エントリ

 文部科学省は5日、学校教育法で禁じられている体罰に関する考え方をまとめ、都道府県・政令市教育長らに通知した。通知では「体罰に当たるか否かは客観的に判断する」ことを前提に、「一定の限度内で懲戒のための有形力(目に見える物理的な力)の行使が許容される」という裁判例も盛り込んだ。
 同省は「有形力の行使すべてが体罰ではなく、事案ごとに客観的・総合的に判断されるということを表したかった」と説明。拡大解釈される恐れについては「身体に対する侵害や肉体的苦痛を与えるような懲戒は体罰に該当すると明記している」とした。


 結局何が言いたいのか、何が許容されるのか、さっぱりわかりません。

 ちなみに、「有形力」という言葉は、刑法では、平ったくいいますと、ほとんど「暴力」と同義です。


文科省、体罰の範囲を通知へ 居残り・起立は許容も(asahi.com 2007年02月03日01時30分)

 今回の通知では、学校教育法が禁じている体罰の解釈は変えない。ただし、(1)生徒を放課後居残りさせたり、授業中に起立させたりするなどの行為は「肉体的苦痛が伴わない限り、体罰でない」(2)授業を妨害した生徒の携帯電話を預かることは許される(3)教師が生徒の頭を数回軽くたたいたことが「体罰ではない」と認められた裁判例がある――など具体例を明記する。

 へー、いままでは居残りや授業中の起立も認められてなかったんでしょうか?
 私の認識不足でした。

 「肉体的苦痛が伴わない限り、体罰でない」ということは精神的苦痛ならOKだったりして。

 教師が生徒の頭を数回軽くたたいたことが裁判沙汰になったこともあるんですね。
 恥ずかしながら知りませんでしたが。
 で、これからはその程度ならOKということで。


 かなり皮肉っぽい書き方をしましたが、この「通知」というのは現場に何か役に立つ通知なんでしょうか???

追記
しまさん紹介の産経の記事です。
居残り・起立指導は許容 文科省、体罰基準を明示

 一応基準を「明示」しているらしいです。

他にも「教員や他の児童生徒に対する暴力を正当防衛として制止する」「教室の秩序維持のために、室外で別の指導を受けさせる」ことなども許容される罰として例示。「授業中に通話した場合に携帯電話を一時的に預かる」行為も認める。

 こんなことをわざわざ文科省が「通知」しなくちゃいかんのですかね。
 
 そもそも罰として例示した行為は罰なんでしょうか。

 「体罰」という概念と「教室の秩序維持のための手段」は重ならない部分があるように思います。
 概念をもっと整理して議論する必要があるのではないでしょうか。

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コメント(14)

>モトケンさん
一定の限度の枠だったら体罰を認めることにして、それ以外は暴力という風に基準を決めただけではないでしょうか。それなりに評価はできるかと思います。

現場に役に立つか立たないかは、教育委員会が決めることではないでしょうか。

>しまさん

 「一定の限度の枠」が明確になっていない気がするのです。

 それが明確になってなくて、「体罰は依然として禁止だ」というのであれば、現場はどうしようもないのではないでしょうか。

 「事案ごとに客観的・総合的に判断」と言われても、医療過誤訴訟と同じ問題が生じるでしょう。
 いったい誰がいつどのような基準で判断するのでしょうか?
 予測可能性が保証されていない場合は、客観的判断が可能とは言えないと思います。

しかし、朝日新聞で言っている「終戦直後に出された通知を見直すよう求めたことを受けた」と言う、その通知がよく分かりません。産経新聞では、

 体罰基準をめぐっては「児童懲戒権の限界について」と題した昭和23年の法務庁長官回答が国の法的見解となっている。今回の文科省通知は基本的にこれに準じた形だ。

と言っています。確かに、児童懲戒権の限界についてを読んでも、今回の文科省通知とそんなに解釈は変わっていないと思います。なぜ昭和23年に出された法務省通達を受けた通知を、今になって文科省は出そうとしているのでしょうか。

