エントリ

 判決は、「速度の増加で機体が揺れたため、被告が思わず操縦かんに大きな力を加えてしまい、偶発的に自動操縦が解除された可能性も否定できない」と指摘。さらに「自動操縦が解除された段階では、激しい揺れにつながる機首上げが、すでに何らかの理由で行われていた可能性が高い。自動操縦の解除が被害者らの死傷につながったとは認められない」と、自動操縦の解除と事故との因果関係を否定した。

 客室乗務員がお一人亡くなった事故ですが、やはり本来的には刑事司法で処理する事故ではないのだろうと思います。

 警察にも検察にも、人が死んでいるんだから手をつけない(捜査または起訴)しないわけにはいかない、という感覚があることは否定できないところなんですが、マスコミもそれを助長する場合がありますし、結局でしゃばった正義感になってしまう場合があるように思われます。

 警察や検察がでしゃばらざるを得ないという面があるのかも知れませんので、医療事故問題と同様、事故処理のあり方を考えるきっかけの判決になればいいと思います。

続報追記
 日航機大揺れ事故、高検が「機長無罪判決」の上告断念(2007年1月23日23時30分 読売新聞)

 名古屋高検の久保田明広次席検事は「判決内容を詳細に検討したが、刑事訴訟法に定める上告理由を見いだせないので、上告を断念することとした。事故で亡くなられた方のご冥福(めいふく)をお祈りするとともに、負傷された方々にお見舞いを申し上げる」とのコメントを出した。
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コメント(72)

こういう判決があると、何となくほっとします。

当然の結果だと思います。これを機に国民は過失の刑事罰の意味を考えてほしいと思いますね。

事故調査報告書を裁判の中で使わないでほしいとパイロットの団体がTVで言っていました。パイロットもその時点でベストの対応を模索しながら、その時点でのリスク回避を行うと点において、医師の行為と似ていると思います。
再発予防のために行う調査を使って、後出しじゃんけん的な視点で過失のあら探しをされたら、当事者はたまらんと思います。福島の医師逮捕事件でも、たしか、医療事故報告書が使われたんですよね。

飛行機という完全に人間の創造物と「ヒト」という自然を扱う違いこそあれ、医療裁判の問題と多少の共通点を感じます。

そもそも、この裁判を起こしたのは、なくなった客室乗務員の家族なのでしょうか?

「死」を避け続けた「都市社会」の弊害でしょう。「死」がおこれば、だれかの責任にしたがる風潮・・・・・。 「死」の社会的通年を変える必要性を感じています。
でも、どうしたらいいか、検討もつきません。


No.3 ER医のはしくれさん
>そもそも、この裁判を起こしたのは、なくなった客室乗務員の家族なのでしょうか?
刑事裁判ですから遺族が訴えるというようなものではないのではないでしょうか
ただ遺族の方のHPを拝見すると↓のように書かれているので強く検察に対して起訴するよう要望したとは推察できます
>是が殺人でなくて何でしょう業務上過失致死などでは無いない。未必の故意による殺人事件である。
>被害者とその家族の為に厳罰に処すべきである

http://www.hi-ho.ne.jp/yamagatadenkumi/%93%FA%96%7B%8Dq%8B%F3%8E%96%8C%CC%82%CC%93%5E%96%96.htm

目次?
http://www.est.hi-ho.ne.jp/igato/

第一回公判
http://www.est.hi-ho.ne.jp/igato/706%95%d6%8e%96%8c%cc%91%e6%88%ea%89%f1%8c%f6%94%bb.htm
身内の方が不幸に見舞われているのでかなり感情的になられているように感じます
それ以上の内容についてはコメントを控えます

事故調査報告書を裁判の証拠とすべきか否か、という問題はなかなか興味深い論点だと思っています。

「再発防止のために作成した報告書を当事者を処罰するための証拠として利用することは、原因究明の妨げになる」という主張には、もっともな面があります。

しかし、「ある種の資料を裁判の証拠として利用できないことにする」という取り扱いは、当然ながら、多くの弊害を生むと思われます。

犯罪組織が、犯罪の計画を記載したメモを作ったとします。作成に関与した人は、「これは犯罪遂行のために作ったメモだから、裁判の証拠には使えないことにしよう」と合意したとします。検察や裁判所は、この合意に従うべきでしょうか。

ある事件を起こしたと疑われている人が、事件当日の行動を日記に書いていたとします。「これは他人に見せることを予定していないから」という理由で、その日記の証拠利用を禁じることは妥当でしょうか。

報道機関は、自分たちが発表したニュース映像や記事を裁判の証拠として利用することが不当であると常々主張しています。それを許すと、今後の取材が困難になるというのが理由です。しかし、「取材のしやすさ」というマスコミ側の都合で、証拠利用を禁じることが妥当でしょうか。

例えば、ある組織の構成員(役人でも会社員でも暴力団員でもいいです)が犯罪にあたる行為をしたとき、その組織が「再発防止のため」と称して、その行為に関する資料を一切合切かかえ込んだとします。その資料を使わなければ当該行為の立証は不可能な場合、「再発防止のため」という理由で証拠利用を禁じれば、事実上その人は免責されることになるわけで、組織や業界にとっては格好の防衛手段になります。これが妥当でしょうか。

ある工場が有害な廃液を河川に流して、その流域に住む住民が深刻な健康被害を被ったとします。その工場が「再発防止のため」として社員への聞き取りを行い、調査報告書をまとめた場合、被害に遭った住民が、その報告書を証拠として利用して工場や経営者の法的責任を追及することは、果たして正義に反することなのでしょうか。

このように見ていくと、単なる当事者の意向で証拠利用を禁じることや、「再発防止」の目的さえあれば証拠利用を禁じることが不当であることは明らかであると思われます。個人的には、証拠利用の禁止が合理的とされるケースがあるとしても、かなり極限的、限定的な場合に限られるのではないかという気がします。

本件では、航空上の安全技術全般が調査対象になっていそうなので、その公益性(=証拠利用を禁じる必要性)は高いものと推測されますが、調査対象が狭くなっていった場合(※)、本件で証拠利用の禁止に賛同する方がどこまで賛同意見を維持するのか、ちょっと興味があります。

※ 例えば、ある特定企業の製品だけが対象の場合、利用する人が相当限られる特殊なサービスの場合、等々。

なお、以上は、あくまで「証拠として採用することの可否」に関する議論です。証拠として採用された後に、その価値を論争することは必要だし、あって然るべきと思います。例えば、本件の報告書であれ、医療事故の報告書であれ、「それは事後的に詳細に検討したから判明したことであって、当時の状況下では事態を予見することは困難だった」と反論することは当然であり、自分が弁護人でも、そのような論法は使うと思われます。

このケースは起訴された時点から注目してました。パイロットの組合からも被告支援があり、その詳細も公開されています。
http://www.jalcrew.jp/jca/public/safety/pub-706-head.htm
http://www.jalcrew.jp/jca/706saiban/706_index.htm
事故の犠牲者もおりますので、パイロット被告はよかったですねという話ではありませんが、外国のエアラインパイロットは事故で刑事責任を問われるのなら日本航路へのフライトは拒否するのではないか、事故調査でも実際何が起こって事故に至ったのか検証できなくなる等の議論があり、医療事故関連でも同様のケースはあるのではないかと当時から考えていました。

FFFさま。航空・鉄道事故調査委員会の報告書は通常一番最初に以下の文があります。
”本報告書の調査は、××に関し、航空・鉄道事故調査委員会設置法及び
国際民間航空条約第13附属書に従い、航空・鉄道事故調査委員会により、
航空事故の原因を究明し、事故の防止に寄与することを目的として行われた
ものであり、事故の責任を問うために行われたものではない。”

報告書は法および国際条約に基づいて決めた調査の形式です。
この最初の一文の存在をご存じなかったとすれば仕方ないのですが、ご存じであった場合、
FFF様の例は解釈の仕方によっては法や条約も当事者や犯罪集団の取り決めと同じ程度の
価値だということを意味しかねず、まずいのではないかと思います。

国際民間航空条約 第13付属書と訴訟につきましては,

●富山赤十字病院を立ち入り検査
http://www.yabelab.net/blog/2006/10/04-143747.php

に,コメントNo.190として過去に記しましたので,ご参考ください。

なお,以下は,上記コメント中の「国際民間航空条約 第13付属書より抜粋」の抜粋です。

*** 国際民間航空条約 第13付属書 より抜粋 ***

記録の開示
5.12 事故又はインシデントがいなる場所で発生しても、国の適切な司法当局が、記録の開示が当該調査又は将来の調査に及ぼす国内的及び国際的悪影響よりも重要であると決定した場合でなければ、調査実施国は、次の記録を事故又は重大インシデント調査以外の目的に利用してはならない。

a)調査当局が調査の過程で入手したすべての口述
b)航空機の運航に関与した者のすべての交信
c) 事故又は重大インシデントに関係ある人の医学的又は個人的情報
d) コックピット・ボイス・リコーダに記録された音声及びその読み取り記録
e)フライト・レコーダの情報を含めて情報の解析において述べられた意見

