「頑張れ図工!」復権求め先生ら署名 学力低下論も逆風(asahi.com 2007年01月06日10時34分)
子どもたちは大好きなのに、保護者や社会からはあまり期待されていない科目ってなーんだ?
???
答えは、図画工作だ。
そ、そうなのか〜
授業時間が3割減った上、昨今の「学力向上」ムードで国語や算数に押され、肩身が狭くなっている。しかし、このままでは、日本のお家芸である「ものづくり」の未来が危ういと、先生や学者たちが復権に乗り出した。
あ、あやういのか〜
文部科学省が05年に実施した意識調査によると、図工が「とても好き」と答えた児童は43%で体育に次いで多かった。
うん、これは健全な感覚ではないのかな〜
その一方で、保護者の期待は低い。「芸術面の能力や情操」を学校で身につける必要性が「とても高い」という答えは22%にとどまった。
子の心親知らずかな〜
私は、「芸術面の能力や情操」を家で身につけさせる自信がありません。
少なくとも私は(妻はともかく^^;)、あんまりゲージツ的ではありませんから。
いまどきのご両親は自宅で芸術的素養を子供に身につけさせる自信というか余裕があるのでしょうか?
それとも、そんなもの必要ないとでも。。。
後者だったら相当問題だと思いますよ〜
東京都図画工作研究会副会長で都内の小学校に勤める楚良浄(そらじょう)教諭は「少子化で、保護者が子どもに結果を求め、おおらかに見守ることができなくなっているように感じる」。仙台市の小学校教諭も「算数について意見を言ってくる親御さんはいるが、図工はいない。算数には集中できない子が図工では黙々と取り組んでいるのを見ると、子どもを多面的にとらえる上でも大切だと思うのだが……」と打ち明ける。
法律家的に言いますと、「個人の尊厳」というのものが現行憲法秩序における最高価値の一つなのですが、、「個人の尊厳」という価値の現実的保障形態というのは多様な個性の尊重であると考えられます。
メディアアーティストとして知られる藤幡正樹・東京芸術大大学院教授は「素材と1時間向き合うプロセスに価値がある。自分を表現するという意味で作文と一緒にしてもいいのでは」と話す。藤幡さんは06年10月、工学系の研究者とも語らって、「がんばれ!図工の時間フォーラム」を発足させた。「図工がこれ以上減らされると、何十年か後の日本のものづくりはどうなるのか」という思いは共通している。
「素材と1時間向き合うプロセスに価値がある。」に最大級の共感を覚えます。
同フォーラムは、図工の時数増を求める署名を集め、2月に文部科学省に提出する予定だ。問い合わせはフォーラム事務局(03・5842・5377)へ。
文体が全然一貫してませんが(^^;
それはともかく、頑張れ図工!
これには大賛成です、好きなことは伸びる、子供たちのやる気が出ればそれにまつわる知識も吸収します。
ロボットや工作機械の政策にも関わりますし、漫画やアニメが日本の重要な輸出産業に成りつつあることも、考えて良いのでは。
「図工がこれ以上減らされると、何十年か後の日本のものづくりはどうなるのか」という思いは共通している。
結局そこかい!と思ってしまったのは私だけでしょうか。
そりゃもちろんものづくりに役立つでしょうけど、そこで勝負すると算数・理科には勝てないまま、総合とかに追いやられるのではないでしょうか。
高校でロボットを製作してサッカーゲームをする授業をやっていますが、全く予想外の結果になっております。
結論から言えば、手先を使う授業は各年代を通じて実施するべきだと強く感じています。
高校生ぐらいになると、同級生同士でも社会人的な遠慮というか他人のやることに関わらないといったところが目立ってきて、チームワークの実践が極めて不得意です。
どういうこと分からなかったのですが、どうも彼らは同級生などを成績の序列とか名簿の上だけで知っているといった感じで、相手の得意不得意とかを承知していません。
もちろん「ここは、こうやるんだよ」とか「お前、こんなことも分からないの」といった会話もありません。
そもそも、3人4人では会話が成り立っていません。
電車の中などでよく観察すると分かってきますが、例えばABCDの4人が会話しているときに、実はAがBCDと別々に話をしていて、BとCは実は話をしていない、といった状況になっています。
大体、教室という場所が先生対生徒一人一人であって、生徒と生徒とが話をするのは私語であって、禁止事項なのですから生徒同士が話が出来ないのは当たり前だとも言えます。
そこで、上記のロボット製作をやらせてみると、仕事量が多いから手分けしないと出来ない、器用・不器用があるから「ここはこうするのだよ」と生徒が生徒を教えるように持って行けます。
この、生徒が生徒にというのを見つけるのに1年間掛かりました。
こういう経験をすると、プログラム(非常に難しいです)の段階では、アイデアを出す、決定をする、実際にPCを操作する、といった役割分担が出来るようになり、チーム内の役割分担つまりはチームワークを体験できます。
まとめますと、座学では他人と自分の違いを成績の上下として認識するらしいが、手先を使うことで考え方の違い=他人の個性といったことを理解して、役割分担が出来るようになる、といったところを引き出すことが出来るようです。
NPOの活動として「社会人のやり方」を実習させる方向でやっていますが、五里霧中といったところで大変であります。
社会教育に相当する部分が著しく減ってしまっていますから、いわゆる座学以外のことを学校でやらざる得ないと思います。
もの作りがどうのこうの、という意見は間違っていると感じます。
そんな「高級な」話ではないでしょう。
今の学校はで「座学の教科しか出来ない」社会人を作ることに邁進しています。
社会人に必要な、雑多な知識や技量を生徒学生の内に身につけることが出来るのは、学校では勉強しなくても常に成績トップであるようなごく僅かな優秀者だけであって、それ以外の生徒は死にものぐるいで勉強して、雑多な知識を身につける機会が与えられないまま、座学の成績の序列の順で社会に送り出されている、とでもイメージした方が分かりやすいです。
うーん、「図工」なんですか、「技術家庭」(もうこの名称ないのかな?ひょっとして)でなくて
絵の素養というのは、それこそ生来のものですから下手な奴は処置なしですし(私だっ!(;;)
「図工」の成績は先生の主観が多分に反映されるのでそれも苦手でした...
