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ゆとり教育:学力向上にプラスかマイナスか 揺れる評価(毎日新聞 2007年4月14日 1時14分 ウェブ魚拓

 多数の要素が複雑に絡み合っている問題を、一つの要素だけで評価しようとしてもどだい無理な話だと思うのですが。。。


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コメント(4)

社会人講師で高校を中心に主に公立学校に行くようになって今年で4年目です。

色々と教育行政や現場の問題を知ると、ゆとり教育についてはほとんど司令部の暴走とも思われます。

ゆとり教育の提唱者であるとされる寺脇研氏はゆとり教育を生徒児童の興味や関心に応じた内容の教育をすることで教育効果を高めようとしたようです。

そのために、画一的な教科書は使わないといった方向になりますが、そうなると教材を教師が用意しなければならない。

そのコストを出せなかったのでしょう。

そのためには、ゆとり教育がちゃんと出来る教師にはかなりの負担が掛かり、次の段階では教科書ではあり得ないヘンテコな教材(有名なのが「水伝問題」)が入り込み・・・・・。
とまずい方向に回転しました。

社会人講師つまり学校外の目で教科書や教科を見てみると、日本の近代教育100年以上の経験に裏付けられたものすごいノウハウの塊が教科書や教科になっていて、素人が思いつきで「こうした方が良い」なんて言えるものではありません。

代表が、歴史で「世界史を一学年で全部やってしまう」です。
公立学校は現在週5日制で、夏休みなどを除くと年間35週で授業計画を立てることになっています。
しかし、この中から試験や修学旅行など行事に時間を取られるので、年間で継続して授業が出来るのは26〜7週だとされています。

高校の場合、1単位の授業とは50分授業の35週分で必修科目偽装事件で問題になった「70時間の補習授業」とは週に2コマ必要だった、と言う意味です。

しかし、これを現実には26週で処理するのですから、26週×週に2時限×50分=44時間です。
44時間で世界史を全部学習するのです。
8時間労働なら6日間。神様が世界作ったのをマネしているのでしょうか?

(世界史の)教科書はこういう濃密な教育手法に対応しているのですから、社会人講師が話す内容なんておよそ薄っぺらなものだと思うようになりました。

つまり、ゆとり教育は提唱した理由も分かるし、悪いことではないのでしょうが、実行できる保証がなかったし、手段もほとんど提供しなかった。

その結果として、評価にバラツキが出ている、と言うことなのだと思います。

>モトケンさん

 多数の要素が複雑に絡み合っている問題を、一つの要素だけで評価しようとしてもどだい無理な話だと思うのですが。。。

ゆとり教育推進派、批判派両方について言えることですね。

――ゆとりで学力が低下したっていうのも関係がはっっきりしませんね。 「日本の子どもはずっと学力水準が高いっていう国際比較テストの結果があった。ところが、詰め込んでいるから高かったのかとか、減らしても維持できるとかいう分析をしないでいたから、下がった瞬間になぜ下がったか分からなくなって大あわて。たまたまその前に(ゆとり路線への)政策転換があったから、元に戻そうって」 「日露戦争でなぜ勝ったのかきちんと分析しないので、実は(局地戦での勝因は)物量の問題なのに精神力で勝ったなんていうから、あんなこと(太平洋戦争の敗北)になったのと同じです」
「ゆとり」教育改革迷走

この種の議論がもっと行われても良いように思います。これは医療崩壊に関しても同じだと思いますが。

ゆとり教育の狙いは教育そのものというより、教育現場の支配と公教育の放棄にあったと思っています。

絶対評価、総合学習を初めとする朝令暮改の嵐で前者を、
授業時間数の減少で後者を実現しようとしたと。

大学の「格」で個人の評価が輪切りにされる現実がある以上、「良い」大学は自ずと決まり、従ってどうやったって受験戦争になる。そこで公教育を減らせば、民間教育機関、有り体に言えば塾や受験業界が潤い、さらに教育を通した格差の拡大装置により階層差を「合理的に」拡大して、世襲化する効果もあるわけです。

現実にそうなったように。

「上」の方々にとっては、格差があればあるほど自分の懐が潤い、それが世襲化固定化すれば御家安泰でケッコウ仮面ですからね。私なんて貧乏人のくそガキは今の時代なら医学部には入れなかったろうな。

「ゆとり教育」は名ばかりで、実はゆとりを奪うカリキュラムになっているのが、いわゆる「ゆとり教育」の学習指導要領の大問題です。内容を薄くしながら生徒の負担はかえって増やすものになっています。

たとえば、数学の現行の学習指導要領では、数学II(通常は高校二年生が履修)に微積分が入っていることになっていますが、そこでは、三次までの多項式関数しか扱ってはならない制限がついています。数学III(通常は高校三年生が履修)で、あらためて一般の多項式関数の微積分を学びます。つまり、数学IIIまで履修する生徒は、その前の段階で、「三次関数までに限定された微積分」という中途半端で意味不明なものに一年間つきあわされて無駄に消耗するようになっています。多項式関数の微積分を一気に導入したほうが、覚える労力は小さいのに。

というか、微積分の発見以前の求積法は、一次関数の場合、二次関数の場合、三次関数の場合、と別々に扱わなくて大変で、四次以上になると複雑すぎてお手あげだったのを、何次だろうと一括して扱えるようになったのが微積分のありがたみのひとつなのに、「三次関数までに限定された微積分」だと、そのありがたみが全然わかりません。先人の成果を否定する愚行ではないですか。

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