エントリ

 奥村弁護士のブログでウィニー判決とその批判に対する意見が述べられています。
 タイトルは、
 「Winny判決、ソフト開発者を処罰する基準を明示せよ
 ですが、奥村弁護士は「明示せよ」と言っているわけではありません。
 するなと言っているわけでもありあません。
 一言でいうと、「無い物ねだりをしても仕方がない」ということでしょうか。

 私としては、ほぼ全面的に同意できる内容です。

 とりあえず一読されたし!

 (一部加筆)

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コメント(34)


当然のことですが、立法じゃなくて刑事裁判ですから、次々立件されて、ある程度判例を集積しないと基準は見えてこないというのが常識じゃないですか?2号、3号が検挙されて初めて基準が見えてくる。

それは当然ですが、誰だって2号、3号になりたくないのも当然です。
人柱が必要なんでしょうかねぇ。

類似事例としてソフトウェアが犯罪に利用されて幇助と認定された例にFLMASK事件があります。
ソフト開発者が起訴されたところまでは記憶にあったのですが、その後の展開が記憶に無かったので判決文を読んでみました。
http://sonoda.e-jurist.net/data/fl_link02.html
判決によると『ソフトウェアを使ってもらうようアダルトサイトの作者に打診をした』事実からが幇助と認定されているようです。
この例でもソフトウェアの開発ではなく、その配布と宣伝行為に犯罪(この場合はわいせつ物陳列罪)を助長する行為があったと読めます。

奥村弁護士は『グダグダ言ってないでガイドラインを作れ』と仰っているわけですが、これらの判決からどのようなガイドラインを策定すれば違法行為認定が回避できるのでしょうか。
『このソフトを犯罪を目的に使用しないで下さい。もし犯罪に使われても開発者は一切の責任を負いません』と免責事項を作るくらいしか思い浮かびません。
ソフトウェア自体に罪はないのですから。

 FLMASK事件においては、幇助犯認定がソフト開発に萎縮効果をもたらすというような議論が生じなかったと記憶してますが、私の記憶違いでしょうか。

 FLMASK事件の裁判例をお読みになって、幇助犯を認めたことは結論としておかしいと感じる人がどれくらいいるのでしょうか。

FLMASK事件のときは、開発の萎縮ではなくわいせつ画像があるサイトへリンクを張ることが幇助になればサーチエンジンも…という議論が持ち上がったと記憶しています。

んー、私が気にしているのは、判例からガイドラインを作るとするとどのようなガイドラインが適当かであり、判決の萎縮効果とか判決自体がおかしいとかの話はとりあえず2の次です。
FLMASK事件とWinny事件の共通点はありそうに見えて本質は全然違うような気もして…

そもそも私には、奥村弁護士のエントリは、前半と後半と追記部分が噛み合っている様に見えないのです。
前半では『Winny事件の判例は今後の参考にならない』で、後半は『判例の手の届かない部分はガイドラインを作れ』と。でもガイドラインを作るには判例が必要で、Winnyの件が参考にならないなら何を参考にすれば????

モトケンさんは全面的に支持できる内容だそうですが、これが『バカの壁』なんでしょうか。それとも私の頭が悪いだけでしょうか。

> そもそも私には、奥村弁護士のエントリは、前半と後半と追記部分が噛み合っている様に見えないのです。
> 前半では『Winny事件の判例は今後の参考にならない』で、後半は『判例の手の届かない部分はガイドラインを作れ』と。でもガイドラインを作るには判例が必要で、Winnyの件が参考にならないなら何を参考にすれば????(No.3 bg さま)

それは奥村弁護士の主張を読み違えていると思います。
奥村弁護士の主張の趣旨は、「基準がなくて、裁判所にも作れないんだったら、自分で作ればいいわけで、各種の「ガイドライン」というのがそれですよね。」

国会は法律を作らず、行政庁も基準を示してくれない。裁判所の判例は個別事案だから、集積するのを待っていては100年掛かっても穴が埋まらない。
だから、業界人が自らの手でルールを作れと言っているのです。
判例を元にするという意味ではありません。

