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そのまんま東さん、談合容認?発言…会見後「反省」(2006年12月23日22時40分 読売新聞)

 東氏は「官製談合は悪だ。一般の談合も悪だが、社会には必要悪がある。厳しく取り締まる人員もエネルギーも必要だし、それ(一般談合)までなくしてしまったら中小零細企業はどうなるのか」と述べた。しかし、「談合を容認するのか」と追及されると、「一般談合も官製談合も悪い。入札制度の改革を進めたい」と言い直した。

 現状または実情については勉強しているようですが、政治についてはまだまだみたいです。

 地方では、たしかに「中小零細企業はどうなるのか」という実情はあると思います。

 談合絶対反対というのは、

 力のない中小零細企業は潰れても仕方がない、力がないんだから。

 という結果を容認する考え方です。

 記者さんたちも、そのことは理解しているんでしょうね?

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コメント(12)

談合は容認すべきではない。

しかし、赤字受注、品質低下、下請けいじめの競争に走ってはならない。赤字受注は企業の個別判断の結果であり、介入すべきことではない。しかし、手抜き工事等が行われないように、工事の検査・監督体勢を整備して貰いたいし、労務の面にしわ寄せが行かないように労働基準監督署による管理等がしっかりして欲しい。検査・監督体勢の整備については、検査・監督を別途発注しても良いと考える。二重の検査・監督になるだろうが、手抜きを行った公共工事が遺産として残って欲しくない。

 アメリカ式スタンダード(世に言うグローバル化ですか。)によって、決まりが明文化されて、さも公平になったように見せかけていますが、要するに、チカラが無い物は食われる、弱肉強食の仕組みになった、わずかの勝ち組と大部分の負け組になったってことですよね。
 そうしないと、国内で強い者まで、外資にしゃぶり尽くされてしまうから、仕方なくやったんですよね。(仕方なくやったと思いたい。)規制緩和、談合禁止、自由競争、自然淘汰、っていう大義名分を作っただけなんですよね?
 ただ、それが、主権者である国民によって選ばれた政治家のしたことなんだから、仕方ないですよね。私は今から日本式スタンダードにもどって、国民皆保険で誰でも医者にかかれる、みんなが高校までは通える、治安の良い住み心地の良い、総中流社会に戻るのも悪くないと思いますが、難しいのでしょうね。

最近、一般競争入札が増えているのは感じますね。

ただ、アメリカと違って、日本では、施主が工事で責任をもってイニシアティブをとるよりは、業者に全てお任せ(一括発注)、というパターンが多く、いわゆるゼネコンが主流になっているんですよね。規模の大きな工事を「全てお任せ」できるのは大手ゼネコンに限られるでしょう。

かの国では分割発注が主流のようですが、日本でできるかなあ、という感じです。施主、つまりお客様が責任を持て、という考えがあまりないですからねえ。

 日本が国も地方も官僚が少なく、行政経費が安く済んでいる理由は、ひとえに監督業界の談合体質のおかげです。
 新規参入のない、同一メンバーで競争を行っていると、だんだんと協調するようになり、抜け駆けや不正行為がなくなります。村八分になったら商売続けられませんから。
 このような状況では、業界が相互監視していて、官僚が厳しく取り締まる必要がないから、行政経費は安く済みますが、競争がないので、生産する財やサービスのコストは高くなります。

 一般競争入札を徹底させて、地元も中小も関係なしで無差別に落札を許すようにすると、手抜き工事や不良品納入のリスクは高まり、それを取り締まる官僚の数を増やす必要が出てきて、行政経費は膨張するわけです。
 行政コストの低減と発注コストの低減はトレードオフの関係にありますので、どちらを取るかはケースバイケースでしょう。特に軍事産業の場合は、得体の知れない企業に国の防衛戦略や作戦計画を漏らされてはたまりませんので、高コストを甘受しなくてはいけないかもしれません。