現実に日航123便事件でボーイング社の修理について、分からなくなってしまったのは、刑事裁判になるからだったんですよね。

なんでもアメリカに合わせればよいとは思いませんが、日本では航空事故について対策が出せない国になっています。

> No.7 elfin さん

 コメントありがとうございます。

 私見ですが、報告書冒頭に記載された「目的」によって証拠利用の可否が決せられるものではないと考えます。刑事訴訟法上、証拠の作成された目的に応じて証拠能力が左右されるという規定はありませんし、実質的に見ても、目的(つまり作成者の意向)次第で証拠利用が禁じられるというのではハナシにならない(それこそ、犯罪計画を記載したメモですら証拠とできないことになる)からです。

 とすると、報告書の証拠利用を禁じるには、その趣旨を謳った国際民間航空条約第13附属書が日本の刑事訴訟法に優先して適用される(前者が後者の上位規範である)、と理解する必要があると思われます。

 そして、裁判所は、本件の事実関係では、その付属書(※条約それ自体ではないことに留意する必要があります)が刑事訴訟法に優先するとは考えていないようであり、その判断の是非、更には、一定の場合に証拠利用が禁じられるとすればどのような条件が必要かという点が、本質的な問題であろうと認識しています。

FFFさんコメントありがとうございます。
刑事訴訟法云々の話に対してではなく、
国内法および国際条約に対して行われた主張と、
法によらない当事者の申し合わせとを一緒のごとく扱うことについての疑問です。
具体的には
”単なる当事者の意向で証拠利用を禁じることや、「再発防止」の目的さえあれば証拠利用を禁じることが不当であることは明らかであると思われます。”という部分の例示として
ある組織の構成員の取り決め等を出しておられるようにとりました。
つまり航空・鉄道事故調査委員会設置法及び国際民間航空条約第13附属書
も、当事者間の取り決めと同じレベルであるとしているように思えますが、
それでいいんですか?
国が批准した国際条約の附属書は、法令によらない当事者の取り決めと
同程度に考えて良いものなんですか?
という疑問から、久しぶりにキーをたたかせて頂きました。

お書き下さった私見に対して感じたことは、裁判所に対する疑問です。
裁判所が、”刑事訴訟法に優先するとは考えない”理由がどこにあるのか
わかりませんし、それが正しいと判断する根拠もわかりません。
「裁判官がそう思うからそれが正しい」レベルであったらこれは危険を感じます。
客観的理由が存在するのでしたら法素人にもわかるようご教授下されば幸いです。

誰でも起こし得るミス(=ヒューマンエラー)と言うのがあると思います。それは例えば文章を書く上での書き間違いのようなものです。パイロットはそのミスが大災害に繋がる事があります。
この時、そのパイロットに責任を負わせるかどうかということが問題になると思います。事故調査報告書というのは誰にでも起き得るミスだからこそ、いかにそれをシステム的に防ぐかを重要視しているのだと思います。現在の航空機の安全性はこういう努力が積み重なって出来たものだと思っています。けれども、未だに全てのヒューマンエラーを防ぐ事は出来ていません。言い換えれば、誰が行なっても事故を起こす余地があるということです。これからはそういう防げないミスが起きるたびに誰かしらが起訴されていくのでしょうか?

>koukiさん
トルコ航空機DC−10事故のように、明らかに予見性があると思われる事故に関しては、起訴を行うというのも一つの手ではあると思います。しかし、現実的に有罪にするのは難しいと想われますが。

個人的には、報告書を証拠採用するかどうかは些末な問題だと思います。実際には「過失に刑事罰を与えるのが適切なのか否か」が問われているのではないでしょうか。あと、事故調査に警察が乗り出すのが正しいのかどうかという問題もありますが。

> No.11 elfin さん

 コメントありがとうございます。

 私としても、決して、「条約に基づいて行われた主張と、当事者間の取り決めに過ぎないものを同じレベルに位置づける」つもりはありませんで、ただ、「何らかの都合で、一定の資料について裁判の証拠とできないという特別ルールを設けると、やがて重大な支障を生じるのではないか」ということを述べたかったのですが、分かりにくい文章ですみません。

 本件で、「航空事故再発防止のため」という理由から資料の証拠能力を否定することが許されるなら、「自動車事故再発防止」でも「医療事故再発防止」でも「汚職事件再発防止」でも「公害再発防止」でも証拠能力を否定すべきだ、という主張が強力に展開されることは容易に予想されるところ(というか、既にあちこちで主張されている)ですので、上記の心配が杞憂とは言い切れないのではないかと思っております。

 ところで、裁判所が報告書の証拠能力を認めた理由についてですが、高裁の判決は未だ原文にあたれないので、ちょっと分かりません。地裁の判決では、どうやら、付属書の該当条文を(証拠利用ではなく)「開示を制限したもの」と解釈した上で、「報告書は、国の適切な司法当局によって既に公表されているのだから、制限の対象にはならない」と結論付けているようです。該当箇所を下に引用しておきます。なお、この地裁の理屈は、条約(付属書)が刑事訴訟法に優先することを前提に、本件は条約(付属書)の定める制限に該当しない、という論法のようですので、No.10の私の書き方は不正確だったかも知れません。


同条は,その文言上,同条に掲げられた記録の開示を制限する規定であると解される。また,航空事故調査委員会による航空事故調査の目的が事故の再発防止にあるとはいえ,航空事故に関する刑事手続において,すでに一般に流布している記録を利用する場合にも,当該調査又は将来の調査に及ぼす国内的及び国際的悪影響を考慮しなければならないとするのは,刑事裁判の審理に過大な制限を課すものである。したがって,同条は,その文言どおり,記録の開示の制限を定めたものであると解するのが相当である。
 本件事故調査報告書中に記載された第13付属書5.12条に規定する前記aないしeに該当する記録のうち本件事故調査報告書中に記載された部分は,同調査報告書が公表されたことにより,第13付属書5.12条の制限の対象にはならない。

FFF様、おっしゃる意図はわかりましたが、第2段落は
法などに立脚した主張と、単なる意見表明とを同列に扱うことは誤りですから
あちこちで主張されたとしても別にかまわないと思います。
”何らかの都合”が法などによるものであればそれもまた構わないのでは
ないかと思います。それを恐れるあまりシステムが絡む事故の原因解明が
遅れ再発を防げなかったり、謝った結論になる可能性を秘めてしまうほうが
有害だと”私は”思いますが、これは日々法実務に携わる方々との間にある
温度差故かもしれませんね。

ご教授ありがとうございます。実は私の後段はその判決文を読んでの疑問なんです。
地裁判決のその結論づけの正しさを客観的にサポートするものがあるのかどうか?と言う点です。
結局この判決文を素人が読んだ限りでは裁判官が、「俺がそう思う」と
書いているに過ぎず、そう”思うことの正しさ”を示す根拠が伝わってきません。
正しさの裏付けとなる客観証拠となるべき数式等は法律にはないだけに、
結局裁判官の脳内理解によって左右されかねないものだったら怖いなぁと思います。

日本の刑事裁判の基本姿勢から考え直さなきゃいけないんじゃないですかね。

うっかりじゃすまない,とんでもないミスをしたんだったら責任とってもらわなきゃいけないと考えるか,わざとじゃないんだから,ペナルティなど一切なくてもいいと考えるか。

また,実際に何があったのか,調査報告書に詳しく書かれているのだから,それも証拠に加えてできる限り真実を明らかにするのか,使っていい証拠を制限して,あくまでも決められたルールの中で有罪無罪を決める手続なのだと割り切るか。

事件の真相(深層)解明の役割を裁判に求めるのか,有罪無罪及び刑罰を決めるだけの手続だと割り切るか。

これから,検察審査会の権限強化や裁判員制度の実施にともなって,一般人の意向が刑事裁判にダイレクトに反映されることになるようですから,刑事裁判制度がどうあるべきなのか,はっきりさせておかないと,ろくでもないことになるのではないかと思います。

私は,今の世間は,何でもかんでも犯人探しをしたがり,警察や裁判所に真相解明機能を求めすぎていると思いますが,裁判に必要な範囲で,できる限り真実を明らかにすべきであり,事実を明らかにした報告書がそこにあるのに,裁判には使えないという事態は,なるべく少ないほうがよいと考えています。
また,過失犯については,当然すべき注意を怠って,その結果として事故を起こしたのであれば,処罰はされるべきだと思います。

 FFFさん

 どうも、事故報告書の成り立ちをご存じないようですね。
「航空機事故報告書」は、類似事故再発を唯一の目的に作成されるものです。
その目的のために、刑事司法での根幹である黙秘権を認めずに、その結果をもって当事者を罰しないことを条件に、自己に不利なことも積極的に証言することを求めているはずです(すいません、オリジナルの約束が手許にないので、あいまいな表現になっています)。
 当然です。「事故報告書」作成の自分の証言をもとに自分が刑事罰に問われるとわかっていたら、当人が本当のことを喋らなくなります。
 例えば、パイロットは、自分で過失と自覚していることをも正直に話すことによって、その過失の発生原因を追及し、類似事故を防止するシステムの構築をできるようにするために、自己に不利な内容も話すことが求められるのです。つまり、再発防止のために、黙秘権を行使することなく事実を話させ、バーターとしてその内容を再発防止以外に使わない、すなわち、その証言をもとに刑事訴追や行政処分、社内処分を行わない、としているのです。

