エントリ

 約2年5カ月にわたって自宅から大音量の音楽を流し、隣人女性に体調不良を起こさせたなどとして、傷害と暴行の罪に問われた奈良県平群町の河原美代子被告(59)の控訴審判決が26日、大阪高裁であった。古川博裁判長は懲役1年とした一審・奈良地裁判決を破棄し、懲役1年8カ月(求刑懲役3年)を言い渡した。
 一審判決に対し、弁護側は「騒音による傷害罪は成立しない」などとして無罪を主張し、検察側は量刑不当などを理由にそれぞれ控訴していた。

 憶測コメントです。

 被告人が無罪を主張したので、高裁は再犯のおそれを感じたのでしょうか。

 被告人が控訴せずに反省の念を示すことに徹したら、検察の控訴を認めたかどうか、少なくとももう少し軽い判決だったのでは。

 などと想像しています。

 この想像を検証する手段はありませんが。。。

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私が、時々見に行くブログに「元検弁護士のつぶやき」というのがあります。以前は、m3.comその他の掲示板で悪評たらたらだったのですが、管理者の人徳か、現在... 続きを読む

コメント(51)

陰謀論の域を脱しませんが、以下のような背景があるという意見があります。
http://www.multitvch.com/gyakuten/matome.htm
・被告一家が創価学会の勧誘を断ったためと、被告一家に難病の人間が多いことを理由に被害者夫婦を含む住民が嫌がらせを行った
・被害者夫婦はマスコミを利用し被告を一方的に悪者に仕立て上げた
・よって被害者夫婦(+創価学会)こそが真の悪である(?)
ということのようです。

この話を信じている人はそれなりに多いようです。創価学会黒幕説というのが受け入れられやすいのでしょう。

陰謀論についてのページを一つ上げておきます。
http://www.kojii.net/opinion/col061106.html

 一言だけ申し上げますが、創価学会は、勧誘を断ったからといって嫌がらせをしません。
 創価学会の勧誘は最初はほとんどの場合断られます。
 それで嫌がらせをしていたら誰も入会しません。
 誰も入会しないのであればこんなに大きくなれません。

 断られた腹いせに嫌がらせをする学会員が絶対いないとは言いませんが。
 どんなところにもはき違えをする人間はいますから。
 ただし、本件については信頼するに足る具体的な情報を全く持っていません。

 営業マンを思い浮かべていただければご理解いただけると思います。
 
 なお、陰謀論に深入りするつもりはありません。
 議論にならないことはすでに植草関係で述べています。

>被告一家が創価学会の勧誘を断ったためと、被告一家に難病の人間が多いことを理由に被害者夫婦を含む住民が嫌がらせを行った

少なくとも、私が今まで40数年生きてきて知る範囲では、難病の方が家族にいるからといって、近所の人にもわかるほどあからさまにその家の人に嫌がらせをする人は見たことはありませんが・・・。奈良のこの地域のみはやっている現象なのでしょうか。それとも私の住む大阪が特別なんでしょうか?

ええ、根拠が薄弱なのに何故か支持を集めるこの説が不思議なのです。

陰謀論的なものを載せるべきではありませんでした。申し訳ありません。

>根拠が薄弱なのに何故か支持を集めるこの説が不思議なのです。

確かに、陰謀論があった方が事件的には盛り上がりますが。

>GX9900 さん
ええ、根拠が薄弱なのに何故か支持を集めるこの説が不思議なのです。

今の医療崩壊云々に関しても、ヒョットしたら、同じかも知れませんね(苦笑)
流言飛語を信じて、あれが悪いやら、これが良いやら言い出すと、お互いに辛くなってしまいます。

うわさの件が根拠薄弱であるのと同様に
この件に関するマスコミ報道の大部分(というかほとんど全部)が
独自取材ではなく 隣人が撮影した動画を
さらに編集したものであるという事実もまた
否定できないのであります

>一言だけ申し上げますが、創価学会は、勧誘を断ったからといって嫌がらせをしません。
 創価学会の勧誘は最初はほとんどの場合断られます。
 それで嫌がらせをしていたら誰も入会しません。
 誰も入会しないのであればこんなに大きくなれません。

 断られた腹いせに嫌がらせをする学会員が絶対いないとは言いませんが。
 どんなところにもはき違えをする人間はいますから。<

 このブログを離れて、この文章だけを読んだとすると、文章の作者が創価学会に関連のある人だと思わない人はいないと思います。モトケンさんが実際に創価学会会員か否かは知りませんし、知りたいとも思いませんが(私は無神論者です)、もしモトケンさんが学会員でなければ誤解を招くような文章は書かないほうが良いと存じます。

 とくに、

 > 創価学会は、勧誘を断ったからといって嫌がらせをしません。
 創価学会の勧誘は最初はほとんどの場合断られます。<
 
という箇所は、まるで経験者が書いているような印象を受けます。

 今までは、モトケンさんは思想その他が偏っていない中立的な立場の方だと推測してこのブログを呼んでいましたが、万一学会員であるならば、読み方を変えざるを得ないでしょう。

 創価学会は司法界に学会員を組織的に送り込む戦略をとっているらしいということを以前に読んだことがありますが。

 私の推測が誤りであったならば心からお詫びいたします。

>福田恒存をやっつける会会長さん

 このブログの右サイドバーの上から3番目に「初めての方へ」というタイトルでプロフィールへのリンクがありますのでそこを読んでください。

 ところで

>今までは、モトケンさんは思想その他が偏っていない中立的な立場の方だと推測してこのブログを呼んでいましたが、万一学会員であるならば、読み方を変えざるを得ないでしょう。

 読み方をどう変えようとそれは読み手の自由ですが、「中立的な立場」というのはどういう意味なのでしょう?

