医療崩壊問題に関する司法側の問題について、システム的ないし制度論的に考えることのできる医師はどれくらいおられるのだろうか?
おられることは間違いない。
少数派であったとしてもかまわない。
しかし、その数が増えていく可能性がないならば、このブログでこれ以上議論を続ける意味が見出せない。
医療崩壊問題に関する司法側の問題について、システム的ないし制度論的に考えることのできる医師はどれくらいおられるのだろうか?
おられることは間違いない。
少数派であったとしてもかまわない。
しかし、その数が増えていく可能性がないならば、このブログでこれ以上議論を続ける意味が見出せない。
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ひーん、がんばりますのでそんなこと言わないで下され。
感謝してるです。
最後と書いてまた書くのもなんですが、
システム的ないし制度論的に考えるとはどういうことなのでしょうか。
今の状況、裁判制度を認めた上で医療を裁くのであればどうやったって医師は裁かれるでしょう。あるいは民事で多額の賠償をせねばならないでしょう。
ここに来ている医師は多くが正しい医療を行っている、しかしそれなのに司法が認めないと主張しています。
僕の認識は違います。正しい医療をいつも行える医師はいないのだ、もし明るみに出ずに患者さんから責められることのなかった全ての医療行為も掘り出せば必ず訴訟の対象になるものが見つかるのだという想いです。
医療事故が生じた特別の状況を説明をしても、法曹の人は、それは認められませんと簡単に言う。
裁判官は予断を持たずに判決をくだしているという、そうではないことは立木先生の紹介したHPが証明しているのではないか。
鑑定医が悪いから医師の自己責任だという。僕だってこのことについては一応提言はしていますよ。議論をした後の鑑定ならかまわないと。自分が重視しなかったり、気づかなかったことで大事なことに議論の後に始めて気づくこともあるでしょう。真実がほしいなら、なぜ医師に議論させないのか?今のシステムから逸脱することにはほとんどコメントしない、われわれの役目は現在の法体系の中で与えられた条件で判断する、あるいは主張することだと言われてもちっとも安心できない。
もう一度聞きたいのは、システム的ないし制度論的に考えるってどういうことですか。現在の法体系のなかで行われていることを逸脱しないで少しでもいい方法を考えましょうってことでしょうか。それなら、僕が安心して医療を行える日は決して来ない。
医師側もですが、debate合戦をしているだけのようにもみえて急に自分の感覚が変わりましたが、それまではずっと感謝しておりました。今でも感謝はしております。絶望もしましたが。
多くの医師(全てではない)が医療を救命行為(人助け)と考え使命感をもって取り組んでいる部分が多く、例え民事であれ訴えられるということに対する恐怖感や敗北感がかなり大きいことは事実だと思います(なかなか割り切っては考えられない)。
法律すれすれのあこぎな商売で何千万も貰ってるんだから訴えられる(民事訴訟)のは覚悟の上と考えている医師は少ないと思います。
>で、司法=自然災害と思えば達観できるわけです。(峰村健司さまNo.73のコメント)
ここまでは達観できなくとも、訴訟を回避するために制度に対しては制度(法律的なテクニックや知識)で対応するしかない訳です。医療レベルは全く変わらないが一種の必要悪でしょうか。空しいとは思いつつも、カルテの記載方法、薬剤添付文書、鑑定医や協力医の選び方、争点など。ヤバイ裁判官は避けるようになどなどは勉強させていただきました。
きっとマスコミなどに対する対応ももっと重要なのでしょう。
医療崩壊そのものの原因は、低社会保障費(超低医療費)、地域や弱者切捨て(大企業癒着型)の現政権の政策などが根底にあり、医療過誤訴訟の問題はその一面として現れているように見えます。
国民全体(法曹、特に裁判官を含めて)が地域格差、医療格差(医療レベル)について議論するべきなのは確かです。
>しかし、その数が増えていく可能性がないならば、このブログで
>これ以上議論を続ける意味が見出せない。
主催者にそれを言われると、こちらもつらいですわ。
僕の中での医療崩壊関連論議の優先事項は、
1 医療変容のなかで、状況をどう捉えて、どう行動すべきか、 であって、
2 制度論的に、どのように修正努力をすれば、崩壊を起こさず調和的に収束できるか
ではないです。
モトケンさんは、立派ですし、僕もそれらに大いに依存しているのですが、残念なことに、医療崩壊をきたした様々な矛盾は、もはや、調和的に建設的に修正することなど出来ません。
1 医療関連事案の紛争解決の場としての現行の司法制度
2 医療費抑制政策といわれる現行の福祉医療経済政策
3 マスコミによる医療バッシングやクレーマー患者の存在
4 日医−医学会ー教授会の、ギルドとアカデミズムの封建制
5 厚労省による医師酷使政策(労基法無視、諸種の義務化志向)
6 トンデモ鑑定医や、ごく一部のリピーター医師
現行の司法制度は、上記のような、問題点と複合的に絡み合っています。仮に、最高裁、検察庁、医師会、医学会、厚労省、政治家のトップ級が集まったところで、彼らは現場の危機感を知らないわけで、良い知恵が出るはずもありませんし、せいぜいイニシアチブの競争をするか、あるいは、牧歌的な交流会の場になるだけでしょう。うまくいけば、良い大人の知恵を出すかもしれませんが、遅々として実効的なモノにはならないでしょう。
ですから、診察待ち時間が一週間以上になり、救急車が空しく何時間も道路を彷徨い続け、病院ではなく各家庭で医療難民老人を棄民する事態になり、銀行が病院をマネーゲームとして売買し消費するような地獄の、一歩手前の状況が現実化しないと、何も変わらないと思います。
僕から見れば、モトケンブログは、
1医療崩壊の実態を記録し、原因を明らかにする
2ハイリスクor過酷な労働環境にある医療労働者を救援する足場を作る
3闘う医師を増やし、法曹の理解者をふやす
ための場です。
システム的ないし制度論的に努力することに、積極的に関わろうとする方々の誠意は認めるし、敬意も払いますが、自分はそうする時間はありません。
モトケンさん、それでここに、僕が居るのは好ましくないですか?