 こういう手法で作成された「事故報告書」を刑事裁判の証拠にしようとするのは、再発防止の理念に相反する暴挙です。
 愚挙ともいいえます。
 なにしろ、黙秘権の行使を認めずに作成された当人の証言を証拠にしようとするのですから憲法違反です。

 医療事故報告書にも同様のことがいえます。
 病院が作成する報告書は、再発防止を主眼に事実を明らかにするために、当事者が黙秘権を行使しないで、また、場合によっては匿名化することによって、組織内の人間関係に煩わせられることなく、事実を語ることを求めます。そうすることによって、事実が明らかになり、確実な再発防止策の立案が可能になるのです。そのためには、事故報告書が、警察検察の捜査資料や民事裁判の証拠としては使われないと約束されることが必要になります。その報告書を拠り所に、刑事責任を追求されたり損害賠償請求訴訟を提起されるのでしたら、報告書は作成しない方がよいことになってしまいますし、もちろん、公表も出来ず、他施設の事故防止に役立つこともなくなります。
 従って、医療事故報告書を裁判資料としてはいけないのです。

 ただし、ここで勘違いしてはいけないのですが、しばしばこれを「免責」と捉えて説明されていますが(とくに、お医者さんはそう思っているようですが)、これはあくまでも、「事故報告書」を捜査の資料や証拠として利用しないというのであり、報告書作成に協力したから刑責を追求されることがない、というわけでも、民事事件の損害賠償請求訴訟から逃れられると解せられるものでもないのです。
 警察や検察(民事だったら原告)が事故報告書以外の証拠から、その過失を立証すれば、刑事処分や民事訴訟の対象になりえるはずです。
 刑事事件だったら、警察は、黙秘権の告知をした上で、当人から報告書と同様の内容の調書を作成すればいいのです(ただし、そのために事故報告書を利用してもいけません)。

「航空機事故報告書」や「医療事故報告書」とはそういう性格のものなのです。

 繰り返しますが、「事故報告書」を証拠とするのは黙秘権を認めた憲法に反する行為でもあるのです。
 

>かつとしさん
>警察や検察(民事だったら原告)が事故報告書以外の証拠から、
>その過失を立証すれば、刑事処分や民事訴訟の対象になりえるはずです。

報告書が証拠採用されていれば過失でないことが立証できたにも関わらず、証拠採用されなかったがために過失と立証され、有罪になるケースも考えられると思いますが、そのような場合、操縦士は甘んじて罪を受けるのでしょうか。

「事故調査における情報の取り扱いを巡って」なる論文を見つけました
タイムリーなので、ご一読ください

http://shakai-gijutsu.org/ronbun/ronbun.21.pdf

> No.18 かつとしさん

 コメントありがとうございます。

 「事故報告書の成り立ち」については概ね御指摘のとおりと理解しています。私が申し上げているのは、ある資料が、その「成り立ち」(あるいは資料作成の趣旨、目的)によって刑事裁判の証拠となったりならなかったりするのは不当ではないか、ということです。

 また、再発防止のため事故報告書の水準を上げるという要請からは報告書を証拠として利用しない方がよい、という理屈は一応分かるのですが、なぜ「事故報告書の水準を上げること」が「刑事裁判による適正な処分」(無罪の判断を含みます)に優先するのか、少なくとも常に優先するとは言えないのではないか、という問題意識も持っております。

 それから、黙秘権の点については、ちょっと極端な意見のようにも思います。黙秘権告知なくして得られた供述を証拠にすることが許されないとすると、たとえば、ある人が事件について知人に述べたことや、自ら記載したメモ、日記、論文等を証拠とすることも「黙秘権侵害として許されない」ことになるのでしょうか。

 ところで、「当事者を罰しないことを条件に」とか「バーターとしてその内容を再発防止以外に使わない、すなわち、その証言をもとに刑事訴追や行政処分、社内処分を行わない、としている」という部分なのですが、当事者を罰しない、刑事訴追をしないという保障は、誰が、どのように与えているのでしょうか。事故報告書の作成主体に、刑事訴追を免除したり、確実に無罪判決を下す権限が与えられているということですか? そうでないなら、検察官や裁判所が、その「お墨付き」に拘束されるいわれはないと思うのですが・・・・。

 当事者の処罰を断念しても、同種事故の再発で失われる可能性が高い多数の人名を守るためには刑事免責等もやむな、しという刑事司法取引(バーゲニング)や刑事免責(イミュニティ)、つまり小の悪を放免しても大の悪を処罰するんだ、小の悪を放免しても多数の失うことが想定される多数の人命を守るんだ、ということを前提とした社会でないとあの条約の文言は受け入れ難いでしょう。
 マフィア幹部十数名を逮捕してムショ送りするためには、殺人の実行犯に刑事免責(不処罰)を与えても実行犯から幹部との「共謀」を自白を得るのは正義である、とするような国だから受け入れられるような(USA連邦議会でのバラキ証言)。
 20年以上も前にロッキード事件で刑事免責や不起訴宣命(地検と最高検)・起訴不受理宣命(最高裁)があったころにも議論されていました。当時の最高裁は、起訴不受理宣命(不起訴宣命を保証する宣命)は、嘱託尋問担当の米国連邦執行官チャントリー判事の「日本の裁判所によるルール又はオーダーがなければ証言拒否は正当」とする要請にうより、最高裁判所の規則制定権に基づく処理だと説明していましたが、後の判事構成のかわった最高裁では「不起訴宣命等は違法」との判決が確定しました。

>しまさん
>個人的には、報告書を証拠採用するかどうかは些末な問題だと思います。
私もそう感じています。ついでに言えば、パイロットの行動がすべて免責になれば良いとは考えていません。私が思うのは、こういう事故が発生した時にはそれに対して専門的な知識と経験を持った人が判断するべきだということです。どのような事故でもその気になればだれかしらの責任を追求する事は可能だと思います。ただそれが、起こしても仕方がないと言うべきミスなのか、それとも専門家が見ても許されないミスなのかを判断する必要があると思います。この判断は普段からその業務に携わっているものでない限り難しいと思います。とは言え身内だけでは浄化作用を期待するのは難しい気も致しますので、判断理由などは全て公開するなどの条件は欲しいです。

>なにしろ、黙秘権の行使を認めずに作成された当人の証言を証拠にしようとするのですから憲法違反です。

事故調査委員会への報告、質問への回答では、虚偽の報告・回答は罰則がありますが、黙秘しても特段罰則はないです。嘘はいけないが、黙るのは仕方がないということを消極的に認めているのだと思います。まあ、虚偽報告でも罰則は30万円以下の罰金だけですが。

要は、今までは乗務員たちは、事故調査委員会での報告内容をもとに刑事責任を問われることはないと思い、再発防止のために善意で不利な内容も話してきたが、現実はそうではなかったと。

今後は、事故調査委員会への発言をもとに刑事責任を問われることを前提に、不利な内容を報告するかどうかを考えることになるのではないかと思います。当然、真相解明は遠のきますが、自ら刑事処分を受けてでも真相解明に協力したいという高邁な方が現れない限り、今後事故調査委員会でも不利な内容は黙秘する方向になるのではないかという気がします。

私もパイロットがすべて免責されるべきとは思いません。その点は医療事故についても同じです。ただ、原則免責であると思います。
たとえば、最低限の知識を持った専門家の誰しもが批判の対象とするような稚拙な行動であった場合(医療で言うと、ほとんどの医師がまず行わないであろうというような行動に伴うミスを犯した場合)、緊急ではなく、時間に余裕があったにもかかわらずミスを犯した場合(同じく、左右取り違いや抗癌剤の投薬量のミス)、故意に起こした場合(同じくいわゆる殺人)は刑事罰の対象とするのもやむを得ないと思います。
そもそもこの類の事故は医療事故と同じく責任者を罰したからと言って再発防止や抑止効果があるわけではありません。従って責任者を罰することは単なる見せしめ(あるいは責任を転嫁するための手段)か被害者あるいはその家族の仇討ち的な要素しかないわけです。主目的が再発防止であれば刑事罰を与えることは全く科学的にナンセンスといえます。
江戸時代の時のように仇討ちが主目的だというのであれば話は別ですが・・・・。

今回の事故では、以前から、MD-11の特異な飛行特性も影響していると言われています。一連の投稿を拝見していて思ったのですが、例えば、会社側は同機に乗務する運行乗務員に対して、適切な機種転換訓練を行っていたかどうか、という点は争点にはならないのでしょうか。
つまり、会社側の責任は、この種の事故では問われないのでしょうか。

> 会社側の責任は、この種の事故では問われないのでしょうか
> 運行乗務員に対して、適切な機種転換訓練を行っていたかどうか(No.26 成田の近くの住人さま)