 私は、今まで自分が中立であると宣言したことはありません。
 私個人の考えをこのブログで述べているだけです。

 「中立的な立場」の人というのは何にも思想・哲学を持っていない人を意味するのでしょうか?
 もしそうなら、一般論的には私はそのような人より一貫した思想・哲学または宗教を持っている人のほうが信頼できます。

 その思想・哲学または宗教が共産主義であってもキリスト教であってもイスラム教であってもです。

 なお、創価学会関係の話題を私のほうか持ち出すことは控えています。
 今回は私の認識している創価学会と異なる情報が書き込まれましたので反論したまでです。

 ちなみに、私を創価学会関係者であることを理由として批判(だったのかな^^;)めいたコメントを書いた人はこれまで一人だけだったと記憶しています。

 以前に、北朝鮮関係で盛り上がったことがあり、私に対する批判が多数寄せられたことがありましたが、そのときでも創価関係の批判はなかったはずです(若干スルーしたところがありますのでひょっとしたらあったかも知れませんが)。
 その点は正直言って感心しました。
 なんやかんや言っても最低限の議論のルールは心得ている人ばかりだな、と思いました。

>私の推測が誤りであったならば心からお詫びいたします。

 あなたの推測の根拠の客観性を検討していただければ幸いです。

福田恒存をやっつける会会長様

>今までは、モトケンさんは思想その他が偏っていない中立的な立場の方だと推測してこのブログを呼んでいましたが、万一学会員であるならば、読み方を変えざるを得ないでしょう。

私は今までモトケン先生のブログを見てきて、特に創価学会色は感じませんし、ブログで勧誘活動をされているのも、他の宗教を非難されているのも見ておりませんが。福田恒存をやっつける会会長様が、このブログからそうした宗教活動めいたことを感じられたとすれば、私とは物の見方、感じ方が異なる方なのかも知れません。

私はここは医療と法律といじめ問題とガンダム、SFを語る場であると認識をしており、宗教の違いが問題になることはまずありません。私も別に他人の信教など詮索するつもりもありませんし、特に知りたいとも思えません。そもそも、私もモトケン先生も他のコメンテーターの方々も、様々な問題でそれぞれの考え・バイアスを持っていますので、厳密に言うと誰も中立ではないように思います。だから様々な立場での議論が成り立つのであり、見てて面白いのです。

巨大掲示場で「創価学会」云々と風評が出ているのはともかく、
さておいても「被害者」と称されている方々の言動に不可思議なものを感じるのも事実でして。
被害届けと警察による実態調査の前に「被害者」による盗撮と盗聴が
報道関係に露出することは今やわが国の常識となっているのでしょうか?

被告は「悪いと持っていない 正当な行為だ」と確信していたとすれば
死刑以外の、あくまでも「更生」を原則とするはずの刑事罰として
検察側が量刑が軽すぎるとするのは意味があることなのでしょうか?
「反省が見られない・態度が悪い」を理由とするべきなのでしょうか?

スレの本筋から外れますが。

No.6 産科医−1さん

医療崩壊について少なくとも産科の領域については現在進行形の事実としか思えませんし、医療関係者のみならず一般の人にもその事実が知られるようになってきている段階だと思います。

「今の医療崩壊云々」を「流言飛語」とおっしゃる感覚をお持ちの産科医の存在というのは不思議な感じがします。

周産期死亡率や妊産婦死亡率は産婆さん時代に少し逆戻りするだけのことで、それほど騒がなくてもよいのに、という趣旨なのか、
あるいは、アクセスが多少悪くなっても、大勢に影響はないとお考えなのか。

横からすみません。
癸兇鬚気辰汎匹瀘してしまったのですが、「医療崩壊云々」すべてを「流言飛語」とおっしゃってるコメントとは読めませんでした。

モトケンさん、こんにちは。
いつも、ブログ興味深く読ませていただいております。

はじめに書いておきますが、今回の騒音おばさんの件に関しては、私は特に興味を持ちません。
私が興味を持ったのは、モトケンさんが「創価学会は、勧誘を断ったからといって嫌がらせをしません」と断言されている部分です。
もし、モトケンさんが全ての創価学会信者の行動を余すことなく把握しており、その上での判断なら別かもしれません。
しかし、現実として、創価学会の勧誘に関係して、嫌な思いをした人は多数いるという事実があり、私も嫌な思いをしました。
実際、モトケンさん自身、「断られた腹いせに嫌がらせをする学会員が絶対いないとは言いません」と書いておきながら、それを無視して、「嫌がらせをしません」と結論付けるのには納得がいきません。
「嫌がらせを受けた人がいても、そんなもの無視、無視」と言われた様な気がします。
まるで、嫌がらせを受けた人間の人権が無視されたかのように感じます。
嫌がらせをした人はすぐに忘れても、嫌がらせを受けた人は何時までも憶えている物です。

よく、創価学会の人権意識の低さについては繰り返し問題にされています(例えば、以前、創価大学職員がドコモ職員と共謀して、創価学会と敵対する宗教団体の信者さんや、創価学会に対して批判的な雑誌の編集者などの通信記録を違法に入手していた事件での創価大学のコメントなどもそうです)が、そういう人権意識の低さが先のコメントに出ているように思えます。
そういう人が司法の仕事に携わっていて、本当に正常な判断ができるのだろうかと非常に不安な気持ちになります。

No.6 産科医−1さん
No.13 m さん

そうですね。私の誤読です。すみません。
ただし、流言飛語は入り乱れてはいますが、医療崩壊といえるような確固たる事実が出てきているのも紛れもないことですので、議論することには意義はあるはずです。

これ以上はスレ違いなので、ここでは止めにします。
産婦人科は減少続く
http://www.yabelab.net/blog/2006/12/01-103511.php#c29047

癸隠欺枡盒侈外緲
私は全くの素人なんですが、御議論は拝見させて頂きたいと思います。

 これはNo.2コメントの補足です。
 私は、創価学会に限らず、宗教団体の教義と教団組織とその構成員を明確に区別していますし、区別されるべきものと考えています。
 教義を組織原理に置き換えれば、宗教団体に限らず全ての組織について以上の区別がされるべきであると考えます。
 創価学会に当てはめれば、教義と創価学会と学会員は区別されるべきであるということです。
 次に、指摘しておくべきことは、私は、「嫌がらせ」という言葉は、「意図的に相手が嫌がることをする」という意味で使っています。
 つまり、故意犯的嫌がらせの意味で使っています。

