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「塾は禁止」 教育再生会議で野依座長が強調(asahi.com 2006年12月23日22時55分)

 なかなか大胆不敵な提案ではあるなと思って読みましたが、主張の根拠が

「昔できたことがなぜ今できないのか。我々は塾に行かずにやってきた。塾の商業政策に乗っているのではないか」と訴えた。

 これではあきれました。

 野依良治氏の経歴

 ノーベル化学賞受賞者だかなんだか知りませんが、老害と言うべきです。

 私自身、司法試験予備校をかなり批判したことはありますが、「昔はなかったから」という理由で批判したんじゃありません。

 やっぱり最初から作らない方がよかったみたいです、教育再生会議。

 私は、学習塾絶対必要説というわけではないですけど。
 もうちょっと、現状分析を踏まえた意見を述べてもらいたい。
 「今時の若い者は」の類なら中年以上なら誰でも言えます。
 私だって現に言ってますから。

 以上は報道の範囲の情報によるものであり、現状分析に基づく意見が述べられているとしたら、半分は報道の責任であり、半分は私の言いすぎになりますので、ご指摘があれが訂正します。

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コメント(29)

 そもそも、小中学校や塾の現状をどれだけ調べた上で発言なさってるんでしょうか?理化学研究所所長という重責の身では、まさか実際に視察に行くこともできないでしょうし、教育臨床の研究者から話を聞く暇もないでしょう。
 根拠のない思いつき発言が繰り返される場を、通常、井戸端会議といいます。教育再生井戸端会議だ。

上のページの23〜25ページめのあたりですね。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku/2bunka/dai3/3gijiyoushi.pdf
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku/kaisai.html

>以上は報道の範囲の情報によるものであり、
>現状分析に基づく意見が述べられているとしたら、
>半分は報道の責任であり、半分は私の言いすぎになりますので、
>ご指摘があれが訂正します
議事録を見る限り報道されていることと流れは大体同じだと思いますよ。

同じことを息子さんやお孫さんに言って実践されておられるとしたら
ある意味尊敬には値しますがおそらくそんなことはないでしょう。
大体ご自身と同じ学歴を得るのに現在塾にいかずにいるなんてことは
まずありえないと思いますよ。

あと議事録を見て思ったことはみなさんカタカナ語の使いすぎです。
日本語の語彙力が不足されているのではないでしょうか。

「有識者」の抱える問題点は深刻です。表舞台に登場する人達は自意識が強いからだと思いますが、限定的な条件下での成功体験に普遍性があると錯覚している様に見受けます。そもそも成功には運がつきものであることを理解されているのか疑問です。異なる事柄には異なる方法論が必要であることも、たぶん解っていない様な気がします。
>塾は禁止
これをどうやって実現するつもりなのでしょうねえ。「塾禁止法」でも作るおつもりでしょうか?事務局からまともに相手にされないのは当然です。

ヤブ医者 さんと同じく「有識者」による結論は問題が多いと思います。

即ち、有識者は、ある分野において、それそれぞれの知識、経験、見識を持っておられるが、
1) どの分野においても、それが絶対という真理より、仮定を出し、仮定に反する事実が多くないというようなアプローチである。因果関係は、状況が異なれば、結果と原因が全く異なることが多い。学問的なアプローチは必要であるが、学問的なアプローチのみで解決すると誤ることがある。
2) 事実調査に基づいた問題点の検討をすべきである。有識者とは、実は本職をもっておられ、その延長線でメンバーに選ばれた。だから、その問題の詳細を検討するために時間を割く余裕は余りない。ともすれば、結論等は事務局が主導する。

従い、個別の事情を分析するのに相応しい研究者、コンサルタントの様な機関が調査し、報告書を作成するのがよいと思う。その結果を、有識者、政府、関係団体等で検討するのが正しいアプローチと思う。

その場で「どういう論理で塾を禁止できるのですか?」と反論する人は居なかったのでしょうか?

野依氏個人の発言よりもこういう話がマスコミを通じて出てくる方に何かヘンじゃないのか?と感じます。

もちろん、野依氏のこの発言はどう見てもヘンで、現場を見ていないひょっとすると教育委員会からの情報ででも発言しているのかなと思います。

教育委員会は学校の現場を見るのが1年に一度程度なのですから、教育委員会から行政に上がっている情報は学校の現場の実態を伝えていないと思います。

>塾の商業政策に乗っているのではないか

塾が消費者のニーズに答えているだけだと思います。
学校が、消費者のニーズに答えているのなら、塾は存在価値を失うと思います。


ところで、なぜ野依さんを座長に据えたのでしょうか。

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ノーベル賞級の思考力や創造性を義務教育で育てようなどと言うことをしている国は存在しませんし、高度な思考力や創造性は高等教育段階で養成する(義務教育段階で重要なのは、むしろ「芽を摘まない」ということ)というのが、少なくとも西欧・北米における常識だからです。日本ではよく行われていることですが、「ノーベル賞受賞者から小学校教育の在り方について意見を聞く」などという愚かなことは、早く止めるべきでしょう。彼らから聞くべき事は、「ノーベル賞級の研究を振興する方策」なのです。
「新・不思議の国の学校教育(第一法規)」
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> No.5 酔うぞ さん
この教育再生会議の議事要旨はWebで公開されており、マスコミからすれば、
おいしい「ネタ」ですから、ああいう取り上げ方は想定の範囲内では?