因果の流れだけからみれば、危機に適切に対応しうる乗務員を養成できなかったとして、会社の教育プログラム企画者、指導担当者らも、本件事故に対し関与がなかったとは言い切れません。
しかし、この種の複合的なヒューマンエラーにおいては、誰か一人の責任を問えるのかということが常に問題になります。
少しでも関与した者を片っ端から犯人として捕らえ、起訴し処罰するならばどういう結果になるかは、これまで皆さんが書かれたとおりです。

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あるいは、成田の近くの住人さまは、個々の社員ではなく、「会社」について刑事責任を問うべきとお考えなのかもしれませんが、
会社が被害者に対して民事の損害賠償責任(金銭的な支払)を負うことは別として、
自然人でない会社組織は、その性質上、刑罰の処罰対象にはなりにくいのです。

なぜならば、刑法の目的は、犯罪を行った場合に刑罰という苦痛を与えることにより、犯罪を禁圧しようとするものだからです。
自然人にとっては、死刑(生命を奪われる)や懲役or禁錮刑(刑務所に入れられて自由を奪われる)が、大きな苦痛と<感じられる>ため、刑罰として実効性があります。
一方、法人に対しては、効果的に苦痛を与えられる方法がない。概念的な存在を檻に入れることは不可能ですし、そもそも法人格自体には感情・感覚がないため、痛痒を感じません。
従って、法人に対して何らか不利益を与える方法としては、経済事犯に対する高額の罰金刑(経済的な不利益)くらいしか、有効な手だてがありません。
しかし、経済的な不利益を与えるならば、刑罰によらず行政的な課徴金という方法もあり、一般的に、法人の違法行為を禁圧する目的のためには、刑罰によるよりも、法人格取り消しを含めた行政上の処分や指導のほうが効果的と考えられています。

そのことは、本件のような過失による事故の事例にも当てはまります。
業務上過失致死罪には罰金刑の規定もありますが、大企業の法人に100万円の罰金を科したところで、効果はほとんど無いでしょう。

YUNYUNさま、コメントありがとうございます。

私は法律の専門家ではないので、単なる素人の疑問です。詳細にお答え頂き、ありがとうございます。

私の疑問は、ご遺族の感情を考えた時に、起こったもので、個人的には会社を起訴云々までは、考えておりませんでした。日本では、欧米と違い、どうしても人がお亡くなりになった事故が起きた場合、例え予見が難しい内容であっても、「誰か(普通は責任者なのでしょうが)を処罰してもらわないと気持ちが収まらない」が強いように思います。

皆様のご意見を見て、大変勉強になります。

皆様、お疲れ様です。

素朴な疑問なのですが、「事故報告書」を刑事裁判の証拠として採用してはいけないという根拠が国際条約にあるということですが、裁判所が「事故報告書」を刑事裁判の証拠として採用した場合、日本に何らかのペナルティが課せられる可能性は無いのでしょうか?

No.20 しま さんがご紹介してくださいました論文を読みましたところ、
「ICAOに加盟しながらもその制度を改めない国も多い」とありますので、この条約を無視しても何もペナルティーはなさそうですね。

これまでの議論の結論は,航空事故でも医療事故でも日本においては「事故調査報告書」は作成しない方がよい,ということですね.
刑事裁判にされる危険性を考慮した場合,「黙秘権」を行使せずにそのような報告書を作成することは自殺行為であるということになるわけです.
国際社会で作られ日本でも批准された条約であっても,日本ではローカルな司法が優先されるということは,まだまだ日本はローカルな国に過ぎないんですね.

そもそも国際法の実効性自体が問題なのです。
国と国との間では、法を強制する至高権力の存在がないため、法秩序よりも実力行使がモノを言うという現実があります(最近では某国が、ある国に対しておみゃー大量破壊兵器を隠し持っとるじゃろーと証拠もないのに難癖を付けて、武力で攻め込み政権を転覆させた事案など)。
国際法は法か?という議論すらあるくらいで。

みなが、自発的に条約を守ろうという気にならなければ、どうしようもありません。

過失あるものが罰せられて、だけど同じ事故が散々繰り返される社会よりも
過失あるものが罰せられなくとも事故が少ない社会に生きたい。

事故を少なくするために、事故報告書の水準を上げることが望ましく、そのためには免責や報告書を証拠に採用しないことが必要だと専門家集団の意見が一致しているならばそうするのがよい。
しかもそれが他の国での常識となっているのであればなおさら。
なぜなら彼らこそが最も事故の現場を知り、事故を少なくすることを考えているのだから。

それに反した判決を出したり、そもそも刑事事件として立件する方々はそのことにより将来起きる事故の死者に対し責任を負うべきであると考える。何故ならば彼らの行動が将来の事故の確率を減らそうとすることの最大の障害なのだから。
「それが法律なのだからしかたがない」と釈明するのであれば、法そのものを変えるべく声をあげるべきである。何故なら彼らこそがその現場の実態を最もよく知っているのだから。

というのがきびしめのおいらの考え。


>No.33 立木 志摩夫さん

>過失あるものが罰せられて、だけど同じ事故が散々繰り返される社会よりも過失あるものが罰せられなくとも事故が少ない社会に生きたい。

 同感です。

 そもそも過失犯処罰規定というのは、過失事故を減らすことを目的に制定されています。

 ところが過失犯を処罰しようとすると事故原因の究明できず、その結果事故が減らないまたは再発する、というのではまさしく本末転倒なのです。

 刑事司法に関与するのものは(警察も含めて)、刑事処罰というのは法益保護のための手段の一つに過ぎないということを常に確認している必要があると思います。

>そもそも過失犯処罰規定というのは、過失事故を減らすことを目的に制定
>されています。
>
>ところが過失犯を処罰しようとすると事故原因の究明できず、その結果事
>故が減らないまたは再発する、というのではまさしく本末転倒なのです。
>
>刑事司法に関与するのものは(警察も含めて)、刑事処罰というのは法益
>保護のための手段の一つに過ぎないということを常に確認している必要が
>あると思います。

モトケンさんのおっしゃることはよく解ります.
しかしこのことを,法曹や司法全体が認識しなければ現状は変わらないのでしょうね.それまでは「沈黙は金」なんですね.

YUNYUNさん,
>国際法は法か?という議論すらあるくらいで。
日本が国際社会の一員になっていくためには,少なくとも国際法は尊重されるべきではないでしょうか?
それが「法」かどうかという形式的な議論は別にして,です.

おー。モトケン先生と同じ意見ですねっ!!仲間仲間。
そういえば、ジャーナリストでも感度の鋭い方はこの過失犯が帰って過失を減らすことの邪魔をしているのではないだろうかということを数年がかりで記事にしようとしている方がおられます。
ここにも来ておられる別先生からの紹介で知った方ですが、何か機会があればご紹介しますね。

どうも多勢に無勢な感じではありますが(笑)、反対方向の意見もあった方が議論が深まるという面もあると思いますので、思ったことを何点か書きます。

過失犯を処罰することに消極的、懐疑的または慎重な姿勢の方も、おそらくは、過失の程度が相当重大な場合を含めて完全に免責すべきとまで考えているわけではないと思いますので、それを前提にします。

まず、「捜査手続では、関係者が処罰を恐れて原因究明に協力せず、有罪を立証できる証拠が得られなかったが、事故調査委員会による調査では、ある関係者の極めて重大な過失によって事故が発生したことが判明した」ようなケースでも、事故報告書を証拠として使えないこととすると、その関係者は事実上免責される結果となるが、それでよいのか、という点。

次に、事故報告書を証拠採用しないこと、過失犯の処罰に消極的であることが、本当に過失事故の防止につながるのか、という点。個人に対しても組織に対しても、行政処分等の刑事司法に替わるルートが機能し、原因を究明した後、その原因を除去する措置が迅速に採られるのなら結構ですが、そうでないなら、刑事司法が遠慮したところで、何ら事態は改善しないはずです。

医療分野に関して言えば、重過失で患者を死傷させたり、カルテを改ざんする医師に対し、医道審議会は殆ど適切な処分を行ってこなかったわけで、このような状況を前提にする限り、刑事責任の追及を控えても、その医師による医療過誤の減少にはつながらないと考えます。

なお、No.33で立木さんが仰る「他の国の常識」というのは、その国における司法・行政・業界団体等の役割分担をふまえた場合の「常識」ということであって、「他の国」が事故報告書の利用による刑事責任の追及に消極的なのだとすれば、そこには、刑事処罰に変わる是正機能が存在しており、刑事司法がでしゃばる必要がないという下地があるはずです。

結局、その分野の専門家ではない捜査官に介入されて司法ルートで処理されるのが嫌なら、刑事司法以外の方法で対処した方が社会的に有益となるシステムを別途用意すべきであり、検察官も、国家刑罰権を発動するまでもなく適切な処理がなされていると見れば、わざわざ起訴することもなくなることでしょう(※)。

※ こう書くと検察官を信頼しすぎだと批判されるかも知れませんが、現状でも、検察官は過失犯処罰には相当慎重な姿勢をとっていると認識しています。業務上過失致死傷(殆どは交通事件)の起訴率は10%程度であり、その殆どは略式起訴での罰金求刑で、公判請求に至るのは全体の1%程度のはずです。

> 日本が国際社会の一員になっていくためには,少なくとも国際法は尊重されるべきではないでしょうか?(No.35 Level3 さま)

日本の国是はまさにその通り、国際協調主義をとっております。

 憲法98条2項 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

現実には、日本は締結した全ての条約を誠実に遵守するところまでは達していませんし、
そもそも政府当局にとって不都合な条約には、加盟や批准をしません。
例えば、ILOの労働時間関係条約は未批准で放置とか、国連人権規約委員会から「代用監獄制度は違反だから止めれ」と通告されているにも関わらず、廃止を見送ったとか。

>Level3さん
>これまでの議論の結論は,航空事故でも医療事故でも日本においては
>「事故調査報告書」は作成しない方がよい,ということですね.