 私が、「創価学会は、勧誘を断ったからといって嫌がらせをしません。」と言ったのは、創価学会が組織の指導として、「勧誘を断った人に対する嫌がらせを指示していないことはもとより、嫌がらせを容認することもない。」という意味です。
 創価学会が嫌がらせを指示または容認することは明らかに教義に反することです。
 この点については信仰論に踏み込みますのでここではこれ以上詳しく言いません。

 ただし、「現実として、創価学会の勧誘に関係して、嫌な思いをした人は多数いるという事実」があることは否定しません。
 少なくとも創価学会が嫌いな人が創価学会からしつこく(学会員は第三者的に見るとかなりしつこいのは事実^^;)勧誘されると、不愉快な思いをしたり勧誘されるのを嫌がるのはある意味当然です。
 誰でも嫌いな異性から言い寄られれば不愉快なものです。

 勧誘された人が嫌な思いをしたということが、勧誘した者が(意図的な)嫌がらせをしたことを意味しないということを言いたいわけです。

 しかし、学会員の中に、勧誘を断られたことの腹いせに相手に対する嫌がらせをする人間がいることも否定できません。
 教義よりも世俗的な組織原理を優先したり、教義を忘れて自己の感情に支配される人間が学会員の中にいるからです。
 しかし、そのような行為は明白に教義に反します。

 世俗的にも教義的にも強く非難されるべき行為です。

 世の中に完全かつ完璧な組織などありませんし、組織を構成する人間はどんな人間でも誤りを犯すことがありますから、どんな組織も常によりよくする努力をしていかないと必ず金属疲労を起こすと思っています。
 
 以上でこの話題はおしまいにしたいと思います。


 エントリの趣旨との関連でさらに補足しますと

 検察は、報道された情報のみに基づいて処分を決しているわけではなく、裁判所も報道された情報のみに基づいて裁判しているのではありまえん。
 弁護士は当然、被告人サイドに立って証拠の検討をしています。

 被告人の言い分をよく聞いた上で、被害者の話を聞き、被害者の話に矛盾や不自然な点があればそれを問いただしているはずです。
 また、本件は密室犯罪ではない近隣騒音事件なのですから、複数の付近住民からトラブルの経緯等を聴取してそれが裁判の証拠になっていることは間違いないです。
 そしてそれらの多くはマスコミは報道しませんしできない証拠もあります。

 そのようなことを理解せずにマスコミが報道した情報だけを根拠に本件を評価することはできません。

草加話はさておいて
マスコミより検察の方が遥かに調査能力も権限もあるのは
間違いないのですが、にもかかわらず現実として
マスコミのミスリードに引きずられる検察という現実も存在します

耐震強度偽装事件の不動産業者や経営コンサルタントら
への対応はマスコミからの圧力無しでは説明できないと思います

杏林大学割り箸事件は事件発生が99年7月
書類送検がちょうど一年後の00年7月(主として司法解剖鑑定書がネックだった)
それから起訴まで2年を要したのは論点としてほぼ医学的検討だけ
だったのですから不自然です。
一旦お蔵入りになったものをマスコミ圧力で再度持ち出したと思ってます。
実際02年7月の起訴直前に本人への取調べが急に増えている。

モトケンさん、丁寧なご返事、ありがとうございます。

おおよそ、予想通りのご返事でありました。
いろいろと、反論はあるのですが、とりあえず一言だけ。

>創価学会が嫌がらせを指示または容認することは明らかに教義に反することです。

その教義は末端にはほとんど届いていないように見えます。
少なくとも、創価学会が積極的にそれらの"教義違反"を是正症としているようには見えません。

>No.18 いのげさん

 検察が最も気にするのは、

 起訴する場合は、裁判所が有罪認定するかどうかという見通しであり

 不起訴にする場合は、検察審査会です。

 マスコミの影響もないことはないと思いますが、基本的には上司の性格(マスコミを気にするタイプか否か)のほうが影響するように思います。
 いのげさんが思っているほどには圧力の影響は大きくないでしょう。

 上司の上司がマスコミをさほど気にしない場合は、マスコミの顔色を窺ったとしても何のメリットもありませんから、圧力というより性格の問題だと思います。

熱心な宗教の信者が世俗において煙たがられるのは、ドコモの情報漏えいの件もそうですが、自分の信ずる宗教とその利益のために守るべき法や常識を無視する傾向があるからです。
漫画家の小林よしのり氏がゴーマニズム宣言の中で、宗教を規制しないのならわしが徹底的に社会常識と抵触する宗教を作るぞと書き、その後オウム真理教事件もあったように、宗教は世俗の社会秩序を破壊し信者でない人々を迫害する危険性を持つわけです。
かつてイラクにおいてクルド人やシーア派信者が虐殺されたのも宗教の持つ危険性と切り離しては考えられません。

なお、宗教というのは末端に行くほど過激化先鋭化するものです。
末端の信者というのは往々にして世俗の生活において恵まれていない場合が多く、それゆえ宗教に救いを求める傾向が強いからです。
信仰の証として熱心な勧誘活動を行う傾向が強いわけで、無理な活動を行えば行うほど信仰意識の純度が上がるわけです。
イスラム原理主義者が自爆テロを行う心理と共通するところが少なくないと私は思います。

>No.19 創価板UD日報係さん

 これでほんとに最後にしますね(^^;

>少なくとも、創価学会が積極的にそれらの"教義違反"を是正症としているようには見えません。

 これは半分的外れで半分事実だと思います。

 半分的外れというのは、たぶんあなた(だけじゃないですけど)の宗教に対する無理解に起因する誤解が半分くらいあるということです。
 勧誘の本義はどうあるべきかという指導はされています。
 ただしこの問題は宗教全般における布教の論理を前提にする議論になりますので、そうそう簡単に理解していただけるとは思っていません。

 半分事実というのは、組織の拡大に伴い履き違える者の絶対数はやはり私から見ても増えていると思われるからです。
 その観点で言えば「絶対いないとは言いませんが。」というのはかなり控えめ過ぎる言い方であったのは事実です。

