エントリ

 2年後に導入が迫った裁判員制度で、裁判官が裁判員に刑事裁判の鉄則を説く「基本講座」(説示)のガイドライン案が決まった。裁判員が判断するうえで最低限必要な考え方の枠組みをわかりやすく示す。裁判員制度に関する規則を作る最高裁の委員会の準備会が10日、まとめた。5月の委員会で正式に示される。

 「最高裁の委員会の準備会」のメンバーというのがどういう人なのかよくわかりませんが、裁判官が主導しているんだろうと推測します。

まず、刑事裁判は検察官の証明をチェックするものとの原則を示す。

 被告人が有罪であることは、検察官が証拠に基づいて証明すべきことです。検察官が有罪であることを証明できない場合には、無罪の判断を行うことになります。(太字部分はガイドライン案)

 サイト上では「太字部分」がありませんのでどこがガイドライン案だかはっきりしませんが、「チェック」という曖昧な言葉を使っているのが気になります。
 わかりやすさを心がけているのは理解できますが、余計にわかりにくくなっていないでしょうか。

 「事実の認定は、法廷でチェックされた証拠に基づく」という基本も確認される。

 被告人が有罪か無罪かは、法廷に提出された証拠だけに基づいて判断しなければいけません。新聞やテレビなどで見たり聞いたりしたことは、証拠ではありません。ですから、そうした情報に基づいて判断してはいけないのです。

 さて、素人の裁判員がどこまでニュースやワイドショーの情報を無視することができるでしょうか。

 裁判では、不確かなことで人を処罰することは許されませんから、証拠を検討した結果、常識に従って判断し、被告人が起訴状に書かれている罪を犯したことは間違いないと考えられる場合に、有罪とすることになります。逆に、常識に従って判断し、有罪とすることについて疑問があるときは、無罪としなければなりません。

 ガイドライン案は、一方で「法廷に提出された証拠だけに基づいて判断しなければいけません。」と言い、他方で「常識に従って判断」するように言っています。

 裁判のプロにとってはこの二つは特に違和感なく理解できます。
 事実認定の基礎資料とできるのは法廷で適法に取り調べられた証拠だけである、ということが大前提としてあって、その証拠によってどのような事実が認定できるかまたはできないかは常識などに照らして判断される、ということです。

 しかし、この作業は、裁判の仕組みをきちんと理解した人間が相当の訓練を受けることによってできることのように思われます。
 
 私は、ワイドショーなどでレポーターが事件の内容を伝えるのを聞くときには、どこまでが事実でどこからがレポーターの推測なのかを意識しながら聞きます。
 また、事実と思われる部分も、その根拠(証拠)としてどんなものがあるのか、供述だけなのか、供述だけなら直ちに信用できないかも知れない、などということを考えながら聞いています。
 そして具体的な事件について判断するときは、マスコミ報道をいったん排除して、証拠だけを見てその証拠の評価は他の証拠を含む証拠関係全体の中で判断するという訓練を受けています。

 「基本講座」は、裁判員制度が実施されれば、公判が始まる前、検察官、弁護人が同席する場で、裁判員に選ばれた人たちに説明されることになりそうだ

 そのような訓練を全く受けていない一般市民の裁判員に、「基本講座」で説明しただけで、そのとおりのことが裁判員にできると最高裁は本気で考えているんでしょうか?

 また、証拠の評価について「常識」で考えろと言っていますが、被告人は「白」といい、被害者は「黒」といい、目撃者は「灰色」だと言った場合、はたして「常識」に基づいて「何色」だか簡単にわかるのでしょうか?
 そもそも一般的な「常識」が通用しない領域の裁判ではどうしろと言うのでしょう?
 このガイドライン案作りに関与した裁判官は、自分たちがどのようにして事実認定をしてきたのか考えてガイドライン案を作ったのでしょうか?