証拠採用されるかされないかにかかわらず、作成したほうがよろしいかとは思います。つまり、「沈黙は金」ではないと私が考えているに過ぎないだけなのですが。情報量が少ない分だけ、裁判官の恣意的な判断の余地が入り込むと思うわけです。


>国際社会で作られ日本でも批准された条約であっても,日本では
>ローカルな司法が優先されるということは,まだまだ日本はローカルな国に
>過ぎないんですね.

国際法などというのは、しょせんは国益の道具ではないでしょうか。国益に適っている部分だけを取り入れ、国益につながらない部分は無視するというのが、世界の国々の趨勢なのではないかなと思います。

>FFFさん
言葉遊びになりますが、以下のような事は考えられるのでしょうか。

----------

まず、「捜査手続では、関係者が処罰を恐れて原因究明に協力せず、無罪を立証できる証拠が得られなかったが、事故調査委員会による調査では、個人には過失がなく、制度上の問題または不可避の原因で事故が発生したことが判明した」ようなケースでも、事故報告書を証拠として使えないこととすると、その関係者は事実上過失を問われかねないが、それでよいのか、という点。

> No.40 しまさん

 コメントありがとうございます。

 刑事裁判に関して言えば、検察官が有罪を立証できる証拠を提出しない限り無罪となるわけですから、そもそも「無罪を立証できる証拠」という考え方はしません。検察官も、「無罪と判断できなければ起訴する」わけではなく、「有罪を立証できると判断した場合に限り起訴する」という立場ですので、説例のような不都合は生じないと思います。

 また、事故報告書を証拠として使うべきでないとする立場の方は、それが有罪立証に使われる場合のデメリットを重視しておられるので、事故報告書の内容が過失を否定する方向に作用するのであれば、証拠としての利用は許す(むしろ、弁護側の証拠として自ら積極的に提出する)ということになるのかな、と思います。

 しかし、それは、事故報告書の内容が都合のいい場合にだけ証拠としての利用を許し、都合が悪い場合は証拠として利用すべきでないという考え方ともいえ、紛争処理のルールとしてフェアとはいえないような気がします。

>FFFさん
司法や国民は、工学的な専門的な事柄に関しては基本的に素人な訳です。素人の目から見て、明らかに過失と思える場合でも、プロの視点、専門知識を持った方々の目で問い直せば、過失ではないと判定されるケースも少なくないと思います。

「事故報告書を証拠として使うべきではない」と言うのは、事件の起訴や判決に置いて、専門的知識の光を当てず、全てを検察官や裁判官の裁量に委ねることと同義だと考えます。
上のコメントでは、そのような事も言いたかったのでした。

ちなみに、事故報告書の内容を証拠採用するべきではないというのは、都合がよかろうが悪かろうが証拠として採用するべきではないという事だと思っていました。

>国際法などというのは、しょせんは国益の道具ではないでしょうか。国
>益に適っている部分だけを取り入れ、国益につながらない部分は無視す
>るというのが、世界の国々の趨勢なのではないかなと思います。

しまさん,
個人的意見ですが,少なくとも「国益」が先にあるうちは「国際的問題」は解決されることはないと思います.現在のように多くの国々の人間が国境を超えて移動し生活する状況下では,「国際法」というのはある程度それらの人々の共通の守るべきものとして存在すべきです.
航空機内でのトラブルのように,起こった場所や,起こした人間の国籍などによって扱いが異なるというような状況はやはり問題ではないかと思います.

あとFFFさんが書かれていますように,刑事事件では「犯罪が立証されなければ有罪になりません」から,その意味では沈黙は金というのは正しいのでしょう.100歩譲っても,自分に有利なことしか話さなくてよいわけですね.

追記します。

モトケンさんがNo.34で仰っているように、過失犯を処罰する目的の大きな部分が、過失事故の減少、再発防止という点にあることは間違いないと思うのですが、それだけではなく、「その立場であれば当然払うべき注意を払わずに他人を死傷させたことに対する非難、応報」という面も含まれていると思います。そして、不注意にも人を死傷させた加害者が刑罰を受けることによって、被害者や遺族の感情が慰撫されるという側面も確かにある。だからこそ、過失の程度や内容が同じでも、生じた結果が重大であれば重く処罰されることになっているのではないかと。

進歩的な方々には受けが悪い考え方でしょうから、殊更上記の点を強調したくもないのですが、しかし、「再発防止だけが過失犯処罰の目的であり、再発防止に寄与しない場合は処罰を控えるべき」という考え方は、少々バランスを欠いているように思うわけです。

それから、話は変わりますが、事故報告書の証拠利用を認めると、およそ証言が得られず原因解明が困難になる、したがって事故の再発を防げない、という論理も、理屈としては一応分かるし、そのような面がないとは言い切れないけれども、そんなに単純なものでもないだろう、とも思います。

私は捜査官の仕事をしたことはありませんが、「処罰をおそれて供述を拒む」という行動パターンが確たるものなのであれば、被疑者の供述調書を作成するなんて不可能になるはずです。しかし、実際には、過失犯どころか故意犯、しかも重大事犯も含めて、被疑者は事件の経緯を供述しているわけです。もちろん、無茶な取調べをしたケースだってあるし、虚偽の供述だって多いのでしょうが、それが大多数を占めるということはないのであって、多くのケースでは、被疑者や関係者は、処罰の危険性にさらされつつも、最終的には事件の経緯について合理的で真実に近いと思われる供述をしているように感じます(この辺りの感覚は、モトケンさんが一番お詳しいと思いますが)。

航空であれ医療であれ何の業界であれ、その業務に従事している人の多くは、No.33で立木さんが仰っているとおり、「最も事故の現場を知り、事故を少なくすることを考えている」人々であるわけで、そのような人々が、「報告書が証拠利用されるようになった途端、原因解明に関する一切の協力を拒否する」というのは、勿論ないとは言いませんけど、それが主流になるかというと疑問だなあと。「処罰される可能性があるなら、原因解明には協力しませんよ」という人、そんなに多いのでしょうか。

リスクマネジメントのあり方として、インシデントレポートは匿名で集め、報告者を処罰しない方がいいとか、それはそれとして合理的だと思いますし、情報収集という点では効果が高いのでしょうけど、逆に、「顕名で処罰の可能性があるから原因究明が不可能になる、又は非常に困難になる」ということまでいえるのか、という素朴な疑問を持っています。

エントリーから感じ取ってはいましたが、
モトケン様も同じ意見でよかったというのが正直な感想です。

FFFさん、
そもそも事故報告書の作成根拠法令そのものに”条約や附属書に準拠”するという
文言があります。
調査や報告書の作成は”犯罪捜査のために認められたものと解釈してはならない”
という文言もあるんですね。
FFFさん的に考えるためには、私共としてはこの航空・鉄道事故調査委員会設置法
第15条の文言を、そして
”国際民間航空条約の規定並びに同条約の附属書として採択された標準、方式及び
手続”としての第13附属書の文言をどう解釈すればよいのでしょう?