田舎のお笑い芸人の妄言よりも
新聞の価格・休刊日談合や押し売りをやめて欲しいです

物事というのは多くの側面を持っているものですよね。
いわゆる談合もそうで、指名入札による「競争制限」も側面のひとつです。
公共事業などでは、施工の品質確保(行政の低コスト化)、調達地域での雇用確保(特に低学歴若年者や高齢者)、多雪地域では除排雪機能の維持、広域河川での水防能力の点検・維持等々を担ってきました。
基本的に競争になじまない側面を持っていたからこそ、長い期間、悪く言えば行政に利用され、よく言えば地域に貢献してきたわけです。それは仕事をする誇りでもありました。
談合に至る指名入札というような、優先的な地位(あるいはそのような扱い)は、それらの行為の結果として良くも悪くも提供されてきていました。
ですから、一つの側面に光を当てて見直すのであれば、その他の側面をも見なければ妥当性を欠くことになると思います。
これからはたくさんの側面それぞれに、調達のコストがかかることは覚悟する必要があります。競争的な側面を各方面に一様に適用することにはコスト的な妥当性を疑っています。しかし談合を正当化することはできません。調達コストを度外視した議論が進んでいますので、もう戻せないのだろうと考えています。
なにか他のスレッドでの崩壊論議に近いものを感じております。結局は社会のモラルに帰着するのかもしれません。残念に思いますが。

> No.5 いのげさん

価格や押し売りの方はともかく、休刊日を揃えるのは、販売店への配慮(?)
だったと記憶してます。複数誌を扱う販売店はけっこう多いのですが、一誌でも
正月を含めた休刊日がずれると、その販売店は休日がゼロになってしまいます。
新聞社同士で販売店を共有したり、委託したりの関係があり、それは地方毎に
異なるので、調整するのは容易なことではなく、一斉休刊がもっともコストが低い
ということになったのでしょう。

ちゃんと人員を確保して、365日宅配体制が組めればいいのでしょうが、一方で、
何でもコンビニみたいにする必要も無いような。

談合の是非ではなく、公共事業における業者選定、会社が公共事業で利益を上げること、価格競争による技術力向上をどう評価するか、の考え方から議論しないと、難しいトピックですね。どなたかが既にコメントされたように、談合は結果ですので...。

1) 発注機関の別
2) 『工事/維持修繕』か『土木設計・調査/測量』か、など業務の大別
3) 工種の難度や規模など、中身

により公共事業は事情がだいぶ異なりますが、上記までのコメント内容の他、下記の視点が必要かな、と思いました。

・国の機関の場合は特に『業界の保護・育成、プラス地元経済を考える』という意識 (それが国の仕事だ、みたいな)が、地方自治体よりも強い。
 →監督傘下団体・企業に幹部職員が転職し、技術屋的な官民一体感の醸成。
  (キャリアの『渡り』がよく報道されるが、財団・社団の存在による業界の総負担を考え
   ると無数のノンキャリ技官の影響のほうが大きい。)     
 →ただし、技官に対する評価が難しいのは技術的な背景を発注者側がよく勉強している
   ことにより、地方より国のほうが適切な発注形態である比率が大と思われる点。
  (案件に応じて、業者選定に多大な手間をかけるプロポーザル型で技術力を評価し随
   意契約する等の対応。価格は指定の上下限を守れば比較対象としない。)
 →地方自治体は、中身をみないで『機械的に』競争入札を導入している傾向?
 →地方にも技術職があるので、職員の意識というより予算・スタッフ等のリソースの
   問題といわれれば、それまでですが。

・予定価格の積算根拠をチェックするのは会計検査院だけという行政職員の意識。
 →新参者には中身の詳細が把握できない業務の特記仕様書案の場合、談合から抜け
   た企業が間違った独自の札を入れると、受注契約時に思わぬ実情を知り、発注者か
   ら、なんでこんな安くできるんだ!とお叱り(低入調査)をうける。
 →受注してしまった企業の、現場実働部隊(若い人)が苦しむ。発注担当の行政職員も
   しんどい。
 →会社の個別の事情、営利を追求した結果だが、技術と調整しないで勝手に仕事
   とってきた営業(若くない人)は、当初は仕様をこうも解釈できた、と弁明するだけ。

