「いじめ禁止」校則化も、教育再生会議1次報告案詰め(2007年1月19日13時56分 読売新聞 キャッシュ)
第1次報告では、「いじめ」に関し、様々な対策が盛り込まれる見通しだ。最終案では「いじめと校内暴力を絶対に許さない学校を目指す」とうたい、「校則に『いじめ・校内暴力の禁止』を盛り込み、厳しく対処する」としている。
教師に基礎的な人間力があれば校則は不要だと思うのですが、処分を厳しくするのであれば基準の明確化の問題が当然出てきます。
しかし、教育の場に刑罰論理を持ち込む恐れも生じます。
校則・処分という他律的規範に頼るようになると、教師としての力がさらに低下しないか心配です。
校則って先生をも縛るものだったんですね。
今の今まで校則というものは生徒が守るべき規範だと思っていました。
教員はまた別の規範で規定されると思っていました。
初めまして、いつも勉強させてもらっています、どこぞの研修医です。
いじめに対する指導を、と規則で決めるのも結構ですが、
現実には正しい指導をしても、叱った方が悪者になる、というのが今の教育現場です。
教師の権限を復活させない限り、教育改革は机上の理論で終わると思います。
教師の権限の復活を含め、待遇の改善をすることで
教師に優秀な人間が集まり、おかしな人間の入り込む余地がなくなると思います。
当然、権限を乱用する者も出てくるでしょうが、それは一部であろうと、私は信じます。
私は80年代の生まれですが、私の義務教育時代にも手が出る先生はたくさんいて
私自身、何度となくビンタされ、鼻血が出るまでなぐられましたが、
それはすべて私に非があったからであり、
権力を乱用した非道な教師、というのは一校に一人いるかいないか、くらいのものでした。
教育の現場というのは医療の現場を少し先にいっている先輩のようなものと思います。
昔の教師といえば、高待遇で神様のような存在で
教育だって限られた人間だけのものでした。
それが、教育はあたりまえに受けられるものになり、世界で有数の教育レベルの国になりましたが、
教育に対してのありがたみは薄れ、「教師は聖職者」というレッテル張りのもとに搾取され
現場以外の人間に好き勝手にいじくりまわされ、崩壊してしまいました。
サラリーマン教師ばかりで、進学率はあがったかもしれませんが、
世界における日本の教育レベルは下がり続けています。
医療の問題と同じく、なんとか焼け野原から復活できるよう、
周りの人間が理解を深め、払うべき代償を払わないといけないと思います。
当たり前のものに敬意を払える国、それが「美しい国、日本」であってほしいです。
(食糧供給=農業なども同じなんですよね・・・)
初投稿で長文、大変失礼いたしました。
個人的には、モラルではどうしようもないのでしょうから、ルールで縛ってしまうのが宜しいような気がします。拘束を問題にすると言うのなら、実効性のあるルールなのか否かを問題でしょうね。
「いじめ禁止」と言うのは、あまり意味がないようには思いますが。
先生は既に、学習指導要領ほか他律的規範によって教育を行ってますけど(^^
個々の人間力頼りよりは、ある程度マニュアル化されて恣意性が排除されたほうが好ましいと思うのですが。もちろん、最低限の人間力も無いのでは困りますけどね。
でも、しまさんのコメントにあるように、「いじめ禁止」って意味がわからないですね。
>藤花さん
ええ。私個人としては、野球で「ホームランのサインを出す」と同じように受け取ってしまうのですよ。校則でいじめ禁止と書いていじめがなくなるのなら、これほど楽なことはないかと思いますので。
再生会議に同情的に書くと、
>ええ。私個人としては、野球で「ホームランのサインを出す」と同じように受け取ってしまうのですよ。
要は、ホームランのサインが出れば、とりあえずバットを振らにゃいかん訳です。見逃しの三振はありえない、バントもダメ、進塁打でもない。打てようが打てまいが、とりあえずボールを見据えて思いっきり3回振って来いと。審判は投手に甘いとか、空振りはコーチに怒られるとか、ゲッツーはダメだとかふざけたこといってる場合じゃない、逃げてる場合じゃないぞと。
最近の子どもは自分に都合のいいことしか考えないので、理屈では納得しない奴が多く、いじめがなぜダメなのか理詰めでいっても屁理屈で逃げられる。教師も説得能力を持たない。でもほってはおけない。
教師をなめきり、いじめを屁とも思っていない子どもや、さらにやっかいなそのトンデモ保護者をねじ伏せるためには、逃げようがない基準=つまり校則違反というのが一つの武器になるだろうということぢゃないですか。(実際はなるかどうか知らんけど)また、校則に明記することは、教師を逃げられなくすることにもなるでしょう。
多分、教育再生会議のおじさま、おばさまも校則に書いてそんなもんで解決するとは思ってないでしょうが、緊急事態の今は、体罰も一定やむなし、ワラにもすがる、猫の手も、ねずみの手すらも借りる、できることは何でもする、現場の教師には竹やりでも何でもあるもの全て持たせてやるという危機感の表れという捉え方もできます。
善意に考えればですが。
「いじめ禁止」校則化のいじめを体罰と読んでいたみたいでNo.1がまったく意味不明になっていました。
No.1とこのコメントを削除してくださるか、読者各位は読み飛ばしてください。
バブルの頃大学を卒業した方々.
高校の同級生のうち、どんな奴が教師や公務員になってますか?
成績優秀、性格も良いなんてのは、一流企業や金融に行ってしまいその後リストラ.
教師、公務員は”こんな奴が!”って奴らじゃないですか?
バブル期卒の教師に期待しても無駄です.
でも、そいつらに指導を受けた、若い教師も...
conta さん 現実はその通りなのかは別にして、
おっしゃりたいことの趣旨だけはうすうすわかるような気もします。
ただ、その職に就いている方が読んでどう思われるか考慮できずに、
そのような表現をなさる方も”類友”と思われてしまうかもしれません。
(もしどう感じるかを考慮して、あえて表現なさったとしたら、マナーを疑います。)
このような表現は自分を貶めてしまうだけです。冷静に表現を工夫したり、
資料をつけた方が説得力があると思います。
>No.9 elfin さん
ご指摘ありがとうございます.
表現が過ぎたようです(少なくともこのブログに書き込む文章ではなかったですね モトケンさんにも陳謝いたします).
次回このネタを書き込むまでに、文章を推敲し、データを集めてみようと思います.