「我々のころは、部活もやって、その後、休憩してご飯を食べて、
勉強していた。塾も行っていない。」とか言ってますし、個人的な思いつきだと
思います。ネタ元がいるのなら、商業主義批判や他の委員の発言にあるような
受験テクニック偏重批判など、もちっとマシな理屈がくっつくと思います。

No.7 中山さん

でもねぇ「タメにする」という以上じゃないでしょう?

日にちの言い間違えをそのまま出しているのと大差ないと思うのですがねぇ。
それにもっと重要なのは、公表するためには内部で一応見ているはずでしょうから、それすり抜けている。

ここに関しては、事務局がわざとスルーしたのでないのか?とも思うわけです。

マスコミの取り上げも、チェックせずに流したどこかも、全部ひっくるめて「それでよいのか?」なのでありますよ。

> 「我々のころは、部活もやって、その後、休憩してご飯を食べて、
勉強していた。塾も行っていない。」

野依氏は1938年生まれだから、敗戦の年に小学校入学、大学進学は朝鮮戦争やってた時代かな。
私の母と同世代ですね。当時は大学浪人のための予備校はともかく、小中学生が通う塾なんて、日本じゅう探しても幾らもなかったはずです。
最近、昭和回顧ネタが流行っているから、マスコミに取り上げられただけでは。
・我々のころはコンビニに行かずに、毎日八百屋や魚屋で買い物をして夕食を作ったものだ。携帯電話も使わなかった。
とかいうのと、同じレベル。

>大体ご自身と同じ学歴を得るのに現在塾にいかずにいるなんてことはまずありえないと思いますよ。

 現在でも、塾も予備校も通信教育も一切使わずにきちんと一流大学に入ってそのまま大学院から研究者になる方は大勢いますよ。そういう家庭は親が高学歴で、ノウハウを教えてくれるんだそうですが。
 塾ってのは、ある意味、精神安定剤みたいなものなんです。親も子も、対策はしているという安心感を得る。

「塾に行かずに、学校と自分の努力で合格できる大学に行け」(猫も杓子も大学に行くな)という意味に捉えると案外面白い?
(過激な揶揄ですので・・・御容赦を)

野依氏は、自由主義社会において「禁止」などということをそんな簡単にできると思っているのでしょうか?
ノーベル賞は受賞できても、化学に詳しいだけでそれこそ「常識」というものがないようです。

個人の経済活動は原則的に自由なのであり、教育という特質を考慮するとしても塾開設に際して免許制にするぐらいが限界だと思います。

免許制自体適当かどうかという問題があります。
日本の教育において私塾が果たしてきた役割には大変大きなものがあるからです。
たとえば、松下村塾や適塾などですね。
もし江戸時代に政府公認でなければ塾が開けなかったとしたら、自由な教育というものが損なわれていた恐れがあると思われます。

> No.10 Inoue さん
人口が少ないため塾産業が弱い地方だと、高校が0時限目や7時限目
を導入するなどして、実質予備校・塾の代わりになっているところがけっこう
あります。中学以下では聞いたことがありませんが。

そこから研究者になるかどうかは別にして、こういう人たちは、塾に行かずに
一流大学に合格したことになるわけで、野依さんとしては、都会の教師の労
働強化をお望みなのかも知れません(笑)

わたしは、塾を禁止しても明らかに実効が利かないと思うので「なんということを言うのだ」と思うのです。

そんなことも分からないのだとすると、実態を見ていないどころ考えてもいない、といったレベルで非難されても仕方ないと思う。

一方、冗談やシャレの発言が公表されたのであれば、それは公表した側のセンスの悪さ以外の何者でもないでしょう。

どっちがより真実に近いのかは興味深いところです。

そういえば、韓国では本当に塾禁止法のようなものを作って塾通いを禁止したことがありますよね。あれは、結局、どうなったのでしょう?