業界人が作ったルールは、私(わたくし)のものですが、
一般人からみて、だいたい合理的なんだろうと思えるようなものら、専門家の意見としてそれなりに尊重され、社会的に通用していきます。
そうなると、業界ガイドラインに従って仕事をしている限り、故意や違法性の意識は無いと評価されるからむやみに検挙されることはないし、自主的紛争解決が促され民vs民のトラブルも発生しにくい。
そして、そのルールが、いずれお上にも認められ、行政基準や立法に取り入れられて、官製ルール化されるということも夢ではない。
だから、業界人たちは、「ルールが示されないから、どう行動したらよいかわからん」と嘆く前に、
自分たちで、「我々は専門家として、こうするのがよいと思うけど、どお?」と世間に提案せよ、
と奥村弁護士はおっしゃっているのですよ。

>YUNYUNさん
>そのルールが、いずれお上にも認められ、行政基準や立法に取り入れられて、
>官製ルール化されるということも夢ではない。

業界団体のロビー活動で、立法化するように政治家へ働きかけるのが
本当はベターなんでしょうけどね。

その意味では、自分たちの主張を法律へとつなげていこうとする、
著作権団体の働きは見事だと思います。

No.4 YUNYUN さんのコメントに、

> 業界ガイドラインに従って仕事をしている限り、故意や違法性の意識は無いと評価されるからむやみに検挙されることはないし、

とありますが、業界ガイドラインに従って仕事をしても、故意や違法性の意識がないと判断されることはないのではないでしょうか?

えーっと、自信はありません。

モトケン様、この点は如何ですか?

それから、「業界団体のガイドラインを作れ」は、趣旨は良く解りますし、場合によっては現実的な対応であると思います。私は、しまさんがおっしゃっているいわゆる著作権団体側ですので、その有効性も体験済みです。

しかし、そうやって産業界が日本をリードすることが、この国にとって本当によいのでしょうか?
国会は法律を作らず、行政は国家の行く末を決めず、裁判所は個別案件しかみず、その判決が社会に与える影響を考慮しない。
公職にあって、法律に携わる人々が、本来力を発揮する場所から一歩も二歩も下がって仕事をしている(ように見える)。

どうも私には、判断がつきかねます。
もし、よろしければ、この点に皆さんからご意見やご批判を頂きたいと思います。

そういえば、ある大企業の法務関連の役員から、「日本の司法を支えているのは誰だと思う?」と質問され、「法曹界(裁判官、検察官、弁護士)だと思います。」と答えたら、(君は、全くわかっちゃいないな、見たいな顔をされ(たぶん、そんな表情だったと思います。違っていたらゴメンナサイ。))、「企業法務だよ」と答えていました。
その時は、内心「そんな馬鹿な」と思っていましたが、こういう話を聞くとあながち間違いではないのかな?と思いなおしました。

>Justinさん
>裁判所は個別案件しかみず、その判決が社会に与える影響を考慮しない。

どうも、裁判所は伝家の宝刀というものを持っており、必要だと思った時には、容赦なく抜くようです。例えば、赤本と呼ばれている「損害賠償額算定基準」を実質的に策定したのは、東京地裁第二七部の裁判官だったという話ですね。様々な判例を元に、判断基準を作り上げた経緯があるそうです。

東京地裁の医療集中部でも同じような試みが求められているのかも知れませんし、いままさに動いているのかも知れません。

>Justin さん

 訴訟制度自体が伝家の宝刀なんですよ。

 訴訟になる前に、警察や検察が動く前に、問題が解決されればそれにこしたことはないのです。

 しかし、訴訟以外の紛争解決制度が有効に機能するためには、訴訟が健全に機能している必要があります。

 三ケ月章先生の「民事訴訟法」で学んだことです。

もう一つ

>しかし、そうやって産業界が日本をリードすることが、この国にとって
>本当によいのでしょうか?