モトケン先生らのブログを読んで単に臨床するだけでなく、患者の啓蒙および誤解の解消に努めるべきだと思うようになっています。
医療紛争のADRの最も良い担い手は、医療を理解している医師であると思って、制度を理解すると同時に、他人に声を掛ける前に個人でADR事業者となって、ADRの使い方を体験してみようと思っています
交渉スタイルを自主交渉支援型調停・妥協要請型調停・評価型調停のどのスタイルを採ろうか迷っていますが、医師であることを最大限に活用するには、まず患者の訴えの内容を把握して分析する評価型の力を温存しつつ、妥協要請型が良いのかなぁと思ってます。
患者側の訴えの中心が賠償でなく、医療システムの改善であるとかであるなら、ADRで妥協できる余地は十分あると考えてます
ADR自体が、今年の4月から認められたばかりの制度です。私自身の法律の勉強も遅れがちで、偉そうなことを言えた分際ではありませんが、大上段に厚生労働省や医師会に押し付けられる前に、自分たちで医療制度を支えるシステム作りを考えてはいます
司法試験を経なくても、弁護士の先生方の補助を頂いて、紛争の仲介を業として行える道ができてきたのですから、、、、、
今は匿名ですが、そのうちに直接ご指導を伺いに参るかもしれません。
どうぞ長い目で見守ってくださるよう切にお願い申し上げます
例によって私の言葉足らずだったかも知れませんが、「システム的ないし制度論的に考える」というのは、司法制度がどういう状況を前提にして何を目的にして存在しているのか、そのためにどのような制度設計がなされているのかを理解し、少なくとも理解する努力をした上で、関係者、すなわち当事者である医師、患者側、医師側代理人、患者側代理人そして裁判官はどのように行動すべきかを考える、ということであって、システムや制度(の変革)を考えることだけを意味したものではありません。
「制度論的」の「的」はそういう趣旨です。
したがって、座位さんの指摘した
現行の司法制度は、上記のような、問題点と複合的に絡み合っています。
は、私の意図に沿うものです。
私の意図の対極にある意見は、いうまでも無く魔人ドール氏 のような意見です。
はなから司法の医療介入を拒絶するような人、そこまで言わなくても司法制度の何たるかを理解しようとしない人(理解したつもりになっている人も同じ)と法律家が議論するのは不毛です。
医師以外の人にとって医療を理解することが困難であるのと同様、法曹以外の人が司法制度の実態や実情を真に理解することは困難です。
お互いに理解が困難であることを認識した上で理解しようという意思がないところに相互理解など成立しようがありません。
最近指摘したことですが、私が医療崩壊問題を意識して最初に立てたエントリのタイトルは、「医療崩壊に対する制度論的対策について」でした。
そしてそのきっかけになったのは、2006年08月05日に書いた「地方の医師不足」です。
そのNo.138 モトケンのコメントにおいて、私は
そもそも建設的な議論というのは勝ち負けを問題にする議論ではないと思います。
私としては、意見の異なる人たちがそれぞれの意見を述べ合って、相互理解に資するならば、このブログが掲示板化しても何ら問題ありませんし、望ましいことと考えています。
ただし、「相互理解に資する」というのが条件です。
と書きました。
実質的にはこれがこのブログの医療問題関係エントリの出発点だったと思います。
その意味で、これ以上相互理解が深まらないのであれば、このブログで医療問題を議論する意味がないことになります。
補足
相互理解の意思なくして相互批判が行われた場合、さらに溝が広く深くなるだけだと思われます。
そうすると、意味がないだけでなく、有害ですらあります。
謹慎明けさん、絶望というのも相互理解の意思を放棄するという意味で同じだと思います。
>これ以上相互理解が深まらないのであれば、このブログで医療問題を議論する意味がないことになります。
少なくない医療者が現状の行く末に医療崩壊という現実が待ち構えている、そしておそらくそれは高い確率で不可避だろうと考えているでしょう。
別に必ずしも理解されずともよい、あるいはどうやっても理解はされないかも知れない。しかしそうではあっても説明責任は果たさなければならないと考えている者もまた多いのではないでしょうか。
黙っていても理解してくれるなどというのは幻想であって、言うべきことを言っておかなければ確実に「負け」とみなされるのだと多くの者が学びました。
結局のところ何が、あるいは誰が悪かったのかということを最後の瞬間まで追求しつづけることが意味がないとは自分には思えませんし、当事者同士が直接語り合う場が無用であるとも思えません。
こんにちは、整形Aです。
まずはじめに、このような議論の場を提供してくださったモトケンさんに感謝するとともに、時に感情的になりがちな医師のコメントに対し、丁寧かつ冷静に、そして根気強く対応してくださったYUNYUNさんはじめ法曹の方々にお礼申し上げます。
その上で・・・我々医師を見捨てんといてー。
今医療従事者は、追い詰められて、ストレスの固まりになっています。そのための感情の発露としての暴言や放言です。本当は誠実で、診療に熱心な人間が圧倒的に多いのです(多分)。
ですから再度、見捨てないでください。
ところで、「司法側の問題に対して」という問いかけなので、それに対する返事をいたします。
民事に限定なのですが、僕はすべての医療過誤の訴訟において、病院、医師のみならず、保険者、厚労省も被告に加えることを提案します。一種の行政訴訟とするわけです。
現在の医療事故の多くは、保険医療のシステムに起因すると思われます。
例えば、医師や看護師などの人員不足、低廉な医療費などです。実際に健康被害にあった患者さんも被害者ですが、事故を起こした医療者もシステムの犠牲になった被害者です。
ところが医療訴訟では、被害者同士が闘う状況になっていて、システムの設計者、管理者は高みの見物を決め込んでいます。
彼らを訴訟の場に引きずり出せば、いつまでも高みの見物を決め込んでいられません。
例えばリピーター医師の問題ですが、現在の訴訟だと、何度医療ミスを繰り返しても損害賠償金は医賠責から支払われるので、リピーター医師はさほど痛痒を感じません。
しかし保険者が当事者になればそうはいきません。
リピーター医師とは契約しない、つまり保険医登録しないという手段が取れます。
そうすればリピーター医師、医療機関はおのずと淘汰されていきます。
また、裁判で「ミスは人手不足による。そして人手不足は現在の保険医療制度に起因する」という判決が下れば、保険者、厚労省といえども放置するわけにはいかず、早晩保険医療制度の改革に取り組まなければならなくなるでしょう。
これは被害者側の願いの一つである再発防止にも寄与します。
支払う賠償金は、ミスの程度に応じて、後は被告側で按分すればいいと思います。
単純な医療現場のミスであれば、病院が全額支払い、さらに保険上のペナルティーも科せられる。
一方制度に起因する要素が大であれば、これは保険者、国が応分の負担をする。
こうした事例を積み重ねることにより、制度設計者、現場が緊張感を持って医療を行なうことになり、日本の医療がよい方向に向かう可能性があると思います。
たとえ今回これで議論が終了したとしても、
「かつて公開議論があった過程が、いまだに公開されている」
後々興味をもった方が過去ログを読み参考にすることができる(量が膨大なのが難点ですが)。これは大変意味が大きいと思います。SNSではできないメリットですね。
モトケンさま
うーん、コメントしてない人たちがいて、そういうひとは多分、何も言わずに考えているんだろうと思います。
議論を見ている目、というのがあって、一見、半永久的につづくような議論であったとしても、
それを見ているものにとっては、なるほどと、勉強になる訳で。
つまり、司法を理解しようとしない医療者がいればいるほど、
そしてそれをなんとか説明しようとする法曹の方々がいて、議論があればあるほど、
あとからきたもの、無知なものにとって、なるほどー、と勉強になる訳です。