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku/2bunka/dai3/3gijiyoushi.pdf
 ご紹介された議事録を読んだのですが、やっぱり井戸端会議ですね。個人的体験談や、とくに根拠があるわけではない印象論を好き勝手に放言しているだけです。
 東京大学大学院教授の苅谷剛彦が日本の教育論議は現実から遊離したイデオロギー論争ばかりで、根拠に基づく実証的な議論がないと苦言を呈していますが、まさにそうなってしまっている。

この方が塾を利用したかどうかはともかく、古くから私塾はあったと思います。
私も塾通いの経験はありませんが、おかげで東大とは縁がありませんでした(爆
学校が素晴らしい授業をしてくれたら私塾は自然と淘汰されるのではないでしょうか。。

私も野依さんの主張にはとても賛成できません。

しかしまだまだ教育の議論がなされている段階での「老害」と言う言葉は、個人的には残念です。老害とは、長期にわたって権力に居続ける者のせいで弊害が起こることを指す言葉ではないでしょうか。すなわち、その本人の存在自体を非難する言葉です。単なる意見に対して、しかも(常識外れとは言え)現状に一石を投じるような意見に対して、老害よわばりは、何か違うと思うのですが。

ちなみに、来る日も来る日も、学校と塾と家庭教師と睡眠時間で一日のスケジュールがほぼ埋まっている小学生などを実際に知っているので(そのご家庭はさすがに極端ですが)、野依さんの問題意識は分からなくもないです。解決法は思いつきませんが…。

 以前の発言でも話題になっています

>>「知」の崩壊を憂慮するノーベル賞学者がぶつけたイライラ
http://www.hakubun-zemi.co.jp/Monthly/MonthB1706.htm

問題は、ざっと書きますと

・一部の高校の進学校の授業が予備校化しており、野依良治氏の言う「形式知」
を詰め込む場になっていて、「形式知をつめこむ塾」を禁止しても意味がない。

・前の「数学基礎」導入も三浦朱門氏の意見がきっかけで、有識者を集めても問
題意識が現場と乖離している。また、現状を研究しようという気配もない。

さて、どうやって自分の子供を守ろうかしら。。。

No12, No17
塾は塾でも昔々の塾は、住み込みか、そうでなくても今で言えば私立学校に近いような気が。
入試制度を変えるか、そうでなければ現代の塾がこんなに広まっては、塾(とその先生)を学校に取りこんだほうが良いかもしれません。

昔、ビートたけしがよく言ってましたが、彼の育った環境では、塾とは落ちこぼれが行くところで、塾通いは恥ずかしいことだったそうです。野依さんもそういう雰囲気の仲で育ったのかも知れません。

地域によって事情は様々でしょうが、少なくとも都会の塾はすでに様々な機能を担っています。仲の良い子が行ってるから、という理由である塾を選択するのはよくあることですが、子供の動機としては遊びに行くのと変わりません。学童保育的に位置づけてる共働き家庭もあるでしょう。教職志望者にとっては絶好の鍛錬の場ですし、大学院生にとっては専門を生かせるアルバイトです。ま、お陰でロリコン学生による児童殺傷事件の舞台にもなってしまったわけですが…。塾を批判するのはいいのですが、機械的に学習テクニックを叩き込む場としか見ていない批判が、いまだに主流なのは困ったものです。

オジヤマ虫さん

>No12, No17
塾は塾でも昔々の塾は、住み込みか、そうでなくても今で言えば私立学校に近いような気が。

ご指摘のとおりだと思いますが、現代では私立学校にしてしまうと補助金が出る代わりに文科省からの指導も厳しくなります。
そうしたものに縛られない存在という点から、近世の私塾のような存在を現代でも認めてよいと思います。
認めてよいというか自由にさせてやれば、ってところですね。

塾禁止よりもゆとり教育禁止が先だ。あんな何も書いていない教科書でどうやって何を勉強しろとでも言うのか。野依さんはまず今の教科書がどれ程薄いか研究しろ。

> あんな何も書いていない教科書でどうやって何を勉強しろとでも言うのか

よろしいんじゃないですか、教科書の中身なんてどうだって。
私の学生時代でさえ、教科書では勉強していませんでしたよ。
勉強は塾や予備校で、参考書・問題集を使ってするもの。教科書は学校の机に起きっぱなし。

ま、その薄い教科書でも全部覚えられれば、それなりの大学には入れると思いますけどね。

今さらここにコメントしても,時期遅れだとは思いますが,ここに掲載されている意見には違和感を感じるので,私の意見を投稿させていただきたいと思います。

野依氏は,何も塾禁止を制度化しようと主張したいわけではなく,塾に行くのが当たり前のような風潮はおかしいから,これを何とかしなければならないといいたいんじゃないでしょうか。
そのために,法制度で塾禁止にするのは無理でしょうが,公のスタンスあるいはメッセージ的なものとして,「塾禁止」と主張することは,何がしかの意味があるのではないでしょうか。