産業界しか声を挙げる人がいなければ、産業界が日本をリードすることになるのは当然です。日本は民主主義国家なので、数の理論が優先されると思います。消費者や一般市民はどうすればいいかというと、消費者団体や市民団体を作って、企業と同じように数の力で対抗すればよろしいかと思います。

産業界の論理と市民の論理がぶつかり合って、ガイドラインなり法改正に繋がっていくと言うのが理想ですが、とても難しいとは思いますね。


>法律に携わる人々が、本来力を発揮する場所から一歩も二歩も
>下がって仕事をしている(ように見える)。

法律に携わるような人びとがあまり表だっては困るような気もします。
と言うのは、法律というのは絶対であり、司法というのは振るいようによっては
最強の権力になると思いますので。

また、それは本来自分たちで判断すべき事柄を司法に丸投げしているような
気もしないでもないですね。

そういえば、IT業界(といっても色々ですので、ソフトウエア開発に限定しますが)の業界団体というのは、仕事関係では耳にしたことがないですね。あるにはあるみたいですが。
ガイドラインの類も経済産業省関係しか見たことがないです。

SoftEtherの例を見るに、やはり個別のクレームに適切に対応していくことなのかな、と思います。経営層と現場の技術者で意見を一致させるのは相当難しいでしょうけどね。経営層は技術を理解していないことが多いですし。

>ronさん
技術者だけの団体を作るという事は難しいのでしょうか

検索しましたら見つかりました
http://lse.or.jp/

>No.11 しまさん
>技術者だけの団体を作るという事は難しいのでしょうか

政治的なもの、拘束性の強いものは難しいでしょうね。
なにせ、「猫の集団」と呼ばれるほどでして。
マイペースな人間が多いです(要するに協調性なし)。

それと、他業界はどうか知りませんが、ソフトウエア関連は、いわゆる非正規雇用が多いです。最近は、中国人やインド人の方も増えていますね。つまり、所属がバラバラなんです。

プロジェクト型の産業、というのもあります。要は、プロジェクト単位で人が集まり、終われば解散、という流れでして。

>No.12 しまさん

Winny事件をきっかけに設立、で、壇弁護士が理事ですかあ。。。

少し余談。
医療においてはガイドラインというのは、まぁこれに従ってれば70点の医療はできますよということでその分野の素人さんや専門家でも初心者向けのものです。
語弊をいとわずに言えば、ガイドラインを知り、ときに無視した医療を行うのが専門家。

産業界でのガイドラインちゅうのは違うんですかね。

 奥村先生の言うガイドラインというのは、

メーカー側が製品を用いた違法行為を容認しないという姿勢を示すための行動または対応のガイドライン

と言っていいのではないかと思います。

 その例として、プロバイダの「削除ガイドライン」をあげておられます。

 メーカー側の行動または対応のガイドラインですから、ユーザーに向けて「違法な行為には使わないでください。」と呼びかけるだけではだめです。
 
 ではそのようなガイドラインに従っていれば故意が否定されるかと言えば、必ずそうなるとは言えません。
 しかし、まじめに考えて作られたガイドラインに従っていれば、警察が少なくともいきなり逮捕するようなことは考えられないです。
 警察がそんなことをすれば、今度は警察が強い批判を受けることになると思います。

 私が思うに、FLMASK事件について幇助にならないと考える人はほとんどいないと思います。
 また、ウィニーについても、ファイル共有ソフト一般の問題ではなく、「ウィニー」の開発・公開を問題にした場合に、それが幇助になるはずがないと考える人がどれだけいるのでしょうか?

 以下は一つの考え方です。

 一般論として、その製品の機能が文字通り斬新な技術で今までその製品が提供する機能を提供する別の製品が何もなかった場合と、既存の製品が有していた機能を改良したものである場合とに分けられると思います。

 後者の場合について言えば、新製品が既存の製品が悪用されることによって生じていた違法状態をさらに客観的に明白な程度に悪化させるものであるかどうか、が違法性を認める方向での判断のメルクマール(の一つ)になるように思います。
 同時に、悪用に対する対策を(それが完璧なものではないとしても)考えていたかどうかが違法性を減少させる方向での判断要素になると思います。

 その観点で言えば、すでに200キロ以上で走行できる車がいくらでもある状態で新たに250キロ出せる車を新発売しても従来の速度違反状況を目に見えて悪化させることにはならないと考えられます。

 ではウィニーはどうかという問題ですが、この点は皆さんのご意見を聞いてみたいところです。
 少なくとも著作権侵害対策は何も考えられていなかったのではないでしょうか。