 組織論的にはどんな組織でも一緒ですが、自浄作用が作用しないと崩壊します。
 私も危機感を持っていないわけではありません。

 イスラム原理主義やオウム真理教を宗教の代表のように考える人もいますのでその点は議論すべき問題なのですが、ネットでこの種の問題を議論すると雑音や誤解の山になりそうですので、今すぐにこのブログで議論する気はありません。

 というわけで、とりあえずこれで最後にします。

 私はこのブログを創価学会宣伝に使うつもりはありませんが、反創価学会宣伝の場にするつもりもありません。
 これ以上は書かなくてもご理解いただけるものと思います。

 私がこのエントリで創価学会に言及したのはコメントNo.1に反応しただけです。
 今のところ私から書くつもりはありません。

モトケンさん、コメントありがとうございます。

>勧誘の本義はどうあるべきかという指導はされています。

確かに、勧誘の本義は指導されています。
しかし、実際にされている指導は、相手が嫌がってもどんどん勧誘をしろというものです。
体験談でも、「初めはいやだったけども繰り返しの勧誘で創価学会を理解するようになった」というものが繰り返し発表されます。
また、人を勧誘すれば、勧誘した人が幸福になるという教えもあり、勧誘の目的として、「自分の幸福のために勧誘しましょう」という指導が多いように思います。
たまに、相手の事を考えましょうという指導も見聞きしますが、そういう場合でも、結局、「勧誘をするとき、相手が嫌がっていても、結果は相手のためになるのだから、嘘をついてでも相手を入信させなさい」という結論につながります。
創価学会に入信して幸福になれると思っているのは、所詮、創価学会の信者だけです。
創価学会の論理には、他宗教、他者に対する畏敬の念は全く感じられません。
日蓮の教義からは当然の事と言われるかもしれませんが、もし、そうならば、私は、日蓮などその程度のものだったのかと、思うだけのことです。

>組織の拡大に伴い履き違える者の絶対数はやはり私から見ても増えていると思われるからです。

実際に社会問題になったのは、戸田氏の折伏大行進時代、池田氏の言論弾圧事件・盗聴事件の頃ではなかったでしょうか?(どれも組織的なものだったと思いますが)
外部との軋轢に関して言えば、どちらかと言えば、減ってきたのではないかと思います。
(内部にいると”大本営発表”を繰り返し聞いているので実感が無いかもしれませんが、創価学会信者数の公称数はここ30年ほど、ほとんど変化が無かったと思います)
組織拡大に伴って、問題が大きくなったと言うのは単なる詭弁であろうと思います。

>その観点で言えば「絶対いないとは言いませんが。」というのはかなり控えめ過ぎる言い方であったのは事実です。

私の観点から言えば、嫌がらせを承知での勧誘、特に、多人数で取り囲んでの勧誘を奨励しているように思えますから、そういった人は、「絶対いないとは言えませんが。」のレベルではなく、創価学会の主流だと思います。
私が勧誘された場所は、創価学会の会館でしたし、その中には、それなりの役職についている人もいましたので、そういった軟禁まがいの勧誘が日常的に行われていることを創価学会自体が感知していないと言えば嘘になると思います。

>というわけで、とりあえずこれで最後にします。

私は、「創価学会のそれなりの地位にある人は、組織の矛盾から目をそらし、きれいごとで済まそうとする傾向がある」との仮説を持っています。
モトケンさんの返事から、その仮説がより真実味を帯びてきました。

>これ以上は書かなくてもご理解いただけるものと思います。

モトケンさんが、創価学会からいやな思いを受けた人間のことなど屁とも思っていない事が良く理解で来ました。
また、創価学会信者が、司法関係者になった場合の問題点についても少し理解できたように思います。
いろいろと、ありがとうございました。

以上の文章で終わりにしようと思ったのですが、今日の新年勤行会で「モトケンさんと立派に対話をやり遂げる」と誓ってまいりましたので、折を見ながら対話を続けたい所存であります。

では、そのうち、折を見て書き込みをさせていただきます。

 私自信最後と言いましたのでスルーしようかと思いましたが、反論しないと批判を認めたものとみなす人も少なからずいるようですし、他の問題に関係する問題提起の意味も込めて反論することにします。
 かなりの長文ですが(^^;
 読み始めた以上、なにとぞ最後まで読んでいただきたくお願いします m(_ _)m

>No.21 WATERMAN さん

 あなたのコメントには「創価」の文字は一つも出てきませんが、どうしてですか?
 創価学会批判のコメントではないのですか?

>イスラム原理主義者が自爆テロを行う心理と共通するところが少なくないと私は思います。

 これも主語がない文章ですので、「何が」イスラム原理主義者の心理と共通するところが少なくないのか文言上は不明確な文章ですが、当然創価学会のことなのでしょうね。
 そうであるならば、イスラム原理主義者の行動論理と創価学会員の行動論理をあなたが理解している範囲でだけでも示した上で主張しないと批判ではなく単なる印象操作としか読めません。

 確認しますが、あなたはイスラム原理主義の教義と創価学会の教義を理解した上でコメントされてますか?

>No.23 創価板UD日報係さん

>しかし、実際にされている指導は、相手が嫌がってもどんどん勧誘をしろというものです。

 まだ理解されてないようですね。
 「嫌がらせ」と「相手が嫌がる」というのは別のことであることが。
 私は「嫌がらせ」は許されるべきではないし教義上も許されない、と明言しています。
 あなたは意図的にそれを無視するのですか。

 憲法第21条が保障する表現の自由は批判の自由を含みます。
 批判された人は不愉快になる場合が多いです。
 繰り返し強い批判を受けた人は「嫌がらせ」と受けとめるかも知れません。
 しかし、その批判が正当な批判にとどまっている限り、その批判は憲法的に保障されます。
 しかし、いかなる批判的言論も無制約に許容されるものではありません。
 誹謗・中傷に及んだりしますと名誉毀損行為として民事・刑事の責任が生じます。