・どう考えても業者間で『価格に差をつけようない』工種や規模の発注が存在し、かつそうした仕事しかできない零細業者の存在。
 →技術指針/竣工検査の基準から逆算すると、技術力や材料調達で差がつかない。
  (丸投げ禁止、人件費単価も決まっている。)
   →現場が地元かどうか、地理的な事情しか業者間の見積もりで差がでない
    →下限の見込みで差がないと、NPO化しない限り(笑)、公正にやるなら入札は
      地元業者間のくじ引きと同じ。(実態は異なるが理屈上は。)
      →談合とどう違う?本当にくじ引きにしたすごい自治体が昔ニュースになりまし
       たが、わたしはこうしたルーティンワーク的事業であれば、談合否定と企業
       経営の尊重との両立を考えた行政からの1つの回答だと、評価しました。

 NHK出身の経済学者、池田信夫氏が「効率が高すぎる政府」というタイトルで書いていらっしゃいますがhttp://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo、政府部門だけ効率が異様に高くて、非政府部門の効率が低くなってしまっているのが日本社会です。
 公務員数を削減すればいいってものじゃないでしょう。

>inouさま

ご指摘の生地は10月4日付ですか
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/62312ca6f8a8fdfb3cbfc62a73e4514c

> 公務員数を削減すればいいってものじゃないでしょう。

元記事を読むとむしろ逆に近い印象を受けます
「数の削減は不必要だが権限の削減が必要」という論旨
(以下抜粋)

「本質的な問題は財政負担ではなく、むしろなぜこのように効率が高いのかということだ。たとえば、かつての金融行政は、ほとんど銀行・証券業界の業界団体による「自主規制」で運用されていた

(略)

重要なのは、行政の効率ではなく経済の効率を高めることだ。そのためには、参入規制を撤廃しなければならないが、これによって行政の直接経費が下がるとは限らない。参入が自由になると、長期的関係による暗黙のモニタリングは困難になるので、ルールを明文化し、違反を取り締まる公務員を増やして、事後的に小売りでモニタリングしなければならないから、SECのように監督機関の規模は大きくなる。

しかし橘木氏のいうように、もっと「大きな政府」にすべきだということにはならない。政府支出には一定のオーバーヘッドがあるので、北欧などの小国で財政のGDP比が高くなり、日米のような大国で低くなるのは、ある程度は当然だ。日本の政府支出の絶対的な規模はアメリカに次いで大きいので、財政的にも今以上に大きな政府にすべきではない。もっと重要なのは、統治機構の中で行政に権限が集中していることだ。

日本では立法・司法機能が弱いため、官僚が法律をつくり、それを解釈し、行政処分で処罰する権限までもっている。Shleiferなどの実証研究が示すように、行政中心(大陸法)の国の成長率は司法中心(英米法)の国に劣る。事前の規制で紛争を押さえ込む制度は、摩擦は少ないが、自由度が低いからだ。日本でも、官僚の役割を司法で代替し、個人間の紛争処理で解決する制度改革が必要である。奇妙な表現だが、日本の政府は効率が高すぎるので、行政の権限を縮小する必要があるのだ。」

週間東洋経済の2006年12月9日号(2006年12月4日発売)=参考Webは、
http://www.toyokeizai.co.jp/mag/toyo/2006/1209/index.html
の「落ちる中間層」−「公務員200万人がワーキングプアになる日」に、独立行政法人となった国立病院がその院内保育園の運用につき、それまで病院、保育士、労組、保護者の4者による運営委員会に委託されていたのが、ピジョンへの委託に切り替わったことが書いてあります。

効率化という名の下に、コスト(金額)を下げることのみの目的で116保育園の運営が厚生労働省第2共済組合から一括してピジョンに委託された。院内保育園の直接の利害関係者である病院、保育士、医療従事者、保護者等の意見や声が反映されないどころか、無茶苦茶になってしまうと思います。

民営化や効率化そして行政のスリム化などの言葉の後ろには、ワーキングプアを作り出し、社会を破壊する危険性があることを認識して取り組む必要があるし、行きすぎてはならないと思います。

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