 次に前者の問題ですが、私の頭では斬新な技術の具体例が思い浮かびませんので、ここでは述べません。


 要するに、何が言いたいかといいますと、製品の提供者側が責任を問われるのは、極めて例外的な場合だろう、ということです。

 ウィニー判決の萎縮効果を声高に主張する人たちは、ウィニー事件の特殊性や具体的事情を全部捨象して、一般論的論理判断だけを批判しているように見えます。

 そんなにびくびくすることはないよ。
 警察や検察は技術者いじめを考えているわけじゃないんだから。

 と言ったら楽観的すぎますかね。

>そんなにびくびくすることはないよ。
>警察や検察は技術者いじめを考えているわけじゃないんだから。
>
>と言ったら楽観的すぎますかね。

私はむしろ「機密の漏洩」という背後に控える問題も関連している気がしてならないのですが,どうなんでしょうか?
京都の警察の対応もあるところから変化した.「警察情報の漏洩」の問題も絡んでいたというのは穿った見方なんでしょうか.

「著作権」のことは確かに問題ですが,それでもテープのコピーや音楽のmp3化など言ってみればgray zoneのものは数多くあると思いますが,それらはこのような訴訟になっていません.なぜwinnyだけがそのような訴訟の対象になったのでしょうか?
「著作権違反を目的としたソフトウェアではない」にも係わらずそのような側面だけが強調されて警察ざたになっているのは「常識」からすれば少々どうかと私には思われます.

論点がwinnyの問題というより
幇助犯一般の問題であるという点については
まったく同意です

わたしも業務上過失の勉強ばっかりしてて
故意犯については放置でしたんで
一切勉強したことないんでボチボチやってみます

「裁判所がガイドラインを作らないなら自分で作れ」
という主張に対しては
医師法21条に対する法医学会ガイドラインが
都立広尾病院事件最高裁判決で一切無視されているという
事例もあるので どれほど意味があるのかは疑問に思います。
しないよりはマシでも単なる自己満足でないという保障は
どこにもない。特にプログラミングについては
産業とも関連する話ですから政府が整備しても
バチはあたらんでしょう

>Level3 さん

>京都の警察の対応もあるところから変化した.「警察情報の漏洩」の問題も絡んでいたというのは穿った見方なんでしょうか.

 私としては、「穿った見方」と考えています。

 情報漏洩はウィニーのせいではなくウィニーウィルスのせいです。
 それくらいのことは京都府警でもわかっているはずです。

 なお、本件の起訴にあたっては、京都地検(場合によっては大阪高検を含む)の考えが決定的に重要です。

 本件の起訴は、警察の決断というより検察の決断によるものです。

> 医師法21条に対する法医学会ガイドラインが
> 都立広尾病院事件最高裁判決で一切無視されているという(No.18 いのげ様)

医師法21条の異状死届出義務について、
ガイドラインの意味がよくわからないので、教えていただきたいのですが。

広尾病院事件最高裁判決は、私の理解では、届出義務者の範囲を示したもの(病死患者の主治医にも届出義務がある)と考えます。
平成16年4月13日最高裁第三小法廷判決
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=01&hanreiNo=25125&hanreiKbn=01

これに対して、日本法医学会の意見は、「異状」の定義、いかなる死亡を異状死として届け出なければならないかを述べたものではないでしょうか。
異状死ガイドライン(平成6年5月)
http://web.sapmed.ac.jp/JSLM/guideline.html

つまり、両者は論点が異なるので、裁判所がガイドラインを無視したということにはならないと、私は思うのです。
さらに、法医学会ガイドラインでは、「診療行為に関連した予期しない死亡、およびその疑いがあるもの」は異状死扱いとしており、その場合は、診療行為を行った主治医が届け出るべきものとしているように読めるので、
そうだとすると、むしろ、判決は法医学会ガイドラインの考え方に沿っているようにも思います。

ところで、異状死の定義については、上記法医学学会の意見が必ずしも全医師の統一見解というわけではなくて、日本外科学会等、他の団体が反対意見を出しています。
診療に関連した「異状死」について(平成13年4月)
http://www.jaam.jp/html/info/info-20010410.htm

最高裁H16判決では、この事件は異状死であると判示しただけで、一般的にどのような状態を異状死というかは述べていませんので、
外科学会意見に倣って、患者が死んでも異状死に当たらないとして届け出なくてもよい場合を認める余地はあります。
つまり、現段階では、裁判所がどちらの学会のガイドラインに沿っている、またはどちらを排斥しているとは、判断できないのではないか。