東京新聞(共同通信)の記事を読むと、体罰の基準ではなく、懲戒の基準を示したものだとも解釈出来ます。マスコミが不用意に体罰という言葉を使っている印象もあります。

通知では、殴る、けるといった肉体的苦痛を与えたり、子どもの身体を侵害する行為は「体罰」に該当し、許されないとした上で(1)放課後に教室に残す(2)学校当番を多く割り当てる−などは体罰に当たらず、懲戒として認められると説明。

授業への遅刻や勉強を怠けたという理由で教室に入れなかったり、退去させるのは原則許されないとする一方で(1)その子どもに別途授業に代わる指導を行う(2)教室の秩序維持のための、やむを得ない教室外退去−ならば差し支えないとした。


引用しませんが、読売の記事が一番詳しいですね。文科省、体罰除外例を明確化「教室から出す」も可能に


>モトケンさん
確かに、何が体罰で、何が体罰でないかを判断するのは難しそうですね。こういう事は、PTAの出番なのでしょうが。

読売の記事で、

体罰は学校教育法で禁止されているが、その定義については、これまで1948年の法務庁長官(当時)通達しかなかった。この通達は殴るけるなどの暴力だけでなく、授業中に騒いだ子供を教室の外に出すことなども体罰としたため、学校現場から「教師側が委縮して、子供を指導できない」などの声が出ていた。

とありますが、これは法務省通達の過大解釈か、そもそも法務省通達を読んでいないかのどちらかだと思います。

 概念を混乱させているのはマスコミかも知れませんね。

 いずれにしても、生徒の親である国民もきちんと理解しないといけない問題ですので、文科省としても国民に対する説明責任をきちんと果たしてもらいたいです。

 つまり、マスコミの必ずしも理解力の高くない記者にも分かりやすく説明して、必ずしも表現力の豊かでない記者でも国民にわかりやすい記事を書けるようにしてほしいものです。

実際上、何が体罰に当たるかは、児童、親、教師、その他それぞれの立場で受け止め方が異なるところをどうするかということだと思います。
私、個人としては、自分の子供が悪いことをすれば、傷害にならない程度で多少の痛みを伴う殴られ方をしてもかまわないと思っていますが、他の親御さんは、殴られたことを以て、学校を体罰だとして訴える方もいるでしょう。記憶ですが、ごはんを粗末にした児童のお尻をたたいた校長が体罰だとして、処分されたことがあったかと思いますが、私は、それは体罰だとは全然思っていません。ただ、そのようなことが教育現場の職員を萎縮させていることは事実でしょう。では、このような通知がどれだけ役立つかということには、疑問符をつけざるを得ないところではありますが、かといって、個々のケース数回頭をたたいた程度は体罰ではなくとも、じゃ20回たたけば、体罰か?というように具体的に定めることは困難だと思います。結局、通知では一般論化し、具体のケースの判断は現場の教員が判断するしかないでしょう。セクハラはされた人間がセクハラと感じたら、セクハラということらしいですが、そうすると基準は、個々人の感性であり、一般論化(基準はあるにしても)することが難しいのと同様のような気がします。親御さんに具体のケースを上げたアンケートをして、体罰かどうか判断して貰うということぐらいでしょうかね。

 最近の報道のうろおぼえ記憶ですが、

 体罰に使う棒の太さ、長さ、その棒で叩く部位、回数を明確に規定している国があると報道されていました。

 教師を親の批判から守る手段としては、これも一つの考え方だと思います。

>モトケンさん

お隣の国のようですよ。

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2002/06/27/20020627000061.html

体罰の善し悪しは別として、教師も教育としての体罰ではなく個人的怒りにまかせた体罰(暴力)を脊椎反射的にする事が今も昔も多いですしね
タイムリーな記事を見つけました