 私は依然として裁判員制度に対して悲観的な見通ししか持てません。

追記
 最高裁が仮に本気だとすれば、最高裁は刑事裁判の事実認定のあり方をこれまでとは根本的に変えようとしていることになるはずですが、刑事訴訟法や刑法を根本的に変えようとはしていませんので、そういうわけでもなさそうです。

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コメント(10)

私は選ばれてもやりません(笑)から心配してなかったんですが、そういえば自分が裁かれる場合を考えてませんでした(爆笑)。もう少しまじめに考えようとしたんですが、こんな法律一夜漬け連中に量刑まで決められる、マンガ世界そのもののような話は、どうも実感できにくいです(笑)。
最高裁もこんな付け焼刃教育に無駄な労力費やすより、最終部分を陪審制に変更するだけですべての問題楽チン解決すると思いますが、私のようなアレな男には最高裁ってよくわかりませんですねえ(笑)

すいません、No.1投稿の最後のところ
>陪審制に変更
は間違いで、
>陪審員の評決制に変更
のつもりでした。ぼけですいません(笑ってやってください)。

私が裁判員なら、弁護士にバンバン、質問をぶつけますね。
「ありゃ、役にたたん、便所虫だわ。」なんて、言われる弁護士の出てくるかも、大幅増員は、大幅淘汰の時代になるのかもしれません。
 昔は、「弁護士は、頭がよく、偉い人」が常識だったと思いますが、不祥事の続出もあり、この常識は崩れ去っているでしょう。まだ、知らない人の方が沢山だと思われますが。

法曹から、素人の裁判参加に対して懸念する声を聞くと、医学に素人である裁判官が裁く医療裁判に対する医師側の批判とダブってしまいます。

意地悪な感想ですが、刑事裁判における(法曹の)常識を覆すトンデモ判決が出た場合、「検察もしくは弁護側の立証が不十分だった(裁判員、裁判官、裁判員制度は悪くない)」で納得されるのでしょうか。

私も裁判員制度に批判的な意見を持っていますが、これを契機に法曹の方々が自らを顧みて、医療分野に限らず、専門家の判断をもっと尊重してくれるようになるのでは、と淡い期待を抱いています。

 医学と法律、裁判を同列に考えるのはどうかと思います。なぜなら、法律も裁判も人間が決めたルールであり、約束事だからです。
 いずれも昔は神々の領域という側面が強かったかと思いますが、医学の方は原子レベルでは、物理学に近いのではないでしょうか。あくまで素人考えですが、科学が果たした人類の進歩に較べ、司法は化けの皮が引きはがされようとしていますし、それを当事者、就中検察が支援しているのはとてもよい方向性だと思われます。
 なお、私の医学の捉え方は、唯物論史観に近いものかもしれません。「病は気から」とも言いますし。
 ちなみに、祈祷師まがいの医学治療に関する判例などもあったかと思います。また、どこまで科学的なのか不明ですが、経験則という法則性も法律にはあるはずです。それは裁判官すら拘束するとか。
「民をしてよらしむべし、知らしむべからず(論語)」の時代からみれば、隔世の感がありますが、同じ論語には、「怪力乱神を語らず」という言葉もあります。
 超能力捜査を垂れ流しにしているマスコミ、太古に逆行しているような気も致します。
 最高裁も、「マスコミは無能です。まともに信じちゃいけません」と言っているようにも読めます。同時に、証拠に絶対的な価値を置いているようですが、どこに出所があるの、という問題がなおざりにされているような。

>元ライダーさん

 医療過誤業過の裁判を裁判員が裁判したらどうなると思いますか?

>私が裁判員なら、弁護士にバンバン、質問をぶつけますね(No.3 廣野秀樹 さま)

弁護人に対してでも、検察官に対してでも、バンバン質問してくれるような、真面目な裁判員ならいいんですよ。
説明を聞いて、理解できる能力があるかどうかは、その次の問題です。

一番コワいのは、裁判所に来る前に、
 起訴されたんだから、有罪なんだろう。新聞にも「犯人」て書いてあるし。悪い奴は死刑じゃ!
で終わっちゃってる裁判員。

>No.6 モトケンさん
>医療過誤業過の裁判を裁判員が裁判したらどうなると思いますか?