 宗教勧誘行為(創価学会のそれに限りません)も憲法第20条の信教の自由に含まれます。
 勧誘された相手が不愉快になることがあることを当然の前提として憲法的保障を与えられていると解されます。
 その意味で布教の自由は、言論的批判の自由とほぼパラレルに考えられると思います。
 
>モトケンさんが、創価学会からいやな思いを受けた人間のことなど屁とも思っていない事が良く理解で来ました。

 私は、個々の具体的事例についてその当否に関する意見を何も述べていません。
 私の文章のどこを根拠に何が良く理解できたのでしょう。

 これも根拠を示さない印象操作ですね。
 相手に反論の根拠を与えない一方的な決め付けの人格攻撃とみなせます。
  
>また、創価学会信者が、司法関係者になった場合の問題点についても少し理解できたように思います。

 これも同じですね。
 どういう問題があるのか何も示さずに問題があるかのように印象操作をしているだけの文章です。

 それに(私が想像する)あなたの論理に従えば、創価学会信者がなって問題点が生じるのは何も司法関係者だけではないでしょうね。
 たぶん、その論理を発展させれば、少なくとも一神教を信じる信仰者全て(たぶん唯物史観の信奉者も含まれるのでは)に問題点が生じるということになるのではないでしょうか。
 違いますか?
 ちなみに創価学会の教義は絶対的世界観ではありますが一神教ではありません。

>創価学会の論理には、他宗教、他者に対する畏敬の念は全く感じられません。

 あなたは池田名誉会長の講演などを読んでいないのでしょうね。
 名誉会長の講演の特徴は古今東西の世間で偉大と評価されている哲学者、文学者、政治家などの言葉や行動を考え方や行動の模範として引用することがとても多いということです。
 その中には当然キリスト教徒が含まれますし、共産主義者も含まれています。
 天草四郎が好きな日本人の一人だという話を聞いたこともあります。

>創価学会に入信して幸福になれると思っているのは、所詮、創価学会の信者だけです。

 当たり前でしょう(^^)
 非創価学会員で創価学会に入信したら幸福になれると思った人がいれば、よっぽどのへそ曲がりでもない限りすぐに入信するでしょう。
 人は誰でも幸福になりたいと願っているからです。
 ところであなたは、幸福とか不幸とはどういうものなのかということを考えたことがありますか?
 失礼を省みずに勝手な想像になりますが、もし突き詰めて考えたことがないならばあなたは幸福な人の部類に入ると思います。
 そのような人が創価学会(に限らず宗教)に勧誘されたら迷惑だと思うのは当然のこととして理解できます。
 宗教に入信する人は、深刻にまたは漠然と不幸感や不満足感を感じています。
 だから入信するんです。

 ところで、ご指摘のように、創価学会員は学会の信心をすれば幸福になると信じています。

 そうしますと

>結局、「勧誘をするとき、相手が嫌がっていても、結果は相手のためになるのだから、嘘をついてでも相手を入信させなさい」という結論につながります。

 上記の「嘘」というのは何ですか?
 創価学会の信心をしていても幸福になれないのに幸福になると言って勧誘する、という嘘のことですか?
 もしそうならば、「結論」というのは、「あなた」の結論であって創価学会の結論ではないですよね。
 学会員は勧誘すれば、相手も自分も幸せになれると信じているんですから。

 一読すると、創価学会員が嘘をついて勧誘している、または学会組織がそのような指導をしているというように読めましたので、指摘させていただきました。

 で、結局

>創価学会に入信して幸福になれると思っているのは、所詮、創価学会の信者だけです。

に問題は帰着します。

 つまり、学会員は信じているがあなた(を含む非学会員、以下同じ)は信じていない、ということです。

 つまり宗教の問題は、信じるか信じないかという問題です。
 その意味で、学会員とあなたは全く対等です。
 私の言っていることがお分かりでしょうか?
 正しいか正しくないかが信じるか信じないかに完全に依存しているのです。
 信じて幸福になるかどうかについて、あなたが学会員を嘘つきと言うのであれば、学会員からあなたを嘘つきと言うことも可能です。
 論理的にはですよ。

 これは、いわば水掛け論です。
 それなりに説明をすることは私なりに可能ですが、それでも最後は信じるかどうかという問題に行き着きます。

 だから信仰論についてブログで議論したくないのです。

 但し、お二人のコメントは信仰論ではありませんね。
 教義の内容にはまったく触れずに、行動面しか問題にしてません。

 教義と組織論・運動論は別です。
 教義は、個人と離れて存在しますが、組織論・運動論は人間の営みにほかなりません。
 当然、不適切な行動や誤った行動が生じます。
 その結果として社会との軋轢が生じればそれは批判されるべきですし、修正していく必要があります。
 その場合、正しい批判は正しい事実認定を前提にしないとできないのですが、創価学会問題に関する週刊誌情報などは日本で最もバイアスがかかっている情報の一つだと思いますので、この観点でもこのブログで議論したくないところです。
 前提事実の真偽から深刻な対立が生じますから。

 にもかかわらず、このコメントで長々と書きましたのは、お二人のコメントが私個人に対する批判を含むものであったことと、宗教というものに対する無知・無理解が表れていると感じられたからです。
 宗教(創価学会に限らず)に対する無知・無理解というのは、端的に言いますと宗教を信じるということの重要性に対する無理解です。

 このブログとの関連で言えば、宗教は刑事政策的に犯罪予防のとても大きな資源になりえます。
 何らかの意味で死後の審判を教義に含む宗教は基本的に強力な犯罪抑止力になります。
 もちろん、その宗教の教義が社会規範と矛盾しないことが前提ですが。
 その意味で宗教においては教義の内容が絶対的に重要です。
 そして何より、その教義を信じるかどうかが決定的に重要です。
 教団の最高幹部であろうとその教団の教義を信じていなければ、または誤って理解していれば、話になりません。

 もう一つ指摘すれば、医療関係でこれまでときどき議論の俎上にのぼっていますが、終末医療や安楽死の問題において、社会の死生観の大勢がどういうものかがとても重要になります。

 人は死んだらどうなるのか?
 それを踏まえて人はどう死を迎えるべきか?
 よき死を迎えるためにはどう生を生きればよいか?