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思うに、同じ医師の中で意見が割れるという状態は、大変よろしくありません。
ガイドラインは官製でない自主制定ルールといっても、専門家の統一見解であるゆえに、一個人の私見を超えた権威を認められて、社会に通用するのです。
業界内でさえ意見を統一できないでは、どうして一般国民や司法を説得できるでしょうか。

No.8 モトケンさんのコメントへ

> 訴訟制度自体が伝家の宝刀なんですよ。訴訟になる前に、警察や検察が動く前に、問題が解決されればそれにこしたことはないのです。

またまた、モトケンさんのお考えがよく解らなくなりました。
先日のエントリで「奥村弁護士のエントリにほぼ全面的に同意できる内容」とコメントされていましたが、奥村弁護士のエントリには「立法じゃなくて刑事裁判ですから、次々立件されて、ある程度判例を集積しないと基準は見えてこないというのが常識じゃないですか?2号、3号が検挙されて初めて基準が見えてくる。」というコメントがあり、この点にも同意されているのではないのでしょうか?
この点に同意されているといるのであれば、訴訟制度とは次々立件されて本来積み重ねられていくものということを前提にされている思うのですが、それでは「訴訟制度自体が伝家の宝刀なんです」、つまり、そう何度も抜くものではないということと上記のコメントとの整合性が見えてきません。
もちろん、この点に同意していないのであれば、上記のコメントは理解できるのですが・・・。この点には同意していないという理解でよろしいでしょうか。
私の理解に誤りがあれば、ご指摘頂きたくお願い申し上げます。

No.9 しまさんのコメントへ

しまさん、コメントありがとうございます。

> 産業界の論理と市民の論理がぶつかり合って、ガイドラインなり法改正に繋がっていくと言うのが理想ですが、とても難しいとは思いますね。

そうなんですよ。私が、「業界のガイドラインを作ればよい」という意見に完全に同意できないのは、仕組みとしての良さは理解できるのですが、現状のような資本主義の社会では、消費者なり市民が産業界と渡り合っていくことは実際上極めて難しいわけで、そうやって社会の仕組みを作れば良いというのは、一見ルール作りへの参加の道を開いているように見えて、実際は、ある業界の意見が押し通る可能性が高く、ルール作りの仕組みとしては現実的でないと思います。

この点、モトケンさんはどのようにお考えですか?
やはり奥村弁護士のように「業界がガイドライン」を作れば良いというお考えですか?

> 法律に携わるような人びとがあまり表だっては困るような気もします。
と言うのは、法律というのは絶対であり、司法というのは振るいようによっては
最強の権力になると思いますので。

法律に携わる人、法曹に限った話ではありませんが、例えば、法曹は優秀な人材を集めるべく、ロースクールを作り、難しい試験を課し、さらに公費による修習期間を経て法律に携わるのに、控えめで社会に貢献する機会が少ないというのはどうなのでしょう?
私には、もの凄い社会の損失のような気がしてなりません。

確かに、「表だって」の意味するところが、「法律というのは絶対であり、司法というのは振るいようによっては最強の権力になる」ということであれば、それはそのとおりだと思います。
そして、だからこそ、どのような場合に振るい、どのような場合に振るわないか、積極的に明らかにして行く必要があるとも思っています。

> また、それは本来自分たちで判断すべき事柄を司法に丸投げしているような気もしないでもないですね。

確かに、おっしゃる意味はわかります。私は、どちらか一方の問題ではなく、お互いの役割分担の問題だと思います。
そして、権力を振るうか振るわないかの基準は、その権力を持つものが明らかにして始めて、それに対するチェックが働き、その結果抑制されるのではないでしょうか?

>No.21 Justin さん

 Justin さんは2号、3号とどんどん起訴されて有罪になったほうがいいと思いますか?