コメント欄に見えない、このブログの訪問者のなかで、確実にその数(司法を理解しようとする目)はふえていっているのではないかと。見えないからわからないんですけど、
見えないところに、大事な事があったりするわけで。
>しかし、その数が増えていく可能性がないならば
可能性なんて書いちゃったら、ないわけないじゃないですか。
トンでも医師や、クレーム患者、トンでも判決。司法を理解しようとしない医師。
いやなものは目立つものです。
でもどの分野もその背後には、ちゃんとした(望ましくは)多数の人たちがいるはずなんです。
司法の方々
裁判所に出された証拠を元に考える。
提出された証拠外のことを引っ張ってこない。
提出された証拠に対する反訴をする。
裁判官はこの判決によりどれだけの萎縮医療と逃散を招き、どれだけ国益に反するかなんてことまでは考える必要はない。
目先の仕事を規定どおり処理するだけ。
結果的にえん罪でも、人の生活を破壊したとしても国に委託された職務を遂行しただけ。
医療者
患者の提示する所見を元に考える。
その診断を確信のあるものにするため検査等を追加する。
診断された疾患に対し、妥当と思われる治療法を実行する。
その患者の社会的環境等まにはそうそう介入しない。(心身症・神経症のベースが家庭環境だったり会社だったりしても離婚しようとか転職しましょうなどという介入はそれが原因療法としてもできない)
医療もその医療行為をすることによりGDPにプラスになるのか将来の国家財政を圧迫するのかなんていちいち考えません。
非難轟々は承知で・・・・
その方に血糖降下剤を出す事は国益になると思いますか、GDP圧迫期間を長くしているだけではないですか。
その脳循環改善剤、ホントに必要ですか。
その子どもが出生したとしても幸せになれますか、国家予算を圧迫するだけの存在になりませんか。
こんなことは故意にか自然にか医師は考えないようにして目先の患者を治療していきます。
限られたリソースを有効利用する制度としては似たり寄ったりだと思いますが。
どちらも仕事の仕方として規定されているのだから仕方がない。
食物連鎖の上のほうにいるつもりだったのが、実は結構下層のほうで、司法や報道に飯のタネとして喰われはじめただけだと思います。
治療上有害事象が発生したら次回はそれを回避するように努力します。
司法がGrade4の有害事象として作用するようになってしまったのだから、
それを回避するように努力するしかないと思います。
> No.8 整形Aさん
ある医療過誤の原因が、保険医療政策の失敗にもあるかも知れない。それ自体は理解できるのですが、そのことと、「医療過誤の被害者が病院と行政を同時に訴えるべし」というのが何故つながるのか、ちょっと分かりにくいかなと。
現在の訴訟制度でも、病院が行政(国)を訴えることは何ら禁止されていませんから、ひとまず医療過誤によって生じた損害を病院が患者側に弁償し、そのうち、「過誤が制度に起因すると考えられる割合」について、病院が国に請求するという手順をとることは可能です。
また、その医療過誤が、現場における単純なものなのか、制度に起因する面が大きいのかについて、患者側が認識・把握・立証するのは困難であるのに対し、病院側は過誤の当事者として詳細な経緯を知る立場にあり、かつ、専門的知見(医学的知識、地域における医療水準の実情、医師の労働環境、医療行政の実態等)も豊富に有しているわけですから、行政を訴える主体は、患者でなく病院とした方が実際上もスムーズです。だいたい、医事訴訟における病院側の主張は、「過誤の原因は行政にもあった」ではなくて、「そもそも過誤なんてない」というものですので、行政に対する責任追及(何らかの医療過誤が認められることが前提)に必要な上記のような情報を、病院側が原告側に提供してくれるはずもありません。その上、「医療過誤があったか」と「過誤があったとして、その一因は医療行政にもあったか」というのは別次元の議論なので、これを同時に審理するというのも無理があると思われます。
とにかく、病院も医療行政の「被害者」であるというなら、被害者が、加害者たる国を訴えることに何の遠慮もいりません。今からでも遅くないので、既に病院に賠償を命じる判決が確定した事件についても、「医療過誤が生じた責任の何割かは国にあるから、患者に払った賠償金の一部を負担せよ」という訴訟を起こしては如何でしょうか。
もちろん、「ある過誤について、原因が一部であれ行政等にもある場合には、その過誤をした主体の責任は免除されるべきである」という考え方に立てば、上記のような構成(まず病院が患者に弁償し、その一部又は全部を病院から国に求償する)にはならないわけですけど、私には、そのような考え方(*)が妥当とは思えませんし、現実問題として、裁判所もそのような議論は一蹴することと思われます。
* 「居眠り運転のバスが歩行者を轢き殺したのは、運転手の劣悪な労働環境を是正しなかった運輸行政、労働行政にも原因がある。その運転手とバス会社は賠償責任を負わず、国が全額弁償すべき」
「ジェットコースターでの死亡事故は、遊具の保守管理について厳格な行政指導をしてこなかった市にも原因の一端がある。遊園地は責任を負わず、市が全部賠償しろ」
>FFF様
* 「居眠り運転のバスが歩行者を轢き殺したのは、運転手の劣悪な労働環境を是正しなかった運輸行政、労働行政にも原因がある。その運転手とバス会社は賠償責任を負わず、国が全額弁償すべき」
「ジェットコースターでの死亡事故は、遊具の保守管理について厳格な行政指導をしてこなかった市にも原因の一端がある。遊園地は責任を負わず、市が全部賠償しろ」
おっしゃっていることは一見妥当のように見えますが、一点見落としている部分があると思います。
ジェットコースターにせよ、バスにせよ、保守管理・労務管理は管理会社にあることは認められると思います。従って、例えばバス会社が劣悪な労働状況を放置し、従業員が事故を起こした場合、従業員は一部免責になる(確かそう言う判例があったはず・・・)とおもいますし、管理者としてバス会社の責は免れません。
ここで医療はどうかというと、バスやジェットコースターと異なり医療費の支出、医療体制の整備そのものが国の責任の下に行われています。これが医療が完全自由診療である場合にはFFF様のおっしゃるとおりですが、現在の日本の医療はがちがちの完全皆保険制度で我々は再診料一つ自分では決められません。
ジェットコースターやバスならば管理費用を捻出するために、運営会社が運賃を値上げすることが可能ですが、医療ではそうはいかないというのが国民皆保険制度というものです。
従って管理者としての国の責務はバスやジェットコースターと同列に考えることは出来ないでしょう。
ただし、そう言うことに関してだけは国は抜かりがないので、例えば労務管理については「労働時間については医療機関における休日及び夜間勤務の適正化についてで通達済みである。]となどいう論理で責任を免れようとするでしょうね。
ウェルニッケ脳症の判決とかもう詰んでますよね。
特定の治療方法を健康保険の対象から外すことによって、医師が選択できる治療方法が事実上制限されることのあることは否定できないにしても、このことが直ちに医師の患者に対する法律上の注意義務を軽減し、または免除する根拠となるわけではない。
こんにちは、FFFさん。
整形Aです。
お久しぶりです(笑)。
以前より医師のコメントに対し熱心にかつ誠実にレスを返されていたのに、時に医師側の感情的な発言を浴びることもあり、このブログに書き込む意欲を失われてしまったのでは・・・と危惧しておりました。
最近再び復活されたようで、うれしいと思うと同時に、これからもよろしくお願いいたします。
No.12 FFF さんのコメント
>ある医療過誤の原因が、保険医療政策の失敗にもあるかも知れない。それ自体は理解できるのですが、そのことと、「医療過誤の被害者が病院と行政を同時に訴えるべし」というのが何故つながるのか、ちょっと分かりにくいかなと。