はい、それはもう医師にとって今よりも恐ろしい状況になることは想像に難くありません。
そういう意味も含めて、このエントリーのモトケンさんの意見には、ほぼ全面的に賛成です。

一方、医療分野に限らず、プロの領域の判断に素人が加わるのはどういうことであるか、裁判員制度を通じて法曹の皆様に考えていただけるのではないかと期待しています。

YUNYUN さん、レスありがとうございます。
 裁判員制度については、批判的な意見が優勢を占めているような印象ですが、人の重大な人生の問題に触れることで、目からウロコが落ちるようなことも多々ありそうな気がします。
 詳しくは知らないのですが、戦前、女性には色々と法律上の権利が認められず、未成年の法的無能力者のような扱いだったと聞いています。裁判所は検察の支配下に置かれ、取調べでは拷問など当たり前の責め苦があったとも。しかし、そんな時代に日本でも陪審員制度があり、確か太平洋戦争の戦時中に停止になり、復活することはなかったとか。でもけっこう、無罪判決が出ていたそうです。
 権力者の恣意からの防衛にもなりそうなので、よい制度じゃないかと思われますが、自由を謳歌する人々には拒絶される傾向が強いようですね。間違って冤罪被害など受ければ、終身不自由の身になるかもしれないのに。
 そういえば、教師というのも一昔前は、専門的な聖域でしたが、やたらと事件や不祥事が多いようです。「仮釈放」という本の主人公も確か教師でした。冤罪事件ではありませんでしたが、冤罪というのは確率こそ低いでしょうが、誰の身にも起こりうるものかと思われます。
 大々的に冤罪被害を訴えている大学教授もいますが、10年ほど前でしょうか、何かの不祥事か問題の潔白を示すため、自殺した教授もいたような。
 特別な人を除けば、裁判なんて信じられないほどあっけなく、簡単なものだと思いますよ。民事の場合だったと思いますが、一日で終わることに一年かけるとか。これも10年ほど前の相場でしたが。その方が都合のよい人も多々いて、弁護士の戦術のひとつだったとか。
 すいません、長くなってしまいました。

裁判員制度なんてアホな制度の骨格を、誰が作ったのか知らないが、国民の判断の方が職業裁判官の判断より信頼に足ると思っているなら、素直に陪審員制度にすりゃいいし、職業裁判官の判断の方が信頼に足ると思っているなら、素直に現行制度を維持すりゃいい。
裁判への民意の「反映」なんて、中途半端な覚悟で制度設計をするから、始める前から失敗することが分かっているような制度しかできない。
要するに、国民を合議に参加させることで、「民意を反映させた」ことにして、国民・マスコミへ媚びておく。その実、国民の判断なんて全く信用していないから、職業裁判官も合議へ参加させて、裁判員のおかしな判断を通さないように主導する責任を押し付ける。万が一、裁判員が押し切っておかしな判断が通った場合は、「なんでちゃんと諭さなかったんだ」と、担当裁判官をみんなで寄ってたかって断罪するわけだ。間違っても、そのアホな判断をした裁判員自身を断罪なんてしないんだろ。国民もマスコミも。
国民だってマスコミだって、単に公務員叩きが楽しくて、ろくに考えもしないで、「裁判への」民意の反映なんて司法の本質に反するようなバカの一つ覚えのお題目を、無責任に主張していただけで、本気で国民の判断を信用していた訳じゃないだろうに。奴ら、自分が裁かれる立場になったときでも、国民の判断に委ねるだけの覚悟をしてんのか?
裁判所側も、「分かりました。我々の判断が信用に足らないということでしたら、全面的に国民の判断に委ねます。中途半端に我々に責任だけ負わせられても困りますから、お手本であるアメリカ様の制度を忠実に導入してください。」と言えばいいのに。連中もバカだね。これから死ぬほど苦労することになるよ。ご愁傷様。

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