 2号、3号と裁判例が積み重なれば結果として裁判所の基準は見えてきます。
 しかしそうなる前に業界が自らガイドラインを作ってそれが業界標準になっていけば、警察や司法もそれを無視しないしできなくなります。

 基準を作るのは司法だけではないです。

 というか本来、司法が基準を作るべきではありません。
 司法は基準を適用するのが本来の任務です。

 起訴(民事提訴でも同じ)されれば裁判所は否応なく結論を出さなければいけませんから、明確な基準が存在しなければ自ら基準を作らざるを得ないということです。
 司法論理的には、「基準を作る」ではなく、「基準を見い出す」といことになると思いますが、実質的には作っているでしょうね。

 ガイドライン(指針)って、「誰に何を目標としたものを誰が作ると」想定しているのでしょう?
本判決のポイントが絞られないと、そこがよく分からないのですが。
ガイドラインは、問題・意図がはっきりしていてはじめて作れるものではないのでしょうか。

・ソフト開発者に対して、不法コピーなどの用途に対してどう対処するべきかというガイドラインなのか?(悪用されうるソフト開発への対策としてのガイドライン)
・そうした悪用されうる可能性のあるソフトを公開し、配布することに対して慎重であるべきだ、とする開発者・配布者へのガイドラインなのか?
・ネット利用者に対して、不法コピーなど違法な使用法はやめて適正な使用法を促すガイドラインなのか?

「誰が作るのか」・・・普通は、その業界、例えば、ある商品に対する信頼性を確保する・向上させるなどのメリットがあるため、ガイドラインを作るのではないでしょうか?

今回のウィニー判決に対して、「誰が」ガイドラインを作ることによるメリットがあるのでしょうか?「常識的」に、「誰が」ガイドラインを作るべきなのでしょうか?

本筋からははずれますが。
先の高性能車のエントリで、「WinnyはFreenetを参考にしたもの」とのコメントがありましたね。

フリーネットは言論の自由が保障されていない国において自由な言論を達成する為、ファイルの転送効率や利便性を犠牲にしてでも匿名性を向上させる方針で開発がなされている。

Wikibooks

確かに、ソフトウエアの機能としては、Gnutellaよりもこちらが近いですね。このソフトの「ファイル共有」という点をメインにもってきた感じです。

しかし、過激ですねえ。

> 控えめで社会に貢献する機会が少ないというのはどうなのでしょう?(No.22 Justinさま)

うー・・・世間の見方はそういうものなのか。
新聞やテレビでは、法曹がどんな活動をしているかは、あまり報道されませんからね。

法曹の活動は司法裁判だけではありません。
法務官僚たる法曹(検察官、裁判官からの出向者や臨時任用の弁護士出身者を含む)は、まさに内閣提出の法案を作成する仕事をしています。法務省の本省の課長級以上は、みな司法試験に合格した人だと思います。
また、在野法曹たる弁護士は、法律を作り、あるいは作らせないように、国会や内閣に働きかけをしています。弁護士会のホームページをご覧いただければ、重要法案に対する意見書が多数出されていることをご覧いただけるでしょう。
http://www.nichibenren.or.jp/

官の法曹は法律を作る仕事をして給料をもらっているのに対し、在野法曹の辛いところは、誰かから依頼を受けて報酬をもらってロビー活動する場合はむしろ少なく、多くは、国民全体のためによかれと思って自分勝手に手弁当で活動していることです。つまり、普段の仕事を休んで収入を減らして、そういう活動をやっているのです。
例えば私は、今年の3〜4月ころ、未決拘禁法案(法律を作らせる)と、共謀罪法案(法律を作らせない)の運動に駆り出され、本業そっちのけですったもんだしていたため、事務所の収支は赤字に転落してしまいました。
我々とて霞を食って生きているわけではないので、毎日そればっかりはやってられんのですよ。

No.23 モトケンさんのコメントへ

モトケンさま、コメントありがとうございます。

> Justin さんは2号、3号とどんどん起訴されて有罪になったほうがいいと思いますか?

いいえ、もちろんそのようには思っていません。
私は、裁判官も訴訟になった以上、基準を明確にすることが望ましいという立場ですから。

むしろ、モトケンさんのコメントでは、「訴訟制度は伝家の宝刀」と位置づけつつ、奥村弁護士の「訴訟は何度も繰り返されることを前提としている」という認識に同意されているのであれば、整合性がとれていないと思った次第です。
奥村弁護士の上記コメントには同意しないというのであれば理解できるのですが、そうでないのであれば「訴訟制度自体が伝家の宝刀なんです」、つまり、そう何度も抜くものではないということなのに、伝家の宝刀を抜いて切ってみたものの一度ではスパッと切れずに何度も何度も抜かなければならないという(ことを前提としている仕組み)では、上記のコメントとの整合性がやはり理解できません。
伝家の宝刀であれば一度抜いたら、何度も抜かなくて良いように行為基準を明らかにすべきではないのでしょうか?