はい、これは僻地外科医さんが述べられていることと重複しますが、また今まで何度か述べていますが、健康保険制度では、被保険者は保険者に保険料を支払います。そして病気になったときに医療を受ける権利を得られるわけですが、保険者自身は医療を施すことはできません。
そこで、保険医療機関及び保険医と契約をして、そちらから医療を現物給付してもらうことになっています。
実際には、保険者と医療機関が個別に契約するのではなく、社会保険事務局との一括した契約になっています。
繰り返しになりますが、医療機関は保険者に成り代わって医療を行なっているのです。
そうであれば、受けた医療によって健康被害が生じたときに被保険者が保険者に損害賠償請求することがそれほどおかしいことでしょうか。
これも以前に出した例えですが、家を建てるときに施主は建築会社と契約します。建築会社はさらに下請けに仕事を回して現場監督だけしている、なんてことが結構あります。
下請けが何か不始末をしたときに、施主はその下請けに損害賠償請求をするでしょうか。
普通は契約を結んだ建築会社に請求するのではないですか。
もちろん下請けに責任がないとは申しません。建築会社は下請けの過失の程度に応じて、当然さらに損害賠償請求するでしょうし、場合によっては次からは仕事を回さない、なんてこともするでしょう。
要は、何か問題があったときには、実際にお金のやり取りがある当事者間で解決するのが先決ではないか?ということを言いたいのです。
No.6のモトケンさんのコメント
>私の意図の対極にある意見は、いうまでも無く魔人ドール氏 のような意見です。
私も魔神ドールさんのコメントを見て、弁護士という仕事をする者として、正直凹むこともあります。
さすがに賎業とまで言われちゃうとね・・・。
ただ、魔神ドールさんのコメントの内容をこれまで見てきた感想としては、表現も少しずつ穏やかなものになっており、司法制度の何たるかを理解しようとされている様子も伝わってきています。
あんだけの量を書き込むということは、それなりのエネルギーを持っていらっしゃる方だとも思っています。
モトケンさんも、あんまり悲観なさらない方がよろしいのではないかと思います。
これまでの成果というのは非常に大きなものだと思いますし。
>さすがに賎業とまで言われちゃうとね・・・。
医者なんて
よく言えば 『人命を救う高貴な職業』
悪く言えば 『病気という他人の不幸で食ってる 職業』 ですわ
ここに集まると言う事自体が、かすかな希望を持ってる証拠ですし
怒りが大きいのは、関心の深さの表れ、関心が大きいと言うことは
自覚したときのプラスの行動力も大きいといえそうです。
たかだか人生数十年、仲良くやりましょう。
お医者さん、みんな仕事サボって下さい。
時には喧嘩、そして仲直り、また喧嘩、また仲直り、繰り返しですね〜。
一応、自分としては、そのつもりでいるんですが(汗)
そして、ブログを書くなどして、そういう人を少しでも増やそう、とも思っています。
数が増える可能性はあると思いますよ。
というか、徐々に増えていると思います、間違いなく。
ここ一、二年で、特に。
このブログをじっくり読んでる人は、そうだし。
これから読む人は、そうなると思いますよ。
> No.13 僻地外科医 さん
いや、自分も別に「医療と運輸業は全く同列だ」とか言いたいわけではありませんで。この「医療は○○という点で○○業とは違う」という指摘が何故毎回出るのか、正直よく分からないのですが、思い切り遡って説明してみましょうか。
裁判所の判決というのは、裁判官の判断を示すものであり、裁判官の判断は「法的三段論法」という手順に従ってなされます。大前提に小前提をあてはめ、そこから結論を導く、というものです。
大前提は、一般的なルールです。第一は法律であり、法律に明示の規定がない場合は、いわゆる判例等がこれに当たります。「過失がある場合は賠償責任を負う」というのは大前提です。
小前提は、具体的な事実です。「被告には過失がある」というのは小前提です。
医師の方が「この事例では過失がないはずだ」と指摘するのは、小前提に対する裁判所の認定を批判しているわけです。
これに対し、「医療過誤の原因は病院だけでなく行政にもあるのだから、病院が全責任を負わされるのは不当だ」というのは、大前提に対する司法の考え方を修正するよう求めているものと理解されます。既存の大前提とは違う、新しいルールを作れよ、ということです。
で、大前提が不変のものかというと、全然そんなことはなくて、裁判所に新たな大前提を定立させることはできる。ただ、そのためには、採用しろと求める大前提が合理的なものでないといけない。「医師については責任を免除しろ」という大前提は合理的といえないので、採用されません。大前提は一般的なルール、判断の準則ですから、それが合理的といえるためには、「そのルールがどんなケースにあてはめられても適切な結論に辿り着ける」と論証できないといけないわけです。
医師の方がよく指摘される「医療に対する行政の関与、しばり」というのを理由に責任を減免する大前提を立てようとすると、「ある過誤について、原因が一部であれ行政等にもある場合には、その過誤をした主体の責任は免除されるべきである」ということなのでしょうが、この大前提が合理的であるといえるためには、これをどんなケースにあてはめても適切な結論に辿り着けますよ、と論証しなければならない。しかるに、No.12の最後で述べたように、その大前提をあてはめると不合理な結果になるケースが容易に見つかる。だから、その大前提を裁判所に採用させることは無理であろう。
やけに大げさになりましたが、そんなところです。
>No.15 整形Aさん
コメントありがとうございます。一部の方の発言には色々思うところもありますが、まあ、ぼちぼちマイペースで参加させてもらおうと思います(笑)。
さて御指摘の点ですが、医事紛争において患者側が国(保険者)を訴えることも、もちろん可能は可能でして、それがおかしいとかできないなどと言うつもりはありません。
ただ、実際にそのような行動を期待できるかというと、完全に否です。
第一に、病院に加えて国(医療行政)を訴える必要性に乏しい。細かい説明は省きますが、複数の主体による過失が重なって被害が生じた場合、いずれの主体に対しても損害全額の賠償を請求できることになっています。つまり、わざわざ国を訴えなくとも、病院だけを相手にすれば足りる。
第二に、国を訴えるだけの材料がない。No.12で述べたように、「その医療過誤においては行政にも問題があったこと」を立証するだけの情報、証拠を、患者側は殆ど持ち合わせていません。それを把握しているのは、むしろ病院側です。
要するに、病院側が「訴えるなら国にしてよ」とか「国も一緒に訴えてよ」と言っても、患者側がその要望に従うことは考えられないわけです。
# No.15で出された、施主・建設会社・下請の例に照らして言えば、欠陥住宅ができた際に「建設会社と下請のどちらがどれだけ悪いか」なんてのは施主にとってあずかり知らないことでして、そんなこと(賠償金の負担割合)は建設会社と下請の間で話し合いでも裁判でもして決めてくれ、ということかと。
ただ、No.8で整形Aさんが仰ったような狙い、つまり、高みの見物をしているシステムの設計者を訴訟の場に引きずり出すとか、裁判所に「ミスは人手不足による。そして人手不足は現在の保険医療制度に起因する」という判決を出させて行政に改革を促すといった狙いは、患者に国相手の裁判をさせなくとも、病院自らが国を訴えれば達成できるはずです。立証の材料は患者でなく病院側が持っているので、病院が原告になる方がはるかに戦果を期待できます。
なので、医療ミスの責任が国にもあるということなのであれば、そのミスをさせられて賠償金を払うはめになった医療機関が国を相手に訴訟をして、責任を問うてみてはどうですか、ということです。
>No.20 FFF さんのコメント
医療ミスの責任が国にもあるということなのであれば、そのミスをさせられて賠償金を払うはめになった医療機関が国を相手に訴訟をして、責任を問うてみてはどうですか
病院が国を訴えたとして、勝てる確率はどんなもんなんでしょう?