 などの問題の考え方の違いによって議論の方向はかなり変わってくるように思っています。

 だいぶ長文になりました。

 ここまで読んでいただいた方、本当にありがとうございます。

モトケンさん、創価学会論をここで、やるつもりですか?
やるなら、とことん、私は批判しますよ。

そうでなくて、印象操作論議なら、納得しますけど。

創価学会批判への批判(擁護論)も
創価学会の実態批判論も、
余所でやった方が、良くないですか?

ちなみに
余所(よそ)というのは、エントリを変えてと言うことではありましぇん。
悪しからず。

>座位さん

 モトケン先生はもともと「話題を私のほうか持ち出すことは控えています。今回は私の認識と異なる情報が書き込まれましたので反論したまでです。」とおっしゃっております。
 癸横気里茲Δ僻稟修賄外れと思います。

しつこく、創価学会擁護論を述べるのは、このブログにふさわしくないと
思ってます。さらに、このエントリで問題になっている「騒音おばさん」に
対抗する自称被害者達の、宗派まるだしの態度は、厳しく指弾しておきましょう。

ttp://www.multitvch.com/gyakuten/matome.htm
ttp://www.asyura2.com/0601/cult3/msg/571.html
ttp://blog.livedoor.jp/news2chplus/archives/50163579.html

要するに、このエントリ自体が創価学会信者擁護論になってるわけですな。騒音おばさんは、確かに異常行動ですが、その自称被害者の撮ったビデオを、無批判に使い廻す、マスコミも相当のもんです。

>No.14 モトケンさん

申し訳ないですが、読み通す気になれませんでした。

「理想・願望」は「現実」と異なっていることはままあります。
モトケンさん個人がいかに高潔であられたとしても、事実は事実かと。

このエントリー自体、誤りの域だったと思います...

「騒音おばさん」の娘二人を殺した、又は死期を早めたと思われる、自称被害者S夫婦を罰するには・・・証拠が要るのですね。

>座位さん

 批判論ならば良いと読めます。それもおかしな話ですね。
 そのようなものを貼り付けること自体おかしいのです。事実を確かめようがなく、印象論、水掛け論に終わると思うからです。

>G.Foyle さん

 >事実は事実かと。
  これだけでは印象論だと思いますが・・・。

さて、自分が煽ってるのかなあ、という気がしてきました。これ以上は私はスルーです。

>座位さん

 もちろん私のほうから積極的に創価学会論をこのブログでするつもりはありませんよ。
 そう書いているでしょう。
 宗教一般論ならしてもいいですけどね。
 しかし、印象操作的に私の法曹としての適格性に言及されると反論しないわけにはいかないでしょう。

 ところで徹底的な批判の根拠のレベルがNo.29程度なのでしょうか。
 それなら失望したというほかありません。

 またこのエントリ本文自体は、被害者側の事情に言及したものではありません。
 そこに創価学会問題を持ち込んだのはGX9900 さんですが、「陰謀論の域を脱しませんが、」という注釈つきでのコメントであり、私はそれについて主として教義上の観点からGX9900 さんが紹介された見方に対して反論しただけです。

 私が創価学会からの視点でのコメントを書いたのは批判コメントに誘導されただけで私のブログ運営上の本意ではありません。
 しかし、私の法曹適格性に関する批判に対しては反論しますよ。
 私は実名を明らかにしている現役の弁護士ですからね。
 もっとも、反論に値しないと思われるコメントまたは反論済みのコメントはスルーしますが。


>G.Foyle さん

>申し訳ないですが、読み通す気になれませんでした。

 つまり最後まで読んでいないということでしょうか。
 そうであれば、何もレスすることはありません。
 どういう事実について「事実は事実かと。」とおっしゃられているのかもわかりませんし。
 レスしても読んでいただけるとは限りませんし。


>MultiSync さん

>証拠が要るのですね。

 当然ですね。

 ただし、被告人の量刑を考えるにあたって考慮すべき被害者側の事情は一審において十分取調べられているはずです。
 少なくとも被告人の言い分は十分述べられているはずです。
 被告人が口下手かどうかは関係ありません。
 口下手な被告人にも十分な主張を述べさせるというのが弁護人の仕事ですから。
 ちなみに私が弁護人でも同じですよ。
 たとえ被害者が学会員であってもです。

 
 はっきり言って、私としてもこの種のやり取りは終わりにしたいというのが正直なところです。
 ここだけ異空間になってますからね。

 いやぁ、このエントリがこういう展開になるとは、本当にまったく予想してなかったです。
 あんな背景事情が噂されているなんてことは全然知りませんでしたから。

to モトケンさん

主語がありませんでした私の書き込みがひとえに悪かったのですが、
「事実」と評したのはこの案件の事ではありませんでした。
私も若干の経験を持つ「勧誘方針」に対してのものでした。
故に「事実」と記しました。「実体験」ですからね。
あくまで「No.23 創価板UD日報係さんのコメント」の内容に対するレスとみましたからね。

珍しく冷静でない、モトケンさんへ、
>印象操作的に私の法曹としての適格性に言及されると反論、、、、

モトケンさんの法曹としての適格性も、このブログで社会に提起し、
呼び掛け続けている業績も、すばらしいモノと思ってます。
この点は、強調したいと思います。ホントニ。

しかし、モトケンさんの帰属する大学や宗派への批判や中傷に
対して放置することは、モトケンさんが帰属する組織から、吊し上げを
受けかねず、組織から懐疑の目を向けられたり、オマンマの種を奪
われたりといった、怖れはないのでしょうか?

そう言った微妙な問題(ブログの解散の不安)を、我々参加者が
感じ取っているわけですね。要らぬ心配でしょうか?

>徹底的な批判の根拠のレベルがNo.29程度なのでしょうか。
今ここで、内包する問題を整理し、解剖し、その社会病理を論議する
ことは、果たして有効なのかなぁ?と思って躊躇しております。

>座位さん

 ご高説承りました。お願いいたします。これ以上は余所でやっていただけますでしょうか?