うーん、それとも、訴訟制度は伝家の宝刀でそう簡単に抜くべきではないが、抜くことになったら何度も抜かなければならない切れの悪い刀を準備している、というのが法曹の常識なのでしょうか?

No.26 YUNYUN さんのコメントへ

YUNYUN さん、コメントありがとうございます。

> 控えめで社会に貢献する機会が少ないというのはどうなのでしょう?(No.22 Justinさま)

いえいえ、私は、法曹の活動は司法裁判だけではないことを理解しております。
そして、法曹の方々が表だって活動されることに、賛成しております。

ただ、「法律に携わるような人びとがあまり表だっては困るような」というコメントに対し、優秀な人材に活躍の場があることは良いことであるとの立場から上記発言を行ったわけです。

> 誰かから依頼を受けて報酬をもらってロビー活動する場合はむしろ少なく、多くは、国民全体のためによかれと思って自分勝手に手弁当で活動していることです。

YUNYUN さんがおっしゃるとおり、「国民全体のためによかれと思って」、ロビー活動をするという立場があるのであれば、基準が明らかでないのなら業界がガイドラインを作れと勧めるのは、如何なものでしょうか?
業界に、国民全体のためによかれと思って、ガイドラインを作ることをお願いできるわけもなく、後は専門知識・経験の差から、問題に気付くか気付かないかということになると思います。
問題に気が付き、「国民全体のためによかれと思って」、修正が加えられれば良いですが、看過されれば問題です。
そもそも、このような観点(国民全体のために良いか否か)から法律は国会で作られることになっているのではないのでしょうか?(しかし、それがシステムとして幻想になっているということなら、仕方がありませんが・・・。)。

もしかして、この辺の議論の鍵は、「法律学における、建前と本音(現実)」ということにあるのでしょうか?

ところで、この件についての民事訴訟は(例え、訴訟にまで行っていなくとも)どうなっているのでしょうか?

刑事については、難しい面があるが、民事については損害を受けた著作権保有者がいるはずである。刑事罰が無罪であっても、関係ないわけで、報道でもそちらの方がないのは、何故なのだろうと思うのです。

>Justinさん
>消費者なり市民が産業界と渡り合っていくことは実際上極めて難しいわけで

あるべき姿としては、消費者なり市民が産業化と渡り合っていかなければならないと考えます。そのためには、自分の意見を代弁する何らかの団体に参加する事が必要だと思いますが、その認識が今のところ薄いようですね。かくいう私にしても、NPO法人の会員になっていると言うことはありません。しかし、団体の持つ可能性自体は、「黒人差別をなくす会」の一連の成果に表れているようにも思います。


>実際は、ある業界の意見が押し通る可能性が高く、ルール作りの
>仕組みとしては現実的でないと思います

民主主義国家である以上、甘んじて受け入れる問題点だと思います


>権力を振るうか振るわないかの基準は、その権力を持つものが明らかに
>して始めて、それに対するチェックが働き、その結果抑制されるのでは
>ないでしょうか?

裁判官が権力を振るう時と言うのは、基本的には「裁判官が基準を作る時」だと思いますが、日本国は三権分立な訳ですので、司法が行政や立法の枠を踏み越えて基準を作る事は大問題になりかねないと思います。ですから、基準が世に存在しない時に限られるべきだと思います。

裁判所がいかなる時に政策に積極的に関与するのかについては、ダニエル・H・フットの「裁判と社会(NTT出版)」に興味深いことが書いてあります

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新たな社会問題が発生または認識され、これに重大な道徳的側面が伴うにもかかわらず立法府と行政府がなかなか動かず、そして、熱心かつ創造性豊かな弁護士が訴訟を追行し、またこういった熱意を熱心かつ創造的な裁判官が受け入れた、などの事情があると結論せざるを得ない