この訴訟で医療機関が負ければ、自由診療を選択する病院が増えるとは思います。そして医療崩壊が確実に進みます。
これまで皆様のご意見などを拝見致しまして、流れとしてはおおよそ理解している積もりでございます。これを前提として、関係者でもないのに意見するのは躊躇われるのですが、一応書いてみたいと思います。
まず医療関係者側に。
これまで問題点は個別に具体例を伴って見てきたと思いますので、そろそろ制度的な部分を考えても宜しいのではないかと思われますが、如何でしょうか。これから先も、「裁判所が悪い」「行政が悪い」「医療への理解がない」等々、いくら言い続けても「そういう事例があるのだな」ということが判るだけで、前進しないのではないでしょうか。解決・改善へ向けての行動なり、具体策なりを出さない限り、立法措置にはならないと思えます。大体の論点は出尽くしたのではないでしょうか?ここから先、一体どうしたいのでしょうか?今の議論からは、あまり見えて参りません。個人的にブログで、具体的制度設計についてご提案を申し上げましたが、私にはそれがどうなのか評価できません(自分が考えたので当たり前なのですが)。どなたの興味も引かなかったようで、制度的には受け入れ難いということなのかもしれません。でも、医師の方々がどういったことを望んでおられるか、どのようなシステムにしたいのか、それを提示しない限り何も変わらないように思います。
根本的に、「裁判所」は立法する訳ではないのです。いかに「裁判所」に文句を言っても、立法しない限り現実の施策には至りません。それとも、行政サイドの強権的法令解釈を発動してもらって、皆様がお望みになるような「医師法」なり何なりを適用してもらうおつもりなのでしょうか。裁判所は問いを立てられれば答えるのみであり、行政裁判でもなければ現実の施策の変更など殆ど期待できないでしょう。ですから、裁判所や法曹の方々にいくら矛先を向け続けても(私も大変厳しい批判をしているので人のことは言えないのですけれども)何も変えられやしないのです。問題解決に直結しているのは、行政に対する訴求力を高めることであり、立法措置に繋がるものを具体的・簡明に提示するのが最も効果的ではないかと思っています。本気で変えたいと願っているならば、医師出身の議員に動いてもらうとか、パブリックコメントに自分の考える具体的意見なりを出すとか、現実に何らかの影響力行使を行わない限り、変えようがないと思えます。
なので、具体的な制度について真剣に考えるべきで、それが不可能なのであれば、「変わらなくても仕方ない」か「実は変えたいとは思っていなくて、愚痴を書いてお茶を濁す」ということなんでしょうか。
次に、モトケン先生をはじめとする法曹の方々に。
そもそも医師と同じ能力を持たなければ裁判に関わるべきではない、などということは有り得ない話であろうと思います。ある特定分野について必要な知識を持っておくのは当然としても、医師と同じものが必須なんてことはありません。医師が被告になった時に弁護士に依頼するのと同じであり、「弁護士と同じくらい訴訟について知識を持たねば依頼などできない」などという理屈を言うわけないのですから。エージェントの存在自体がそれを証明しているでしょう。その方が社会全体として効率がいいからであり、医師と同じ能力を持てるように法曹がなろうと試みたら、永遠に誰も裁判できません(笑、医療は終生修行らしいので)。
被告側弁護人は依頼人である被告の言う論点を代弁しているだけであり、基本的には原告側指摘に対して「それは違う。過失はなかった・責任はなかった」という反論をしているだけです。正当な反論はたくさんあるのだろうと思うのですが、論点がズレてるものや真実を言っていないケースもない訳ではないと思います。そういう依頼人の言うことを聞いて、弁護人が代弁しているのであれば、敗北の一端は医療側にだってあるのです。
それよりも疑問に思えることは、裁判というのが8割程度の人々が「当然こうなるだろう」という理屈を用いて考えるのだとすれば、基本的に「どの判決も同じくなる」という蓋然性は高まるであろうと予想されますが、実態的には必ずしもそうでも無さそうに思えたりします。上級審でひっくり返るとか、最高裁で差し戻し食らうとか、そういったことは「極めて稀」にしか起こらないはずではないかと。通常人が考えた時、8割の人たちが理解できる程度に、こうなるであろうという平凡な理屈に基づいているので、裁判官や弁護士といった通常人よりもレベルの高い人々が考えれば、「間違える」ということはかなり少ないはずじゃないかと思えます。たとえば、最高裁で8割の側の理屈で考えていたのであれば、高裁では逆に2割の理屈で考えていたことになってしまうのではないのかな、と。通常人の「8割が判る」ものを、その裁判官には「判らなかった」ということなんでしょうか。
似たようなケースで事件数が増えても、得られる判決は基本的には同じはずであり、そうであるなら訴えられた時点で「医療側(それとも原告側)敗訴」が決まるのではないでしょうか。ところがそうでもない。やってみなければ判らないのです。例えば「古紙持ち去り事件」の判決は無罪7件、有罪5件と明らかにバラバラです。同じ法律に基づいていたってこの結果ですので、判断する側は「8割の理屈」では考えられるとは限らないのではないでしょうか。裁判のシステムに異議を唱える訳ではありませんが、少なくとも「判決に当たり果たすべき責務」というものについて裁判所側にも考えてもらいたいとは思います。8割が同じ理屈になるのではなく、その時その時で理屈が違うのは何か根本的な問題があるのではないか、ということです。
長々と偉そうに書いてしまいましたが、すみません。
私が言いたいのは、双方とも何らかの問題を抱えている、個別の問題点を挙げていく時期は過ぎたので、「制度設計」について双方が案を出し合って考えていくべきでは、ということです。互いに力を合わせれば、きっといい考えも浮かぶであろうし、理解し合えると思います。これまでこのブログを読ませて頂いて、大変勉強になりましたので。
>ピエールさん
行政部であった時の藤山判事が担当する裁判であれば、勝てる確率は少なくともゼロではなかったと思いますね。
> No.22 まさくに さん
一点だけ、あまり本質的でない茶々を入れさせて頂くと、上級審で結論が変わる大きな理由としては、判断の材料となる証拠が追加されたから、というものがあります。
原審の判決に不満な当事者は、負けた原因を分析し、自らの主張を補強する証拠を探してきて上級審に提出します。その結果、裁判所の判断が改まることがあるわけです。
まあ、そう頻繁にひっくり返ることもないのですが、刑事事件で、一審の時点では弁償が間に合わなかったものの、判決後に示談ができたような場合、控訴した上でその示談書を証拠請求し、一審より軽い判決を得る、ということはしばしばあります。
医療を巡る司法関係の問題は、大きく分けて二つに分けられると私は考えています。 一つは、判決を巡る事実認定や判決の論理構成に、医学的にみて明らかな間違いや 誤りが含まれているもの。もう一つは、判決の方向性がいわゆる「医療崩壊」を促進して しまうもの、です。
具体的な裁判例を挙げることはしませんが、事実認定がきちんとなされているもので あれば、結果的に「医療崩壊」を招くような判決がでたとしても司法の責任だとは私は 考えません。問題は、日本の医療の常識からかけはなれた間違いや誤りが含まれる 判決が見られることです。
医療のミスを法で裁くことは、それが法的に犯罪として扱われたり民事的に不法行 為等として認められるようなレベルのものであれば、現在の法制度の下では当然のこと です。医療者がそこを否定するような議論をするのは筋違いです。