No.36 mさんのコメントに賛成。

同じくmさんのコメントに激しく狂おしいほどに同意します

No.36 mさん
No.37 bambooさん
No.38 まさむねさん

なんだか、行列のようなコメント、了解いたしました。
まさか、みなさん、、、、、

>No.39 座位さん

???
もしかして信者だと誤解されてます?
違いますよ
私は無信仰・無宗教です
モトケンさんが以前、批判?されていたタイプの何も信じない人です(笑)
あえて言えば、かつてデーモン木暮閣下を信仰しており何度もミサに通い聖典を揃えているくらいでしょうかw

私がmさんに同意したのはすくなくとも「ここは創価学会について議論するblogではない」からです
批判・擁護・議論、いずれにせよ場をわきまえてしないとただの荒しと変わらないと思います

はうっ!!
閣下の尊命を変換ミスしてしまいました
信者にあるまじきなんたること・・・

正しくは「デーモン小暮閣下」です
深くお詫びいたします

その話題がタイトルと関係が深い以上はやむを得ません、荒らしは書きすぎと思います。

尤も、ブログの話題が学会或いは政治的に成れば上の方から「停止せよ」とのきつい指導が有る、と聞きます。
適当なところで止めておいた方が良いでしょうね。

「騒音おばさん事件は創価学会の陰謀である」と言うのは、現時点では単なる流言飛語でしょう。
そもそもこのエントリの論点ではありません。
「その話題がタイトルと関係が深い」とは言えないと思います。

管理人であるモトケンさん自身が論ずる意志がないのに、何時までも引きずるのは、やはり荒らしであろうと思います。

念のために言っておきますが、私は既存のどの宗教に対しても批判的です。
都合次第で神頼みをしないわけではありませんが。

モトケンさん、反論、ありがとうございます。
深く感謝いたします。

>反論しないと批判を認めたものとみなす人も少なからずいるようです

ならば、私も反論しないといけない事になりますね。
(他の閲覧者の方には申し訳ないです)

さて、
>私は「嫌がらせ」は許されるべきではないし教義上も許されない、と明言しています。

モトケンさんは、何か勘違いされているのではないのでしょうか?
私が、先のコメントで指摘したのは、教義に関することではなく、実際に行われている指導や勧誘に関することです。
実のところ、教義に関しても、やや不信感を持っているのですが、教義に関する議論を始めると、議論が複雑になりすぎる嫌いがあるので、その点に関しては避けたコメントを行いました。
ところが、それをモトケンさんは、教義上の話にすり替えています。
一体どういうことなのでしょうか?

それと、「教義上も許されない」との事ですが、御書のどの部分が該当するのでしょうか?
後学のためにご教示いただけますと助かります。

>「嫌がらせ」と「相手が嫌がる」というのは別のことであることが。

もちろん、理解しています。
私が、指摘しているのは、創価学会信者さんの行動が、結果的に「嫌がらせ」になるということではなく、そういう現実があるのに、創価学会という組織は、
(1)そういうトラブルを回避するための方策をなんらとっている様に見えない。
(2)それどころか、結果的に「嫌がらせ」になる行動を組織として奨励している様に見える。
(3)にもかかわらず、そういった点を指摘されると、「そういうトラブルは存在しない無い または極一部の特殊な例である」とし、まったく改善しようとしないばかりか、それを問題点として取り上げようともしない。
と言う点です。

>それに(私が想像する)あなたの論理に従えば、創価学会信者がなって問題点が生じるのは何も司法関係者だけではないでしょうね。

そのとおりです。

>たぶん、その論理を発展させれば、少なくとも一神教を信じる信仰者全て(たぶん唯物史観の信奉者も含まれるのでは)に問題点が生じるということになるのではないでしょうか。

別に、信仰者でなくとも、極端な思想を持った人が、ある程度公平な判断を迫られる職に付いた場合には、問題が起こる可能性はあると思います。
モトケンさんが創価学会関係者であることから、あの様なコメントになっただけのことです。
あの場面で「日蓮正宗信者が、司法関係者になった場合の問題点についても少し理解できたように思います」と書いたらそれこそ意味不明になります。

>あなたは池田名誉会長の講演などを読んでいないのでしょうね。

同時中継で何度か講演を聞いたことはありますし、聖教新聞で読んだこともあります。
私には、自説を権威付けるために著名人の言葉を利用しているだけの様にしか見えません。
それよりも、御書に他宗教者(日蓮の時代で言えば、浄土教の信者であるとか、禅宗の信者とかでしょうか?)、無宗教者に対して最大限の敬意を払うよう指導した文章はありますでしょうか。
よろしければご提示ください。

>上記の「嘘」というのは何ですか?

「入信の強要はしません」と言いつつ、連れ出して、行って見ると多人数で囲まれて入信を強要するなどのことです。
教義上の「嘘」については、文証がどうだとか、偽書がどうだとか、文底秘沈がどうだとか言う話になって、私の能力を超えますので省略いたします。

>一読すると、創価学会員が嘘をついて勧誘している、または学会組織がそのような指導をしているというように読めましたので、指摘させていただきました。

モトケンさんの捕らえたとおりでよいと思います。
創価学会の信者さんが、(先に説明したような)嘘をついて勧誘しているのを見た事があります(創価学会としては「嘘」ではなく「方便」と言うことかもしれませんが)。
また、学会組織もそのような事を積極的に支持している様に思います。
例えば、「創価学会信者は、医者であり、他の宗教の信者は、病気を患った子供である。病気の治療に必要な注射をするのに、子供に「この注射は痛くないよ」と嘘を付いたり、あるいは逃げられない様に押さえ込んだりする事が許されるように、他の宗教の信者を入信させるのに嘘をついたりすることは許される」といった内容の指導を聞いたことがあります。