それはそれとして、捜査、司法関係に関わると言うことがどんなに高いハードル
なのか、どんな影響を与えるのかなどについて、非関係者と差が大きいように感じます。
そういうことに疎い人がかりが志向したり、そうなるように養成しているとも思えないので
捜査、司法関係の方にとっては日常だから気にならないだけのかもしれませんが・・・。

また、おっしゃるような明らかなミスであれば、別に調査報告書に頼らずとも
立証することは可能でしょう。yamaさんのお書きになった
”最低限の知識を持った専門家の誰しもが批判の対象とするような稚拙な
行動であった場合”証人やら鑑定やらは容易でしょうからね。
それと複雑なシステムが絡み合ったものを同一視はまずいと思いますよ。

しまさん、
貴方の意見はどうあろうと、現行法では
このICAOの条約附属書に関しては相違する点を通告し、
留保するという道が残されていますが、
それを第13附属書について日本国は行っていません。
そのうえで、報告書作成の根拠は上記の通り、条文に附属書に準拠する旨
の文言が盛り込まれております。従って遵守義務があると思われます。

国益につながらないと無視・・・ということはシステム事故に対して、
その原因解明がおろそかになって再発したとしても
過失者をその都度処罰することが国益とお考えなのかなぁ?
逆に事故が少ない方がいいと思うのが一般人の感覚ではないかと思いますし、
人的経済的損失を考えれば事故はない方が益とは思いませんか?。
国なんてレベルではなく、人類全体の益ではないかと。。。

どれを証拠として採用するかと言う問題も大切だと思いますが、採用した証拠をどのように扱うかの方がより大切な問題な気が致します。
司法はその領域の非専門家であるからと言って、その判断が専門家の常識から大きく逸脱することがあってはならないと思います。非専門家であろうとも、専門的な問題を扱うと決めた以上はそのくらいの責任はとって頂きたいです。それに対して、医療裁判の問題では鑑定書に従っているだけだと言う意見をみる事があります。しかし原告も被告も自分の主張に有利な鑑定書を書く専門家を探しているということは容易に想像できます。そのことを考えれば司法に鑑定書の妥当性を判断することを求めても良いと思っています。方法は事件と関係のない複数の専門家に聞くなど幾つかあると思います。民事では弁論主義の考えがあると思いますが、良く分からない事(裁判を通してだけで専門領域を理解するのは難しいでしょう)に基づいて判断していると言うのは法律の専門家としても歓迎できない事態ではないのでしょうか。

>「報告書が証拠利用されるようになった途端、原因解明に関する一切の
>協力を拒否する」というのは、勿論ないとは言いませんけど、それが主
>流になるかというと疑問だなあと。「処罰される可能性があるなら、原
>因解明には協力しませんよ」という人、そんなに多いのでしょうか。

FFFさん,
現在の医療裁判のように医師が置かれた状況下で最善と考えられる行動を取っていた場合でも,なお逮捕されたり刑事裁判で起訴されたりするような状況では,医師はそのような行動を取らざるを得ないのではないでしょうか?
現実にもし,私がそのような状況に置かれたとしたら私はやはりそのように行動するでしょう.「正しいことが正しいと判定されるない可能性が十分にある状況下では,そうせざるを得ないでしょう」
私の言っていることはおかしいでしょうか?
医師からみて「正しいと判断されることが,適切に正しいと判断される状況」であればFFFさんの考え方は妥当だと私も思いますが,現実はそうではないですから.

No.47に関して,
医療の話になりましたが,パイロットでも似たようなものではないでしょうか?

> No.45 elfin さん

 コメントありがとうございます。

 まず、航空・鉄道事故調査委員会設置法15条5項は、調査委員会が調査等を行う「権限」について、「犯罪捜査のために認められたものと解釈してはならない」と規定しているのであって、事故報告書を証拠として使うことを禁じた規定ではないと考えます。

 また、第13附属書の効力については、まず、これが「附属書」であって「条約」自体ではないことから、そもそも法的拘束力があるのか、という問題があります。

 附属書に法規範性が認められるとすると、途中から相違通告をしなくなったという経緯からしても、条約を締結した日本政府としては、条約・附属書の趣旨に沿った運用をしないといかんだろうとは思います。ただ、その場合でも、今回の事件の一審判決のように、「証拠利用」ではなく「開示」に関するルールであると解釈すれば、証拠能力が否定されることはないということになります。

 さらに、一審判決と異なり、条約・附属書の趣旨が報告書の刑事裁判における証拠利用を禁じたものであると解したとしても、それと刑事訴訟法との優劣関係が不明である、という点があります。この条約・附属書が刑事訴訟法の上位規範なのか、よく分からない(色々な考え方があり得る)というのが正直なところです。趣旨の理解について検察・弁護・裁判所がバラバラなことを言っていることから明らかなように、この条約・附属書の文言それ自体は、刑事訴訟における取り扱いを明確に規定したものではない。例えば、報告書を検察官が証拠請求すること自体禁止されるのか、請求自体は禁止されず、ただ弁護人が取り調べに不同意とした場合に刑事訴訟法321条4項や323条でも証拠とできないということなのか、調査報告書の証拠能力に関する新たな立法がなされることを期待した条約であり、立法がなされていない現状では証拠能力が制限されることはない(私はこの立場)ということなのか、いずれの理解もあり得るところでしょう。

 まだ名古屋高裁の判決文を見ていないので、裁判所がどのような理解をしたのか知りませんが、調査報告書の証拠能力について刑事訴訟法を改正するような立法措置がなされていない現状では、証拠の採否は、担当裁判官の考え方次第で決まります。それでは不安定でかなわんという批判は可能でしょう。検察が控訴して最高裁で争われれば、判例として指針が示されるかも知れません。本来なら、政府が条約を締結して国会の承認(憲法73条3号)を受ける際に、併せて立法上の手当てをする(証拠能力を認めるのか認めないのか、いずれにせよ法律で明確化しておく)べきであったと思うのですが、今回は、当初は相違通告をしていたという経緯があるようなので、そのタイミングを失ったのかも知れません。

FFFさん、なるほど
そういう考え方をするとそういう結論になり、
刑事訴訟法との関係もなるほどそういう考え方なのか等、
参考になりました。ありがとうございました。

さて、開示に関する規定であるとすると
事故報告書は附属書や法において開示が原則とされています。
そのための生データを出すと刑事訴追されたりするもしれないから・・・
とわざわざ書いてあるわけで、報告書に関しては不利な証拠にしない
という前提があるようにも思われます。(欧米の航空機事故で
調査報告書が刑事事件の証拠になった事例はあるのでしょうか?)
開示されようとされまいと、刑事訴追される危険があるのであれば
包み隠さず・・・の阻害になることは十分予見可能ですから、
わざわざこのような注釈が必要とは思えません。
が、地裁はそうとらず刑事訴訟法の運用を阻害するから、
証拠採用すると言ってのけましたね。

また、事故調は犯罪捜査を目的としていないのですから、本来不必要に
思いますが、わざわざ法において、犯罪捜査のために認められたものと
解釈してはならないと書かねばならないのはなぜなのか疑問です。

事故調の資料の採用は今までも申しましたとおり、事案の真相を
闇に葬り去りかねない、公共の福祉に関して極めて重大な影響を
与えかねない、刑事訴訟法の目的を逸脱した運用であるように思います。
(外国ではそのような懸念から免責がなされていると聞いております。)
外国機の外国籍PICにおいても同じ運用がなされるとすると、
もし発生したとき(発生しては困るわけですが)これはこれで外国を
巻き込んだ興味深い問題になる可能性を秘めているように思います。

証拠採用については、条約との関係がはっきりしていないから
たとえばFFFさんが裁判官なら採用。私なら不採用と・・・
それとも裁判官として養成されれば皆同じ結論になるのでしょうか?
裁判官個人に任されるとしたら恐ろしいことです。
しかも他の仕事と違い後で責任を問われることもないわけです。
とはいってもここで書いていても何が出来るわけでもないですし。
正直な感想としては意外と法律と法律の間って微妙なものなので、
もっときっちりと詰められていると思っていましたが、
けっこう危ない橋を司法も渡っておられるようですね、

N037:FFFさん

>行政処分等の刑事司法に替わるルートが機能し、原因を究明した後、その原因を除去する措置が迅速に採られるのなら結構ですが、そうでないなら、刑事司法が遠慮したところで、何ら事態は改善しないはずです。

〜なはずです、はずです。というのは結構。
ですが現実には医療の現場においては、目覚まし司法とやらで警察・検察が介入を繰り返した結果崩壊が起きているわけです。
(刑事司法のせいじゃないというのは強弁です。例えば先日の「ガイアの夜明け」でも述べていたように実際に医療をやめた人間が、「自分がやめたのは福島産科事件のせいだ」と言っているわけですから)


正直なところ、司法関係者が「事故を防ぐのに司法が介入しても事態は変わらない」というのと、事故の専門家が「介入しないほうがうまくいく」というのでは後者のほうが圧倒的に信用が置けます、少なくともおいらは。

医療に限って言うと、確かに問題のある医師はいます。それを排除したほうがいいのか教育したほうがいいのか意見は分かれるでしょう。
確かにそういう人に刑事で介入するすればその人による被害はなくなる、当たり前です。ですが、その他に与える影響が大きすぎる。
「医療界に自浄作用がないなら俺らがやってやる!!」とばかりにでしゃばった結果がこれです。
おそらく、正しい態度としては粘り強く医療界に改善を求めるのがよかったのでしょうね。
功利主義者のおいらとしては、そういう医師を野放しにしていたほうがまだ全体の利益は大きかったと思いますよ。

同じ愚を他の分野でも犯さないことを祈るです。

なんていうか、癌はやっつけましたが、患者は亡くなりました、って感じですか。

(ちなみに司法関係者の善意を疑っているわけではないです。念のため)

elfin様

>また、事故調は犯罪捜査を目的としていないのですから、本来不必要に
思いますが、わざわざ法において、犯罪捜査のために認められたものと
解釈してはならないと書かねばならないのはなぜなのか疑問です。

素人の私がさしでがましいようですが、医療法第25条6項、食品衛生法第28条3項などのように、規制関係の法律で、本来犯罪捜査を目的としない行政庁に立入検査などの調査権限を与える場合、その行き過ぎをけん制する目的で書かれているのと同じようなものぢゃないでしょうか?