(医療という専門分野のこととはいえ) 常識からみて明らかに間違っている判決を、 司法関係者、特に裁判判決を下す裁判官がなぜ判断ミスをしたのか、という観点から の議論をきちんと行っていく必要があるのではないでしょうか。一つ一つの裁判の過程 から、裁判官が間違った結論へと導かれていった原因を探っていく必要があります。 現在の裁判の過程で不足しているものが何か、例えば専門的にみて間違った事実認 定や論理構成をしていないか裁判官にアドバイスする専門機関が必要なのかどうか、 といった議論は、個々の裁判事例をケースバイケースで検討しなければ議論として きちんと成り立たないと考えます。
もちろん、「裁判官はその自分の良心のみに従って」云々という建前は承知して います。一方で、医療関係者なら誰でも知っていることですが、「人間はミスを犯す もの」を認めるというのはミスを減らす上でのが大原則です。
ここのblogの議論をはじめ、医療と法との関係を議論する場所をいろいろと見て きましたが、「なぜ裁判官がミスをおかしたのか」という点を冷静に分析している例は ほとんど見かけません。法律側の問題点をシステム的、制度的に考えていくので あれば、こうした方向からの分析も必要なのではないでしょうか。
>都内病院勤務医
大変興味深いご意見です。
素人としては、常識と言う所がネックとなっている言う事もあるのではないかと考えます。日本の医療の常識というのなら、「医療の常識とは何か」と言う所を詳細に説明する必要があるのに、「この位は常識だから言わなくても裁判官は理解できるだろう」と思って説明しなかったがため、常識からかけ離れている判決が出てしまう面もあるのではないかと思うのですが、いかがなものでしょうか。
あと、同じ裁判官でも原告勝訴と原告敗訴と言うケースがありますね。なぜ異なる結果になったのかと言う考察も必要かと思います。例えば藤山判事などは、徹底して患者擁護、徹底して医師叩きと思われがちですが、判決文を読む限りでは両極端な判決をしております。何が結果を分けたのか、興味があるところです。
>医療崩壊問題に関する司法側の問題について、システム的ないし制度論的に考えることのできる医師はどれくらいおられるのだろうか?
おられることは間違いない。
少数派であったとしてもかまわない。
しかし、その数が増えていく可能性がないならば、このブログでこれ以上議論を続ける意味が見出せない。
医療崩壊問題に関する司法側の問題について、(現在の医療の抱える問題を理解した上で)システム的ないし制度論的に(解決に向かう方法を)考えることのできる法曹界の人間はどれくらいおられるのでしょうか?
ほぼいないのでは、という疑問がぬぐえません。失礼ながらはっきり言えばモトケン様も含めてです。
もっとも現時点でのシステム的ないし制度論的解決法は「二階から目薬」にすぎないでしょう。
モトケン様は二階の法曹界と一階の医療者との間に階段を作られた、という素晴らしい業績があると思います。お互い歩みよろうとし、多少なりとも交流の場ができました。
モトケン様をはじめ何人かの法曹界の方々は階段を何段か降りて、歩みよってくださっているでしょう。医療者のなかにも登って歩みよっていく人もいます。
ですがおそらく多くの医療者はもう階段を登る元気はないと思います。正直「法律や制度の知識をもって、ここまで登っておいで。話はそれからだ」という、上から目線の声さえきこえるような気もします。(被害妄想でしょうか。医療制度の崩壊の認識も世界没落体験であるかもしれません)
システム的ないし制度論的解決法を考える前に、医療現場の問題を理解するためにもう少し歩み寄っても良いと思いますが。もう十分に理解できている、と認識なさっているのでしょうか。
こんばんは
モトケンさま その他のみなさま
しばらくROMしておりましたが、ここモトケンさまの『医療崩壊問題に関する司法側の問題について、システム的ないし制度論的に考えることのできる医師はどれくらいおられるのだろうか?』という問いかけに従いでてきました。私はハンドルネームと同じあまりパッとしないブログを書き続けていますが...。その、ブログをはじめるきっかけは福島県立大野病院事件でした。現在も、その公判の模様を追いかけていますが...。その中で感じることは、一旦法廷に持ち込まれた医療紛争事案は、その経過において『真実を明らかにすることが困難になる』ということです。
医療を生業としておりますと、どうしても死や患者さんに多大な後遺症をのこすような事故に見舞われることがあるといえます。そして、我々が最大限に努力をしても、その可能性をゼロにすることはできません。その場合に、これから将来にわたって医療に資するものを、その事故から学び取ることが一番大切で必要なことと考えていますが...残念なことに、現在の法廷というところであるかぎり難しいのでは?と思われます。
もちろん、重大な過失や故意によりもたらされた医療過誤は、その責任を医療者に対して追及する様、法廷でしっかり吟味していただかなくてはなりません。しかし、現状の水準(その時におかれた医療者、患者さんの状況にもよります)によってもなかなか難しいだろうとおもえるような事案に関しては、法廷に持ち込む前に専門的な機関により吟味し、真実を広く周知した上で、医療の進歩に寄与する情報として公開するのがよいと考えます。この機関が、患者さん側、法曹の方々、医療者に公平であることを願って止みません。
最後に、私は法曹の方々と、医療者は手をたずさえていくべきであると思います。お互いに専門性の非常に高い分野であります。お互いのことを理解しようとすること、お互いを尊重する気持ちがなければ、それこそマスコミの一部にしてやられます。法曹と医療者の情報を交換し、お互いに理解を深め合うという目的において、このモトケンブログはこの広いネットにおいても唯一無二のものであると感じております。いろいろと大変なこともあるでしょうが、是非ともモトケン様には頑張っていただきたいと切に願う次第であります。駄文を失礼致しました。
No.26 しまさん:
医療の常識といっても簡単なものではありません。一般人でも間違いに気付く レベルから学生でもわかるレベル、研修医ならわかるようなレベルから日常診療で 日々診察している専門医ならわかる「常識」というものまであります。
実のところ、私が個々の裁判例の検討が必要だと思う理由の一つがこの「常識」 です。問題とされる裁判例がどういうものなのか、どのレベルの医学常識に反している のか、専門医ならわかる常識に反した判決ならあまり問題ではないでしょうが、学生 レベルでもわかるような常識に反した判決なら問題外でしょう。そうした個々の検討な しには、問題とされる裁判がどのように問題なのか検討できません。
私自身は裁判官単位での検討は積極的にはしたくない気持ちがあります。医療に 関して判決ミスを繰り返すリピーター判事 (笑) が存在することは容易に想像できます が、そうした観点からの検討を優先させると裁判官の責任追及という話になって 「良心のみに従う」とされる裁判の原則から司法関係者の参加が少なくなってしまう のではないかと危惧しています。
まずは、「誰がミスしたのか」という個人の責任追及につながる話を避けて、個々の 裁判の問題性を議論したいな、と考えています。
>FFF様
おっしゃる指摘は全く道理であり、その点についてほぼ異論はありません。
医師の方が「この事例では過失がないはずだ」と指摘するのは、小前提に対する裁判所の認定を批判しているわけです。