野依氏程度の学歴を得るには,いまどき塾は必須だという意見もあるようですが,東大・京大を含めて,国内の普通の大学に進学するのに,必ずしも塾は必要ないと思います。
そもそも,小学校で一日4〜6時間,中学,高校で毎日6時間も学校で勉強しているのに,さらに塾にもいかなければならないなどというのは,おかしいのではないですか。
まして,「勉強は塾や予備校でやるもの」というのであれば,何のために学校に行くのか。

履修漏れ問題の時にも感じたことですが,みんな,何のために学校に行っているのでしょうか。友達,出会い,トキメキのためですか。
「日本史や世界史の授業を受けなければならないのは不公平だ」と考え,大学に進学したら,授業そっちのけでバイトやサークル,その他に精を出すのであれば,高校にも大学にも行く必要はないと思います。
子供は当分親のすねをかじっていたいし,親も我が子をすぐに社会に出すのは不安だし,社会としてもただでさえ失業者が大勢いるのに,さらに大量のガキに就職されるのはいい迷惑だし,無職でフラフラされても困る,教育ビジネス界も客が減るのは困る。だから,みんな高校や大学に行くことになっているんでしょうか。

結局,かなり多くの人にとって,学校というものが,在籍すること,卒業資格を得ること以外に意味はなく,勉強も,学校に在籍し卒業するために課される負担でしかない,というのが現状なんだろうと思います。

習い事や学童保育のような機能を持った塾は,学習塾とは別の存在意義があるのだとは思いますが,いずれにしても,子供が毎日朝から晩まで学校や塾のようなところに行っているという状況は,望ましいものとは私には思えません。

そういうことで,私は,「塾禁止にすべきだ」という野依氏の意見に,賛成したいと思います。

> 結局,かなり多くの人にとって,学校というものが,在籍すること,卒業資格を得ること以外に意味はなく,勉強も,学校に在籍し卒業するために課される負担でしかない,というのが現状なんだろうと思います。

私の高校時代が、まさにそういう状態でした。大検より簡単だとみて、3年間授業料を払って高校へ通ったわけで。
北さまは「大学入試に対応できる」高校へ行かれたのかもしれませんが、全国的には、進学に対応できる公立校が無い地域もあるのです。
私が住んでいた市では県立高校は総合選抜制度を行っていたため、生徒の学力に幅がありすぎ、中間層を狙って自称「全国中程度」レベルの教育しか行わなかったので、学校の授業だけでは希望する大学に合格できないことは明らかでした。
学校は進路指導もできませんでした。新設校でデータの蓄積がなく、そもそも学内順位は、他の生徒たちと同じ学校を受験するわけではないから、何の意味もない。先生からはっきりと、「予備校で相談してください」と言われました。

こういう調子で地域の公立高校が大学入試に対応できないのでは、進学希望者は私学へ行くか、塾で教わるか、家庭教師を頼むほかはありません。(参考書で自習できればよいが、そこまで能力の高くない子は、指導者に就くほうが効率的)

> 公のスタンスあるいはメッセージ的なものとして,「塾禁止」と主張する
現実的に塾の必要性がある以上、建前的に禁止しても、違反者が続出するだけで、効果はないでしょう。

> 無職でフラフラされても困る
実は、これは社会的には大きな理由です。
小人閑居して不善を為す。学校に行っておらず就職もしていない、何もしていない少年は、非行に走りやすいという現象があります。
進学させようとか教育しようとかいう以前に、社会にご迷惑をお掛けしないように、昼間少年たちを隔離収容しておく場所が、学校である、と。

>YUNYUN さん
>社会にご迷惑をお掛けしないように、昼間少年たちを
>隔離収容しておく場所が、学校である、と

つまり、よその国では非行に走ったり、警察にご厄介になるなど、青少年問題は社会問題化していますが、我が国では学校問題になってしまっているという訳でしょうか。

よその国の中等教育事情を知らないで発言しますが。

>>No.27 YUNYUN さんのコメント
>実は、これは社会的には大きな理由です。小人閑居して不善を為す。学校に行っておらず就職もしていない、何もしていない少年は、非行に走りやすいという現象があります。
進学させようとか教育しようとかいう以前に、社会にご迷惑をお掛けしないように、昼間少年たちを隔離収容しておく場所が、学校である、と。

 潮木守一著「世界の大学危機」(中公新書)に似たような話があったように思います。19世紀のアメリカ合衆国の「カレッジ(といっても当時は14、15歳の少年が入学していたらしい)」はそのようなところだったようです。また一般に「大学」は、産業構造の変化によって増加した就職できない若者を収容する機能も担っているといった内容も書いてあったように思います。イギリス、アメリカ合衆国、ドイツ、フランスの大学の歴史を紹介していて、興味深い本でした。

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