・勘違いで激怒、中学の暴力講師送検/熊本

 熊本市内の市立中学校で生徒を殴り1週間のけがを負わせたとして、傷害の疑いで熊本南署が美術の男性講師(61)を書類送検していたことが3日、分かった。

中略

 市教委などによると、男性講師は教室の入り口が施錠されたことに激怒。鍵を開けた男子生徒に
「閉めたのはおまえか」と言って、殴ったりけったりしたという。

 生徒はその場で「自分ではない」と訴え、他の男子生徒が「自分がやった」と申し出た。

nikkansports.com[2007年2月3日13時8分]
http://kyusyu.nikkansports.com/news/f-kn-tp6-20070203-151133.html

体罰容認論を簡単に展開する方が多いですが非常に気になります。体罰は組織の維持には非常に有効で簡単な方法です。軍隊、体育系クラブ、刑務所等がその典型です。しかし教育の目的は秩序の維持ですか?
私は40年前に千葉県のある公立中学に通っていました。今の首相や東京都の教育委員会が聞いたら泣いて喜びそうな学校でした。毎朝掃除の時間中に君が代が鳴り響き、全校生徒が直立不動で国旗掲揚台にむかって敬礼させられます。(濡れ雑巾を持ったままですが不敬ではなかったのでしょう。)体育系クラブが推奨されましたが、私はいやで入ってはいませんでした。しかし、噂で聞くのはその中での暴力的行為です。殴られて鼓膜がやぶれた。けつバットで大怪我したなど。卒業式の後はそのかわりのお礼参りです。顧問の教師も命がけでした。
私のいやな思い出をひとつ。ある朝礼のとき、校長の訓示を聞きながらふと右手に帽子を持っているのに気がつきました。もちろん脱帽のあとですので当然のことです。なぜ帽子を持っているのか不思議になり無意識に帽子を頭にのせました。その直後・・・頭を衝撃が襲いました。教師に張り倒されたのです。べつにそこまでしなくても、、そして何とも言えぬくやしさ、、今でもその教師に会えるのならその気持ちを伝えずにはおれません。
高校は地元の進学校でした。今までとは正反対の自由な校風でした。その自由の眩しさを今でも鮮明に覚えています。
結局、トンデモ教師はいるしトンデモ生徒はいるし、時には実力行使も必要でしょう。しかし、体罰が一般化されていたときの私の経験もなにかの参考になるかと思い書きつづってみました。

No.11 散腐塵化石さん
>しかし教育の目的は秩序の維持ですか?

教室に教師一人、生徒20〜40人を教える時、秩序の維持なくして目的は達成できません。
教師の指導力云々と言いますが、家庭や幼稚園で我が侭に過ごしてきた学童は、関係ない教科書を開く、勝手に絵を描きだす、床に寝る、床を這って遊ぶ 等々やり放題です。
一人ならまだしも5人もいればお手上げです。
子供は残酷です。自分より下位だと認識すればそこを巧みについてきます。

暴力は肯定しませんが、例えば学童検診で騒いでいる子供の鼻をつまんだり、頭を軽くスナップで叩くことはあります。それを見ていた子供たちは静かになります。

秩序の維持は必要です。

>消化器内科医さん
秩序の維持のために体罰を加えることは否定しませんが、体罰も秩序の中で行使されるべきかとは思います。

昨今の医療バッシングと教育バッシングの構図にそっくりなものを感じています。
確かにトンデモ教師が増えているというのは事実かもしれませんが、それ以上にトンデモ生徒、親も増えてきていると思います。要は「社会全体が狂ってきている」ということの一部分が見えているに過ぎないと考えています。

で、十分な(というと基準が曖昧ですが)秩序をもって行使されるのであれば、私は基本的に体罰容認派です。昔なら先生に叩かれたといえば親が子供を叱ることこそあれ、学校にねじ込むなんてなかったはずですが。

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