この件については個々の裁判で解決していけばいいと思います。判決のすべてが正しいと思わないと言うことについては過去にさんざん呈示していますので今更ですが、医療過誤を無くすべきと同様に、裁判過誤といえる事例に関してもシステムの面から考慮していくべきだと思います。再三例示して申し訳ありませんが、亀田の事例、奈良心嚢穿刺の事例はその現場に当たった法曹に方々に責任を負わせるべきではないかも知れませんが、明らかな裁判過誤であると思います。あくまでこれらの判決が間違っているという前提の元にですが、間違っているのであればそれを正すシステムそのものが必要であると思います。
これは私が呈示したプランではなく整形A先生が呈示したプランですが、現実的有効性はともかく、面白いアイディアであると私も思いました(現実的有効性については正直厳しいかと・・・。厚労省のスタッフはそう言うところだけはぬかりないです)
また
で
全く当然のことだと思います。ソクラテスではありませんが、日本に住んでいる以上、悪法であっても法には従わねばならない、なぜならば、我々は国を離れる権利も保障されているからだ。。。。だと思います。
整形A先生へのレスですが、これももっともだなと思います。
ただ
この点に関して、もしかしたら再三申し上げているかも知れませんが、医療だけを特別扱いせよと言っているわけではないんです。私が言ってるのは、例えば、先生が挙げられたバスの事例を取っても、過重労働を放置した場合、実際に運転していたバスの運転手もまるっきり免責にはならないかも知れませんが、本質的には管理しているバス会社に責を負わせられますよね?医療においてもそれと同様で、明白なシステム負荷をかけているのが行政であった場合には、行政に責を問うべきではないのでしょうか?と言うだけのことなんです。
従って、整形A先生へのレスにありますように、
と言う点には強く同意します。というより、今後こういう訴訟を我々が増やしていかなければならないかも知れない、と思います。ただ、正直言って、医療崩壊という側面を見る場合においては、この方法は遅きに失しているかも知れません。奈良の産科転送事件後の経過がそれを如実に示しています。
で、仮に「行政の不手際が原因で訴えられて敗訴しても仕方ないだろ、お前らは医者なんだからそれを甘んじて受けるしかないだろ」というのであれば、それを医師全般に受け入れろというのは、法的にどうあれ心理的に受け入れられるものではないでしょう。それを回避する手段として逃散という手法を取ることをFFF様は法的な側面から見て否定されますでしょうか?
「産科医であるが故に(もしくは救急医であるが故に)行政の失態をも現時点では甘んじて受け無ければならない。では産科医を辞めてしまおう」という判断をすることは法的側面から見ておかしなことでしょうか?
FFF様の理論は法的に見て非の打ち所がないかも知れません。ただ、現実問題、現場に立つ人間に適用された場合、それがどういう結果を生むかという考察についてやや欠けているように思われます。
>都内病院勤務医さん
裁判官は、医学生レベル以下、医学知識に関しては受験生と同レベルを想定した方が宜しいように思います。
>僻地外科医 さん
横から失礼しますが、行政の不手際が原因で訴えられて敗訴したのなら、それを甘んじて受けるわけではなく行政を訴えろとのご意見だと思います。
と同じ論理かと思います。発想としては整形Aさんの
臨床医ですが、このブログに到達したのが連休後半でしたので、すでに議論されているのかもしれませんが、その場合は、ご教授願えれば幸いです。
Clinical decision makingは、患者のsign, symptomから、A1という疾患の可能性A1x%、A2という疾患の可能性A2x%、、、、と推定し、A1であるかどうかを確認する検査としてB1aという検査を行えばB1axの可能性で診断できる、B1bという検査を行えばB1bxの可能性で診断できる、、、と考え、もしもA1であった場合C1という治療を行えばC1xの可能性で治癒し、C1yという可能性で死亡し、C1zという可能性で重篤な障害を起こし、、、ということを計算し、A1の可能性が高いが、それよりも可能性が低いが見落とせば危険だからB2cという検査を行い、同時に症状に対しては治療を開始すべきか開始すべきでないか判断し、外来患者なら次の外来いつその対応でよかったかどうかを決定する(入院患者なら何分後あるいは何時間後あるいは翌日診察する、どの検査が出たら診察する、を決定する)。そして、その何日後(あるいは何分後、何時間後)の状態により、疾患の可能性を修正し、対応方針を修正する、ということを刻々行っていきます。多くの疾患で、回り道がおこります。名医とは回り道をしないでベストの対応を発見できる者ですが、すべての医師がすべての疾患について名医であるわけではないので、死亡した患者について、あとからみてこれがベストの対応であった、ということはまずありえない。それぞれの瞬間に高度の蓋然性で正しいと思われる対応をしろ、といわれても、それぞれのときのsign / symptomから導いた自分が正しいと思う診断が間違っていることは、日常的なことです。どの程度の回り道が、どの程度の判断の誤りがあったかは、それぞれの個別の状況で事後的に検討すれば、情報が得られます。問題は、それが、acceptableであるかどうかについての価値判断で、多くの医師がacceptable(自分でもそのくらい回り道、あるいは、誤りをするよ)な臨床経過と考えるけれども、法律で、有罪、あるいは、民事として支払いを命じられる、ことが多いから、逃散がおこる、というのが医師の理屈です。医師がacceptableと考えるのに裁判所が認めない、という場合、「明日はわが身」と保身のため「acceptable」な範囲を広くとっている場合もあります。一方、「鑑定医師」と「鑑定おかしいと理屈をこねる医師」との臨床能力のレベルが違う場合、「鑑定医師」と「鑑定おかしいと理屈をこねる医師」に与えられた情報が異なる場合(鑑定の争点を依頼する際に、簡略化(具体的な sign / symptomでなく疾患名や状態名など)がおこったりするかどうか)、「鑑定医師」の判断については「理屈こねる医師」も正しいと認めるが、鑑定からの論理的な結論の導き方が「医療従事者にとっては理解しがたい論理」である場合、などでも、医師は判決不可解、と思います。また、患者を目の前にしたカンで感じている情報のうち記録に残された、sign / symptomはごく一部です。ごく一部の情報を元に、鑑定したり、鑑定に理屈をこねたりするのですから、考えてみれば、意見が割れるのも仕方ないことでもあります(でも、だからといって、鑑定しないわけにはいかないのですが)。
>しま様
あ、そうですね。ちょっと走りすぎてました。で、ただその手法だと間に合わないかな〜と言う危機感はあります。
FFF様、申し訳ありません。
知りすぎているほどご存じの通り、一部の(と言うか少なからずの)医師は私が言っている方向へ暴走しています。。。。
裁判官が医療問題に詳しくないのなんて当たり前の話です。
彼らは法律知識を身につけて司法試験試験に合格し裁判官になったのですから、それ以外の分野に通じている保障なんて何もありません。
それは、医療に限らず先端的な技術や高度に専門的な分野全般について言えます。
ただ、社会生活が一般的に法の支配に服する以上、裁判官は専門的知識がなくとも判断する必要に迫られます。
それゆえ、その専門知識不足を補うために各種の手続が設けられています。
たとえば、
知財高裁
http://www.ip.courts.go.jp/
労働審判手続
http://www.courts.go.jp/saiban/syurui/minzi/minzi_02_03.html
などが最近設けられました。
医療事故に関してもこうした仕組みを取り入れれば、裁判官の専門知識も増し安定的な判断が可能になるのではないでしょうか?