立木志摩夫先生、お疲れ様です。

>ですが現実には医療の現場においては、目覚まし司法とやらで警察・検察が介入を繰り返した結果崩壊が起きているわけです。

モトケン先生の板、もといブログを見る限り、目覚まし司法だけでなく、頻発する民事訴訟や苛酷な労働環境、報われない患者・家族の態度なども原因のようですが・・・。それにしてもドクターの間では、福島のダメージは大きいようですね。件の地検の当時の検事正氏は、今の医療崩壊(特に産科)をどのような目で見てるのでしょうね。

> No.51 立木 志摩夫さん

 コメントありがとうございます。

 自分としては、「司法が介入しても」ではなく、「司法がいま以上に介入を遠慮しても、医道審議会等他のルートが機能していない現状では、事故の再発は防げないであろう」ということを申し上げたかったのですが。

 また、刑事司法に副作用がないとは全然思っていませんので、医療事故の立件が地域医療に対して何らの影響も与えていないと主張するつもりはありません。ただ、自浄作用がない集団内で犯罪が起こった(と検察官が判断した)場合、それを捜査して起訴するのはあまりにも当然のことで、そのことを指して「でしゃばる」と表現するのはお門違いではないかと思います。 

 「正しい態度としては、粘り強く医療界に改善を求めるのがよかった」というのは、医道審議会であれ医師会であれ何であれ、「医療界」が刑事処罰以外の方法で事態を改善できる見込みがあり、かつ、その方法の副作用が刑事処罰の副作用より小さいのであれば、正しくそのとおりだと考えます。功利主義的に考える場合、その計算対象を医療行為の需要供給の場面に限るのか、それ以外の要素(医師を野放しにした場合の、他の職業人に与える不公平感、それに起因する社会不満等)も含むのかによって結論は変わってくるかも知れません。何せ、国会議員や公務員が相場より安い官舎に住んでいるというだけで延々と大騒ぎが続くわけで、いかなる特権的取り扱いもまかりならん的な雰囲気が(少なくともマスコミには)ありますから。

 ところで、やや刺激的な言い方をお許し頂きますと、「粘り強く医療界に改善を求める」のは、医療界以外の人間にとっては「百年河清を俟つ」に等しいものに感じられる、という問題があるように思います。もちろん、医療界が特に問題が大きいというのではなく、業界団体が主張する「自主努力」というもの一般に対するイメージとして、です。マスコミは、「権力が介入すると副作用が大きすぎるから、報道被害の問題については業界の自主努力に任せるべきである」と常々主張しているけれども、業界外の人間には白々しく映りませんか? また、司法の副作用が大きすぎると憤慨しておられる医師の方は、法律家が「外部の人間は不満があってもでしゃばらず、粘り強く法曹界に改善を求めるのが社会全体の利益にかなう」とか言い出したら、ふざけんな、と思うでしょう(笑)。以上はあくまで印象の問題であり、実際の改善効果とはまた違うのでしょうが・・・・しかし、現場で被害者の不満に直面する捜査官としては「強制捜査や処罰をするより、粘り強く自主的な改善を求めた方が社会全体としては利益ですよ」とは言えないだろうし、捜査しなければしないで批判されたり懲戒処分を申し立てられたり損害賠償請求されたりするし、色々大変ですな。

 なお、司法が、その社会的影響の大きさ故に介入を遠慮しまくってきたテーマの一つとしていわゆる「一票の格差」問題があり、裁判所は30年くらいにわたって「粘り強く国会に改善を求めて」きたわけですけれども、その結果は周知のとおりです(衆議院については多少マシになりましたが)。

> No.50 elfin さん

 コメントありがとうございます。

 自分としても地裁判決の理解には違和感があります。趣旨からいったら、開示ではなくて証拠利用の禁止を求める条約・附属書と読むのがスジだと思いますので。なぜ文言がその点不明確なのか(たしかに地裁判決のような解釈もできる文言ではある)、翻訳の問題なのか、条約締結に際して外務省と法務省の攻防があって曖昧な表現になったのか、よく分かりません。

 適用については、立法的解決がなされることが望ましいと思います。刑事訴訟法の特則、上位規範としての位置づけをするのかしないのか、ケリをつけないと次の事故が起きたときの調査が混乱すると思いますし。しかし、「証拠として○○を使ってはならない」というのは、検察官には手足を縛られるようなもので受け入れがたいのではないかなあと想像します。最終的には、検察庁と法務省と外務省と内閣と議院の力関係によって、どこかでゴチャゴチャっと決まるのかしら。

 仰るとおり、法律と法律の間って結構いい加減な場合があるように思います。法制審議会がテーマに据えてガッチリ正面から検討した内閣提出法案であれば、内容の適否はともかく、過去の法令や他の法令との関係は明確であるのに対し、議員立法が何かの拍子で通ったものとか、ふだん法律を作らない役所が起案した法案(最近では、経済企画庁国民生活局の立案した消費者契約法など)については、他の法律との適合性について、おいおい大丈夫か、と突っ込みたくなることが多いような。


>法律と法律の間
アメリカの場合で言えば、最高裁で違憲とされた立法府拒否権を、議会はその後10年の間に250の法律で盛り込んでいたそうです。どちらが良いか悪いかと言う話ではないと思いますが、日本は他の法律との適合性について敏感であり、議員立法が多いアメリカでは鈍感だと言うことなのでしょうね。

>自分としては、「司法が介入しても」ではなく、「司法がいま以上に介
>入を遠慮しても、医道審議会等他のルートが機能していない現状では、
>事故の再発は防げないであろう」ということを申し上げたかったのですが。

FFFさん,
ある意味では事故は一定の確率で生じるわけですから,そもそも「司法の介入」でそれが減ると考えること自体に無理がないでしょうか?
医道審議会云々も本質的な問題ではないと思います.そういった外部からの要因で事故の確率が大きく変化すると考えるところに最大の問題があるように思います.法曹の力でそういったものが変えられるという発想そのものを転換すべきでしょう.
我々医療関係者はそうでなくても事故が起こらないように各自努力しているわけです.

>立木さん
>粘り強く医療界に改善を求めるのがよかったのでしょうね。

医療界というのが漠然としすぎなのですが、この場合は厚労省の医療行政にねばり強く働きかけると言うのが適切なのでしょうか。それとも医師会なのでしょうか。それとも各学会なのでしょうか。

どこに言えば、改善を期待出来るのか分からないと言うのが実感であり、医療界はあてにならないから、司法に期待する他ないというのが問題点の一つではあります。

>Level3 さん
>ある意味では事故は一定の確率で生じるわけですから

それならば、事故の確率と言うものをきちんと算出し、諸外国と比較して「我が国の医療の事故率は諸外国と比較して何ら劣るものではない。したがって医療界、医療行政のシステムには何も問題がない」と、医療界がきちんと主張することが必要かと思います。


また、マクロな眼では事故率が低かったとして、ミクロな眼では問題のある医師が事故を起こし、患者が死んでいるケースもあると思われます。問題のある医師に対する再教育制度や排除制度、患者に対する補償の在り方に関しても医療界は提示するべきだと思います。医療界がやらないというのなら司法が介入することになります。

すみません,
先の書き込み(No.58)は言葉足らずでしたので,書き加えます.

原時点で事故を減少させる最も有効な手段は,医療関係者の過酷な労働環境を改善することであると思われます.
睡眠不足,極度の疲労を残すような労働環境を改善することを行なわず,他の手段に走っている現在の状況がまずいのだと思います.医療事故で,こういった労働環境の問題を棚上げしたままで個人の責任を追求する姿勢を正すべきなんでしょう.

行政も司法もそのことをもっと真剣に考えるべきです.

No55:FFFさん

だからね。

>自浄作用がない集団内で犯罪が起こった(と検察官が判断した)場合、それを捜査して起訴するのはあまりにも当然のことで

この当然のことという感覚が間違っているんですよ。
元のエントリーである航空事故の場合もそうですが。
能力がないのにやってはいけない。必要ならば十分な能力を身につけてから行動に移す。癌の手術なんかといっしょです。

で、実際に能力がないことは福島産科事件でも露骨に実証されたわけです。
多くの産科医に、理不尽と思われる逮捕・起訴を行った結果、当初想定した医療の改善作用は起こらず医師の脱出を加速させた。これが出しゃばった行為でなくなんでしょうか。


どういう結果になるかの想像力もなく、シミュレーション、実地の調査もやらず踏み込めばあんな結果になることは当然。

功利主義的というのは人命の意味で言っています。
例えば質の落ちる医者を逮捕することで、かえって全国で失われる生命が増える。
福島の事件はそうなる可能性が高い

さあ困りましたよ。自分のやったことが大勢の赤ちゃんや妊婦の命を今後数十年にわたって奪い続ける結果になった。
この結果に対して刑事司法関係者は責任を問われるべきだと思います

(ほんとは思ってません。検察・警察のミスであるが、この教訓を航空機事故とか他の分野の事件に生かしてくれればと思うです。)