No.30 しまさんのコメントへ

しまさん、コメントありがとうございます。

> あるべき姿としては、消費者なり市民が産業化と渡り合っていかなければならないと考えます。

「べき」論としては、しまさんのコメントに、非常に魅力を感じます。
議論や対話を避けてはいけないと思いますので。

> 団体の持つ可能性自体は、「黒人差別をなくす会」の一連の成果に表れているようにも思います。

「黒人差別をなくす会」の一連の成果については、残念ながら知りませんでした。
調べてみようと思います。
ただ、この団体は、産業界の団体なのだろうか?との疑問はありますが・・・。

また、すべての問題に団体が有効ということではなく、どういった問題のときに、どういった団体を形成することが良いのか、を明らかにすることが今後の課題だと思いました。

> 民主主義国家である以上、甘んじて受け入れる問題点だと思います

すみません、産業界の作ったガイドラインが既成事実化して行くことが、どうのように民主主義国家という点から許容されるのか、ちょっと理解しかねています。
この点、もう少し、ご説明を頂けると幸いです。

> 日本国は三権分立な訳ですので、司法が行政や立法の枠を踏み越えて基準を作る事は大問題になりかねないと思います。

これまでの私の説明も悪かったと思いますので、少し話を整理します。
私は、裁判所に「立法をしてくれ」、といっているわけではなく、例えば、「幇助犯」が成立するかしないかという裁判をした際に、すなわち、正犯を「幇助した者」にあたるかどうかの判断をする際に、できるだけ国民に行動の予測可能性が高まるような基準を立て、それを明示した上で判断すべきであると言っているわけです。
このように考えるのは、しまさんもおっしゃっているように「司法というのは振るいようによっては最強の権力になると思いますので。」というコメントと基本的に同じ立場からです。
裁判所が示した「幇助にあたるか否かの判断基準」が不明確なために、行為基準が不明確となり、その結果検挙され、裁判に巻き込まれるのは日頃の活動に大きな影響を与えると思うからです。

そして、この基準作りを産業界にガイドラインという形で委ねるということは、裁判官が産業界に縛られて裁判を行うことになるわけで、それでよいのか?本当に法制度としてこのようなシステムをとることができるのか?と疑問に思うわけです。

仮に、産業界のガイドラインを判断基準としてとりいれるかは裁判官の自由ということになれば、上記の疑問は解消されるのですが、それでは逆に奥村弁護士のガイドラインを作れとっても、結局、裁判で考慮されるかどうか不明なわけで、行為基準としては役に建たないとことになると思います。

>justinさん
>この団体は、産業界の団体なのだろうか?との疑問はありますが・・・。

仰るとおり、産業界ではなく、市民側の団体です。規模としては大変小さいのですが、それにもかかわらず、「ちびくろサンボ」の廃刊、ダッコちゃん人形のリニューアル等々、産業界に対してある程度の成果を挙げています。私自身はあまりいい感情を持っていませんが、市民団体に何が出来るかという指標を示していると思います。


>すみません、産業界の作ったガイドラインが既成事実化して行くことが、
>どうのように民主主義国家という点から許容されるのか、ちょっと
>理解しかねています。

つまり、「民主主義は、声の大きな方の主張が通る」と言う事ですね。消費者から何も主張がなければ、民主主義のルールによって、産業界の作ったガイドラインが既成事実化されるのは当然だと思っています。もし、産業界の作ったガイドラインに対して不服があったり、納得出来ないのであれば消費者側が主張するべきだと思います。

No.29 売れない経営コンサルタントさん

Winnyと民事訴訟について考察したブログがあります。

http://peer2peer.blog79.fc2.com/blog-entry-55.html
http://peer2peer.blog79.fc2.com/blog-entry-111.html

簡単に言えば、刑事訴訟で検察が調べた資料にフリーライドすることを企んでいるのか、というお話です。
なので、金子氏の刑事訴訟が確定してから突然民事訴訟の話が出てくるでしょう。

No.32 しまさんのコメントへ

しまさんは、『民主主義=声の大きな方の主張が通るシステム』とお考えなのですね。
だから、お互い立場を主張しあい、その結果声が小さい者は、不利益を甘受せよという立場なのですね。
論理一貫しており、お考えを理解できました。

しまさん、ありがとうございました。

それから、ダニエル・H・フットの「裁判と社会(NTT出版)」のご紹介もありがとうございます。読んでみたいと思います。

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