個人の努力ではがんばろうがどうしようもない「図工」とか「体育」を
「算数」とか「理科」「国語」などと
同次元で扱うこと自体からして無理があるような(負け犬の遠吠え(^^;)
No.4 G.Foyle さん
個人の努力ではがんばろうがどうしようもない
「図工」とか「体育」を「算数」とか「理科」「国語」などと
同次元で扱うこと自体からして無理があるような
(負け犬の遠吠え(^^;)
この「才能次第でどうにもならない」ということを知らない生徒が多くなっているのですよ。
現場に入ってみると「これで良いとは思えない」と直感的には感じますが、何をどうすれば良いのか分からない、という感じです。
私は図工が大好きでした(絵が上手だから)。体育は大嫌いでした(運動音痴だから)。
ただ、図工や体育を算数や国語と同列に扱うとどうしても見劣りします。美術やスポーツ、音楽もそうですがそういう分野でそれだけで食べていける人は本当にごくごく一握りでしかないからです。そんな将来の仕事にもならないようなものに時間を割くくらいなら算数や国語をして受験を効率よくのりきることに時間を使うほうが大事じゃないか、というのが現代のパパやママの気持ちなのでしょうか。
体育は、それでも得意な子は文句なくかっこいい(男の子でも女の子でも)のでいいのです。休み時間に他の子とコミュニケーションをとるのにもとても役立ちます。ただ図工が得意っていうのは・・・特にかっこよくもないし、図工で他の子と遊べるわけでもなく、分が悪いでしょうね。
ただ、図工は自分の限界を知る事もできますし、面白いこととはどういうことかを知ることができます。他の子の作品をパクッていたり、テレビのキャラクターそのものを模写しているだけの子の作品を見ることは「面白いとはどういうことか」を考えるよい機会だと思います。図工は自分との対話の始まりであり、独創的なアイデアを出す訓練をする場だと思います。「ものづくり」のきっかけになっていることは確かなのではないでしょうか。
私は今でも、仕事の合間に絵を書いたり漫画を描いたり版画を彫ったり色々します。そして、面白いものや楽しいものを創造するためには基礎が非常に大切だということも再確認します。図工は形而下的には必要ないのでしょうが(ごく一部のプロのタマゴ以外には)、形而上的には必要なものだと思います。現代は、そういう車のハンドル等でいうところの「あそび」の部分が非常に少なくなり、子供にとっても息苦しい社会なのではないかと推測します。
>No.3 酔うぞ さん
>今の学校はで「座学の教科しか出来ない」社会人を作ることに邁進しています。
大学工学部を出ても、製図で線一本ひけない、という話を聞いたことがあります。
私の学生時代は座学と実習はセット、という感覚でしたが。。。
>No.6 元内科医さんのコメント
>図工は形而下的には必要ないのでしょうが(ごく一部のプロのタマゴ以外には)
デザイン屋さんとか、アニメーターだとか、絵心を必要とする職業には、この手の素養が必要でしょうね。子供の頃からどれだけたくさんの絵を書いてきたかが重要、という方もおりますです。職業としてやる場合には、「手の早さ」、スピードは極めて重要ですが、子供の頃からやっているのと、大人になってからやるのとでは、かなり差がつくと思います。建築屋さんやら、製造業の設計屋さんにも必要な素養かと。
意外に裾野は広いと思いますよ。美術でも音楽でもスポーツでも。
to ronさん
>大学工学部を出ても、製図で線一本ひけない
「機械工学部」ということで仰っているとしまして。
(電気工学とか化学工学とかは昔から製図必修ではないはずですから)
知る限り、現在生き残っている大中小問わずのメーカー・製作所では
若手は「ドラフト」が何を指すかすら知らないのではないかと(^^;
No.8 G.Foyle さん
>大中小問わずのメーカー・製作所では若手は「ドラフト」が何を指すかすら知らないのではないかと(^^;
トヨタなどでも、設計をバーチャルにしたために、間違えはないのだが現実感を掴んでいない設計者ばかりになってしまった、という問題に直面して手作り実習のようなことに力を入れてます。
バーチャルが実物を上回るような世界がすぐ隣に出来ています。
もうじき逆転するでしょうね。
>図工や体育を算数や国語と同列に扱うとどうしても見劣りします。
確かにそうなのですが、指先の巧緻性は子供のころから養っておかないと身につきにくいものです。いくら座学ができても、不器用では平々凡々な人間は、成人になって逆境に陥ったとき、食べていく道を得られにくいものですから。
そして、最低限国語・算数・体育・図工さえきっちり学べばその後の人生を生きていけるとさえ私は思っています。
それと、子供たちにとってどんなものであれ、何かひとつ人に誇れるものさえあれば、学校生活を何とかかんとか送れるものですから、学校生活の中で人に誇れるものを選び取るためにその選択肢は狭めてほしくないですね。その意味でも図画工作の時間は減らしてほしくないです。
1年を通して、どこかでスポットライトを浴びるチャンスがあるってことは、子供にとってとても大きな意味があるのです。