからないというのが実情です。

 弁護団が高性能車の問題を持ち出したのも、高性能車の開発が速度違反の幇助になるはずがない、という認識と理解を前提にして、高性能車とウィニーの同質性を主張して被告人の無罪を論証しようとしたのです。(判決は同質性を認めなかったわけですが)

 ところが朝日の社説はのっけから「運転手が速度違反をしたら、速く走れる車をつくった開発者も罰しなければならない。」と言い出して、論理を逆転させ、開発者の不安を煽るようなことを書いたので批判したのです。

 弁護団は、
   「高性能車の開発が無罪ならばウィニーの開発も無罪」
 と言ったのですが、裁判所は
   「ウィニーの開発は有罪」
 と言ったのです。
 だからといって
   「ウィニーの開発が有罪ならば高性能車の開発も有罪」
にはなりません。

 要するに、私のエントリは朝日の印象操作に対するカウンターとして書いたものなのです。

 実務に流されて、無罪か幇助か正犯かピンと来ない弁護士です。

視点が違いますが、画像掲示板というのは、違法な情報を媒介することではwinnyと同様の機能があるわけですが、判例状況はこんな感じです。罪名は児童ポルノ公然陳列、わいせつ物公然陳列、名誉毀損。
 幇助説・正犯説・共同正犯説と迷走中。
http://d.hatena.ne.jp/okumuraosaka/20050921/1127241021
http://d.hatena.ne.jp/okumuraosaka/20051031/1130758834
http://d.hatena.ne.jp/okumuraosaka/20070209/1170924851
http://d.hatena.ne.jp/okumuraosaka/searchdiary?of=1&word=%bf%b7%b3%e3%b4%ca%ba%db
3 画像掲示板管理者の刑事責任に関する裁判例
(1)幇助とするもの
/軍禊丙H12.1.21
¬掌轍庵郎H18.1.16(起訴は共謀共同正犯。不作為犯構成)←奥村弁護士
L掌轍庵郎H19.1.10(控訴中)←奥村弁護士
(2)単独正犯とするもの
_I傭郎h15.12.15(不作為犯構成)←奥村弁護士
東京高裁H16.6.23(上告中)(作為犯構成)←奥村弁護士
5都地裁H9.9.24(不作為犯構成)
ぢ膾綛盧H11.8.26(不作為犯構成)
(3)共謀共同正犯とするもの
\虱嫦郎H14.9.24(事前共謀による開設の事例)
東京地裁H18.4.21(名誉毀損)
L掌轍庵郎H18.2.24

 バラバラな割に、検察官が正犯で起訴すれば正犯、幇助で起訴すれば幇助という姿勢は一貫しています。

 このうち、東京高裁平成16年6月23日の理由付け「被告人の本罪に直接関係する行為は,本件掲示板を開設して,原判示のとおり,不特定多数の者に本件児童ポルノ画像を送信させて本件ディスクアレイに記憶・蔵置させながら,これを放置して公然陳列したことである。・・・」という言い回しに、winnyの開発・公開を当てはめて、開発者の意図とか積極性を誇張すれば、正犯とも評価できないこともないですよね。
 winnyの稼働者よりは、一歩背後にいるから、正犯はないとも言えそうです。
 ようするに、この辺は刑事裁判所には分からないので、適当に理由を付けて、擬律は検察官の言うとおりにしているということです。分からないときは、無罪になるはずなんですがね。

No.143 モトケンさんへ

モトケンさんのお考え理解できました。

> 速度違反の罪は、速度違反能力のある車の存在を前提にしています。道路交通法は、運転者が速度違反能力のある車を運転することを前提にして運転者の自己制御を求めているのです。

私には、この認識がなかったため、スタートから違っていたようです。
つまり、「原則自由だが、一定の制限」ではなく、私は「原則禁止だが、許可に基づいてその範囲内で自由」と認識しておりました。
違いが理解できました。

本当に何度もコメントありがとうございました。
改めてお礼申し上げます。

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