以前のエントリではこのようなことをコメントされていた方も複数おられたんじゃないかと思うんですけどね。
いつまでも、
「裁判官は医療のことなんかわからないんだから触れてくれるな」
みたいなことを言っていても、まったく建設的ではないと思います。
都会の大きい裁判所では、多少とも専門性が高いとみられる訴訟類型を、特定の部に集めて取り扱うようにしています。「医療集中部」とか、「行政部」と言われるものです。
同種の事件を多数扱えば、裁判官が勉強するのに効率的だし、慣れて技能が上がるだろうという配慮です。
某F判事はこの春まで東京地裁医療集中部におられましたので、医療訴訟で頻々と名が上がっていたわけです。
冒頭の言葉ですが、改めて考えてみるに医療崩壊問題に関する「司法側の問題」について考える「医師」が増えないことが何故議論を打ち切る理由となるのか釈然としませんね。
これはどうかと思う医療訴訟を見ているとあまりに主張が拙いというか、日常診療で対面する患者と同様に裁判官を相手にした場合にもこれは素人であって専門的内容は理解できないのが当然である、素人にも判るレベルまで噛み砕いて説明を行なわなければならないという認識が医療サイドに不足しているのかなという印象はありますね。
基本的にそうした能力は臨床の場でも必要とされるものですし、裁判官を納得させられるなら患者も納得させられるであろうから、まずはその面で医療側ももっと修行を積んでいくことが何より一番の訴訟対策になるのかなというのが基本なのは確かでしょう。
同時にこれも日常診療でしばしば直面することですが、幾ら言っても理解できない相手というのは確実にいるわけですから、司法的にはトンデモ判決を多発する裁判官であっても排除できないシステムになっているということであれば本質的な解決策、すなわち「危ないことには手を出さない」という方法論しかないと考える者が出てくるのも当然かなと思います。
冒頭の問いかけに戻って考えるならば、「医療崩壊問題に関する司法側の問題について、システム的ないし制度論的に考えることのできる医師」が増えてきているからこそ現状があるのであって、しかもその問題が全く改善されそうな気配も見られないからこそ困っているわけです。
司法サイドが医療崩壊を他人の問題として当事者意識を持ち得ない、あるいはそこに踏み込むのは司法の領分ではないという姿勢を改めない以上、JBMあるいは逃散といった現象も続くと思います。しかしそれすらも医療側が解決しなければならない問題なのでしょうか?
どたばた続きの医療制度改革?にも何とか順応しているのを見ていただけば判るように、医療側というものはどんな問題があってもとりあえず何とか対応していく能力にはそれなりに長けております。多発する医療訴訟にも対処する方法論を身に付けてきました。である以上、ボールは既にこちら側には存在しないのだと考える者も多いのではと考えます。
>No.16 PINE さんのコメント
>No.6のモトケンさんのコメント
>
>>私の意図の対極にある意見は、いうまでも無く魔人ドール氏 のような意見です。
>
>私も魔神ドールさんのコメントを見て、弁護士という仕事をする者として、
>正直凹むこともあります。
>さすがに賎業とまで言われちゃうとね・・・。
弁護士という仕事を賎業呼ばわりすれば医者の仕事だって同じくらいの賎業です(笑)から、自分で自分を貶めているに等しい。
魔神さんも医師であるなら世間の皆様からは「お前がいうな」といわれるべきところでしょう(笑)。
こんにちは、FFFさん。
整形Aです。
まあ、うちはつぶクリ(つぶれそうなクリニック)で年がら年中暇な診療所ですので、僕が気が向けばいつでもカキコできるんですが、医師の怒涛の書き込みを少人数の弁護士さんたちが一手に引き受けるのは大変です。
ご苦労をお察し申し上げます。
医師の皆さんも、弁護士さんたちを使い潰さないよう、いたわりながらコメントしましょう・・・って、使い潰しているのはおのれじゃー、ってか?
No.20 FFF さんのコメント
>国を訴えるだけの材料がない。No.12で述べたように、「その医療過誤においては行政にも問題があったこと」を立証するだけの情報、証拠を、患者側は殆ど持ち合わせていません。それを把握しているのは、むしろ病院側です。
> さて御指摘の点ですが、医事紛争において患者側が国(保険者)を訴えることも、もちろん可能は可能でして、それがおかしいとかできないなどと言うつもりはありません。
医療過誤が起きた時に、患者側はほとんどの場合、過誤を起こした医師と病院を訴えます。
考えて見ますとこれはちょっとおかしい話で、不法行為を為したのは医師個人であって、組織としての病院がやったわけではありません。
まあ、「紫色の・・・ry」さんのケースのように病院組織として個人に責任を押し付けるということもあるでしょうが、普通医療過誤を組織としておこなうことは考えられません。あったら、過誤ではなく意識的であり、それこそ犯罪です。
まして病院の建物が患者に悪さするわけでもないし、開設者つまり例えば自治体の首長が直接患者に何かしたわけでもありません。
であれば、病院には何の罪がないはずで、患者側は医師個人のみを訴えればいいのですが、どうしてそうしないのでしょうか。
それは、医師が病院の業務の一環として医療を行なっているからでしょう。
さらにいうなら、医師や病院がなぜ保険医療を行なっているかといえば、それは健康保険事業という国家の事業の一環だからです。
厚労省は単なる監督官庁というわけではありません。保険事業の当事者の一人です。
繰り返しになりますが、国民は健康保険に加入する、すなわち保険者に保険料を支払うことを義務付けられています。それと引き換えに安価で比較的良質な医療を受ける権利を付与されます。
それは被保険者と保険者との間の契約です。
被保険者に良質な医療を提供する義務があるのはまず第一に保険者ではありませんか、ということを申し上げたいのです。
患者側が国や保険者を訴えるのは技術的に難しい、というお話もありました。
先ほども述べたように、医療過誤において病院が直接不法行為をしたわけではありません。しかし病院の不法行為の認定は、職員が不法行為をしたことを立証しさえすればことが足りるのではありませんか。
それと同じことで、少なくとも保険医、保険医療機関、保険者は一体であり、医師の不法行為のみを立証すれば、保険者そのものの不法行為を立証する必要はないと思います。
もちろん現実はどうかわかりませんが・・・。