>宗教というものに対する無知・無理解が表れていると感じられたからです。

モトケンさんのコメントには、他宗教者、非宗教者に対する無知・無理解が表れているように感じます。

例えば、
>宗教は刑事政策的に犯罪予防のとても大きな資源になりえます。

とのことですが、逆に言えば、非宗教者は簡単に犯罪者になると言っている様に見えます。

>その宗教の教義が社会規範と矛盾しないことが前提ですが。

誰が、矛盾するかどうかを決めるのでしょうか?
そして、もし矛盾するとした場合、その宗教はどう扱われるのでしょうか?
例えば、私は創価学会には反社会的な側面が存在すると思っていますが、もし為政者が私と同じ判断をした場合、その宗教団体は解散させられるべきなのでしょうか?
あるいは、行政指導などで強制的に教義を変更させるべきなのでしょうか。

私は、宗教は安定した社会を実現するための道具ではないと思っています。
結果的にそのような機能を果たすことはあったとしても、積極的に宗教にそういう機能を求めるべきではないと思います。

以上、ややまとまりに欠けるものの、とりあえずの返事です。

 そろそろ、このブログの管理者たる私に対する嫌がらせの域に達していると考えているところです。

 私に議論を続けさせたいのですか?

モトケンさん、こんばんは。

>嫌がらせの域に達していると考えているところです。

それを言うのならば、モトケンさんのコメントも一方的であり、私に対する嫌がらせという風に見えます。

>私に議論を続けさせたいのですか?

議論をすることに何か問題でもあるのでしょうか?
もし、このブログがふさわしくないのであれば、別な場所を探しますがいかがでしょうか?

横から失礼します。
>創価板UD日報係さん
このブログは、モトケン先生が管理されているもので、あなたの宗教論をぶちあげるためにある場ではないのですよ。
あなたのコメント(というか演説)は、あなた以外の人にとってはどうでもいい内容でしかありません。
あなたがどれだけ創価学会に恨みがあるのかは知りませんが、議論を続けたいのであれば、御自分でブログか何かを立ち上げられて、そこで続けられては如何でしょうか?
あなたの今の状態は、他人の家に上がり込んで居座り、何事かをわめき散らす迷惑な人に見えて見苦しく思います。
>モトケン先生
無関係にもかかわらず、差し出がましい真似をしてしまい申し訳ありません。


モトケンさんへ、
このエントリへの発言は、私の方も、これで最後にしたいのですが、
特定の宗教および宗教組織、信者の活動実態に対して、
擁護する意見というのは、たとえ流言飛語に対する反論という形で
あったにせよ、再批判の発生が当然予想されてしかるべきです。

特に、管理人の場合は、その種の発言(No.2)は避けるべきですし
No.24に到っては、オツムから湯気を出して、書き殴っている感じで
とても、冷静には見えません。ことこの件に関してだけは、冷静さを
失っているモトケンさんというのは、同じ信仰者にとっては、頼もしい
のでしょうが、私のような無宗教者からは、とても嫌な面を見た感じ
に映りますし、反論したくなるたちのものです。

とはいえ、モトケンさんが、社会を改善したいという強い意志を
もち、尊敬すべきブログ活動等を行っていることには感謝しております。

それから、宗教論を論じることが有益であるのと同様に、
信仰と信者活動の持つ肯定面と社会病理面を論議する事は
本来は、避けるべきではないと思います。
(管理人が避けるという以上は、それに従いますが)

以上で終わります、再批判があれば、その時は私信で行います。(笑)

他人の庭で遊ばせて貰っているという自覚もない人に、無宗教者を代表しているかのような発言をされるのは心外です。
ここで議論する以上は、議論の内容についての決定権はモトケンさんにあります。
それがイヤなら来なければ良いだけです。

もちろん他の場所でどれだけ批判しようと、それは個人の自由です。
批判という行為自体を疑問視する気はありません。

私信であろうと、一方的に望まれもしないのに送りつけるとすれば、ストーカー行為でしょう。

>No.48 座位さん

 私のNo.45 はあなたのNo.48にもあてはまります。

 あなたは、創価板UD日報係氏の投稿が私個人に対するどれだけ重大な侮辱行為になっているか理解されていないようですね。

 それを理解されれば私がどれだけ自制し、論理的に対応しているか少しはご理解願えるかもしれません。
 また、あなたの投稿の多くの部分について、主語と目的語を入れ替えてもまったく同等に成立することがわかるでしょう。

 そうすれば、あなたのNo.48は、「再批判の発生が当然予想されてしかるべき」であって「特に、管理人の場合は、その種の発言(No.2)は避けるべきです」というのであれば、自己矛盾していることに気づかれると思います。
 「避けるべき」と思うなら、No.48(の多く)は無用のコメントです。

 私は、公民館の管理人ではありません。
 ここは私の純然たる個人ブログです。

 そしてここは匿名掲示板ではないのですよ。
 あなたや創価板UD日報係氏は匿名かも知れませんが。
 あなた方と私はその大前提において対等ではありません。
 もちろんあなた方のほうが圧倒的に有利です。
 (匿名実名論を議論しますか?いくつかのブログで賑やかですが)

 そういう状況で嫌がらせ論をこれ以上論じる気はありません。
 この種の問題のネット上での議論は、莫大なエネルギーを要する割に常に不毛に終わるからです。
 二人だけで議論することは不可能ですしね。
 これまでのわずかなやり取りですでに不毛です。
 あなた自身、自分のコメントが感情論であることを自認されてますしね。

 あなたがどこの誰かを明らかにして、私の承諾なく私信を公開しないと約束してくださり、それを私が信頼できれば、私信で議論してもよいですが、たぶん最後の条件を満たすことが難しいでしょう。


 それでは、管理人として宣言しますが、これでおしまいにしましょう。
 最終コメント権を持つのはブログ管理人の特権です(^^)

 と言っても、まだ書く人がいるんでしょうね。
 それについては、その場の気分で応対するかスルーするか削除するか考えます。

No.50 モトケンさん、コメントありがとうございます。

>それでは、管理人として宣言しますが、これでおしまいにしましょう。
>最終コメント権を持つのはブログ管理人の特権です(^^)

了解しました。
いろいろと反論したいことはあるのですが、自制します。
有意義な議論に発展させるべく、いろいろと策をめぐらしてみたのですが、かえって議論を混乱させたようで、申し訳なく思います。

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