>「一票の格差」問題があり、裁判所は30年くらいにわたって「粘り強く国会に改善を求めて」きたわけですけれども、その結果は周知のとおりです

やむをえなかったんじゃないかなと思いますよ、あれは。
ひとつのことを改革するのにはそのくらい時間がかかることもある。
詳しいことは知りませんが。

No54:じじいさん
実はそうなんですよね。刑事司法が主犯ではないと思っているのですが。
でも同じ間違いを他で起こす可能性もあるのでエントリー違いですが触れました。

>立木さん
>例えば質の落ちる医者を逮捕することで、かえって全国で
>失われる生命が増える。

医療界が質の落ちる医師の排除に対し、積極的に介入する意志があるのなら畑違いの司法がわざわざ介入する必要はないと思いますが、現状では介入する意志がほとんどないようなので、司法が「やむなく」手出しする必要があるように感じます。

現在の状況は、医療界自らが招いている要素も大きいのではないかというのが、私の考えです。

皆様コメントありがとうございます。
No.56FFFさん
それこそ同業者のほぼ全員が納得するような単純な過失については
そんな鑑定書や調査書は不要でしょうし、そのような案件をしっかりと
行って頂いても過度の萎縮効果は全く起きないで良い方向に
行くことでしょう。ただ、それ以外はあまり関わらない方がよろしいの
ではないかと思います。冗談っぽく言えば検事さんもあまり張り切り
すぎて大風呂敷は広げない方がよろしいかと…
(自己免疫疾患みたいになっては元も子もありません)
自然科学を相手にしている場合は、法の想定外の現象が起こる
可能性があり、その場で瞬時の判断を必要とするわけです。
最悪後でどうのこうの言われても困るから何もできない、
という選択肢が出てきても不思議ではなくなってきているのでは?
(医療では救急患者の受け入れ辞退ですか)
警察・検察の認識と実際に行っている者との認識のずれがあっては
利用する多くの一般市民に不幸を与えかねないと思います。

No.53じじいさん
ありがとうございます。ヒントになりました。
”犯罪捜査のために認められたものと解釈してはならない”
この文言はあちこちで使われているのですね。
これがある場合検査機関の告発を待って捜査にはいるように思えます。
そして検査機関のデータについては証拠にできないという認識は
あるみたいですね。新潟の談合事件で公取委のデータほしさからか、
強制捜査をかけた例からうかがえます。
(押収したと言うことで結局やりたい放題か…
と思いましたが、案外出来レースなのかもしれません)
となると、今回の件にたとえれば、行政的是正勧告をもって
検査機関の告発なしに、是正勧告のみを証拠として起訴するのか?
ということになるのかもしれません。
もし犯罪として認定されれば、今度は検査機関の公務員法における
告発義務の怠慢と言うことにもなりかねず・・・・芋づるです。

No.57 しまさん
最初は日本は”鈍感”と誤読してしまいました。FFFさんとの流れでは
本題の部分は法と法の間って結構いい加減な場合があるように思える
って話題に収束してきているのに、”敏感”・・・ですか???
少なくとも今ここで話題になっている、この証拠を巡る問題に関しては
”敏感”じゃなかったからこそ起きたのでしょう。
No.60 だいぶ本筋とはずれてきましたが
逆で、それを問題視している側が劣っている…として出すべきでは?
こういう理由による事故が諸外国と比べて多い。だから改善せい。
とやるほうがよほど説得力があるし実効的だと思いますよ。

No63:しまさん

さすがにずれ過ぎてきたようですので
別エントリーのほうに返事を書きますね

http://www.yabelab.net/blog/2006/12/19-161935.php

>医療界が質の落ちる医師の排除に対し、積極的に介入する意志があるの
>なら畑違いの司法がわざわざ介入する必要はないと思いますが、現状で
>は介入する意志がほとんどないようなので、司法が「やむなく」手出し
>する必要があるように感じます。

しまさん,
実際には医局人事で動かされている医師の場合,「ある程度以上どうしようもない医師」は排除されてきていたというのが事実です.もちろんこのようなことは表立って非医療人の目に触れることはありませんが,保健所とか会社の診療所など当たり障りのない部署に配属させられていましたし,さらにレベルが低い場合には医療職から離されている場合もあります.(自らドロップしている場合もあるんですが...)こういったことは,どこの社会でも行なわれていることだと私は認識しています.
むしろ医局の縛りがなくなりつつある昨今では,こういった医師も野放しになる危険性が高くなると私は思っています.(開業医の場合にはそもそもこよのような縛りはありませんから,これに関してはこれまでも野放し状態だったと思いますが.)
私には「司法がやむなく手を出している」とは思えません.それは訴訟の中身をみれば一目瞭然でしょう.訴訟になっている医師の一部は確かに「トンでもない」医師かもしれませんが,大多数はむしろまじめに医療に取り組んでいる医師たちであるように私には見えます.

しまさんは,それ以上のレベルの医師まで「悪い医師を排除」しようと考えておられるなら,それは非医療者が「医療に対して求め過ぎ」であると私は考えます.もし医療に質を求めるのであれば,医師を増やしてゆとりのある医療ができる環境を整えた上で競争させるしかないでしょう.現状で下位のレベルの医師を排除すれば,さらに医療崩壊は加速するでしょうね.

No.55 FFF さん

>「粘り強く医療界に改善を求める」のは、医療界以外の人間にとっては「百年河清を俟つ」に等しいものに感じられる、という問題があるように思います。

このような言い方はやめませんか。
「粘り強く司法界に改善を求める」のは、司法界以外の人間にとっては「百年河清を俟つ」に等しいものに感じられる、という問題があるように思います。
と返されますよ。
「問題があると思います」というのはFFFさんの主観であり、このあたりの表現は印象操作です。

>「外部の人間は不満があってもでしゃばらず、粘り強く法曹界に改善を求めるのが社会全体の利益にかなう」

ここも印象操作です。
医療の問題にしろ、司法の問題にしろ、「外部の人間は不満があっても出しゃばらず」という主張は、ここの掲示板においては、医療者、法曹界、一般緒かたがたにも賛同を得てないと自分は判断しています。
もし「外部の人間は不満があっても出しゃばらず」という事が、医療者のコンセンサスとFFFさんが主張されるのであれば、その箇所を指摘してください。

それに現実として、医療界は問題の解決に、外部の人間を取り込む事にやぶさかでありません。
医療事故について、第三者をいれての事故調査委員会はいくつも創られてきていますし、その報告書も出てきています。
また、医療界は、医療事故を扱う第三者機関の設置を求めるようになっているし、その機関に外部の人間を入れる事に反対の意見はありません。
大野病院の件でも医療事故を扱う第三者機関の設置を求める声が医療者側から出ています。
http://www.med.or.jp/nichikara/fseimei/nichii.pdf
http://hodanren.doc-net.or.jp/news/teigen/060515oono.html
これらは医療界には「外部の人間に不満があること」を理解して、取り込もうということの顕われです。

>「正しい態度としては、粘り強く医療界に改善を求めるのがよかった」というのは、医道審議会であれ医師会であれ何であれ、「医療界」が刑事処罰以外の方法で事態を改善できる見込みがあり、かつ、その方法の副作用が刑事処罰の副作用より小さいのであれば、正しくそのとおりだと考えます。

「中立的な専門家等で構成される第三者機関の設立」は、「医療界」が刑事処罰以外の方法で事態を改善できる見込みとなるし、刑事処罰の副作用より小さくなると考えます。
「中立的な専門家等で構成される第三者機関の設立」についても、「どのような外部の人間を入れたらいいのかの議論」はあっても、「外部の人間が出しゃばるな」なんて誰も言ってませんので。

> No.67 オダさん

 印象操作とか大層なことは企図しておりませんが、オダさんの目にはそのように映った、ということであれば残念なことです。ともあれ、エントリの趣旨からだいぶ逸脱してきましたので、ひとまず私からはオシマイに致します。

 確定するようですね。
 続報を本文に追記しました。

無事確定したようですね。

話はちょっと変わるのですが、「日本航空機長組合」というホームページがあるんですね。こういう組織があるのは裁判を受けているものにとっては心強いんでしょうね。

今朝の朝刊(地方紙)に日航機乱高下事故 高本機長のコメントが載っていました。囲み記事なので共同通信系の配信でしょうか。

国の事故調査委員会は再発防止に役立つなら推定される事実でも認定する。実際に操縦ミスがあったか否かに重点は置かれず、その可能性があるなら認定し、事故防止に生かす。こうした報告書の"推定事実"を根拠に刑事責任を問うのはおかしいし、再発防止のために調査に協力した内容を基に罪を問うのであれば、当事者は不利な証言をためらい再発につながる危険がある。

ヒヤリハットなども同じです。

>、「速度の増加で機体が揺れたため、被告が思わず操縦かんに大きな力を加えてしまい、偶発的に自動操縦が解除された可能性も否定できない」

 この点が否定されない限り、パイロットの行為は外見上の「過失犯の行為」に見えても、意図的な行為ではないから(人格の主体的現実化たる身体の動静、ではなくて加速度に煽られた予測不可能な物理的Gに因る不可避の身体の動きだから)刑事責任は問えないという裁判所の判断なのでしょう。

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